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阿含宗という宗教256

143 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/12(土) 11:22:01.71 ID:22Pzu6EZ.net
「わたくしは自己に帰依することをなしとげた。」
(大パリニッバーナ経、ブッダ最後の旅、中村元、97頁)

ペテン大作さんもまったく同じ間違いをしている。
解脱する道を自分以外に求めてるから、八正道がそれだと
言われても、まったくピンと来ない。
何か特殊な瞑想法という技法によって解脱するのだと信じているから、
その技法がどこにあるのかと必死に学者の本を読んで、
九次第定の漏尽定で解脱するのだと主張している。

他の信者さんたちは、桐山さんと同じ誤りだと気が付きませんか。
瞑想のポーズでプラーナをクルクルと巡らすと、チャクラが開き、
ある朝、明星が来影して、その瞬間、「我、解脱せり」と確信して、
感涙にむせびながら、朝日を拝む、なんて妄想している。
桐山さんがまさにそういうシーンを描写している。
釈尊の解脱のシーンがドラマチックだから、こういう想像をしているのだろうが、
アニメや映画の見すぎです。
解脱がこんなものなら、どうして阿含経にはたくさん出てこないのだ?
比丘や比丘尼の解脱にドラマチックな話が出てきてもいいのに、皆無です。
どれもこれも地味で、ビビッと来たなんて一つもない。
こういう現実の阿含経を読んだら、自分の考えている解脱と違うのではないかと
普通の人は「自分」を疑うのだが、ペテン大作さん、一来補さん、宝生さんは
まったく「自分」を疑わない。

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