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【佐賀】「よみがえる邪馬台国」 豊前・宇佐地域の出土品を紹介する企画展 [樽悶★]

1 :樽悶 ★:2020/10/30(金) 12:50:17.78 ID:ZkMkQOwN9.net
弥生時代、交通の要衝だったと考えられている豊前・「宇佐(うさ)」地域の出土品を紹介する企画展が、吉野ヶ里歴史公園で開かれています。

企画展は、魏志倭人伝に記され、弥生時代、各地に存在したと考えられている「クニ」の姿を紹介し、邪馬台国や吉野ヶ里遺跡を知ってもらおうとシリーズで開かれています。

今回は、弥生時代に陸上・海上の交通の要衝だったと考えられている、現在の福岡県行橋市や大分県宇佐市周辺、豊前・「宇佐(うさ)」地域の遺跡の出土品を紹介しています。

宇佐市で出土した銅矛は、ほぼ同じ形のものが島根県でも見つかっていて、九州から豊前地域を通して運ばれたと考えられています。

また、朝鮮半島との交流を示す銅鐸などもあり、この地域が物流の重要な拠点なっていたことがうかがえます。企画展は、11月8日まで、吉野ヶ里歴史公園で開かれています。

10/26(月) 12:51配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201026-00000002-sagatv-l41
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20201026-00000002-sagatv-000-1-thumb.jpg

2 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 12:52:50.16 ID:hPHbZjE70.net
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20201026-00000002-sagatv-000-1-thumb.jpg
朝鮮半島ゆかりの銅鐸展示

ネトウヨどうするの?

3 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 12:53:36.78 ID:YKShKaLC0.net
卑弥呼の陵墓の上に宇佐神宮本殿があるって本当?

4 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 13:09:25.56 ID:cPYU+uEc0.net
>>1

まあ、

国家の形成には、破天荒な富の蓄積が必要だからな。(それ以外は群落止まり)
もし朝鮮半島経由で大陸と交易をして、その富の蓄積を図ろうとしても、

当時の交易品の運搬手段は、まだ馬車もなく、馬か人の背で運べる程度の細々としたもの。
これじゃ、とても国家形成に至るような富は蓄積されない。

やはり、北陸の港から大型船(中国ですでに開発されていた)を利用して、
日本海を縦断して直接対岸の中国大陸と交易して、その速度と快適性により膨大な交易をしてこそ、

国家形成に至る富は手にできるだろう。
当時、その北陸地方と直接結びついた奈良盆地は、繁栄地として日本中に鳴り響いていたハズだ。

だからこそ、神武が九州の南の田舎から、ガムシャラにその繁栄の地「近畿」を目指したといえる。

5 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 13:31:08.73 ID:VJ4PlCEH0.net
じゃまたい国が正しい読みなんじゃないの?

6 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 13:42:28.71 ID:aYrqslxZ0.net
>>2
三国史記…朝鮮半島南「狗邪」は「倭国の北限」
宋書倭国伝…朝鮮半島は倭が支配している
広開土王碑…倭国が海を渡り百済と新羅を臣下にした。
日本書紀…391年神宮皇后が百済と新羅を日本領土とした。
宋書…倭国が朝鮮半島南部を領地にした。
随書…倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬った。
梁職貢図…新羅は倭の属国

7 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 13:43:14.15 ID:eP1lkr6u0.net
>>5
それで行くならじゃまだいこくじゃないか?

8 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 14:12:57.78 ID:cPYU+uEc0.net
>>4

まあ、その意味で、

神武は「押し込み強盗」と言えるのだがなw

9 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 14:18:45.04 ID:Rwftd6LR0.net
邪馬台国は法窓夜話をよみましょう

10 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 14:21:41.58 ID:ZaX0h06a0.net
>>3
豊玉姫(いわゆるトヨ。神武のおばあちゃん)と玉依姫(神武のママ)の墓の上にある、が正しい。

11 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 14:35:18.82 ID:cPYU+uEc0.net
>>9

ただのアホの寝言だろう。

12 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 14:55:01.02 ID:lUFuZcnK0.net
調べれば調べるほど邪馬台国は九州だったんだろうな、と思う

13 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 15:19:23.37 ID:5GRsteM90.net
宇佐には京都郡があって、秦氏が東に基盤を広げたのが今の京都。
つまり、応神以降の天皇は秦氏の子孫。邪馬台国の卑弥呼=アマテラスの子孫神武系を
淘汰し、伊勢神社を遠ざけて八幡神を広げたのはそのため。

14 :高篠念仏衆さん:2020/10/30(金) 15:27:40.17 ID:tN4Qbqdj0.net
正しい歴史を学んだ方がいいのでは?
唐は日本を対等国と見てないぞ?
白村江の戦いで唐に負けて

賠償金払え!えー…→支払い
お前も仲間に入るか?→入る!
ちんこ切れ!→えっ…やだ
ちんこ切れ!→えっ…やだってw
(遣唐使中断)
朝鮮半島で戦争。日本どころではなくなる
まあいいや。許す。
遣唐使再開。

唐滅亡
だぞ?

15 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 15:50:56.72 ID:YKShKaLC0.net
>>10
えっ、神武は宇佐出身?

16 :高篠念仏衆さん:2020/10/30(金) 15:54:14.32 ID:tN4Qbqdj0.net
〜愚民化政策〜
🇺🇸コーラの瓶だ!!コーラの瓶が落ちていたぞ!
すげーや!何だこの便利な物は!!
神棚に供えて毎日拝まなければ!!🙏

17 :高篠念仏衆さん:2020/10/30(金) 15:57:05.38 ID:tN4Qbqdj0.net
https://youtu.be/qs7LwthA3Ms
✈︎ 👩🏿‍🦱?!

18 :高篠念仏衆さん:2020/10/30(金) 16:02:38.29 ID:tN4Qbqdj0.net
そんなものに引っかかる🇯🇵大和民族じゃない!
と思いきや、🎰何十年も引っかかってるw

19 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 16:30:40.28 ID:ZaX0h06a0.net
>>15
父方は九州山地の西側(火の国)の出身で、母方は宇佐(豊の国)の出身。

20 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 16:54:28.51 ID:pHvp+UVP0.net
※当レスは広める事を希望して複数のスレに貼っています
みなさんも生活安全警察による通称やりすぎ防犯パトロール問題と、創価学会による組織的な嫌がらせ行為の問題はご存知だと思う
これらに関してネット上で流布している情報には、誤りも多い為、簡単に説明すると
前者は、生活安全警察が防犯活動と称し、特定個人に対する尾行・監視・付き纏いを行い、防犯協力と称し精神的拷問と虐待を加えている問題で
後者は、創価学会が、適当な理由をつけて嫌がらせを正当化し、住民達にまで協力を要請し、加担させる形で
地域ぐるみでの尾行・監視・付き纏い、就労妨害、解雇工作、悪評流布、その他、嫌がらせ行為を働き、精神的拷問と虐待を加える問題だ

某法律事務所に所属する弁護士が、顧問企業で、創価学会による嫌がらせ行為と全く同じ手口を用い
邪魔になった従業員達を解雇に追い込んでいたというとんでもない大事件を起こしていたそうで、被害が発生した企業は何社にも渡るという
その情報に関して、東京地裁で行われた民事裁判で、下記の資料が提出されて、公開文章となっているという

X敗訴で明らかになった女弁護士のブラック過ぎる手口 2011年9月11日 19時11分
http://news.livedoor.com/article/detail/5852938/(リンク切れ)
>(中略)
>Bさんは、裁判所に提出した書面に、M・HM法律事務所のT谷弁護士が過去にも大手コンサルティング会社の弁護活動において、
>悪質な手口で一般社員を追い込んでいたと告発している(以下、裁判所の公開文書より抜粋)。

><T谷弁護士は(編注:原文は本名)都内の大手コンサルティング会社から労働法の専門弁護士として依頼を受任し(略)、
>都合な社員や退職させたい社員がいる際には、まず集団ストーカーと呼ばれる手口で、その社員の周辺に複数の人間が常につきまとい、
>その社員に精神的苦痛を与え続け、その社員がたまらなくなって、怒鳴ったり暴力を振るったりしやすいようにする、
>もしくは精神的苦痛で自殺しやすい状況にする行為を続ける>
><このような集団ストーカー行為、もしくは産業医の制度を悪用する手口を使って、被害を訴える個人に対し、
>精神分裂症等の精神病として診断書を作成して被害者の発言の信憑性を低下させ、その上で産業医が治療と称し措置入院等を行う事で、
>報道、捜査機関、裁判所等を欺いて対応が出来ないようにし、さらに一般市民を自殺や泣き寝入りに追い込む>
※当該記事にはウェブ魚拓かあり、そちらをお読み頂ければ、ソースがきちんと存在する実話であると理解できます

重要なのはこの部分である
【精神的苦痛で自殺しやすい状況にする行為を続ける】【一般市民を自殺に追い込む】
【その社員がたまらなくなって、怒鳴ったり暴力を振るったりしやすいようにする】
手口が同じである以上、迎える結末もこの記述と同じである、という事になるので
つまり、生活安全警察のやりすぎ防犯パトロールや、創価学会の嫌がらせ行為は、特定個人を精神的苦痛から自殺させる
あるいは、傷害事件、傷害致死事件や殺人未遂事件、殺人事件を起こさせる事で、社会的に抹殺する事が真の目的である、という事だ

しかし、よく考えて欲しい
過去に生活安全警察のやりすぎ防犯パトロールや、創価学会の嫌がらせ行為で、傷害事件や殺人事件が起きた、という報道があっただろうか
これら嫌がらせの特徴は、精神的苦痛から自殺しない場合は、特定個人が傷害事件か殺人事件を起こして終わる点にある
簡単に説明すると、やりすぎ防パトも、創価の嫌がらせも、悪評が地域でばら撒かれ、特定個人は人間関係を破壊され、社会的に孤立し
社会的信用も職も失い、かつ、近隣住民達からも白眼視される為、嫌がらせをしてくる近隣住民達に激しい憎悪を抱くようになり
津山三十人殺しを起こした都井睦雄と、全く同じ精神状態に追い込む為である
従って、確実に傷害事件や殺人事件は発生している
報道がないのは、生活安全警察が事件の隠蔽を図り、通常の傷害事件、殺人事件として処理すると同時に
マスコミに圧力をかけて、真相を調べさせないようにしている為である(創価学会の嫌がらせの場合も同じ)

生活安全警察幹部、創価学会幹部、防犯協会役員らが、刑事罰に問われたくないと自己保身に走り、隠蔽しているわけです
大量殺人や殺人事件を何十件も誘発しておきながら、処罰逃れしている彼らを裁判にかけるべきです
創価学会は非合法化の上、解散させるべきですj63

21 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 18:12:53.69 ID:qCxtbzEy0.net
>>2
狗耶韓国=金官は日本だったと、
魏志倭人伝及び後漢書東夷伝に明記されている。

22 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 22:02:28.71 ID:b5GnHOId0.net
福岡スレ vs. 佐賀スレでバトルっすか?

23 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 22:04:38.53 ID:b5GnHOId0.net
>>21
日本領になるのはもう少し後やね。

24 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 22:08:17.91 ID:0GmBqyNs0.net
ジーグ「まいったな、また全滅させるところが増えてしまった」

25 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/30(金) 22:31:38.29 ID:gouF/ryG0.net
再開発された吉野ヶ里には3世紀の墓がない
1世紀のはあるよ 北の方で甕棺が展示されてるよね それは1世紀
3世紀のはない 吉野ヶ里は防人の出張先だったんだよ
任務期間が終わると集落に戻っていい徴兵制があったと考えててる

26 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 08:28:37.76 ID:J/1ToMow0.net
とりあえず当時の寿命が20〜30歳ぐらいだったと言われる時代に45歳で東征開始して120歳まで生きたと言う神武天皇の話はもういいよ
記紀は当時の人間が自分たちの政権に都合のいい話をでっち上げたファンタジー書だろ

27 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 08:37:44.72 ID:We68JOdhO.net
また他人の褌で相撲取ってる・・・

28 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 08:44:52.50 ID:cWiQRODr0.net
>>26
年齢に関しては1年に2歳数えたっていう説はありえると思うけどね

29 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 08:47:33.68 ID:RQBXaCYS0.net
邪馬台国九州説論者、こんな所でぐだぐだ言ってないで、企画展を見に行ってやれよ。

30 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 08:49:36.65 ID:cWiQRODr0.net
特に深い考えがなかった子供のころ
なんとなくだけど邪馬台国は九州でその後東に進出していって中国地方あたりで狗奴国と戦って負けて
狗奴国が大和朝廷になったと思ってた
たぶん漫画「雷火」の影響もあってそんなイメージだったと思う

31 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 08:50:06.36 ID:JEO7xGkr0.net
>>23
魏志倭人伝と後漢書東夷伝をキチンと読みなさい。

32 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 08:54:20.30 ID:cWiQRODr0.net
もし邪馬台国が畿内だったとすれば
畿内に邪馬台国でその勢力は少なくとも静岡あたりまでは及んでいただろう
つまり狗奴国は関東以北ということになる
出雲とかも結局邪馬台国の支配下だっただろう
かなり進んだ文明だったってことになるな
そんなことある?

33 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 08:59:11.79 ID:J/1ToMow0.net
>>28
そもそも天照大神の孫とかいう話からしてアホらしいとは思わん?

34 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 08:59:26.55 ID:cWiQRODr0.net
中国は漢帝国の末期だし
ヨーロッパはローマ帝国時代の後半ってとこ
日本の文明レベルがそのくらいの水準だったら普通にありえる話ではあるんだろうけど

35 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 09:02:24.52 ID:cWiQRODr0.net
>>33
孫ではないでしょ
もっと間に色々あったはず
まぁ何にせよ神話とリアルがつながってるわけで
どこまでがリアルかっていうだけの話だからな
もっと言えば天照を初代ってしたっておかしくないところだったわけで
神武天皇を初代にしたっていうのはそれなりの理由があるはずよ

36 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 09:04:00.38 ID:cWiQRODr0.net
神武天皇と崇神天皇の間の天皇が特に何も功績あげてないっていうのが逆にリアルだと思う
空想の産物だったらそれらしいエピソードつくりゃいいじゃんと

37 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 09:11:09.03 ID:J/1ToMow0.net
>>35
どっちにしろファンタジーだよ
書いてある内容の信憑性はかなり低い
信憑性が低い、という意味ではある意味魏志倭人伝も同じだけど
そっちの場合は単純に測量法とか色々とアバウトなだけで単純な道中記だから内容を素直に読み解ける
でも記紀は特定の意図を持って作られた記録だから全てにおいて信用できない
そんなもんを基に歴史を紐解こうなんて考えが間違い

38 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 09:12:13.47 ID:4VnSZbtK0.net
いまにみていろ

39 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 09:34:18.44 ID:cWiQRODr0.net
>>37
ウソが混じってるから全部ウソ
って考えるのはバカだよ
言い伝え自体はあるのだからそれがどこから来たのか、もとになったものは何なのかを考えるべきでしょ

40 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 09:36:18.97 ID:cWiQRODr0.net
天照なんているわけないから天皇は全部ウソ
とか言い出したら今の令和天皇は何なの?幻なの?って話になる

41 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 09:38:13.62 ID:cWiQRODr0.net
実在が確認されている実在したもの
実在が確認されていない架空のもの

の2択なのもゼロか100論なんだろうな
その間に「実在が確認されていない実在したもの」って普通にあるはずなのに

42 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 10:08:37.48 ID:J/1ToMow0.net
>>39
全部ウソ、とは言わない
ただ限りなく信憑性がゼロに近い記紀を前提に仮説を立てるのは間違っている
少なくとも記紀が書かれた300年昔の文字すらない時代の記録なんて正しい訳がないとは思わんのかね?

43 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 12:18:18.97 ID:LQnBx8ZB0.net
>>2
ネトウヨよけに展示するのか

44 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 16:57:53.07 ID:JEO7xGkr0.net
>>43
朝鮮半島南部の狗耶韓国は、
後漢の時代から日本。

45 :ニューノーマルの名無しさん:2020/10/31(土) 21:01:27.58 ID:wFL8Ljz70.net
宇佐は渡来人の秦氏が定住した場所でしょ。だから、八幡は秦氏の氏神。

46 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 00:21:19.84 ID:xXcnT5Y00.net
>>31
記紀をキチンと読みなさい。

47 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 04:28:05.05 ID:WIeIJEPU0.net
オンラインゲームのチームが、お互いをブロックしあう最悪の結末を迎えて崩壊した話。
http://towxs.donlafferty.org/ctcs/f53F4VAOD9.html

「5億円稼いだら辞めると決めていた」カカクコムを創業し、28歳でリタイアした男の今
http://towxs.donlafferty.org/vtcs/uBG3BfXI1u.htm

48 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 09:43:22.79 ID:sM0kZpsZ0.net
>>36
リアルじゃない

一番リアルなのは
初代、二代、三代で超実績を残して
そのあとボンクラが続くのが

日本史における歴代権力者の後継の流れw

だから栄枯盛衰の三代で終わること多々w

49 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 09:47:29.76 ID:c4Of8fnl0.net
佐賀人がキチガイ過ぎて応援する気が削がれる九州人続出

50 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 10:09:44.90 ID:JnSBuZFk0.net
>>48
じゃあ天皇家も三代で終わってなきゃリアルじゃないって話になるじゃん
バカなの?

51 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 10:23:57.54 ID:KxDniwRP0.net
>>3
昔、改修工事の時に石棺が見つかっているのは事実

52 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 10:28:37.58 ID:FQFpzN0N0.net
巻向でも宇佐でも大神氏(三輪氏)が関わってそう

53 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 10:48:04.92 ID:VMsXKg7m0.net
奈良の書いたものは100年前の聖徳太子ですらいい加減、盛り盛り描写なんだから
それから数百年以上前のことをそれに頼ることはほとんど意味ないね

54 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 10:51:21.18 ID:nriXtlt00.net
>>50
だから実際と違うってわけw

もっとも日本と言う名前に変わったあたりで
リセットされたでしょw そこは100パーw

あと実際は藤原氏とか仕切ってるしw
その辺の権力闘争へ移っていく

55 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 11:02:53.87 ID:6LPpjI6u0.net
だから何回も書いてるけど国東半島が邪馬台国

56 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 11:03:46.18 ID:WMIvXPlH0.net
>>10
臺与の墓は但馬の豊岡
>>13
時代錯誤は朝鮮人の特徴w
>>40
論理の飛躍、○で朝鮮
>>42
朝鮮の三国史記をこき下ろすのはヤメロ

オマエラ、sage進行にしないと
くだらない雑音が混じるぞ

57 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 11:16:32.98 ID:xXcnT5Y00.net
>>48
崇神天皇が過大評価されてるような気がするかな。
大和政権誕生のきっかけは3代前にあったんじゃないかと僕は推測するかな。
それ以後の天皇が尽力し、崇神の御代で果実が実ったんじゃないかな。

58 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 11:21:48.81 ID:nriXtlt00.net
>>57
それはあるね

名前に「神」が付く天皇は、まあ要注意&注目天皇はされてる

59 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 11:31:16.41 ID:WMIvXPlH0.net
>>28
新暦で5月が「麦の秋」
  昔は稲刈りが終わって一段落したら麦の種を蒔いて
  1月に麦踏み
  https://hiyosi.net/2019/01/09/yotsuteko_shimoda_2019/
  五月に刈り取り
  麦の秋. 初夏. 麦秋. 麦の穂が成熟する五月から六月頃をいう。
  『麦秋』(ばくしゅう)
   小津安二郎監督の映画 1951年・松竹
   原節子、笠智衆、淡島千景
戦後食糧不足時代アメリカからの小麦と脱脂粉乳で始まった小学校の給食によって
朝食はパンを食べるのが普及して小麦を作る農家が減った。

10月が「米の秋」、に9月に出荷される米は早場米(はやばまい)という
   コメ余り時代になるまで土佐の高知では二期作といって
   年に2回田植えをしていた。
米に続いて小麦を栽培するのは二毛作。

60 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 11:50:49.13 ID:8TDnxfoD0.net
最新・最先端の邪馬台国佐賀ルート説、
さがテレビも、リキが入っているようではないか・・

61 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 12:28:06.65 ID:8TDnxfoD0.net
「末盧国 東南陸行500里 到伊都国」

唐津港から東南陸行五百里と言えば、多久市・小城市経由の県道48号線で、佐賀平野の山寄り中ほどだ。
そして、その東行100里が吉野ヶ里遺跡、ここが倭人伝にいう不彌国だった。
律令制下の三根郷(彌根郷)である。

62 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 12:31:31.59 ID:kw9Q2Y5L0.net
神話と史実を当てはめるのは禁忌とはいえ、やっぱ神武天皇の東遷は、
魏の使節がやってきたことが変化したんじゃないかと思うんだよなぁ。

63 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 12:35:13.76 ID:WMIvXPlH0.net
神武と卑弥呼はどっちが早いんだ今の九州説では

64 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 12:44:25.65 ID:xXcnT5Y00.net
>>63
僕は国譲り・神武東征は紀元前後1世紀にあったと思ってるかな。

65 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 12:45:21.39 ID:3/3+KhNI0.net
>>62
魏の使節自体じゃなくて、魏の権威、というか当時の超先進国の中国自体の権威とかはありうるな。
もらった鏡が権威の代行者の象徴で、
えーい!下りおろう!この鏡が目に入らんか?!
という乗り。

それで行くなら魏の一般的なタイプが当然で、それと違うタイプなら「別の権威の象徴」ということになるな。

魏なら、一応、後漢の皇帝から地位を譲られてる形だから、公式御用達の鏡なら後漢の様式が「古式ゆかしい正統のもの」ではないか?

66 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 12:50:24.48 ID:kw9Q2Y5L0.net
>>65
大陸王朝からの承認を得たって事実があれば、その権威を示す鏡は、
自作でもいいやんけぇってなったんじゃないかなぁ。

67 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 12:51:14.30 ID:3/3+KhNI0.net
内行花文鏡なら後漢から魏の圧倒的なメジャーな物だから、全く矛盾しないな。

内行花文鏡を宝物として尊重し続けている家系って何かなかったっけ?

ん? それって天皇家?

68 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 12:58:00.63 ID:GT7ASwfH0.net
長崎からすると佐賀は邪魔大国

69 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 13:16:16.25 ID:3/3+KhNI0.net
>>66
「絶対権威」ならそのままを奉ずるのが常識で、「それと違うオリジナル」を作ったなら、そのこと自体が「その権威からの離脱を形に露骨に表したもの」でしょ。

星型を十字形に変えたなら、それは星形からの離脱の意思表示。
星形も十字形も拒否するなら、それらと別モノだぞという意思表示。

丁髷を切ったなら幕藩体制からの離脱、高杉とかはそれだな。
辮髪を切ったなら清朝からの離脱。孫文なんかもそれだろう。
黥面文身は、当然ながらそのグループの象徴で、そうではないグループと一目で区別できる。ヤクザとカタギの区別になってた国があるよな。

後漢から魏に至る古典的な様式とは違う別の様式の鏡なら、魏の権威と元々無関係の別個の物か、関係があったならバッサリと決別する明確な意思表示ということになるな。

70 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 13:26:29.55 ID:3/3+KhNI0.net
鏡について、「後漢から魏の頃の様式とは違う形式の鏡」を尊重していたなら、それは「後漢から魏の頃の形式の鏡を尊重するグループとは別モノ」という明確な物証ということになるな。

さて、畿内の古墳は、どれとどれがどっちのグループだ?
今後の研究に待つ必要って、あるの?

三角縁とかいう正体不明の特異な形式のが出た古墳は、尽く「後漢から魏の頃の様式を尊重するのとは別系統」だよね?
その独自の歴史は、とっくの昔から研究されてるんじゃないの?

71 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 13:27:30.54 ID:6LPpjI6u0.net
邪馬台国は国東半島だけど卑弥呼の祖先は鹿児島生まれよ。

72 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 13:28:43.05 ID:6LPpjI6u0.net
あ〜新幹線通して観光客呼びたいのね

73 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 13:30:36.03 ID:3/3+KhNI0.net
まさかとは思うが、内行花文鏡形式を尊重する家系が、三角縁とかいうのを尊重する系統と一貫して連続したものであるとか、不自然で奇妙なことを主張したりしてないよね?

74 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 13:33:27.07 ID:3/3+KhNI0.net
>>62
小保方った挙句に、三角縁とかいう特異な形式の鏡を尊重していたグループの実像を抹殺封殺しようと企むのがいるじゃない?
あれって何なの?

75 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 13:33:46.30 ID:LcW6X4QN0.net
>>63
神武東遷後に呉越の滅亡で九州に所謂倭人が渡って来たとかな

76 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 13:34:25.38 ID:J/IOEJ+I0.net
銅鐸と邪馬台国は関係あるの?

77 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 13:35:26.56 ID:WMIvXPlH0.net
平成31年産水稲の全国、都道府県別の10a当たり平年収量
https://www.maff.go.jp/j/press/tokei/seiryu/attach/pdf/190315-3.pdf
お問合せ先
農林大臣官房統計部生産流通消費統計課

この統計を見ると
通し(篩ふるい)の目の大きさ
1 1.70mm基準ベース
2 農家等が使用しているふるい目幅ベース 近畿と九州は同じ1.80mmで
鹿児島 482ー468=14kg
奈 良 513ー500=13kg
福岡 19kg 兵庫 13kg 滋賀 12kg 京都 10kg
長崎 18kg 

差が小さいほど米粒が大きい。
福岡より奈良のコメの粒が大きいことが判る。
鹿児島は活火山桜島の火山灰のせいで実肥えの燐酸が
吸収されてしまうのでコメ粒が小さいことがわかる。
バカな九州説信者に理解できるかなw

78 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 13:41:34.72 ID:uE3n2Wvx0.net
奈良盆地の大湿地帯の排水、客土の投入は製鉄を自前で行えるようになるまで無理
邪馬台国奈良盆地説は物理的に無理なんだよ

79 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 13:46:51.93 ID:WMIvXPlH0.net
>>78
水稲栽培は湿地帯から始まった

80 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 14:14:38.01 ID:nriXtlt00.net
>>63
若干、卑弥呼の方が早い

神武東征は卑弥呼の死後直後で
3世紀後半

81 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 14:19:04.48 ID:n49o4j9A0.net
>>77
凄まじい馬鹿だなwwwww
現代のデータ出してくるのかアホは。

考古学でも古代文献でも全部、当時の奈良の収穫高は最低ランクだよ。
北部九州がトップで、奈良は関東や東海にも劣る。

82 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 14:36:14.24 ID:gqBO3Yo70.net
オンラインゲームのチームが、お互いをブロックしあう最悪の結末を迎えて崩壊した話。
http://tgiwxs.hirschauer.org/ctcs/08x9cdvU1T.html

「5億円稼いだら辞めると決めていた」カカクコムを創業し、28歳でリタイアした男の今
http://tgiwxs.hirschauer.org/vtcs/73ga6pMmtf.htm

83 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 14:37:07.02 ID:8TDnxfoD0.net
邪馬台国佐賀ルート
(其の始まり)
記紀風土記の仲哀・神功皇后記は2運繰り上げだという。
であるならば、当然ながらその事績の具体的内容は120年繰り下げて、実際には4世紀後半の出来事であったということになる。
そして糸島イトコク説の根拠の一つとされる五十途手ー伊蘇志伝説も、実は卑弥呼時代でなく、4世紀後半のことであったと考えない理由はない。

84 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 14:38:29.69 ID:S/8RwteK0.net
>>70
畿内の古墳に副葬されてる道鏡で最上位は内行花文鏡
三角縁神獣鏡は棺外に置かれるなど扱いは低い

一方、古墳時代の九州では三角縁神獣鏡が上位に位置づけられている
内行花文鏡はほとんど出土しない
位至三公鏡など小さく低ランクの鏡に偏るのも九州の特徴

85 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 14:41:25.80 ID:HN4Ltb2f0.net
交通の要衝というのはそこに何かがある訳では無く
通過地点というだけでは?鳥栖みたいな

86 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 14:49:44.53 ID:eWfYJ57d0.net
神武も崇神もヤマトタケルも神功も全部、卑弥呼の同世代になっちゃうでしょうが?
神話なんだから、神武は2600年前で良いんだよ。
神話は、眉に唾つけて良いので、そのまま読んでください。

190年から247年までの筑紫には卑弥呼が居たんだから、
このころ、東海関東方面統合始めてる大和朝廷系は、九州から東遷はできません。

そもそも、古墳時代の400年以前って、地方豪族と大王の差が無くて
まだ王権確立してなくないか? 

倭の五御時代に繋がる
370年の七支刀貰った王権って
ちゃんと世襲で、繋がってる?

まあ、疑惑の継体天皇の話か?
まだ豪族同士の後宮で権勢争いの政治してないか?
源氏物語までか知らんけどw

87 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 14:53:27.24 ID:8TDnxfoD0.net
(其の1)
新井白石以来の邪馬台国論争は、畿内説・九州説を問わず、「糸島=伊都国説」を信奉信仰する人達ばかりであったといってよいのではないか。
しかし、一般的に末盧国と比定されている唐津市周辺から見て、伊都国であろうと思われる糸島市は、実は東〜北東の方角に当たる。
そこで近年は「東南陸行500里」を原文通りに読んで、
多久市・小城市・佐賀市(伊都国)・吉野ケ里(不彌国)を経由するいわゆる佐賀ルート重視の人たちが勢いを増している。

88 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 15:28:31.50 ID:UNKNcG7h0.net
宇佐って実にミステリアスだ。古代史上重要な役割を担ったはずなのに、
さっぱりわからない。オレが無知なのかもしれないが・・・。

まず、宇佐をローマ字にしてみろ。USAだ。これを見て不思議に思わないヤツはおるまい。
「うさんくさい」の語源もそうだろ。マジレスすると、宇佐神宮の祭神、ヒメ大神の由来も不明らしい。
卑弥呼だという人も居る。宇佐のある豊前は魏志倭人伝のクニのどこかに比定されてもおかしくない。
謎だらけ。

89 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 15:33:56.81 ID:Q0/5oZZ30.net
【行き】
末廬国(島根県の松江)から
【北に進んで】一大国(隠岐の島)
【北に進んで】日本海(東海)上にある絶海の孤島の対海国(鬱陵島)
【北に進んで】朝鮮半島の日本海(東海)側の辰韓の斯盧国(新羅)
【西に進んで】朝鮮半島沿岸を伝いながら弁韓の弁辰狗邪国(狗邪韓国)
【西に進んで】朝鮮半島沿岸を伝いながら黄海側にある帯方郡

【帰り】
朝鮮半島の黄海側にある帯方郡
【東に進んで】耽羅国(済州島)を南に見ながら
弁韓の弁辰狗邪国(狗邪韓国)
【東に進んで】日本海(東海)上にある絶海の孤島の対海(トウカイ)国
【南に進んで】一大国(隠岐の島)
【南に進んで】末廬国(島根県の松江)

・絶海の孤島の対海(トウカイ)国は対馬だ
・一大国は一支国だ
・一支国は壱岐だ
・末廬国は九州だ



邪馬台国を九州にするための妄想だよ

90 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 15:50:14.56 ID:hkoVhyxG0.net
>>65
当時大陸の威光なんてどれだけ通用したの?
大陸の存在自体認識ないだろ

91 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 16:01:53.11 ID:8TDnxfoD0.net
>>90
女王国の東、渡海千里のそのまた先の、倭種どものクニグニでは、まあそんなもんだったのだろうな
まことご明察。

92 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 16:18:41.73 ID:kw9Q2Y5L0.net
>>90
金、戦争に絡む情報伝達はものすご早い。
小なりといえど国の指導層となればバカじゃないし、大陸の文明を
認識はしていただろう。
もちろん、日本海を隔てていれば軍事的影響力は、限られていた
から、優位性を示し権威づける程度でしかなかったろうにしても。

93 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 16:29:09.53 ID:BXR+IFWC0.net
過去の日本で中国の権威、なんてものが日本に影響を及ぼしたことなんかあったっけ
近年の民主党以外記憶にない

94 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 16:47:42.21 ID:Q0/5oZZ30.net
>>93
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見し

後漢の地方官だった公孫度が遼東地方に樹立した半独立政権「帯方郡」とともに200年近く倭国王として君臨していた

天皇家の祖先の『後漢書』では「倭奴國」・日本の記紀では「筑紫城」

に、ポッと出の親魏倭王の邪馬台国が対抗するには

国産の鏡を、魏の皇帝からの賜り物だっつってばらまくぐらい
中国の権威に頼るしかなかったのだろうね

95 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 16:50:20.07 ID:kw9Q2Y5L0.net
安東将軍、日本国王

96 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 17:03:22.42 ID:BXR+IFWC0.net
>>94
それはお前の妄想だろ?
やっぱ記紀とかいう妄想伝をあてにする奴は妄想癖があんのか?

97 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 17:37:53.95 ID:z3K37JFk0.net
奈良に邪馬台国があったとしたら北九州にあったとされる国々を旅程に詳細に書いてその先を書かないのは余りにも不自然
普通に北九州にあったんだな

98 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 17:48:23.32 ID:8TDnxfoD0.net
(其の2)
古代唐津港の中原遺跡から、松浦川を上流へ向かい、小さな峠を越えて300里で佐賀平野の入り口の多久市に出る。
ここで東に折れ、小城市を経て200里、合計500里(37.5q)で伊都国に到る。

この伊都国の最有力候補地は、佐賀市山寄りの大和町の長崎自動車道北側・川上大願寺地区だ、
古代、ここには熊襲タケルの屋敷があったといい、その北の山中にはタケルの菩提寺もある。
今ここには古〜い太神宮(五社大明神)が残されており、藤原氏の祖を祀っている。
この大明神の祭神の一人が藤原の祖のタケミカズチノカミなのだが、実は其の父君の名は「伊都之尾羽張」といった。
これが「伊都国」の微かな名残りなのであろう。

99 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 17:55:46.59 ID:8TDnxfoD0.net
>>93
>過去の日本で中国の権威、なんてものが日本に影響を及ぼしたことなんかあったっけ

へ〜〜〜、知らんかったのか
日本の元号名は、御本家中国王朝/政府の大御用学者に御意見を伺ってから定める習わしだったのだよ。
ま、「令和」に関しては異例の経過だったらしいが、それでも中国の古〜い漢詩の一節に由来する元号なのだ。

100 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 17:59:29.31 ID:JnSBuZFk0.net
>>54
「実際と違う」ってどういうことだよ
マジで何言ってんだ?

101 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 18:02:29.40 ID:JnSBuZFk0.net
わざわざ>>36で「神武天皇と崇神天皇の間の天皇が特に何も功績あげてない」って言ってるのに
なぜか勝手に「神武天皇からずっと活躍してきた」って言ってると思って
「そんなに何代も活躍するわけない」とか言ってるんだろ
ほんと意味ワカランわ
マジでちゃんと文章読んでからつっかかってこいよ

102 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 18:07:08.30 ID:JnSBuZFk0.net
まぁバカに謎かけみたいな話をしてもしゃあないから
俺がわかりやすく説明するが
結局「神武東征」なんてのはただの集団移住で
その後何代かは可もなく不可もなく勢力をプラマイしてきたのが
少なくとも崇神天皇で大きく動いたんだろうってことなんだよ

で、逆から考えて
崇神天皇でいきなり活躍したとして
じゃあ崇神天皇は木の幹から生まれたわけじゃなくて先祖がいるわけで
その先祖も含めて後から天皇ってしたんだろっていう話

それを踏まえたうえで
神武天皇の先祖が神様ってしてるのを空想だとして
それは箔をつけるためってのはわかるけど
じゃあ逆に何の功績も上げてない歴代天皇は?っていう話を考えてみろよ
逆にリアルだろっつってんだろ

103 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 18:10:35.33 ID:JnSBuZFk0.net
藤原氏とか言ってるけど
藤原氏が仕切ってる間も天皇は続いてるだろ
功績あげてなくても

それを言ってるっつうのにマジで理解できずに>>54のレスしてる低能

104 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 18:11:28.44 ID:iQx/T5L40.net
馬鹿はシカトで良いんじゃね?(笑)

105 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 18:16:28.49 ID:iQx/T5L40.net
どうでもいいけどsage進行だと落ちるぞ馬鹿が

106 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 18:18:23.14 ID:8TDnxfoD0.net
>>102
んまあ、そんなところだったんだろう。
後世になって、ご先祖様を奉りハクを厚く塗りたくるために、東遷だ東征だなどと勇ましそうな物語をくっつけたってことよ。

107 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 18:31:58.93 ID:TKVDCer30.net
>>97
九州の国々は通り過ぎるから多く出てくる
到達点は畿内だったから大和国と1つだけ出ていると考えれば辻褄が合う

108 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 18:38:26.21 ID:J4H9cmHJ0.net
>>107
到達点んこと何も書いて無いけど、なんで到達点と分かるん?

109 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 18:40:27.95 ID:8TDnxfoD0.net
(其の3)邪馬台国佐賀ルート 
この「伊都国」と考えられる川上の大明神から東南の方角100里、つまり7qほどのところには佐賀市街(佐賀城・佐賀県庁等)が見える。
ここを「奴国」と呼んだのであろう。
倭人伝では東南至る100里とだけ書かれ、移動を示す動詞がないので、「東南の方向に奴国が見えま〜す」というバスガイド風の書き方だな。
つまり伊都国(川上大願寺)から奴国へは移動せず、その場にとどまったままの状態だ。

110 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 18:55:58.76 ID:TKVDCer30.net
>>108
到達点は邪馬台国つまり大和国と書いている

111 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 19:06:44.54 ID:J4H9cmHJ0.net
>>110
何に?

112 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 19:12:30.37 ID:TKVDCer30.net
>>111
魏志倭人伝に隋書倭国伝

113 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 19:16:22.14 ID:J4H9cmHJ0.net
>>112
すごい!初めて知ったわ それなのに未だに邪馬台国はどこかって
論争してんのか、まじ日本人って馬鹿の集まりなんやね
どこに書いてあるのか是非教えて欲しい 馬鹿の集まりのこのスレ住人に
ここだぞと教えていただきたいです先生

114 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 19:26:43.65 ID:TKVDCer30.net
>>113
邪馬台国は大和国なのは学会ではもう常識
いまだに謎だ謎だと言ってるのは九州説の本を売って儲けたい中国朝鮮系ステマ団体

115 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 19:31:35.50 ID:J4H9cmHJ0.net
>>114
学会って?学術会議とかですか?

116 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 19:36:19.97 ID:jPGyQb290.net
>>5
ヤライ、ヤラァイ、ヤマァイ とかそんな感じ

117 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 19:46:37.20 ID:8TDnxfoD0.net
(其の4)邪馬台国佐賀ルート
その次、東行100里至る不彌国は、移動を意味する動詞の「行」があるから、実際に伊都国から東の不彌国へ行ったという書き方なのだろう。
丁度100里ではないが、真東へ140里ほど行ったところにくだんの吉野ヶ里遺跡がある。
このあたりは、律令制下では三根郷(彌根郷)といった。これが不彌国という国名の面影であろう。

118 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 19:47:49.61 ID:TKVDCer30.net
>>115
史学界や考古学会

119 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 19:55:32.36 ID:J4H9cmHJ0.net
そういう所があるのか、いやーこういうスレに来れば
答えはすぐに分かるんやね もやもやが晴れました
知人にも教えてやろうと思います

120 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 20:03:30.80 ID:Kl8Etqnf0.net
「母集落と基礎地域の急激な消滅という事態は、前期から継続してきたきわめて安定した姿での農業共同体の内的発展を根底からくつがえすものであり、地域中心を荒廃させ、かつての集落の結合関係や地域の統一を寸断・解体させるほどの歴史的事態を想定させずにはおかないであろう。それは大和盆地という地理的にも大きな完結体が、もはやより大きな政治的権力によって一方的な政治的再編(あるいは軍事的・宗教的統合)を余儀なくされる過渡的な状況を示してはいないだろうか」

大和の弥生社会について寺澤のこんなの読むと、畿内説主流派の大和王権大和発生説も荒唐無稽に思える。でも明治維新のようなことが起こったという寺澤の論も荒唐無稽に思えるしな。
大和が外部勢力により蹂躙されたなら、その外部勢力の母国こそが倭国の王都だろう。
それは北部九州じゃないのか、と多くの人が考えると思うが、みんな何かに忖度してんだねw

121 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 20:40:47.35 ID:8TDnxfoD0.net
(其の5)邪馬台国佐賀ルート
吉野ヶ里というと「吉野ヶ里の遺跡」に限定する傾向があるようだが、実は、吉野ヶ里町は広い。東西幅は2-3qだが、南北長は20qもある。
佐賀平野では、他の市町村も似たり寄ったりで、北は脊振山系から、南はおおむね筑後川ないし有明海まで達している。
その境界の多くは脊振山系に由来する中小の河川や丘陵である。つまり細長い短冊を並べたような国邑配置になっているのである。
これは古代の国邑の境界の特徴で、川が天然自然の砦柵になっていたことから来ているのであろう。 ・・・続きはまた明日

122 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 20:41:45.23 ID:Q0/5oZZ30.net
>>96
妄想はおまえだよ

57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見した
『後漢書』の「倭奴國」漢委奴国王は
北部九州にあったのは確定している

123 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 20:42:56.21 ID:Q0/5oZZ30.net
>>97
北九州にあったとされる国々?
なんの根拠もなく北九州にあったと言ってるだけだぞ?

124 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 20:44:28.18 ID:Q0/5oZZ30.net
福岡の糸島市の三雲・井原遺跡や平原遺跡
佐賀の吉野ヶ里遺跡



「邪馬台国」より50年から100年前の

『後漢書』では「倭奴國」
『魏志』では「狗奴国」
『日本の記紀』では「筑紫城」

の遺跡である・・には

『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の「倭奴國」「光武賜以印綬」の記述
その記述の印綬が出土したこと
後漢の系統の鏡が多く出土していること
北宋(960年 - 1127年)が改めて成立させた中国の正史『唐書』(新)での、天皇家の記述

など、複数の根拠がある

125 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 20:46:00.14 ID:Q0/5oZZ30.net
福岡の糸島市の三雲・井原遺跡や平原遺跡
佐賀の吉野ヶ里遺跡は

『後漢書』では「倭奴國」
『魏志』では「狗奴国」
『日本の記紀』では「筑紫城」

より50年から100年後の「邪馬台国」の遺跡である

という九州説の根拠は、どこにも無い

なんの根拠もなく

北九州にあったとされる国々なんて言い張っているだけ

126 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 20:46:05.63 ID:J4H9cmHJ0.net
>>122
その「倭奴國」漢委奴国王って人が北部九州に居たってことは
確定してるの?何で分かるの?

127 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 20:48:08.82 ID:Q0/5oZZ30.net
>>126
金印が出土している

だろ

128 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 20:50:32.84 ID:J4H9cmHJ0.net
>>127
それだけで確定なのか 危ういね
金印はどこにでも運べるし、真贋論争は終わったんだっけ?

129 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 20:52:00.41 ID:Q0/5oZZ30.net
つまり

邪馬台国が北部九州なのかどうかはわからないが

邪馬台国の前の倭王
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見した
倭奴國は、北部九州にあったことは確定している

130 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 20:52:15.13 ID:n49o4j9A0.net
>>90
わけないだろw
大半が半裸の時代に、中国ではふつーに映画やドラマの服装だぜ。
鉄器なんて膨大にあったし、銅鏡なんて当時は既に誰も使わない。
中国の庶民の生活>>卑弥呼まわり>>>>>>>>倭国の一般民

鉄器で始皇帝は天下取ったし、蜀もなんとか戦えたんだよ。
日本最高の天才空海が衝撃受けて、あらゆる技術を習得して持ち帰
ったのが400年後の唐。卑弥呼の時代には天文学も数学もなかった。

131 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 20:52:52.62 ID:kw9Q2Y5L0.net
江戸時代の知識じゃ、金印の大きさは知られていなかったのに
大陸出土の同時期の金印と一致してんだろ?

132 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 20:53:09.20 ID:Q0/5oZZ30.net
>>128
金印も出土してねーのに

邪馬台国は北部九州とかいってるのは、もっとやべーわ(笑)

133 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 20:53:13.87 ID:VL5Hdtcm0.net
♪いまにみていろ 邪魔大王国
全滅だ!

134 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 20:56:39.46 ID:Q0/5oZZ30.net
>>128
金印も出土してねーのに

邪馬台国は北部九州とかいってるのは、もっとやべーわ(笑)

なにが根拠なんだ?

135 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 20:58:19.14 ID:WMIvXPlH0.net
>>7
それで行くならジャマド國だな

136 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 20:59:36.57 ID:J4H9cmHJ0.net
>>131
大きさは江戸初期にすでに解明されてる
尺度の関しては真贋論争にはならないが
その成分分析で今は本物と確定してる

137 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 21:01:02.73 ID:J4H9cmHJ0.net
>>134
金印出土が邪馬台国比定に、どの部分が関係してくるんだ?

138 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 21:07:26.34 ID:Q0/5oZZ30.net
>>137
親魏倭王の金印が出土すりゃ、そこが邪馬台国だろ?

九州から親魏倭王の金印が出土しても

128 ニューノーマルの名無しさん sage 2020/11/01(日) 20:50:32.84 ID:J4H9cmHJ0
>>127
それだけで確定なのか 危ういね
金印はどこにでも運べるし、真贋論争は終わったんだっけ?

なんて九州説者は言うのか?

139 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 21:09:27.43 ID:J4H9cmHJ0.net
>>138
何わけわからんこと持ち出してんだ?
論をぐちゃぐちゃにするために書いてんのか?
親魏倭王印がどこから出て来たんだよ

140 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 21:16:02.70 ID:J4H9cmHJ0.net
それと一つ言っとくが、仮にここが邪馬台国と書かれた木片が
発見されようとその発見状態や遺物を精査せずに、やっぱりここが
邪馬台国!などと言うのは、神獣鏡や桃の種で論戦張ってる
畿内派と同じだ 笑い者でしかない

141 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 21:20:43.30 ID:WMIvXPlH0.net
>>94
卑弥呼のオカゲで青銅鏡がバカ有卦、引く手数多。
輸入品だけでは賄いきれないので
国産化に踏み切った。

142 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 21:22:40.32 ID:BXR+IFWC0.net
邪馬台国、と書いた看板が当時あったとしても戦争の一つでもあって奪い去られた可能性もあるからね
決定的な証拠になり得るのは卑弥呼の墓ぐらいかな?

143 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 21:25:23.07 ID:Q0/5oZZ30.net
>>139
おまえ統合失調症かよ

漢委奴国王の金印が出土したから、倭奴國は北部九州にあった
親魏倭王の金印も出土してねーのに、邪馬台国は北部九州にあった

邪馬台国は北部九州とかいってるのは、もっとやべーわ(笑)

なにが根拠なんだ?

144 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 21:28:03.08 ID:J4H9cmHJ0.net
>>143
自己紹介は要らん 病気ならちゃんと治せや

そもそも邪馬台国は北部九州って「誰が」言ってんだよ
お前が勝手にそう言ってるだけじゃねぇか

とにかく病気はちゃんと治せな

145 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 21:30:19.59 ID:wZcE5cjL0.net
>>140
>神獣鏡や桃の種で論戦張ってる
>畿内派と同じだ 笑い者でしかない

神獣鏡や桃の種の何がどう問題だ?
罵ってるだけか?

146 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 21:32:49.32 ID:J4H9cmHJ0.net
>>145
その遺物の史料学的検証はどうされたんだ?
ただ出てきました成分分析では邪馬台国の時代と近いです

ってだけの話だぜ?どう邪馬台国と結びつけるんだ?

147 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 21:37:39.20 ID:WMIvXPlH0.net
>>124
吉野ヶ里は朝鮮人部落
倭人伝に合わせていろいろな建物を捏造

148 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 21:45:10.71 ID:Q0/5oZZ30.net
>>144
はい?

『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の「倭奴國」「光武賜以印綬」の記述
その記述の印綬が出土したこと
後漢の系統の鏡が多く出土していること
北宋(960年 - 1127年)が改めて成立させた中国の正史『唐書』(新)での、天皇家の記述

など、複数の根拠があるので

福岡の糸島市の三雲・井原遺跡や平原遺跡
佐賀の吉野ヶ里遺跡



「邪馬台国」より50年から100年前の

『後漢書』では「倭奴國」
『魏志』では「狗奴国」
『日本の記紀』では「筑紫城」

の遺跡である・・と言っているのだけど? >>124

149 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 21:47:25.24 ID:wZcE5cjL0.net
>>146
要するに、神獣鏡にしろ桃の種にしろ、それらが邪馬台国との関連でどういう意味を持つかも知らずに
単に魏志倭人伝に記述がないから無関係だと言ってるだけだな
自分の無知を棚に上げ、オレ様が理解できないものは無効だと、筋違いな批判をしてるわけだ

150 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 21:49:26.91 ID:T9PILg4P0.net
Go to 行ってきたけど、糸島や松浦は縄文より続くコテコテ海人族だと解ったわ
近海魚狙いではなく遠洋で大型魚まで狙ってたっぽいし、ひょっとしたら捕鯨も
やってたのかもな、この一帯の海人族は侮れと思った
国宝指定の国内産と思われる銅鏡は陶器同様大陸から連れてきた職工に造らせたものだろな

151 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 21:53:43.42 ID:J4H9cmHJ0.net
>>149
纏向を精査した関川、石野両考古学者が共著でだした暑さ10cmくらいの
「纏向」っていう膨大な資料を網羅した本がある。その中でも関川先生は
纏向は邪馬台国の時代ではないと言っておられる(石野先生は言ってないが)
先日も関川先生は新しく本を出された
それでは賢明な君の論を聞かせてもらおうか 逃げるなよ

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784870356801

152 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 21:54:22.53 ID:Q0/5oZZ30.net
『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の「倭奴國」への「光武賜以印綬」の記述の印綬が出土してる
「日本(大和政権)」は、(九州の)筑紫城に居た、古の「倭奴国(漢委奴国王)」であると天皇家が言った中国の正史がある
だから「倭奴国(漢委奴国王)」は九州にあった


親魏倭王の金印も出土していない
邪馬台国が九州にあったと書かれている書物も無い
なのに、「邪馬台国(親魏倭王)が九州にあったと、なにを根拠に言ってるん?

153 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 21:58:39.69 ID:Q0/5oZZ30.net
『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の「倭奴國」への「光武賜以印綬」の記述の印綬が出土してる
「日本(大和政権)」は、(九州の)筑紫城に居た、古の「倭奴国(漢委奴国王)」であると天皇家が言った書物(中国の正史)がある
だから「倭奴国(漢委奴国王)」は九州にあった


親魏倭王の金印も出土していない
邪馬台国が九州にあったと書かれている書物(中国の正史)も無い
なのに、「邪馬台国(親魏倭王)」が九州にあったと、なにを根拠に言ってるん?

書物(中国の正史)なんか、むしろ、
「邪馬台国は大和だよ」という書物(中国の正史)しかねーんだけど

154 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 21:58:43.81 ID:jPGyQb290.net
>>149
桃の種がどう邪馬台国に関連するんだ?

155 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 22:08:15.84 ID:wZcE5cjL0.net
>>151
関川編年には他の考古学者は同意していない
標準的年代観とあまりにもずれている
交差年代を考慮していない等、重大な欠陥があると思われる
異端の考古学者が一人で反対しようと大勢に影響なし

156 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 22:09:22.81 ID:wZcE5cjL0.net
>>154
桃の種そのものは関係ない

157 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 22:40:27.59 ID:LcW6X4QN0.net
>>100
天武で背乗りはほぼ確実でしょ
認めたくない気持ちは判るが

158 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 22:50:15.03 ID:JnSBuZFk0.net
>>157
どういう妄想してんの?

159 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 22:54:57.67 ID:Q0/5oZZ30.net
『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の「倭奴國」への「光武賜以印綬」の記述の印綬が出土してる
「日本(大和政権)」は、(九州の)筑紫城に居た、古の「倭奴国(漢委奴国王)」であると天皇家が言った書物(中国の正史)が残ってる
だから「倭奴国(漢委奴国王)」は九州にあった

じゃあ

『魏志』「倭人伝」の「邪馬台国」への「今以汝為親魏倭王 假金印紫綬」の記述の金印も出土していない
邪馬台国が九州にあったと書かれている書物(中国の正史)も無い
なのに、「邪馬台国(親魏倭王)」が九州にあったと、なにを根拠に言ってるん?

書物(中国の正史)なんか、むしろ、
「邪馬台国は大和だよ」という書物(中国の正史)しかねーんだけど

160 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 23:02:56.77 ID:J4H9cmHJ0.net
あ〜あ 否決されちゃったぜつまんね

つうかまだそんなこと言ってのか呆れるわ その伝聞はどこ引きのなんだ?
日本が古の倭奴国だと天皇家が言ったって部分
王年代記にも天皇家が言ったなんて一言もかいてねぇぞ?

しかも王年代記には23代居たと書いてあるのに32代と誤記してるしな
もちろん王年代記のことは承知してるよな?

161 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/01(日) 23:44:43.36 ID:J4H9cmHJ0.net
真理を愛する若い全国の学生諸君に訴える。
骸骨がネクタイを締め、背広を着て、教壇に立ち、
骸骨万葉学の講義を行い、学生諸君を骸骨化
しようとしている。

原田大六 『万葉革命』 序文

昭和にはこういう気骨のある天才考古学者がおられた
何人かでもその意思を継いでいる学者が居ることを願うのみ

162 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 00:47:51.70 ID:3HVOI94Q0.net
やっぱ九州だよな

山口県を投馬国とする説より

魏志倭人伝の方角基準
https://i.imgur.com/ROzuNPh.png

魏の時代の三韓の一つ馬韓50国に対し、倭国は30国
4千里四方と表現された韓国領土に対し、周旋5千里と書かれた倭
https://i.imgur.com/SrtRAmy.png

163 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 01:08:31.41 ID:Xj2VDidt0.net
USAぴょんだに

164 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 02:22:48.90 ID:RuRjUaBS0.net
オンラインゲームのチームが、お互いをブロックしあう最悪の結末を迎えて崩壊した話。
http://socisy.vasuarte.net/ctcs/yNLx8ePK7u.html

「5億円稼いだら辞めると決めていた」カカクコムを創業し、28歳でリタイアした男の今
http://socisy.vasuarte.net/vtcs/x4YUlduymI.htm

165 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 05:13:39.65 ID:xQkeODR90.net
>>81
よく読め、10アール当たりの収穫高だ。
和名抄読んでも魏志倭人伝読んでも米粒の大きさまで書いてないだろ。
米粒の大きさが日本全国全く同じはずがない。
風土記には土壌の格付けが書いてある。
土地土地で米粒の大きさに大小あるのは
土中の窒素、燐酸、カリの三大肥料分、鉄、アルミニューム、亜鉛、塩分など
ミネラルの混入割合で変わってくる。
こういう傾向は地殻変動が無い限り1000年、2000年で変わるものじゃない。

166 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 06:01:19.64 ID:DIS+Lv6f0.net
>>165
それはないわ
農法そのものが変化してるんだから土中の成分は変わらなくても出来上がる米は昔と今では全然違うはずよ

167 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 06:34:23.74 ID:PkrqEguI0.net
豊前と豊後があるってことは、その中心は豊国

とよのくに=台与の国だぞ

168 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 07:00:39.94 ID:xQkeODR90.net
>>166
九州は火山が多く酸性土壌が多い。
酸性土壌におけるアルミニウムの解毒と有機酸土壌がアルカリ性になると植物の金属元素欠乏症などが問題となるが,
逆に酸性が強くても土壌から溶出してくるアルミニウムの植物生育阻害作用によって多くの植物はダメージを受ける.
しかし, 植物によっては, 根から有機酸類を放出して, 根圏の有害アルミニウムを錯体として解毒することが知られている.
たとえば, アルミニウム耐性のインゲンマメ(8,9)やエビビスグサ(10)はクエン酸を,
アルミニウム耐性のコムギ(8,11)はリンゴ酸 (図1) を, またソバ(12)はシュウ酸を根圏に放出して
アルミニウムを解毒していることが報告されている。

169 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 07:23:28.85 ID:sodIgaVD0.net
今度はこっちか、まだ諦めないのか?卑弥呼は中国人だ、巫女鬼道と神仙思想を合わせたのが五斗米道、天地水の神を崇め、桃園を守るのが西王母、桃はばん桃えに使うんだよ。孝安天皇がカセフに果物使ったというがそれは何か知らん。箸墓から始りその後も続くんだから、九州だと卑弥呼以後東征したことになるだろ、神武前までが筑紫だろ?ただ宇佐は興味深いよな、後秦王国だな

170 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 07:51:05.21 ID:DIS+Lv6f0.net
>>168
なんか話が通じなさ過ぎてもう突っ込む気にもなれん

171 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 08:18:05.63 ID:3ZCzzL4X0.net
>>42
なにも生み出せないお前は関わるなよ

172 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 08:20:18.32 ID:8dPQemyr0.net
>>169
中国人なのかどうかは、よくわからない。

前漢書地理誌燕地条の時代でも、倭国百余国が通じてる。
つまり紀元前の頃

最古の記録の論衡には、周の時代の紀元前10世紀頃まで遡る。
ぽっと出の中国人なのかどうかなんて、わからんよ

173 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 08:31:41.72 ID:0JG02Sc30.net
記紀は信憑性0ではない。創造部分も多いが伝承(やそれ以前の文献)が
元になっている部分も残っているはず。

174 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 08:36:35.94 ID:840UQWsS0.net
ねーよ
ね―んだけど

どっかで聞いたような口癖だなー、たぶん学者肌じゃねえな。

175 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 08:59:55.60 ID:0JG02Sc30.net
>>58
8世紀の淡海三船にはわかってたんだろうな

176 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 09:07:00.69 ID:0JG02Sc30.net
>>158
天武は天智の弟じゃなくて、天智を殺して大王位を簒奪したあと、
藤原氏と結託してあらたに天皇という地位を作った。

ちなみに王位の簒奪は応神と継体の時にも起きている。最近は
継体は崇神系なんじゃないかなと思ったり。

つまり

崇神(=神武)
応神(=仁徳)
継体(崇神系)
天武
光仁(継体系)

と王朝は遷移しているのではないかという妄想。

177 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 09:09:06.04 ID:80GdYnPR0.net
邪馬台国の話もパヨクに悪用されてるしな
そもそも魏志倭人伝が流言飛語に近いんだって理解しろ
国内伝承の古事記日本書紀とは比べものにならない

178 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 09:30:07.76 ID:GqUGYc6G0.net
箸墓古墳の皇族は築紫城(佐賀)から来たんだから邪馬台国卑弥呼は佐賀で合ってる

倭人伝の
郡より倭に至るには、海岸にしたがって水行し、韓国をへて、あるいは南し、あるいは東し、其の北岸狗邪韓国に至るまで、七千余里。初めて一海を渡り、千余里にして対馬国に至る。  
対馬国=対馬

また南のかた一海を渡ること千余里、名づけて瀚海と曰い、一大国に至る。
一大国=壱岐島

また一海を渡り、千余里にして末盧国に至る。四千余戸あり、
末盧国=長崎滋賀
政治を行う場所が佐賀
古墳武器遺跡出土全部揃った場所
実際行ったのは伊都国(福岡)まで
実際卑弥呼がいたのは熊本あたりだろ

179 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 09:34:04.46 ID:282ao5GE0.net
記紀の2600年前からAD200年までの、
万世一系構成の為の年号での物語全部は
登場人物のキャラクター設定とは無関係に、
九州筑紫の実話、歴史である倭人伝の卑弥呼
と被る150年〜250年の間に集約される って話だろ?

で、九州は、245年まで、大和朝廷の形成に参加してない。
日本の古代史が、正常に語れるようになるためには、
本州200年までの銅鐸時代と300年辺りからの高句麗牛馬の移入の歴史を
倭の五王含めて、日本の歴史学者はもう少しきちんと整理する必要が有ると思うぞ。
真実を可視化するってのは、学者の後世への責任だろ?
朝鮮半島人の歴史認識に合わせないと、真実は生まれないの?

考古学はなんで時系列、史書の方角までw を修正してまでも、
創られてるストーリーに同調してんの?
皇室御用達の御用学者なの? 
現代じゃ、中学生にも見えてる話なんだよ。

180 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 09:41:13.88 ID:GqUGYc6G0.net
>>179
なんか修正してるとこあるの
古代文字や神代文字も消されたんだからしょうがないね
日本書記と倭人伝が重なる所が佐賀なんだよ

181 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 09:46:54.30 ID:zN58izEv0.net
>>179
近畿民族=半島民族だから思考が一緒なんだよ
あいつら歴史は想像で書き換えるものだと思ってるんだから

182 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 09:57:58.87 ID:ds6soRTs0.net
>>179
57年の漢委奴国王とか
107年の倭面土国王帥升とかは?

とくに帥升の倭面土(ィワミェント)なんかはこれヤマト国だろー

183 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 09:59:15.96 ID:5L1tCtIn0.net
記紀の神代は九州と出雲の話ばかりだよな
神話にしろなんにしろ、日本の始まりはこの2大勢力によって
もたらされたと見て良いんじゃないかね
出雲に国譲りを迫り、九州から東遷あるいは東征を経て古墳時代突入だね
つまりは邪馬台国の東遷だね。

184 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 10:10:38.46 ID:282ao5GE0.net
魏時2回の使譯によって通じた、倭人国30国は、
狗邪、對海、一大、末盧、伊都、奴、不彌、これは倭人船の行程での地名の7国 と
斯馬、巳百支、 伊邪、都支、彌奴、好古都、不呼、姐奴、對蘇、蘇奴、呼邑
華奴蘇奴、鬼國、為吾、鬼奴、邪馬、躬臣、巴利、支惟、烏奴、奴國
此女王境界所盡 ↑ 女王所属、共立王の次有列記21国。行程と所属で奴国は重複。
概念が違う国名として、投馬国可5万戸、邪馬台国可7万戸、以南狗奴国の三国です。

今 使譯 所通 三十國 從 郡至倭 には、
邪馬台国所属21国が 魏使の説明には絶対必要の女王国所属国であって
其餘旁國遠絶 不可得詳の国 には絶対になりません。其餘旁國遠絶の例は、
又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里又有裸國黒齒國在其東南船行一年可至
です。

01 倭人 在 帶方 東南 大海之中 依山㠀 為國邑 舊百餘國 漢時 有 朝見者
02 今 使 譯 所通 三十國 從 郡至倭

03 循海岸 水行 歴韓国 乍南乍東 到 其北岸 狗邪韓國 七千餘里
04 始度 一海 千餘里 至 對海國 其 大官日 卑狗 副日 卑奴母離
05  所居 絶㠀 方可 四百餘里 土地 山險 多深林 道路 如禽鹿徑
06  有千餘戸 無良田 食海物 自活乗船 南北市糴
07 又 南 渡 一海 千餘里 名日 瀚海 至 一大國 官亦日 卑狗 副日 卑奴母離 方可三百里 
08  多竹木 叢林 有三千許家 差有 田地耕田 猶不足食 亦南北市糴
09 又 渡 一海 千餘里 至 末盧國 有四千餘戸
10  濱山海居 草木茂盛 行 不見前人 好捕魚鰒 水無深淺 皆 沉没 取之
11 東南 陸行 五百里 到 伊都國 有千餘戸 官日 爾支 日 泄謨觚 柄渠觚
12  丗有王皆統屬女王國 郡使 往來 常所駐

13  東南 至奴国 百里 官日 兕馬觚 副日 卑奴母離 有二萬餘戸
14  東行 至不彌國 百里 官日 多模 副日 卑奴母離 有千餘家

185 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 10:58:22.73 ID:Z6W15OsX0.net
>>176
継体の話もそうだけど完全に妄想だよね
大昔の話だから妄想する余地があるから妄想してる
っていうレベルの話で否定も肯定もしようがないだけで

186 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 11:02:43.92 ID:zN58izEv0.net
考古学会はいい加減すぎる
一歩間違えば歴史捏造事件の再発だ

■纏向遺跡の桃の種が埋まっていたのは建物周辺の柵列の下(別の遺構)
https://i.imgur.com/J2EZhbs.png
建物とお供え物の桃が同時期に存在したとは言えない

■纏向遺跡の特徴
・木製の土木用具が多数出土
・東海産の飯炊き土器および残飯が出土
・住居や農耕の痕跡はほとんどない
・九州および半島や大陸との交易の痕跡無し
・弥生時代の遺構そのものが極めて少ない
・周辺に大型古墳多数あり
・銅鐸の破片も出土

■現時点で言い得ること
・纏向遺跡は古墳建造時の土木事務所あるいは葬祭時の斎場だった
・葬祭の様子は史書に記載されており女王との関連性は記載されていない
=卑弥呼と葬祭は無関係である

187 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 11:05:04.79 ID:z1lcEo5e0.net
そんな事より徳川埋蔵金探せよ

188 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 11:07:09.33 ID:ds6soRTs0.net
>>187
そんなもんがあるなら、財政難で苦しんだ歴代将軍がとっくに使っちゃってると思う

189 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 11:07:36.05 ID:282ao5GE0.net
>>182
>帥升の倭面土(ィワミェント)

三国志時代、魏志の倭人伝風の漢字化だと、
倭彌奴国とか、彌都国で良いのでは?

帥升は、普通に九州の倭人名っぽい
本州人を疑うのは、国名を冠していない
伊都の官、泄謨觚、柄渠觚、奴国の官、兕馬觚、だけど、

シマ、とか、ヘコの当て字違いってことは、卑弥呼所属国の大夫
奴国の難(奴ナの)升米、都支国(都市)牛利、巳百支国(伊聲耆)掖邪狗
を見ても、有りがち。

190 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 11:10:18.39 ID:Z6W15OsX0.net
浮気相手の子種でした
とか言い出したら世界中の王族の血脈疑えるわな

191 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 11:20:04.96 ID:delVuzA10.net
まずぽっと出は五斗米道、漢尺、秦の度量衡を知っているのならもうすでに反映されている、前方後円墳を造ったのは中国人、おそらく張政ら。欠史八代は確かに卑弥呼政権の官であることは考えられる、神武はフィクション の可能性が高く神話時代が九州委奴国。帥升はスサノオかもしれない。

192 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 11:26:53.22 ID:282ao5GE0.net
>>186
邪馬台国論争の為の論拠として首都遺跡ではないというのは判る。
卑弥呼は190年筑紫統合。 

でも、時系列で300年なら古墳、創成期で奈良に王墓を作るべき
東海他含む、広域での徴兵、軍事集権が成立していたことは納得できる。
軍事と政治の都は、河内、摂津かな?

193 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 11:38:04.66 ID:shpWMu+50.net
>>172
周への朝貢は倭人の話であって、日本の話ではないからな

194 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 11:41:09.70 ID:8dPQemyr0.net
>>193
その倭人が日本列島に住んでいたかどうかがわからないのは事実だが、日本列島に住んでいなかったとは断定できないよ。

195 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 11:42:33.57 ID:ZH6GQPCn0.net
>>1
タイトル詐欺
邪馬台国が蘇る気配すらない

196 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 11:48:47.62 ID:xQkeODR90.net
>>170
事実は魏志倭人伝よりも奇なり。
ボクシング・WBA・IBF世界バンタム級タイトルマッチ」(31日、ラスベガス)
井上VSモロニー パンチ数ほぼ同数も強打のヒット数に倍近い差
合計パンチ数は井上が338発、そのうち107発がヒットしてヒット率は32%。
モロニーはほぼ同数の334発を放ち62発がヒットして、ヒット率19%だった。
(2020年11月1日 14時8分 デイリースポーツ)

米粒の大きさの違いはこれと似たような物
松本隆作詞筒美京平作曲「木綿のハンカチーフ」で

涙拭けよw 数字は残酷なものだな。

京都米が1000粒で腹いっぱいになるとすると
米粒が小さい福岡米は1200粒かそれ以上食えばいいんだ
「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる」というだろ。

197 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 11:51:50.65 ID:282ao5GE0.net
>>184 は 伊都まで積算1万500里の
247年張政の、倭人船利用の倭人寄港地、宿所での行程。

61 正始元年 太守弓遵 遣 建中校尉 梯儁 等 奉詔書 印綬 詣倭国 拝仮倭王
62 并齎詔賜 金帛錦罽刀鏡采物 倭王 因使 上表 答謝 詔恩
の 240年の梯儁の魏軍による行軍については、というと、

15 南至 投馬國 水行二十日 官日 彌彌 副日 彌彌那利 可五萬餘戸
16 南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月
17  官有 伊支馬 次日 彌馬升 次日 彌馬獲支 次日 奴佳鞮 可七萬餘戸

18   自 女王以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳

19  次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
   次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國
  次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國
  次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國
20   此女王境界所盡
21 其南 有 狗奴國 男子為王 其官有 狗古智卑狗 不屬女王
22 自郡 至 女王國 萬二千餘里

全行程は萬二千里。たったこれだけの報告。 追加情報として
50 其國 本亦 以男子 為王 住七八十年 倭國 亂相攻 歴年 乃 共立 一女子 為王
51 名日 卑弥呼 事鬼道 能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟 佐治國
52 自為王 以来少有見者 以婢千人自侍 唯有 男子一人 給飲食 傳辭 出入 居處宮室
53 樓觀 城柵 嚴設 常有 人持兵 守衛
これは、唯一魏時に女王宮まで行った梯儁 の情報。
で、
54 女王國 東渡海 千餘里 復有國 皆倭種
55 又有 侏儒國 在 其南 人長三四尺 去女王 四千餘里 又有 裸國 黒齒國 在 其東南 船行一年可至
56 参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連周旋可五千餘里

で、船行一年を要しても果てが無い倭国の中で
たった、周旋可五千餘里が女王の境界内の21国である。 と陳寿は記録した。

周旋可五千餘里 では、対馬海峡は往復できない。 
倭人伝を読む基本、陳寿の倭人伝里での、里程換算の程度は判ったかな?

198 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 12:17:40.08 ID:ds6soRTs0.net
>>197
>たった、周旋可五千餘里が女王の境界内の21国である。 と陳寿は記録した。
或絶或連 周旋可五千餘里 を 「隔絶しあるいは連なり倭国の地を巡り歩くと五千余里である」と読めば、
狗邪韓国までが七千里、そこから万二千里の残り五千余里を巡り歩けば邪馬台国に着くことになる

199 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 12:47:40.30 ID:uAQHrSor0.net
九州説は前方後円墳をどう考えているんだよ?いつ誰が造ったというのよ、環丘方丘だよ、倭の独自性から産まれたとか無しよ、漢尺で天地水で桃に鏡、何者よ?九州の卑弥呼になんで中華は親切なのよ?中国人の巫女だからだよ

200 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 12:53:21.98 ID:ds6soRTs0.net
>>199
ヤマト王権というものを考えたときに、古墳の形や大きさは大事なのだと思うが
こと邪馬台国・卑弥呼というものを考えた時には、古墳の大きさや形なんかよりも殉葬の有無・数の方が断然重要になってくると考えてる

201 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 12:55:28.49 ID:1fGcB5Wa0.net
>>199
今ごろ何言ってんだよ?w
史書には倭人は呉越の末裔と言っている

と書いてあるじゃん

202 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 12:55:32.61 ID:YGn0cL140.net
>>162
『魏志』「倭人伝」の「邪馬台国」への「今以汝為親魏倭王 假金印紫綬」の記述の金印も出土していない

邪馬台国が九州にあったと書かれている書物(中国の正史)も無い
なのにまーーた、

なんの根拠もなく

・対海(トウカイ)国は対馬だ
・一大国は一支国だ
・一支国は壱岐だ
・末廬国は九州だ

かよ

書物(中国の正史)なんか、むしろ、
「一支国は対馬から東だよ」「邪馬台国は大和だよ」という書物(中国の正史)しかねーんだけど

203 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 13:04:47.18 ID:840UQWsS0.net
>>179
>皇室御用達の御用学者なの?

それには別の見方もある。
真実は・・、皇室というより、京都帝国大学御用達の御用学者というべきだろう。

204 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 13:09:22.49 ID:840UQWsS0.net
倭人伝には壱岐のことは一大国と書かれている。
別史の云う対馬の東の一支国は、地理歴史から判断して、後世、重要寄港地に浮かび上がった沖ノ島のことだ。

205 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 13:12:01.35 ID:mcvTZBAh0.net
何でも邪馬台国って付けないと見に来ないんだろうなぁ
九州説とか言う人は行って金落としてやれよw

206 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 13:17:32.80 ID:ZlKx+VZk0.net
>>204
対馬から南が一大国
また南のかた一海を渡ること千余里、名づけて瀚海と曰い、一大国に至る。
一大国=壱岐島

207 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 13:26:15.87 ID:840UQWsS0.net
>>205
>何で邪馬台国って付けないと見に来ないんだろうなぁ

その後に「金印貰った女王・・」と続くから、金と女に男どもが目の色を変えて集まるのだ。
ヤマタイ国とハゲ山だけでは人は呼べぬ。

208 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 13:29:57.15 ID:840UQWsS0.net
>>206
確かに、古代の一大国=現在の壱岐の島
しかし、古代の一支国=現在の沖ノ島

209 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 13:34:11.45 ID:xQkeODR90.net
>>202
日本で唯一漢字の上古音を載せた藤堂明保氏は
「対海」を「トゥ マイ/モイ」と読んで
学研版漢和大辞典ではməi(mの下に無声化を表わす補助記号「。」を付けてる)と
発音記号を付けてる。

つまり「海」は「馬」の近似音
元明天皇の御世、和銅6年(713年)5月に諸国郡郷名著好字令という
勅令が発せられた。

オマエ等九州説バカ信者は倭人伝と日本書紀だけで
邪馬臺国問題が解決できると思ってたら大間違いだぞ。

210 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 13:48:50.48 ID:5L1tCtIn0.net
>>194
周に朝貢していたのは、九州の海洋系縄文の流民かもし知れんね
古代の「倭人」は黄海や東シナ海沿岸域の山東省や遼寧省・江南地方まで渡航していたようだし
現地民との混血も多少はあったのかも、朝鮮半島沿岸域に進出していた海洋系縄文の様にね
九州の大陸系支石墓の埋葬者が渡来系ではなく在地系なのも合点がいくし。

211 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 13:49:57.46 ID:30w4/Jhc0.net
>>1
宇佐と宇佐美って関係あ〜るの?

212 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 13:55:49.60 ID:YGn0cL140.net
>>183
北部九州から出雲(島根県)、伯耆(島根県西部)、因幡(島根県東部)、北陸(富山)、までの話が中心になるのは
古代の航海技術では大陸側の日本海が表日本だったから

東征したのは『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の「光武賜以印綬」の記述にある印綬が出土した
『新唐書』「卷220 列傳第145 東夷」の「皆以 尊 爲號 居築紫城」の記述にある
初代の国王は「天御中主ヶと名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている。
彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、筑紫城に存在していた。
彦瀲の子の「神武」が継ぎ立ち、あらためて天皇を名乗り、大和州に移り住んでその地を治めた「倭奴國」です

ちなみに

『新唐書』巻二二〇、東夷日本伝に「咸亨元年、遣使賀平高麗、後稍習夏音、悪倭名、更号日本」の記述があり

百済復興を図って唐との対決を決意して白村江の戦いを指揮するため西下して、斉明天皇と供に筑紫の朝倉宮に滞在した天智天皇が
白村江の戦いに大敗して、667年に近江大津宮(現在の大津市)へ遷都した後に、国名を倭(ヤマト)から日本に代えたことがわかる

天智天皇は、唐との対決に破れた後の669年に遣唐使を派遣しており、その直後の671年に

対馬国を経由して唐使「郭務悰」が2000人の軍兵と思われる多人数の使者で突如来航し、天智天皇が近江に東遷後の筑紫国に駐留し占領

天智天皇は交渉の末に、唐使らに大量の甲冑弓矢の武器や布などの贈物をすることで駐留占領状態を解除してもらっている

213 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 13:56:41.17 ID:YGn0cL140.net
>>209
なんの根拠にもならねーじゃねーか

214 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:03:35.85 ID:xQkeODR90.net
好字令は『続日本紀』和銅六年(七一三)五月二日条に
「制、畿内七道諸国郡郷名着好字」とあり、これに基づいたとみられる
『延喜式』民部省には「凡諸国部内郡里等名、並用二字、必取嘉名」とみえる。
   *嘉≒善,美 【書·大禹謨】嘉乃丕績。
それまで一〜四字と不統一で、一つの地名に幾通りもの文字使いがあった
国・郡・郷(里)などの行政地名を、中国風の二字・好字に改訂し、
固定化させようとしたもので、中央政権の地方支配を貫徹せんとするものであった。

215 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:07:27.86 ID:s6D0WugJ0.net
そもそも、陸路1ヶ月いったら九州からはみ出る時点で、九州には無いの確定してるだろ

216 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:07:46.51 ID:O/n8tKZZ0.net
>>194
断定とか言い出したらそもそも朝貢があったことすら不確定なんだがw
倭人伝でわざわざ海南島の風俗と同じと言及してるのは恐らく論衡の記録を念頭においている
事実かどうかは兎も角、少なくとも中原では暢草を献じた倭人は海南島に住んでいたと認識していたという事
暢草って南方で採れる薬草らしいからね

217 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:10:54.67 ID:zN58izEv0.net
>>215
陸路1ヶ月だと日本中どこでも海に落ちる
1日の転記ミスと見る方が妥当だよ

218 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:13:44.07 ID:YGn0cL140.net
ちなみに

『新唐書』巻二二〇、東夷日本伝に「咸亨元年、遣使賀平高麗、後稍習夏音、悪倭名、更号日本」の記述があり

百済復興を図って唐との対決を決意して白村江の戦いを指揮するため西下して、斉明天皇と供に筑紫の朝倉宮に滞在した天智天皇が
白村江の戦いに大敗して、667年に近江大津宮(現在の大津市)へ遷都した後に、国名を倭(ヤマト)から日本に代えたことがわかる

天智天皇は、唐との対決に破れた後の669年に遣唐使を派遣しており、その直後の671年に

対馬国を経由して唐使「郭務悰」が2000人の軍兵と思われる多人数の使者で突如来航し、天智天皇が近江に東遷後の筑紫国に駐留し占領
天智天皇は交渉の末に、唐使らに大量の甲冑弓矢の武器や布などの贈物をすることで駐留占領状態を解除してもらっている

このときの、唐の2000人の軍兵派兵の行程が、唐が書いた隋書に記述されている

百済へ渡り、竹島に至る。南に耽羅国を望み、はるかな大海の中にあるツシマ国を経て、また東のイキ国へ至る。またチクシ国へ至り、また東の秦王国に至る。

であり

邪靡堆(ヤビタイ)を都にする。すなわち、魏志の言うところの邪馬臺(ヤバタイ)

であり

新唐書に記述されている「日本は古の倭奴(わど)国である」である

219 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:14:04.15 ID:ds6soRTs0.net
>>215
まじかー
じゃあ近畿説だと上陸地点はどの辺だ?なぜそんなところで上陸しようと思ったのか

220 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:15:09.27 ID:s6D0WugJ0.net
>>217
落ちないよ
九州限定で考えると落ちてしまうから「九州説を成立させるために」転記ミスってことにしてるんだろ

221 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:16:37.71 ID:s6D0WugJ0.net
>>219
畿内説は上陸地点も色んな説があるんだけど
九州説は既に確定してるんだっけ?
何故そこに上陸したのかという理由も確定しているのなら
是非ソースつきでみてみたいなあ。

222 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:19:01.16 ID:3ZCzzL4X0.net
この手のスレで連投してる奴って
なにかしら攻撃的だよなあ
どこか病んでる

223 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:28:15.65 ID:xQkeODR90.net
>>221
九州説は単なる語呂合わせ、駄洒落レベルwww

224 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:34:52.67 ID:282ao5GE0.net
>>198
>狗邪韓国までが七千里、
そこから万二千里の残り五千余里を巡り歩けば
邪馬台国に着くことになる

狗邪韓国からだと、対馬海峡北岸から渡海3千里、
残り2千里を南へ一直線の五千里になっちゃうのでは?

邪馬台国21国は、渡海3千里の対岸の狗邪、対海島、一大島は含まず、
邪馬台国=九州北岸上陸〜南北一月行=九洲等北部3分の1、
の中にある、次有列記21国で、7万戸=此女王境界所盡、女王国。

15 南至 投馬國 水行二十日 官日 彌彌 副日 彌彌那利 可五萬餘戸
16 南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月
17  官有 伊支馬 次日 彌馬升 次日 彌馬獲支 次日 奴佳鞮 可七萬餘戸

18   自 女王以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳

19  次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
   次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國
  次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國
  次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國
20   此女王境界所盡
21 其南 有 狗奴國 男子為王 其官有 狗古智卑狗 不屬女王
22 自郡 至 女王國 萬二千餘里

補足説明
56 参問 倭地 絶在 海中 洲㠀之上 或絶 或連 周旋可 五千餘里

225 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:36:30.41 ID:ZlKx+VZk0.net
>>208
一大国=一支国=隠岐の島じゃね
沖ノ島なんて小さい島どこの資料に出てるの
>>221
畿内説を倭人伝に沿って上陸地出して

226 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:38:10.79 ID:YGn0cL140.net
『新唐書』巻二二〇、東夷日本伝に「咸亨元年、遣使賀平高麗、後稍習夏音、悪倭名、更号日本」の記述があり

百済復興を図って唐との対決を決意して白村江の戦いを指揮するため西下して、斉明天皇と供に筑紫の朝倉宮に滞在した天智天皇が
白村江の戦いに大敗して、667年に近江大津宮(現在の大津市)へ遷都した後に、国名を倭(ヤマト)から日本に代えたことがわかる

天智天皇は、唐との対決に破れた後の669年に遣唐使を派遣しており、その直後の671年に

対馬国を経由して唐使「郭務悰」が2000人の軍兵と思われる多人数の使者で突如来航し、天智天皇が近江に東遷後の筑紫国に駐留し占領
天智天皇は交渉の末に、唐使らに大量の甲冑弓矢の武器や布などの贈物をすることで駐留占領状態を解除してもらっている

このときの、唐の2000人の軍兵派兵の行程が
唐が書いた隋書に記述している

百済へ渡り、竹島に至る。南に耽羅国を望み、はるかな大海の中にある都斯麻国を経て、また東の一支国へ至る。また竹斯国へ至り、また東の秦王国に至る。
そして十余国を経て邪靡堆(ヤビタイ)を都にする。すなわち、魏志の言うところの邪馬臺(ヤバタイ)である

そして、筑紫国に駐留し占領した2000人の唐軍に対して、天智天皇が説明したのが、新唐書に記述されている

日本(大和政権)は古の倭奴国(漢委奴国王)である
その国王(天皇)が自ら言うには、
初代の国王は「天御中主」と名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている。
彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、筑紫城に存在していた。
彦瀲の子の「神武」が継ぎ立ち、あらためて天皇を名乗り、大和州に移り住んでその地を治めた。

227 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:40:21.76 ID:d2Xy6XAP0.net
北九州だけど大昔の海岸線くらいのところに
古墳じゃないかなというちいさな盛り上がりがたくさんあるよ
何個かは神社になってる

228 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:40:53.11 ID:mcvTZBAh0.net
新唐書のことを書いてる人がるけどアレは九州説どころか九州説全否定の内容だと思うんだけど
中国通史を見ると中国は邪馬台国の位置を大和だと認識してる
当然九州王朝なんて全く考えてない
勿論、唐軍が九州を占領したなんて話もない

どこから出てきた話なのか理解に苦しむ

229 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:48:03.75 ID:VJ3iE06v0.net
邪馬台国奈良説とか初めて聞いたが
どういう理由と どういう証拠があって奈良が邪馬台国と言っているんだろう

230 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:48:14.16 ID:mcvTZBAh0.net
簡単に中国の日本の記載をまとめるとこうなる

@魏志
・一大卒が九州にいる

A梁書、北史
・台与の後に男性王が即位して、晋、宋、斉、梁、隋と使節を派遣してきている

B隋書
・アメノタリシヒコが遣使
・お互いの使節が行き来する
・アメノタリシヒコの都は邪馬台国と同じ位置

C旧唐書
・アメノタリシヒコが各地に一大卒を派遣して地方を統治
※一大卒のいるところ=属国=九州は属国

D新唐書
・アメノタリシヒコ=用明天皇と比定
・日本の史書を参考に神代から平安時代の天皇までを記載
・神武東征の際に筑紫城から大和に都を遷すとある
※用明天皇=アメノタリシヒコなので都は大和=邪馬台国は大和
・白村江の戦いの当事者の中国が日本占領など書いていない
・旧唐書の日本伝と倭国伝の内容を統合して日本として示し、アメノタリシヒコを後の平安時代の天皇まで累続きとしている
※九州王朝の話などではなく壬申の乱前後の話だと確定

E宋史
・皇帝が日本は古代から王も家臣も同じ系統の物が続いていると賞賛している

231 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:51:53.58 ID:VJ3iE06v0.net
邪馬台=ヤマト=山門 だから福岡県にあった旧山門郡に決まっているだろう グダグダ馬鹿みたいなことばっかし誰が言っとるんだ そんなこと言うのは朝鮮人だろう

232 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:53:30.85 ID:xQkeODR90.net
>>221
日本海沿岸対馬海流に乗って航行すると若狭湾に漂着することが多い
 『日本書紀』巻第六垂仁天皇二年是歳条に次のように記されている。
一に云ふ。御間城(みまき)天皇の世に、額に角有る人、一の船に乗りて越国の笥飯浦(ケヒノウラ)
に泊れり。故れ其処を号けて角鹿(つぬが)と曰ふ。問ひて曰く、
何れの国の人ぞ。対へて曰く、意富加羅(おほから)国王の子、
名は都怒我阿羅斯等(ツ(ト)ヌガアラシト)、亦の名は于斯岐阿利叱智干岐(うしきありしちかんき)
と曰ふ。

角鹿
越前(えちぜん)国の敦賀(つるが)の古名。《古事記》仲哀段に,〈角鹿〉の仮宮にいた太子(応神天皇)に
気比(けひ)大神が奉ったイルカの血が臭かったために〈血浦(ちうらティウラ)〉といい,
それが〈都奴賀〉になったとあり,《日本書紀》垂仁2年条の注に,垂仁天皇の時
〈意富加羅国〉の王子〈都怒我阿羅斯等〉が〈笥飯(けひ)浦〉に来着したが,
額に角があったので,この地を角鹿と称したとある。
天平(729年―749年)の初期から角鹿・敦賀が混用され始め,
やがて敦賀に統一された。

233 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:55:43.72 ID:Zz2XXDxE0.net
そもそも日本の学者だけだろう。邪馬台国が奈良なんて言ってるのはw
あちらさんの学者は九州って言ってるやん。

234 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 14:57:28.95 ID:zK3YKIi/0.net
最初に結論ありで延々と小保方ってる連中に何いっても無駄でしょ。

235 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 15:08:13.28 ID:xQkeODR90.net
>>231
北朝鮮のミサイル発射場の地名に「里」が付いてる
朝鮮の古代遺跡にも「里」が付いてる
筑紫や長野遺跡から出る人骨のDNAには朝鮮の遺伝子が混じっている
故に吉野ヶ「里」は朝鮮人の遺跡
吉野ヶ里には楼閣が有ったという証拠がないのに
唐子鍵遺跡の楼閣を描いた土器破片の絵を朴って楼閣をでっち上げたと
吉野ヶ里歴史公園テーマパークのHPで自白してるwww

236 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 15:19:24.10 ID:xQkeODR90.net
>>224
魏志倭人伝の距離や方向記載はデタラメと判明してるのに
妄信してる九州信者

卑弥呼の冢徑百歩の百数十メートルというのも怪しいもんだ。
「歩」の甲骨文字は足の象形文字を二つ並べた物。
小柄な日本人の歩幅と一致してるか、大いに疑問有り

237 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 15:22:34.13 ID:YCA/lXHF0.net
>>220
若狭湾から京都まで徒歩1〜2日、大阪京都なら1晩
若狭湾から奈良は5日もあれば辿り着く

238 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 15:25:43.31 ID:nLfctr+l0.net
>>186
纒向って発掘した考古学者自身が中国関連の遺物がほとんど無いから邪馬台国の可能性が低いと言っているんだけど
周りは何故か邪馬台国と言い張り、挙げ句の果てに東海地方が狗奴国とか言い出したりするんだよなあ

239 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 15:27:54.99 ID:mcvTZBAh0.net
倭人伝は比較する同時代の史書がない事から単独の解釈など何の意味も為さない

ましてやどう進んでも日本にさえ収まらない行程など何の判断材料ともならない
この行程や、内容の解釈を論拠とする事などそもそも不可能
単独の倭人伝の解釈などどう転んでもただの想像にしかならない

そのままの本だけならむしろ全否定した方が自然と言ってもおかしくない程度の資料

240 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 15:28:15.14 ID:zN58izEv0.net
そもそも魏志倭人伝に出てくるのは「ヤマイ」国であり「ヤマタイ」ではありません

・魏志倭人伝に書いてあるのは邪馬「壹(壱)」国であり、魏の公用語であった呉語で読むと「シャマイ、ヤマイ」国となる
参考:https://i.imgur.com/YN7VCTk.png

241 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 15:30:20.58 ID:iTQmaqKn0.net
呉越の末裔?500年も前の話をマトモにうけとってはいないだろ、何れにしろ倭尺は無いだろ、何か別の度量衡を用いていたか?その知識は何処から仕入れたのか?という話であるし、畿内だろうが九州であろうが明帝は我甚哀汝なんてことを簡単には言わないよ、しかも親魏倭王だよ初めて来ただけなのに、不思議に思わないのかな?

242 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 15:34:14.28 ID:YCA/lXHF0.net
中国史書に記された女王国(邪馬台国)の位置

■魏志韓伝より
「韓在帯方之南 東西以海為限南與倭接 方可四千里」
 韓国はソウルの南に有る4000里四方の国で、東西は海に面し南は倭と接する
※計算により1里=約75mと推測される

■魏志倭人伝より
・帯方郡(ソウル)から南→東と海岸沿いに水行し狗邪韓国(釜山)までの距離が約7000

・対馬→壱岐→北部九州上陸までの合計が約3000里
・帯方郡から女王国までの総距離が12000里
・女王国起点で紹介されている倭人の国々の方角は北、東、南のみ
・南に4000里航行すると侏儒国(小人の国)がある→種子島
※計算により1里=約75mと推測される

■結論
倭人伝における女王国視点の記述からすると、その位置は「北・東・南」以外すなわ
ち西=九州島となる

■参考
日本書紀より
崇神記65年「任那者去筑紫国二千余里北阻海以在鶏林之西南」
半島南部の任那から北部九州の筑紫までの距離が約2000里と記されている
これも魏志倭人伝と同様に1里=約75mと推測される

243 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 15:35:10.09 ID:mcvTZBAh0.net
>>236
そもそも書いてあることが正しいかどうか裏の取り様がないからな
史料として裏が取れないからまともな歴史学者も考古学者も邪馬台国探しなどしてない
勘違いしてる人が多いみたいだけど

考古学的な資料の集成によって「当時の状況を推定し」「畿内を中心とした九州から関東に至る影響を拡大した勢力がいたらしい」と言うことを言ってる
で、ちょうど200年前後に当たるから『もし本当に邪馬台国とやらが実在してるなら畿内だろう』と言う話をしてる

×「畿内に邪馬台国があるから証拠を集めよう」
〇「発掘物を集成した結果、畿内を中心とした全国的な勢力が存在したらしい」

と言う思考
「まずどこにある」と決めてかかってから、都合のいい物を拾い集めて論を立てるなど科学でも何でもない

244 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 15:37:20.15 ID:840UQWsS0.net
畿内説は贔屓の引き倒しで、けっきょく倒産に追い込まれました。

245 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 15:40:27.18 ID:mcvTZBAh0.net
だから「邪馬台国論争」とか言う時点で学問じゃない

邪馬台国の論争なんてまともな学者は誰一人やってない
そもそもの資料がいい加減なものだからそんなものを根拠としえないからね

246 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 15:45:28.34 ID:YCA/lXHF0.net
>>243
考古学者は畿内説ありきで作り話をてんこ盛りにしてこじつけてるだけなんだけど?

そもそも考古学は歴史に口出ししてはいけないのだが、邪馬台国の話は素人含む研究サークルのようなものなので、考古学者も口をはさめるんだよ

つまり素人の研究談話に考古学が参加させてもらってると言った方が正しい

247 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 15:57:09.15 ID:VJ3iE06v0.net
奈良県人が邪馬台国は奈良県にあったと確信しているのならば 奈良県のホームページなどに箸墓古墳は卑弥呼の墓で邪馬台国は巻向遺跡だったと明確に書けばいいんだが 自信がないから書くことができない

248 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 16:00:48.04 ID:ds6soRTs0.net
>>221
いろんな説があるならそれを語ればいいやん
水行20日でどこに上陸してその後水行10日でどこに上陸して陸行一月して纏向まで行ったのか

249 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 16:14:45.20 ID:840UQWsS0.net
戦後昭和の頃、
邪馬台国は畿内箸墓だーーー、と思いつくままに大声を上げたのは復員戦中派。
それに異議を唱えて、九州福岡県だーーー、と思わず反対論を叫んだのも同じ戦中派。
ま、戦後昭和の邪馬台国論争は、そういう余裕のない時代の落し子なのさ、冷静に考えれば、どっちも誤りだったのだが、、、

250 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 16:17:55.70 ID:VJ3iE06v0.net
卑弥呼が暮らしていた宮殿の周りには楼観があって村の周りは城柵で囲まれていたと倭人伝には書かれているが巻向遺跡には楼観跡や城柵を設けられた形跡がない 吉野ヶ里古墳や平塚川添君には痕跡がある

251 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 16:21:05.00 ID:282ao5GE0.net
>>230
魏志
57 景初二年六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡 求詣天子朝獻 太守劉夏遣吏将送詣京都
58 其年十二月 詔書 報 倭女王 曰  (59 制詔 本文略、難升米帰国)
60 正始元年 太守弓遵 遣建中校尉梯儁等 奉詔書 印綬 詣倭国 拝仮倭王 (61 并齎詔賜、略)
62 其四年 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪拘等八人 (63 壱拝印綬、略)
64 其六年 詔賜 倭難升米 黄幢 付郡 假授
65 其八年 太守王頎到官 (66 倭 遣倭載斯烏越等 詣郡、略)
67 遣 塞曹掾史張政等 因 齎詔書 黄幢 拝假 難升米 為檄告喩之(載斯烏越、帰国便)
(卑弥呼以死・・・略)
72 壹與 遣倭大夫 率善中郎將 掖邪拘 等二十人 送政等還 因詣臺(張政、帰国)

魏と女王国の外交は、
238年、卑弥呼 遣使 難升米 239年、帰国
 倭使、往復。郡から洛陽は、魏船。
240年、梯儁等 奉詔書 印綬 詣倭国 拝仮倭王 帰国
 卑弥呼宮を訪れ、邪馬台国21国、7万戸を参問、漢字で記録。
243年、倭王復遣使伊聲耆掖邪拘(曹芳元服11歳?)
 倭使、洛陽往復? 倭人船は戦国の洛陽に上れないかと思う。
245年、帯方太守 弓遵戦死、詔賜倭難升米黄幢 付郡假授
 郡は戦争で檄で難升米を招請した。 黄幢の使、は無い。
247年、韓王家滅亡 太守王頎到官、卑弥呼遣倭載斯烏越、説相攻撃状 帰国便、遣張政
247年、壹與遣將掖邪拘、送政等還因詣臺
一便、倭人船、郡一往復、 二便、洛陽へ往復?郡から魏船? 帰国は報告なし。

>A梁書、北史
倭王が2代連続女王で台与か? 掖邪拘はこの時曹氏鉄鏡貰ったかもね。〜倭の5王。 
B隋使裴世清は往復とも小野妹子の遣隋使船利用の招待。
Cタリシヒコは、三国志を読み一大卒を考えた。隋唐遣使は、律令制の視察、研究。
D新唐書はタリシヒコの話ではなく、記紀以降の成立。記紀の話は、今でも荒唐無稽w

252 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 16:24:13.42 ID:VJ3iE06v0.net
楼観とは物見櫓のことで ここに登って周囲を見回して敵の侵入を発見していた 城柵とは村の周囲に杭を打ち込んで外側に溝を掘って敵の侵入を防いでいた 纏向遺跡からは出土していないが吉野ヶ里遺跡や平塚川添遺跡からは出土している

253 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 16:46:36.58 ID:ds6soRTs0.net
>>243
その結果、東に海を渡るとまた倭種がいて詳細がわからないとか
卑弥呼の墓には殉葬が多数あるなんてことを完全に無視して
大きければすなわちそれが邪馬台国だなんていう荒唐無稽なこじつけになってしまう

254 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 16:55:19.97 ID:ZlKx+VZk0.net
>>243
>畿内を中心とした九州から関東に至る影響を拡大した勢力がいたらしい
何で言ってるの

255 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 17:11:09.24 ID:ds6soRTs0.net
>>224
或絶或連 とあるのだから連なっていたり離れていたりするだろね
海を渡って千里なら絶でいいのでは

256 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 17:18:59.55 ID:YCA/lXHF0.net
>>250
纒向調査で城柵が無い事がわかったら、今度は環濠の痕跡があるニダとか言い出しよった
畿内説は捏造確信犯やでw

257 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 17:31:42.05 ID:mcvTZBAh0.net
だからそもそも考え方が違ってるんだよね

「倭人伝が信用に足る史書であると言う裏付けを取る」

と言うのが先
その裏取りをしてない物をいくら「解釈」してもただの想像でしかない
それがないから事実上、倭人伝なんて無視されてる
考古学が出てきてるのも史書としてまともな物がないから

だから邪馬台国論争とやらも、邪馬台国探しもまともな学者は誰もやってない

258 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 17:36:16.40 ID:XJKhNVro0.net
いやいや、楼観が描かれた土器が出土している以上は纏向遺跡にも楼観があったんじゃないか?

259 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 17:36:43.86 ID:R2mbIJn00.net
史書が信用ならないなら、そもそも邪馬台国について沈黙するのがすじだわな

260 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 17:42:41.20 ID:mcvTZBAh0.net
よく「素直に読んだ」とか言う人がいるけど「それ素直に読んでいい史書じゃないよ」と言う話になる

記紀神話と一緒
同時期の他の史書がないんだから、そのまま読んだら神話も何もかも史実になってしまう
で、記紀は稲荷山や江田船山の鉄剣、広開土王碑、七支刀、三国史記や宋書等の史書の裏付けを得た結果、史書としての信頼度が高まっている
倭人伝を解釈する前に、その内容が事実に即していると言う裏付けを示さないとならない

だから繰り返しになるけど勘違いしてる人が多いけど、考古学も歴史学も邪馬台国なんて探してない
当時の発掘物を集成して当時の状況を探ってるだけ
その結果、200年ごろはこんな感じだったと言ってるだけ

>>259
その通り
上で書いてるようにまともな学者は最初から邪馬台国の事なんて対象にしてない

261 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 17:45:38.73 ID:aItNb6Nc0.net
>>200
理由は?
日本では今のとこと殉葬の痕跡は見つかってないし、
そもそも同じ墓に埋葬したかもわからないので、見つかりにくい

262 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 17:51:43.80 ID:R2mbIJn00.net
>>260
> 上で書いてるようにまともな学者は最初から邪馬台国の事なんて対象にしてない

畿内説の常套句「ほとんどの学者は畿内説」というのはどうなの
対象としてないなら立場もないだろうに

263 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 17:55:28.57 ID:aItNb6Nc0.net
>>233
専門外の学者が何を言おうと無意味

264 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 17:55:45.29 ID:mcvTZBAh0.net
だから逆なんだよ逆

×「倭人伝に書いてあるものを見つける」
〇「見つかった物が倭人伝に書いてあるものだった」

と言う事
裏の取れないいい加減な本を元にするんじゃなくて出てきたものを見て判断する
例えば卑弥呼の墓が見つかってから、卑弥呼の話が出来ると言う流れなんだよ
そこで初めて「あー倭人伝に書いてある事は本当だったんだ。じゃあ信用してもいいかな」となるわけよ
もしかしたら全部嘘かも知れないんだからね
その可能性も十分にある
「全国探したけどありませんでした。倭人伝は嘘っぱちです」と言う結論が出ても何の不思議もない

今の考古学はそういう事をやってる
倭人伝ありき、場所ありきなんて言うことは誰もやってない

265 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:03:28.78 ID:zYL4I1+m0.net
>>264
魏志倭人伝の解説本に毒されてしまうと、旧石器時代からの日本の歴史を否定しなきゃ生きていけなくなるからな。

遺跡遺物という物証から、事実として弥生時代後期の日本列島では、関東、東海、近畿、山陽、北九州、南九州は等しく栄えていた。
それを比定しなきゃ成り立たないような説なんて、誰も真面目に相手しない。

266 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:06:45.53 ID:LNyLo1Ao0.net
>>30
藤原カムイの雷火か 懐かしい
めちゃくちゃ面白かったよね

267 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:10:39.37 ID:iDYgySaN0.net
>>247

奈良県人だから邪馬台国は奈良と言ってるわけではないよ。奈良県人でもNYはアメリカにあると
思ってるし奈良にあるとは思っていない。
邪馬台国はヤマトとも読めるし奈良は大和国だから普通に考えれば奈良になる。

268 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:12:40.60 ID:iDYgySaN0.net
奈良県人だから邪馬台国は奈良!!って思い込んでる九州説はの人って頭悪いよね。
そんなポジショントークは非科学的だし、科学的に論証して奈良と言っているわけですが。

269 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:13:03.96 ID:Zz2XXDxE0.net
>>263
昔なゴッドハンド新一っていてな、みんなまんまと騙されたわけw

270 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:14:34.93 ID:GqUGYc6G0.net
奈良にある箸墓古墳は築紫城からきた皇族が入ってそれが卑弥呼なら
卑弥呼は佐賀にいたでいいやん
なんで邪馬台国卑弥呼の所在が奈良になるんだ
意味分からない

271 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:14:43.36 ID:iDYgySaN0.net
そもそも魏志倭人伝には北九州の国々は伊都国や奴国と書いてある。邪馬台国ではないと。
邪馬台国はそこから二月もかかる遠いところにあると。

272 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:18:22.59 ID:Zz2XXDxE0.net
道路事情は現代と2000年前ではまったく違うからねw
整備がされていない道のりはそりゃ大変だよねw

273 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:22:29.66 ID:OTNnnx2B0.net
>>260
どこかに邪馬台国に相当する国があったとしても、『水行〇〇日』とか『陸行〇〇日』とか
怪しいしな。何か方角もあやふやらしいし。

274 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:24:54.25 ID:OTNnnx2B0.net
>>267
ところが福岡県あたりに、『山門』って書いて『やまと』って読む地名があったりするんだよ。
大和三山も、福岡あたりの地形を模して造られた人工の山って話もあるし。

275 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:26:56.88 ID:HXedU0dY0.net
よみがえる邪魔大王国

276 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:27:43.79 ID:Zz2XXDxE0.net
福岡から奈良に移ったのは明らかでしょう。地名とか位置とかまんまなんだしさ。

277 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:30:50.02 ID:ds6soRTs0.net
>>265
それだと近畿説の寄って立つ根拠の「近畿中心として栄えてたから邪馬台国は近畿」がぐらついてしまう

278 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:31:36.92 ID:KxoEVSWW0.net
>>267
それやっぱり無視できないんだよな いやだから邪馬台国は大和にあったと
言いたいわけじゃないんだけど
ただ「ヤマトって地名は日本のどこにでもあるだろ」は否定の理由になってないんだな
なんでそれがよりによってトップの国の名称になったか そこはちょっと偶然にしては出来過ぎてるからな 

279 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:33:19.38 ID:KxoEVSWW0.net
>>273
そもそも今伝わってるのは写本だしね
写し間違えどころか1頁落ちなんて当たり前みたいよ

280 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:35:06.47 ID:U+uk9To80.net
USA!USA!USA!

281 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:36:22.84 ID:OTNnnx2B0.net
>>279
『倭人伝』って三国志の中の1冊なんだろ? 原本が残ってる訳じゃないんだね。

282 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:36:38.50 ID:Edmp6wvf0.net
倭国:九州、大倭(本州)、四国、その他の島国
九州:女王国、狗奴国、投馬国
女王国:邪馬台国、伊都国、奴国、その他

對海国も一大国も女王国連合の国なんだから
仮に畿内に邪馬台国があったら
30国程度の女王国連合で収まるはずない

283 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:37:07.90 ID:Zz2XXDxE0.net
あのさ、まともな学者は邪馬台国なんてスルーをしているとか言うくせに、
何かあると学者はみんな邪馬台国は畿内って言ってる。だから畿内だ!って言うんだろうねw

284 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:38:17.45 ID:840UQWsS0.net
>>626
>畿内説の常套句「ほとんどの学者は畿内説」というのはどうなの

そういうことだ、心ある学者は不確かなことには口を慎むが、
畿内説を唱える学者連は、何でもかんでも卑弥呼にこじつけて、畿内だったーーーと言えば通用すると勘違いしてる倭種半人前。。

285 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:38:30.22 ID:OTNnnx2B0.net
>>283
オレ奈良に住んでるけど、何か無理やり『邪馬台国は奈良にあった』って事にしようと
してる感じなんだよなあ。

286 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:51:31.09 ID:ds6soRTs0.net
>>282
とある五王の時代には、東に55国、西に66国国平らげたと豪語してるからな

287 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:51:39.19 ID:VJ3iE06v0.net
倭人伝によれば卑弥呼の墓は棺あり槨無しとの記載がある棺は棺桶のことで槨とは石室のことである つまり卑弥呼の墓は棺桶に直接土を被せただけの簡素な造りであったということ 箸墓古墳は明らかに石室があるので卑弥呼の墓ではないのは明らか ここまで分かりやすく説明しても関西人は朝鮮遺伝子が濃すぎるから言うことを理解しようとはしない
関西人は祖国に帰った方がいいと思う

288 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:54:51.10 ID:KxoEVSWW0.net
>>283
>>285
日本の学者なんてほとんど国のお抱え知識人みたいなもんですよ
私大だって国から補助金出てるんでしょう? 
いまだ隙あらば皇国史観を国民に押し付けてやろうと目光らせてるこの国のお抱えなんだから

289 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:56:51.12 ID:KxoEVSWW0.net
>>287
でも今の「日本」という国を作ったのが関西人なのも事実でしょう
まあ別に列島=日本じゃねえけど

290 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 18:58:40.24 ID:840UQWsS0.net
(其の6)邪馬台国佐賀ルート
そこでくだんの吉野ヶ里町の西界を見ると、吉野ヶ里丘陵(微高地)とその麓を流れ下る田手川になっている。
東界は、目達原丘陵(微高地)と其の麓を流れ下る井柳川になっている。両川の間は約2q。

この間に旧三田川村という家並みがあるが、
古代にも、平時の生活はここで営み、戦乱の時には吉野ヶ里丘陵や目達原丘陵の戦闘砦に立てこもる生活を繰り返していたのであろう。
この三田川村から南へは、真っすぐに県道385号が伸び、筑後川べりまで達している。その間は5-6q。
なお現385号はバイパスだが、これと並行して旧街道が走り、随所に集落が残る。

291 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 19:12:43.05 ID:GqUGYc6G0.net
>>271
邪馬台国は伊都国から陸行1か月じゃね
福岡から熊本あたりなら山超え川超えしたらそれぐらいかかるんじゃね
>>287
卑弥呼の亡くなったのは250年頃本当の墓は九州にあって
都が奈良に移って100年後に箸墓古墳を作ったんだよ
疫病が流行って祈祷師に言われて墓を建てたとか
祀られたのは相当権力があった人じゃなきゃあんなでかいの作らないと思うよ

292 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 19:16:18.51 ID:VJ3iE06v0.net
環濠集落には城柵がなくて単に村の周りに水を入れただけの集落も多かったから 単に環濠集落というだけで卑弥呼の住んでいたところとは断定できない あくまで城柵と楼観があるのが条件になる

293 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 19:25:14.46 ID:VJ3iE06v0.net
巻向遺跡は広大なので僅かな範囲を調べても城柵跡は絶対に出てくる それが出ないということは城柵がなかったということだ 

294 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 19:26:42.43 ID:Zz2XXDxE0.net
何も出ずに顔面蒼白畿内論者。

295 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 19:27:22.71 ID:iDYgySaN0.net
>>292

纏向遺跡からは板で作られた運河も出土している
http://inoues.net/club/makinuku_new001.jpg

しかし、こういう板は鉄がないと作るのは不可能だよね。石ではこんなに薄く切れないと思う。

296 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 19:35:51.95 ID:840UQWsS0.net
(其の7)邪馬台国佐賀ルート
この独特の地形・地勢ゆえ、吉野ヶ里砦や三田川邑で生活していた人々は、
薪や山菜を得るには、街道を北の脊振山方面へ上り、
塩や海産物を手に入れるには、南へ下って筑後川や有明海まで出向くか、もしくはこの南北街道に依って交易していたのであろう。
これが弥生時代を通じて確立された此の地の生活スタイルであり、またそれに対応した南北に細長〜いクニグニの姿だったのではないか

297 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 19:40:36.43 ID:tdxiuc1d0.net
頭の固いやつが多いなあ
魏志倭人伝の地理は
書いた役人がいた近辺は自分が見てるので正確
それ以外は伝聞ででたらめ
それだけの話だろ
邪馬台国には自分で行ってないからデタラメなんだよw

298 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 19:42:45.29 ID:VJ3iE06v0.net
中国人は白髪三千杖とかありえない数字を出してくるから倭人伝に書かれている数字はかなりサバを読んでいると考えた方がいい だから倭人伝の数字は信用できない できるのは方角だけ

299 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 19:59:15.97 ID:840UQWsS0.net
その通りだな、方角だけは確かだ。
で、倭人伝は末盧国から東南陸行500里にして到る伊都国と記す。
男は黙って、東南へ進め!

300 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 20:06:05.20 ID:mcvTZBAh0.net
毎度の事だけど「畿内説」とかまるで邪馬台国の場所を主張してる学者や学説があるかのように錯覚してる人がいる

これも上で書いたようにそんな物はない
元々資料たりえない倭人伝を元に場所の特定などを学者は誰もやってないのだから当然だろう

発掘物の集成によって当時の状況を探る学問はあるが、邪馬台国の特定なんて誰もやってない
だから当然、畿内説なんてものもない
なので九州にあると主張する人達が、自分達に対立する学説が存在してるかのように思い込んで攻撃しているが完全に独り相撲
見えない敵を勝手に作り出して戦ってるのと同様

もちろん当たり前だが政府の陰謀も、畿内説学者とやらの妨害とやらも存在しない

そもそも位置論争なんて学問でも何でもないのだから当然だろう

301 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 20:27:32.27 ID:R2mbIJn00.net
しらじらしいw

302 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 20:38:51.33 ID:ds6soRTs0.net
>>261
卑弥呼の墓の特徴が殉葬だから
殉葬がなければ卑弥呼の墓ではないと確定する

303 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 20:41:58.47 ID:840UQWsS0.net
二言目には卑弥呼の箸墓だとか、卑弥呼の桃だとか、卑弥呼のカエルだとか、
いちいち卑弥呼の名を枕言葉に使い、マスコミとツルんであおってきた歴史がある。
箸墓・西殿立ち入り調査の時には、多数のブン屋のヘリコプターが飛び交ったのだぞ・・。

304 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 20:42:15.65 ID:ds6soRTs0.net
>>300
じゃあ卑弥呼とか邪馬台国とか口にせずに、ただ単にヤマト王権の初期はって言ってりゃいいだけなのに
教科書にすら近畿説なんていう謎の説が載っている不思議だなあ

305 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 20:44:31.91 ID:840UQWsS0.net
(其の8)邪馬台国佐賀ルート
つまり、古代の吉野ケ里の人々の日常生活の場は三田川地区であり、死者は西の吉野ヶ里丘陵と東の目達原丘陵に葬り祀ってきたのであろう。
周知のとおりこの吉野ヶ里丘陵は、近年に至り大規模な発掘がなされて、古代の姿が復元されることとなった。
しかし一方の目達原丘陵の遺跡・古墳群に関しては、昭和17-18年、特攻隊の訓練出撃飛行場としてことごとく削平破壊され、一部の大古墳のみが1/7に縮小されて付近に改葬された。
その被葬者の後裔には「米多(メタ)国造」がおり、のちに一帯は三根郡米多郷とも呼ばれた。現在は目達原と書き、自衛隊の目達原駐屯地になっている。

306 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 20:45:30.49 ID:iDYgySaN0.net
日本の古墳では殉葬の形跡がないらしい。だから殉葬が実際に行われていたかどうかは不明。

307 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 20:47:32.05 ID:ds6soRTs0.net
>>306
そら古墳時代の古墳をいくらしらべてもハニワしか出ないだろね

308 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 20:49:12.07 ID:xQkeODR90.net
卑弥呼の墓の上に神社を建てたとか言ってる九州説派閥は基地骸

309 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 20:56:33.67 ID:iDYgySaN0.net
>>307

古墳時代前の北九州の伊都国の平原古墳なんかでも殉葬は確認されていない

310 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 20:58:33.25 ID:xQkeODR90.net
>>258
証拠がないwww
倭人伝に合わせただけ
朝鮮の遺跡には尻尾に「里」の字が付くのが多い
北朝鮮の記載る発射基地の尻尾にも「里」の字が付付いてる。
筑紫や肥前の遺跡から日本人と朝鮮人の混血人の骸骨が出土してる。
だから吉野ヶ「里」は朝鮮人の部落の遺跡

311 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 21:01:17.00 ID:840UQWsS0.net
(其の9)邪馬台国佐賀ルート
不彌国の「彌」には、あまねく広く行き渡る、という意味がある。
推定だが、古代この一帯は、九州島の東西南北交通の基幹十字路であったのではないか。
では、なぜこの筑後川べりの地が、北は博多、東は朝倉・浮羽・大分、西は佐賀・伊万里。長崎、南はみやま・山鹿・熊本・薩摩等への十字路たり得たのか、
この問題を解くには、当時この地域の地理的・地誌的状況を推察し、頭のファイルにしっかり入れておく必要がある。 ・・・続きはまた明日

312 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 21:01:20.38 ID:ds6soRTs0.net
>>309
殉葬が確認できないなら卑弥呼の墓じゃないということだね

313 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 21:01:38.66 ID:0VQBPhR90.net
ま、中にはちゃんとした考古学者も居る

「いくら腐敗すると言っても、鉄だけが九州に比べ
畿内の方が腐敗が激しいなどという事はありえない。
鉄については、畿内説論者がいくら詭弁を弄しても、
北九州が圧倒的に優位に立っているという事実は否めない。」

(寺沢薫氏。橿原考古学研究所)
出現期古墳に関する研究では第一人者であり、土器型式に関して「布留0式」を提唱された先生

314 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 21:06:48.38 ID:fJFUTRuu0.net
>>1
また
町おこし疑似科学かよ
畿内よりはマシとしても。
学術会議とやらのせいかな、このクソみたいな
日本独特の擬似科学に予算つくの。

315 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 21:08:13.46 ID:xQkeODR90.net
>>299
方角も距離もデタラメの倭人伝www
九州派によると
九州に上陸してから北東に進んでるwww

316 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 21:09:22.22 ID:840UQWsS0.net
親魏倭王の金印紫綬を拝した卑弥呼をモデルに、記紀神話の天照大神が描かれたとすれば、
卑弥呼の塚墓の辺りに、後世、しかるべき神社が置かれたとしても何ら不思議ではない。
というより、むしろ当然の成り行きであったであろうな、、。

317 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 21:15:20.11 ID:6m98ZGJE0.net
一応万世一系の社会に於いてその中で生きとる学者がハッキリさせる事が出来るとは思えんからな、だから誰の墓とは特定することはせんのだよ。中国人の墓だよ。

318 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 21:16:30.23 ID:0VQBPhR90.net
しかし、こういうとんでもな考古学者も居る

たとえば弥生時代V期の畿内には石器が基本的に
無いという現象を鉄器の普及と見、「間接的事実」として受け取り、
鉄器はあったのだと考える。
この先生は石器が見つからないのはすでに鉄器を使っていたからだ
とおっしゃるw

これはスレでもよく見るQ&A元歴博館長、藤村ゴッドハンドを発覚するまで
正しいと言い続けた 佐原真大先生です

319 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 21:19:28.10 ID:840UQWsS0.net
>>315
その通りだ、
倭人伝には、上陸したら東南へ進めと書かれている。
なのに、それにわざわざ逆らって北東に進んで迷路に落ち、生ミイラになった九州派も少なからず・・・
(ま、オレは書かれた通りに進む、この年でも命は惜しいからね)

320 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 21:23:53.41 ID:3HVOI94Q0.net
>>318
>畿内には石器が基本的に無いという現象

というより、旧石器時代の後がいきなり古墳時代だから新石器時代(縄文)の痕跡もほとんどないんだよね
これは不思議だけど、朝鮮半島と全く同じ状況

321 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 21:25:37.63 ID:iDYgySaN0.net
.>>318

この板はどうやって作ったのでしょう?鉄がなくて板を伐れるの?鉄がなくて溝を掘れるの?
http://inoues.net/club/makinuku_new001.jpg

322 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 21:27:41.45 ID:pZVDhBcT0.net
>>295
っつーか

纏向遺跡は、卑弥呼・邪馬台国の年代の遺跡じゃねーだろ

城柵と楼観が無いのは当然

323 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 21:28:01.92 ID:0VQBPhR90.net
>>321
なぜ俺に聞くw
発掘したそこの研究所に聞けよ なにかしら論評出してねぇのかよ

324 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 21:31:04.13 ID:6CbnTQew0.net
>>291
半島に近いまつら国ですら前歩いてる人が見えないほどジャングルなんだぞ
1ヶ月も無事に使節を歩かせられる道なんてあるわけ無いだろ

325 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 21:32:02.80 ID:mcvTZBAh0.net
だからよく「ネットでは九州説だらけだ」「九州説のサイトしかない」「アンケートは九州だ」とか言う人がいるが当然だろう

裏も取れない倭人伝なんてものアリきで位置論争なんてしてるまともな学者なんて一人もいないんだから
位置論争とやらが存在して、自分が『畿内説』とやらと戦ってるとか思ってるのはただの学問以前の素人だけだから

そう考えると上記の状況の意味がよく分かるだろう

「位置論争」とか言い出した時点でお察し

326 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 21:35:49.22 ID:xQkeODR90.net
>>270
箸墓一帯は墓地、祭祀場
纏向から出土した奈良以外の外来土器は
邪馬台国聯合の一端を示している。
近畿説の本命は唐子・鍵遺跡
卑弥呼の墓は摂津の国=今の神戸市にある西求女塚古墳。
何故なら姫巫女は処女でなければ逝けなかったから。
考古学の白石太一郎は、三角縁神獣鏡より一段階古い画文帯神獣鏡が出土し、
また、第T段階から第X段階までに編年分類される三角縁神獣鏡のうち、
この古墳では第T段階のものと第U段階もののみが出土し、
第V段階以降が出土していないので、
西暦250年すぎ(3世紀中葉)には造営されていた可能性が高いとしている
近くには処女塚古墳、東求女塚古墳、西求女塚古墳などがある。
年巳長大無夫婿有男弟佐治國
年(とし)長大なるも夫婿無し、男の弟が有って国を治めることを佐(=助)ける
という倭人伝の記述と一致する。

327 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 21:48:06.77 ID:r+UIZZBx0.net
>>236
都合が悪いことはそっぽを向いて無視する小保方丸出し。

328 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 21:50:44.65 ID:xQkeODR90.net
>>281
900年ほど後の12世紀趙匡胤が立てた宋代の版本を読んで
ワーワー云ってるだけ。
ほかに魏略というオリジナル倭人伝より少し前の
史書があって12世紀の倭人伝とよく似た内容。
その他部分的な写本にはっきりと「邪馬臺國」と書いてる。

古田武彦は反日、反天皇なので12世紀の倭人伝が
唯一正しいと布教していた。

古田武彦は邪馬臺国に口出す前に
東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)をもてはやして
恥をかいた前歴がある。

ライバルの安本美典は「邪馬壱国はなかった」を発表している。

329 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 21:58:49.68 ID:xQkeODR90.net
>>322
朝鮮人部落の遺跡である吉野ヶ里弥生テーマ・パークも
楼閣が有ったという証拠すらないのに倭人伝に合わせて楼閣作っちゃった。
本家ディズニーランドの御伽の国、開拓の国レベルwww

330 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 22:01:40.13 ID:xQkeODR90.net
>>320
近畿各地に縄文遺跡が有るけど

331 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 22:02:23.38 ID:aItNb6Nc0.net
>>302
古墳の大きさや形なんかよりも殉葬の有無・数の方が断然重要になってくる
と言うから理由を聞いたが、殉葬の方が重要な理由を答えられないんだな
つまり理由なんか全くないということだな

332 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 22:04:47.50 ID:mcvTZBAh0.net
例えば鏡の話とか見るとよく分かるだろう

普通の考古学者は鏡の発展の過程や形式、出土場所や共伴物で年代を推定する研究をしてる
目的はそれで邪馬台国の位置論争なんてどうでもいい
結果的に「見つかった物が魏の時代の鏡ならもしかしたら卑弥呼の授与された鏡かも知れない」と言う程度

ところが位置論争があると思い込んでる人間は自分の説の都合のいい話だけを求める
都合の悪い物は全否定する
研究の成果は自分の都合だけで取捨選択する
結論ありきの歪んだ視点で物事を見てるので学問でも何でもない話にしかならない

最初から考え方が見当違いの方向に飛んでるからまともな話には一切ならないわけだ

333 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 22:15:18.85 ID:282ao5GE0.net
倭人伝の話だろ? 魏使による、行程と邪馬台国とは何か?
01 倭人 在 帶方 東南 大海之中 依山㠀 為國邑 舊百餘國 漢時 有 朝見者
02 今 使 譯 所通 三十國 從 郡至倭

03 循海岸 水行 歴韓国 乍南乍東 到 其北岸 狗邪韓國 七千餘里
04 始度 一海 千餘里 至 對海國 其 大官日 卑狗 副日 卑奴母離
05  所居 絶㠀 方可 四百餘里 土地 山險 多深林 道路 如禽鹿徑
06  有千餘戸 無良田 食海物 自活乗船 南北市糴
07 又 南 渡 一海 千餘里 名日 瀚海 至 一大國 官亦日 卑狗 副日 卑奴母離 方可三百里 
08  多竹木 叢林 有三千許家 差有 田地耕田 猶不足食 亦南北市糴
09 又 渡 一海 千餘里 至 末盧國 有四千餘戸
10  濱山海居 草木茂盛 行 不見前人 好捕魚鰒 水無深淺 皆 沉没 取之
11 東南 陸行 五百里 到 伊都國 有千餘戸 官日 爾支 日 泄謨觚 柄渠觚
12  丗有王皆統屬女王國 郡使 往來 常所駐

13  東南 至奴国 百里 官日 兕馬觚 副日 卑奴母離 有二萬餘戸
14  東行 至不彌國 百里 官日 多模 副日 卑奴母離 有千餘家
15 南至 投馬國 水行二十日 官日 彌彌 副日 彌彌那利 可五萬餘戸
16 南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月
17  官有 伊支馬 次日 彌馬升 次日 彌馬獲支 次日 奴佳鞮 可七萬餘戸

18 自 女王以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳

19 次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
  次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國
  次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國
  次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國
20  此女王境界所盡
21 其南 有 狗奴國 男子為王 其官有 狗古智卑狗 不屬女王
22 自郡 至 女王國 萬二千餘里

334 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 22:25:29.38 ID:xQkeODR90.net
>>321
河内と大和の境界にそびえる生駒金剛葛城山系は
生駒山の地質は、主におよそ1億年前に形成 された火成岩(花崗岩、閃緑岩)である。
花崗岩の成分である雲母の化学式は一般的に I M2-3 □1-0 T4 O10 A2 で表される。
I には主として K、Na、Ca が入るが、Ba、Rb、Cs、NH4 が入ることもある
M には主として Al、Mg、Fe、Li、Ti が入るが、Mn、Cr、Zn、V が入ることもある
□は空孔。
T には主として Si、Al、Fe3+ が入るが、Be、B が入ることもある
A には主として OH、F が入るが、Cl、O、S が入ることもある
神戸の六甲山系も御影石=花崗岩で雲母を含んでいる。

この雲母から染み出した鉄が田んぼや流速の遅い小川に流れてきて
土を赤く染める。これがパイプ状ベンガラ
https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2020/02/20200203.html
2020年2月
 日々の生活の中で、道路の側溝や水路の排水口に、褐色の沈殿や鉄サビ色の泥が流れたような痕跡を目にしたことはないでしょうか。例えば、図1の写真は、私が毎日通勤ルートで見かけてきたものです。
 この褐色の堆積こそ、バクテリアがつくる顔料「パイプ状ベンガラ」の原料です。
パイプ状ベンガラは「ベンガラ」という赤色顔料の一種です。古代より日本で使用された赤色顔料にはベンガラ、水銀朱、鉛丹の3種類があります。このうち最も古くから使われていたのはベンガラです。北海道の約1万7千年前の遺跡からは、ベンガラが付着した台石を含む、顔料生産の関連遺物が発掘されています※1)。
 ベンガラとは鉄の酸化物であり、一般的に赤鉄鉱を粉砕したり、黄土を加熱したりすることで得られます。しかし、今回紹介するベンガラは、原料が鉄バクテリアに由来するため鉱物由来のベンガラと区別され、その粒子がパイプ状であることから、文化財の世界では「パイプ状ベンガラ」と呼ばれています。パイプ状ベンガラは、全国の遺跡から出土しており、縄文時代の土器や装飾古墳をはじめ、本研究所のある奈良県では、黒塚古墳の粘土棺床※2)や、尼寺廃寺の塔の礎石上などで確認されています※3)。
 鉄バクテリアは土壌中や水中に生息し、水に含まれる鉄イオンを酸化し、その際に発生するエネルギーを使って生きる微生物です。鉄バクテリアが作り出す鉄の酸化物が、私たちも日常生活の中で見かける褐色の堆積であり、実際に焼成すると赤色の顔料を作ることができます(図2左上)。また、走査電子顕微鏡で観察すると、ストローのようなパイプ状の粒子を確認できます(図2)。

335 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 22:26:30.56 ID:VJ3iE06v0.net
俺は隠れ北部九州派だが奈良説に変えたら世話するぞと言われたから
奈良説派に変節したが、いろいろ待遇が良くなった。生きて行く為に
先立つものは金だよ、金 

336 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 22:28:01.66 ID:282ao5GE0.net
倭人伝、行程部分は22行だね。
考古学者、歴史学者が読めない可能性? って有るの?

337 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 22:28:09.72 ID:ds6soRTs0.net
近畿説なんてものがある時点でこじつけてるとしか言いようがないw
魏志倭人伝なんか無視すりゃいいじゃん

近畿説主張する人はまず邪馬台国卑弥呼も忘れなさいw

338 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 22:30:43.71 ID:b+qtxxDB0.net
デスノートで名探偵Lを悩ませた「13日ルール」と同じく、
投馬国と邪馬台国は後代に追記された、という可能性が疑える

卑弥呼の死後、投馬国と邪馬台国の該当がそれぞれ、
出雲国と大和国が台頭する過渡期にあったなら、
その変遷が不正確に本文に付け加えられ、それが底本となった

魏志倭人伝が書かれた頃合い(直後の編纂含む)と、
倭国の権勢の移行期(九州から畿内へ)が重なるのであれば、
おかしくないはず(しかし方角を間違えるだろうか?)

339 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 22:30:50.92 ID:fJkgosBC0.net
まあ太宰府つくるまではここが朝鮮半島からの防衛の拠点だったしな
ある程度離しておかないと海辺で近いと毎回簡単におとされてたし

340 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 22:37:15.29 ID:b+qtxxDB0.net
投馬国と邪馬台国の記述されている部分だけが違和感ある

341 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 22:38:04.22 ID:3HVOI94Q0.net
旧唐書では、倭国と日本国(ヤマト)が別記されている。
https://i.imgur.com/LMs5IbV.png

◆倭国条 〜631年 (倭国時代末期)
「倭国者,古倭奴国也。」
(倭国はいにしえの倭奴国である。)
 
◆日本条 701年〜 (畿内ヤマト政権時代)
「日本国者,倭国之別種也。」
(日本国は倭国とは別種である)
 
 そして古代倭国との関係について
 日本国使者があれこれ言い訳をする。

「日本舊小国,併倭国之地。」
(小国だった日本国が倭国を併合した)
 ↑
これは遣唐使に倭国と日本が別国だったという認識が無ければ出てこない言い訳だ。

342 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 22:40:30.06 ID:XJKhNVro0.net
>>310
では九十九里は朝鮮人の浜か?
『リ』なんて朝鮮特有の読み方ってわけではない

343 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 22:41:56.14 ID:3HVOI94Q0.net
卑弥呼の時代

『3世紀の中国の歴史書「魏志東夷伝弁辰条(ぎしとういでんべんしんのじょう)」には、
朝鮮半島南部の地域に鉄が多く出て、「韓、注意1(ワイ)、倭みなしたがってこれをとる。
諸市買うにみな鉄をもちい、中国の銭をもちうるがごとし」と記されています。
鉄を求めて、弥生人がさかんに朝鮮半島南部に出かけていった様子が描かれています。』

弥生時代(後期〜)の鉄器出土量
https://i.imgur.com/eRF3Zza.png

弥生末期でこの分布
馬もいなかった時代なので、文化伝搬速度は非常に遅かったもよう

344 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 22:49:33.52 ID:MFtYLvr90.net
倭人伝を気にしてない素振りを見せつつ年代ずらして神功皇后がちょうど重なるようにしてるのと
古墳時代を前倒しして卑弥呼の時代に重なるようにしてるのと似てるよね
年季が入ってるわな
それで何が守られてるのかよく分からんけど

345 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 22:52:02.74 ID:ds6soRTs0.net
>>344
そうしてみると宇佐神宮に応神だの神宮だのわざわざ後から祀るの胡散臭いな

346 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 22:56:31.34 ID:ds6soRTs0.net
>>331
理由なんて陳寿が書いてるからとしか言いようがない
そこまで否定するならもう卑弥呼の存在自体忘れたほうがいいよw

347 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 22:59:35.47 ID:GqUGYc6G0.net
倭人伝
自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳

女王国より北は大体分かるとこ書いただからまぁだいたいなんだよ

末盧国から又がなくなってるから伊都国への方角は魏から見てかもしれないが
伊都国は吉野ヶ里遺跡でいいんじゃないか

348 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 23:00:32.46 ID:mcvTZBAh0.net
簡単に図示するとこうなる

「普通の学者」
倭人伝は裏の取れない史書なのでそれ単独では全くあてにならない

あてにならないので倭人伝は基本的に無視して考古学の発掘物の集成によって当時の状況を探る

200年ころはこんな感じだったであろう

「位置論争があると思い込んでる人」
倭人伝に書いてる事を都合よく解釈

九州なりなんなりの解釈による結論を構築

その都合のいい資料をつまみ食い

邪馬台国の位置を確定した

とまぁこうなる
『倭人伝なんて物は最初からあてにならない』と言う前提が研究のスタートに位置するわけだけど、
論争とか言ってる人は最初からあてにならない倭人伝を都合よく肯定して解釈なんてものをして論だと言ってるわけだからな
まともな話になんてなるわけがない

349 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 23:08:04.40 ID:q6HRvcPN0.net
大和政権、大和朝廷に繋がる最初の30か国の王は五斗米道の中国人巫女でその官 が後々天孫になんだろ?そんな事言えないわね、でも中国人。卑弥呼の時代前方後円墳を企画築造指示出来るのは中国人だけ。

350 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 23:09:11.12 ID:LGditWMx0.net
邪馬壹国だろうが

351 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 23:11:19.69 ID:GqUGYc6G0.net
吉野ヶ里遺跡の近くに築紫城があるし
漢委奴国印も見つかってるからこの辺が都で
南が卑弥呼国てことで
だいたいok

352 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 23:21:51.01 ID:Y+QVktfz0.net
ウチがヤマタイコクだー!

いやウチこそヤマタイコクだー!詐欺

353 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 23:29:00.75 ID:OWAlehXE0.net
壱輿は倭国生まれで豊なら宇佐でいいでしょ、白玉を牛耳る一族のお嬢たま。魏は卑弥呼が大事であり宗女に思いを託せば終わり。そんな感じだろ?卑弥呼に親魏倭王を与え、後は倭王武にも手下扱いだろ、これをどう考えてる?

354 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 23:32:18.36 ID:0VQBPhR90.net
なぜか邪馬台国は日本の7不思議には数えられんわな なんでやろw

355 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 23:38:29.19 ID:aItNb6Nc0.net
>>346
古墳の大きさや形なんかよりも殉葬の有無・数の方が断然重要とは陳寿は書いていない

356 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 23:42:59.46 ID:zYL4I1+m0.net
>>277
邪馬台国畿内説って、距離感を広げられる分、日本全国にそれぞれの勢力が数万戸いたって破綻しないけどな。
九州説だと破綻するけど

357 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 23:44:03.87 ID:ds6soRTs0.net
>>355
大きさ、数値に関しては盛ってる可能性が大いにあるから割り引いてみる必要性はあるが
古墳の形なんか不明としか言いようがない

前方後円墳という特殊な形に言及がないなら、むしろ前方後円墳ではなかった可能性の方が高いまである

358 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 23:44:53.20 ID:GzVC6SPM0.net
「卑弥呼連邦樹立」邪馬台国は筑豊にあった?古代史ロマンで地域振興
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/660288/
この古墳説に地元の文化財担当者は厳しい見方を示すが、「細かいことは言わないで。古代史はロマンですから」と関係者。

糞ワロタwwwwww
さすが九州説
史実とかどうでもいいと白状してるのと一緒

359 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/02(月) 23:57:21.66 ID:GqUGYc6G0.net
距離は一寸千里の法則でやれば合ってくるんで
倭人伝通りに行くと九州説で合ってる
箸墓古墳は築紫城からきた卑弥呼の親族を祀った墓

360 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 00:50:19.34 ID:RKGQxH7I0.net
『新唐書』巻二二〇、東夷日本伝に「咸亨元年、遣使賀平高麗、後稍習夏音、悪倭名、更号日本」の記述があり

百済復興を図って唐との対決を決意して白村江の戦いを指揮するため西下して、斉明天皇と供に筑紫の朝倉宮に滞在した天智天皇が
白村江の戦いに大敗して、667年に近江大津宮(現在の大津市)へ遷都した後に、国名を倭(ヤマト)から日本に代えたことがわかる

天智天皇は、唐との対決に破れた後の669年に遣唐使を派遣しており、『日本書紀』巻第二十七、天智天皇8年是歳条には、その直後の671年に

対馬国を経由して唐使「郭務悰」が2000人の軍兵と思われる多人数の使者で突如来航し、天智天皇が近江に東遷後の筑紫国に駐留し占領

天智天皇は交渉の末に、唐使らに大量の甲冑弓矢の武器や布などの贈物をすることで駐留占領状態を解除してもらったと記述されている

このときの、唐の2000人の軍兵派兵の行程が
唐が書いた隋書に記述している

百済へ渡り、竹島に至る。南に耽羅国を望み、はるかな大海の中にある都斯麻国を経て、また東の一支国へ至る。また竹斯国へ至り、また東の秦王国に至る。
そして十余国を経て、邪靡堆(ヤビタイ)を都にする。
すなわち、魏志の言うところの邪馬臺(ヤバタイ)である

そして、筑紫国に駐留し占領した2000人の唐軍に対して、天智天皇が説明したのが

新唐書に記述されている
「日本は古の倭奴(わど)国である」である
国王(天皇)が自ら言うには
初代の国王は「天御中主ヶと名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている、
彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、筑紫城に存在していた

361 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 00:53:10.88 ID:LEFa0VEu0.net
箸墓古墳に祀られた孝霊天皇は阿蘇に神社建てるし神武天皇は東征で奈良に都を築いた人
この話とも合ってきますね

362 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 00:56:45.54 ID:RKGQxH7I0.net
まあ、『魏志』(倭人伝を含む)の
対海國は対馬國じゃねーし
一大国は一支国じゃねーし
末廬国や伊都国も九州じゃねーわな

363 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 01:09:32.66 ID:LEFa0VEu0.net
>>360
この頃には都は奈良に移ってたんじゃない
宮崎出身神武天皇の神武東征の話知らない人いないと思うが
でどこの竹島に到着したんですか
でどういう経路随分と雑ですが

364 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 01:10:42.45 ID:5PDzd2ym0.net
また絶海の孤島トウカイかよw
南北に船を出して交易してたって言ってんだろ

365 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 01:11:04.30 ID:LEFa0VEu0.net
>>360
因みに築紫城は滋賀です

366 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 01:11:39.06 ID:RKGQxH7I0.net
対馬 ー 壱岐 ー 東松浦半島 の「最短黄金ルート」は、2000人の軍隊を派兵できる大動脈

57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜った九州の倭奴國漢委奴国王ですら、107年に安帝に謁見するために、160人もの生口を運べている

生口(奴隷)を10人とか、30人とかしか運べない邪馬台国の航路とは別物だ

邪馬台国の航路は

【行き】
末廬国(島根県の松江)から
【北に進んで】一大国(隠岐の島)
【北に進んで】日本海(東海)上にある絶海の孤島の対海(トウカイ)国(鬱陵島)
【北に進んで】朝鮮半島の日本海(東海)側の辰韓の斯盧国(新羅)
【西に進んで】朝鮮半島沿岸を伝いながら弁韓の弁辰狗邪国(狗邪韓国)
【西に進んで】朝鮮半島沿岸を伝いながら黄海側にある帯方郡

【帰り】
朝鮮半島の黄海側にある帯方郡
【東に進んで】耽羅国(済州島)を南に見ながら弁韓の弁辰狗邪国(狗邪韓国)
【東に進んで】日本海(東海)上にある絶海の孤島の対海(トウカイ)国(鬱陵島)
【南に進んで】一大国(隠岐の島)
【南に進んで】末廬国(島根県の松江)

367 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 01:20:40.49 ID:RKGQxH7I0.net
>>363 >>365
そんな知識しかねーの?

奈良の飛鳥板蓋宮で再び皇位に即いた(史上初の重祚)斉明天皇は
唐と新羅によって滅ぼされた百済を援けるため、
奈良から難波に遷って武器と船舶を作らせ、更に瀬戸内海を西に渡り、筑紫の朝倉宮に遷幸し戦争に備えた

これが西下

で、白村江の戦いで唐に大敗して、

天智天皇が667年に、筑紫の朝倉宮を捨てて近江大津宮(現在の大津市)へ遷都した後に、国名を倭(ヤマト)から日本に代えた

368 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 01:22:40.69 ID:RKGQxH7I0.net
で、669年に遣唐使を派遣したら

『日本書紀』巻第二十七、天智天皇8年是歳条によれば、

その直後の671年に

対馬国を経由して唐使「郭務悰」が2000人の軍兵と思われる多人数の使者で突如来航し、天智天皇が近江に東遷後の筑紫国に駐留し占領した

369 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 01:28:55.69 ID:RKGQxH7I0.net
>>368
まぁ、オメーよく遣唐使なんか送れたなって怒った唐に、危うく征服されそうになった・・っつーわけだ

この時の、2000人の唐軍の進軍ルートが

唐が書いた隋書に記述している

百済へ渡り、竹島に至る。南に耽羅国を望み、はるかな大海の中にある都斯麻国を経て、また東の一支国へ至る。
また竹斯国へ至り、また東の秦王国に至る。
そして十余国を経て邪靡堆(ヤビタイ)を都にする。
すなわち、魏志の言うところの邪馬臺(ヤバタイ)である

つまり一支国は都斯麻国の【東】なので壱岐では無い

370 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 01:38:52.44 ID:RKGQxH7I0.net
一支国が対馬の東ということは、
末廬国も伊都国も、当然九州じゃ無くなる

371 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 01:38:58.10 ID:LEFa0VEu0.net
>>367
そうにわかなんで
卑弥呼の時代は250年ぐらいですよね
400年後なんて時代は変わってますよ
>>366
そのルート全然意味が分からないんですが
島根からどう行くんですか
元文によって書いてくれません

372 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 01:44:18.28 ID:RKGQxH7I0.net
>>371
陸路は

末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(摂津住吉)−投馬国(近江)を経て邪馬壱國(奈良)

373 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 01:50:20.79 ID:RKGQxH7I0.net
畿内の女王国の北

出雲(島根県)、伯耆(島根県西部)、因幡(島根県東部)、北陸(富山)

には、
特に一人の大率を置いて検察し、常に伊都国(出雲)で政務を執っている

出雲の【葦原中国】諸国はこれを恐れはばかっている。

374 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 01:50:22.55 ID:LEFa0VEu0.net
>>370
>百済へ渡り、竹島に至る。南に耽羅国を望み、はるかな大海の中にある都斯麻国を経て、また東の一支国へ至る。また竹斯国へ至り、また東の秦王国に至る。
そして十余国を経て、邪靡堆(ヤビタイ)を都にする。
対馬ではなく竹島じゃない
倭人伝に出ている一大国は壱岐島ですよ

375 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 01:53:02.32 ID:VEBgnT+f0.net
変な解釈してるやつほどしつけぇんだよなw

376 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 01:53:36.91 ID:RKGQxH7I0.net
まぁ、出雲(葦原中国)に謀反されると、畿内の邪馬台国は航海に出られないから当然だな

逆に言えば

57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見し
後漢の地方官だった公孫度が遼東地方に樹立した半独立政権「帯方郡」とともに、ブイブイ言わせていた
天皇家の祖先の【北部九州】『後漢書「倭奴國」』・日本の記紀「筑紫城」は

出雲(葦原中国)さえ押さえてしまえば、邪馬台国を征服できるので

『古事記』
神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ、若御毛沼命)は、
兄の五瀬命(イツセ)とともに、日向の高千穂で、

葦原中国(出雲)を治めるにはどこへ行くのが適当か相談し、東へ行くことにした。

377 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 01:54:31.39 ID:uDdb7Tfn0.net
>>369
たった2000人で危うく征服されそう?

378 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 01:54:54.46 ID:RKGQxH7I0.net
>>374
おまえはなにをいっているの

379 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 01:59:24.42 ID:LEFa0VEu0.net
>>378
唐が書いた隋書に記述している
のは竹島でしょ対馬とは場所違うよ
倭人伝に出ている一大国は壱岐島だよ
隠岐の島の解釈は間違ってるね

唐が書いた隋書に記述に沿ってルートを書いてください

380 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:00:26.71 ID:FjcAuTvR0.net
だから邪馬台国は九州北部。宇佐神宮を調べろと何年も前から言ってんのに

381 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:01:31.19 ID:RKGQxH7I0.net
>>377
返答次第によっては「次々にもっと来る」べ?

近江大津宮は、かなり焦ったと思うぞ

382 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:02:49.91 ID:RKGQxH7I0.net
>>379
だから、おまえはなにをいってるの
隋書のルートには対馬も出てくるだろ

383 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:11:13.87 ID:RKGQxH7I0.net
>>377
返答次第によっては「次々にもっと来る」べ?
近江大津宮は、かなり焦ったと思うぞ

で、

近江大津宮は、2000人の唐軍兵を率いて来日した唐使「郭務悰」に

「日本(大和政権)」は古の「倭奴国(漢委奴国王)」である
初代の国王は「天御中主」と名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代
皆、尊(みこと)を尊称として、(九州の)筑紫城に存在していた
彦瀲(天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命)の(皇)子の「神武」が
大和州に移り住んで(大和の邪馬台国を軍事制圧して)その地を治め、
(倭奴国王を)継ぎ立ち、あらためて天(津)皇(子)を名乗った

と、天皇家の成り立ちを説明すると共に

大量の甲冑弓矢の武器や布などの贈物をすることで駐留占領状態を解除してもらったと記述されている

384 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:11:25.67 ID:LEFa0VEu0.net
>>382
俀国在百済新羅東南水陸三千里於大海之中 依山島而居 魏時譯通中國三十餘國 皆自稱王 夷人不知里數但計以日 其國境東西五月行南北三月行各至於海 地勢東高西下 都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也
「倭国は百済、新羅の東南、水陸三千里の大海の中に在る。山の多い島に居住している。魏の時、通訳を介して中国と交流したのは三十余国で、みな自ら王を称していた。夷人(倭人)は里数を知らない。ただ日を以って計算している。その国境は東西は五ヶ月行、南北は三ヶ月行でそれぞれ海に至る。地勢は東が高く西が低い。邪靡堆(ヤビタイ)を都にする。すなわち、魏志の言うところの邪馬臺(ヤバタイ)である

邪馬台国の説明には出て来てませんし
東へも対馬もありませんけど
原文はどれですか

385 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:12:52.23 ID:95+RQKBD0.net
>>350
邪馬壹は写し間違い
「壹」でもパーツとして「豆」が入ってるから
「トウ」>トと読めないこともない。
臺の音読みは濁音始まりなのでドと読むのが正しい。
だから「ヤマト」ではなく「ヤマド」が正しい。
支那の隋唐時代の漢字の頭子音の読み方を分類したものに
三十六字母というのがある。
初心者向け解説
ttp://fayinwanlu.blogspot.com/2017/01/blog-post.html
上級者向け解説
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ 三十六字母

頭子音の分類で舌上音というグループがあるが
清代の学者の銭qiánチエン大dàターマxīnシン(1728−1804年)は
「古無舌上音」という説を唱(とな)えた。
これは支那語最古(魏晋音)の発音を現代でも継承している
福建省南部の方言=閩ban南lam語gɯバンラムグ
(グの発音=音色は鹿児島弁、土佐弁のような唇を丸くしたグではなく
 関東~会津弁のような唇を丸くしないグである)
銭大マの説「古無舌上音」は定説となっている。

386 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:15:03.00 ID:RKGQxH7I0.net
まっ、見え見えのウソと贈り物でなんとか切り抜けた・・ってところかな

387 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:18:27.29 ID:RKGQxH7I0.net
>>384
本当に言ってる?

明年 上遣文林郎裴C使於俀国 度百濟行至竹島 南望聃羅國經都斯麻國逈在大海中 又東至一支國 又至竹斯國 又東至秦王國 其人同於華夏以為夷洲疑不能明也 又經十餘國達於海岸 自竹斯國以東皆附庸於俀

は、おまえには見えないの?

388 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:18:33.31 ID:uDdb7Tfn0.net
>>381
来る毎に全滅させればいいように思うけど。
規模的にはどう見ても駐日唐総領事館を守ってた在日唐軍って感じやけどな。
防人と協力して九州北部の暴動を抑えるのが目的やったんかもな。

389 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:23:05.85 ID:uDdb7Tfn0.net
>>380
大分県にでも要望書出してみたら?

390 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:25:03.60 ID:95+RQKBD0.net
>>362
https://dict.variants.moe.edu.tw/bookpiece/011/1154534.png
「支」の隷書体はしばしば「丈」にと誤写することがあった。
日本の詳しいことは知っちゃいない支那人は
「支」の隷書体が「丈」に似ているから更に似ている「大」だ
とテキトーに思って一大国にしてしまった。

12世紀の倭人伝を鵜呑みにする北九州土人は
バカの見本www

391 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:27:15.65 ID:FHjQ7CZ/0.net
腕がとびだすババンバン

392 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:30:06.66 ID:RKGQxH7I0.net
>>388
百済復興を図って唐との対決を決意して白村江の戦いをしかけてボロ負けして逃げ帰り

それでも危険だと

筑紫の朝倉宮を捨てて近江大津宮(現在の大津市)へ遷都した

のに、来る毎に絶滅とかバカじゃねーの

393 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:32:14.64 ID:LEFa0VEu0.net
>>387
邪馬台国の説明じゃなく秦王國の説明では
>>384の邪馬台国の説明は大雑把に東南と書いてあります
どの部分が邪馬台国ですか

394 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:34:02.87 ID:RE9VhAvS0.net
台与が「とよ」なら邪馬台国は「やまと」だろ
なんだよヤマタイって九州にも大和にもないだろそんな知名

って思ってしまう

395 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:38:08.57 ID:iHv1RjQ70.net
各時代の中国正史を読んでみても間違いだらけなのに魏書東夷伝に正確な情報が書かれてること前提で謎解きすること自体がおかしい
同じことを明史でやればそれがいかに無駄なことかわかる

396 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:38:36.55 ID:6MlS92di0.net
福岡・太宰府の主婦傷害致死 佐賀県警が家族の相談放置 10回以上危険訴え
https://rosie.2ch.net/test/read.cgi/editorialplus/1603469119/

397 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:40:39.47 ID:uDdb7Tfn0.net
>>392
当時の対馬海峡を何人渡すことができるの?
妄想じゃなく、ちゃんと実績ベースで話してね。

398 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:41:11.56 ID:RKGQxH7I0.net
>>390
あのーー

「一大国」と書かれている『魏志』(倭人伝を含む)は
台与につづき五王が、まだ朝貢している280年から297年の間に、西晋(265年 - 316年)が書いたもので

「一支国」と書かれている『梁書』『隋書』は、それから400年後の唐(618年 - 907年)が書いたものだけど?

399 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:41:34.95 ID:tiGvCLAu0.net
>>394
そうじゃなくて「魏志に記されている国名」を2000年近く後の外国の読み=現代日本式に訛って読むとそうなるからそう呼んでるだけ。

400 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:46:56.94 ID:RKGQxH7I0.net
>>393
邪馬台国の説明ではなくて「一支国」の説明

「一支国」は、百済から耽羅国(済州島)を南に見ながら東に進んだ対馬国の東
「一大国」は、絶海の孤島の対海国の南

まったく別の島です

401 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:49:13.53 ID:uDdb7Tfn0.net
2000人にしても対馬海峡を横断する専門家がおそらく渡したんだろうし、
なんで侵略してくるような連中に協力するんだか。

402 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:51:32.12 ID:RKGQxH7I0.net
>>397
白村江の戦いで、斉明天皇と天智天皇は、何人派兵したっけか?

403 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:53:45.04 ID:uDdb7Tfn0.net
>>402
延べでも磐井の乱時の大和政権軍より数段少なかったはずだと思うが。

404 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:55:06.07 ID:RKGQxH7I0.net
>>401
奈良の飛鳥板蓋宮で再び皇位に即いた(史上初の重祚)斉明天皇は
唐と新羅によって滅ぼされた百済を援けるため、
奈良から難波に遷って武器と船舶を作らせ、更に瀬戸内海を西に渡り、筑紫の朝倉宮に遷幸し戦争に備えた

これが西下

で、白村江の戦いで唐に大敗して、

天智天皇が667年に、筑紫の朝倉宮を捨てて近江大津宮(現在の大津市)へ遷都した後に、国名を倭(ヤマト)から日本に代えた

で、2年後の669年に倭(ヤマト)じゃなく日本として遣唐使を派遣したら

『日本書紀』巻第二十七、天智天皇8年是歳条によれば、

その直後の671年に

対馬国を経由して唐使「郭務悰」が2000人の軍兵と思われる多人数の使者で突如来航し、天智天皇が近江に東遷した後の筑紫国に駐留し占領した

405 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:56:11.52 ID:RKGQxH7I0.net
>>403
日本軍:42,000
日本船舶:800余

だってよ

406 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 02:58:46.47 ID:RKGQxH7I0.net
まぁ、遣唐使が捕まって道案内させられた のだろ >>404

407 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 03:05:11.69 ID:95+RQKBD0.net
>>399
台与「とよ」と邪馬台国「やまと」
首尾一貫してないよな。

反日の古田武彦は屁理屈をつけて邪馬壹国をでっちあげた。
絶対に認めず「邪馬台国はなかった」を書いたら
嘘も千回言えばホントのように錯覚する。
九州人にバカ有卦した。
頑固にもほどがある。
大和國九州教の宣教師

408 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 03:18:45.16 ID:RKGQxH7I0.net
【行き】末廬国(島根県の松江)から
【北に進んで】一大国(隠岐の島)
【北に進んで】日本海(東海)上にある絶海の孤島の対海(トウカイ)国(鬱陵島)
【西に進んで】朝鮮半島沿岸を伝いながら弁韓の弁辰狗邪国(狗邪韓国)
【西に進んで】耽羅国(済州島)を南に見ながら黄海側にある帯方郡

【帰り】朝鮮半島の黄海側にある帯方郡から
【東に進んで】耽羅国(済州島)を南に見ながら弁韓の弁辰狗邪国(狗邪韓国)
【東に進んで】日本海(東海)上にある絶海の孤島の対海(トウカイ)国(鬱陵島)
【南に進んで】一大国(隠岐の島)
【南に進んで】末廬国(島根県の松江)


このルートは

大国主が出雲を建国する前に、建速須佐之男命が新羅に渡り帰って来たルートで
大国主が出雲を建国するのを助けた渡来人のスクナビコナも航海してる

卑弥呼が親魏倭王となる前に、新羅に使者を出したルートでもある

航海を司った海神族は

宗像氏の祖先の、出雲王国の6代目王「臣津野」(八束水臣津野/ヤツカミズオミツノ)の息子、隠岐の島の吾田片隅(アタカタス)

409 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 03:22:31.50 ID:uDdb7Tfn0.net
「大唐遣郭務悰等二千餘人。」のこと?
それとも、「總合二千人乘船卌七隻、倶泊於比智嶋、相謂之曰、今吾輩人船數衆、
忽然到彼、恐彼防人驚駭射戰。乃遣道久等預稍披陳來朝之意。」のこと?
「遣」とか「來朝之意」とかあるのにえらい曲解してんな。

410 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 03:23:33.69 ID:uDdb7Tfn0.net
>>404
「大唐遣郭務悰等二千餘人。」のこと?
それとも、「總合二千人乘船卌七隻、倶泊於比智嶋、相謂之曰、今吾輩人船數衆、
忽然到彼、恐彼防人驚駭射戰。乃遣道久等預稍披陳來朝之意。」のこと?
「遣」とか「來朝之意」とかあるのにえらい曲解してんな。

411 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 03:27:35.51 ID:uDdb7Tfn0.net
>>405
対馬海峡を渡るスペシャリストの倭軍ですら延べでその程度しか渡せてないのに、
中国軍に果たしてどんだけ渡せるんだか。

412 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 03:28:22.67 ID:RKGQxH7I0.net
>>409
まっ、その2000人を送り込んだ唐が

対馬の東が一支国

といってるのだから

一支国は対馬の東であり
対海国の南の一大国とは別の島

だな

413 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 03:30:58.52 ID:RKGQxH7I0.net
>>411
>>409
まっ、その2000人を送り込んだ唐が

対馬の東が一支国

といってるのだから

一支国は対馬の東であり
対海国の南の一大国とは別の島

だな

414 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 03:31:50.24 ID:uDdb7Tfn0.net
>>412
南を南南西くらいにズレて認識してれば東だろうな。

415 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 03:33:11.92 ID:LEFa0VEu0.net
>>400
違う島を同じように語るのはおかしいね
隠岐の島が一支国だとして秦王國に着くであって邪馬台国に着くじゃないから
この頃は奈良に政権が移ってるし
対馬から隠岐の島は北東寄りにみえる
若干方角はずれてるからね

416 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 03:33:28.79 ID:95+RQKBD0.net
>>398
オマエの書いてる意味がハッキリしないけど
画像に「譌」という字があるだろ。
「譌=訛」だ。「字が訛る」ということは書き間違いということ。
『梁書』『隋書』の時代には倭国に関する正しい理解が深まったという事。
「別作」とは「作」の後ろのように「作るな=書くな」という意味。
「別作丈」とは「支」を「丈」のように書くなという意味。
「亦作」で平仮名の「ち」に似た字に左上から右下へ「たすき」をプラスしたように書く形もあると書いてる。
「岐」という形も有ると書いてる。現行の「壱岐」の「岐」と同じだ。
つまり「支」は「岐」の略字とする場合もあると書いてる。
ほかにも誤字が色々有ると書いてる。
ところが12世紀の宋本倭人伝は印刷が奇麗だが内容や字形はいい加減になったということ。

納得がいかなかったらもっと詳しく書け。

417 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 03:34:35.92 ID:RKGQxH7I0.net
>>414
なっ(笑)

なんの根拠もなく
南を南南西くらいにズレて認識してれば
なんて言っちゃうのが九州説

だから

【国立歴史民俗博物館】
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c

418 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 03:37:50.28 ID:RKGQxH7I0.net
>>416
一大国の記述のほうが先だぞ?

419 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 03:41:18.15 ID:uDdb7Tfn0.net
>>417
平安時代に中国船が津軽まで来てたという話があるのに、
それ以後に朝鮮人が作った地図を根拠に90度以上ずらす畿内説には遠く及びませんよ。
更に狗奴国の方角までいい加減。
毒を食らわば皿までの根性には脱帽です。

420 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 03:42:56.27 ID:kos9KKkX0.net
学会で九州説がオワコンだからイベントで実効支配する九州のせこさ

421 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 03:44:44.16 ID:+InrE4Wu0.net ?2BP(1000)
https://img.5ch.net/ico/nida.gif
早朝に伊都国を出発して背振山の横の三瀬峠を山越えし山を下れば吉野ヶ里のすぐ
近くに到達する、健脚だと1日で充分、普通の速度でも1泊2日で伊都国と吉野ヶ里の
連絡が取れる 吉野ヶ里は最高のポジションにあった訳だ

422 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 03:47:15.58 ID:RKGQxH7I0.net
>>415
だーかーら

隠岐の島はあくまでも「一大国」
「一支国」じゃねーの

423 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 03:48:22.11 ID:95+RQKBD0.net
>>418
So what?
作麼生(そもさん)?
それがどうした

424 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 03:51:53.23 ID:RKGQxH7I0.net
>>423
日本の詳しいことは知っちゃいない支那人は
「支」の隷書体が「丈」に似ているから更に似ている「大」だ
とテキトーに思って一大国にしてしまった。

一大国の記述が先なのに

支を大にした??

425 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 03:56:48.12 ID:uDdb7Tfn0.net
>>424
三国時代に作られた資料を基に編纂したときに書き写し間違えたとかじゃね?

426 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:01:07.30 ID:LEFa0VEu0.net
倭人伝
また南のかた一海を渡ること千余里、名づけて瀚海と曰い、一大国に至る。
一大国=壱岐島

その東方面には壱岐島より小さい沖ノ島や大島があるけどね
一支国=沖ノ島
そうすると都は九州で奈良には移ってないてこと
で福岡辺りが秦国?

427 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:03:03.87 ID:uDdb7Tfn0.net
>>426
秦という文字から想像するのは出雲〜北陸地域だけどな。

428 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:05:13.62 ID:uDdb7Tfn0.net
秦という文字がなければ、九州から出てないように読めるが。

429 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:07:42.45 ID:RKGQxH7I0.net
>>425
西晋(265年 - 316年)の時代、台与につづき五王がまだ朝貢している280年から297年の間に成立した『魏志』倭人伝



一支国



その後の

宋(420年 - 479年)が書いた
後漢(25年 - 220年)の『後漢書』(432年)

南北朝の斉(479年 - 502年)が書いた
宋(420年 - 479年)の『宋書』(488年)

唐(618年 - 907年)が一気に同時に書いた

晋(265年 - 420年)の『晋書』(648年完成)
南朝梁(502年 - 557年)の『梁書』(629年完成)
東魏(534年 - 550年)から北斉(550年 - 577年)までの『北斉書』(636年完成)
西魏(535年 - 556年)から北周(556年 - 581年)の『周書』(636年完成)
陳(557年 - 589年)の『陳書』(636年完成)
隋(581年 - 618年)の『隋書』(656年完成)

が、全部「一大国」なら、支を大に書き間違えた・・だろうけどねぇ

430 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:10:31.43 ID:uDdb7Tfn0.net
倭の五王が情報を伝えてたろうから、間違いに気づいて書き直されてとかはあるかもな。

431 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:16:08.19 ID:95+RQKBD0.net
>>424
>一大国の記述が先なのに
オマエは魏志倭人伝に先行する魏略というのを知ってるか?

「魏略逸文(翰苑、唐、雍公叡注)には
南度海至一支国置官与対(馬)同地方三百里
「南、海を渡り一支国に至る。官を置く、対馬と同じ。地は三百里四方」
と書いてる。魏略の方が先だ
「支」を「大」にしたのは後発の12世紀宋版魏志倭人伝。
「一支国」の方が先

はい説破

余談だが支那人は自分等が世界の中心に居ると思ってるから
branchを意味する「支」を国名に使われると侮辱されたと思ってる。
朝鮮人は天皇陛下を侮辱して「日王」と呼ぶが
支那人は「日皇」と呼ぶ。朝鮮人よりは礼儀正しい。

432 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:17:01.10 ID:NYcESeEw0.net
オンラインゲームのチームが、お互いをブロックしあう最悪の結末を迎えて崩壊した話。
http://scjso.skamaria.net/ctcs/3Qpi2jh117.html

「5億円稼いだら辞めると決めていた」カカクコムを創業し、28歳でリタイアした男の今
http://scjso.skamaria.net/vtcs/LZB2wfQWW3.htm

433 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:18:14.16 ID:RKGQxH7I0.net
唐(618年 - 907年)が一気に同時に書いた中国の正史を完成年順に並べてみると

629年完成の
南朝梁(502年 - 557年)の『梁書』で
一番最初に「一支国」と記述され

636年には
東魏(534年 - 550年)から北斉(550年 - 577年)までの『北斉書』
西魏(535年 - 556年)から北周(556年 - 581年)の『周書』
陳(557年 - 589年)の『陳書』

が完成し

648年に晋(265年 - 420年)の『晋書』が完成して

対馬の東が「一支国」と記述された
隋(581年 - 618年)の『隋書』が、656年に完成する

その後

『旧唐書』は、後晋(936年- 946年)が書いて
『新唐書』は、北宋(960年 - 1127年)が書いた

434 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:20:11.02 ID:RKGQxH7I0.net
>>431
魏略って

1922年に再び編したというのを知ってるか?

435 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:28:18.19 ID:95+RQKBD0.net
>>434
そりゃ散逸してしまって原本が残ってないから
引用された文章を探し出して何回も編集されてるだろうだろうよ。
で、1922年に誰が編集しなおして
「一支国」をを「一大国」にしたのかw

436 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:29:14.67 ID:imyA/+gT0.net
隋書には「倭国は邪馬壹でありその土地は海に囲まれておりそこには阿蘇山がある」と記してある
九州で決まりやろ

437 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:31:23.77 ID:RKGQxH7I0.net
>>433 つづき

だから、唐が「一大国」を「一支国」と書き間違えた・・ならわかるが、
400年以上前の西晋(265年 - 316年)が「一支国」を「一大国」と書き間違えた・・は、あり得ないし

唐が「一大国」は「壱岐」だと思っていた・・ならわかるが

唐は「一支国」は対馬の東と記述しているので、
唐が「一大国」は「壱岐」だと思っていた・・もあり得ない

438 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:31:35.30 ID:Xha8r6TP0.net
しかし、倭人伝は信用ならん!とか言いながら戸数だけは絶対に信じる畿内説論者って何なんだ?w

439 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:34:05.17 ID:RKGQxH7I0.net
>>435
つまり

魏志倭人伝に先行する魏略

じゃねーだろ?

統合失調症かよ(笑)

440 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:35:04.44 ID:Xha8r6TP0.net
昔から10倍大袈裟に記録を残すのはわかってる話。そこもなぜか頑なにスルーする畿内説論者w

441 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:39:21.82 ID:RKGQxH7I0.net
つまりだ

九州説は
唐が一大国を壱岐だと思い
唐が一大国を一支国に書き直した

という【二つの仮定】が基礎になっているが

唐が一大国を壱岐だと思った根拠は何もないし
唐が一大国を一支国に書き直した根拠も何もない

442 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:47:41.52 ID:4Rw2Mnqr0.net
>>436
隋書が書かれた時代にはそうかもな

443 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:48:02.67 ID:imyA/+gT0.net
>>438
ちょくちょく言ってるけど何万という戸数を当時管理できてたとは思えないからあてにならん数字よね
七万戸あったら少なく見積もっても人口15万くらいかな?
ちょっと調べたら1698年に薩摩藩が人口調査して中央に報告した数字が約26万
それを考えると女王国だけで七万戸なんて数字はあり得ないよね

444 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:49:34.32 ID:95+RQKBD0.net
>>437
西晋が書き間違えたんじゃないだろう
魚豢は魏〜西晋時代の人物
陳寿は蜀漢〜西晋時代の人物

オマエの書き方が厳密じゃない
12世紀の倭人伝と同様にテキトーw

445 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:51:48.18 ID:imyA/+gT0.net
>>442
隋書には「倭国は伝承にある邪馬壹である」と記されてることから変わらずその場所にあったことを示してる

446 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:56:13.68 ID:95+RQKBD0.net
それでヤマイチ国はどこにあったんだ
山一証券1997年に自主廃業したんだけど。
山一証券のシンボルは富士山だがどうすんの?

447 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 04:56:21.40 ID:C33iwhaN0.net
中国や朝鮮の人達からすれば、日本が古代以来今までほぼ統一状態を
スムースに達成して来たように見えるのが、不思議に映るのではない
か?
宮本常一や網野善彦が日本の東西の文化の違いに注目してはみたもの
の、実際に東西の人間が互いに違いを主張し合って来た歴史は近代以
前に殆ど無いのでは?関ヶ原の戦いと言っても、所詮は愛知県の大名
同士が、全国の大名を配下にして相争っただけ。
中国は国土が広いのもあって統一に手間取った歴史があるが、さらに
一方では少数民族への激しい弾圧を未だにやめてないし、朝鮮に至っ
ては狭い面積の中で小国同士で長らく争っている。
邪馬台国の九州説と畿内説の並立はあるが、結局は割合スムースに国
が統一されたのは事実ではないか?
今の学者が東西の違いや、定住民と漂泊民、武家文化と公家文化の違
いに注目したところで、それらの対立は欧州の国々や中国内部と比べ
たら微々たるものに過ぎんような。

448 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 05:07:18.60 ID:95+RQKBD0.net
>>447
>東西の人間が互いに違いを主張し合って来た歴史は
>近代以前に殆ど無いのでは?

九州説では神武が畿内を侵略した時
畿内人が鯨面分身してるのにビックリしたと
時々書いてる。

宗像氏も入れ墨してたようだけどな

449 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 05:18:41.85 ID:imyA/+gT0.net
邪馬壹は阿蘇山のある処とありその土地は海に囲まれてるとの記述がある以上邪馬台国は九州で決まりやろ
もしこれが近畿なら記述は海に囲まれてる」ではなく「いくつかの島に分かれており」となるはず

450 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 05:20:21.27 ID:C33iwhaN0.net
>>448
日本の古代人の異族への観察は非常に
表面的なものに止まってるんだよな。
古代ギリシャ人が異民族を観察した
時はかなり深い分析を行ってたような。
つまり、日本の古代人は多少の風俗の
違いに気付いたとしても、異族も基本
的にはというか大きく見れば、同種族
であると認識できたということでは?

451 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 05:24:53.55 ID:+InrE4Wu0.net
纏向遺跡が見つかった時 邪馬台国奈良論者の学者たちは色めき立って巻向遺跡を徹底調査したわけだ ところが出土したのはあの通り 倭人伝に記載の楼観や城柵の痕跡すら見つからなかった 奈良説論者はあの時点で邪馬台国畿内説は諦めている 5ちゃんねるでは執念深く知恵遅れの朝鮮系関西人がまだわめき続けているがww

452 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 05:35:13.39 ID:imyA/+gT0.net
そういやちょっと上で「魏志倭人伝は書いてある内容は全てデタラメ」と言ってる奴いるけどその意見には一理あるとは思う
ただそれにしては書いてある内容が具体的過ぎるし辺境の倭国と交流を持った記録なんて魏にとってはなんのメリットもないんよね
つまり単純に「実際にあったこと」の記録である可能性の方が高い
例え魏の使者が実際には日本まで足を運んでいないにしても

453 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 05:41:28.11 ID:Xha8r6TP0.net
曹操級の鏡についても、全力でスルーを決め込んでいるのが怪しいよね。
畿内論者の方々の事ですよ 。

454 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 05:48:25.98 ID:C33iwhaN0.net
古事記や日本書紀には神武東征のことが出てるから、これらを信じるなら、
日本の天皇制は九州に発したんだろう。それを邪馬台国としよう。
だが、それが畿内に移転したんだろ。そこで再び、邪馬台国を自称したかも。
問題は邪馬台国の名称の起こりの時期に天皇の宮がどこに存在したかだけでは?

455 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 05:53:57.58 ID:Xha8r6TP0.net
邪馬台国が九州から畿内に移動した。
賛成です。東を目指せみたいな御告げがあり集団で移動をした。世界的に見ても本当によくある話なんだよね。

456 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 05:55:37.52 ID:Mx5kwMJA0.net
宇佐は邪馬台国というか渡来人の根拠地だろ
正倉院から出てきた戸籍渡来系氏族ばかりだし

457 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 05:56:20.31 ID:C33iwhaN0.net
記紀には神武東征の折に、神武側とナガスネヒコ側が
自己の正統性を主張するため互いに神璽を示し合って、
互いに同じく天孫であることを確認し合ったと書かれ
てることにも注目すべきだろ。
なぜ、彼等は同族なのにそれを互いに知らないで、離
れた地域に住んでいたのかということ。
その理由を記紀では説明していない。

458 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 05:57:36.26 ID:vmHRRyVo0.net
日本の歴史で移転した国なんて一つもないだろ
ヤマトはヤマトでしかない

459 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 05:58:09.16 ID:Xha8r6TP0.net
突き詰めると九州も畿内も邪馬台国には間違いないかもしれん、、、
しかし、卑弥呼が生きて過ごした邪馬台国はどこかって話だよね。

460 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 06:03:41.69 ID:ZLtI0g5h0.net
場所とかはだいたい解明出来たけど、それで分かったのは
先人が邪馬台国の痕跡を消したのは現代に生きる日本人の為だということ

おそらく未来を見れる人物がいたから記紀を正史にすることで倭国を歴史から消し去ってくれたんだと思う
解明した研究者もいるだろうが本当のことは公表しないだろうね

それは日本をチベットやウイグルの様にはしたくないから
本当のことは中国が滅びた時にしか公表されないと思うよ

461 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 06:22:36.28 ID:r0kfNNcc0.net
一件綺麗事だが日本人の為ではなく記紀一族の為だろ?、戦争責任みたいな誤魔化しをまたすんのな。

462 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 06:29:05.44 ID:C33iwhaN0.net
邪馬台国というのは、「邪馬台」のある国という意味では?
邪馬台は天皇家の三種の神器か、あるいはその一つの神璽の
ことではなかったか?
邪馬は神のことであり、邪馬台は神器と解釈できる。
神璽は神武とナガスネヒコが互いに神璽を見せ合って、自ら
の正当性を主張し合ったが、両者の神璽は両方とも本物だっ
た。つまり、この時点で天皇制は二重性を帯びている。
九州と畿内の二重性と言い換えても良い。
神璽の持ち主、或いは神璽のあるところが邪馬台国だったと
されたのではないか?
天皇の継承において三種の神器は不可欠のものだったが、
それは三種の神器が天皇と同格に近い重みを持っていた
ということでは?

463 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 06:31:32.64 ID:IT0K0nwF0.net
>>462
魏志倭人伝には邪馬台国に似た名前の、邪馬国というのも出てくる。

邪馬台を固有名詞と捉えるのは無理っすね

464 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 06:38:25.60 ID:FiKQ+b380.net
なんかで読んだ記憶があるんだけど、大本の三国志ですらその場所が
はっきりと比定されてない地名があるんじゃなかったけか?

465 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 06:40:45.61 ID:HB8ETB370.net
宇佐周辺にはよくわからんものがいろいろあります。

邪馬台国はまあいいですが
興味を持たれた方はいろいろ調べてみられると面白いかと思います。

466 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 06:41:02.56 ID:C33iwhaN0.net
>>463
固有名詞か、普通名詞かという二分法だけでは
捉え切れないかも。
邪馬は山であり、神のことでもあったと見てるが。

467 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 06:47:09.96 ID:dMEM8ggU0.net
ナガスの比古が何処の官かは知らんが卑弥呼政権時代の官の名称だろ。神武なんていたのかよ?四男だぞ

468 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 06:57:09.69 ID:QnAuoCPd0.net
>>443
核家族化してるわけではないだろうから、3世帯、或いは親戚一同住んでるわけだかけら、それなりの数にはなるでしょ
建築物は貴重でホイホイと建てられない
当時は柵で囲ってその中に纏まって暮らして、それが国
柵の中に数万戸?ちょっと想像し難いね
かの平城京ですら人口5〜10万人程度だったらしいし

469 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 07:00:25.16 ID:IT0K0nwF0.net
>>466
邪馬台を神器や玉璽の名詞と仮定するのは、邪馬国があるから無理。

そもそも語源の根拠くらい書いてよ

470 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 07:02:29.32 ID:vmHRRyVo0.net
邪馬台国に行ってないから確認なんて全くしてないはず
全部聞いたかホラ吹いたか、戸数が半島と比べてやたら多いからな
倭人伝の戸数はかなり記録者が盛ってる

471 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 07:03:46.62 ID:QnAuoCPd0.net
>>465
巨石文明が興味深いです
邪馬台国なんてどうでもよくなるような古い時代から文明が続いていたのでしょうね

472 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 07:04:05.44 ID:fTTkrvZm0.net
今の皇居だってそうだぞ千代田区の人口は七万位。

473 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 07:17:58.73 ID:Vj6qCBME0.net
最近、九州説が勢いあるよな!
論争も遂に決着か?w

474 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 07:23:35.79 ID:3FdAPDf/0.net
当ててる漢字はそれぞれだが
音で考えると2000年前から九州北部の地名は続いている
古代王国は九州にあり

475 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 07:41:45.56 ID:ppjQD4cV0.net
>>363
日向だからといって宮崎ではない
地図を見れば出入りの無い宮崎の地形は海洋民の好みに合わないことが判るはずだ

日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う

続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり

木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ

おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる

よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる

なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話

高千穂地名の変遷(改)
日向国風土記逸文(713、引用は釋日本紀1275-1301、萬葉集註釋1269)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。
本当に原本にあったか?というか500年以上たって元ネタはなんだ)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925)   智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜)  日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂

476 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 07:44:07.23 ID:imyA/+gT0.net
>>462
何故邪馬台国と天皇家を結びつけるのかがよく分からん
今のところ天皇家と邪馬台国を結びつけるものは何もないだろ

477 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 07:45:29.19 ID:R/8YN1+00.net
>>473
北部九州全体が邪馬壹国で決着だな
卑弥呼は伊都国に居たんだ
12000里行くのに水行20日+水行10日+陸行1日(月)掛かる。

478 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 07:48:02.24 ID:+InrE4Wu0.net
倭人伝に書いてある事と遺跡を発掘して出土したものが合致すればそこが邪馬台国という事になる 妄想で色々書き連ねても無駄なこと

479 :高篠念仏衆さん:2020/11/03(火) 07:48:15.80 ID:BJkHeY9l0.net
>>465
巨乳文明が興味深いです
邪馬台国なんてどうでもよくなるような古い時代から宦官が続いていたのでしょうね

480 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 07:48:23.31 ID:imyA/+gT0.net
>>470
多分だけど記録者は聞いたままを記録しただけじゃないかなあ
倭国側には盛る理由があるけど魏国側には盛る理由が何もない

481 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 07:50:12.66 ID:R/8YN1+00.net
>>476
邪馬台国と天皇家を結びつけてる人は8世紀に創られた記紀に騙されてるんですね
記紀は大和朝廷が成立したので大和朝廷の正当性を強調する為に
それまでに有った歴史書を継ぎはぎして古より大和朝廷は続いていたとの神話を創作した
そして記紀の邪魔になる古い歴史書や文献は全て焚書した。

482 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 07:52:27.36 ID:R/8YN1+00.net
>>478
3世紀の遺跡は北部九州地域や出雲地方にしかない
奈良地方とか空白地帯なんだよね。

483 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 07:57:42.77 ID:R/8YN1+00.net
>>451
5世紀以降に日本に伝来した馬具やベニバナの花粉が出土して3世紀?ってなってるのに
まだ主張してるの強引だよなw

484 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 08:02:46.58 ID:R/8YN1+00.net
>>456
宇佐は邪馬壹国の東端だな
「女王國東渡海千餘里 復有國 皆倭種」だから女王國(邪馬壹国)の東には海と倭種の国がある。

485 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 08:09:30.00 ID:R/8YN1+00.net
>>480
記録者は聞いたままを記録したのではない
可と書かれてるから記録者が集めた情報で推測したんだよ
聞いた話だけでなく実際に見聞きした体験を含んでいる。

486 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 08:09:35.68 ID:iSqjWXMH0.net
九州なんか昔から辺境僻地だろ
施政の及ばない異民族のテリトリーと隣接している地域なんだし
支那人が聞いたのはシャーマンが統治する部落の話だよ

487 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 08:12:30.18 ID:imyA/+gT0.net
>>481
散々言ってるけど記紀は内容に信憑性ないからなあ
しかも具体的に邪馬台国、卑弥呼の名が出るわけでもなく
何か邪馬台国と天皇家を結びつける物証が出てから天皇家がどうのの話をすべきではないかね

488 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 08:15:23.20 ID:imyA/+gT0.net
>>486
その程度の集落だった可能性は否定できないよね
邪馬台国は魏と交流を持ったけど特別大きい国だったわけではない可能性
まあそれでも少なくとも九州の1/3に影響及ぼしてた訳だから小国って程でもないだろうけど

489 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 08:15:57.82 ID:67fV2jZK0.net
磐井の石像とか畿内の人たちと宗教・美意識が違うなって思うね
ああいう石像作る人たちは顔面に入墨してそうだよね

490 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 08:16:31.95 ID:R/8YN1+00.net
>>487
記紀は残ってるのにそれ以前の歴史書が全く残ってないって異常だよね
国家権力が徹底的に焚書しないとこうはならない。

491 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 08:27:33.42 ID:0UiYmovq0.net
>>471
巨石文化って世界中にあるよね。日本でもあちこちにある。どうやって運んだだろうね。

>>474
『山門』と書いて『やまと』とかあるものな。

492 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 08:29:01.00 ID:R/8YN1+00.net
>>488
魏志倭人伝の記述を読むと北部九州地域の人口が非常に多い事が分かる
壱岐で3,000家、末盧国が4,000戸、奴国に至っては20,000戸
壱岐は現在でも28,000人の人口
1家を5人とすると壱岐は15,000人
壱岐では既に現在の半分以上の人口があったことになる
末盧国も1戸5人とすると20,000人、唐津市の現在の人口116,000人
現在の6分の1以上の人口があった
奴国では100,000人となる
北部九州地域全体の人口は少なくとも40万人以上になるだろう。

493 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 08:38:49.61 ID:vmHRRyVo0.net
当時の倭人が万もある戸数なんて正確に数えたり把握したり計算できるとはちょっと想像できない
だから倭人が話したことではなくて、戸数は魏志の記録者による憶測と誇張が混じった結果と思う

494 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 08:40:07.47 ID:0UiYmovq0.net
>>490
日本書記には『一書(あるふみ)』って形で少し書かれてるけどね。でも記紀は基本、
天皇家に都合のいい神話みたいなものだからな。日本書記は少しマシなんだろうけど。

495 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 08:41:00.58 ID:+InrE4Wu0.net
地域別遺伝子の割合
北部九州 南方系4割 北方型2割      縄文系4割
南部九州 南方系4割 北方型1割
     縄文系5割
瀬戸内  南方系3割 北方型4割
     縄文系3割
関西地方 南方系1割 北方型8割
     縄文系1割
関西人の遺伝子は朝鮮人とほぼ同じ

496 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 08:41:05.60 ID:JKDFaPJJ0.net
>>492
上でも書いたけど江戸時代で薩摩藩の人口が26万人
土地は開拓されてない、寿命も江戸時代よりはるかに短い時代にそれだけの人口が北九州にいたと思う?

497 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 08:43:10.14 ID:0UiYmovq0.net
>>493
だから、邪馬台国の方向やらそこへ到達する日数やらが、あやふやになってるんだろうね。
邪馬台国から魏に貢物を送ったりしてるけど、その時に遣いの者が、位置をちゃんと
言わなかったのかな。

498 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 08:44:29.40 ID:O0U77d4m0.net
近畿はヤマト王権以外はさっぱりなので
邪馬台国は近畿以外でしょう

499 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 08:45:26.43 ID:0UiYmovq0.net
>>496
北九州って結構山が多いよね。とてもそんなに人がいたとは思えない。昔だったら、
結構山の中のイメージになるだろ。

500 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 08:48:56.90 ID:+InrE4Wu0.net
巻向遺跡の発掘調査をしてまた埋戻しをしている時点でおかしなことだと不審に思うのが当然だろう 知られたくないものがあるわけだ

501 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 08:50:49.06 ID:d8Q0n/hQ0.net
そりゃなんたって筑後平野、佐賀平野、熊本平野ですよ
三平野合計で、博多+糸島平野の30倍はある。戸数の7万や10万はへいちゃらですからねえ

502 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 08:59:38.12 ID:R/8YN1+00.net
>>496
鬼頭宏氏の推定だと肥後だけで800年頃の人口180,000人
これより邪馬壹国の時代は僅か500年まえだからな。
>>499
北部九州は日本の中でも平野が広い地域だよ
関西より広い平野がある。

503 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 09:03:31.07 ID:0UiYmovq0.net
>>502
地図を確認してみたらそうだね。ごめんなさい。前に車で九州に行った時に、結構トンネルが
多かったから、勘違いしてた。

504 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 09:11:24.25 ID:d8Q0n/hQ0.net
上の方で、
島根県の隠岐の島と、福岡県の沖ノ島を取り違えている「のぼせモン」がいるようだ。

福岡県の沖ノ島は、九州島北岸の宗像と対馬の間にある古代の大陸半島渡海用の中継地で、近年世界遺産にも登録された。。
4世紀以降(の応神天皇時代)に航路が開拓されたと言われ、これにより筑豊(チクシ国)〜豊前中津・宇佐(豊国)〜畿内への新交通路が盛んになった。
その好影響で宇佐八幡宮は豪華になり、全国八万社を従えるまでになったが、西九州や南九州は時代に取り残されることとなった。
この沖ノ島ルート開拓と筑豊(田川・飯塚)の銅山経営の立役者こそが、記紀に云う「応神天皇」であったとされる。

505 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 09:14:47.86 ID:LEFa0VEu0.net
>>437
随の時代かな百済立て直しに日本人が渡ってるので
倭人伝で通った一大国と違いを示すために一支国にしたんじゃね
邪馬台国の字も変えた
対馬通るなら隠岐の島は北東ですし遠すぎて通らないでしょう

506 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 09:23:25.28 ID:LEFa0VEu0.net
吉野ヶ里遺跡あたりは山や川多いから竹島から壱岐島〜唐津(滋賀)ではなく
竹島〜沖ノ島〜福岡になったんじゃないかなと

507 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 09:28:32.50 ID:/7aKhQO20.net
>>498
卑弥呼、台与の遺体は、九州から、近畿に移動された。つまり、九州では、埋葬者がなく殉教者のみ。近畿では、埋葬者はいるが、埴輪になっているかも?

508 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 09:30:48.67 ID:ZrOqLm5H0.net
天皇家は丹波氏を取り込んでいる事は確実で、
仲哀天皇以降は丹波氏が出自と考えられる。

509 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 09:31:40.77 ID:Oui4DaAT0.net
月夜見尊-伊吹戸主-宇佐都彦命

510 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 09:47:09.26 ID:mph9h3ZG0.net
倭国大乱なんて皇族から分かれ各地に領地を得た者らによる倭国の盟主の座をかけた争いやん、豊後の饒速日は新天地の畿内へと移り、北部九州居残り組はザコが多く共立斎王、日向はニニギ〜イワレビコ、狗奴国も同じで、他にも色々だが、結局南北の争いで落ち着いて、継体帝までこの争いがもつれ込む。

511 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:00:59.29 ID:95+RQKBD0.net
>>454
>日本の天皇制は九州に発したんだろう。
それ、完全にウソ、息を吐くように嘘をつく九州野郎
神武の時代にはまだ「天皇」と言う呼び方は無かった。
やっぱり正しい歴史は日本書紀より
万葉集に描かれてる。

512 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:04:27.91 ID:R/8YN1+00.net
日本列島全体に文字や鉄器が普及するのは5世紀以後
3世紀だと北部九州や出雲地方くらいしか普及してない
普通に考えて邪馬壹国は北部九州地域だね
文字や鉄器が普及からして神武東征も5世紀以降だろうな。

513 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:05:38.07 ID:1lso1l4i0.net
あれ?
別府温泉かもって話しじゃないの?

邪馬台国って、実はただの温泉郷で、別府にあった邪馬台温泉郷って話しじゃなかったの?

卑弥呼は温泉花魁で、彼女と遊び呆けた中国の役人が、長期滞在の理由で、水行10日陸行30日と場所を曖昧にして記しちゃったんでしょ?

別府付近は二度火山灰に覆われているらしいから掘れば銅鏡くらい出土するんじゃね?

邪馬台国が国のシステムを有していたとしたら、その後の実在した天皇までの300年が空白なのが説明つかないもんな。

514 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:12:15.56 ID:vmHRRyVo0.net
天皇は倭の5王からだろ
神武なんて年代がおかしすぎて話にならない
八咫烏とか不可解な現象どうやって説明すんだよ

515 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:15:03.00 ID:ATvSbK2N0.net
倭は乱れていた時代でもあり、五斗米道が漢中に王国を築いたように自然発生的に卑弥呼が選ばれたんだろ、まあ救世主だな、中華で経験済みだから弟が才を奮い纏めたんだよ。 で死に豊らに託されたんだろ、中華も並び立つ男王も認めとるから東西都らしき都市があってもおかしか無い、畿内は山泰、泰山。

516 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:17:28.29 ID:LEFa0VEu0.net
>>511
万葉集では柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ、斉明天皇6年(660年)頃 が天皇を神扱いしたんですよね
突然言い出したんだからそれまで言わないのは当たり前

517 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:18:47.12 ID:R/8YN1+00.net
>>514
倭の5王とか皇室の系図と合わない
天皇と倭の5王は別だ。
三本足のカラスは中国神話からだな。

518 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:23:50.12 ID:vmHRRyVo0.net
5王の武はワカタケルの雄略だろ。年代が合うし関東から九州まで従えているという自己紹介も
古墳で証明されてる。それで半島含めた将軍として認めてくれと中国に頼み込んだが認めてもらえなかった
天皇はそんな程度の人物だったてこと。

519 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:24:15.69 ID:VEBgnT+f0.net
対馬海峡の渡海に失敗すると出雲あたりに流れ着くらしいね
筑紫と出雲の発達はそういうことなんかな

520 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:24:17.61 ID:ATvSbK2N0.net
それにな中華の官が13才に激をとばすか?卑弥呼を習い優れた巫女になってくれって事だよ、我甚哀卑弥呼だよ

521 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:29:23.22 ID:ghszFm7T0.net
邪馬台国という統一国家があったわけではなく、王国連合の中で主導的な地位にあったのが邪馬台国なのか

522 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:31:51.46 ID:4LgUum/d0.net
>>519
出雲の前は「狭布(サヌ)の稚国(ワカクニ)」と言われてたらしいね

俺の予想では「スサノオの倭韓国」

あああ、また謎を説いてまったw

523 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:34:01.66 ID:4LgUum/d0.net
なぜ魏志倭人伝に出雲が出てこないのか
ずっと考えていたんだよ

まずは出雲と言う国名の前に
なんと言われていたか?
そこから調べたら

倭韓国ねw

524 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:34:08.56 ID:95+RQKBD0.net
>>475
日向は昭和40年代新婚旅行のコース
その前は別府温泉が人気があった。
大阪の関西汽船が別府航路で観光客を運んだ

>山上に神が降り立つというのは北方系の神話
何処の北方か知らんけど日本の甲骨文字研究第一人者
白川静は漢字の小里偏は神が天から山上に降りて来る時に
使う階段であるとしてる。
古代中国の殷人と共通する宗教観。

525 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:37:13.65 ID:gnG7np3F0.net
邪馬台国なんて最近の話どうでもいいわ、、3万年前の遺跡とか発掘されてる世界最古の日本からすれば

526 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:40:37.35 ID:O+9ihyxo0.net
>>477
いや、伊都国には居ない。
伊都国に居たのは、大倭のお目付け役、一「大卒」だ。
漢の時代、邪馬臺が裏に居て朝貢に行かされていたはずの
奴国を港の所管から外し、大倭が伊都国で港を監理してる。

大倭(ダイワ)って何だ? 正体不明だが?
倭国大乱の勝者、奈良の大倭(ダイワ)だわな。
大乱で倭国の大部分を支配下に入れて、大倭と名乗ったな。
卑彌呼即位は、和議条件の男王禁止=覇権放棄の結果だ。
今度は大倭が、邪馬台を倭国盟主のふりで朝貢に行かせてる。

この大倭、後世、邪馬臺(やまと)を滅ぼしその名を継いで、
しかし字を変え、大和(ダイワ・やまと)と名乗る。

527 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:42:48.78 ID:XSdsKjWF0.net
>>518
武が雄略だとすると、そこから逆算したら応神が420年ごろ、神功皇后が400年ごろの人物になってしまいそう

神功、仲哀、成務、景行、垂仁、崇神と、平均在位年数を仮に20年としても
400、380、360、340、320、300年ごろという年代感か

528 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:44:24.67 ID:R/8YN1+00.net
>>518
5王の武はワカタケルの雄略だろ。年代が合うし関東から九州まで従えているという自己紹介も
古墳で証明されてる。

根拠が曖昧だし、古墳でも何も証明されていないよw
系図とも違う。

529 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:47:16.58 ID:R/8YN1+00.net
>>526
一大率が居たのは女王国以北の国々だよ
伊都国に居たのは、一大率を使って女王国以北の国々を治めていた卑弥呼
大倭(ダイワ)とは女王卑弥呼が置いた役人

530 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:48:04.78 ID:95+RQKBD0.net
>>500
淡路島の鉄器加工遺跡は遺跡保護のため
埋め戻して更に土を盛って掘っ立て小屋を復元している。

531 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:50:29.49 ID:2Tto7fav0.net
誰かが書いとったが欠史八代が邪馬台の官つうのは成る程とは感じるぞ、それと倭人条は中国人が読む為の物だからね、距離方角は遠くてあっちの方で十分なんだよ、それより女王卑弥呼って何者?なんで親魏?とかそういう事が隠されてんじゃないの?

532 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:50:52.39 ID:4LgUum/d0.net
あと「倭人は太伯の後裔」ってヤツ

トウテイジンルートを考えるに
南九州なんだろうなと思うが、そいつらが移住した地域
そこは狗奴國の支配域

姫氏国に俺は辿り着くも
姫ひめヒメ、、、で調べても出てこないw

倭国は女しかいない国ってのはわかったがw

いやー、深いね
老後のフィールドワーク頭の体操には最適だわ
惜しむらくは住まいが九州なら良かったw
そうだ俺武西征しようw

533 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:55:01.55 ID:LEFa0VEu0.net
>>517
八咫烏はユダヤでしょ

534 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:56:26.58 ID:ghszFm7T0.net
邪馬台国は纏向じゃなかったのか
考古学の松木先生は纏向の近くの古墳が卑弥呼の墓の可能性が高いと言ってた気がする

535 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:56:59.05 ID:Ns+LqybR0.net
>>527
記紀に天皇の記載漏れがないという前提がおかしいと思うよ
奈良盆地南東部と北部には3、4世紀に築造された200m超の大型古墳が13基あるのだから
大王は実在したはず
しかし記紀にはそんな数の天皇は記載されてない
記載漏れがあったと考えるべきだろう

536 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 10:57:21.44 ID:95+RQKBD0.net
>>504
宇佐神宮のHPによると
御祭神である八幡大神さまは応神天皇のご神霊で、571年(欽明天皇の時代)に初めて宇佐の地に
ご示顕になったといわれます。
となってる。

嘘しか書かない九州派w

537 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 11:00:47.61 ID:mph9h3ZG0.net
>>524
百済人が編纂に関わってるなら脚色してるに決まってるやん、天から降ってきた!は普通にありえんが、カッコいいもんな、だからその程度のもの。

538 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 11:04:01.43 ID:5B50hxzv0.net
>>14
おそらく 他民族に向かって、チ○チ○を切らそうとしたから、唐は滅びたのだ

日本や、その周辺に、悪評が広がったにちがいない

539 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 11:06:45.96 ID:LEFa0VEu0.net
>>536
応神天皇(誉田別命)を主神として、比売神、応神天皇の母である神功皇后を合わせて八幡三神として祀っている。
このうち比売神が築紫に天降りたとか所詮あり

540 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 11:18:53.51 ID:95+RQKBD0.net
>>538
後宮の女三千人の世話係の宦官にするつもりだったんだろ

541 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 11:21:22.71 ID:5B50hxzv0.net
>>522
魔王が旦那さん

チッ

542 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 11:22:43.82 ID:ZRik2ASk0.net
倭の五王に関しては、413年から502年で、雄略が最後の武。
記紀の天皇を在位年数で平均するのは、100年や数年が散在する以上無意味。
倭の五王は豪族系多妻で、必ずしも一系とも限らず、異母兄弟相続含めて5代100年。

漢名を名乗った、日本の王が5代続いたという記録。

350年台に高句麗は、中華貴族、楽浪候、幽州刺史に就任。
この高句麗との交戦権、及び半島南部の馬国辰国を支援し百済新羅の建国による
半島利権を南朝に認めさせ、北朝に対する圧力としての同盟国となった。
服従朝貢なら高句麗や北朝だろ? 高句麗と戦ってんだろ。

500年辺りで、南朝や百済の斜陽化が確定して、任那4県割譲に到る。
高句麗滅亡の同時期、白村江海戦は、
百済移民の送還と対馬国境の確定が目的であって

記紀の成立は、南朝との外交史を知らない、北朝=隋唐に対し、
卑弥呼以前の九州も、歴史的固有の日本領土であることの主張
半島はただの植民地だったこと、これを裏付ける偽書、外交文書である。

543 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 11:25:16.51 ID:0mLs15cx0.net
興味ねーよ

544 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 11:26:04.38 ID:5B50hxzv0.net
>>524
宮崎の宮は お宮さんの宮
神宮
山大国の日巫女=氷見湖
山です

545 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 11:31:17.56 ID:5B50hxzv0.net
>>530
本物だからだよ

546 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 11:33:49.85 ID:d8Q0n/hQ0.net
>>536
古代史初心者のお素人さんのようですね。
応神天皇は第15代天皇とされ、実在したとすれば4世紀後半。父・仲哀天皇(足仲彦天皇)の第四皇子。母は神功皇后(息気長足姫尊)。

宇佐神宮の由緒が言っているのは、
御祭神である八幡大神さまは応神天皇のご神霊で、
・・・・つまり4世紀の応神天皇の御霊がご神霊(神様)になって
571年(欽明天皇の時代)に初めて宇佐の地に、
・・・・6世紀(571年)に初めて宇佐の地にお姿を現されたので、現在の場所に宇佐神宮を盛大に建立してお祀りしています、という意味。
    この宇佐神宮の元社は神域内の片隅に別に有り、更にその元々は中津市にある薦神社とされている。

547 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 11:37:58.12 ID:0Xswvb6R0.net
>>535
なんでもありやな
やはり記紀は参考にすべきではない史料か

548 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 11:48:00.68 ID:e+XqhPwb0.net
>>547
記紀なんて今で言うと戦国時代、鎌倉時代ぐらいの昔の事を説明してるしな
科学や資料が発達した現在でさえ、戦国時代の事なんて難しいのに

549 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 11:53:01.51 ID:R/8YN1+00.net
>>542
雄略が武なんて漢風の名前を名乗った記録ないな。

550 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 11:54:40.10 ID:R/8YN1+00.net
>>542
南朝に外交使節を送った記録もない。

551 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 11:56:26.72 ID:CW/sVhG50.net
飛鳥時代って魏志倭人伝や東夷伝は日本に伝わっていたんですか?

552 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 11:59:53.47 ID:imyA/+gT0.net
>>548
結構な量の資料が残ってる戦国時代ですら伝聞、逸話は大半が嘘、間違いだしね
ましてや情報の共有もできない時代に文字すらない時代の事象を記録できるわけない
記紀を邪馬台国と結びつけて話す奴はアホ

553 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:00:25.64 ID:CW/sVhG50.net
>>549
ワカタケル=雄略ではないってこと?

554 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:08:30.29 ID:1OQ784Fy0.net
武が雄略として神功皇后が400年ごろというのは確定と考えると
仲哀、成務、景行、垂仁、崇神、開化、考元、考霊、考安、考昭、懿徳、安寧、綏靖、神武
これで14人の大王が3〜4世紀ごろの人物ということでいいのではないか?

555 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:09:24.75 ID:tdFB/eoD0.net
>>535
天皇の平均在位で神武の年代推定とか無意味ってことだな

556 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:12:05.87 ID:fvPa1Wia0.net
日本の記紀は信用しないが魏志倭人伝の記述は一歩も譲りません。

by 九州論者

557 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:12:49.85 ID:d8Q0n/hQ0.net
倭人伝やその他の中国史書を下書きにして、
そのうえで、記紀を上書き・編集・改ざんしまくったのだろう。
のちのちまでバレないつもりで、仲哀ー神功皇后年を2運ほど繰り上げたのが、運の尽き!

558 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:15:11.92 ID:95+RQKBD0.net
>>523
出雲の古名は投馬国じゃないのか

559 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:17:39.46 ID:ZRik2ASk0.net
だから、隋唐が成立して白村江海戦の後に
作り直した記紀は偽書だ。
って言ってんだよ。

北朝側の隋唐に対して、
南朝と同盟して半島利権保障させてました?
って、言うかよwww

まあ、新羅で統一してからも後ろ盾にはなってたみたいだけど?
って言うか、百済も傀儡にして中華文明の受け入れネタにしてたでしょ?

中国は、敵国と見て日本に対して文化や技術を伝えなかった。
が、属国である、百済新羅には仏教僧や博士を送って教育を施した。

これが絶えるのは、惜しいので、
タイシヒコの遣隋使を土台に遣唐使時代になった。
というのが、日本の歴史。

560 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:18:41.21 ID:KBQRJ03+0.net
>>5
ヤマト国

561 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:20:34.09 ID:uDdb7Tfn0.net
>>468
農地のおおよその面積から人口を推算し、
中国周辺国で一般的な「戸/人数」をかけて求めたんじゃないか?

562 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:21:05.50 ID:ZRik2ASk0.net
>>554
全員事績が被っちゃったらおかしいし、
どうやって一系になるんだよ? 人類皆兄弟かwww
2600年前くらいまで、延ばしてください。

563 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:21:54.33 ID:imyA/+gT0.net
>>556
書いてある内容が検証に値するかどうかの差だよ
魏志倭人伝は単純な道中記で内容に具体性があるから実際にあった話である可能性が高い
記紀は記紀が実際に書かれた時代に近ければ近いほど歴史書として多少の意味は持つ
ただ上でも書いたけど文字すらない、300年前の昔の話をまともに記録できるはずがない
実際書いてある内容はヤマタノオロチとか八咫烏とか天照大神とかファンタジー色が強い
記紀を参考にするのは未来の人間がロードス島戦記を読んで「ロードス島にはエルフやドラゴンが実在したんだ!」とかいうレベル
話にならない

564 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:22:07.16 ID:d8Q0n/hQ0.net
>>558
女王国の東渡海千里で復(また)国有り、皆倭種。
どう見ても女王国は九州島で、豊の国から千里先の中国・四国地方は、復(また)国有りの倭種の出雲よ。

565 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:25:18.01 ID:3FdAPDf/0.net
600年以前の古代日本の歴史は
もう明治政府万系一斉の影響排して
学術的に構築し直しせばいいのでは
そもそも天皇じゃなくて大王ですから

566 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:25:30.53 ID:LWAFomya0.net
宇佐神宮のメインはどう見ても第二の御殿に祀られている「姫大神」

姫大神って要するに女性の神様って事。 わざわざ名前を言わなくてもだれの事かわかる

又は、恐れ多いので敢えて名前を言わなかったのかもしれない

567 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:26:13.88 ID:95+RQKBD0.net
>>553
みずから名乗ったのではなく
支那人が付けたあだ名じゃないのか

神武綏靖なんてのも平安時代につけた漢風のあだ名出汁

568 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:28:55.10 ID:1OQ784Fy0.net
>>562
桓帝と霊帝の間(146-189年)の倭国大乱の時に神武が九州から居なくなったという時代感
近畿ヤマトの誕生はそこから数年、数十年後か

569 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:32:13.60 ID:95+RQKBD0.net
>>565
万葉集には「於保支見=おほきみ≒大君」と書いてる。
万葉集は飛鳥奈良時代以前の日本語の宝庫
>>565
万世一系にこだわってるのは九州派

570 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:32:28.04 ID:uDdb7Tfn0.net
>>563
こらこら。
八咫烏のどこにファンタジー色があるんだ?

571 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:33:11.00 ID:fb/FOR/F0.net
魏志倭人伝の内容なんぞ信じてるほうがイカれてる
正史といえど異国系の記事は歴代ちゃらんぽらんなのを知らんのか

572 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:37:44.72 ID:R/8YN1+00.net
>>563
>記紀は記紀が実際に書かれた時代に近ければ近いほど歴史書として多少の意味は持つ

何でそんな事が言えるんだ?
近い年代の方が自己を正当化する為に改竄してる可能性が高いよ。

573 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:38:34.05 ID:imyA/+gT0.net
>>570
三本足の導きの神

574 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:38:34.99 ID:ZRik2ASk0.net
稲荷山古墳の鉄剣銘文は、ワカタケルは呼称だね。

ただし、ヲワケの471年だと、まだ先代なんで、皇太子?
てか、兄が天皇なんで側近ってことかな?
↑記紀見てもダメだぞw

天皇は、当代だとオオキミで名前は使わないのでは?

575 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:38:49.02 ID:R/8YN1+00.net
>>558
出雲は魏志倭人伝に書かれてる倭種じゃないかな。

576 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:40:47.39 ID:imyA/+gT0.net
>>571
魏志倭人伝の内容を信じないなら邪馬台国論争に参加する必要すらないな
まあ隋書にも邪馬台国の名が出るけどこれは「邪馬台国は九州」と書いてあるようなもんだし

577 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:42:53.68 ID:uDdb7Tfn0.net
>>573
それ後世で勝手に付け足された概念ちゃう?
八咫烏は普通に紀伊山地を根城にしてた人でしょ。

578 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:46:23.23 ID:R/8YN1+00.net
>>574
稲荷山古墳の鉄剣銘文をワカタケルと読むには漢音と呉音を混ぜて読む必要があり強引過ぎ
仮にワカタケルと読んだとしても若い大将程度意味で雄略の個人名とも限らない
地方の王かもしれない。

579 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:48:26.59 ID:imyA/+gT0.net
>>577
日本最古の歴史書に「神の使い」と記されてんのに後世もクソもなかろ?

580 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:53:29.39 ID:uDdb7Tfn0.net
>>578
6世紀の遺跡から出てきたなら雄略の可能性高いだろうし、
5世紀ならまず違うだろうな。

581 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:54:25.99 ID:uDdb7Tfn0.net
>>579
三本足なんてどこにも書かれてないよ。

582 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:56:25.63 ID:95+RQKBD0.net
しかし魏志倭人伝に倭に馬が居ないと書きながら
「馬」の字を使った地名などが多いのはどういう事だ
この謎も解き明かしていく必要があるぞ

倭人伝に使われてる漢字の使用頻度ランキングをする必要がある
誰か発表してる研究者が居るかな

583 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 12:59:12.29 ID:uDdb7Tfn0.net
>>582
魏の人が当てた漢字やろ。
そんなに不思議かな?

584 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:06:16.14 ID:ZrOqLm5H0.net
魏志倭人伝に書かれた伊支馬や彌馬升が、
記紀の生目や御間城である事は間違いないだろう。

585 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:08:27.04 ID:ZrOqLm5H0.net
また、日向系の豪族、
天皇家の進出の前に、
奴国系の物部氏の部族の
畿内進出があったという下りも、
考古学的に理に適っている。

586 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:12:23.30 ID:ZrOqLm5H0.net
また、山門八女の部族の卑弥呼&日本武尊を輩出した丹波氏が、
日本海側を進出して丹波に根を張ったというのが、
記紀や当時の伝承と一致しているのである。

587 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:17:07.23 ID:95+RQKBD0.net
馬が居ない国の地名の当て字に「馬」の字を使うのは ビッグバンや宇宙の果てに何が有るか
と同じ位の謎だわ

588 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:18:46.80 ID:imyA/+gT0.net
>>587
当て字だし意味なんかなかろ

589 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:21:05.41 ID:ZrOqLm5H0.net
また、宇佐の山手に神武(日向系の豪族)が
東征の際に逗留したと言われる場所が、
妻垣という地名で残っている。
日向を妻と言うのは、
記紀以前の相当古い時代であって、
ソレが残っている事が、
日向系の豪族の東征が実際にあった事を明示している。

590 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:23:59.11 ID:imyA/+gT0.net
>>589とか記紀書いた奴と同じメンタリティなんだろうな
調べようがない時代の話だから言いたい放題

591 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:25:25.68 ID:ZrOqLm5H0.net
私の書き込みは事実の列記でしかない。

592 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:27:03.45 ID:imyA/+gT0.net
>>591
俺には妄想の列記に見える

593 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:27:30.07 ID:ZRik2ASk0.net
>>578
倭人伝もだけどw 読めば良いだけだよ。

辛亥年七月 中記 乎獲居 臣 
上祖 名 意富比垝 其児 多加利足尼 其児 名弖已加利獲居 其児 名 多加披次獲居
其児 名 多沙鬼獲居 其児 名 半弖比 其児 名 加差披余 其児 名 乎獲居 臣

世々 為 杖刀人 首 奉 事来 至今 獲加多支鹵 大王 寺 在 斯鬼宮 時
吾 左治 天下 令作 此 百練利刀 記 吾 奉事 根原 也

オオヒコから皇族傍系で武人頭、宿祢になった家系。
天皇の在位期間は不定だけど、武人の家督相続は3〜40歳から5〜60歳だと、
150年から200年程度は続いてる公家の武人家。

つまり、大和朝廷も雄略以前、200年程度は遡れて270年位には武力統一は有った。
卑弥呼以降の九州統合〜古墳時代到来と一致する。

オオヒコが四道将軍だとヤマトタケルも神功も崇神も同世代かwww
雄略は倭王武と一致。 で、これも倭人伝同様で、ま〜た、記紀の反証。

594 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:27:36.36 ID:uDdb7Tfn0.net
一九州説では20世紀に既に有力視されてた仮説だが、
暦博士来日以後のどこかで1年を2年と数えていたのを現代と同じに変更した可能性が
纏向遺跡の発掘で現実味を帯びてきたので、
古代史研究者が優先的に取り組むべきことは
従来の紀年論の理屈を再度研究して完全に理解し、
暦博士来日以後のどこかで1年の長さを変更した場合考えられる紀年論を
推定することだろうな。
一つに絞れず多くの可能性が生まれるだろうが、
今後も増えていく考古学的物証と最も合致する紀年論を採用するという作業が
必要だろう。

595 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:30:05.23 ID:ZrOqLm5H0.net
妻垣の垣は、
妻国の豪族が馬を扱っていた事を暗示しており、
ソレを考慮すれば、
馬のいない邪馬台国の長官副長官だった、
妻国の豪族、生目、御間城以降に、
東征があった事になる。
(生目御間城が長生きして、3世紀後期に畿内に進出したとしても良い)

596 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:30:08.26 ID:uDdb7Tfn0.net
>>586
それ、記紀のどこに書かれてるの?

597 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:34:56.77 ID:ZrOqLm5H0.net
倭姫命周辺と高良大社の伝承である。

598 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:36:18.21 ID:RKGQxH7I0.net
>>444
だろ

西晋(265年 - 316年)の時代に書かれた『魏志』倭人伝の「対海国」「一大国」が正しくて

その後の

宋(420年 - 479年)が書いた
後漢(25年 - 220年)の『後漢書』(432年)
南北朝の斉(479年 - 502年)が書いた
宋(420年 - 479年)の『宋書』(488年)

唐(618年 - 907年)が一気に同時に書いた
晋(265年 - 420年)の『晋書』(648年完成)
南朝梁(502年 - 557年)の『梁書』(629年完成)
東魏(534年 - 550年)から北斉(550年 - 577年)までの『北斉書』(636年完成)
西魏(535年 - 556年)から北周(556年 - 581年)の『周書』(636年完成)
陳(557年 - 589年)の『陳書』(636年完成)
隋(581年 - 618年)の『隋書』(656年完成)

中華民国が1922年に再び編した『魏略』

の「対馬国」「一支国」は、書き間違いか別の島

599 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:42:39.03 ID:ZrOqLm5H0.net
北部九州の要害の地に位置する高良大社の始祖は丹波氏である。
丹波氏と言うのは、
今の丹波から出たのではなく、
この高良山周辺から起こった部族なのである。
そしてその丹波氏から出自した姫が、
倭姫命(やまとのひめみこ)=邪馬台国の卑弥呼である。
高良大社の麓には、弥生の後期に、
数十人の殉死のあった、
径100歩(50〜70m)の祇園山古墳が存在する。
魏志倭人伝の卑弥呼の墓である。
祇園山古墳は元々鏡山神社があった。
鏡に関係する古墳であった事を暗示しているのである。

600 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:43:41.47 ID:RKGQxH7I0.net
>>598 つづき
正しくずっと「対海国」「一大国」で書き続けられていたら、

『梁書』の記述は
帯方郡から倭に至るには、海(岸)沿いに航海して韓国を過ぎ、東へ行ったり南へ行ったりしながら、七千余里で、初めて一海を渡る。海は広く、千余里。瀚海(広い海)と名づけられている。 一大国に至る。また一海を渡ること千余里、名は未盧国

『隋書』の記述は
百済へ渡り、竹島に至る。南に耽羅国を望み、はるかな大海の中にある対海国を経て、また東の一大国へ至る

正しく書かれた『魏志』倭人伝の記述は
対海国は絶海の孤島
一大国はその南

なので

誰も、対馬と壱岐とは思わんよ

601 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:45:09.42 ID:ZRik2ASk0.net
>>587
それ、馬韓でも同じこと言えんの?

史書の上では、箕氏朝鮮、衛氏朝鮮が基本だけど
馬国の王、馬某、
馬韓の馬は遼東=朝鮮からの遺民王の中国名じゃないか
と、思うけど。

韓伝の所属24国5万戸の弁辰の、240年時点での梯儁による仮称、
投馬はこれにちなんだ表意文字の国名で
邪馬国みたいな、和語の音の置き換えじゃないね。

同様に、邪馬台国は和音邪馬国に有る卑弥呼の高楼「臺」は表意文字。

602 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:46:57.00 ID:ZrOqLm5H0.net
倭の姫巫女は天照大御神を祀る巫女で、
伊勢神宮の開祖となった姫で知られているが、
伊勢神宮が今の位置に鎮座する前、
伝承によると、丹後の天の橋立の付け根の、
元伊勢籠神社にあったと伝わっている。
丹波氏が、高良山から丹後を経由して
畿内に入っていったことを示しているのである。

603 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:49:06.99 ID:sV2WFdUS0.net
邪馬台国ってのは国名なの?いまの国名の認識と当時の認識は同じなのかな?
邪馬台が山門であるなら、国名じゃなくて単なる地名や土地の特徴を言ってるだけだと思うんだがな

604 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:51:53.09 ID:ZrOqLm5H0.net
また、丹後に絹織物を伝えたとされる8人の天女が、
弥生に絹織物の先進地だった山門八女から
古墳時代に丹後に絹織物の製造が伝わった事を示しており、
コレも絹織物の伝播の経路と一致する伝承である。

605 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:53:16.04 ID:+InrE4Wu0.net
ここに書き込んでいるほとんどの事柄が妄想だろう 書き込む以上はどこからネタを拾ってきたかを書くべきだろう 書かなかったら完全な妄想だ

606 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:53:38.16 ID:VlK8gF850.net
>>603
それぞれの首長が王を名乗ってたらしいから概念としては国と考えても間違いじゃないんじゃないかね

607 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 13:55:25.75 ID:RKGQxH7I0.net
>>600
そもそもだ

海を渡る先が「対馬」なら
唐が『梁書』倭人伝(629年完成)を書くときに、対馬を省く
なんてありえないだろ

つまり

西晋(265年 - 316年)の時代、台与がまだ朝貢している280年から297年の間に成立した『魏志』倭人伝に書かれている

狗邪韓国から「千余里海を渡って」絶海の孤島の対海国は
無視しても良いような小島なんだよ

608 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 14:02:47.91 ID:tiGvCLAu0.net
>>582
単に「漢字表記がない未開の蛮族が世界皇帝の徳を慕って貢物を持って挨拶に来たのを愛でて漢字表記を与えただけ」だからだよ。

固有名詞は聞き取りで音を当てるのが慣例で、発音の具合が違う当時の日本語というか倭人語を、その時点の公式の発音が近い字を割り振る。
繰り返して登場するなら「当時の中国人にとって同じと聞き取れる音だから便宜的に同じ字を当てただけ」のこと。
音を当てただけだから漢字自体の意味は全然関係ないから、牽強付会で意味をこじつけるのは間違い。
山田太郎(仮名)が山の田んぼの太い野郎の「意味」とかでは全然ないのと同じ。

肝心のその発音は、厳密に交渉を重ねた上で、ちょうどその当時は上古音と中古音のどちらか分からないと確定してるので単純ではない。

609 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 14:04:03.41 ID:RKGQxH7I0.net
唐が書いた『梁書』倭人伝(629年完成)
行ったのは魏の役人
行き先は祁馬臺国
対海国は出てこずにいきなり一支国で
末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国を経て邪馬壱國

唐が書いた『隋書』倭国伝(636年完成)
行ったのは唐の役人
行き先は奈良の大和政権
対馬を経由して、対馬の東の一支国で
末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国は出てこない

610 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 14:12:57.82 ID:GeOMUqAa0.net
>>584
在日さんのプログ
http://m.blog.daum.net/haedod/15672148
に似ています。50年ずらせばピッタリ。
後は記紀では紀元前の人物となっている。
卑弥呼.台与一族を取り込んだ?
邪馬推、邪馬壹国者也。台与の後、男王立つ並んで国を治める。新羅王の母親(丹波)、磐井(丹波新羅派)の乱

611 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 14:24:56.34 ID:ZrOqLm5H0.net
また、記紀の記述が正しい事を裏付ける遺跡がある。
出雲の荒神谷遺跡の大量の銅剣だ。
日本武尊が出雲を攻略する際、
出雲に飾りは豪華だが刃のない刀を送って油断させたと言う。
まさに、この荒神谷遺跡の、
☓印の付いた大量の銅剣こそが、
日本武尊が出雲健に送って油断させたと言う、
飾りは豪華だが刃のない刀で間違いないだろう。

612 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 14:28:09.25 ID:BiAQ+XTi0.net
>>582
当て字、魏側が聞き及び当てた字

ただ意味合いを持たせた当て字になっている

邪よこしま、いつわり、だます
馬おおきい
壹ひとつ、もっぱら、あつまる

鬼道を使って人心を惑わし大きく一つにまとまった国

まんまだな、意味はw

613 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 14:28:20.77 ID:uDdb7Tfn0.net
>>603
国は戸の集合と考えていいんじゃない。
国の集合が更に国を形成し、その連合国の集合が更に国を形成してくんだろうし。

>>606
長の呼称は地方によって違ってたんだろうな。
近畿地方では伝統的には「かみ」と呼ばれてた可能性が高いかもな。

614 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 14:32:04.46 ID:jcZn0KHs0.net
>>576
隋書には倭国は南北に三カ月、東西に五カ月で海に至る
邪靡堆を都とする、則ち魏志に謂う邪馬臺者なりって書いてる

隋書は邪馬臺国と遣隋使を送ってきたヤマトは同じだと考えてるね

615 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 14:47:11.91 ID:uDdb7Tfn0.net
>>614
それ、南北と東西に位置する辺を意味する記述が中国史書に散見されるみたいなこと
書き込んでるやつ見かけたことあるけど、どうなん?
仮に南北・東西の海岸沿いに荒野を歩くのにかかった時間なら九州に合致しそうやけど。

616 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 14:48:35.65 ID:ZRik2ASk0.net
投馬 が地名ではなく、弁辰韓24国5万戸であったなら
不彌國からは、絶対に直列する行程にはならない。
馬国、投馬国、邪馬台国は隣国であり、二国間に里程は無い。
邪馬台国は21国で7万戸。韓伝の馬韓と弁辰韓と同じ書式。 それだけの事。

01 倭人 在 帶方 東南 大海之中 依山㠀 為國邑 舊百餘國 漢時 有 朝見者
02 今 使 譯 所通 三十國 從 郡至倭

03 循海岸 水行 歴韓国 乍南乍東 到 其北岸 狗邪韓國 七千餘里
04 始度 一海 千餘里 至 對海國 其 大官日 卑狗 副日 卑奴母離
05  所居 絶㠀 方可 四百餘里 土地 山險 多深林 道路 如禽鹿徑
06  有千餘戸 無良田 食海物 自活乗船 南北市糴
07 又 南 渡 一海 千餘里 名日 瀚海 至 一大國 官亦日 卑狗 副日 卑奴母離 方可三百里 
08  多竹木 叢林 有三千許家 差有 田地耕田 猶不足食 亦南北市糴
09 又 渡 一海 千餘里 至 末盧國 有四千餘戸
10  濱山海居 草木茂盛 行 不見前人 好捕魚鰒 水無深淺 皆 沉没 取之
11 東南 陸行 五百里 到 伊都國 有千餘戸 官日 爾支 日 泄謨觚 柄渠觚
12  丗有王皆統屬女王國 郡使 往來 常所駐
13  東南 至奴国 百里 官日 兕馬觚 副日 卑奴母離 有二萬餘戸
14  東行 至不彌國 百里 官日 多模 副日 卑奴母離 有千餘家


15 南至 投馬國 水行二十日 官日 彌彌 副日 彌彌那利 可五萬餘戸
16 南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月
17  官有 伊支馬 次日 彌馬升 次日 彌馬獲支 次日 奴佳鞮 可七萬餘戸

18 自 女王以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳

19 次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
  次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國
  次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國
  次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國
20  此女王境界所盡
21 其南 有 狗奴國 男子為王 其官有 狗古智卑狗 不屬女王
22 自郡 至 女王國 萬二千餘里

617 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 14:51:40.98 ID:GeOMUqAa0.net
>>614
そこだよね解釈。
場所は違うが、人物が邪馬壹国者。
卑弥呼一族が奈良に移動し姻族関係?

618 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 14:52:39.12 ID:zLXjrTRl0.net
邪馬台国USA説

619 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 14:55:40.02 ID:dyeeTGyP0.net
>>574
雄略天皇は記紀によると418年12月 -479年9月8日の人間
だから記紀の年代で間違いはないんだがな

620 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 14:55:46.91 ID:uDdb7Tfn0.net
>>618
畿内説にも言える理由で却下やな。

621 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 14:59:04.91 ID:GeOMUqAa0.net
>>616
近畿説での狗奴国の位置?
熊襲、蜘蛛女(足8本)と話は、続く。

622 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:00:23.79 ID:dyeeTGyP0.net
>>590
日本書記には卑弥呼が神功皇后の時代にいたとある
時代的にも神功皇后の時代は200年から270年
表に出てきたのは仲哀天皇の190年からだからその当時の女王は神功皇后
ただ仲哀天皇がなくなったのが200年だから
その頃から夫を持たない独身の女王だった

卑弥呼が偽女王でも時代はぴったり合うのな

623 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:00:48.98 ID:GeOMUqAa0.net
>>619
記紀年代は、パラレルワールドだから
出来事中心に、している。

624 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:05:36.12 ID:jcZn0KHs0.net
>>617
隋書に邪馬壹国なんて書いてない
邪馬臺国

625 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:05:47.11 ID:GeOMUqAa0.net
>>622
10代目から14代目は、パラレル。
無理に万世一系にするから、矛盾が出る。

626 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:08:26.71 ID:GeOMUqAa0.net
>>624
字間違えただけだよ。
邪馬臺国者だよ。

627 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:10:21.42 ID:jcZn0KHs0.net
>>615
5世紀後半には埼玉から熊本まで同じヤマトの大王の影響下にあったのは確実
普通に九州から関東まで五カ月ということだろう

628 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:11:38.57 ID:ZRik2ASk0.net
>>615
倭国の国境は、南北に三月行、東西に五月行 を 海において至る。
であって、
国の大きさ、方可が南北3月行、東西5月行と言う意味であって、行程なんかない。

3月行は、楽浪付近の海から済州島までも3月行。
唐代で知った、裴世清の奈良の東の山までの国境で東西5月行。
東は山と言う証言なのに、中原より南北が大きい倭国を過小評価している。
南北3月行は、九州の南北。 一月行は、九州の北部三分の一、約2千里。

ちな、九州南岸から、東南船行1年=12月行は小笠原。まさか知ってたのか?

629 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:12:37.06 ID:dyeeTGyP0.net
>>594
まあそれはないんだけどね
それは戦後のGHQが考え出した説で元々は外国人が考え出した説
日本では神武天皇の時から干支紀日法を利用しているから

間違いがあるとすれば潤月や干支紀年法による誤差の修正の失敗
その例はあちらこちらにあると思うよ

しかし一年が2年になったり半年になったりするというのはない

天皇の寿命が長いのはただの系図などの破損によるもの
それは欠史8代の業績の欠如などから見受けられる傾向
よくよく見ると系図の破損も見受けられる

そして記紀の年代が正しくても魏志倭人伝や後漢書東夷伝は説明できるくらいに中身は実は符合している

630 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:13:15.77 ID:ZrOqLm5H0.net
仲哀天皇が190年だと、
馬を扱って古墳に埴輪を並べたた
垂仁天皇が更に前になってしまう。
つまりその前提は考古学上成り立たない。

631 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:16:39.82 ID:dyeeTGyP0.net
>>625
それはないね
別にそんなにおかしな記述は記紀にはなかったと思うけどね
垂仁天皇=倭国王帥升だし

632 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:17:25.34 ID:aRkhr/2q0.net
宇佐神宮近くの御許山の山頂にある神社まで
自転車で2回登ったけど、
2回とも神社で10余名くらいが座って
神事みたいなことしてた。
あれは何の団体なんだろう。

633 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:18:23.59 ID:ZrOqLm5H0.net
生目の部族が邪馬台国の長官になり、
やがてトヨの時代に馬に乗って
瀬戸内海を通じて畿内に進出して
大きな前方後円墳を築造したのが
およそ4世紀前後。
コレで間違いないだろう。

634 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:19:19.98 ID:R/8YN1+00.net
>>580
>>593
稲荷山鉄剣の獲加多支鹵が雄略かもしれない程度の話だな、違うかもしれないw
>>627
>5世紀後半には埼玉から熊本まで同じヤマトの大王の影響下にあったのは確実
全然確実な話じゃないなw

635 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:20:42.44 ID:GeOMUqAa0.net
>>627
東は、征伐。
西は、服従(武力でない)
卑弥呼一族取り入れて、一気に西国も無血で統合。従わない熊襲等を征伐

矛盾は旧唐書
姻族九州奴国グループが別に共存していた?
それとも、大和政権と対抗の為、朝鮮半島に移動するつもりだった?

636 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:20:42.51 ID:uDdb7Tfn0.net
>>627
中国の史書を根拠としてるなら、
倭王はおそらく大和政権を自分の属国として中国王朝に報告してたろうが、
その頃には九分九厘大和政権の方が九州北部勢力トータルより国力あったろうし、
大和政権は自分たちが日本列島の主だと思ってたろうな。
九州から近畿まででも南北三カ月東西五カ月はアンバランスなのに、
関東までじゃ明らかに違うように思うな。

637 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:20:49.43 ID:R/8YN1+00.net
>>628
>南北に三月行、東西に五月行

月は日の誤記だな、日本は超大陸じゃないからな。

638 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:21:52.19 ID:dyeeTGyP0.net
>>630
神功皇后は三韓征伐で大きな財源を得て先祖の供養をしただけ
つまり古墳文化の幕開けが神功皇后
そう考えれば矛盾はないと思うけど

実際にそうしなければならないほど熊襲との戦いは激烈なものだった
熊襲は鉄器を用いた非常に強力な軍だった
仲哀天皇は御所を山口県に構えて何年も熊襲と交戦していた

639 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:22:39.06 ID:GeOMUqAa0.net
疑問が秦王国

東海?関東?

640 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:25:53.15 ID:uDdb7Tfn0.net
>>628
普通かかった日数でもって距離を推察できるようにしてるはずでしょ。

641 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:25:58.66 ID:ZrOqLm5H0.net
大きな前方後円墳は馬の存在なしに
築造することは不可能。
つまり、馬のいなかった邪馬台国で作られることは無い。
実際に箸墓の外堀から使い古された
鐙が出てきた事が、
4世紀以降に箸墓が作られた事を
物語っているのである。

642 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:27:24.73 ID:uDdb7Tfn0.net
>>629
GHQが考え出した説って何を根拠にしてるの?

643 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:30:50.05 ID:ZrOqLm5H0.net
前方後円墳自体、
トヨの使者が洛陽の郊外で見たとされる、
司馬炎が冬至と夏至の祭りを合わせて行った、
円丘と方丘を合わせた祭壇で間違いないだろう。
つまり、前方後円墳の築造は泰始ニ年の266年以降の話しである。
初期の前方後円墳の最大の箸墓が、
当時の権力者の卑弥呼の墓というロジックは、
完全に失敗である。

644 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:31:48.54 ID:GeOMUqAa0.net
>>641
外堀なら後から増築も考えられるよ。

645 :高篠念仏衆さん:2020/11/03(火) 15:34:20.63 ID:BJkHeY9l0.net
>>487
魏志倭人伝の方が信憑性ないだろWWWWW

646 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:35:17.00 ID:ZrOqLm5H0.net
考えるのは自由。
誰も強制しない事だ。
しかし、自由に考えた結果として、
その論理が正しいか間違っているかの
結論を理論的に下さなければいけないのである。

647 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:35:24.05 ID:GeOMUqAa0.net
>>643
台与時代に大和政権と何かあったと思う。(武力以外で)

648 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:40:14.18 ID:wY4edWQF0.net
宇佐八幡宮神託事件のことを考えると、邪馬台国は宇佐が本命

649 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:42:06.61 ID:uDdb7Tfn0.net
>>647
長生きしてれば大和政権軍に殺された可能性があるかもな。

650 :高篠念仏衆さん:2020/11/03(火) 15:43:56.89 ID:BJkHeY9l0.net
旧唐書(945年)も魏志倭人伝(280〜297年)も滅んだ国の事書いてるわけだから。
宦官ももっと後じゃないのか?
何故かって?唐時代にベトナムへ宦官伝わってないから。

651 :高篠念仏衆さん:2020/11/03(火) 15:47:14.90 ID:BJkHeY9l0.net
ベトナムの宦官は11世紀入ってから。
Lý Thường Kiệtが初。

652 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:48:58.40 ID:WF/6jWVd0.net
>>647
大和政権ではなく、狗奴国に攻め滅ぼされたんでしょ。

戦争中にババアが死ぬし、後継者争いで身内を千人も殺す。
仕方なく後任に立たせたのが13歳の占い少女。
滅ぼされる気まんまんじゃねーか

653 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 15:56:34.51 ID:LeS2uGtm0.net
>>614
いや

隋書には倭国は南北に三カ月、東西に五カ月で海に至る
邪靡堆を都とする、則ち魏志に謂う邪馬臺者なりって書いてる

隋書を書いた唐(618年 - 907年)は
「邪馬臺国」と遣隋使を送ってきた「日本」は
同じ場所で、同じ国、だと考えてる

その考え方は

後晋(936年- 946年)に引き継がれて、後晋が書いた『旧唐書』では

倭国はいにしえの倭奴国・・つまり
後漢(25年 - 220年)が57年に「漢委奴国王」に任じた九州の国こそが【倭国】であり

日邊(日出の処)在るを以て、故に日本と名を為した
あるいは、邪馬台という名前が嫌で日本と言う名に国名を変えたという
大和の国【日本】は【倭国】ではなく、信用なら無い国だ

と敵対視されている

と、

654 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 16:05:18.58 ID:mph9h3ZG0.net
熊本がしっくりくるわ、北部九州がザコすぎて熊襲の一族斎女を引き入れ頼るしかなかったんやろな、それだけ由緒ある血統(姫氏)を受け継ぐ猛々しい狗奴熊襲の男王が恐ろしくてたまらんかったワケ

655 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 16:14:04.01 ID:tiGvCLAu0.net
>>612
それは単にあんまり良くない意味を持つ字を当てただけだから。
壱は台の単なる誤刻。

656 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 16:15:59.54 ID:GeOMUqAa0.net
>>652
魏志倭人伝
卑弥呼が死んで、男王立てるも殺し合いの期間がわからん。(数ヶ月の出来事)その後13才で台与を立てる(248年)で落ち着く。
梁書、北史
台与の後に男王立て並列(九州奴国?)
晋書
266年に台与が貢ぐ(25才)
さて、どう繋がる?

657 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 16:20:32.85 ID:Xt7S2exX0.net
>>527
実在が確実視されている古代天皇の平均在位期間は約10年
そこから逆算すると神武天皇は280年頃、
卑弥呼は天照大神の世代に当たる

https://ironna.jp/file/w480/h480/cover/b5088bb621886ce3234badcc2fe432fd.jpg
21代雄略天皇から50代桓武天皇までは平均在位期間約10年でほぼ一定

https://ironna.jp/file/w480/h480/cover/9acf111959dd4a0085f1d48c22dd6b8f.jpg
そこから計算すると神武天皇は280〜290年ころの人
卑弥呼は天照大神の世代

658 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 16:24:44.28 ID:eIIKLnHk0.net
邪馬台国はUSA

659 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 16:25:14.61 ID:WF/6jWVd0.net
>>656
邪馬台国は狗奴国に滅ぼされ、男王卑弥弓呼素が支配したんでしょ

660 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 16:27:37.95 ID:GeOMUqAa0.net
外交関係は台与一族(語学堪能)が担当
天皇は、国内担当。
別に姻族関係の九州倭の奴国グループ有り
共存共栄、狗奴国滅んだ記はない。
大和政権が狗奴国?
熊襲は別もん?

661 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 16:29:03.52 ID:VlK8gF850.net
>>654
ちょっと前にも書いたけど熊本にはトンカラリンと呼ばれる500mにも渡る謎の通路があるんよね
一説にはなんらかの祭事に使われていたものだと
時代的には4世紀かそれ以前の物だと言われてるけど少なくともそれだけ大掛かりなものを作れる勢力がそこにあったわけで
もしその勢力が邪馬台国であったとしても俺は不思議に思わない
隋書を読むに邪馬台国は阿蘇山が生活圏にあったと思われるしその意味でも和水町は位置的に合致する
トンカラリンの研究は今は進んでないみたいだけど個人的には是非調査してほしい史跡の一つ

662 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 16:34:17.60 ID:GeOMUqAa0.net
>>659
たんに卑弥呼と仲が悪いだけかも?

663 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 16:37:18.75 ID:VlK8gF850.net
ちなみにそのトンカラリンの近くではシャーマンと思しき女性の頭蓋骨が発見されている

664 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 16:40:07.29 ID:R/8YN1+00.net
>>645
魏志倭人伝の方が記紀よりは相当ましだな。

665 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 16:48:26.94 ID:VU3FU1n30.net
狗奴國との争いこそ
天岩戸伝説になってるんだな

狗奴國王も殺された(暗殺?)と予想する

スサノオじたいは追放って話になってるが
残党は熊襲になったんだろう

666 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 16:49:22.42 ID:VlK8gF850.net
>>664
上でも書いたけど魏志倭人伝は単純な道中記だからある種の事実を記しただけのものだから読み解く価値があるけど
記紀は特定の意図を持って作られた創作記だから(少なくとも弥生時代以前の記述においては)内容を読み解くだけ馬鹿らしいんよね

667 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 16:50:50.28 ID:WF/6jWVd0.net
>>662
説相攻撃状

戦争状態だと説明

668 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 16:56:03.46 ID:ZrOqLm5H0.net
狗奴国は熊襲で間違いないだろう。
熊襲を征伐したのが日本武尊であり、
日本武尊の歳の離れた叔母が、
倭の姫巫女であり、
コレが卑弥呼の歳の離れた弟に該当するのである。
狗奴国は卑弥呼の弟によって征伐されたのである。

669 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 16:56:53.77 ID:R/8YN1+00.net
>>666
記紀は500年後に創られたものだし政治色も濃いね。

670 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 17:00:03.13 ID:GeOMUqAa0.net
>>666
記紀も東夷伝を参照しながら創作。
たぶん、魏志倭人伝のような墓は見つからない。
卑弥呼一族 九州から奈良の宝来山古墳等に移動したと思う。碑に一致点が多い。

671 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 17:02:28.35 ID:GeOMUqAa0.net
>>667
卑弥呼の時はね。
その後、和平もありうる。その後の記がない以上
全てが推測。

672 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 17:05:07.78 ID:6wxbCxy80.net
奈良も大阪も京都も大氾濫原で、土木技術が
ない糞田舎の畿内人には無理
それをわかってて「九州は平野ないから」と
嘘八百の畿内説学者は人でなしのクズ
事実は奈良の単位当り収穫量は室町時代まで
低かった

673 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 17:12:03.16 ID:GeOMUqAa0.net
>>672
こういうのあります。
九州は水田稲作より畑じゃないかな?

https://www.jstage.jst.go.jp/article/sehs/81/4/81_563/_pdf/-char/ja

674 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 17:18:36.49 ID:GeOMUqAa0.net
>>672
つまり、神武天皇は東征でなく
開墾だよ。土木工事、紀伊半島の木材を器具にして伐採木を流す運河を作る。残土で古墳を巨大化、避難地、多目的。その結果がその資料。

675 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 17:23:21.82 ID:GeOMUqAa0.net
纏向遺跡でほとんど木製、
土木工事跡。ほとんど現地調達。
東海・吉備、環濠集落から人を集める。
東海・吉備系の土器が多く出る理由。
古墳時代到来と同じく環濠集落が消える。淡路の鍛錬所、原料入ってこない。

676 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 17:30:16.11 ID:DL14XyF+0.net
>>667
その戦争の痕跡がこれです
北部九州の邪馬台国と中部九州の狗奴国が争ってました

87 :ニューノーマルの名無しさん :2020/10/28(水) 02:23:05.26 ID:02Gx9kmc0
面白いものを見つけた
BS-TBSの諸説あり!の映像らしいが、弥生時代の鉄鏃が大量に出土した場所が
九州を横断するように存在している
どう見てもここが邪馬台国と狗奴国が戦闘してた戦線=国境ラインだろ

https://i.imgur.com/31R7rP6.jpg

677 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 17:34:56.45 ID:tdFB/eoD0.net
>>657
無意味すぎる

678 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 17:37:27.90 ID:LKSy62F50.net
纒向遺跡の調査結果
・全体的に閑散としており生活痕がほとんど無い
・土木用具ばかりで農具はほとんど無い
・土木作業員の「食堂」らしき貧弱な大型建物(柱細すぎ)
・柵の下の穴の底から桃の種多数(建物と同時に存在していたものではない)
・同じ穴からカエルの骨多数


■纏向調査結果
・木製の土木用具
・東海産の飯炊き土器および残飯
・建設作業員の食堂と見られる建物一式
・建物の柵の下の穴から桃の種
・同様にカエルの骨
・住居や農耕の跡はほとんどない
・九州および海外との交易の痕跡無し
・弥生時代の遺構そのものが極めて少ない
・周辺に大型古墳多数あり

■結論
纏向遺跡は古墳造営キャンプ場だったと考えるのが妥当である

679 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 17:40:12.03 ID:3Tk0yq7r0.net
>>678
纏向遺跡は日本書紀には垂仁天皇や景行天皇の宮殿があった所と書いてるよ

680 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 17:42:19.06 ID:euhn1CUN0.net
>>663
良くご存知で、一目でそうわかるように幼少のころから
頭蓋骨を強制的に形づけていたらしいね インカにも有った風習だとか
トンカラリンは第2が発見されたんだっけか、まだまだその奥が
有るらしいからすごい発見があるかもしれないっすね

681 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 17:45:16.81 ID:LKSy62F50.net
>>680
九州には女王文化があったという証拠だね
平原の被葬者も女性だったし

682 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 17:47:36.94 ID:LKSy62F50.net
>>679
纏向の大型建物の床下の穴から飯炊き土器が出ているのであれば、あの建物は高床式ではなく平屋だった可能性もある
宮殿を囲む城柵も確認されていない

683 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 17:49:49.96 ID:3Tk0yq7r0.net
>>682
垂仁天皇(3世紀後半)の宮殿 纒向珠城宮(まきむくのたまきのみや)
景行天皇(4世紀前半)の宮殿 纒向日代宮(まきむくのひしろのみや)

684 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 17:52:06.36 ID:66K1zNut0.net
トンカラリンの遺構は、あれは一体なんなのだろう。

685 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 17:55:26.18 ID:WF/6jWVd0.net
>>671
和平があったとしたら、少数派で指導者に難のある側が吸収されたろうね。

686 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 17:56:17.09 ID:WF/6jWVd0.net
>>676
倭国大乱との区別なんてつかんやん?

687 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 17:59:49.03 ID:ZRik2ASk0.net
南望 聃羅國 經 都斯麻國 逈在 大海中
又 東至一支國 又至 竹斯國

隋唐使時代は帆船だし、珍島から済州島に向った場合は
対馬目標ではなく、五島方面から平戸目標で接岸だろ。
都斯麻國は、五島のどこか

あとは普通に日本海ルートだけど、裴世清は瀬戸内海ルートだから
関門海峡通ったかは?で、タイシヒコも、わざと時間をかけさせて接待してるんで、
筑紫以降は何度か倭人船を乗り換えてるんじゃないかな?

瀬戸内海を現地案内無しで、一気に航海するのはまだ難しかったと思うぞ。
帰国も小野妹子の遣隋使船だから、この時は、瀬戸内海航路だね。

688 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 17:59:50.24 ID:VlK8gF850.net
>>680
トンカラリン一応研究してるんだ
隋書に記述のある宝石の付いた杖でも見つかれば結構強力な証拠になるんだけどな

689 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 18:02:18.84 ID:vmHRRyVo0.net
狗奴国とかいうのが邪馬台国を滅ぼしたとしたなら
なぜ狗奴国という名前を捨てて滅ぼした国の名前を採用する必要があったのかよくわからんな

690 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 18:03:50.72 ID:d8Q0n/hQ0.net
>>653
>隋書には倭国は南北に三カ月、東西に五カ月で海に至る

この南北行三月というのは、現代のわれわれの常識的な計り方表現とは逆になる。
すなわち、九州島のおおむね西端にあたる位置に1本南北線を引き、同様におおむね東端にあたる位置にももう1本の南北線を引く。
この2本の南北線の間を(東西に)旅すれば三月かかるという意味である。
同様にして、東西五月とは、北端に1本、南端に1本引いた、計二本の東西線の間を(南北に)旅すれば五月かかるということである。
つまり、われわれの常識に直せば、九州島の東西幅は三月行、南北幅は五月行となるのである。
ご承知あれ!

691 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 18:06:54.64 ID:LKSy62F50.net
>>689
だから日本と名乗った

旧唐書では、倭国と日本国(ヤマト)が別記されている。
https://i.imgur.com/LMs5IbV.png

◆倭国条 〜631年 (倭国時代末期)
「倭国者,古倭奴国也。」
(倭国はいにしえの倭奴国である。)
 
◆日本条 701年〜 (畿内ヤマト政権時代)
「日本国者,倭国之別種也。」
(日本国は倭国とは別種である)
 
 そして古代倭国との関係について
 日本国使者があれこれ言い訳をする。

「日本舊小国,併倭国之地。」
(小国だった日本国が倭国を併合した)
 ↑
これは遣唐使に倭国と日本が別国だったという認識が無ければ出てこない言い訳だ。

692 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 18:09:05.54 ID:1n0rByrw0.net
>>679
とするとやはり纒向は350-400年頃のものだな

693 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 18:11:52.13 ID:vmHRRyVo0.net
>>691
それは大和から日本に改名した理由がわかんないので色んな理由述べてみただけ

694 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 18:12:57.82 ID:ZRik2ASk0.net
>>653
隋書は裴世清の当代史。
唐書の作者の場合は、既に記紀を読んでいる。

筑紫城の神代記や、歴代天皇名まで書いてたりする、わけではあっても
記紀を読めば、倭人の話なんてもんは、現代日本人でも
5ちゃんの記紀厨くらいしか信用しないwww

695 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 18:22:56.19 ID:ZrOqLm5H0.net
卑弥呼が狗奴国征伐のために
帯邦郡に遣わした使者に烏越がいる。
烏越は日本武尊を祀る鳥越神社に関連しているものと考えられる。

696 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 18:26:46.53 ID:GeOMUqAa0.net
>>689
武力だけ考えるとそうなる。
和平があり、中枢部が移動する代わりに
国名を関連した国名に変更。大和政権(狗奴国説)

697 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 18:32:03.30 ID:ZRik2ASk0.net
日本 舊小国 併 倭国之地

日本は、昔の小国(漢時百余国)を併せて倭国の地に建国した。
ってことだろ? 漢文は、普通に素読で読んだ方が良い。

倭の五王の奏上も東西百余国を平定してるし・・・

句読点の有る漢文や変な漢字で通訳してる漢文は
倭人伝論争の日本語訳もだけどw 歴史の捏造を疑うべきだぞ。

698 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 18:35:39.69 ID:d8Q0n/hQ0.net
(其の10)邪馬台国佐賀ルート
現状、筑後平野+佐賀平野は広大だ、博多平野+糸島平野の10倍はある。海岸線が迫っていた古代でも5倍はあったであろう。
しかし、その中央を筑後川が縦断しており、河川とそれに付随する沼沢地で、古代の南北渡河交通は困難を極めた。
日常的に諸衆が往来するには、はるか上流の朝倉ー浮羽ラインまで遡らなくてはならなかった。

事実、景行天皇が南九州から凱旋するときも、八女市からは(平たん路の久留米経由でなく)、
山間の黒木近傍の山街道を通って直接浮羽市へ至っている。
則ち問題は、古代の筑後川下流域において、多大の人員物資をどのようにして渡河させ得たのかということに尽きるわけである。

699 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 18:36:21.14 ID:hassWzRC0.net
邪馬台国は宇佐に決まりました。以上。

700 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 18:37:03.08 ID:vmHRRyVo0.net
>>696
邪馬台国てのは一つの国であり同時に連合国の名前
魏志には対馬国など邪馬台国に属してると書かれてあり
邪馬台国を中心に倭国は連携してるのが知れる

つまり邪馬台国の中枢部を移動させた場合、それまで邪馬台国に属していた各国に
戦争に負けた旨を説明し中身を変えることを納得させないといけない

701 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 18:43:29.01 ID:ZRik2ASk0.net
倭人伝 行程って、邪馬台国の21国詳細報告を含めても、これだけ。
中学生でも読める。

01 倭人 在 帶方 東南 大海之中 依山㠀 為國邑 舊百餘國 漢時 有 朝見者
02 今 使 譯 所通 三十國 從 郡至倭

03 循海岸 水行 歴韓国 乍南乍東 到 其北岸 狗邪韓國 七千餘里
04 始度 一海 千餘里 至 對海國 其 大官日 卑狗 副日 卑奴母離
05  所居 絶㠀 方可 四百餘里 土地 山險 多深林 道路 如禽鹿徑
06  有千餘戸 無良田 食海物 自活乗船 南北市糴
07 又 南 渡 一海 千餘里 名日 瀚海 至 一大國 官亦日 卑狗 副日 卑奴母離 方可三百里 
08  多竹木 叢林 有三千許家 差有 田地耕田 猶不足食 亦南北市糴
09 又 渡 一海 千餘里 至 末盧國 有四千餘戸
10  濱山海居 草木茂盛 行 不見前人 好捕魚鰒 水無深淺 皆 沉没 取之
11 東南 陸行 五百里 到 伊都國 有千餘戸 官日 爾支 日 泄謨觚 柄渠觚
12  丗有王皆統屬女王國 郡使 往來 常所駐

13  東南 至奴国 百里 官日 兕馬觚 副日 卑奴母離 有二萬餘戸
14  東行 至不彌國 百里 官日 多模 副日 卑奴母離 有千餘家


15 南至 投馬國 水行二十日 官日 彌彌 副日 彌彌那利 可五萬餘戸
16 南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月
17  官有 伊支馬 次日 彌馬升 次日 彌馬獲支 次日 奴佳鞮 可七萬餘戸

18 自 女王以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳

19 次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
  次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國
  次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國
  次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國
20  此女王境界所盡
21 其南 有 狗奴國 男子為王 其官有 狗古智卑狗 不屬女王
22 自郡 至 女王國 萬二千餘里

702 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 18:44:50.87 ID:uLMLNkFH0.net
以前見たコピペばかり
もうこのスレはおしまいだわ

703 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 18:53:49.92 ID:euhn1CUN0.net
1.天御中主(あめのみなかぬし)
2.天村雲尊(あめのむらくものみこと)→英彦山神宮
3.天八重雲尊(あめのやえくものみこと)
4.天弥聞尊(あめのににぎのみこと)
5.天忍勝尊(あめのおしかつのみこと)
6.瞻波尊(みなみのみこと)
7.萬魂尊(よろずむすひのみこと)
8.利利魂尊(ととむすひのみこと)
9.國狭槌尊(くにさづちのみこと)
10.角?魂尊(つのそむすひのみこと)
11.汲津丹尊(くみつにのみこと)
12.面垂見尊(おもだるみのみこと)
13.國常立尊(くにとこたちのみこと)
14.天鑑尊(あめのかがみのみこと)
15.天萬尊(あめのよろずのみこと)
16.沫名杵尊(あわなぎのみこと)
17.伊弉諾尊(いざなぎのみこと)→多賀神社
18.素戔烏尊(すさのおのみこと)→須佐神社や祇園社
19.天照大神尊 (あまてらすおおみかみのみこと)
20.正哉吾勝速日天押穂耳尊(まさかあかつはやひあめのおしほみみのみこと)
21.天彦尊(あまつひこのみこと)
22.炎尊(ほむらのみこと)
23.彦瀲尊(ひこなぎさのみこと)

これが王年代記に記された23代 天照の前に素戔嗚が居るのがおもしろい
そしてこの年代記では神功皇后は天皇と記されてる
いろいろ政治的な思惑が働いてたんやろね

704 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 19:00:30.47 ID:d8Q0n/hQ0.net
(其の11)邪馬台国佐賀ルート
では、肝心の筑後川を日常的にどうやって渡れたのか、あるいは物資を渡せたのかということである。
が、意外な方法で渡れたからこそ、当時の不彌国(吉野ヶ里)が極めて大きな政治力・経済力を持っていたのであろう。

有明海に注ぐ筑後川は結構な水量があり、通常、これを横切って南岸の久留米市城島へ渡るのは簡単ではない。その逆もしかりである。
しかし筑後川のこのあたりには、世界的にもまれな特殊な自然現象があった。

705 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 19:01:18.50 ID:u9jeMJnu0.net
ゆきな
90 457777 32

706 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 19:06:48.90 ID:USDHA5bW0.net
邪馬台国が狗奴国に滅ぼされた説よく見るけど何が根拠?
魏の冊封下に入る、新羅に侵略するなどどう見てもイケイケなのは倭国の方だし、
魏への報告も、倭人の何人かが魏の中郎将になってるのだから当たり前のことだわ

707 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 19:07:32.60 ID:ZRik2ASk0.net
>>703
記紀じゃなくて、王年代記ってのが有ったんですね。
すみません。 ご教示、ありがとうございます。

まあ、天地創造の高天原で筑紫城の23代の王ですよね?
興味あるけど、在位期間と世代交代の基準聞くのは、頭がおかしいかもね?
これも全員、倭人伝が筑紫だと、57年〜250年に存在させたいのかな?

708 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 19:11:28.02 ID:uDdb7Tfn0.net
>>706
「狗奴国=大和政権」みたいなこと書いてたから、
畿内説と同様の理由で却下していいと思うよ。

709 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 19:12:58.59 ID:zJY4YXEi0.net
もういい加減にしろよ
国辱みたいな町おこし疑似科学に予算つけるの。
特に畿内なんか酷すぎるが九州もたいがいだな
てめえらのカネで同好会でも町おこしでも勝手にしろ。
学術会議みたいなクソがいるからこんな擬似科学がのさばる。
論理なき日本考古学、とかバカにされるわけだわ

710 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 19:14:32.53 ID:zJY4YXEi0.net
悔しかったら英語で論文書いて海外の学術雑誌に査読してもらえ
まず論理がないからボツだろうけどなw

711 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 19:17:51.98 ID:LKSy62F50.net
>>691のつづき

■参考
遣唐使に参加した伊吉博徳書には、我客(倭国)と別倭種(日本国)の使節団が
中国で争いを起こしたと書かれている

■結論
この時点で倭国と日本国は別政権でした
やはり日本が統一政権となったのは8世紀という事で間違いない>>691

712 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 19:19:28.10 ID:LKSy62F50.net
>>710
海外の見解

https://youtu.be/6Z0avSjgtHo

713 :高篠念仏衆さん:2020/11/03(火) 19:24:12.33 ID:BJkHeY9l0.net
>>701
投げやりじゃんw
19

714 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 19:27:44.63 ID:0wOKSVJX0.net
>>674
開墾は一代で一反
100代かけてもまだ九州の中

715 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 19:34:31.30 ID:ZrOqLm5H0.net
彌馬獲支←御間別

これ、崇神天皇の分家という意味だな。

716 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 19:48:08.72 ID:d8Q0n/hQ0.net
(其の12)邪馬台国佐賀ルート
それは有明海の大きな干満差(現在約6m)の余波・余禄である。
つまり有明海の大干満差によって、1日2回の満ち潮どきには筑後川に遡上流が生じ、その影響は河口から16q上流まで及ぶという。
このため吉野ヶ里町の南の筑後川べりにある神崎市千代田町迎島〜三養基郡みやき町三根地区辺りも、
当然ながらこの恩恵を受け、満ち潮に乗って対岸の城島へ渡るのは意外にたやすい。その逆コースもしかりである。

717 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 19:59:02.03 ID:/7aKhQO20.net
>>708
どうして?
後漢書
東に千里に狗奴国の記。
九州+山陰等の貿易国の王様連合。
卑弥呼の前に青谷上寺地遺跡、九州で大乱。

718 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 20:02:17.72 ID:/7aKhQO20.net
>>714
奈良で近江と
12代目ぐらいまで天皇はあっちこっち移動。

719 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 20:04:43.57 ID:Mx5kwMJA0.net
相変わらず邪馬台国基地外ブログの自説垂れ流しスレだなw

720 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 20:09:43.17 ID:ZRik2ASk0.net
既出では、ありますが、和語の音の参考に・・・
【倭人伝に見る、諸国名、倭人名考察】
【王名】 
奴王/(難)升米
都支王/(都市)牛利
巳百支王/(伊聲耆)掖邪狗
*国名参問と帯方郡での名乗りで記録の当て字が別

邪馬台/卑弥呼
狗奴王/卑弥弓呼
卑弥 が役名で呼が女性、弓呼が男性

【247年 張政による漢語化 和語の固有名詞人名】
張政は遣倭載斯烏越等詣郡の倭人船に同行で来日の郡の官僚で査察者
帰国は壹與の遣使掖邪拘等二十人 と送政等還因詣臺

對海/卑狗 卑奴母離
一支/卑狗 卑奴母離
伊都/爾支 泄謨觚 柄渠觚
奴 /兕馬觚 卑奴母離
不彌/多模 卑奴母離 

*對海 一支 奴 国名は魏の東夷概念図や漢文書を踏襲=表意文字である
*伊都 は 伊国に置いた都の意? 奴国の中の伊地域かな?
*卑奴母離は現地任命の官ではなく乗船者、同行者の可能性が高い
*卑は役職名で狗国(狗邪(韓國))の卑及び 奴国の卑で名が母離
*泄謨觚 柄渠觚 兕馬觚 多模は国名不明で、女王国21国外、一大率の役人?
【240年 梯儁による漢語化 和語の固有名詞人名】
梯儁は郡の将軍だが卑弥呼に金印紫綬の皇帝の使者で卑弥呼王宮まで行軍
奇襲に使った帆船と思われ、魏軍として初めての宝物を運んだ韓西岸行軍、対馬渡海。
行軍については、水行、陸行に関して里程を示せる経由地、宿営地名は無い。

投馬/彌彌 彌彌那利
邪馬壹/伊支馬 彌馬升 彌馬獲支 奴佳鞮
狗奴/狗古智卑狗

*投馬国は、無名時の弁辰韓5万戸24国の仮称=表意文字である
*彌彌 彌国の彌なら王、彌彌那利なら、その子分?
*伊支(壱岐の)馬、彌馬は邪馬で升、獲支。奴国の佳鞮。
*狗古智卑狗 狗国の古智。役名が狗国の卑。狗奴国の省略形?
*邪馬壹 名無しの女王国21国、7万戸の梯儁による仮称。
*壹は臺を、曹家に配慮して陳寿が修正。


梯儁の 漢語化邪馬台国所属の参問21国 国名
斯馬 巳百支 伊邪 都支 彌奴 好古都 不呼 姐奴 對蘇 蘇奴
呼邑 華奴蘇奴 鬼 為吾 鬼奴 邪馬 躬臣 巴利 支惟 烏奴 奴
狗邪(韓國)

国家概念としての国 
投馬(24国5万戸)邪馬壹(21国7万戸)狗奴(?) 参照・馬韓(54国10万戸)
国家名の説明で所属国列記は、韓伝、倭人伝共通の筆法。

721 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 20:11:02.67 ID:nJkLh+aD0.net
記紀は史人百済人が書いたもんだろ、参考までだが。まああってるなら漢委奴国までは九州。また対海国は翰海を望む国、だから半島系であるから100ヵ国時代は半島一部含むかもしれん。記紀もちょうねんの年代記も神武まで九州となってるからそうだろ、その国住むこと7、80年だから畿内に移ったのかそのころ57年の国ならそうは言わない。

722 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 20:19:59.02 ID:LKSy62F50.net
>>456
>>719

朝日新聞DIGITAL 2020年10月14日 15時00分
https://www.asahi.com/articles/ASNBG3HLFNBFULBJ00P.html

縄文人の影響度が高めに残るのは沖縄県と九州や東北の各県で、低めなのは近畿と四国だった。

723 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 20:25:49.33 ID:95+RQKBD0.net
>>609
「祁」はキと言う音読みだから
明らかに写し間違いというケアレス・ミスwww

724 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 20:25:51.35 ID:+InrE4Wu0.net ?2BP(1000)
https://img.5ch.net/ico/nida.gif
宇佐国は三十数カ国からなる邪馬台連合国家の1つであり、邪馬台国本国は福岡県の
筑後地方にあった。

725 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 20:36:30.00 ID:95+RQKBD0.net
>>699
卑弥呼の墓だというのはどうするんだ
さっさと発掘して証拠を出せ

726 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 20:37:15.37 ID:/7aKhQO20.net
狗奴国 大和政権説 
卑弥呼が亡くなって、
男王立てるも治まらずあい殺伐。狗奴国にとって絶好の機会、台与を立てる時間まで与える。つまりは遠方にあり情報が入ってこない

727 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 20:44:29.61 ID:95+RQKBD0.net
>>675
生駒金剛山系や六甲山系の花崗岩=御影石の成分「雲母=きらら」から
酸性雨に溶けてベンガラと言う名の褐鉄鉱という鉄鉱石原料
及び出雲吉備ルートの朝鮮の鉄の破片がある。

728 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 20:48:42.07 ID:ZRik2ASk0.net
周旋可5千里と言う狭さや、
240年辺りまでの遺跡、楽浪交易の出土品から見て
宗像以東、小倉〜行橋、宇佐、別府のような筑紫平野以東の瀬戸内海地域
唐津以西、呼子や長崎、平戸、五島の熊本ルートは
邪馬台国21国に含まれないかな? と思うんだけど・・・
考古学って、役に立ってんのかな?

倭人伝のテーマ
今 使譯 所通 三十國 從郡至倭
の30国って、
邪馬台国列記21国と行程の7国
国家概念の、投馬国24国5万戸、邪馬台国21国7万戸、狗奴国?女王以南
まあ、投馬国24国5万戸は、倭じゃなくて韓かも? 
246年制圧後の韓伝でも、弁辰韓混合の疑問の植民地域。

729 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 20:54:02.10 ID:d8Q0n/hQ0.net
(其の13)邪馬台国佐賀ルート
船であれば申し分ないが、竹筏に櫓櫂を取り付けた程度でも、逆潮を利用する筑後川渡河輸送には十分役立ったであろう。
かくして不彌国(吉野ヶ里)は、九州島のど真ん中の東西南北行の十字路に陣取り、長年にわたって君臨できたのである。
(余談ながら鉄橋により筑後川を30秒で渡れる現在では、この十字路は東へ移り、高速道路の巨大鳥栖ジャンクションに取って代わられている)

730 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 20:56:47.13 ID:LeS2uGtm0.net
>>728
たとえばさ

57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜った
倭奴國の漢委奴国王は、その印綬が出土しているから
考古学が成立するけど

邪馬台国は「この出土品・遺跡は邪馬台国のもの」というモノが一切無いんだから、考古学もクソも無いのよ

731 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 20:59:23.42 ID:LeS2uGtm0.net
>>720
一支国じゃなくて一大国だっつーの

732 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:00:01.29 ID:jcZn0KHs0.net
>>728
魏志韓伝に痕跡もなく、魏志倭人伝の邪馬臺国の直前に書かれてる投馬国が韓国かもと考えた理由は?

魏志韓伝に馬韓弁韓辰韓の国数も戸数も記載されてるが、「投馬国」と一国で記載されてる投馬国五万戸が韓国内かも、と考えられる理由は?
投馬国と馬韓弁韓辰韓との関係は?

733 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:01:48.70 ID:VEBgnT+f0.net
狗奴国が地名に由来するのでなく、「あの犬野郎め」という倭人の罵詈雑言に由来するのなら北部九州の南にも海を渡った東にも敵として侮蔑する対象はいたかも知れんね
南の犬野郎を征したあとは、東の犬野郎に矛先が向かうのは当然だよな
後漢書が書かれた四世紀時点での倭国観で小賢しい范曄が勝手に過去を書き換えたのだろう

734 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:02:10.69 ID:ZRik2ASk0.net
狗奴国って熊本の菊池地域は、熊襲じゃなくて
筑紫が、大和政権に参加したくらいで、一緒になってんじゃないの?
まあ、阿蘇以南、鹿児島までは熊襲、隼人の類だろうけど。

735 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:04:05.66 ID:VEBgnT+f0.net
>>733
間違えた
後漢書は5世紀だ

736 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:04:07.16 ID:LKSy62F50.net
ヤマトの歴史の幕あけです
渡来人について(抜粋)https://i.imgur.com/V1RKi6q.png

産経新聞(2018.11.28)
最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html
〜 大陸から来た渡来人の重要施設とみられる国内最大級の 〜
建築年代は4世紀末〜5世紀初めと推定され、最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。
〜 省略
白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長(考古学)は、建物の時期についてはさらに
検討が必要としながらも、「(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが営んだ重要な
施設があったことは間違いない」とみている。

737 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:04:47.38 ID:LeS2uGtm0.net
【行き】末廬国(島根県の松江)から
【北に進んで】一大国(隠岐の島)
【北に進んで】日本海(東海)上にある絶海の孤島の対海(トウカイ)国(鬱陵島?)
【西に進んで】朝鮮半島沿岸を伝いながら弁韓の弁辰狗邪国(狗邪韓国)
【西に進んで】耽羅国(済州島)を南に見ながら黄海側にある帯方郡

【帰り】朝鮮半島の黄海側にある帯方郡から
【東に進んで】耽羅国(済州島)を南に見ながら弁韓の弁辰狗邪国(狗邪韓国)
【東に進んで】日本海(東海)上にある絶海の孤島の対海(トウカイ)国(鬱陵島)
【南に進んで】一大国(隠岐の島)
【南に進んで】末廬国(島根県の松江)


唐が書いた『隋書』倭国伝(636年完成)
行ったのは唐の役人
行き先は奈良の大和政権
対馬を経由して、対馬の東の一支国で
末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国は出てこずに
竹斯国(筑紫)− 東の秦王国 − 十余国を経て − 奈良

とは、目的地はおなじ畿内でも全く別ルートだな

738 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:08:15.98 ID:jcZn0KHs0.net
>>733
狗奴国は明らかに固有名詞
邪馬台国の南って魏志に書いてるから南だろう
時代によって南になったり東になってたまるか

あ、魏志倭人伝が南と東を間違えてたのかな

739 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:08:56.24 ID:LKSy62F50.net
>>737
対馬、壱岐の倭人は米が不足したときは南北に船で買い付けに行ってたと書いてある
短期間で往来できる距離と考えられる
中継点が隠岐の島でない事は確かだ

740 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:11:52.14 ID:Z5ieYhi+0.net
>>739
不足したときと言うより、
ほぼ毎年足らないんじゃなかったかな。

741 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:12:36.31 ID:LKSy62F50.net
>>738
狗奴国の「狗」は「反〜」という意味だろ
つまり奴国に反発する反奴国連合を意味すると考えればよい

「狗」は今の中韓でも相手を蔑視する際によく使われてるだろ?

742 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:16:43.48 ID:jcZn0KHs0.net
なるほど魏志倭人伝の南は実は東の間違いだと分かって後漢書の書かれた5世紀に修正されたってことか

九州説からこの見解が出たのは興味深いな

743 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:19:41.50 ID:d8Q0n/hQ0.net
(其の14)邪馬台国佐賀ルート
さて、倭人伝が語る女王国への行程も終盤になった。不彌国からの行程は、次のように手短かである。
・南至る投馬国、水行二十日
・南至る邪馬台国女王之所都、水行十日陸行一月

この水行・陸行に関しては、実に様々な解釈が行われてきた。
しかしここで振り返って、伊都国からの行程記述を再確認してみよう。
A:東南至る奴国100里
B:東行至る不彌国100里
このAとBの文は同一のカタチ(構文)で書かれている。
お馴染みの例でいえば、
右に見えますのが皇居でございま〜す、左に見えますのは丸の内でございま〜す、というバスガイド調の語り口である。
このように、同じ構文を2つ並べてとうとうと語るのを駢儷体と言うらしい。
日本でいえば講談調といって良いかもしれない。
つまり倭人伝は、伊都国からは、奴国と不彌国の二股行程を案内しているのである。。

744 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:25:06.50 ID:d8Q0n/hQ0.net
>>737
確かに行き先は奈良の大和政権で良かろう
>対馬を経由して、対馬の東の一支国(沖ノ島)で、
>竹斯国(筑紫・宗像)− 東の秦王国(中津・宇佐) − 十余国を経て − 奈良大和
(もちろん、九州内の末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国は出てこず)

745 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:28:44.29 ID:d8Q0n/hQ0.net
>>737
九州内の場合は、
末廬国(唐津中原)−伊都国(佐賀川上)−奴国(現・佐賀市街)−不弥国(吉野ヶ里)−投馬国(宮崎西都の都万)

746 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:34:25.44 ID:VlK8gF850.net
>>731
今のところ一支国=一大国とは限らないけど否定するほどの材料もないのでは?

747 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:37:45.08 ID:XD2w+2790.net
>>742
北九州+若狭北陸の貿易国が範囲。
魏志と後漢書を矛盾なく、考えると
そうなった。さらに千里距離が追加。

748 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:38:16.00 ID:d8Q0n/hQ0.net
(其の15)邪馬台国佐賀ルート
そして伊都国から実際に移動した先は不彌国なのだが、
ここからもまた二つのよく似た構文によって、、
はるか南の投馬国(宮崎西都市都万)と、同じく南の邪馬台国女王之所都(熊本阿蘇)の二股行程を案内しているのである。
実際に吉野ヶ里からの方角と直線距離(道里)を計ると、宮崎西都市は南南東約180q、熊本阿蘇も南南東で約100qとなる。
なお、唐津中原港から吉野ヶ里不彌国までは約50qであるので、これを足すと、唐津から〜女王之所都(熊本阿蘇)までは150qとなり、
つまり、上陸してからの陸行は、倭人伝の記述通り丁度2000里となるのである。  ・・・・・・・ (終 演)

749 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:39:27.38 ID:LKSy62F50.net
魏志倭人伝より
倭人の墓:「其死 有棺無槨 封土作冢」
卑弥呼の墓:「大作冢 徑百餘歩 殉葬者奴碑百餘人」
同じ「冢」と記述されている

つまり卑弥呼の墓はこれ↓を大きくしたものであり、前方後円墳は見当違いである

ヤマトの影響を全く受けていない城野遺跡/福岡県 北九州市
中国産の水銀朱がたっぷりと敷き詰められた石棺
https://i.imgur.com/T09gWYm.png

750 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:40:05.02 ID:VEBgnT+f0.net
匈奴、倭奴、狗奴
これらは特定の地名に由来するのじゃなく、支那人のイメージからつけられてる気がする

751 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:41:49.03 ID:BiAQ+XTi0.net
>>750
基本ヘイト

752 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:43:09.06 ID:LKSy62F50.net
>>741のつづき
狗邪韓国は反韓国
のちの任那かもしれん

753 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:45:27.51 ID:XlKAKd9g0.net
>>739
んなこたぁなかんべ

海を渡ること千里

なんだから

754 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:50:36.59 ID:XlKAKd9g0.net
>>744
うん、オレもそう思う

神武が奈良の邪馬台国を平定して、九州の本家から分家して

朝鮮半島西岸の百濟から沖合いの竹島に出て
【東に進んで】済州島を南に見ながら海流に流されて対馬に渡り、
【東に進んで】対馬からまた海流に流されて一支国

までは共通で、そこから

分家の「大和政権」に行くには【東に進んで】末廬国(島根県の松江)
本家の九州「筑紫城」に行くには【西に進んで】竹斯国(筑紫)

に変更

邪馬台国が使用していた

(東海)上にある絶海の孤島の対海(トウカイ)国と、一大国(隠岐の島)は、主要ルートじゃなくなった

755 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:55:46.00 ID:euhn1CUN0.net
>>735
まとめられたのが5世紀ってだけで、後漢書を陳寿も裴松之も参考に見てるよ
平成に夏目漱石全集出たからって平成に漱石が書いてたわけじゃない

756 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:58:29.10 ID:XlKAKd9g0.net
>>754 だから

唐が書いた『梁書』倭人伝(629年完成)
行ったのは魏の役人
行き先は祁馬臺国
対海国は出てこずにいきなり一支国で
末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国を経て邪馬壱國

その後、本家の九州「筑紫城」が断絶


唐が書いた『隋書』倭国伝(636年完成)
行ったのは唐の役人
行き先は奈良の大和政権
対馬を経由して、対馬の東の一支国で
竹斯国(筑紫)− 東の秦王国 − 十余国を経て − 奈良
にルートを一本化

末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国は出てこない

757 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 21:58:56.63 ID:+InrE4Wu0.net ?2BP(1000)
https://img.5ch.net/ico/nida.gif
卑弥呼の宮殿は城柵、楼観があり日夜兵士が監視をしていたと倭人伝に記載がある
奈良のどこの遺跡から城柵や楼観の痕跡があるのが見つかったのか?

758 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 22:04:43.05 ID:ZRik2ASk0.net
>>732
投馬国、邪馬臺国、21国を命名または、漢字化できたのは、240年の使譯、梯儁だけ。
韓伝は246年韓制圧戦以降、臣智の官制、246年以降の韓情報。

馬韓54国、10万戸。 しかし、韓王朝は滅び、各国に王は無い。
辰韓12国、弁韓12国、含む5万戸、帯方郡が臣智?以下を任官。
王は、馬韓で辰韓を治める謎のシステム?

弁辰狗邪国=狗邪韓國は、247年の倭人船寄港地で、張政の情報。
弁韓12国、後の任那、狗邪韓國含む、倭人混在植民地、王=大夫=領主制継続。

>「投馬国」と一国で記載されてる。 
弁辰韓24国5万戸は、弁韓12国と辰韓12国。 これが、女王国以北の魏が知ってる「投馬国」

「邪馬台国」は、同様に21国が属する7万戸の筑紫地域の、周旋可5千里の一国である。
「投馬国」と「邪馬台国」間の里程は対馬海峡だが、国の概念では隣接で里程は無い。

馬国 投馬国 邪馬台国 で、水行30日これは、行軍日数概略。
邪馬台国=筑紫上陸後の陸行一月が、21国のいくつかを通過して南国境に有る女王宮までの距離。
一月行の意味は、他文献で、3月行、5月行を参照するしかない。 ほぼ2千里だよ。

759 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 22:17:53.07 ID:VEBgnT+f0.net
>>755
先行する後漢書を参照したのは間違いないけど、ただ集めただけ、まとめただけという喩えは間違ってないか?

760 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 22:21:27.09 ID:euhn1CUN0.net
>>756
隋書はまだましだが、梁書諸夷伝・倭の条は誤字、脱字、意味不明な錯誤だらけで
酷いもの、魏の役人が行った?どこへだ?
全文先史の丸写しだよ、それもついでに書いた風情だから意味が通らないところ多数

のっけから「帯方を去ること万二千里」・・・・どこまでなんだよw
「海に循い水行す」・・・海によりそってどこへ行くつもりだw
他にも意味不明な点が多すぎて編集スタッフはド素人の集まりだったのかと思われるw

761 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 22:23:39.16 ID:jcZn0KHs0.net
>>758
要点がまったくわからない。
端的に投馬国五万戸が韓国だと考えられる理由をたのむ。
あと体言止めはやめたほうがいい。
読みにくい。

762 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 22:24:07.38 ID:euhn1CUN0.net
>>759
後漢書は少なくとも3系統あったそうだ、そのうちの1系統を陳寿は見てる
それをどうまとめたのかはわからんが、正史に仕上げたのは確か

763 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 22:25:25.89 ID:ZRik2ASk0.net
>>758
自己レスですまない。 今、気が付いたんだがw
>王は、馬韓で辰韓を治める謎のシステム?

313年、四郡追討の高句麗も350年楽浪候、幽州刺史就任で中華貴族化。
これって、中共が各国を、取り込んで破滅させる手口でしょ?
バイデンさん、乙。 米国オワタ。

じゃなくて、半島王権って、ずっと、中華貴族だろ?
百済新羅は、王子や職人は日本に強制連行されてたけど?
半島民族って、ずっと ただの奴隷なの?

遼東から、箕氏や衛氏が来た時、石器人の末裔?縄文人みたいのは
インディアンみたいに、戦ったのかな?

764 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 22:26:17.25 ID:XxA/JRK+0.net
邪馬台は置いといて、宇佐に何かあったのは事実だろうから、もっと調べられてもいい
つうか、邪馬台よりよっぽど面白い謎が潜んでそうなんだが

765 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 22:35:24.95 ID:ZRik2ASk0.net
>>761
体言止め、って決め技っぽいよねw 鬼滅?
ちょっと、陳寿になりきりたかったんだけど、漢文って、体言止め?
GOTOじゃなくて、おうちで倭人伝読もうよ、キャンペーンwww

01 倭人 在 帶方 東南 大海之中 依山㠀 為國邑 舊百餘國 漢時 有 朝見者
02 今 使 譯 所通 三十國 從 郡至倭

03 循海岸 水行 歴韓国 乍南乍東 到 其北岸 狗邪韓國 七千餘里
04 始度 一海 千餘里 至 對海國 其 大官日 卑狗 副日 卑奴母離
05  所居 絶㠀 方可 四百餘里 土地 山險 多深林 道路 如禽鹿徑
06  有千餘戸 無良田 食海物 自活乗船 南北市糴
07 又 南 渡 一海 千餘里 名日 瀚海 至 一大國 官亦日 卑狗 副日 卑奴母離 方可三百里 
08  多竹木 叢林 有三千許家 差有 田地耕田 猶不足食 亦南北市糴
09 又 渡 一海 千餘里 至 末盧國 有四千餘戸
10  濱山海居 草木茂盛 行 不見前人 好捕魚鰒 水無深淺 皆 沉没 取之
11 東南 陸行 五百里 到 伊都國 有千餘戸 官日 爾支 日 泄謨觚 柄渠觚
12  丗有王皆統屬女王國 郡使 往來 常所駐

13  東南 至奴国 百里 官日 兕馬觚 副日 卑奴母離 有二萬餘戸
14  東行 至不彌國 百里 官日 多模 副日 卑奴母離 有千餘家


15 南至 投馬國 水行二十日 官日 彌彌 副日 彌彌那利 可五萬餘戸
16 南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月
17  官有 伊支馬 次日 彌馬升 次日 彌馬獲支 次日 奴佳鞮 可七萬餘戸

18 自 女王以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳

19 次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
  次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國
  次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國
  次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國
20  此女王境界所盡
21 其南 有 狗奴國 男子為王 其官有 狗古智卑狗 不屬女王
22 自郡 至 女王國 萬二千餘里

766 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 22:43:12.55 ID:VEBgnT+f0.net
>>764
宇佐の地下にある石棺を目撃した人が宇佐関係者?から口止めをお願いされたという記事を読んで、そんな風に闇に葬られる遺物も多いんだろうなと嫌な気持ちになったね
まあ、興味本位で墓を暴くのもあれなんだが

767 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 22:47:24.00 ID:XlKAKd9g0.net
>>760
誤字でも脱字でもなかったら?

768 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 22:48:42.39 ID:0EMvOkF30.net
>>766
なぜ口止めなんかしたのだろうか
御神体が誰かの墓というのを隠そうとしたのか
それとも副葬品や伝承物を隠そうとしたのか

769 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 22:51:24.63 ID:XxA/JRK+0.net
>>768
中まで見てるとは思えんので、石棺があった、って事実自体がなにかに引っかかったんじゃないか
じゃあ中は誰なんだ、ってことに繋がっていくしね

三種の神器とかあったらえらいこっちゃw

770 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 22:54:42.76 ID:euhn1CUN0.net
>>767
最初だけね 倭人伝ではちゃんと女王国までとかいてるのに女王国を抜かすから
どこまでの距離か分からない、倭人伝では海「岸」に循って行くと書いてあるのに
岸を抜かすから海に沿って行くとなる、はぁ?だ
その後狗邪韓国の到着地点も抜かすから、どこに着いたのかもわからん

まだまだいろいろあるからぐぐってみてくれ 笑えるぞw

771 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 22:56:01.57 ID:sG7NePlk0.net
万二千里は、どの東夷伝では修正されない。

772 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 23:03:22.86 ID:0EMvOkF30.net
>>769
やはり誰かの墓というのは都合が悪いのかねえ
特に神道

773 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 23:05:09.61 ID:jcZn0KHs0.net
>>765
投馬国は倭国の中でも南の方にある国だな
五万戸の大国
韓国だと考えられる理由は何?

774 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 23:07:13.42 ID:N2H7KC1r0.net
>>760
文身国 - 文身國,在倭國東北七千餘里
大漢国 - 在文身國東五千餘里
扶桑国 トナカイらしき記、北米大陸?が仏教
アマゾネス国とかね。

775 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 23:09:12.50 ID:XxA/JRK+0.net
>>772
色々辻褄合わないことなっちゃう可能性あるし、天皇家の歴史に係わる可能性高いもんな
歴史ががらっと変わっちゃうかも

本当は事実を知りたいんだがね・・・

776 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 23:12:36.22 ID:LKSy62F50.net
宇佐説の人がいるようだが、こんな感じで具体的に表現できないのか?

山口県を投馬国とする説より

魏志倭人伝の方角基準
https://i.imgur.com/ROzuNPh.png

魏の時代の三韓の一つ馬韓50国に対し、倭国は30国
4千里四方と表現された韓国領土に対し、周旋5千里と書かれた倭
https://i.imgur.com/SrtRAmy.png

777 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 23:19:57.18 ID:LKSy62F50.net
ちなみに日本書紀より

崇神記65年「任那者去筑紫国二千余里北阻海以在鶏林之西南」

半島南部の任那から北部九州の筑紫までの距離が約2000里と記されている
つまり1里=約75m

778 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 23:22:11.76 ID:/7aKhQO20.net
どうやって距離を測る?
周〜唐時代で変化あるの?

779 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 23:25:11.25 ID:vcgATbaw0.net
>>2
日本から朝鮮半島に伝わった物品だが
日本が朝鮮半島の一部を支配していたし

780 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 23:28:06.87 ID:vcgATbaw0.net
>>764
宇佐神宮があるだろ
宇佐神宮の周辺にも古墳があるし

781 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 23:43:52.01 ID:euhn1CUN0.net
それと梁の時代のいい加減な仕事その2(職貢図)

よく見ると思うんだけど、日本の使いだけ異様にしょぼくてだせぇなーと
感じなかった?百済の使いと比べても同時代なのにおかしいだろと、、、
あの注釈部分に書いてあるのは魏志に書いてある倭人伝そのままらしい

梁の時代には帯方郡なんて存在しないのに帯方郡から〜とか書いてある
つまり3世紀の頃のを想像でかいたってこと
他は6世紀だからそりゃみすぼらしくみえるわなw

https://imgur.com/rPWNBpg.jpg

782 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/03(火) 23:57:40.05 ID:Ns+LqybR0.net
陳寿の地理観はこんな感じ
https://i.imgur.com/hfUxKRH.jpg
九州にもないし、畿内にもない
行程解釈をいくらいじくっても、合わないのを合うと屁理屈こねてるのと同じ

では、どうすればいいか?
まず邪馬台国の定義を合意しておく
何をもって邪馬台国とするのかあらかじめ合意しておかないと、いつまで経っても平行線だろう

783 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 00:06:16.40 ID:4V1j0EEn0.net
>>782
それは違う
半島だけで魏よりもでかい世界なのだから東夷全体を膨らませて
半島を中華全体と同じくらいの大きさ4千里四方にしないと

784 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 00:10:09.21 ID:cSPeq+n20.net
>>779
まだそんなくだらねえムー史観書き散らしてんのか
失せろパチモン歴史ヲタ

785 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 00:12:32.63 ID:BEHn3XLN0.net
>>783
中国は方万里

786 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 00:15:28.64 ID:OMCjfQsA0.net
>>784
ん?朝鮮南部に拠点があって度々隣接国を支配下に置いてたのは事実だからな。

787 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 00:15:38.52 ID:Qfg7U+lG0.net
>>785
655 :不要不急の名無しさん :2020/09/26(土) 19:14:02.48 ID:y1B9e6n60
魏志韓伝に韓の大きさが方四千里と書かれているが、
三国のほぼ中央に位置する荊州・襄陽を中心に方四千里の範囲を地図に描くとこんな感じ
https://i.imgur.com/GFj713W.jpg

ほぼ中華全土に匹敵する
当然魏国よりもはるかに大きくなってしまう
魏の国の人間が韓が自国より大きいと誤認することなどあるわけがない
東夷伝が短里であることに疑いの余地は一片も無い

788 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 00:18:46.08 ID:BEHn3XLN0.net
>>787
だから中国は方万里

789 :高篠念仏衆さん:2020/11/04(水) 00:37:15.90 ID:50/WwAwJ0.net
>>730
そんなもの、石碑に日本軍がガリガリやれば

790 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 00:43:39.80 ID:4V1j0EEn0.net
>>785
なるほど魏よりもでかいは言い過ぎたわ
中華全体が万里なら半島は魏と同じくらいか
https://i.imgur.com/sfj4fYN.jpg

791 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 01:00:46.87 ID:BEHn3XLN0.net
>>790
魏が中国全体の半分なら、韓は魏の1/3
魏が中国全体の1/3なら、韓は魏の半分
というところだろう

倭は周旋5000里だからかなりでかい
渡邉義浩氏は方五千里と解釈しているようだ
少なくとも戸数は韓より多い

南方にある大きな国、それが倭国

792 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 01:12:02.16 ID:4V1j0EEn0.net
>>791
だいたいこんな感じ
https://i.imgur.com/U6uXbOO.jpg

793 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 01:15:31.45 ID:x7YL02iZ0.net
>>792
なるほど、會稽東冶之東になる

794 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 01:16:42.27 ID:BEHn3XLN0.net
>>792
倭を韓より小さくするのは曲解によるもの

795 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 01:17:56.89 ID:4V1j0EEn0.net
>>794
方五千里とは書いてないので……

796 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 01:22:38.46 ID:BEHn3XLN0.net
>>795
倭は周旋5000里
方四千里との比較は難しいが、戸数を基準にすれば、韓より確実に大きい

797 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 01:24:32.71 ID:oyByybTl0.net
>>211ない。

798 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 01:29:02.28 ID:5DeQqFA50.net
水行20日の距離がどうこう、
陸行1ヶ月がどこどこ、
全く意味のない水掛け論でしかない。
投馬国は妻国であり、
邪馬台国は山門八女であるので、
妻国から水行20日の場所がどこで、
山門八女から水行10日、陸行1ヶ月が何処かを論じればいいだけ。
こんなものに何十年も時間を掛けるのは、
バカでしかない。

799 :高篠念仏衆さん:2020/11/04(水) 01:31:12.37 ID:50/WwAwJ0.net
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/nicho3.htm

800 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 02:04:32.79 ID:KyQ6HReh0.net
当時の中華の人が方角や距離を間違えたりする訳ないよ
前漢に描かれた馬王堆3号漢墓の長沙地図の精度は現代の地図と比較しても大差の無い精度だからね
中華神話の伏羲と女媧の絵ではコンパスと定規を持って描かれているくらいだ

801 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 02:41:03.89 ID:t4i329+c0.net
>>800
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjca/53/3/53_3_17/_pdf

802 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 03:12:57.93 ID:bZZiil3p0.net
佐賀って何でサガっていうか知ってる?

『肥前国風土記』によると「女性が賢しい(さかしい)」から
なぜ肥前の女性が賢いのかは書いていない
でも土蜘蛛がいつも女性

これが卑弥呼では?

803 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 03:21:22.90 ID:bZZiil3p0.net
・中国の研究者が『魏志倭人伝』を読むと、漢字の使い方から、卑弥呼は悲劇的な死に方をしている
・当時の九州北部では完全な日食が起こった。天照大神の天の岩戸っぽい
・後の大和朝廷(奴国?伊都国?)から殺された?

・崇神天皇はなぜか天照大神を怨霊のように恐れている
・畿内から天照信仰を(伊勢に)追い出している
・その後も天皇は天照を祭る伊勢神宮に参拝しない


天照大神は大和朝廷から討たれていたのでは?

804 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 03:30:06.70 ID:bZZiil3p0.net
仮に
「初めから畿内に邪馬台国があり、そもまま大和朝廷になった」のなら、
こんなに謎だらけになるわけがない
日本書紀にも卑弥呼が出てくるはず。銅鐸の意味が分からなくなるわけもない

理系が邪馬台国やると九州説になるのは、こういう論理がまず浮かぶからだろう

805 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 03:47:27.96 ID:bZZiil3p0.net
ヤマトはミナト(港、湊)と同じで「山への入り口」だよね?

奴国(那珂川市)にある「山への入り口」を地図で見ると、国道385号になる
その国道385号を進むと当然山道
その登り坂をどんどん登っていくと、その出口に吉野ヶ里遺跡がある
これが高天原では?

吉野ケ里遺跡内の未調査区域を発掘へ
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/383278
>日吉神社は吉野ケ里歴史公園の中心部に位置するが、公園の敷地には含まれていない。
>敷地面積は4209平方メートル。地権者が神社庁であることなどから、
>発掘対象になっていなかった。
>七田氏は「他にも絹の服を着た女性が見つかっており、特殊な地域」と話す。

出るんじゃないの? 『親魏倭王』の金印

806 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 03:53:44.53 ID:hMwuIZmn0.net
>当時の九州北部では完全な日食が起こった。天照大神の天の岩戸っぽい
その設定が間違ってるんだな
当時のソビエト初期の頃よりはるか昔に古代中国では太陽を作り
その太陽を射る実戦が行なわれていたからね
まあ古代中国の属国でしかないロシア帝国の悪魔の使い魔黒帝国の奴隷朝鮮人には理解できない

807 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 03:54:25.76 ID:hMwuIZmn0.net
卑弥呼の「日食」とは暦上の本当の「日食」ではないんだよ

808 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 03:54:47.73 ID:OQaMVTE40.net
もう面倒臭いから邪魔大王国をよみがえらせようぜ

809 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 04:16:02.28 ID:4XgTLCF20.net
>>735
古田武彦の爺が「邪馬台国はなかった」を書いて邪馬「壹」国にクレーム付けられた事に
反論した論文が見つかった。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/238107/1/shirin_055_6_804.pdf
100(806)頁に曰く
>「卑字」をおびただしく用いながら、その真只中に「臺」というような「至高の貴字」を使用することは、ありうべきことではない。
>三国志において、魏朝は卑弥呼をもって、徽頭徹尾〃忠実なる夷蛮の王”と見なしている。これに反し、倭王を〃東方の天子”の如く見なしている形跡は絶無である。
>それゆえ、「邪馬臺国」という漢字表記は、三世紀の三国志の中には、存在しえないものである。
>したがって臺の立論は、史料的にはもっぱら七〜八世紀の唐代の「広韻」、十三世紀の宋代の「集韻」の類によらざるをえないのである。
ここで情弱にして自虐史観の古田爺が恥を晒している。
古田爺は和名抄を読んでないことがハッキリ判る。
和名抄や延喜式を引用して邪馬台国を議論する賢明なオマエ等ならすぐピンとくるはず。

810 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 04:16:13.43 ID:+0KXsv5w0.net
宇佐神宮の祖宮の奥宮である八面山に卑弥呼の磐座がある

811 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 04:19:02.41 ID:4XgTLCF20.net
>>798
確かにヤマド國はヤマド八女だよな
日本人は大昔から濁音と清音は峻別してきた。

812 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 04:20:05.80 ID:bZZiil3p0.net
卑弥呼が死んだAD247年の3月24日、午後5時、九州で皆既日食、畿内で部分日食

『卑弥呼の日食』横尾武夫(大阪教育大学)
https://tenkyo.net/kaiho/pdf/2001_11/2001-11-02.pdf
天文教育2001年11月号

813 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 04:22:32.41 ID:Ke9SfbpD0.net
>>802
佐賀の土蜘蛛の女酋長は大山田女(オオヤマタメ)と狭山田女(サヤマタメ)って書いてあるな
荒神の鎮め方を教えてくれたから賢女(サカシメ)を国名にしたと
ヤマタ=ヤマトじゃね?

814 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 04:33:01.02 ID:bZZiil3p0.net
漢字の読解に関してはまず中国人にやってもらった方が安心
張莉 『「倭」「倭人」について』
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/sio/file/kiyou7/no07_03.pdf

>>798
>投馬国は妻国であり
ツマはアイヌ語で「二つの半島」という意味らしいけど、鹿児島?
>>813
おお。もう一回読み直してみます

815 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 05:58:21.71 ID:99MZhk5y0.net
>>812
生まれた年説(近畿北部)
146年8月25日(金環)
158年6月13日(皆既)
王なった時期
168年12月17日(九州から岡山あたり)
金環あり。

816 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 06:14:32.38 ID:99MZhk5y0.net
146年生まれ、168年に王に
247年3月24日に朝鮮半島南部で死亡
101才になる前に死んだ。
建国4世紀とすると百済の名の由来かも?

817 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 06:58:34.33 ID:0UIC71tm0.net
>>816
卑弥呼の死て他殺説あるのになんで朝鮮で死ぬんだよ

818 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 07:34:52.80 ID:IrJwY0eL0.net
伊都は立ち寄る所で文国から2ヶ月かかる所に女王の都とする所があんだよ。奈良以外にないだろ、神代の南九州なら記紀は出鱈目ということだね。神武までは筑紫城も変だろ、九州にもっていくのは無理があんだよ、只壱よが豊で海人の娘なら宇佐を1つの拠点とし秦王国になったとは考えられなくもない、が卑弥呼の宗女でありお勉強先は奈良だよ、中国人に教わった辰韓一族だな

819 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 07:57:40.55 ID:2qpFBGtz0.net
(上)不彌国・吉野ヶ里から邪馬台国へ
さて、倭人伝が語る行程も終盤になった。この不彌国からの行程は、次のように手短かである。
 A:南至る投馬国、水行二十日
 B:南至る邪馬台国女王之所都、水行十日陸行一月

此の水行陸行文に関しては、実に様々な解釈が行われてきたが、
ここでもう一度振り返って、伊都国からの行程記述を確かめてみよう。
 甲:東南至る奴国100里
 乙:東行至る不彌国100里

820 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 08:02:47.88 ID:aNfY7UST0.net
魏使は帯方郡(ソウル市)から出発して不弥国までの距離が合計で10500里、
帯方郡から邪馬台国までは12000里と倭人伝に記載があるから不弥国から邪馬台国までの距離は
12000-10500=1500里となり現在のキロ程に換算すれば約80Km弱となるので
邪馬台国は筑後地方か吉野ヶ里遺跡のどちらかと言う事になる。いずれにしても
遠方の奈良や宇佐はありえないと言う事になる。

821 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 08:04:07.23 ID:0UIC71tm0.net
>>818
1カ月だよ
当時のぐるぐる張り巡らされた水路からすればそれくらいかかっても不思議ではない
邪馬台国は阿蘇山の麓にありだろ
奈良の歴史なんて出てきてないわ
朝鮮で死んだのなら箸墓古墳も卑弥呼は埋葬されてないだろう

822 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 08:19:48.19 ID:2qpFBGtz0.net
(中)不彌国・吉野ヶ里から邪馬台国へ
上記の甲・乙の構文は、よく似たカタチで書かれている。我々に馴染みの例でいえば、
「右に見えますのが皇居でございま〜す」、
「左に見えますのは丸の内でございま〜す」、というバスガイド調の語り口である。
このように、同じ構文を2つ並べてとうとうと語るのを駢儷体(べんれいたい)と言うらしい。
日本でいえば講談調といって良いかもしれない。
つまり倭人伝は、佐賀・川上の伊都国から、奴国と不彌国の二股行程を案内していることになるのである。
そしてこの2国の内、伊都国から実際に移動した先は、東行の「行」という動詞によって不彌国・吉野ヶ里と示されているわけだ。

823 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 08:30:51.44 ID:tAs5uY370.net
だーから言っただろ
邪馬台国の邪馬は「山たい」ってw
当時の博多の人間が中国役人に答えたものが
記されてるんだから

824 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 08:35:42.89 ID:5n7A9dWm0.net
>>775
最早慣習?
今更万世一系を言い張ることに何の意味もないだろうし、事実は事実として容認していくべきだと思う

825 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 08:39:23.29 ID:5n7A9dWm0.net
>>803
漢字の使い方って、どの辺を見てそう思ったんだろ?
元々中国の文献なんだし、向こうでどう読まれてるのかは興味深い

826 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 08:56:35.64 ID:2qpFBGtz0.net
(下)不彌国・吉野ヶ里から邪馬台国へ
倭人伝は不彌国・吉野ヶ里へ移動した後も、また二つのよく似た構文によって、
はるか南の投馬国(宮崎西都市都万)と、同じく南の邪馬台国女王之所都(熊本阿蘇)の二股行程を案内している。
再掲A:南へ至れば投馬国で、(帯方郡からは)水行二十日でございま〜す。
再掲B:(又、同様にして)南へ至れば邪馬台国の女王之所都で、(帯方郡からは)水行十日と陸行一月でございま〜す。

実際に吉野ヶ里から方角と直線距離(道里)を計ると、宮崎県西都市都万は南南東約180q、熊本県阿蘇地方も南南東で約100qとなる。
なお、唐津中原港から不彌国・吉野ヶ里までは約50qであるので、
これを足すと、唐津から〜女王之所都(熊本阿蘇)までは150qとなり、上陸後の陸行里数は、倭人伝の記述通り丁度2000里となるのである。

827 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 08:59:59.94 ID:5n7A9dWm0.net
>>766
二之御殿の位置を動かすことは絶対にまかりならぬ

二千年もの間禁忌とされてきた事に今更手出しは為難いか・・・

828 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 09:03:32.14 ID:QeG4Oemu0.net
魏志の人間はどういう経緯で倭国訪れることになったんだろうな
案内されてるようだから以前大陸のどこかで倭人と接触して約束でもしたのかな

829 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 09:12:25.54 ID:pVBiz+Sn0.net
>>817
全て日蝕に関連してみただけ。

830 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 09:17:13.93 ID:5n7A9dWm0.net
日本に居ると当り前過ぎて何も思わないが
こうしてみると日本の歴史の古さを感じるわ
始皇帝とか漢の高祖とか言ってももう過去の存在でしかないもんな
既に終わってしまって消えた蝋燭
日本ではそういった太古の蝋燭が今も消えずに燈っている
暗闇は暗闇のまま手を付けてはいけないのかもしれんね

831 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 09:18:10.01 ID:1ztpCV7r0.net
邪馬台国って日本に山ほどあった小国のうちの一つだぞ
卑弥呼が皆から信用されてたってだけ
男が支配しようとして皆に嫌われたとも
地方豪族の時代だから当たり前だけどな
アマレラスとスサノオの話みたいだろ
現地に伝承されてる話と又聞きの又聞きとどちらが信用あるんだ

832 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 09:20:02.31 ID:LWzmhMOL0.net
卑弥呼とえっちしたい

833 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 09:20:19.58 ID:5R8uV9ma0.net
それが日本で言ったらコシコデン

徐福よろしく宮内文書とか調べ始めたら
もう夜更かしだわw

834 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 09:21:25.16 ID:5R8uV9ma0.net
>>831
倭国は、女しかいない所以の国

835 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 09:21:30.93 ID:pVBiz+Sn0.net
>>832
ババだぞ

836 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 09:34:30.19 ID:cpqRNcPX0.net
>宇佐市で出土した銅矛は、ほぼ同じ形のものが島根県でも見つかっていて

これ、極めて重要な発掘成果だな。
荒神谷遺跡の銅矛が九州産である事を意味している。
日本武尊が出雲侵攻の際に、
飾りは豪華だが刃のない刀を出雲に送って、
出雲を征服した古事記の記述が、
歴史上存在した事を証明しているのである。
荒神谷遺跡の銅矛には☓が付いているのは、
即ち、合戦で武器として使えないの
☓であるのだ。
九州勢力の日本武尊が、武器として使えない銅矛を出雲の刀と交換して、
それから出雲に侵略していったと書いてある事が実際に起こった事が、
発掘によって確かめられた極めて重要な事例だ。
これによっても、当時のヤマト政権が、
九州にあったことが決定した。
まあ、景行天皇は九州に遷都している訳だがな。

837 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 09:34:54.08 ID:f14Hnymq0.net
>>804
彦火火出見尊(山幸彦)の孫の神武が、九州から東征した
・・というんだから、そもそも

初めから畿内に邪馬台国があり、そのまま大和朝廷になった
・・なんて思うヤツはおらんよ

単純に考えたら

畿内に邪馬台国があり
彦火火出見尊(山幸彦)の孫の神武が、九州から東征して
大和朝廷になった

だよ

838 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 09:36:36.97 ID:f14Hnymq0.net
>>836
畿内説にならねーよーに必死だな(笑)

839 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 09:39:50.16 ID:f14Hnymq0.net
>宇佐市で出土した銅矛は、ほぼ同じ形のものが島根県でも見つかっていて

これ、極めて重要な発掘成果だな。

九州ルートと、出雲ルートの、2つが存在していたことの証明だ

840 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 09:40:02.78 ID:m/ZtKG1/0.net
>>832
最近だと田村ゆかりだぞ
結婚してやれ

841 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 09:48:49.72 ID:cpqRNcPX0.net
もちろん山門八女の丹波氏が、
日本海ルートを通して、
丹波に進出していった過程が、
出雲攻略の史実だ。

842 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 10:00:40.50 ID:qnixUmxQ0.net
岡山県総社市に邪馬台国より古い、未知の巨石文明の遺跡がある。
https://i.imgur.com/apqGQsi.jpg

843 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 10:00:57.62 ID:J5YM6yF/0.net
邪馬台国は、やまと国だろ。中国語で歯磨き粉=牙膏 (牙の読みはYa)
漢字は中国人が音を聞いて当てた字。馬は今でも読みはMa、台は今はDaかな

844 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 10:02:36.12 ID:cpqRNcPX0.net
畿内説のロジックが破綻しているのは、
例えc14によって、庄内期の時代が3世紀中期に遡ろうとも、
庄内期の大和には、
大陸と頻繁に交易した痕跡が皆無なので、
畿内説などとりようがないと言う点だ。
そして、その後の古墳時代に、
大陸との交流を示す痕跡の出土の頻度が、
大和に移ることを持ってして、
実際に政権の中心地が北部九州から大和に移るという事は、
大陸由来の出土品の頻度に現れると言っていい。

845 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 10:17:12.90 ID:byUqRZeo0.net
畿内説はこじつけ論が多すぎてもはや霊感商法詐欺と同レベル
年寄りは騙されやすいんだよなあ

846 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 10:20:08.74 ID:eejzC0o00.net
学会的には機内説でFAな雰囲気だけどな

847 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 10:27:39.41 ID:/A7zVNCH0.net
大陸と交易してたとなると九州しかないだろ

848 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 10:27:43.12 ID:byUqRZeo0.net
いまどきFAとか使ってる時点で学会派は痴呆

849 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 10:30:37.44 ID:f14Hnymq0.net
単純に考えたら

『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の「光武賜以印綬」の記述にある印綬が出土しているので

「倭奴國」は九州にあり、朝鮮半島ー対馬ー壱岐のルートで大陸と行き来していた

日本の記紀では、彦火火出見尊(山幸彦)の孫の神武が、九州の筑紫城から東征し、天皇と名乗ったというのだから

「倭奴國」は、神武の祖先の九州の筑紫城だ

つまり、神武の家は先祖代々
朝鮮半島ー対馬ー壱岐のルートで大陸と行き来していた

それでは、九州から畿内に東征し、天皇を名乗った神武政権は、どういうルートで大陸と行き来しようとするか

それはやはり、先祖代々使用していた朝鮮半島ー対馬ー壱岐のルートを奈良から利用しようとするだろう

で、遣唐使のルートは

百済− 竹嶋 − 耽羅国(済州島)を南に見ながら − 都斯麻国(対馬)− 東の一支国 − 西に戻って竹斯国(筑紫)− 東の秦王国 − 十余国を経て − 奈良

850 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 10:44:14.57 ID:2qpFBGtz0.net
佐賀・吉野ヶ里と大分と出雲を結ぶ結節点になったのは、
倭人伝の傍国の4番目に出てくる次有「都支国」ではないかとみている。
「都支国」はツキコクと読んだのであろう。現在の「築城」である。

この築城に隣接して中津があり、そこに宇佐神宮の祖社と伝わる薦神社(こも神社)がある。
薦(こも)は水草のマコモのことであるが、
これで作った「コモ」は、海上輸送の荷物を幾重にも包装して水びたしになるのを防ぐ貴重な資材だったらしい。

そのような由緒ある神社であるから、古代には築城と中津は、海原を駆ける有能な種族が築いた一つの巨大国家だったのではないか。
実際この薦神社を北の頂点に、その東南一帯の丘陵地を取り囲むように4重〜5重の環濠の痕跡らしき古道と水路が見て取れる。、

851 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 10:45:31.08 ID:f14Hnymq0.net
『魏志』(倭人伝を含む)に書かれている

狗邪韓国から、いきなり絶海の孤島の対海国に出て
そこから南の一大国に渡り、末廬国に上陸して
伊都国−奴国−不弥国−投馬国

というルートは、もともと畿内にあり、神武に東征された邪馬台国が使用していたルートだ

『古事記』には

神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ、若御毛沼命)は、
兄の五瀬命(イツセ)とともに、日向の高千穂で、

葦原中国(出雲)を治めるにはどこへ行くのが適当か相談し、東へ行くことにした。

とあるから、末廬国ー伊都国−奴国−不弥国−投馬国は、葦原中国(出雲)

なので

【国立歴史民俗博物館】
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c

なんだよ

852 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 10:50:21.05 ID:2qpFBGtz0.net
ついこの間まで支配していた、学会的に機内説でFAな雰囲気は、どこへ消えたのだろう。
黒い霧が晴れた後には、ただの廃墟しか残されていなかった、、、、

853 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 10:59:20.39 ID:tAs5uY370.net
>>852
素人に見切られる程度の説じゃ
専門家とは言えないなあ
地道に地面掘ったり文書よんだり
学者らしく生きたらどうかとw

854 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 11:08:49.01 ID:4XgTLCF20.net
>>830
殷=商王朝とのつながりもある
>>832
昔は村祭りで村長がアマテラスや卑弥呼とエッチする
パフォーマンスが有ったらしい。
天皇は登極=即位式の大嘗祭や秋の稲の収穫を祝う
新嘗(にひなめ)祭でアマテラスとエッチする。

古事記や日本書紀は伊邪那美が先に伊邪那岐に声を掛けて
エッチしたので巧くエッチできなかったとか
その他いろんな変態エッチの話が載せられているエロ本www

855 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 11:09:26.06 ID:Ke9SfbpD0.net
予算を取りやすいのが畿内説
九州北部は高度成長期に開発が進みすぎた
金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡が出土したダンワラ古墳なんて線路工事で破壊されていた

だから考古学で飯を食うには畿内説にすがるしかない
「大多数の考古学者は大和説です」というからくりはそんなところ

でも「箸墓古墳は卑弥呼の墓です」なんてことは管理する宮内庁は一切言ってないw
そもそも箸墓古墳は倭迹迹日百襲姫の墓
そして日本書紀では神功皇后が卑弥呼と匂わせている
結局何も確かなことなんてないんだわ

856 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 11:12:04.19 ID:tAs5uY370.net
>>855
その文字使わなかったころの
わかってる和名を
漢字で表記するのどうなんかな
普通にカタカナで書けばいいじゃん
どうせ漢字は後世の当て字なんだから

857 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 11:13:27.32 ID:xfuurVGU0.net
>>814
>漢字の読解に関してはまず中国人にやってもらった方が安心

引用の漢文に句読点ついてると、あんまり安心できない。
共産党なら、資本論と共産党宣言はドイツ語で読むべき。てか、禁書だったり?

漢字の、表意、表音に対する考え方は正しい。 ただ、正しいだけ。

学べたこと
金印の委奴国について、
和音での奴国がこの奴を継承したと思いがちだったけど
どうも単純に、倭国を意味する造語として、
漢が、匈奴に対応する、表意文字の「委奴国」と言う国名にした。
っていうのが、真実っぽい。

奴国が、この金印を知ってて、
奴国を名乗ったなら笑い話だけど、いい話だな?

親魏倭王も、和音国名では無いよね。
女王国の王の印、とかなwww

ご教示に、感謝!

三国志的には、親魏倭王
戦国王の魏帝が倭と同盟した 
公孫氏も倒して東夷安定で、蜀と呉と安心して戦える
と、いう戦功の自慢だな。

郡から萬二千里で21国構成で7万戸、周旋5千里の小国でした。
ちゃんと大倭国じゃないけど、倭王・・・ って、書いてあるけどね?

858 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 11:17:13.32 ID:XPsmvMS90.net
『魏志』(倭人伝を含む)に書かれている
狗邪韓国から、いきなり絶海の孤島の対海国に出て
そこから南の一大国に渡り、末廬国に上陸して
伊都国−奴国−不弥国−投馬国
というルートは、

もともと畿内にあり、神武に東征された邪馬台国が使用していたルートだ

>>849 にあるように、朝鮮半島ー対馬ー壱岐のルートは
神武の王家が先祖代々使用しているルートなので、邪馬台国は使用できなかったのだ

しかし、朝鮮半島ー対馬ー壱岐のルートを先祖代々使用してきた神武の王家には、大陸への迂回路が確立されてしまうのは都合が悪い

なので『古事記』には

神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ、若御毛沼命)は、
兄の五瀬命(イツセ)とともに、日向の高千穂で、

葦原中国(出雲)を治めるにはどこへ行くのが適当か相談し、東へ行くことにした。

末廬国ー伊都国−奴国−不弥国−投馬国は、葦原中国(出雲)なのだ

だから

【国立歴史民俗博物館】
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c

なんだよ

859 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 11:22:41.55 ID:XPsmvMS90.net
結局だ

>>849 >>858 と素直な解釈をする、多くの畿内説考古学者に対して

民間の自称研究者が、屁理屈を捏ね繰り廻して主張しているのが九州説なのよ

860 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 11:31:35.98 ID:4XgTLCF20.net
>>843
支那で最古の福建方言で臺をトと発音する。

その次に古い客家方言ではトイと訛る。
唐末〜五代の発音を保持している広東語はトーイと訛ってる。
現代中国語Mandarin=北京官話のルーツは
クビライ(フビライ)が1271年に建国したモンゴル時代の大都=北京の
話し言葉にルーツが有る。

豆もやしは北京官話で「豆芽トウヤー」と発音するが
最古の福建方言で「豆芽タウゲ」と発音する。

「球」という漢字も北京官話でjiu=tɕʰiou˧チオウだが
福建方言はkiuと発音し日本語音読みとそっくり同じ。
朝鮮語はクと発音。
東京野郎は新宿をシンジクと発音してジュという拗音の発音が苦手
つまりそういうことだ。

861 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 11:38:38.94 ID:4XgTLCF20.net
>>860
訂正
×「球」という漢字も北京官話でjiu=tɕʰiou˧チオウだが
○「球」という漢字も北京官話でqiu=tɕʰiou˧チオウだが

862 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 11:46:03.57 ID:AO1LN2SuO.net
>>842
ただの柱状節理じゃないの?
崖でよく見られる

863 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 11:52:13.84 ID:Ke9SfbpD0.net
>>856
ヤマトトトヒモモソヒメ
ヒミコ

でも、『ヒ』は『ピ』だという主張もあるよね

864 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 11:56:36.90 ID:N1BjnqqK0.net
魏晋は福建方言の国だったのか?まじで?

>>855
神功皇后なんて本人もその前後関係も、およそ350〜400年ごろの人物やん
畿内説はどうすんのこれ

865 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 11:57:39.25 ID:Ymq1ySv20.net
>>852
でも結構実績がある考古学者が古墳と土器の分布だけから邪馬台国は纒向で狗奴国は東海地方とか言っているのが現状だよ?
こういうのがいわゆる学会の主流意見とされているんだわ
明らかに文献を精査していない人達の言説だよね

866 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 12:01:06.18 ID:N1BjnqqK0.net
>>865
ヤマイチと書いてる魏志倭人伝だと近畿説に不利だから魏志はデタラメということにして
ヤマトって書いてる後漢書にすがるしかないんだよ
だから狗奴国の場所は南じゃなくて東でないと困るのが近畿説

ほんとは単に魏志の記述をパズルみたいにして切り貼りしただけなのにね

867 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 12:02:02.02 ID:2qpFBGtz0.net
畿内の考古学者は、九州は辺鄙の地だから、
古墳もなければ、土器も出ないと思ってきたのさ

868 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 12:10:39.15 ID:XPsmvMS90.net
>>849 なので

『魏志』(倭人伝を含む)に書かれている
狗邪韓国から、いきなり絶海の孤島の対海国に出て
そこから南の一大国に渡り、末廬国に上陸して
伊都国−奴国−不弥国−投馬国
というルートは、

もともと畿内にあり、神武に東征された邪馬台国が使用していたルートだ

朝鮮半島ー対馬ー壱岐のルートは
神武の王家が先祖代々使用しているルートなので、邪馬台国は使用できなかったのだ

しかし、朝鮮半島ー対馬ー壱岐のルートを先祖代々使用してきた神武の王家には、大陸への迂回路が確立されてしまうのは都合が悪い

なので『古事記』には

神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ、若御毛沼命)は、
兄の五瀬命(イツセ)とともに、日向の高千穂で、

葦原中国(出雲)を治めるにはどこへ行くのが適当か相談し、東へ行くことにした。

つまり、末廬国ー伊都国−奴国−不弥国−投馬国は、葦原中国(出雲)なのだ

というのが畿内説だよ

869 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 12:17:58.95 ID:D3NY+fBw0.net
>>865
なんたって自称学者と言われてもおかしくないほど頭スカスカなのが多い分野だからなあw
文系で賢い連中は法学や経済学を選ぶからね

870 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 12:18:27.05 ID:2qpFBGtz0.net
葦原中国とは、中国地方の事だったのか、
畿内説のアタマではな?

871 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 12:31:24.60 ID:75zG0gWv0.net
>>844
景初三年(239年)銘 三角縁神獣鏡

872 :ニューノーマルの名無しさん:2020/11/04(水) 12:47:22.30 ID:K6vAHH8j0.net
伊都は世々女王国に属す、その女王国は元は男王で住むこと7、80年乱れる、で争いが歴年、卑弥呼が立って丸く治め、魏に朝貢しに官を派遣したのが238年なんだよ、神武とやらが東征したのならこの住むこと7、80年の男王だろ?、よって奈良だよ、でも卑弥呼は中国人。魏が親魏倭王とし、好意的な理由はそれ以外に考えにくい、ひょっとしたら張魯の娘。217年に弟ら?を引き連れ22才で布教を始めた。

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