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阿含宗という宗教256

141 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/12(土) 11:16:06.62 ID:22Pzu6EZ.net
「わたくしは自己に帰依することをなしとげた。」
(大パリニッバーナ経、ブッダ最後の旅、中村元、97頁)

桐山さんの修行法と称する内容もすべて「自分以外」です。
彼が持っていないチャクラやクンダリニー開発をすることで、
彼が持っていないカルマを断ち切る力を得て、彼ではないカルマを断ち切り、
彼ではない死者も成仏せるというのですから、全部「自分以外」です。
一方、釈尊の説く八正道の対象はことごとく「自分」です。
煩悩はどこからか獲得しなくても自分の中にすでにある。
特殊な技法などなくても誰でも自分の煩悩は確認できる。
八正道も説明されれば十歳の子供でも理解できる内容であり、
指導者の力や助けではなく、自分で実行することを求められる。

桐山さんが修行法と称するから一見、同じようにみえるかもしれないが、
桐山さんは「自分以外」からの特殊な力によって解脱すると説いている。
だから、何か特殊な大系だった修行法を「自分以外」に求める。
四神足は八正道にすぎないのに、前者を法であり、後者を教えにすぎないと
いうのも、四神足が神通という「自分以外」の物が獲得できるように見えて、
八正道はもろに自分を何とかしなければならないからです。
八正道は桐山さんが一番やりたくないことをやれと説いているから、唾棄した。

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