2ちゃんねる スマホ用 ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【憲法改正】自律的制定できず「国民の不幸、恥辱」

1 :◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★:2015/05/03(日) 15:11:14.26 ID:???
★【憲法特集・後編】自律的制定できず「国民の不幸、恥辱」
2015.5.3 11:00

GHQによって、日本政府が昭和21年3月6日に発表させられた「憲法改正草案要綱」は、
憲法の姿を一から書き換えるものだったが、形式的には明治憲法の改正手続きがとられた。

同年6月開会の帝国議会で審議入りした改正案に不満をもつ国会議員は少なくなかった。

「日本政府が憲法改正に最後まで自主自律的に自らの責任をもって決行できなかったことを
極めて遺憾に感じ、国民の不幸、国民の恥辱とさえ感じている」

「ひとまず英文でまとめて、それを日本文に訳したがごとき印象を与える。
占領治下の暫定憲法ならいざ知らず、これをそのまま独立国家たる日本の憲法として
子孫後代に伝えるに足る形式を持っているか説明を願いたい」

貴族院でこう指摘したのは、東大総長も務めていた南原繁だ。国際経験も豊富な政治学者の
南原は後に連合国との講和に際して「全面講和」を主張し、首相の吉田茂から
「曲(きょく)学(がく)阿(あ)世(せい)の徒」と糾弾される。進歩的知識人と目されたが、
終戦直後の東大校舎に国旗を掲げ、敗戦に打ちひしがれた学生を鼓舞した逸話も残る。

南原は書斎にこもり、入念に質問の下調べをして憲法の審議に臨んでいた。
「いつも難しい顔をしていた。憲法に集中していた姿は今も目に浮かぶ」。
次男の晃(81)はそう振り返る。南原が特に問題視していたのが、自衛権の所在が曖昧な9条だった。
晃は「父は『戦力なき国家は国家ではない』『平和は血と汗で守るものだ』と考えていた。
それが政治学の常識だった」と語る。

当時、東西冷戦ははじまっていたが、GHQには「敵国日本」への警戒心が強く、
自衛さえ不確かにする9条が書き込まれることになったのだ。

他国に攻められても、まったく抵抗してはならないかのような9条に、衆院憲法改正小委員長で、
後に首相となる芦田均も疑念を抱いていた。芦田は委員会で同条2項の冒頭に
「前項の目的を達するため」という文言を挿入するよう提案した。

1項は戦争について「永久にこれを放棄する」と宣言するが、同時に「国際紛争を解決する手段としては」
(改正案では『他国との紛争の解決の手段としては』)と条件を付けている。同様の文言がある
パリ不戦条約(1928年)では、国際紛争を解決するための戦争とは「侵略戦争」と解釈されていた。

芦田の修正により、「日本は侵略戦争は放棄したが、自衛のための戦争は放棄していない。
自衛のための戦力も保持できる」と解釈する余地が残された。
こうして現憲法は昭和21年10月に可決、11月3日に公布された。

芦田は国会審議中、修正の意図を明確には語らなかったが、新憲法公布の日に出版した『新憲法解釈』で、
9条について「自衛のための戦争と武力行使はこの条項によって放棄されたのではない」と明記した。

なぜGHQは現憲法の制定を急いだのか。ソ連や中華民国も参加する連合国の日本占領の
最高政策決定機関「極東委員会」の存在を指摘するのは駒沢大学名誉教授(憲法学)の西修だ。

GHQ幹部を訪ね、聞き取り調査を行った西は、「GHQは極東委員会が日本の憲法に口を挟む前に
既成事実を作ろうとした」と指摘。「ソ連は天皇制廃止を主張する可能性があったが、
GHQは天皇制を維持した方が日本人の反発を抑え、統治に資すると考えていた」と解説する。

同じ敗戦国の西ドイツは占領軍の命令で基本法(憲法)の制定に乗り出したが、
草案づくりからドイツ人自身の手で行った。1956年には基本法を改正し再軍備も整えた。日本とは対照的だ。
>>2へ続く

http://www.sankei.com/politics/news/150503/plt1505030004-n1.html

2 :◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★:2015/05/03(日) 15:11:27.35 ID:???
>>1より

今、安全保障環境は現憲法の見直しを迫っている。経済大国となった中国は軍拡を進め、
尖閣諸島をねらい、海洋覇権を追い求めている。

安倍晋三政権は日米同盟の抑止力を高めるため、昨年7月、「保有しているが行使できない」
としてきた集団的自衛権について、行使を限定容認する憲法解釈変更を閣議決定し、
関連法制の整備を急いでいる。

限定容認による厳しすぎる歯止めで、いざというときに自衛隊が円滑に動けるか不安が残るが、
せっかくの「芦田修正」の解釈を政府が採っていないことが一因となっている。

9条改正が必要な理由はここにもある。昭和27年に独立したが、憲法には占領の呪縛が残っているのだ。

芦田の孫で、「芦田均日記」を編(へん)纂(さん)した下河辺元春(75)は、芦田の思いをこう語った。

「祖父は日本が主権を回復した後、数年で憲法改正ができると思っていた。
まさか改正までにこれほど時間がかかるとは思っていなかっただろう」

(敬称略)

(内藤慎二、力武崇樹)

関連スレ
【憲法改正】「今に見ていろ」ひそかに涙 白洲次郎 GHQ原案に悔しさ
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1430624730/

総レス数 2
5 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★