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阿含宗という宗教256

15 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/08(火) 23:19:40.09 ID:W12OZdWU.net
>586 神も仏も名無しさん 2015/09/07(月) 11:31:20.57 ID:NTTxSMEs
>知が付いてるから慧の実践だって? またボロを出しちゃったねw
>三学の「正念正知」は慧ではありません。ニカーヤの論文をよく読んで勉強し直し!!

もっと段階を限定するかのような誤解を与える三学論とは、例えば以下のリンク先もそうです。
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukkyo/kaijoue-06.htm

これは戒定慧の三学の一般的な解釈であるのだが、ご覧のように戒→定→慧ときちんと
順序よく分けて13段階の修行内容を説いている。
その9番目が第四禅であり、ここまでが戒から続く定であり、以下、宿住随念智、死生智、漏尽智の
三明が慧として分類され、最後に解脱と解脱知見が来る。
だからペテン大作さんなどこの罠にまんまとはまり、9番目の四禅で解脱しているはずがないだろ?
深山は仏教の基礎も知らんのか?と勝ち誇るわけです。
しかしこのような便宜上の13段階に戒定慧を割り振るのは誤解を与えます。
私も正直疑問に思った。これだと戒定慧の慧とは一番最後の前世などの観察だけが
智慧ということになってしまう?煩悩の断除という作業は戒と定だけになり、
これっておかしくないか?
この誤解を払うのがビックさんの八聖道との対比論です。
仏教を経典の内容表現から二大別している。
一つが沙門果経に代表される段階的修行道であり、もう一つが段階的記述をしない
八聖道の螺旋的修行道です。
ところで実は決して釈尊の仏教に三学と八聖道という2つの別の道があるのではない。
そんなことはビックさんもわかっている。釈尊は極力体系的な説き方をせずに
随機説法だったから、経典によりその表現の仕方が違うだけです。
だから実は説いている道は同じなんです。桐山さんの言うような七科三十七道品、
7科目37種類の修行法があり、弟子の機根を見ていくつか科目を選びながら
修行するシステムなんて無知な話ではない。
三十七道品もまたその時その時の表現の違いであり、同じ道です。
強いて言うならば八正道が全てをカバーする。あるいは戒定慧の三学表現がカバーする。

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