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阿含宗という宗教256

1 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 21:17:32.81 ID:sMOCSDYa.net
このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。

■阿含宗関連サイト■

考察資料の総合案内「agama考察室」
  http://agama.zouri.jp/
議論スレ:「阿含宗と桐山氏について」(したらば)
  http://jbbs.shitaraba.net/internet/3419/
議論スレ:「agama@chs-1」(したらば)
  http://jbbs.shitaraba.net/internet/6441/
議論スレ:「FC2agama掲示板」
  http://datoban.bbs.fc2.com/
過去のザビビ復活!ザBBS(過去のザビビよるデータをFC2に譲渡)
  http://thebbs.fc2.com/ (阿含スレは”桐山氏と阿含宗について”)
テーマ別の阿含宗批判「agama galage」
  http://agon.konjiki.jp/
過去ログ倉庫:「阿含宗という宗教」
  http://souko.digi2.jp/
過去ログ倉庫:ザビビ「阿含宗と桐山氏について」
  http://agama.ehoh.net/kakoindexthebbs.html
阿含経の分析や研究に 「agama 研究室」(アーガマ 研究室)
  http://agon.genin.jp/
退会について考えたり相談できるサイト 「agon secession club」 略称ASC 
  http://agama.jounin.jp/

2 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 21:25:57.97 ID:sMOCSDYa.net
いちおう次スレ立てておいたわって
お知らせを255に入れようとしたら
バカレス666一来補のために
ジエンドだったての 笑っちゃうぜ

3 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 21:27:49.50 ID:sMOCSDYa.net
よっしゃ 再掲示じゃあ

>>660 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 16:43:05.03 ID:SMys/4er@深山さん、沙門果経は段階的な修行道を説いています。

だからさ 沙門果経はだね阿闍世王に対して
他者製の六外道とは違うっちゅう沙門の性能を
解説しとるんだっちゅうによ

戒では六外道との差別化を計り解りやすくその性能
いわゆる沙門スペックを抽出披露してんのだよ
だから修養道とかを一番に特筆しとらんでしょ
むしろ解脱者の普段の生活を明らかしてんだよね
ほらあるべさ 気を付けるって生活は解脱者そんもんよ
んでだな この話はまんず誰でも沙門となれるもんであり
そこでこの世に解脱者が生じ 皆に教化するっちゃ話しでさ
ぶっちゃけ その解脱者による話しでもあるんだよね
んでもって沙門っちゃあ こんな果報のある生活なんだがや
って言っておるわけじゃ

だから四禅も解脱したもんの瞑想なんだがや
これはオレの意見じゃねえのよホント
経にそう書いてあるんだからさ オレが前に書いた>>496
ビックらこいた学説なんぞの引用は 全くいらんっつうことさ
そんでよ その経の部分を読めるかってのが
バカかどうか の知性の分かれ目ってわけなんだよなあ
どうだろうきゃな 読めるんか読めんきゃなあ
桐山センセの弟子の力量が これで解るってもんよなあ

4 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 21:44:06.50 ID:2Rpxg4YD.net
スレ255
>645 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 12:32:51.77 ID:SMys/4er
>私に対するあなたの仕事はこれだけです。
>余計なことは言わなくていいのです。

ペテン大作様への「仕事」???
「余計なことは言わなくていい」?!!
ペテン大作様がそんなにオエライさんだとは知りませんでした。
私はペテン大作様のお仕事をさせていただいていたのでしたか。
これは、失礼スマスタ・・・でも、仕事と言われても、給料をもらった覚えはないし、
今までの上司にも先輩にもこんな執念深くて、性格の捻じれた奴はいないしなあ。

私から「根性が捻じれている」とまで言われたら、
少しは言動に気を付けて、私の指摘が悪口ではないのかと
読者に思ってもらうことこそ、私への大きな反撃だとは思わないのですね。
いかにも視野の狭いペテン大作さんらしく、
捻じれていると指摘されると、その捻じれをそのまま出してきた。
あなたの上記の態度を、性格が捻じれている、というのです。
わざわざ私の主張を裏付けてくれて、ご苦労様。

5 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/08(火) 21:50:04.63 ID:2Rpxg4YD.net
>>4は深山の書き込みです。

>645 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 12:32:51.77 ID:SMys/4er
>私に対するあなたの仕事はこれだけです。
>余計なことは言わなくていいのです。

毎度、ペテン大作さんの思い込みの間違いは、ここを仏教スレだと思っている点です。
ここは桐山アゴン宗の是非を議論するスレであって、
あなたや私の個人的な仏教観など議論の対象外です。
沙門果経が段階を追った修行を説いているとあなたが信じようが、
そうでないと信じようが、各人の自由です。
双方の主張は出尽くしているのだから、判断は読者に任せるべきで、
ペテン大作説をしつこくしつこくここに披露するのはスレ違いです。

あなたは前スレの604さんが示した経典は解脱を表すものではないとした。
それがあなたの意見であることはわかりました。
解脱の意味を理解していないあなたなら当然の結論でしょう。
604さん、私、ユビキタスさんは604に引用された経典の
「心の安定」は解脱を表すと解釈している。
だから、沙門果経での「心の安定」も解脱です。
あなたは二禅の話を出しているが、そんなことは何ら矛盾ではないことは
前から私もユビキタスさんも何度も説明している。
だが、それで終わりです。
両者の意見は出尽くしており、お互いに意見はかみ合わないし、
なにより、ここは「心の安定」が解脱かどうかを議論する仏教スレではないからです。
前から何度も書いてるが、意見が出尽くしたのだから、読者に判断を任せるべきです。

6 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/08(火) 21:57:44.22 ID:2Rpxg4YD.net
>645 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 12:32:51.77 ID:SMys/4er
>私に対するあなたの仕事はこれだけです。
>余計なことは言わなくていいのです。

私はあなたの「漏尽定で解脱」を笑っているが、その笑いの
根拠や経典や学説を出していない。
それを議論するスレではないからです。
だから、ペテン大作さんが「漏尽定で解脱」を信じることは一向にかまわない。
議論になるのは、「漏尽定で解脱」ではなく、因縁解脱です。
あなたが「漏尽定で解脱」と信じているのなら、
桐山さんがどこでそんなことを説いたのか、説いていないなら、
あなたは桐山さんを信じていないのか、と問われる。
勘違いしないでほしいのは、「漏尽定で解脱」をあなたが信じることの是非を
指摘しているのではなく、アゴン宗との関わりを指摘しているのです。

四禅の話も同様で、あなたは「深山は四禅解脱を書いた」というが、そんな事実はない。
だから、こういう嘘の前提に基づくあなたの主張は読むに値しないばかりか、
そもそも、アゴン宗議論の対象ではない。
アゴン宗が主張しているのは因縁解脱です。
桐山さんが主張している内容に基づいて議論をするべきで、
あなたみたいに完全に逸脱して、四禅で解脱するかどうかなんて、
七年も言い続けるのは迷惑以外の何ものでもない。
もちろん、あなたがそこでしか勝負ができないのは知っています。
「ゴルア、深山、四禅のリングに来て勝負してみろ」と叫び続けるばかりで、
そこから絶対に下りるわけにはいかない。
だから、卑怯者だと批判しているのです。

7 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/08(火) 22:02:58.01 ID:2Rpxg4YD.net
>645 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 12:32:51.77 ID:SMys/4er
>私に対するあなたの仕事はこれだけです。
>余計なことは言わなくていいのです。

沙門果経や四禅がなぜ七年前に議論になったか覚えていますか。
桐山さんのカルマ解脱の話です。
私は「桐山さんがカルマを神通力で切って解脱すると説いている」と主張している。
そのことを前スレの591以降で再度説明した。
この主張に対して、あなたは「桐山ゲイカは神通力でカルマを切るなんて説いていない」
と、私のアゴン宗教義の解釈そのものが間違いであると反論してきた。
議論はそこから始まったのです。
だから、本来の議論、ここで本当に議論するべき内容に戻すべきです。
私の論点はおおよそ次のようになります。

1.仏教では桐山カルマ(前スレ595で説明)など説いていない。
2.仏教では桐山カルマを切るという因縁解脱など説いていない。
3.仏教の解脱とは、桐山さんが小解脱と罵った漏尽解脱(煩悩解脱)である。
4.桐山アゴン宗は解脱の定義も間違えているのだから、
桐山さんが解脱者であるはずがない。
5.解脱の定義を間違えているアゴン宗こそ「外道凡夫の数」である。

8 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/08(火) 22:11:38.12 ID:2Rpxg4YD.net
>645 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 12:32:51.77 ID:SMys/4er
>私に対するあなたの仕事はこれだけです。
>余計なことは言わなくていいのです。

>>7の1〜5は簡単に言ってしまえば、仏教には因縁解脱などないという意味です。
ペテン大作さんは、これらの私の指摘が嘘だと言いたいのでしょう?
違うなら、何を認め、何を認めないのかをまず書いてください。
・・・いや、もちろん卑怯者のあなたが書くとは思っていないから勧めているのです。
こういうアゴン宗の論点に正面から反論することができないから、
あなたは、神通力でカルマを断ち切るという部分に噛みつき、
やがて沙門果経や四禅の話で、私のシッポを掴んだとばかりに、
私が書いてもいないことを書いたと捏造して、七年間主張し続けている。
あなたの目的が私をやっつけることであり、
四禅の話で私をやっつけられると思っているからです。
せっかく深山のシッポを掴んだと思っているのに、放せませんよね。
だが、掴んだと思っていること自体があなたの妄想です。

私は前スレの599などで、桐山さんが智慧と神通力を同じように使っていることを示した。
私は七年前の議論に話を戻したのです。
当然、ペテン大作さんからの反論があると思ったが、
今日も半日にわたり、あれこれと細かい話はレスするのに、
アゴン宗のテーマになると急にあなたは沈黙し、無視する。
アゴン宗と関係のない「余計なこと」ばかりしているのは
私ではなく、ペテン大作さんです。

9 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/08(火) 22:16:51.90 ID:2Rpxg4YD.net
>645 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 12:32:51.77 ID:SMys/4er
>私に対するあなたの仕事はこれだけです。
>余計なことは言わなくていいのです。

あなたの四禅や沙門果経の話は信者が読んでも意味不明です。
あなたは学者の文章を引用して得々として自説の裏付けにしているが、
毎度あなたの読み方を見ると、自分に都合の良い解釈をしており、
学者はそんなことは言っていない。
前も盂蘭盆で学者の主張と正反対の意味に取って、自分の主張の根拠にしていた。
しかし、そこを議論するのがこのスレの目的でない。

このスレのテーマはアゴン宗であり、解脱と言えば因縁解脱です。
阿含経にも桐山さんのいうカルマ解脱があるとお得意の学者説を引用して、
私の主張を否定してくれれば、信者は大いにペテン大作さんを支持する。
一来補さんが三善根の新しい嘘で桐山さんの窮地を救ったように、
あなたもその執念深い性格をうまく活かして、
仏教でも桐山カルマを説き、因縁解脱も説いている、桐山ゲイカは
完全にカルマを断ち切り、解脱された仏陀様である、と主張して
信者から拍手喝采を浴びてはどうか。
信者の「仕事はこれだけです」。
四禅や沙門果経なんて「余計なことは言わなくていい」。

10 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/08(火) 22:19:16.99 ID:2Rpxg4YD.net
>>1さん

スレ立てをありがとうございます。

11 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 22:26:12.91 ID:SMys/4er.net
>>1
私からも礼を言います。

ほほう、深山さん、張り切ってるね。
冒頭から登場とは凄いじゃないか?
まあ、そんなに焦らずともよい。

@深山さん、釈尊が第四禅から入滅したのは、入滅前に(点検ではなくて)掃除をしたからです。

>609 :深山
>漏尽定で解脱するなら、どうして釈尊が第四禅から入滅したのだ?
>こういうことを考察するだけの知性も残っていないのですか。

この質問には>15で既に答えました。
またそれ以前に、あなたが答えを書いていた。

>131:深山
>瞑想も、煩悩をへらす、なくす、囚われないことを実践するための
>「掃除道具」にすぎない。
>釈尊は、入滅する前に最後の掃除をしていたのです。

>134 :深山
>八正道を見れば、釈尊が入滅直前何をしていたかわかります。
>煩悩が残っていないか、最後の点検をしていた。
>残っているはずもないのだが、それでも雑巾で拭いていたのです。

12 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 22:28:06.16 ID:SMys/4er.net
11の続き

上の二つは同じ答えのようだが内容は違います。
131では、最後の掃除をしていた。
134では、最後の点検をしていた。

131の「最後の掃除」では、四禅が終わった段階では、まだ煩悩が残っていたことになります。
134の「最後の点検」だったら、四禅が終了した段階で、もう煩悩が残っていないことになります。
あなたは、131を書いて、これはマズイと気づいたので、急遽134で、最後の点検をしたと言い換えたのでしょう。
こういう所が実にあなたは巧妙です。
それで、私は、あなたの131の答えを支持します。

「釈尊が第四禅で入滅したのは、入滅の前に(九次第定で)最後の掃除をしていたからです」

このことは、ベックも書いています。
「滅尽に達するためには、第四瞑想段階よりもさらに上にある意識状態の諸階梯をすべて経過して進まねばならない。
 仏陀は入滅に先だってこれらの意識状態を次々に経験された」(『仏教(下)』ベック、岩波文庫59、60頁)

これで異議無しですね?

13 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/08(火) 22:28:51.07 ID:W12OZdWU.net
>>1
スレ立てありがとうございます。
さて前スレの続きです。
>586 神も仏も名無しさん 2015/09/07(月) 11:31:20.57 ID:NTTxSMEs
>知が付いてるから慧の実践だって? またボロを出しちゃったねw
>三学の「正念正知」は慧ではありません。ニカーヤの論文をよく読んで勉強し直し!!

さてニカーヤ論文における正念正知=有漏の正念、三明=無漏の正念というベックならぬ
ビック説の三学系統経典・八聖道対比論の続きですが、ここで、このニカーヤ論文に
ついて概説しておきたいと思います。
皆さんはリンク先の難しそうな論文を読まれましたでしょうか?
私はこの論文を読んだ時、まずペテン大作さんは、ベック本もそうだが、
仏教の基礎の基礎もわからない癖に、よくもまあこんな小難しい表現の大学院論文
なんか読んでわかったような気になるものだと嘆息した。
きっとペテン大作さんは、漢字の専門用語の渦の中に埋もれて本質を見いだせてないでしょう。
自分の言葉で語れないでしょう。私がペテン大作さんをして応用力がないと評したのはこのことです。
哲学というものは西洋哲学もそうだが、難しそうな専門用語を駆使することではありません。
なるべく単純な平明な言葉で噛み砕いて議論し、理解する。
釈尊の仏教がまさにそういう説き方をしているのです。
もっと仏教を理解習得してから読むべき論文です。
まあ私も仏教については勉学初心者ではあるのだが、そんな私もビックさんの論文を読んで
「やはり仏教学なんてアビダルマであり、論の為の論みたいなものなんだよなあ」と
閉口もしたのが当初の正直な感想でした。
しかし我慢して読んでみると、これはなかなか面白い視点の論文を見つけたものだと思いました。
ペテン大作さんは、さあ、見よ、この段階的修行道の事実を!と示したつもりが、実はこの論文は
八聖道の螺旋型修行道との対比で、その段階的見解のみに固執してはならないことを示唆しているのです。
もっと段階を限定するかのような三学論も溢れている中で。

14 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 22:36:48.62 ID:SMys/4er.net
>>3
>だからさ 沙門果経はだね阿闍世王に対して
>他者製の六外道とは違うっちゅう沙門の性能を
>解説しとるんだっちゅうによ

そう思いたけりゃ思ったら。
学歴偏重と言われるかも知れんが、
どこの馬だか鹿の骨か分からん人よりも、
東大大学院の博士課程の方を取るよ。

15 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/08(火) 23:19:40.09 ID:W12OZdWU.net
>586 神も仏も名無しさん 2015/09/07(月) 11:31:20.57 ID:NTTxSMEs
>知が付いてるから慧の実践だって? またボロを出しちゃったねw
>三学の「正念正知」は慧ではありません。ニカーヤの論文をよく読んで勉強し直し!!

もっと段階を限定するかのような誤解を与える三学論とは、例えば以下のリンク先もそうです。
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukkyo/kaijoue-06.htm

これは戒定慧の三学の一般的な解釈であるのだが、ご覧のように戒→定→慧ときちんと
順序よく分けて13段階の修行内容を説いている。
その9番目が第四禅であり、ここまでが戒から続く定であり、以下、宿住随念智、死生智、漏尽智の
三明が慧として分類され、最後に解脱と解脱知見が来る。
だからペテン大作さんなどこの罠にまんまとはまり、9番目の四禅で解脱しているはずがないだろ?
深山は仏教の基礎も知らんのか?と勝ち誇るわけです。
しかしこのような便宜上の13段階に戒定慧を割り振るのは誤解を与えます。
私も正直疑問に思った。これだと戒定慧の慧とは一番最後の前世などの観察だけが
智慧ということになってしまう?煩悩の断除という作業は戒と定だけになり、
これっておかしくないか?
この誤解を払うのがビックさんの八聖道との対比論です。
仏教を経典の内容表現から二大別している。
一つが沙門果経に代表される段階的修行道であり、もう一つが段階的記述をしない
八聖道の螺旋的修行道です。
ところで実は決して釈尊の仏教に三学と八聖道という2つの別の道があるのではない。
そんなことはビックさんもわかっている。釈尊は極力体系的な説き方をせずに
随機説法だったから、経典によりその表現の仕方が違うだけです。
だから実は説いている道は同じなんです。桐山さんの言うような七科三十七道品、
7科目37種類の修行法があり、弟子の機根を見ていくつか科目を選びながら
修行するシステムなんて無知な話ではない。
三十七道品もまたその時その時の表現の違いであり、同じ道です。
強いて言うならば八正道が全てをカバーする。あるいは戒定慧の三学表現がカバーする。

16 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/08(火) 23:24:48.90 ID:W12OZdWU.net
リンク貼り直し
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/kaijoue-06.htm

17 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 23:46:51.21 ID:SMys/4er.net
>>5:深山
>毎度、ペテン大作さんの思い込みの間違いは、ここを仏教スレだと思っている点です。
>ここは桐山アゴン宗の是非を議論するスレであって、
>あなたや私の個人的な仏教観など議論の対象外です。

阿含宗は釈迦仏教ではないと批判してる人間が、
実はデタラメな釈迦仏教を説いているわけで、
それを追求してるんだから阿含宗と無関係ではない。
議論の対象外だと思うならスルーすればいいだけの話。

>>15:ユビキタス

私が見つけた論文を読んで、だいぶ原始仏教に詳しくなっただろう?
私に感謝して欲しいですね。
でも、こんな考察をしても無駄です。
すべては経典の記述を元に話してください。

18 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/08(火) 23:50:21.54 ID:W12OZdWU.net
>586 神も仏も名無しさん 2015/09/07(月) 11:31:20.57 ID:NTTxSMEs
>知が付いてるから慧の実践だって? またボロを出しちゃったねw
>三学の「正念正知」は慧ではありません。ニカーヤの論文をよく読んで勉強し直し!!

ビックさんのニカーヤ論文は段階的記述の三学系統だけが仏教の表現ではなく
螺旋的記述の八聖道もあり、これはそれぞれ対比可能とした。
段階的修行道とある。段階「的」です。いや、段階が無いなんて言わない。それは絶対にある。
しかし経典記述の通りガチガチの段階順番を固定して捉えてはならない。
変な誤解に陥るからです。
例えば戒→定→慧の順番。決してそんな順番に固定されません。
便宜上わかりやすくそのような順番で説明してみせたが、慧が三明の超人的観察しかない
なんてことはありません。
それが証拠に正念正知が沙門果経の中のどこで説かれているかと言うと、実は大戒、
すなわち戒→定→慧の戒のところで説かれている。
ペテン大作さんは学者の論文だけでなく、沙門果経の全訳本をお持ちでしょう?
スマナサーラ師の著書です。よいことです。経典そのものを確かめる姿勢は。
そこで決してスマナサーラ師の解説ではなく、沙門果経の訳の中に正念正知が説かれている
事実を発見したはずだ。これは私も最近リンクを貼ってまで示した。
正知が定なのか慧なのかはさておき、定に分類するにしたって、なんで戒のところで出て来る?
勇み足ではないか?
実は勇み足などではなく戒と定と慧は常に絡みあって同時に実践するのです。
禅定瞑想の時間だけでなく大小便日常のあらゆる場面で観察を欠かさない。
これでも戒→定→慧の順番でなければおかしいなどと言うか?
順番が絶対に固定されているならば、八聖道の螺旋的修行道表現などあってはならず
常に段階的修行道の記述をすべきではないか?
だからもっと柔軟に考えねばならない。

19 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 00:02:17.80 ID:AfDf9bbi.net
@「心が安定し」は、解脱ではない。

456 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/03(木) 12:33:03.61 ID:yfY0wPQn
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)

という文言の「心が安定」「清浄で純潔」「汚れなく」「小さな煩悩も離れ」
とは、解脱を表現を変えて繰り返していると理解できるようになります。
心が欲望などで悩乱されないから安定し、煩悩という不浄がないから、
清純で純潔で汚れがなく、大きい煩悩はもちろん、小さい煩悩もきれいに
掃き清め続ける、これを解脱というのです。


※「心が安定し」が解脱ではない理由。

1.比丘が解脱するのは四聖諦を知った直後であること。

『そのように知り、そのように見るものには、欲の漏から心が解脱し、また有の漏から心が解脱し、
また無明の漏から心が解脱し、解脱したときに「解脱した」という智が生じます』

2.第二禅に同様な文言が出てくること。

『比丘は、大まかな考察・細かな考察が消え、内心が清浄の、心の統一された、大まかな考察・細かな考察のない、
心の安定より生じた喜びと楽のある、第二の禅定に達して住みます』

3.仏教学者が解脱だと解釈していないこと。
 
「心が安定し」は、八等至(四禅+四無色定)の自在(『パーリ仏典入門』片山一良、大法輪閣、96頁)

「心が安定し」は、基礎となる禅(第四禅)に入ったこと(『原始仏教T』中村元監修、春秋社、605頁)

20 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/09(水) 00:05:19.94 ID:n4ABMKiW.net
>586 神も仏も名無しさん 2015/09/07(月) 11:31:20.57 ID:NTTxSMEs
>知が付いてるから慧の実践だって? またボロを出しちゃったねw
>三学の「正念正知」は慧ではありません。ニカーヤの論文をよく読んで勉強し直し!!

だからこそニカーヤ論文の
「定と慧が相互に影響し合って増大しながら、煩悩が徐々に断除され」
というビックさんの表現は特筆的、画期的表現なんです。
この論文の内容は決して新発見でもなんでもなく、当たり前のことなんだが
これをはっきり書いたことは素晴らしい。
実はそれまでペテン大作さんの7年間の繰り返し怨念の書き込みをスルーしてきた
私もこれを目にして、よし、突っ込んでやろうとした。
定と慧が影響しながら煩悩が徐々に断除される、ね。これって沙門果経だと
どの段階を指していることになりますか?と。
応用力のないペテン大作さんは答えられなかった。
三明のシーンだと煩悩が徐々に断除だというのは当たらない。
あそこには素晴らしい超人的観察はあっても煩悩が断除される、それも徐々に、だなんて。
四禅よりも前のまだ完成していない段階に持ってくるしかないが、しかしそれだと
戒→定→慧の固定方程式が崩壊してしまう。だから沈黙した。
と、まあ前置きが長過ぎたので、いよいよその正念正知の本論に移りましょう。

21 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 00:06:13.95 ID:AfDf9bbi.net
×1.比丘が解脱するのは四聖諦を知った直後であること。
○1.比丘が解脱するのは四聖諦を達観した直後であること。

22 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 00:11:21.37 ID:AfDf9bbi.net
論文を読んで知ったくせに、前から知ってたような書き方だな。
自己陶酔もいいところだ。
今晩いつまで続くのかな?

23 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 00:27:59.88 ID:Ptb3lYlr.net
うへえ なるほどね知れば知るほど因果は巡るっちゃ
深山説とそのペテン大作説っちゅうかの攻防は
ずいぶんな歴史があるようなんですわなあ
なんでペテン大作かは分からんがヨ

んでもってもさ オレ的にはその四禅解釈論での是非や
そいうインネン攻防よりは 桐山センセの詭弁教義ってか
騙し屋宗教の源泉を知れたんが ありがてぇよな

親が騙されたっていう信仰状況が少しは理解できたんだな
たしかにこれ以上の議論ってのはさ スレチでっしょうが
まあ方や どう言いあおうが引かれんだろがネエ
だけどここは個人的な思惑の攻防の場じゃねえしな
言われるとおり議論は出尽くしてるんでしょ っての
仏教の学経にはなるけどねええ
そりゃ他の板にけっこうあるからなあ 
そういう掲示板ではけっこうオレ修行させられたかんね
だがまあなんだ 桐山大将のインネン解脱ってのは
あまりにも罪作りだわなってね
釈迦仏教をあまりにも歪曲して宗教ビジネスしてるんだよな
ってことが再認識させられるんだよね実のところ
オレの親のインネンで言えやあ こりゃ許せんぜよってなるぜ

24 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/09(水) 00:44:29.57 ID:n4ABMKiW.net
>586 神も仏も名無しさん 2015/09/07(月) 11:31:20.57 ID:NTTxSMEs
>知が付いてるから慧の実践だって? またボロを出しちゃったねw
>三学の「正念正知」は慧ではありません。ニカーヤの論文をよく読んで勉強し直し!!

ビックさんのニカーヤ論文に戻ります。
段階的修行道の三学系統に出て来る正念正知は、螺旋的修行道の八聖道との対比では
有漏の正念に当たるとのことだ。
ちなみに対比表は無漏の正念もあることを示している。
それが三明の智慧なんです。
これは興味深く、やはり正念正知もまた三明とも別の対比ができる慧であることを
示唆していると言えないか?定と言うよりも慧の要素が強い。
ただしその智慧とは有漏のものであって無漏の智慧ではないが。
アゴン宗の信者歴のある皆さんならば、有漏と無漏の違いくらいわかるでしょう。
漏とは煩悩のことです。すなわち有漏とは煩悩の有ることで、無漏とは煩悩が無いことです。
つまり有漏の正念たる正念正知は煩悩をまだ抱えた修行者が定と慧が相互に影響し合って
煩悩を徐々に断除していく過程とわかる。
一方無漏の正念たる三明の智慧とは、もはや煩悩が無くなった者による観察だとわかる。
煩悩がなくなっている。無漏です。ですから三明の智慧とは既に煩悩を断除した者が
仕上げに自分を観察をするのです。やはりありのままに。そしたら煩悩解脱していたことを
発見したのは煩悩解脱していたのだから当たり前です。
これが三明の智慧の前の、そう四禅修習段階の記述の「心の安定…」表現が
実は解脱の境地そのものであったことを証明するニカーヤ論の無漏の正念説の根拠です。
するとペテン大作さんは屁理屈を言うかもしれない。
いや、無漏の正念とは「この正念により無漏たらんとするものであり、実は三明の
智慧観察、漏尽智の修行(?)において煩悩は尽きて解脱するのだ」と。
ならば有漏の正念とは何なのか?いくら頑張っても煩悩が有るよという修行か?

25 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/09(水) 01:21:36.37 ID:n4ABMKiW.net
>586 神も仏も名無しさん 2015/09/07(月) 11:31:20.57 ID:NTTxSMEs
>知が付いてるから慧の実践だって? またボロを出しちゃったねw
>三学の「正念正知」は慧ではありません。ニカーヤの論文をよく読んで勉強し直し!!

しかしこの説明でもペテン大作さんは納得などしないでしょうね。
ええ、私はペテン大作さんを納得させるなんてことは考えていない。
一来補さんと同じく諦めています。
定年退職悠々自適なら羨ましいですが、失業中ならば頑張ってください。
深山さんが書いているように人それぞれ考えが異なり、後は読んでいる人各自が
どちらが正しいと思うか判断を委ねることにして、7年間の議論は終結と言うよりも
中断でよいではないかと思う。
(と言ってもペテン大作さんはやめないだろうが…)
だから最後に三学段階的修行道表現記述の中で9番目の段階に過ぎない四禅修習後の
「心が安定…」記述がどうして解脱と言ってしまえるのか書きましょう。
それには例え話をする。
ここに長年のホームレスがいて、全然風呂に入らないし、髪も髭も伸び放題で
汚く臭くてたまらない男がいるとする。
彼に他人から敬遠されるようなことから脱却する道を教えた。
その男はきちんと風呂に入るようにし、散髪にも行き、髭も剃りきれいになり
もはやあのいやな臭いもなくなった。
男も今後も風呂に入り散髪もし、髭も剃ることを理解して実践している。
これがふつう完成ですよね?
では三明の智慧観察とは何かと言うと、それは最後に鏡で自分の姿を見て確認するようなものです。
「ああ、見違えるほどきれいになった」と。
解脱した人が解脱したと知ったとはこのことです。
ところでこの鏡を見る作業をしなければきれいになる目的を果たしたとは言えないと言いますか?
必ずしも必要ないではないか?自分はまだまだ汚れているんだ、未熟者なんだと
思ってまだ精進続けていたってよいではないか?
もう煩悩がなくなっていれば、死んで後輪廻することもなくなります。
だから何も13番目のシーンで解脱完成なんてしなくても実は9番目のシーンでは
解脱を果たしていたでよいではないか?

26 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/09(水) 01:32:55.61 ID:n4ABMKiW.net
>586 神も仏も名無しさん 2015/09/07(月) 11:31:20.57 ID:NTTxSMEs
>知が付いてるから慧の実践だって? またボロを出しちゃったねw
>三学の「正念正知」は慧ではありません。ニカーヤの論文をよく読んで勉強し直し!!

私はペテン大作さんが、ゴータマが仏陀となったのはどのシーンか?と訊かれたら
9番目のシーンとは言いません。やはり三明の観察をして真理の不動たることを確信したところを
悟った人、覚者として、かくしてボサツは仏陀と成ったとするのはこのシーンしかないとします。
しかし解脱ということだけに限定するならば、何もそこまで延ばさなくても
心が安定して汚れなく、不動にして柔軟で煩悩がない境地で解脱していたでよいではないか?
もちろん真理を確信すれば鬼に金棒です。
しかし真理を確信というが、智慧と言うが所詮は認知認識作用の範疇です。
知ることだけです。パワーではない。
煩悩解脱した人もその後もまた煩悩が沸き起こらないように一生注意観察していなければ
ならないのは仏陀と言えど例外ではないのです。
麻原彰晃が解脱した聖者だから修行中は肉食を禁じていても修行完成後は肉食しようが
何をしようが大丈夫なんて間違った世界ではないのです。
真理の覚者としての仏陀と、解脱の定義である煩悩を離れた人を区別して
なんでもかんでも混同しないようにしましょう。
それがわからない人は応用力がなく、自分の頭で考えられず、自分の言葉で語れない、
つまりその実、何もわかっていない人です。

27 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 01:34:26.21 ID:AfDf9bbi.net
@ご苦労さん、万事休す!!!

>>27
>だから最後に三学段階的修行道表現記述の中で9番目の段階に過ぎない四禅修習後の
>「心が安定…」記述がどうして解脱と言ってしまえるのか書きましょう。



※「心が安定し」は、第四禅に入ったことを表現している。

『神通を行なうときには、その前に色界の第四禅に入定し出定しなければならないとされる。
この禅は「基礎となる禅」と呼ばれる。
ここの「心が安定し」はその基礎となる禅に入ったことを表現している』
(『原始仏教T』605頁、中村元監修、森祖道、浪花宣明、橋本哲夫、 渡辺研二)

28 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/09(水) 01:35:17.74 ID:n4ABMKiW.net
あ〜あ、深夜になってしもた。
このビックさんのニカーヤ論文も使った桐山八正道批判は明日にしよ。

29 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 01:37:21.32 ID:AfDf9bbi.net
× >>27
>>26

30 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 01:42:48.37 ID:AfDf9bbi.net
やっと宗教から離れたと思ったら、今度は毎日批判レスか

親御さんは、こんな息子の姿を知らなくて良かったな

31 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/09(水) 01:57:18.00 ID:n4ABMKiW.net
>>17 神も仏も名無しさん 2015/09/08(火) 23:46:51.21 ID:SMys/4er
>でも、こんな考察をしても無駄です。
>すべては経典の記述を元に話してください。

経典の記述引用はした上で論じてるだろ?
学者の解説を狭い視野で示しているだけなのはそちらだろ?

32 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 07:50:26.96 ID:tn7rK6CH.net
 
深山紅マス   http://www.sansuikan-yu.com/dish.html

33 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/09(水) 08:07:59.49 ID:n4ABMKiW.net
>>27 神も仏も名無しさん 2015/09/09(水) 01:34:26.21 ID:AfDf9bbi
>@ご苦労さん、万事休す!!!

>ここの「心が安定し」はその基礎となる禅に入ったことを表現している』

春秋社の原始仏教Tを買ったようですね。
感心と言いたいが、決して向学心が動機でないところが哀れです。
私もあなたも省略して「心が安定し…」と「安定」だけを表面に残しているが、
四禅から出定した効果は安定以外にいろいろあるでしょう?
どうして四禅に入っただけで煩悩から離れてしまうのか?
定に入っている間だけならわかるが、どうして定から出ても煩悩が沸き起こらないのか?
それなら禅定だけで解脱できたことになる。
それまでの戒定慧相俟っての日常の修練の結果煩悩解脱は成し遂げられていたのです。
それはまさにいつの間にかそうなっていたと見るべきです。
それこそ二禅よりも前かもしれない。
四禅の力や二禅の力で解脱したのでもないし、四禅の時に忽然と解脱しちゃったわけではない。
悟りと違って、そんな夜明けのシーンのようなドラマチックなものはなく地道なものです。
あなたは応用力がないから字面だけで飛びついてしまうのです。
要するに読書力がない。分析判断力がない。
それに第一に解脱の定義を知らない。
仏教における解脱とは煩悩から離れたことしかないのだから、心が安定という
禅定の条件前提だけでなく、「煩悩から離れ」という経典記述こそ解脱していた証明です。
またそれ以降の三明の観察、四聖諦の悟りでは煩悩を断除するシーンが一つもなく
自己と真理の確認作業のみです。
その自己は解脱を得ていたから解脱したと確認できた。

34 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/09(水) 08:53:36.35 ID:n4ABMKiW.net
桐山八正道批判に移ります。ビックさんのニカーヤ論文を基に。
ニカーヤ論文は沙門果経に代表される三学系統の段階的修行道と、八聖道を説く
螺旋的修行道との対比と関係を論じている。
結論を言うと、それは経典記述の表現が異なるだけで、同じ修行です。
戒定慧の三学は八正道に当てはめられ、逆に八正道は三学の段階的表現の中でも確認できる。
つまり仏教の修行というものは八正道だけで全て説明できてしまうし、
戒定慧の三学だけでも説明できる。(段階だけでなく内容で)
しかし桐山さんの八正道の扱いはどうか?
七科三十七道品の中の一科目として扱い、それはオシエであり、道徳心のないレベルの低い人をまず道徳教育するものだと言う。
しかし八正道はニカーヤ論文では、例えば正見は三明の四聖諦を知ることとしている。
ああ、ここで申し訳ないが昨夜の訂正。
三明は無漏の正念ではなく無漏の正見と対比表にありました。やはり見なのです。
三明のような高度の智慧も八正道の中の一部なのです。
それを桐山さんは初心の為のオシエだと言い、全く軽視している。
如何に無知かわかるでしょう?
桐山さんは七科三十七道品を7科目37種類の修行法であり、その中の1科目が
八正道としている。
しかしそもそも三十七道品なんてのは数字好きアビダルマ好きのインド人が
釈尊がその都度随機に説いてきた話を下手くそに分類整理しただけのもので
実は何の意味もない。東京を説明するのに、東京タワー、スカイツリー、国会議事堂、
新宿、東京都と分類したようなものです。
だから東京都とスカイツリーを同格にしてしまっている。
だからそんなこと(八正道が仏教の修行全てを表すもの)も知らないのが桐山さんです。
そんな桐山さんでも戒定慧の三学は仏教の修行そのものを表すことだけは知っている。
だから七科三十七道品に加えたりはしない。
しかし三十七道品のインド人下手分類は戒定慧の三学を加えてもよかったようなものなんです。
八正道を数えて加えたように。
ニカーヤ論文は戒定慧の三学と八正道を有機的に相関関係を論じていることを
もう一度読み直してください。
いかに桐山さんが八正道に対して、仏教そのものに対して無知であるかを。

35 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 11:11:26.72 ID:vRWDH52x.net
八正道ってのは学生が護るべき学則みたいなものだよ。
言うならば学部ごとの教授内容が判別できない。
正しいけど要が抜けて居ります。

36 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/09(水) 12:00:11.45 ID:oKfy71JA.net
>>27 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 01:34:26.21 ID:AfDf9bbi
>@ご苦労さん、万事休す!!!

昨日からのペテン大作さんのたくさんのレスには明瞭な傾向があります。
それはアゴン宗の議論をしないことです。
私からスレ本来の目的であるアゴン宗について議論してはどうかと、
再三書かれても無視して、相手の反論を無視して、同じ主張を繰り返している。
私から、ペテン大作さんはアゴン宗についての議論をすると
負けるから避けている卑怯者だとまで言われても、それでも
彼はアゴン宗の議論を避け、四禅の議論に憑りついている。
これを見れば、彼の目的がアゴン宗の擁護などでないことは明らかです。

仏教の議論のように見せかけているがこれも違います。
本当に仏教の議論が目的なら、「四禅で解脱」などと私が書いていないことを
指摘されたら、普通は撤回する。
だが、彼は平然と未だに私が「四禅で解脱」と主張したと書き続けている。
彼の目的がアゴン宗擁護でも仏教議論でもないからです。

37 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/09(水) 12:05:20.68 ID:oKfy71JA.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」

四禅について反論されても無視して、>>19などで彼自身の理解不足を
前提にした同じ主張を何度も何度も貼り付けているだけです。
相変わらず、第二禅で解脱しているはずがないと彼の勝手な決めつけをしている。
「心の安定」という言葉一つに噛みついて、学者の説を我流解釈している。
私は前は学者の文言までさかのぼって反論したが、今はしません。
議論がどんどんずれてしまい、しかも、彼の解釈のデタラメを
いくら示しても、何の効果もないからです。

こちらからの反論はきちんとされている。
前スレの604さんが引用したのは経典、つまり釈尊の言葉です。
誰がどう読んでも「心の安定」は解脱したことを意味する。
学者が解説しているのでも、批判側が解釈しているのでもなく、
釈尊本人が述べている言葉です。
だが、ペテン大作さんはいっさい受け付けない。

煩悩からの解放が解脱ならば、
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
は解脱を意味することは小学生でもわかる。
「小さな煩悩も離れ」なのだから、大きい煩悩は言うに及ばずです。
ところが、彼は前に、これを「小さな煩悩」と引用して「も」を省力して、
小さい煩悩のみだと主張した。
悪意に満ちた切り貼り解釈には毎度驚かされた。
煩悩からの解放は解脱であり、小さな煩悩からも離れたら、解脱です。
こんな簡単なこともペテン大作さんは理解できない。
いや、理解したくない。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)


38 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 12:05:43.51 ID:hvikmArp.net
宗教は奴隷学である
ナントカ宗なら別ということはないのである

39 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/09(水) 12:10:40.36 ID:oKfy71JA.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」

今回彼は「心の安定」に噛みついている。
彼は必死に学者の本を調べ、「小さな煩悩も離れ」を無視して、
学者の文言で彼の解釈に合致するような部分を見つけ、「心の安定」に噛みついた。
だが、これもおかしい。
「心の安定」以下「小さな煩悩も離れ」は同じ内容の繰り返しであることは明らかです。
「心が安定」=「清浄で純潔」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」
であり、煩悩からの解放が解脱であり、
「小さな煩悩も離れ」=「解脱」
なのだから、当然、
「心が安定」=「解脱」
となります。

だが、これを解脱と見るか、見ないかは、最後は各人の解釈の自由で、
双方の意見は出尽くしているのだから、判断は読者に任せるべきです。
ペテン大作さんの、ご都合の学者の文章の切り抜き引用を信じるか、
釈尊本人のわかりやすい言葉を信じるかは、各人の自由です。
なぜなら、ここは仏教学の議論スレではないからです。

40 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 12:15:33.60 ID:1O6DyJk+.net
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・「いつものパン」があなたを殺す:脳を一生、老化させない食事 (デイビッドパールマター 2015/1/16)

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http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/shapeup/1437462672/526-528

・すべての不調は首が原因だった!
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/shapeup/1440469218/620

小麦に含まれてるグルテンは脳を炎症させます。→精神病、ウツ病の原因に。

O型とB型は小麦を食べると腸に血が集まりアレルギーのようになり吸収が遅くなりタンパク質を脂肪として吸収してしまうため太ります。

炭水化物(小麦、米)=砂糖

小麦はドクです。

41 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/09(水) 12:18:04.77 ID:oKfy71JA.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」

ペテン大作さんの目的はアゴン宗擁護どころか、仏教議論でさえもなく、
「深山憎しの一念」です。
仏教もアゴン宗もどうでもよく、四禅の話でないと深山を攻撃できないから、
四禅に憑りついているので、彼にとっては解脱も四禅もどうでもよい。
深山を攻撃できるなら、何でもいいのです。
だから、「漏尽定で解脱する」などとアゴン宗とは違う主張をしたり、
漏尽解脱が解脱であると認め、アゴン宗の教義を否定するような事を平気で書く。
彼にはアゴン宗への信仰なんてない。
単に、私がアゴン宗を批判しているから、敵の敵は味方とばかりに
アゴン宗を擁護するようなふりをしているだけです。
私からアゴン宗の議論をするべきだと正論を出されても、
それでは私を叩き潰せないばかりか、逆に叩き潰されるから、絶対に応じない。
仏教議論、アゴン宗擁護であるかのように見せかけて、
私憤を晴らそうとする卑怯でセコイ男です。

だが、私がペテン大作さんの小汚い腹の中を解説するのは、
他の信者さんたちに彼を見てほしいからではありません。
こんな〇ンナの腐ったような奴はどうでも良い。
ペテン大作さんとそっくりなことをしている人がいるからです。

42 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/09(水) 12:23:55.21 ID:oKfy71JA.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」

ペテン大作さんとそっくりとは桐山さんです。
信者さんたちは、桐山ゲイカとペテン大作ごときを一緒にするなと
怒るかもしれないが、心の有り方や手法が良く似ているのですよ。
それは問題を正面から取り組むのではなく、大きな大義名分を掲げながら、
自分の小汚い本音を隠し、復讐心を満足させるという点です。

桐山さんは偽ビール事件で有罪になり、一年間服役した。
二回逮捕されても懲りずに偽ビールを作っていたのだから、実刑は当たり前です。
普通の人なら、腹を立てながらも、自分が為したことは認めて、
「潔く」受け入れて、これからは真っ当な人生を歩もうと決心する。
だが、桐山さんの性格は、自分の非を認めるのが死ぬほど嫌いなのです。
潔くもなく、男らしくもない。
そこで作り出した言い訳が悪因縁のせい、霊障の仕業です。
先祖が切り殺した霊障武士が悪因縁を作り、自分は不当に
ムショに入れられたと、言い訳を作った。
もちろん、歴史上上意討ちなど存在せず、桐山さんの作り話なのだが、
桐山さんの文章には祖父への憎しみさえも感じられる。
さらには、偽ビール事件は仏が桐山さんを解脱させるために手配した十界修行だという。
偽ビール造りというセコイ犯罪をしたという事実を潔く受け入れることもできず、
先祖や悪因縁や霊障のせいにして、それでも足りずに、仏まで引っ張りだして、
言い訳を並べ、それをアゴン宗という宗教にまでしてしまった。
その本音は「おれは悪くない」です。
こんなちっぽけな犯罪行為さえも彼は認める度量がないセコイ男です。
しかも、これだけでは済まなかった。

43 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/09(水) 12:31:44.10 ID:oKfy71JA.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」

桐山さんをムショに入れたという霊障のホトケを諸悪の根源にして、
地球人類を滅ぼすという壮大な絵空ごとを作った。
自分の犯罪を霊障のホトケに責任転嫁するだけでは飽き足らず、
霊障で世間の人々を脅かし始めた。
霊感商法で金と人を集めて宗教家としてエラクなりたいという彼の野望が表なら、
裏は世間の人々への復讐です。
悪因縁と霊障で人々を脅かし、信者が土下座して助けを求める姿に、
桐山さんは自分がエラクなったと錯覚できるだけでなく、
自分をムショに送り込んだ世間を土下座させたような復讐心を満足させていた。

例祭などで入場の時、信者に頭を下げさせながら、出てくるのも同様です。
宝生さんは相互礼拝だなどと桐山さんの建前を真似して話していたが、
桐山さんは顎をあげて周囲を睥睨しながら出てきて、信者は頭を下げたまま合掌する。
あれのどこが相互礼拝ですか。
宝生さんは何も知らないだろうが、桐山さんは、職員に対してさえも、
目を見るなとか、一歩下がれとか、文章で通知を出しているのです。
背の高い相手に眺め下ろされるのが大きらいです。
完全な上下関係で、桐山王様と、家来や奴隷との関係です。
こういう点もペテン大作さんはそっくりだから、
「あなたの仕事」「余計なことは言わなくていい」(前スレ645)
などと書いたのです。
彼が私よりも上位のサルであるとマウンテングをしたつもりです。
彼自身も仕事場でこの言葉を言われたのでしょう。

44 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/09(水) 12:37:07.80 ID:oKfy71JA.net
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」

桐山さんは自分を迫害し能力を認めなかった世間への逆恨みを深く心の奥に持ち、
宗教や仏を道具に使い復讐心を満足させてきたのです。
だから、桐山さんの作った教義に共通するのが「霊的脅かし」です。
悪因縁、霊障、天命殺、地球壊滅、大地震、核ミサイル、横変死、
など、桐山さんの得意技は人々を霊的に脅かして恐怖心で支配することです。
新興宗教には飴と鞭が常備されているが、アゴン宗はそれが極端に鞭に偏っている。
だから、今も「霊障のカルマが攻めて来る。戦準備をせよ」と叫んでいる。

信者さんたちは、霊的に脅かされていると言われると、「まさか」と嘲笑う。
だが、桐山さんの霊障の話や、神仏が武装していたという話を本気で
信じているから、護摩木を書き、護摩を拝むのでしょう?
自分のことをどう思おうが、現実の信者さんたちは
桐山さんの霊的な脅迫を受け入れ、従っているのです。
桐山さんの霊的な脅迫は、元を正せば、彼のオレ様は天才だという自惚れ、
エラクなりたいという強烈な欲望、オレ様をムショに入れやがったという
復讐心など、簡単に言えば、彼の汚い心そのままです。
彼の心が煩悩で悩乱しているから、戦支度などと心が安定せず、
欲望と復讐心に満ちた不浄そのものの心を持ち、
小さな煩悩すらも桐山さんは捨てていない。
慢心、欲望、復讐心などの大きな煩悩から離れることもない。
信者さんたちが、普通の人よりもはるかに煩悩の汚物に満ちた桐山さんを崇拝し、
一緒に霊的な戦ゴッコを焚き火でするなら、朱に交われば赤くなるで、
あなたもやがてそうなります。
汚染するのは簡単だが、きれいにするのは容易ではありません。

45 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 12:51:43.98 ID:Bye4YI43.net
#台風 18号の被害の大雨、洪水が「縦型」なのは。 #日蓮宗?#日蓮正宗?#立正佼成会?#真如苑?「オレンジ、橙」組みが。
海外から預かった「貴重な女」を「日本を守る盾」とか言って、自分らの仲間の「従軍慰安婦」みたいな事をさせていた罪でジャブジャブだそうだ。被害地域も該当地域。

46 :一来補:2015/09/09(水) 13:44:14.22 ID:9siiEvOe.net
因縁解脱を理解しなければ、阿含経の何も知ったことにはならない。
正しいことを知るに遅すぎることはない。知った時から恥をかくことはないだろうから。

阿含仏教のさとりと大乗仏教のさとりの違いを知らねばいけない。
岩波仏教辞典の「滅」の説明には、
「苦悩が消滅して業のはたらきが停止した悟り
 の境地である涅槃は滅」
とあります。これは阿含経の涅槃のことです。
苦と業と煩悩の滅が、阿含経の涅槃です。

岩波仏教辞典の「解脱」の説明は、
「煩悩から解放されて・・・」
とあって、これは誰でも知っているね。
だが、煩悩からの解放だけでは、大乗仏教の涅槃も同じです。それだけでは赤点です。

大乗仏教の涅槃は、煩悩無量誓願断、と菩薩の誓願にあるように、煩悩滅で満点です。
しかし、阿含仏教の涅槃は、煩悩滅だけでは不足なのです。先の仏教辞典にあったように、業と苦の滅もあって阿含経の涅槃なのです。

煩悩と業と苦の滅なので、縁起の滅した世界というのです。十二縁起の滅を言っているのです。

47 :一来補:2015/09/09(水) 14:01:32.25 ID:9siiEvOe.net
自説経に、
「諸縁の滅尽を知るがゆえに」
とあるのは、煩悩の滅尽だけではないから
です。煩悩と業と苦の滅尽なので、諸縁の
滅尽とあるのです。

そもそも仏教は四苦八苦の滅が目的なので
あって、煩悩滅はそのための手段です。
苦の元が煩悩だから煩悩滅を目指すのであって、煩悩滅をしても苦が残るのであれば、
本末転倒でしょう。

48 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 15:26:06.24 ID:GzKfKGNd.net
>36〜

へええ聞けば聞くほど桐山大将ってのは詐欺の
大センセなんだがやな
親の金がこんな過去の私憤にまぎれた詐欺宗教に
流れ込んでったっちゅうんには まっこと腹が立つっちゃ
幼稚っぽいが 出したカネ返せよって感じじゃあな
それにしてもオレのレベルでさえ解る仏教のウソ教義っち
片山解説やペッグ本だのを学んでるくせにだよ
なあんにも気づかずにいるなんちゃ あり得んわな
たしかにこりゃ 桐山教義のウソなど当然知っとるんやろな
ちゅうことは ア本州じゃネ阿含宗の信者じゃなかってん
たんなる私怨で四禅話しを何年もしてたっちゅう訳か
一来補だかっちゅう仏教音痴の信者より余ほど仏教論は
しっかりしてたと思ちゅうたら なんじゃい単に深山憎し
じゃったんじゃな
これじゃ解脱するんと解脱んの境地をはき違えるわけじゃ

>>27 @ご苦労さん、万事休す!!!
>神通を行なうときには、その前に色界の第四禅に入定し

なある それんしても神通を行なうっちゃ神通力を持っちょるんじゃろ
たしか通力を得た比丘ちゅうんは 既に解脱してるんとちゃうんかい
大縁方便経によればだよ 八解脱が説かれてるんやがの
初解脱は四禅のうち初禅に依り起こりっちゃ
これも一解脱やネンてな 細分化したらっチわかりまっか
またこりゃあのう 長部大因縁経にも説かれてるんちゃよ
ってまあ字面を言い出しゃきりネエもんね

49 :一来補は困っちゃうな〜さん!:2015/09/09(水) 19:09:41.05 ID:WMv5oihP.net
>>46 :一来補:2015/09/09(水) 13:44:14.22 ID:9siiEvOe因縁解脱を理解しなければ、阿含経の何も知ったことにはならない。
> 正しいことを知るに遅すぎることはない。知った時から恥をかくことはないだろうから。

一来補、おまえダメじゃないか!
またこんところにきて迷惑をかけているのか!
おまいはボケでバカで、邪教の阿呆宗の中ですら不良品、末端クズ会員なんだから
こんなところに駄弁れる身分じゃないんだぞ!
恥もなにも、おまえそのものが一番恥ずかしい存在なのだからな!
恥を知れ恥を!

勝手に一来補教のダボ教えとなえているクズ老人なんだから早よお陀仏になれよ!

それにおまえに仏教を云々いう資格はない。
なぜって? それは一来補クズが基地外だからだよ!

50 :一来補:2015/09/09(水) 19:25:25.01 ID:9siiEvOe.net
例えば、阿含経に「業縁往来五道」とある。
この意味は、業を因縁としてそれぞれ業に見合った五道(地獄餓鬼畜生人間天上)を往来するという意味ですね。これは漢字を読める人なら簡単に意味が分かるだろう。
煩悩を因縁として五道を往来するのではない。
業を因縁として五道を往来すると釈尊は説いている。
だから、地獄餓鬼畜生の悪道を断つには、その業を断たねばいけない。当たり前のことです。
だから阿含経にある「三結断 不堕悪道」の意味は、悪道行きの業を断ったということです。

深山ユビキタスくん説は、初めに桐山師説の業滅否定ありきなので、阿含経にある業解脱を読み取れないのです。これを我見というのです。

51 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 20:41:29.56 ID:vRWDH52x.net
顕教と言われるのは心外かも知れんがね
その種の教団の教義でアゴン経の教えを受け入れて箇所もある。
ソレが八正道のであるよ。

52 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 20:55:04.48 ID:dUVKU4k5.net
>>17 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 23:46:51.21 ID:SMys/4er
>阿含宗は釈迦仏教ではないと批判してる人間が、
>実はデタラメな釈迦仏教を説いているわけで、
>それを追求してるんだから阿含宗と無関係ではない。

阿含宗と無関係ではないというのは阿含宗と関係があるということですか?
確かに、阿含宗批判がデタラメなら阿含宗が正しいということになるでしょう。
しかし、仮に阿含宗批判者がデタラメな釈迦仏教を説いたとしても
阿含宗が正しいということにはなりませんよ。
あなたは阿含宗が正しい釈迦仏教を説いていると思いますか?
阿含宗はもっとデタラメな釈迦仏教を説いていますよね。しかもお金を取っている。
今回の釈迦仏教の議論と阿含宗は関連がないようですのでスレ違いはやめてください。

53 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 21:34:50.65 ID:WhLLX8kf.net
 
>28 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/09(水) 01:35:17.74 ID:n4ABMKiW
>あ〜あ、深夜になってしもた。
>このビックさんのニカーヤ論文も使った桐山八正道批判は明日にしよ。

すぐ論破できるけど、明日ゆっくり料理してやる。ってかw

そりゃあ、すぐ論破できるでしょう。相手はカルト信者なんだから。www しかも、その易々とできる批判レジャーは、
翌日まで取って置きだ。 ワクワクしながら寝れるから最高だね。ww

しかも、そんな余裕を見せることもできて、最高過ぎるよな。w

54 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 22:30:58.09 ID:vRWDH52x.net
正確なのだが大事な情報を欠落させているのが
八正道である。
立派な威儀を護れる比丘比丘尼になりましょう〜の程度だよ。
そりゃ頭を剃って袈裟衣でさぁ見てくれは成るがねぇ。

55 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 23:04:09.56 ID:Eoi3RlgC.net
>>39
>今回彼は「心の安定」に噛みついている。
>彼は必死に学者の本を調べ、「小さな煩悩も離れ」を無視して、
>学者の文言で彼の解釈に合致するような部分を見つけ、「心の安定」に噛みついた。
>だが、これもおかしい。
>「心の安定」以下「小さな煩悩も離れ」は同じ内容の繰り返しであることは明らかです。
>「心が安定」=「清浄で純潔」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」
>であり、煩悩からの解放が解脱であり、
>「小さな煩悩も離れ」=「解脱」
>なのだから、当然、
>「心が安定」=「解脱」
>となります。

片山一良 訳 パーリ仏典 長部 戒蘊篇T(P220〜P233)
「このようにして、心が、安定し、清浄となり、純白となり、汚れなく、付随煩悩を離れ、柔軟になり、
行動に適し、確固不動のものになると、」

増谷文雄 訳 阿含経典3 筑摩書房 (P276〜P288)
「かくのごとく、心清浄にして、煩悩すでになく、煩悩の枝末をも遠離して、心身柔軟、いつでも活動できる状態にあり、
しかも、安らかに住して不動の状態にある時、」

「心清浄にして」のところは「心は清浄に帰し」の表現のところもありました。
増谷文雄 訳では「解脱」の状態にあると読めます。

56 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 23:34:05.60 ID:AfDf9bbi.net
>>36 :深山
>仏教の議論のように見せかけているがこれも違います。
>本当に仏教の議論が目的なら、「四禅で解脱」などと私が書いていないことを
>指摘されたら、普通は撤回する。
>だが、彼は平然と未だに私が「四禅で解脱」と主張したと書き続けている。
>彼の目的がアゴン宗擁護でも仏教議論でもないからです。

既に回答済み。

>617 :神も仏も名無しさん:2015/09/08(火) 01:11:11.35 ID:SMys/4er
 >605 :深山
 >>だから、あなたが引用した>>601の私の文章のどこに四禅で解脱したとあるのだ?
 >>文章にないものを良く読めますね。
>「四禅で解脱した」という文字そのまんまが書いてないだろということですよね。
>いいでしょう。
>あなたがそこまで否定するなら構いません。
>最初からこちらのターゲットは「四禅で解脱」ではなくて「心が安定し」の方です。

四禅で解脱したと言ったのは自分じゃない、釈尊が言ったのだ、と言いたければそれで結構。
経典の「心が安定し」を解脱だからというのがその根拠ですね。
ならば、その根拠を崩せば、四禅で解脱したと釈尊が言ったというのは嘘になる。
だからこちらは今後「心が安定し」だけをターゲットにすればよい。
「四禅で解脱したとあなたが言った」とはもう言わないし、言う必要も無い。

57 :神も仏も名無しさん:2015/09/09(水) 23:55:18.46 ID:Eoi3RlgC.net
>>25
>ここに長年のホームレスがいて、全然風呂に入らないし、髪も髭も伸び放題で
>汚く臭くてたまらない男がいるとする。
>彼に他人から敬遠されるようなことから脱却する道を教えた。
>その男はきちんと風呂に入るようにし、散髪にも行き、髭も剃りきれいになり
>もはやあのいやな臭いもなくなった。
>男も今後も風呂に入り散髪もし、髭も剃ることを理解して実践している。
>これがふつう完成ですよね?
>では三明の智慧観察とは何かと言うと、それは最後に鏡で自分の姿を見て確認するようなものです。
>「ああ、見違えるほどきれいになった」と。
>解脱した人が解脱したと知ったとはこのことです。

これはなかなかいい比喩ですね。
とても分かりやすい。
釈尊も阿含経で手を替え品を替えて、いろんな比喩をもちいて説法されていますよね。

58 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 00:01:36.66 ID:axq5gd5W.net
>>37 :深山
>「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」

>煩悩からの解放が解脱ならば、
>「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
>は解脱を意味することは小学生でもわかる。
>「小さな煩悩も離れ」なのだから、大きい煩悩は言うに及ばずです。
>煩悩からの解放は解脱であり、小さな煩悩からも離れたら、解脱です。


『神通を行なうときには、その前に色界の第四禅に入定し出定しなければならないとされる。
この禅は「基礎となる禅」と呼ばれる。
ここの「心が安定し」はその基礎となる禅<padakajjhana>に入ったことを表現している』
(『原始仏典〈第1巻〉長部経典1』605頁、中村元監修、森祖道、浪花宣明、橋本哲夫、 渡辺研二)

この文章は、「心が安定し」だけを指したのではなくて、
「心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、〔心に〕付随する煩悩をも離れ、柔軟になり、
行動に適応し、不動なものとなると」(同書97頁)を指しているようです。

「心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、〔心に〕付随する煩悩を離れた、柔軟になり、
行動に適応し、不動のものとなると」
を指して、「基礎となる禅」=四禅に入ったことを表現しているという解釈です。

片山教授の方も同様に、文言すべてを指して、
「四禅に四無色定を含めた八等至」という解釈です。

59 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 00:03:59.09 ID:axq5gd5W.net
@深山さん、(オ)カルト解釈やめようね。

>>39:深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/09(水) 12:10:40.36 ID:oKfy71JA
>「心の安定」以下「小さな煩悩も離れ」は同じ内容の繰り返しであることは明らかです。
>「心が安定」=「清浄で純潔」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」
>であり、煩悩からの解放が解脱であり、
>「小さな煩悩も離れ」=「解脱」
>なのだから、当然、
>「心が安定」=「解脱」
>となります。


『神通を行なうときには、その前に色界の第四禅に入定し出定しなければならないとされる。
この禅は「基礎となる禅」と呼ばれる。
ここの「心が安定し」はその基礎となる禅<padakajjhana>に入ったことを表現している』
(『原始仏典〈第1巻〉長部経典1』605頁、中村元監修、森祖道、浪花宣明、橋本哲夫、 渡辺研二)

「心が安定し」が「基礎となる禅」=第四禅に入ったことの表現だと言っているのに、
何故「心が安定」=「清浄で純潔」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」=解脱となるのか?
第四禅に入ったら即・解脱なのかね?
こういうのを(オ)カルト解釈というのだろう。

60 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 00:05:12.12 ID:axq5gd5W.net
>だが、これを解脱と見るか、見ないかは、最後は各人の解釈の自由で、
>双方の意見は出尽くしているのだから、判断は読者に任せるべきです。

判断は読者に任せるべきだと言うのなら、これは解脱だと繰り返し主張することもない。
相手が何を主張しても、放置しておけばよい。
放置しておくと何か不都合なことでもあるのなら話は別である。

61 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 00:22:54.21 ID:axq5gd5W.net
>>19@「心が安定し」は、解脱ではない。の補足

1.比丘が解脱するのは四聖諦を知った直後であること。

追加
「このように知り、このように見る彼は、欲漏からも心が解脱し、有漏からも心が解脱し、無明漏からも心が解脱する。」

諸漏から心が解脱するので、心解脱を示す。

四聖諦を知るならば、無明が捨断され 、無明を離れて慧解脱を具足する。

よって、四聖諦を知ることによって、心解脱・慧解脱を具足する。

(Nikayaにおける止観の研究 一止観と心解脱・慧解脱を中心として 一)

(ttp://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/bitstream/10519/1203/1/r-bk-np_015_006.pdf)


深山さんがいくらジタバタしても、
経典で比丘が解脱(心解脱・慧解脱)するのは、四聖諦を知った後です。
あなたが、どんな理屈を並べようが、この事実は変わらない。
だから「心が安定し」には解脱の意味はありません。
いくら強弁しても無駄です。

62 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 00:28:25.69 ID:axq5gd5W.net
【四禅比丘】

定義

仏教に於ける修行として、四禅を得たときに四果を得たと思う増上慢の比丘を指す。
四禅とは、小乗仏教の声聞の修行の段階で、これに四向・四果など違いがあるが、
増上慢の比丘は、これらの区別を付けることが出来ない。
(ttp://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%BB%CD%C1%B5%C8%E6%B5%D6)


如一比丘。得四禪搶纐搆フ還入地獄。(一比丘の四禅を得て増上慢の故に、還って地獄に入るが如し)

(一比丘は、四禅を得たが、増上慢であったので、故に、還って、地獄に入ったのである)

『大智度論巻二十四(下)』
(ttp://www.geocities.jp/tubamedou/Daichidoron/Daichidoron21-30/Daichidoronn24b.htm)


大智度論て確か龍樹の作品ですよね。
彼は沙門果経を読まなかったのでしょうか?
いや、多分読んだでしょうw

63 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 01:02:18.08 ID:x9HKvvDO.net
>>61
>よって、四聖諦を知ることによって、心解脱・慧解脱を具足する。

八支聖道(八正道)の最初の支は「正見」です。
釈尊は「正見」を次のように説いています。

 『比丘たちよ、いかなるをか正見というのであろうか。
  比丘たちよ、苦なるものを知ること、苦の生起を知ること、
  苦を滅することを知ること、苦の滅尽にいたる道を知ること
  がそれである。比丘たちよ、これを名づけて正見というのである。』
         阿含経典 2 増谷文雄 訳 ( P172,173)

この内容は四聖諦を正しく知ることであり、正見とは「四聖諦の正しい理解」です。
学びとしての道、八正道には順序があり、まず「正見」から出発します。
正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定で修行が完成します。
あなたは、「四聖諦を知ることによって、心解脱・慧解脱を具足する」と書きましたが
ならば「正見」が完了すれば、それは「解脱を具足する」と考えるのですか?

64 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/10(木) 01:22:07.37 ID:vjvbsic3.net
私は今晩ペテン大作さんが出ようが出まいが最後は心解脱・慧解脱をこちらから出して
こちら側の議論は終わりにしようと思ってました。
慧解脱を認めるというのは、妥協点を見出すわけではないのだが、ペテン大作さんが
そこの部分のみにこだわるのも気持ちがわかる気もする。
だから慧解脱だろうが倶解脱だろうが肯定的に認めて、まあ完全解脱だの最終解脱なんて
どこかの殺人教団の概念は使いたくないが、心解脱は立派な解脱ではないか、
なんで最終解脱でなければならないの?と。
都合のよいことにそちらが慧解脱を出してきてくれた。
心解脱も付けてね。
思ったよりひどい解釈状況だ。慧解脱ではなく心解脱に対して。
また明日。早く寝ましょう。

65 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/10(木) 01:28:28.27 ID:vjvbsic3.net
ここだけ一言書いておこう。

>>60 神も仏も名無しさん 2015/09/10(木) 00:05:12.12 ID:axq5gd5W
>判断は読者に任せるべきだと言うのなら、これは解脱だと繰り返し主張することもない。
>相手が何を主張しても、放置しておけばよい。

違うんですよ。こちらがそれは解脱ではないかと書いたら、あなたの方が躍起になって
それは解脱ではない!絶対に解脱ではない!と放置はさせぬぞと絡んできたのです。

では明朝。まだ雨だろうなあ。

66 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 01:38:48.55 ID:x9HKvvDO.net
>>62
>【四禅比丘】
>如一比丘。得四禪搶纐搆フ還入地獄。(一比丘の四禅を得て増上慢の故に、還って地獄に入るが如し)
>(一比丘は、四禅を得たが、増上慢であったので、故に、還って、地獄に入ったのである)

あなたは間違った解釈をしています。
【四禅比丘】
http://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%BB%CD%C1%B5%C8%E6%B5%D6
四禅比丘の3種類の問題点を読み直してください。

67 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 07:50:11.30 ID:gpQ31RAl.net
 
深山放牧豚   http://itraumerei.exblog.jp/9139260

68 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/10(木) 08:51:50.77 ID:vjvbsic3.net
>>60 神も仏も名無しさん 2015/09/10(木) 00:05:12.12 ID:axq5gd5W
>判断は読者に任せるべきだと言うのなら、これは解脱だと繰り返し主張することもない。
>相手が何を主張しても、放置しておけばよい。

当初深山さんがそちらが出してきた沙門果経の「心が安定…煩悩も離れ」の記述内容の境地に対して、
これは解脱の境地に他ならないと主張した。それに対してそれは絶対に解脱のはずがない!
解脱を得るはもっと先で四聖諦を悟り、漏尽智を得た解脱と解脱知見の段階しかない
と、しつこく7年間食い下がってきたのがペテン大作さんです。
それも最高の最終の完全な解脱でなければならないなどとそちらでいつの間にか勝手に限定した。
ちなみに私もペテン大作さんが昨夜指摘するよりも先に心解脱・慧解脱の話を出して
心解脱よりも後に得る慧解脱を以て解脱の完成とするという考えもあることから
ペテン大作もまたそればかりに目を覆われるのも無理からぬ面もあることをコメント
するつもりでいて、今でもそれは変わりない。
慧解脱、倶解脱、煩悩障に対する所知障とかアビダルマがいろいろと論じた話だろうが
仏教界にはそういう段階で区別、差別する考えもあるのだから、私は今回は敢えて
アビダルマの批判もせず、それを認めて、心解脱・慧解脱そろって解脱の完成と見る
のも各自の自由であるとしようと思った。
しかしペテン大作さんはナント心解脱はまだ解脱ではないと言っているのです!
沙門果経の四禅を終えた記述段階で得た「心が安定…煩悩も離れ」はまさに
心解脱の境地です。心解脱とは桐山さんは悪い心癖を改めるなんて説明しているが、
心に貪著から離れるというものです。まさに沙門果経の「心が安定…煩悩も離れ」の境地であり
心解脱そのものです。心解脱は解脱ではないと言うか?
ただしこの後三明の智慧観察により真理の覚知を備えた慧解脱を得る。
ここで心解脱・慧解脱揃い解脱の完成とするのはよいのだが、だからと言って
心解脱はまだ解脱ではないと言うのはあまりではないか?
ペテン大作さんは心解脱をいつ得たのか読み誤っているのです。

69 :ユビキタス ◆6fhvHCxDJ3Ru :2015/09/10(木) 09:05:39.92 ID:vjvbsic3.net
>>61 神も仏も名無しさん 2015/09/10(木) 00:22:54.21 ID:axq5gd5W
>深山さんがいくらジタバタしても、
>経典で比丘が解脱(心解脱・慧解脱)するのは、四聖諦を知った後です。
>あなたが、どんな理屈を並べようが、この事実は変わらない。
>だから「心が安定し」には解脱の意味はありません。

これを読むと、ペテン大作さんは三明の観察を経て四聖諦を知った後に心解脱が慧解脱と一緒に得たかの
ように解釈し、つまりそれまでは心解脱も得ていないとみなしたことになる。
ところがペテン大作さんの引用した文章はそうは書いていない。

>諸漏から心が解脱するので、心解脱を示す。
>四聖諦を知るならば、無明が捨断され 、無明を離れて慧解脱を具足する。

>よって、四聖諦を知ることによって、心解脱・慧解脱を具足する。

これです。上記は私は先に心解脱を得た人が智慧観察により四聖諦を知り、慧解脱を得て
ここに心解脱・慧解脱の両方を具足した仏陀になると読む。
だから心解脱と慧解脱の両方備わった時点を最高とするのはかまわないが、
心解脱の表現を解脱と認めないのはいかがなものか?
ペテン大作さんは深山さんを大笑したが、相手を見下げて大笑するような話にはならず
単にそれだけの違いなんです。
しかしペテン大作さんの文章読解力は心解脱は四聖諦を知って初めて得るもので
それまでは解脱など少しも得ていない、これがわからないのは馬鹿だと無知を晒した。
やはり馬鹿は死ななきゃ直らない。

70 :一来補:2015/09/10(木) 11:06:12.61 ID:Yq0dS96E.net
心解脱とは欲漏滅のことです。
慧解脱とは無明漏滅のことです。
心解脱=欲漏滅=渇愛煩悩滅
慧解脱=無明漏滅=四諦体得

岩波仏教辞典の「修行」の説明には、
「初期仏教以来、修行の目的は苦滅の境地にたっすること」
とあります。煩悩滅も、苦滅という目的ののためにあるのです。だから、煩悩滅を達成したという場合には、苦滅も達成したということなのです。深山ユビキタスくんは、そこの理解が不足と見えます。

修行の目的は苦滅、ということです。
これも前からレスされていることです。
桐山師のいう煩悩解脱は小解脱、因縁解脱が大解脱というのは、因縁解脱が苦滅、ということです。

71 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 11:43:28.90 ID:axq5gd5W.net
>>68>>69
「正念正知」は慧だと誤解していたことを指摘され、報復に、
ダラダラした論文の感想文を書いて相手を非難するような馬鹿者は、
無視するに限る。

72 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 11:44:05.16 ID:axq5gd5W.net
@現法涅槃は想受滅の境地

生存中に涅槃を体得することを現法涅槃といい、
バラモンたちは、それを色界四禅の境地だと見なしていた。
これに対して、釈尊は想受滅の境地を現法涅槃だと考えていた。
ブラフマジャーラ経の中で示される、釈尊の説く現法涅槃とは、

「色界四禅の他に無色界の空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処
を具足して住し、さらに想受滅を具足して住して、慧をもって観察し漏を滅尽すること」
(『ゴータマ・ブッダ考』並川孝儀、大蔵出版、94頁)

ブラフマジャーラ経(梵網経)は沙門果経と共に、
教義的・実践的に最重要な位置を占める経典です。

“想受滅に住して、慧を持って観察し漏を滅尽する”

ここに原始仏教のエッセンスがあります。


@深山さんは学生自体の癖が抜けないみたいです。

仏教辞典を持ち出して、単語の翻訳ばかりしているのは、
きっと学生自体の名残りなんでしょう。
あなたが非常に勉強家で優秀な学生だったことは分かりますが、
単語を追っかけてばかりいると、全体が見えなくなります。
若き日の管長猊下を見倣って、もっと色々な本を乱読して、
物事の全体像を掴む練習をすることを強く強くお勧めします。

73 :一来補は岩波仏教辞典信者さん!:2015/09/10(木) 11:49:12.21 ID:UUyEAu0s.net
>>70 :一来補:2015/09/10(木) 11:06:12.61 ID:Yq0dS96E
>岩波仏教辞典の「修行」の説明には

一来補欠、おまえまだ岩波仏教なのかよ
じじいだからそれで今生もせいちょうしねえでおわりだな
ほんと云うセリフがダセぇな〜〜

だから桐山は仏教者でもなければ坊さんでもないと云ってるだろ
まだ分からねえのかよ
桐山のいう因縁はインチキ、他の宗教やむかしの霊学本からとってきたまがい物
桐山は因縁など切れません、運命転換などできません
桐山は運命がみれると豪語しているが念力護摩同様、衆人の前でやらないだろ
自己申告で諸人の前でやったと云っているが、あれは完全に嘘だね

一度やってみせる、そういうときには必ず嘘と薬品使用などのトリックがある
それが桐山靖雄のやり口だ 麻原の空中浮揚と同じだな

ありもしない因縁解脱を仏教だと言い張るクズ野郎の一来補欠クソ爺
早く死ねばいいのに お陀仏になったら赤飯炊くね

74 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/10(木) 12:03:27.69 ID:dLU+iURv.net
>>72 :神も仏も名無しさん:2015/09/10(木) 11:44:05.16 ID:axq5gd5W
>@深山さんは学生自体の癖が抜けないみたいです。

私から、アゴン宗の議論をしようともしない卑怯者だと
嘲笑われても、ペテン大作さんはいっさい無視して、
四禅の話を執念深く書いている。
彼が作った四禅解脱というリング以外では勝負できないからです。
リングというよりも巣穴です。
実際には四禅解脱のリングでさえも彼は勝ってなどいない。
学者の説を自分勝手な解釈を加えて、さも自説が正しいかのように、
書いているだけです。
そのリングから出たら、彼の自慢の勝利は雲消霧散する。
アゴン宗スレなのに、彼はアゴン宗の議論するわけにはいかない。

学者本を並べて、番号を付けて小難しい言葉を並べると、
自分ではすっかり仏教や解脱の意味を理解したかのように錯覚している。
視野が狭いと指摘されたら、少しは自分の欠点を自覚すれば良いのに、
彼は桐山さんや一来補さんと同じで、注意され、自分の間違いを認めるのが
死ぬほど嫌いです。
こういう性格で仕事をしたら、職場で彼らがどうであったか、想像がつく。
桐山さんがその手本を示していることを信者さんたちは気が付いていますか。

75 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2015/09/10(木) 12:08:56.02 ID:dLU+iURv.net
信者さんたちは「桐山ゲイカは成功者だ」というだろうが、
それはアゴン宗という詐欺宗教での成功者、つまり人を騙すことに
成功したのであって、通常の意味での成功者ではありません。
桐山さんの人生を良く見てほしい。
現実世界のどこで桐山さんは成功したのだ?
桐山さんの人生で現実社会の集団に参加したのは学校時代と、
商売をしていた時代だけです。
学校時代は、運動は抜群だったが、学業の成績は悪かった。
だから、公立の中学に受験さえもできず、私立の三流に入った。
三流とは私が言っているのではなく、桐山さんがそのように書いている。
彼の最初の現実社会の集団であった学校では劣等生です。

戦争中は他人の血で家が豊かだったから、小説家を自称して遊び人をしていた。
小説をいくつも出したというならともかく、
芥川賞くらい取れる小説を書いた、なんていう自己申告しかない。
小説家仲間だった俳優の故・金子信夫さんは、桐山さんの
小説を見たことも、また桐山さんが結核だったことも知らなかった。
もちろん、桐山さんの小説が芥川賞の候補になったこともありません。
たった一人から、芥川賞が取れる、などとおだてられて、
すっかりその気になっているのだから、現実社会を知らない人です。
芥川賞が取れるという話をした人は、桐山さんの小説が不十分だから、
それを直させるために、まずおだててその気にさせようとしたのでしょう。
ところが、現実社会を知らない天井知らずの煙は、オダテだと
気が付かず、本当に取れると思い込んだ、というか、今でも思い込んでいる。
信者さんたちはこの人を賢い人だと思いますか。
桐山さんは小説を発表しているが、何かの賞に推薦されたなんて話も聞かない。
小説家としての才能が凡庸だからです。

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