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【科学】DNA研究で「縄文人と弥生人」が分かってきた [06/19]

1 :◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★:2015/06/19(金) 21:57:41.52 ID:???
★DNA研究で「縄文人と弥生人」が分かってきた
投稿日:2015年06月18日21時10分JST更新:2015年06月18日21時10分JST

2015年5月29日(金)、「NHKニュースおはよう日本」で、
「分かってきた縄文人のDNA」なる特集が放映された。1万数千年前から
2千数百年前まで繁栄を誇った縄文人のDNAが日本人の体にはしっかり
刻み込まれており、東アジアの人びとと日本人は外見こそよく似ているが、
DNAを見比べると大きな差があるという内容だ。
古代史に興味ある人びとには、すでに広く知れ渡っていた学説だが、
ようやく市民権を獲得したわけである。

■日本民族バイカル湖畔起源説

これまでは、弥生時代の始まりとともに大陸や朝鮮半島から大量の渡来人(弥生人)
が押し寄せ、先住民(縄文人)は圧倒され駆逐されたと信じられてきた。
江上波夫の騎馬民族日本征服説が戦後の史学界を席巻してしまった時期もあった。
さすがにこの推論を支持する学者はいなくなったが、「日本に与えた朝鮮半島の
影響力を大きくみなすことこそが進歩的」という風潮は、つい最近まで残っていた
ように思う。しかしそういった「これまでの常識」は、もはや通用しなくなった。
まず、かつて盛んに唱えられていた日本人南方起源説が、否定された。人種の違いを
識別できる「血液型Gm遺伝子」の分布から、日本人の先祖はロシアのバイカル湖から
南下してきたことが判明したのだ。「日本民族バイカル湖畔起源説」である(松本秀雄
『日本人は何処から来たか』NHKブックス)。さらに、DNA研究の進化によって、
新人(ホモ・サピエンス)が15万年前にアフリカ大陸に生まれ、その後世界各地に
散らばっていったことも証明された。

それだけではない。人類の祖は大きく3つのグループに分かれてアフリカを旅立ったが、
その3つの遺伝子すべてが、日本列島にやってきたという。このような例は、
世界中見渡しても稀で、ここに日本人の特徴が隠されているという。

さらに、父から息子につながっていくY染色体の研究が急速に進み、日本人のルーツ
探しが一気に加速したのだ。ちなみに、Y染色体はA〜Tの系統に分かれ、日本人に
関わりの深かったのはDとOの系統だ。

■渡来人を受け入れた先住民

では日本人は、いつ、どこからやってきたのだろう。『新日本人の起源神話から
DNA科学へ』(勉誠出版)の中で崎谷満は、次のように推察する。
バイカル湖畔から南下し華北に暮らしていたD系統だが、漢民族の圧迫から逃れる
ためにさらに南下し日本列島にやってきて、縄文人の中核を形成した。
かたや、弥生時代に渡来した人々は長江流域で水稲栽培をしていたO系統だ。
やはり、漢民族に滅ぼされて逃れてきたという。また、朝鮮半島の人びともO系統である。
現代の日本人の体の中に占めるD系統の割合は3割、O系統は5割と、渡来系の比率が高い。
この数字だけ見れば、やはり渡来人に先住民が圧倒されたと思えてくる。
しかし、前回示した「少数渡来」「先住民との融合」「列島人の稲作民化」
「継承された縄文文化」「稲作民の人口爆発」という有力な仮説を用いれば、
謎はなくなる(2015年5月18日「『任那日本府』の何が問題か」参照)。
弥生時代の始まりとともに、渡来人の血が少しずつ染みるように先住民の中に
受け入れられ、先住民は率先して稲作を選択し、人口爆発をおこした。
彼らの子孫は、日本の風土の中で育まれ、縄文時代から続く列島人の風習と
伝統を捨てなかった。もちろん、その後も大陸や朝鮮半島の動乱から逃れて
人々が日本にやってきたが、彼らが日本列島を征服し、支配したわけではない。
>>2へ続く

http://www.huffingtonpost.jp/foresight/jomon-man-dna_b_7601964.html

2 :◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★:2015/06/19(金) 21:57:48.01 ID:???
>>1より

■縄文の力

なぜわれわれは、縄文人を軽視してきたのだろう。
教科書そのものが、かつての常識そのままに、「野蛮だから駆逐された縄文人」
という歴史観を子供たちに押しつけていたように思えてならない。教科書には、
「背の高い弥生人、小さな縄文人」の骨格写真が並べられていた。あれを見れば、
縄文人と弥生人は入れ替わったと信じてしまう。
その一方で、遺跡の現場で泥にまみれ直接発掘に携わっていた考古学者の多くは、
「本当に日本列島は渡来人に席巻されたのだろうか」と、疑問を抱き続けてきたのだ。
なぜならば、たとえば、弥生早期の外来系の土器は、玄界灘の沿岸地帯(北部九州)
の大きな遺跡から発見されるだけで、他の地域からはほとんど見つかっていない。
これは、考古学者の常識だった。
今から10年ほど前に訪ねた青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡(鳥取県鳥取市青谷町)
で学芸員が、「弥生時代は渡来人が作り上げたと言うが、それは違う。発掘を長い
ことやっていると、縄文の力を、ひしひしと感じる」と、やや憤慨しておっしゃって
いたのを思い出す。この遺跡から発見された遺物の中に木の枕があって、そこに人間の
歯が埋め込まれていた。これは縄文人の抜歯の風習の名残だ。弥生人も呪術のために、
歯を抜き、枕に埋めていたわけで、われわれ日本人は、そうした伝統を受け継いだ
縄文人の末裔なのだ。
われわれの御先祖様たちは「敗れ、渡り来たった者たち」を寛容に受け入れ共存し、
豊かな感性を磨き、当時の中国や朝鮮半島の先進の文物を貪欲に学び取り、
世界に冠たる文化を花開かせてきたのだ。その歴史を、われわれはもっと誇りにしてよいと思う。

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青谷上寺地で発見された、人間の歯が埋め込まれた木の枕(筆者撮影)

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関裕二
1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』
『物部氏の正体』(以上、新潮文庫)、『伊勢神宮の暗号』(講談社)、『天皇名の暗号』
(芸文社)など著書多数。

3 :名無しさん@13周年:2015/06/19(金) 22:40:17.10 ID:Gf+wjEe0x
断定調にしていいんだろうか、遺伝子研究が更に進んでバイカル湖畔起源説自体に反論が出てきてるけど
まあ南方系よりも北方系だという点とモンゴル系とは近いが中国・朝鮮系とは異なるという方向の説で定着してるようだけど

4 :名無しさん@13周年:2015/06/19(金) 22:48:50.05 ID:cQIxHXQdH
>>3
一発目についたレスにしては完成度が高すぎてワラタ

5 :名無しさん@13周年:2015/06/19(金) 23:43:45.05 ID:yfSVkjIJu
縄文式土器は、南洋諸島でも、南米でも確認されている
そして、その土器文化の形成過程は、今のところ日本でしか発見されていない

縄文人は、地球を半周できる程の航海術を持った海洋民族であった事は
疑う余地がないところ

でも、大陸系のカナヅチな連中が、突然変異したと言うのは無理があるだろ

6 :名無しさん@13周年:2015/06/20(土) 02:58:36.81 ID:t/KYkMjRJ
謎を解くヒント 胸毛

7 :名無しさん@13周年:2015/06/20(土) 03:16:58.81 ID:Omq3jwS1G
縄文を軽視したことなんか、ないが?
軽視していたのは、在日の左巻きだけだろ。

8 :名無しさん@13周年:2015/06/20(土) 04:12:48.38 ID:zuOaQCD2L
事実は積み重ねていくもんだが、仮説は掘り下げないといかん、が、場合によっては埋め戻しも必要
現代の遺伝子の分布は事実だが、分布していく課程は仮説だから、学者さん方が適当な仮説を立てればええ
一番重要なのは事実の方だけどな

9 :名無しさん@13周年:2015/06/21(日) 01:34:10.50 ID:9y7JC9tYX
バイカル湖説は微妙。
ところが今まで有力だった、大陸と陸続きだったから南下してきた説もあったが、
DNA的に日本人と朝鮮半島の人間と漢民族ともは全く違う。
日本人はモンゴル人と同じ系統らしい。
朝鮮半島人は、弥生人系。
日本人の祖先は縄文人。後に弥生人との混血ができ今の日本人になている。

縄文人の特徴は背が低く、眉が濃い。唇が厚い。目が大きい。歯が細い。
弥生人の特徴は背が高く、顎がしっかりしている。目は一重の言われてる、顎も歯も大きい

身体の特徴でいうと縄文人は背が低かったのに対し、弥生人の背は高かった。
戦前生まれの人間は、女性は150cm以上、男性は160cm以上あると高身長の大男大女と呼ばれていたほどみんなが小さかった。

漢民族系 中国人とKoreanの共通点
・えらがはっている。
・目がとても小さく 一重の人が多い。
・歯並びが良い。
・モンゴロイド以外は蒙古斑が無い。

日本人と中国人の共通点
・背が低い。

Koreanの特徴
・背が高くスタイルが良い。
・比較的ロシア系の体格と肌。
・蒙古斑は無い。

中国人(モンゴル人、チベット人を除く)
・目が細い。
・スタイル抜群で小柄な美人と、朝鮮系の顔。

日本人
・蒙古斑がある。
・八重歯がある人が多い(縄文人ベースの顎に弥生人のしっかりした歯)前歯が大きい。
・一重でも目が大きい人が多い
・手足が小さい。
近年日本人の食生活が変わり肉も多く食べ、正座文化から椅子文化への移行で、体格も良くなってきたが
・戦前生まれの靴もサイズの平均、女性は21cm、男性は24cmといわれており、女性23cm以上男性26cm以上の人は滅多におらず大足と呼ばれた。
(昭和時代の女性靴の販売平均サイズは21.0〜23.5cm)
・戦前生まれの平均身長は、女性が140cm代、男性は150cm代。女性で150cmを超え、男性で165cmを越えたら大女大男と呼ばれていた時代。
(参考迄に、女性の既製服は昭和初期は(既製服自体少ないが)身長152cmくらいを目安に作られていて、昭和後半の既製服は身長156cmを目安にMサイズが作られていた。)

縄文人分布図に入っていない、島根、鳥取両県にも縄文人の痕跡は根強い。

10 :名無しさん@13周年:2015/06/21(日) 10:48:56.82 ID:qHKmaeTVW
>1
弥生そのものが元々存在しない。
東大(弥生町)がでっちあげた捏造。
縄文人が米食べるようになり顎が退化、歯の収まる場所が狭まり歯並びが悪くなった。

11 :名無しさん@13周年:2015/06/21(日) 11:11:17.35 ID:1DwEZQ2Sk
>>10
2chで自説を披露するより、学会で発表したら?

12 :名無しさん@13周年:2015/06/21(日) 11:24:59.78 ID:qHKmaeTVW
>11
学会は東大が支配しているから無理だよ。
弥生土器発掘した場所すら不明なのに論文だけ一人歩きしている
百鬼夜行状態なのだから。
東大:東大敷地内から今までに無い土器が出ました「弥生土器」と言います
世間:古墳時代の土器ではないか?検証してみては。
東大:発掘現場が行方不明になったので検証できません。

この時点で普通なら論文取り下げで、責任者クビ

13 :名無しさん@13周年:2015/06/21(日) 12:56:23.71 ID:sxz70tL4r
DNAに付いては、支那の混乱期からの流入で良いと思うけど、
人口増加を明治期から見て行くと、面白いほどに海外戦争のたびに増えている。
戦後直後、団塊の世代では1.5倍以上。
これをどう有史前で解釈するかといえば、農業発達からや外来じゃなく、海外での他文明の接触で人口爆発を起こしているとする。
この接触による刺激が増加爆発を起こし、必要の予測予感として農業発達など利器が導入され、しかも小国連合体で有りながら全国規模で。
DNAの割合に付いては、D型の人の良さに対して長い国内紛争でのO型有利なのは仕方ないか w

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