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【歴史】『徳川将軍家へようこそ』展、東京・江戸東京博物館で今日(11 日)から開催
- 1 :イセモル ★:2017/08/11(金) 07:53:59.65 ID:CAP_USER9.net
- 徳川家に伝わる美術品や絵画を集めた「徳川将軍家へようこそ」展が、東京・墨田区の江戸東京博物館で11日から開かれます。
「徳川将軍家へようこそ」展には、初代将軍の家康から大政奉還した15代将軍の慶喜、その跡を継いだ家達にまつわる品々が展示され、当時の生活様式や文化、美意識の移り変わりを読み取ることができます。
徳川記念財団・徳川家広理事:「(江戸時代は)日本が独自の文明になった時代だと思います。それを支えた人たちにまつわるものですね」
江戸時代後期の絵師・酒井抱一の描いた「武蔵野富士図」は、ススキやリンドウなどを描き込むことで、江戸から見た秋の富士山を表現しています。また、14代将軍の家茂に嫁いだ皇女・和宮の使っていた調度品なども展示されます。この美術展は来月24日まで開かれます。
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引用元にニュース動画もあります
http://news.tv-asahi.co.jp/sphone/news_society/articles/000107504.html
- 526 :名無しさん@1周年:2017/08/16(水) 04:01:50.66 ID:GzbhAXi70.net
- つまり日光東照宮に行ったのは幹部数人だけだから、東照宮に埋める人員も時間もない。
少なくとも東照宮じゃありえないわけだ。
ちなみに東照宮埋蔵金説は、明治以降延々と語られた結果、講談仕立ての変な由来まで作られてしまった。
その中に出てくる「古来境内で鳴らされていた七つの鈴に財宝の在処が隠された」に沿って、鈴まで登場したのだが
江戸時代の日光東照宮には、お参りの時に正面で鳴らす鈴などない。
当時は仏神混交であったため、木鐸(魚の形をした板)と叩く棒があった。
つまり無いものを後世、詐欺師が宝探し勧誘用にでっち上げたわけだ。
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