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阿含宗という宗教256

101 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 23:12:54.16 ID:x9HKvvDO.net
>>72 @現法涅槃は想受滅の境地
>生存中に涅槃を体得することを現法涅槃といい、
>バラモンたちは、それを色界四禅の境地だと見なしていた。
>これに対して、釈尊は想受滅の境地を現法涅槃だと考えていた。

梵網経(ブラフマジャーラ経)で釈尊は「我(アートマン)」と「世界」に関する
哲学的見解六十二種(六十二見)を網羅し、これを斥けています。
その斥けられた見解の中に現法涅槃論(五種)が含まれているのです。
釈尊は現法涅槃論を斥けています。
それらすべてが囚われた見地であることを指摘し、退けている。

六十二見は、ただ「接触」を縁として「感受」されただけであると断じ、「このように
囚われたこれらの見地は、これこれの行方、これこれの来世をもたらすであろう」と説いて
いるのです。つまり
感受に縁って渇愛があり、渇愛に縁って執着があり、執着に縁って生存があり、
生存に縁って生まれることがあり、生まれることに縁って老いること・死ぬことがあり、
愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みが生ずると説明しているのです。

そして、ここがもっとも重要なところですが、
如来(釈尊)は六つの接触の処について、集起と消滅と楽味と危難と出離とを如実に知って、
執着なく、解脱したと宣言しています。

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