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首都圏の「自動改札機」はなぜ平成まで本格導入されなかったのか? 関西圏は昭和に普及、決定的な違いとは [首都圏の虎★]

1 :首都圏の虎 ★:2022/06/20(月) 16:24:55.40 ID:WM+E9CaQ9.net
海外とは異なる日本の乗車制度

 欧米の鉄道では、乗客が購入した乗車券を改札するゲートが存在しない。その代わり、不正乗車対策としてしばしば抜き打ち検札を行う「信用乗車方式」というシステムが多く見られる。よくいえば、乗客の良識に任せた制度、悪くいえば大ざっぱな制度だ。

 その点、古くから日本の鉄道は改札が厳格だ。かつては改札口に担当の駅員が待機し、入場の際は改札ばさみで切符1枚1枚に切り込みを入れ、出場時にはそれを瞬時に確認しながら回収していた。こうした背景から、自動改札のシステムは日本で独自の進化を遂げていったのである。

 では、自動改札機が普及したのはいつのことだろうか?

 その答えは東西で大きく異なる。関西圏では1970年代から珍しいものではなかったが、首都圏では1990年代まで、ごく一部の路線、駅でしか見られないものだったのだ

戦前よりあった自動改札機


 日本初の自動改札機は1927(昭和2)年にアジア初の地下鉄・東京地下鉄道(現・東京メトロ銀座線)の開業時に導入された。

 これは均一運賃制を前提としたもので、装置に10銭硬貨を入れると十字形のバーが回転して、乗客がひとり通過できる「ターンスタイル」という極めてアナログな仕組みだった。

 しかし、ターンスタイルの自動改札機は、東京地下鉄道が経営上の理由から均一運賃制をやめたことで、早期にお役御免となった。

 電子的な自動改札装置が開発されるのは、戦後、日本の高度経済成長期に鉄道の需要が増大してからだ。

 大都市圏では朝夕の通勤ラッシュ時に改札口前に人があふれかえる現象が目立つようになり、人流の円滑化のために自動改札化のニーズが生まれたのだ。

近鉄・阪急・京阪などが続々参入

 まず、1966(昭和41)年に近畿日本鉄道(近鉄)が、道南大阪線・大阪阿部野橋駅で、パンチカード式の定期券用自動改札機の実用実験を行った。

 これは、文字通り定期券に空いた穴で情報を得るシステムで、立石電機(現・オムロン)と近鉄が共同開発したものだった。

 翌年には京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)が、千里線・北千里駅に立石電機開発の自動改札機を本格設置。こちらは、定期券はパンチカード式、普通乗車券はバーコード式が用いられた。

 一方、近鉄は1969年になると、日本信号が開発した磁気化乗車券を使用した自動改札機を奈良線・学園前駅にテスト導入。以後、乗車券に磁気で記録した情報を装置が読み取る方式が自動改札機の主流となっていく。

 このほか、1970年代前半には鉄道業界全体で将来を見据えた取り組みとして、磁気コードの標準化などが行われている。また、それと前後して、他の関西私鉄や地下鉄も続々と自動改札導入に動き出した。

 それぞれ最初に設置された駅は、

・京阪電気鉄道京阪本線 樟葉駅(1971年)
・大阪市営地下鉄(現・大阪市高速電気軌道)四つ橋線 玉出駅(1971年)
・阪神電気鉄道阪神本線、西大阪線(現・阪神なんば線) 尼崎駅(1972年)
・南海電気鉄道南海本線 和歌山市駅(1972年)

となっている。

全文はソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/584b20ffe261e0d75add867a27489fff75d18e85

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