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【対談】素晴らしい国日本に告ぐ!リベラルに乗っ取られた米国と同じ道を辿るな!!ケント・ギルバートVSテキサス親父

1 :◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★:2015/05/11(月) 13:04:13.50 ID:???
★素晴らしい国日本に告ぐ!リベラルに乗っ取られた米国と同じ道を辿るな!!ケント・ギルバートVSテキサス親父
JAPANISM2015年05月11日 11:16
司会進行・訳/藤木俊一(テキサス親父日本事務局)

昨年8月、朝日新聞が慰安婦問題に対して誤報を認めたことを切っ掛けに、
日本が抱える問題について本格的な言論活動を始めたケント・ギルバート氏。
そして2月に9度目の来日を果たしたテキサス親父ことトニー・マラノ氏。
いつも日本を鼓舞してくれる2人の米国人が奇跡の合体、緊急対談が行われた。
会うなりすぐに意気投合した2人は、愛する日本に対して思うこと、
そして深刻な米国の現状を語り、日本に忍び寄るリベラルの影に警鐘を鳴らした!。

■いかにして日本と出会い来日を果たしたのか
テキサス親父日本事務局・藤木俊一(以下S):まずはケントさんが日本に来た切っ掛けから教えてください。

ケント・ギルバート(以下K):私が日本に来たのは自分の意志ではありませんでした。
モルモン教の布教活動のため、教会から送られてきたんです。1970年8月に教会から通達されて、
10月にまずはハワイに行きました。そしてハワイでは2カ月間、朝の7時半から夜の9時半まで、
毎日みっちり日本語を勉強しました。だから来日したときには、ボキャブラリーはそれほど多くは
なかったかもしれないけど、それなりに流暢な日本語を話せるようになっていました。
でも問題が1つあって、伝えたいことは伝えられるようになっていたんですが、人が話していることは
理解できなかった。なぜならハワイでは話す勉強ばかりしていて、聞き取る勉強はあまりしていなかったんです。
日本に来る前には印象的なことがありました。布教で日本に行ったことがあるという友人がいたんです。

そこで私は「日本はどんな国なのか」と訊きました。すると彼は「日本と米国はあらゆることで完全に逆だ。
だからといってそれを悪く言うべきではない=vと教えてくれました。これには私も深く同意したんです。
「逆」だということは悪いことではありません。ただ日本と米国が逆さまである、異なる国であるという
だけのことであり、どっちが間違っているというわけではないんです。例えば道路にしても、右側通行の
国もあれば左側通行の国もある。どっちも間違いではないでしょう。ただ「違う」という現実です。
そして友人は「すべてにおいてリスペクトすることが大切だ。違いを楽しめ」と助言してくれました。
自分の国と他国の違いに直面したときに「おかしい」と思ってはいけません。違うのは当たり前なんです。
だから私は「不思議」と感じることが大切だと思っています。「おかしい」と「不思議」では意味が
まったく違います。「おかしい」は否定的なんです。しかし「不思議」からは「どうして?」という
好奇心が産まれることになる。だから私は「日米の違いを楽しもう」という思いを抱いて来日したんです。
そして来日して、実際にこの目で見た日本は、確かにあらゆる面で米国とは違う国でした。

トニー・マラーノ(以下T):ケントはどのくらい日本に住んでいるの?

K:ときどき米国に帰ってはいるけど、34年くらいになるかな。トニーさんは今回で何度目の来日ですか?

T:34回目だよ。ハッハッハ!それは冗談だけど、今回が9回目の来日なんだ。

K:日本に住んだことは?T残念ながら住んだことはないんだ。日本に住んでいるケントが羨ましいよ。

K:そもそも何で日本に興味を持ったんですか?

T:俺はずーっとAT&T(米国の大手電話会社)で働いてたんだけど、2006年に定年退職したんだ。
それから2年後の2008年のある日、ダラス・モーニングニュースを読んでいたら、1つの小さな記事が
目に飛び込んできた。その記事はシー・シェパードに関するものだったんだ。「日本の捕鯨の妨害をしている」
と書かれていたんだよな。その記事を読んで俺は「ちょっと待てよ!日本人は島国に住んでいるんだよな。
島国に住む人が海に食料を求めるのは当たり前のことじゃないか」と感じた。それなのにわざわざ日本まで
出かけて行って「鯨を食うな!」と言っているヤツらは傲慢だと感じたんだ。そこで俺はシー・シェパード
についていろいろと調べることにした。そして奴らのことを知れば知るほど、俺にとって許し難い集団
だということがわかったんだ。 >>2へ続く

http://blogos.com/article/111857/

2 :◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★:2015/05/11(月) 13:04:27.07 ID:???
>>1より

だから俺はユーチューブの自分のチャンネルで、ヤツらを批判する動画を上げた。
当時はその動画が日本にどのような影響を与えるかなんて、まったく考えていなかったけどな。

動画を上げた直後、まずはシー・シェパードのメンバーから批判的なコメントが寄せられたんだ。
俺はそのコメントを読んで喜んでいたがな。だってヤツらを怒らせたわけだろう。こんなに愉快なことはない。
ハッハッハ!だからヤツらをもっと怒らせるために、ヤツらを批判する動画をさらに何本か上げたんだ。
そしたら徐々に日本人が俺の動画を視聴してくれるようになって、直接メッセージを送ってくれるように
なったんだ。メッセージは俺の動画に対して感謝を表明するものばかりだった。そしてどのメッセージも
本当に礼儀正しい文章だった。しかしシー・シェパードの連中から届くメッセージときたら、
まるでゴミのようなものばかりだったんだ。動画で俺は完全に日本側の立場を取っていたから、
当然と言えば当然なんだが、問題は俺の動画のコメント欄なんだ。ユーチューブには視聴者がその動画に
関するコメントを書き込める欄があるだろう。それを見たんだ。そしたら日本人とシー・シェパードの
連中が互いの意見を書き合っていた。そして読んでみると、シー・シェパードはとにかく攻撃的で、
ひたすら汚い言葉で罵っているだけだった。しかしそれに対しても、日本人は非常に礼儀正しく返答をしていた。
汚い言葉なんてほとんどなかったし、理論的な反論を書き込んでいたんだ。それを見て俺は日本人と
シー・シェパードに明確なコントラストを感じて、次第に日本という国に興味を持つようになったというわけだ。

2010年にはシュン(テキサス親父日本事務局・藤木俊一)との出会いもあった。メールなどで頻繁に
連絡を取り合うようになったんだ。そしてシュンの働き掛けで2011年に初めて来日した。
日本と深く関わり合うことになるなんて、本当に思いも寄らないことだった。神の思し召しなのかもしれないな。
「1つの扉が閉じると、別の扉が開く」と言うだろう。会社を定年退職して扉が閉まったけど、
日本という別の扉が開いたというわけなんだ。退職した直後、俺は家の中でゆっくりして、
本を読んだり庭仕事をして、日曜日に教会に行くというのんびりとした生活を送ろうと思っていたんだ。
しかし、そこにシー・シェパードが入り込んできやがったんだ。そして何度も来日できるようになって、
素敵な人々と知り合うことができた。だから俺はシー・シェパードには感謝しているんだ。
すべての切っ掛けを与えてくれたわけだからな。K間抜けどもが別の扉を開いてくれたわけだね(笑)。(続きは本誌で)

3 :名無しさん@13周年:2015/05/11(月) 13:19:05.98 ID:jz5hVAODa
シーシェパードがきっかけなのか、不思議だったが

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