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【京都】 “卑弥呼の墓”と類似、古代史解明の鍵に 京都・五塚原古墳 [京都新聞]

1 :Twilight Sparkle ★@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:00:32.14 ID:???*.net
【 2014年11月10日 10時06分 】

http://www.kyoto-np.co.jp/picture/2014/11/2014111010493810_kohun1.jpg

 京都府向日市埋蔵文化財センターと立命館大が、同市寺戸町にある3世紀半ば〜後半の大型前
方後円墳「五塚原(いつかはら)古墳」で進める発掘調査で、次々と重要な成果が出ている。卑弥呼の
墓といわれる「箸墓(はしはか)古墳」(奈良県桜井市)との類似点が発見され、近くにある日本最古の
祭殿施設があった「中海道遺跡」との関連も指摘される。古代史を解明する上で鍵となる可能性が高
まり、研究者から注目を集めている。

 「今回の調査で、五塚原が箸墓をモデルに造られた最古段階の古墳だったことが裏付けられた」と
市埋蔵文化財センターの梅本康広調査係長は話す。8月上旬から10月末まで実施した調査で、この
2古墳にしかない2点の特徴が確認された。

 一つは「斜路状平坦面(しゃろじょうへいたんめん)」といわれる構造。側面にある段の平坦面は、後
円部とのくびれ部から前方部の端に向けて勾配があり、先端は大きくせり上がっている。もう一つは、
平坦面が前方部と後方部のくびれ部で途切れている点だ。

 箸墓では、2012年に実施されたレーザー照射による3次元(3D)測量で構造が確認されている。
五塚原の大きさは箸墓の3分の1だが、側面の構造を比べると一致する。

(記事の続きや関連情報はリンク先で)

引用元:京都新聞 http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20141110000032

2 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:01:13.73 ID:mdawRlGq0.net
2なら卑弥呼のAVでぬく

3 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:01:25.94 ID:8YZJomEm0.net
GJ

4 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:02:14.71 ID:6WUbuEDj0.net
そもそも卑弥呼が実在したかどうかさえわからんのに。

5 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:03:33.12 ID:aAKFkzRc0.net
卑弥呼というのは支那が書いた言葉であって
実際は何を指して言ったのかもわからない。

6 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:04:23.55 ID:qn4s59s+0.net
やまたのおろちはたしかに強い

7 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:04:31.68 ID:rNcp7oDw0.net
オメコは都市伝説

8 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:04:38.26 ID:8YZJomEm0.net
http://bittercup.blog.fc2.com/blog-entry-4107.html
http://blog-imgs-47-origin.fc2.com/b/i/t/bittercup/map_20130212175040.jpg

9 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:04:52.49 ID:edeJS4eh0.net
キトラ、高松塚のような美しい絵が描かれた古墳ですら
1つの文字も残されていないのが、日本の古墳の特徴
 
エジプトはもとより、ローマも中国も
とっくの昔に学問が進んでいた時代に

  文字がなかったのが日本

中国からパクッた漢字で書かれた
奈良時代の木簡まで
日本には
「文字」が一文字もなくてワロス

10 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:05:12.17 ID:7kkB8qtC0.net
またかよ。
どうせバチ型ってだけだろ

11 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:05:20.44 ID:swrMoT4E0.net
卑弥呼は実は韓国人。これマメな。

12 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:06:07.71 ID:x3adYZOy0.net
九州説ついに敗北か

13 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:07:06.35 ID:9dldC4Ht0.net
卑弥呼の墓って言いきってるw

14 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:07:50.76 ID:edeJS4eh0.net
もらった金印には文字があっても
自分達は文字が残せなかったから
いまだに卑弥呼がどこにいたかがわからない

15 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:08:09.04 ID:LEVNW4JU0.net
日 皇子

16 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:08:19.92 ID:aAKFkzRc0.net
>>9
文字はあったけど、いちいち文字で説明するのは
カッコ悪いという風潮があったのだよ。
いまでも彫刻などにイチイチ文字いれるのは格好悪いよね。

17 :名無し@修羅の国在住@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:08:41.37 ID:wdef/BtX0.net
>>9
が、しかし美しい絵を描けるだけの感性・技術はあったわけだ。
それに漢字を自分たちの言葉に適するように応用する知性もあった。

18 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:08:44.39 ID:9yDGVntq0.net
なんか必死に邪馬台国は私達の地元にあったって騒いでるけど
残念ながら邪馬台国は大韓民国にあったのは紛れもない事実
アキラメロン

19 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:10:36.38 ID:ae7ZnqYe0.net
http://image01w.seesaawiki.jp/e/3/ebatan3/02e2909b.jpg

20 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:11:48.68 ID:edeJS4eh0.net
文字がなかった日本には「科学」も生まれなかった。
世界では天文や数学の書物がたくさん書かれてた時代に

男女の恋だの、風景だのを詠んだ歌ばっかりで
科学の書物は1冊もないのが、日本の「文化」

21 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:12:28.01 ID:cpzA/vIw0.net
>>4
アホか、同世代の中国人が北九州まで来て記述したんだ。
>>5
「姫の尊」に決まってんじゃんwww

22 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:13:20.31 ID:Yywsa0+70.net
楊貴妃の墓よりは信憑性があるな

23 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:13:27.71 ID:m9wSoM0x0.net
>>11

朝鮮半島の『三国史記』新羅本紀(1145年成立)による。
173年 - 倭の女王卑弥呼が、使わした使者が訪れた(二十年 夏五月 倭女王卑彌乎 遣使来聘)。なお中国の歴史書では356年に「新羅」となったと記述されている。
193年 - 倭人が飢えて職を求めて千人も新羅へ渡る。(新羅本紀第二 伐休尼師今 十年(193年) 六月倭人大饑。来求食者千余人)。

倭人の女王以外の記述が無いのでチョンはありえな〜い。
頑張りすぎると伽耶が日本と認めるはめになるぞ。

24 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:14:05.07 ID:edeJS4eh0.net
文字も科学も全部、外国のパクリなのに

平賀源内がエレキテル、関孝和が和算、華岡清秋が
全身麻酔を発明したニダ。 というウリジナル

25 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:14:16.59 ID:29IEeQhZ0.net
紛らわしいスレタイだな

26 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:15:14.48 ID:3A6hmzTg0.net
卑弥呼の卑は卑しいという字
シナがつけた名なんでしょう
日女命(ひめのみこと)と呼ぶことにします

日本のことを倭というのは小さいという意味で
侮蔑用語だって先生が言ってた

27 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:15:34.59 ID:m9wSoM0x0.net
>>20

はいはい、中国様からたくさん学びましたよ。

28 :(´-`).。o山中狂人 ◆Ojin.714P. @\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:16:32.84 ID:ewYRtGzv0.net
箸墓古墳の埋葬者と言われている「ヤマト・トトヒ・モモソヒメ」は、4世紀中頃の人物。
卑弥呼は3世紀中頃の人物。しかも卑弥呼の墓は円墳。直径100歩、145メートル。
3世紀中ごろ、皇室の先祖は九州にいた。ちなみに神武天皇は3世紀末頃の人物。

箸墓古墳は卑弥呼の墓ではない。年代の推定が古すぎる。学者は年代推定をやり直したほうが良い。
もしも箸墓古墳が卑弥呼の墓なら、邪馬台国と大和朝廷は無関係。

29 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:16:35.37 ID:XfTXSTuH0.net
元々の意味は日の巫女じゃねえかって誰かが言ってたな。

30 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:16:48.69 ID:m9wSoM0x0.net
>>18

つまり韓国は倭人の土地
出てけ、返せ。

31 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:17:48.00 ID:Rz+AKSg20.net
卑弥呼は九州、秀吉の焚書が極悪

32 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:19:16.27 ID:3A6hmzTg0.net
>>20

本当に大昔の中国は素晴しいですね

33 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:22:04.49 ID:XfTXSTuH0.net
そりゃあ中国は最初期の文明のひとつだもんな

34 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:22:12.21 ID:9Iq3mtee0.net
そのくらいある!楊貴妃の墓とか始皇帝の末裔を祀る神社とかあるし。

35 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:22:25.24 ID:y/tXLjoS0.net
>>19
それはヒミカだろうが。
おまえアラフィフのオヤジだろ。
ハニワ原人なんざ誰も知らねーぞ。

36 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:22:43.84 ID:29IEeQhZ0.net
>>28
そもそも、箸墓古墳の中に誰が眠ってるのかかなり怪しいから
宮内庁はさっさと墓の本体を掘らしてくれよ

37 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:23:35.36 ID:kbuI6n010.net
3世紀後半つったら箸墓古墳と同じ時代か直後なんだな
2代目の墓はとび茶臼山古墳かと思ってたけど、
1代目か2代めと関係の深い人物の墓なんだろうな

38 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:23:44.39 ID:6BAvFPlV0.net
>>20
古代の中国には感謝しとりますよ
その証拠に日本では三国志が大人気
それがどうかしましたか?

39 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:25:31.20 ID:QUwfEaVhO.net
卑弥呼さまーて芸人消えたな

40 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:25:32.34 ID:026XIbOq0.net
各マスコミは下記の事実を隠そうとしているらしい。
http://www.youtube.com/watch?gb=rgbvd&v=8JgukoSspHw

41 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:26:44.33 ID:4FrsP2360.net
箸墓は卑弥呼の墓より後の時代だろ

42 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:29:18.58 ID:CExZtaZz0.net
古代史に関しては日本と中国の歴史学会は仲良し
ファンタジーを持ち込む土人は嫌われてるけど

43 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:29:55.32 ID:bJ267b22O.net
中国は昔から卑しい卑弥呼とか、やましい邪馬台国とか嫌がせの当て字付ける汚い国だ

44 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:30:55.05 ID:+KwPVdOzO.net
なんで九州説はすぐ死んでまうん?

45 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:33:11.30 ID:Z/u072nT0.net
九州説とは何だったのか

46 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:33:21.35 ID:427MF2fx0.net
邪馬台国は九州、地位もせいぜい今の市長くらいじゃね

47 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:35:33.48 ID:AvTLFzQW0.net
卑弥呼の墓にデータが存在するわけがない。
卑弥呼が登場するのは魏志倭人伝の一つしかない。
しかも当時のチャイナ報告書にはウソも多いのが定説。

日本側の資料には一切出てこない。実在すら非常に疑わしい。

48 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:36:36.82 ID:7rKrcL+P0.net
邪馬台国を研究してる奴のほとんどが、専門外の暇人という事実

49 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:36:43.60 ID:9gdujlGT0.net
5世紀の古墳から鉄剣銘で祖先代々の名を記したり、漢字はいくつか出土してる。ちゃんと日本語を漢字借りて表記してるよ。
向日市の古墳群は、神武天皇を案内した後、久我(向日市〜京都市伏見)に引っ越した賀茂氏のものだろうね。

50 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:37:29.69 ID:m9wSoM0x0.net
>>47

WIKIソースだとチョン国の三国史記にもいるぞ。

51 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:38:39.76 ID:jdrNdvrr0.net
>>43
蝦夷とか熊襲とか名前付けてた国が言えた義理はないけどね

>>44
考古学的な部分であまりに弱い

52 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:38:44.88 ID:W7ZR1/DM0.net
>>21
姫子だろ。ハットリ君に友情出演

53 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:40:17.00 ID:tvbSGFIF0.net
>>13
よほど早死にしたいらしいな

54 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:40:55.97 ID:x3adYZOy0.net
>>50
チョン国はクソはあってもソースには成るまい

55 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:41:17.16 ID:Etc2CkxT0.net
すぐ近くの元稲荷古墳の前方後方墳も思い出してあげて

56 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:41:24.15 ID:BPkkkul50.net
宮内庁はいい加減全面公開しろや

57 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:42:11.70 ID:6WUbuEDj0.net
>>21
>アホか、同世代の中国人が北九州まで来て記述したんだ。

来てないよ。
魏志倭人伝を著述した人間は、又聞きの又聞きを書いただけ。

58 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:42:34.82 ID:UdS5Tius0.net
人間発電機だっけ?

死んでたんか

59 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:43:22.60 ID:n0Dl2mKN0.net
穴っぽこ見つけて、やれ卑弥呼の宮殿発見
モモも種みつけて、やれ卑弥呼の宮殿発見

今度は

墓の一部が箸墓と似てるから、やれ卑弥呼の墓発見

だって、笑ってやってください。

60 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:43:42.50 ID:sMLoQDgL0.net
豪族の1つが中国の記録に残っていただけじゃね?特別視する意味あるのか?

61 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:45:04.51 ID:bpI60os80.net
邪馬台国が関西な訳ない。

62 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:45:23.26 ID:BtJE9/aU0.net
民さんは卑弥呼のような人だ

63 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:45:51.99 ID:m9wSoM0x0.net
>>60

記録にある日本最古の国が特別じゃないと考える君が異常

チョン認定されてみるかい?

64 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:45:59.65 ID:n0Dl2mKN0.net
まあ アイヌが先住民じゃないことだけは 確か

65 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:46:53.76 ID:UgHADbuc0.net
>>47
日本に文字の無い時代に日本側の資料があるわけない
俺は九州と思うばい

66 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:47:33.02 ID:XoMsWsmi0.net
どー頑張っても無理w

日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)


チンギスハーンも三河出身
秦の始皇帝も三河出身
ナポレオンも三河出身
ブッダも三河出身
イエスキリストも三河出身
ユダヤ人も三河が起源

67 :(´-`).。o山中狂人 ◆Ojin.714P. @\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:48:33.18 ID:ewYRtGzv0.net
<安本美典によれば、卑弥呼は天照大神
<井沢元彦によれば、卑弥呼の墓は宇佐神宮の下
<邪馬台国は北九州。後に神武天皇の時代に東遷して大和朝廷になった
      ∧_∧___  
      (・∀・ ) / | <これ、豆知識な
    ⊂ へ  ∩./ .|
   i'''(_) i'''i ̄,,,,,,/
    ̄ (_)|| ̄ ̄  

68 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:48:34.83 ID:2DWbc7Cj0.net
いいかげん、全ての古墳を調査できるようにすればいいのに。

69 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:49:54.61 ID:sRdH49TZ0.net
>>5
卑しい占い婆

70 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:50:00.91 ID:kpsPQstR0.net
卑弥呼ってシナ人の作った蔑称だろ
まぁシナに嫌われるぐらいだからさぞ立派な方であったんだろう

71 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:50:31.52 ID:jdrNdvrr0.net
>>21
姫巫女、日巫女、姫子 、姫皇子、
決まってんだろwなんて言えるほどの材料は一切ない。そもそも文字がないんだから聞き違いを含めてどんな漢字も当て字でしかない

>>57
弱いなぁ。又聞きの又聞きだとしても金印を授けてる国の記述なんで最低でも邪馬台国から来た朝貢の使者からは情報を得てるんであってね
そもそも行ってもいないのに適当に書くならわざわざ又聞きなんて事実は伏せておけばいい

72 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:50:37.04 ID:k7RKhkYE0.net
古代史なんかやめろ
おかげで奈良は高速道路もひけない

大体古代史なんか文系の就職のためにあるだけ

73 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:50:53.11 ID:NYUNezsf0.net
>>4
俺はあんまり好きじゃない
小林ひとみ、石原ゆり、双葉このみがオヌヌメ

74 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:50:53.94 ID:x3adYZOy0.net
>>63
記録があっても、証明するものがないと説得力が無い
邪馬台国の記述は別冊の一部にちょっとだけ載ってるだけだから
それも一度

75 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:50:59.00 ID:+668efpH0.net
実在してればいいんだけどねぇ(´ω`)

76 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:51:42.10 ID:KpLXAhvtO.net
山城国風土記にある許(こ)の国か?

77 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:52:02.37 ID:5VKKc0ph0.net
卑弥呼は完全なアテ字

78 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:52:41.84 ID:9gdujlGT0.net
長岡京〜向日市の辺りは、乙訓(おとくに)郡と言った。古事記には、竹野姫が輿から落ちたから、おつくにという名になったって、地名説話が紹介されてる。

たぶん、乙國という国があったんだろう。弥生中期〜後期、向日市から長岡京市にかけて、首長の周溝墓がすごくたくさんある。
弥生時代の京都の盟主的な地域らしい。

79 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:52:55.16 ID:sRdH49TZ0.net
>>20
天文や数学は人を効率的に殺す手段
日本人は野蛮な暗黒大陸(ユーラシア)の文化を取り入れなくて本当に良かった

野蛮な暗黒大陸とはユーラシア大陸の事だった

80 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:53:02.23 ID:n0Dl2mKN0.net
>>72
祟りの怖さを知らないな、奈良そごうの末路を忘れないで

81 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:54:12.16 ID:5VKKc0ph0.net
正確には「ヒミコ」でも「ヒメコ」でもなく「ヒムカ」
シナ人は聞き違いをアテ字にした

82 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:54:59.79 ID:x3adYZOy0.net
九州説な人達は邪馬台国があったとされる時代は何も解明されてないと思ってるけど
実際はそうじゃなく、大分解明されてきてる
もう、邪馬台国が九州にありましたなんて嘘を話す学者はいない
ありえないという証拠ばかりだから
後は畿内の何処にあったんだろってのを確定させるだけ
もっとも、そんな事より最近はどうやって日本という国になったんだろうってのが主眼だけど

83 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:55:59.72 ID:IUfuNeCX0.net
またいつもの卑弥呼詐欺か
奈良のマキムク古墳群じゃなかったのかよ

84 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:56:21.49 ID:5VKKc0ph0.net
お気づきのように、当然「邪馬台国」もまた完全なるアテ字

85 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:56:22.83 ID:+2sqP+Aw0.net
昔の中国は文化国家の最先端であった

86 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:58:13.31 ID:RUydJtiq0.net
3世紀前後の古墳は何でも卑弥呼認定とかアホ

87 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:58:32.57 ID:XfTXSTuH0.net
>>84
邪馬台は誤植だっていうじゃん。

88 :名無しさん@13周年:2014/11/11(火) 20:06:21.21 ID:cSuvctrje
明治天皇ですら出自が怪しいのに3世紀とかもうアホかと

89 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:58:55.90 ID:+2sqP+Aw0.net
邪馬台国は大阪南部。
奈良に東征して朝廷を作った

90 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:59:27.55 ID:7FuC6q5+0.net
記載された名の卑弥呼ってのは、当時の中国の発音では「ピミウォ」になるとかなんとか
だから、日巫女とか姫子って言葉と直結させるのも違うと聞いた事がある

91 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:59:44.87 ID:M6NHGAhs0.net
>>84
当て字っつーか音写な。中国人が異民族の固有名詞を表記するときは、
近い音の漢字を当てざるを得ない。

母音まで含めた正確な発音の推定は難しいけど、
言語学の基本法則「子音は変化しにくい」からして、
その後の日本の政治中枢であるヤマトと全て子音が一致するのは、
偶然ではないと考えるのが普通だけどね。

92 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 19:59:50.49 ID:IUfuNeCX0.net
>>82
解明じゃなくて想像とゴリ押しだろあの業界は
地方Bが中央Aに貢物を献上した
AがBからの貢物を受けた
とAB双方に文書として残っているとか、そんな状況じゃないと確定なんてしない

93 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:00:38.56 ID:jdrNdvrr0.net
>>86
スレタイがアホなだけでどこにも卑弥呼の墓とは書いてないよ
卑弥呼の墓と目される箸墓と類似してるとは書いてあるけど

94 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:00:42.37 ID:n0Dl2mKN0.net
>>82
妄想が解明になってしまう畿内考古学って、チョウセン歴史学とまるで一緒だね

95 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:01:21.40 ID:XfTXSTuH0.net
>>90
当時の日本も今とはぜんぜん違う発音してたんじゃないかね。
そうなるともうなにがなんだかw

96 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:01:50.32 ID:x3adYZOy0.net
>>92
魏志倭人伝1つしかないいじょう
魏志倭人伝では解明出来ない事だって理解出来てるか?

97 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:01:53.48 ID:M6NHGAhs0.net
>>90
当時の日本語だとハ行音は全てパピプペポの音だよ。
だからむしろピミウォなら日本語に近い。

98 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:02:46.09 ID:5VKKc0ph0.net
「ヤマタイ」ではなく正確には「ヤマント」

99 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:03:05.67 ID:+2sqP+Aw0.net
金印はなぜ田んぼから見つかったか

100 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:04:16.65 ID:qu7pMKS4O.net
卑弥呼→みんな言うこと聞く
男王→言うこと聞かない
台与→言うこと聞く


卑弥呼と台与は美人だった可能性があるな

101 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:04:25.12 ID:h0FrLc1g0.net
「孁」という難しい漢字について、岩波文庫本の校注に、「『孁』は、巫女(みこ)の意で用いた文字であろう。靈(れい)の巫を
女に改め、孁とすることによって女巫であることを、書紀の筆者が意味的に示そうとしたものと思われる」とある。 そうであれば、
@「孁」という語は『書紀』の造語で、A「(日)孁」の意味するところは「(ヒ)ミコ」である、ということになる。 さて、大日
孁貴をどう読むか。実は、それは『書紀』自身がその割注で「於保比屢灯\武智(おほひるめのむち)」と訓じている。その場合、
「日」は、「比」あるいは夜の反対語としての「比屢(ひる)」のどちらにも読みうるが、「孁」は「屢(るめ)」とも「(め)」
とも読めないので、『書紀』がなぜ「日孁」と書いて「比屢刀vと訓じたのかという謎が浮上する。 すなわち「日孁」の中に
「(め)」と読める部分がどこにもなく、「孁」という文字を上下に分離して始めてその脚「女」が「(め)」と読めるのである。 
 これは、「孁」という字を冠と脚に分解せよという『書紀』からの暗号と思われる。それを証するかのように、『書紀』は念に
は念を入れて、「孁」の音(読み)は「力」と「丁」の反(かえし)、すなわち「Lei」(=れい)であるとわざわざ注している。
(注 反とは反切(はんせつ)の法則(難しい漢字の音を他の簡単な漢字二字を借りて示す標音法)で、具体的に「孁」に適用すると、それは「力=Liki」の頭子音(L)と「丁=
Tei」の頭子音以外の部分(ei)を合体した、「Lei」、すなわち「れい」となる) これは、この造語「孁」の元字が「靈」(霊はこの字の新字体)であることを意味する。
先の校注はそれを気付いた上での校注か否かは知るよしもないが、「靈の巫を女に改め、孁とす
ることによって女巫であることを示した」とする見解はまさに正鵠を射たものと言ってよかろう。
 すると『書紀』は、大日孁貴四文字を表向きは「於保比屢灯\武智」と訓じてはいるが、「孁
の読みに注(力丁の反)を入れることによって、この四文字がヒミコであること、そしてその別名をア
マテラスとすることによって、ここに、ヒミコをアマテラスに仮託したことを見事に宣言しているのである。

102 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:04:38.39 ID:jdrNdvrr0.net
>>99
それ別の金印。しかも偽造疑惑たっぷり
邪馬台国への金印が発見されたら一年くらいはお祭り騒ぎ

103 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:05:27.84 ID:7FuC6q5+0.net
>>97
おお、そうなのか、ハゲはパゲになるのか・・・

104 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:05:37.14 ID:KpLXAhvtO.net
>>83>>86
よく読むんだ。
箸墓に形状が類似していて時代も近い墳墓があるという話だ。
元々木津川流域は応神天皇の皇子の一人が治めた国があったと伝承されている。
古墳時代初期に箸墓と類似した墳墓があるというのは、こうした伝承に元になるものがあったことの
裏付けになる。

105 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:06:17.39 ID:nbB/nNd80.net
オサカナオトトモモソヒメ

106 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:06:48.44 ID:nxd90jKL0.net
>>9
大丈夫。日本には四季があるから

107 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:07:00.38 ID:STToubHJ0.net
こんばんは。卑弥呼です。

108 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:07:05.75 ID:QJBrb7wk0.net
中華の極めて怪しい書物の一節にしか登場しない人物とその国が実在したって考えるのは難しい

109 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:08:27.07 ID:9gdujlGT0.net
巫女は平安時代の言葉だよね?
飛鳥時代は、采女とか、巫女をかんなぎとか言ったよね。
だから、ヒミコ=日巫女はないと思う。

110 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:08:39.97 ID:/GUFNblf0.net
年代測定を徹底的に否定している北九州説は支持できないなあ。
自分は畿内説を支持してるんで、卑弥呼縁の古墳なんだろ。

111 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:09:29.06 ID:x3adYZOy0.net
>>108
今の時代でも捏造や間違いがあるのに
邪馬台国があったとされる時代にそんな正確な文書が書ける訳ないのに
何故か間違いないんだとか言うよな
九州説の人達は
知能が低すぎるwww

112 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:11:27.94 ID:LjesYmRf0.net
「邪馬台」ってのは「やまと」(又はそれに近い発音)の当て字だという説は
学会では通説なの?

113 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:12:00.97 ID:5VKKc0ph0.net
大化の改新の時代までは本物の日本古代史はかなりの記録が残ってたらしいがな
よほど都合が悪かったのか(当時の為政者たちにとって)、その地点で日本史は完全に書き換えられた

114 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:12:30.35 ID:wB044qCn0.net
倭国大乱(150〜180年)→卑弥呼即位→248年台与即位
銅鐸文化圏(畿内)   →前方後円墳(銅鏡)文化に変化

出雲荒神谷遺跡 大量の銅剣
http://inoues.net/ruins/shutudo.jpg

倭国大乱

オオクニヌシの国譲り

115 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:12:39.48 ID:h0FrLc1g0.net
>>109
別名、大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)
日本書紀によれば天照大神(あまてらすおおみかみ)の別名は大日孁貴(おおひる
めのむち)である。
 大日孁貴の「孁」は、「靈」と「女」の和製合体漢字である。(倭製と書いた
方が正しいかもしれない。)
 「靈」は「巫」を意味するので、(「靈」+「女」)は(「巫」+「女」)
と同じ意味であり、「巫女(みこ)」の事を指すものと考えられる。
 このように、「孁」は「みこ」とも読めるので、その場合「大日貴(おおひる
めむち)」は「大(おお)・日(ひみこ)・貴〈むち〉」ともよめることになる。
つまり、日(ひみこ)は卑弥呼(ひみこ)のことであると考えることができるの
である。(wikipediaの説明の誤り)

116 :名無しさん@13周年:2014/11/11(火) 20:15:27.29 ID:cSuvctrje
近畿説=ネトウヨの妄想

117 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:13:42.72 ID:nxd90jKL0.net
いまにみていろ邪魔大王国 全滅だ!

118 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:15:33.08 ID:Mx8Vphdh0.net
卑弥呼ォ!?
久美子の間違いじゃねえのか!?

119 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:15:55.77 ID:jdrNdvrr0.net
皆が仰る通り、魏史にある邪馬台国が九州にあったという説はあまりに弱い。3ー4世紀の遺構があまりに無さすぎるどころか3世紀に文化断絶か何らかの要因で滅亡したとしか思えないほどに痕跡が消えてる
ただ、その点と神武天皇東遷に基づく畿内邪馬台国の前身が(北部)九州にあったという説は寧ろ真実味を帯びてきた

120 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:16:58.86 ID:FuQBf4rE0.net
卑弥呼の実在性なんて神武天皇なんかとどっこいだろうに扱いに差があるのはどうなんだ

121 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:17:37.13 ID:wB044qCn0.net
光和年間(178年 - 184年) - 卑弥呼が共立され、倭を治め始める。『梁書』
景初三年(239年) - 卑弥呼、初めて難升米らを中国の魏に派遣。魏から親魏倭王の仮の金印と銅鏡100枚を与えられる(『三国志』では同二年(238年))。
正始元年(240年) - 帯方郡から魏の使者が倭国を訪れ、詔書、印綬を奉じて倭王に拝受させた。
正始四年(243年) - 倭王は大夫の伊聲耆、掖邪狗ら八人を復遣使として魏に派遣、掖邪狗らは率善中郎将の印綬を受けた。
正始六年(245年) - 難升米に黄旗を仮授与(帯方郡に付託)。
正始八年(247年) - 倭は載斯、烏越らを帯方郡に派遣、援を請う。難升米に詔書、黄旗を授与。
正始九年(248年) - またはその前後
卑弥呼が死に、墓が作られた。(『梁書』では正始年間(240年 - 249年)に卑弥呼死亡)
男の王が立つが、国が混乱し互いに誅殺しあい千人余が死んだ。
卑弥呼の宗女「壹與」を13歳で王に立てると国中が遂に鎮定した。
女王位についた壹與は掖邪狗ら20人に張政の帰還を送らせ、掖邪狗らはそのまま都に向かい男女の生口30人と白珠5000孔、青大句珠2枚、異文の雑錦20匹を貢いだ。
泰始元年(265年) - 倭の遣使が重ねて入貢。『晋書』邪馬台国からの最後の入貢。

122 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:18:24.00 ID:/jWUb/dH0.net
卑弥呼は行かず後家のヒキコモリ毒女
対人恐怖症で弟にしか会えない
趣味は呪術
ブツブツ…フヒヒwみたいな毎日

123 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:19:06.61 ID:wB044qCn0.net
景初三年(239年) - 卑弥呼、初めて難升米らを中国の魏に派遣。魏から親魏倭王の仮の金印と銅鏡100枚を与えられる(『三国志』では同二年(238年))。

↑この景初三年と記された銅鏡が畿内から発掘されるも、九州説論者は日本製の鏡だと認めない

124 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:19:09.76 ID:/GUFNblf0.net
>>119
>畿内邪馬台国の前身が(北部)九州にあったという説は寧ろ真実味を帯びてきた
自分も同じ認識

125 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:19:10.40 ID:x3adYZOy0.net
>>120
神武天皇はサヨクの敵
卑弥呼は別にサヨクの敵ではない

126 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:19:46.23 ID:f9P+ZPQE0.net
九州には棒ラーメンを製造するマルタイという会社がある。
従って邪馬台国は九州にあった可能性が高いのではないだろうか?

127 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:20:54.78 ID:U9jfsoXd0.net
>>112
そりゃその時代の日本人は漢字はつかってないからな
宛字なのは間違いないだろ

128 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:22:12.33 ID:Ph9w3ABT0.net
九州涙目

129 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:22:53.47 ID:5VKKc0ph0.net
>>120
神武天皇は「ジム」のアテ字

130 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:24:15.36 ID:uLsyTZzN0.net
日御子

131 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:25:06.32 ID:6WUbuEDj0.net
>>102
あの金印は本物と鑑定されたんでなかったか?
邪馬台国に贈られたものではなく、別の国に贈られたものなのは確かだが。
時代も邪馬台国とは違うんだよな。

あれ謎なんだよな。
当時の中国が、日本全体ならともかく、日本のさらに一部でしかなかった国に
金印を渡しただろうかと疑問視されている。だが金印は本物らしいし。

132 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:25:34.89 ID:2DgOfl9R0.net
向日市寺戸なら友達の住所だ。立ち退きにならないことを祈る。

133 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:25:45.71 ID:/jWUb/dH0.net
詳しくは知らんが一読しての感想
佐賀か福岡か知らないが
九州北部沿岸から舟で20日だか歩いて1ヶ月だかかかるんなら
九州北部は消しだろ
近畿だろ?

134 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:25:57.23 ID:BfkIGh2y0.net
>>122
本物の卑弥呼の墓から最古の801本が発掘されたらどうするw

135 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:26:13.84 ID:n0Dl2mKN0.net
九州までのことしか書いてない魏志倭人伝に出てくるだけの卑弥呼に、
なんで近畿がシャシャリ出てくるんだろうね?
 近畿チョウセン学者に言わせると、尾張が狗奴国なんだって、
奈良の卑弥呼とどこでどうやって戦うんでしょうね? 
アホらしくて相手に出来ないわ。

136 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:26:19.59 ID:5gJo46oG0.net
どの学者も結局の拠り所は「魏志倭人伝」だろ
その魏志倭人伝が空想物で今でいうライトノベルだったらどうするのよ

137 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:26:52.78 ID:9gdujlGT0.net
マキムク遺跡は卑弥呼の死後の時代のもの。
奈良の3世紀前半というと、鍵・唐子遺跡で考えるしかない。
鍵・唐子遺跡の墓域には墳丘がなく、庶民の土坑墓と、村長クラスの木棺直葬の墓しかない。
身分階級に差がなかったと思う。
少なくとも、邪馬台国じゃない。

138 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:27:03.22 ID:AmfOEtMx0.net
ジョー・マクモニーグルが邪馬台国と卑弥呼を透視する

卑弥呼の墓
山口県下関市豊田町の安徳天皇西市陵墓参考地に卑弥呼が眠っていると断言。
箸墓古墳は卑弥呼の墓ではない。5人の豪族が埋葬されており西暦180年〜190年頃のものである。
http://nazo108.sblo.jp/article/95081178.html

書籍
http://www.amazon.co.jp/dp/4054038255

139 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:27:20.64 ID:pqcl/xFZ0.net
>>120
神武は、即位年の設定とそのあと数代のつじつま合わせに
説得力をもたせられなかったのが痛いところ。

140 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:28:00.80 ID:h0FrLc1g0.net
>>135
無知
情報弱者

141 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:28:30.45 ID:FuQBf4rE0.net
>>127
今だってオバマ→奥巴馬とかやってるしね

142 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:30:37.78 ID:Bt1nS+4sO.net
記紀に卑弥呼なんて出てこないのに墓なんて有るわけねーだろ。神后皇后の御陵なら有るだろうけど卑弥呼なんてのは絶対にない。

143 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:30:41.69 ID:BfkIGh2y0.net
>>136
当時の中国人は誇張癖はあるものの、今の中国共産党ほど嘘つきでは無い。
司馬遷の段階ですら伝説やヨタ話とされていた事でも、後から裏付ける資料や遺跡が出てきたりするからな。

144 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:31:24.25 ID:x3adYZOy0.net
>>131
金印自体は同じ工房で作られた物が中国のどっかで出たとか
そこからして中国から贈られたのは間違いなさそう
只、当時は完全な島だったあの場所に何故あったのかは不明
まぁ九州って出所不明な遺物は結構ありはするんだけど

145 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:32:56.47 ID:L5C+1XyhO.net
邪馬台国は八幡平だよ

「やまたい」と場所全体で言っている

146 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:33:06.39 ID:n0Dl2mKN0.net
>>123
景初4年鏡も出てるんだよね。景初年代は3年までしか無いのに、不思議なことですね。
誰が作ったんだろうね? 

147 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:33:44.23 ID:x3adYZOy0.net
>>143
本人が正しく書いたつもりでも、その元なる情報が間違ってたらどうしようもないだろ
時代背景理解してる?

148 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:34:15.99 ID:Q5EdNaRe0.net
>>21
>アホか、同世代の中国人が北九州まで来て記述したんだ。

唐の侵略者でしょ

149 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:34:16.36 ID:/jWUb/dH0.net
>>137
土坑墓というのが庶民で
木棺直葬というのが村長クラスで
古墳は市長クラス以上くらい?

150 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:35:00.19 ID:XDIto2SBO.net
九州出雲大和の三國志

151 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:36:04.29 ID:nDRi3D+a0.net
卑弥呼が眠る街、それは大分県^^

152 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:36:29.73 ID:BfkIGh2y0.net
>>147
元の情報が正しいかどうか検証する能力は、南京大虐殺を言い立てる中国共産党より遥かに上だったと思うよw

153 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:38:10.91 ID:x3adYZOy0.net
>>152
同レベルだろうな
九州説残念wwww

154 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:38:39.05 ID:9gdujlGT0.net
>>149
国の大きさにばらつきあるけど、市ぐらいの大きさの国はたくさんあったんじゃないかな。
出雲は別格だけど。

155 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:38:41.13 ID:f9P+ZPQE0.net
卑弥呼が天照大神だったら
全て辻褄が合う

156 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:39:08.26 ID:Il/V458G0.net
関西に邪馬台国は無いつうの
阿蘇山ないだろ

157 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:39:14.46 ID:jdrNdvrr0.net
>>146
景初4年銅鏡はほぼ間違いなく国産だろうね。なんせ存在しない四年はもちろん、景初年号の入った銅鏡すら中国で1枚たりとも発見されてない
ただ、作った目的がいまいちわからない。個人的には単なる模倣の気がするけど

158 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:41:11.52 ID:5VKKc0ph0.net
>>154
古代ギリシャのポリスのような都市国家だらけだったと思われる

159 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:41:44.78 ID:iu78gaeZ0.net
京都は無いわ
九州の福岡〜長崎だなぁ

160 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:41:58.96 ID:FcsDaAHE0.net
うちの近所に古墳二つ(巨大な前方後円 方墳)があるけど誰が埋葬されてるのか
判明してないから何か気持ち悪い。

161 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:42:33.88 ID:nDRi3D+a0.net
天皇家は昔々宮崎県民だった説があるだろ?宮崎は九州^^

162 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:43:15.73 ID:KpLXAhvtO.net
>>144
金印が発見されたときの状況は大石が箱形に合わせ置かれた中にあったとのことなので、ドルメンに
ついての考古学的知識が無かった当事者の証言であることから信憑性が高い。
なぜあそこなのかも、九州各地にあるドルメンとの絡みで考察できるだろう。

163 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:43:29.21 ID:wB044qCn0.net
>>146

朝貢してすぐに鏡が作れるわけではないのだよ。唐についてからも、都に入るには滞留場所で数ヶ月滞在してから許可が出て
入ることになる。
また、景初四年は存在したらしいよ。唐代に編纂された『晋書』の巻12「天文志」書の中に、「景初4年」という年号が出てくる。

164 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:43:47.11 ID:WqeJ/8bj0.net
2,30年前の考古学じゃ想定できなかったくらい、
弥生末期から古墳時代の倭国の規模がでかかったと分かってきてるからねえ
大昔の教育で育った一般市民はなかなかついていけない
当時の学習漫画なんからイメージ的には未だにムラ規模を想像したりしてしまう

165 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:44:14.41 ID:TZa14Ygc0.net
卑弥呼って在日だったのか orz

先週、小林ひとみの現在の写真みせられた
昔は綺麗だったのだろう感はあったが
今の姿はガッカリだった

166 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:45:11.18 ID:4dIzSlYb0.net
あれ、卑弥呼の墓って円墳じゃなかったか?

167 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:45:35.64 ID:wB044qCn0.net
>>157

国産だったら、漢字を銅に記入できる人が畿内にいたことになるよ。
また、当時、日本人には漢字が理解できないのなら四年にする必要も景初という年号にこだわる必要もないよね?

168 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:45:38.05 ID:WqeJ/8bj0.net
とにかく卑弥呼よりも、崇神天皇の墓を考古学的に確定させろ

169 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:45:55.16 ID:nDRi3D+a0.net
>>164
瀬戸内海を中心にした西日本全体?

170 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:45:56.48 ID:coWrBQNd0.net
倭人の墓が京都にあるのかよ

171 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:46:05.40 ID:h0FrLc1g0.net
○     代々男王 → 争い → 「共立」卑弥呼 →
卑弥呼の死 → 男王 → 争い → 「復立」卑彌呼宗女
「共立」 を繰り返した(復立)。
だから崇神 モモソ姫   共立   垂仁 豊鍬入姫命  復立
○ 斎王  ←「王」 伊勢神宮 斎王 「共立」卑弥呼 「復立」卑彌呼宗女
女性 宗女 巫女 独身 現今上陛下の姉
初代 夜麻登登母母曽毘売  (やまととももそひめ)ヒミコ  崇神
2代目 豊鋤入姫   (とよすきいりひめ)トヨ 崇神・垂仁
3代目 倭姫     (やまとひめ)   垂仁・景行
五百野   (いおの) 景行
伊和志真  (いわしま) 仲哀
稚足姫   (わかたらしひめ)雄略
荳角     (ささげ) 継体
磐隈     (いわくま)欽明
莵道     (うじ) 敏達
邪馬台(ヤマト)国の時代から1800年以上万世一系。女系天皇ではなく卑弥呼モモソ姫と同じ斎王を!!

172 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:46:31.94 ID:Il/V458G0.net
魏志倭人伝全文
http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html

>沈没して、魚蛤を補う。

京都に海無いだろ 馬鹿か 京都説

>女王國の東、海を渡る千余里、また國あり

京都の東に海ないだろ

173 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:47:45.11 ID:/GUFNblf0.net
>>146
広峯15号墳から出土した三角縁神獣鏡か。
三角縁神獣鏡は日本で400面以上出土しているようだけど、それは日本人がつくったものかもね。
>>163
知らなかった。勉強になるなあ。

174 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:48:03.22 ID:Il/V458G0.net
京都説は完全にアウト
御用学者死ね

175 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:48:05.55 ID:5VKKc0ph0.net
>>164
6〜7世紀の奈良地方の政権がみすぼらしく見えるほど、発展していた「異質の」文明都市国家群が日本古代史の正史
だから記録をすべて抹殺した

176 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:48:23.31 ID:wB044qCn0.net
>>172

京都じゃないよ。奈良。奈良の東には海女で有名な伊勢志摩や伊勢湾がある。

177 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:48:26.54 ID:zeA637Ci0.net
>>5
日巫女にいっぴょー

178 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:48:50.26 ID:jdrNdvrr0.net
>>155
うん。記紀の年代記述以外の状況考察から言えば卑弥呼じゃなきゃ誰なんだってくらい一致する
その年代記述も祭祀を1年に2度行っていたから記紀にある100年以上存命だったというアホな記述の天皇の没年齢を半分にするときっちり当てはまってしまう
ただ、何故途中から現在の「1年」になったのか、そしてななぜその理由を記述しなかったのかについてはどの説も根拠が薄いのであくまでも一説扱いからは脱しきれない
個人的に銅鐸が使われなくなったのと関係あるような気がするんだけど

179 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:49:24.46 ID:x3adYZOy0.net
>>167
一般人はともかく指導部の一部は漢字は理解してたんじゃね?
まがりなりに中国と交流してたし

180 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:51:14.19 ID:U4WfoVRs0.net
そろそろ卑弥呼の金印が発見されるころだろ・・。

181 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:51:20.56 ID:OD5w2NppO.net
>>9
おまい、もすこし勉強しろ。な

182 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:51:46.17 ID:VQevcoQW0.net
華麗なポーズだなw

183 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:52:06.25 ID:WqeJ/8bj0.net
>>169
3世紀前半までに、もう西日本全域だろうね
これが、3世紀半ばから後半にかけては、
四道将軍の記述にあるように、関東、北陸方面まで勢力が拡張してたのは
考古学的に裏づけられつつある。

184 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:52:19.23 ID:KpLXAhvtO.net
>>169
新潟県に箸墓と類似した形状の初期古墳が見つかった。
崇神天皇の四道将軍の話と時代的に符号する。
弥生時代末期から古墳時代初期には関東まで勢力下だったかもね。
まあ、だからといって、教科書の図みたいに綺麗に線が引けるようなものではなかっただろう。
時期によってはまだ離反する豪族がいただろう。

185 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:53:24.08 ID:n0Dl2mKN0.net
 考古学会って全然機能してなくて、みんながみんなマスゴミと結託して
先言ったもん勝の競争してるだけだから。

186 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:53:27.76 ID:OD5w2NppO.net
>>20
しつこいようだが、もすこし勉強しろ。
気がつくから…な…

187 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:53:29.46 ID:wB044qCn0.net
>>173

漢字が記載されている三角縁神獣鏡は中国で作られた。記入されてない大多数の鏡は日本で作られた。
魏からもらった鏡がなくなったから、漢字の記載の無い銅鏡を日本で作って配布した。

まず、景初三年という「魏」の年号が書かれた鏡がなぜ出土するのか考えた方がよい。2000年以上の歴史のたった一年という
ピンポイントの年がなぜ記載されているのか

188 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:55:01.48 ID:jdrNdvrr0.net
>>167
もちろん理解出来る人はいただろうと思うよ。渡来人もいただろうしね。ただ、それを自分達で使うというシステムがなかっただけの話で
国産だとしたらなんせコピーだからね。ラテン文字を理解出来ない俺でも見ればコピー出来るのと同じでさ

189 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:55:33.09 ID:nDRi3D+a0.net
>>183
>>184
なんだかずっと集落みたいなイメージもってたからなぁ。w
すげー大国じゃん!

190 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:55:48.39 ID:OD5w2NppO.net
>>23
そゆことだね。

191 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:56:09.53 ID:Il/V458G0.net
>>176
『隋書』倭国伝
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun9-zuisho.htm

阿蘇山があり、そこの石は故無く火柱を昇らせ天に接し、俗人

192 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:56:10.28 ID:FuQBf4rE0.net
古墳とか作ってて馬鹿らしいとか思わなかったのかね昔の人は

193 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:56:33.00 ID:XjCcmRTg0.net
朝鮮の遺物は?

194 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:56:46.14 ID:iTxniKnE0.net
このスレは伸びる

195 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:56:54.12 ID:p4dC2BwB0.net
>>165
適当にブチャイクだけど、体は抜群の出来だし、色も白かった。何よりもエロかった。演技はアレだったけどな。
顔変えてからは、普通のキャバ嬢みたいになっちゃったな。

小林ひとみは、当時から劣化が早そうな体だった。事実、90年代以降の地方渡さ巡りのポスターは、相当な
ガッカリ度合だったよ。無理やり製造したスレンダーグラマーだったから、難しかったんだよ。

196 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:57:52.45 ID:SUGr4bhf0.net
我は卑弥呼じゃが何かある?
所在地?
だ〜か〜ら〜
九州だっつーの!

197 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:58:09.52 ID:n0Dl2mKN0.net
>>163
で銅鏡100枚を3年品と4年品の2種類も作ったわけね、勉強になるなあ。

198 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:58:21.21 ID:IZNIUcL40.net
前方後円墳って誰が作ったんだよ
それすらわからないって日本中世すぎ
宮内庁はいい加減にしろ

199 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:59:44.25 ID:waF1giOZ0.net
>>124
ただ記紀に則るとすると、その後に近畿勢力が北九州に再侵略してるんだけど、
そこに描かれる北九州勢力はまるで未知の土人扱い
正直、大和勢力の出発点は、九州南東部なのではと思う

200 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 20:59:46.31 ID:tGFeTzsD0.net
常識的に考えて中国大陸から漢字の読める中国人が古代に日本に移住してきたんだろ

201 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:00:57.32 ID:Il/V458G0.net
>>198
魏志倭人伝の記述を正確にたどると
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/72/0000862572/89/img9b056525zikdzj.gif

沖縄の亀甲墓 正面に扇状の参拝スペースがある
http://kageyama.omlog.net/files/2008/09/kikou-1.jpg

前方後円墳 亀甲墓を大型化したもの。 基本形は同じ円と扇形
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/0a/99312d7fe79337ea6ff3ba54529f33a9.jpg

202 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:01:00.81 ID:9gdujlGT0.net
風土記に呉人の鏡つくり部の話があるよ。神獣鏡には、道教の神様が入ってたりするから、中国江南と関係が深いと思うよ。
卑弥呼が魏からもらうなら、竜の鏡か、内行花文鏡などの文様のみの鏡じゃない?

古墳から出る水銀朱などの赤色顔料も、道教の影響の不老不死、宗教観と思う。

卑弥呼の鏡、盤竜鏡だったら面白いな。景初4年あったはず。

203 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:02:03.05 ID:KpLXAhvtO.net
>>178
神話というのは、AがおきてBになったという縁起が話の基本であって、そこには歴史と同じ時系列の
観念はない。
なので、必ずしも神武天皇より前に生じた話ばかりとは限らない。
神話が生きている限り、類似した話は既存の話に集合する。
女神としての天照大神が神武天皇より後の時代で元の太陽神と集合
していてもおかしくはない。
モデルとなった人物がいたとしても、そういう可能性もある。
だから、天照大神モモソ姫説もあるんだよ。

204 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:02:37.10 ID:Il/V458G0.net
リンク切れてた

沖縄の亀甲墓 正面に扇状の参拝スペースがある
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4b/Okinawa_turtle_back_tomb.JPG/250px-Okinawa_turtle_back_tomb.JPG

205 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:02:52.24 ID:tGFeTzsD0.net
ただし古代中国の漢字は地域によって字がみんなちがっていた
越には越字があり、呉には呉字があり
楚には楚の字があった
漢字やフリーメーソン計量機測定器。時間を図る時計を統一したのが秦の始皇帝=毛澤東

206 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:03:20.65 ID:/GUFNblf0.net
>>187
なるほどね。
ただ、三角縁神獣鏡って魏から出土してないんだってね。
卑弥呼がもらったのは、画文帯神獣鏡の方ではという説もあるみたいだね。

207 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:04:35.44 ID:IZNIUcL40.net
>>201
沖縄?さすがにうそくせえw

208 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:04:37.58 ID:n0Dl2mKN0.net
>>201
卑弥呼が戦った狗奴国はどこにあるの? 石垣島?

209 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:04:53.26 ID:5VKKc0ph0.net
卑弥呼の部族は記述された特徴や風習からいっても完全に南方海洋民族系のルーツは明らか
エキゾチックで目鼻のハッキリした顔立ち
住民ほとんど全員が全身や顔に「刺青」を入れている
色鮮やかな(熱帯系)の花々で飾る

明らかにのちの大和朝廷系とは異質

210 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:05:04.35 ID:BfkIGh2y0.net
>>192
今でも円墳は基本だが。
http://www.uraken.net/ph/best/b83c.jpg

211 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:07:16.80 ID:lYtLpbkM0.net
         
卑弥呼は居ない

なぜなら 卑弥呼神社が無いから 居れば必ず神社があるだろう
      

        

212 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:08:05.40 ID:i8mD9E3T0.net
>>119
神武天皇の東征の元ネタは、鬼界カルデラの爆発による南九州から、畿内への移住のことだよ。

213 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:08:16.04 ID:Il/V458G0.net
>>211
卑弥呼は神道じゃないよ

214 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:08:27.67 ID:zeA637Ci0.net
>>207
FBI超能力芸人のマクモニーグルさんも卑弥呼は沖縄経由で日本に渡来した一族の裔って透視してたぞ

215 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:08:41.53 ID:h0FrLc1g0.net
>>211
卑弥呼ばあちゃんの鏡をもって伊勢神宮を建立。

十分でしょ。

216 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:08:44.14 ID:x3adYZOy0.net
>>211
卑弥呼が居たかどうかはともかく
役職名なら別に無くても不思議ではないのでは?

217 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:08:55.88 ID:SUGr4bhf0.net
そう言えば俺んちの裏の神社が卑弥呼神社だな

218 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:09:37.54 ID:9SG2Va5R0.net
卑弥呼の墓なら俺の座ってる座布団のちょうど真下にあるぜ

219 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:11:21.50 ID:n0Dl2mKN0.net
三角縁神獣鏡は大きすぎてとても持って鏡として使える代物じゃあないし、
品質も粗製乱造の出来だし、古墳の埋葬品としての扱いが下の下。
棺桶の外か精々足元にしか置いてない。

220 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:11:42.12 ID:zxLbQZ0T0.net
飛鳥昭雄さんが↓

221 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:11:42.84 ID:jDuR9y790.net
>>212
九州の縄文文化は、7300年前の「鬼界カルデラ」の巨大噴火で滅びた説が有力なんだよね?
そして「天岩戸」や「天照(太陽)信仰」や「神武東遷」は、鬼界カルデラの大噴火と関連付けて考えると、全て腑に落ちる。

だから九州の勢力が東遷して、近畿地方で強大な勢力を持った結果が「邪馬台国」ってことで良いんだろうね。

「投馬国」と「邪馬台国」の戸数の記述から考えても、「投馬国」を「吉備」だと考えれば納得がいく人口比だしさ。

222 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:12:24.84 ID:FuQBf4rE0.net
>>213
鬼道、だっけ
鬼道ってなんだ?

223 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:12:35.34 ID:IZNIUcL40.net
卑弥呼って政治の影響受けなければ九州で確定らしいじゃん

224 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:13:27.82 ID:T7egxCTV0.net
>>1
違うだろうな。
邪馬台国は九州だから。
近畿地方の政権が中国へ助けを求めるのは無理がある。
近畿から中国まで行ったのなら、記述に九州について何も書かれない筈がない。
そもそも対馬や壱岐島、松浦まで地名記述があるのに、どうして機内までの地名がすっぽり抜けるのか。
近畿説は学会が権威付けのために利用しようとしている捏造だ。
イザナミイザナギの夫婦神は島の神格化であり、イザナギが神を生んだのは噴火によって新しい島が誕生するのを
古代日本人が知っていたからに他ならない。
古代日本の宗教は火山大地信仰だったのは明白だ。

225 :名無し@修羅の国在住@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:13:50.01 ID:wdef/BtX0.net
>>99
その金印、ものは本物なんだが、発見当時から疑惑の目で観られてる奴なんだよ。

226 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:13:58.97 ID:29IEeQhZ0.net
>>192
最近の研究だとああいう巨大建造物に神秘的な何かを感じて社会の統合が進んだんじゃないかって説があるね
昔は、権力者の道楽、民衆の搾取としてしか見られなかったが

227 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:14:12.43 ID:h0FrLc1g0.net
>>223
現在現代は九州説やってる学者いないw

ずいぶん前に近畿で確定。

228 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:15:47.17 ID:Avq3nRVl0.net
大和川のほとりに首都があった大和国の女王日巫女の墓

229 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:16:10.93 ID:SUGr4bhf0.net
しかし俺らって日本史を知らないよな
学校であまり教えてくれないものな

初代が卑弥呼だろ?
で空白期間があり桓武天皇
神武天皇 聖武天皇
後醍醐天皇と後白河法王が争って
それが後の応仁の乱で

戦国時代で一旦天皇家は途絶える
徳川260年の後
明治天皇 大正天皇 昭和天皇
今に至る

230 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:16:50.40 ID:zeA637Ci0.net
>>222
wikipediaで見るとこんなことも書いてあったり

「神道」という名称については「かんながらの道(神道)」と言う意味である。
中国の『易経』や『晋書』の中にみえる[15]神道は「神(あや)しき道」と言う意味であり、
これは日本の神道観念とは性質が異なる別個のものである。

同様のケースに、卑弥呼の時代の宗教感に対し鬼道という表現がなされるが、これは
当時の中国における鬼道が道教以外の諸宗教に対して用いられていた[要出典]こと
からも、日本での呼称とは全くの別物であることが分かる。

231 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:16:55.38 ID:29IEeQhZ0.net
>>219
最初に見つかったときは「これぞ倭人伝の銅鏡100枚のひとつに違いない」って触れ込みだったのに
次々とあちこちで見つかって100枚どころじゃなくなってレア度激減だったからなあw

232 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:17:40.16 ID:Il/V458G0.net
>>227
近畿に火山ないから ありえない。

近畿説は魏志倭人伝、隋書など文献に基づく考古学の否定である。

なお、大和国は九州征伐やってるので 近畿が倭の一部だったという説も成り立たない。

233 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:17:45.93 ID:n0Dl2mKN0.net
学会は卑弥呼の議論を完全に避けている、
なぜなら近畿の学者がニダニダニダともうめちゃくちゃだから、
みんな嫌気をさしてしまったからです。

234 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:18:09.08 ID:KpLXAhvtO.net
>>99
田んぼじゃなくて、田んぼにしようと開墾していたら箱形に合わせられた大きな石組が出てきて、そ
の中に金印があった。
この箱形に合わせられた大きな石組は九州各地に見られ、ドルメンという石郭墓だろうと考えられて
いる。

235 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:18:27.67 ID:i8mD9E3T0.net
>>221
その火山灰の下から、海洋民の世界最古の船作り工具とかまででてきてるから。これはとんでもない話し。
シュメール文明と日本のつながりなんて飛躍した話が昔からあったけど、こういうのがでてくると、おいおいおいとなるわけ。

236 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:18:41.21 ID:h0FrLc1g0.net
>>232
無知
情報弱者

237 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:18:58.61 ID:e0VvjlxY0.net
>>201>>204
夢の無い話になってすまないが、
琉球の亀甲墓ってのは16世紀くらいのもの。
卑弥呼から千数百年も後、つまり突拍子な無関係の代物。
沖縄が出てくるのは遣唐使船のころ。
目標物として記されているだけで、王権というか何らの政権の存在が記されず、使いを出した話も無い。
平安時代の時点で沖縄にはまだ国と呼べるものは無い、未開社会だったことが想定される。

238 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:19:07.53 ID:9gdujlGT0.net
卑弥呼のお墓は短里で百歩らしいね。
じゃ、小さいんだよね。

マキムク遺跡は特殊器台などから見て、吉備人の墓じゃないの?
桜井市の前期古墳は吉備じゃないけど。

239 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:19:11.76 ID:Il/V458G0.net
畿内説だろ

畿内説は 大和朝廷以前に日本の歴史を引き伸ばそうとする工作に過ぎず、学問的根拠はない。

240 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:19:58.92 ID:bq+Uvqcj0.net
卑弥呼って日食の責任をとらされて殺されたんだっけ?

241 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:20:18.93 ID:JG+2bga90.net
壱与の古墳ってことか?

242 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:20:39.14 ID:Il/V458G0.net
>>237
沖縄政権は昔から隠れて存在を公にしてない

243 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:22:06.76 ID:KpLXAhvtO.net
>>232
現代において日本を紹介する時には大抵富士山が出るだろうけど、だからといって「富士山は京都に
ないから京都は日本ではない」とか言わないだろ?

244 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:22:41.01 ID:n0Dl2mKN0.net
>>234
志賀島の金印公園は山の中腹だけど、あれは実際に発見された場所
なんでしょうかね? とても田んぼになるような場所には見えないけど。

245 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:22:53.61 ID:Il/V458G0.net
>>240
日食と関係なく殺された

246 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:22:56.54 ID:/GUFNblf0.net
>>224
>近畿地方の政権が中国へ助けを求めるのは無理がある。
ほどなく魏は、正始元年(240)に邪馬台国に使節を送ってきているみたいだけど、
出兵という軍事的援助っていうより、中国のお墨付きという「権威」を求めていたのでは?

247 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:23:13.10 ID:FuQBf4rE0.net
>>226
神秘的な何かか
元来政治はまつりごとと言うからなぁ
祭政一致なら苦にならなかったのかなやはり

248 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:23:16.79 ID:i8mD9E3T0.net
>>235
これらのグループが鬼界カルデラ噴火のあと、畿内方面へ移住したことは確実で(それより西は住めなかった)
九州は1000年近く無人の地になったということ。これ以降は畿内から九州へという人の流れに変わった。

249 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:24:12.79 ID:05PEgciw0.net
>>229
古代日本は都市国家の連合国家
その後は戦国みたいな混沌でバラバラになり、この混乱に乗じてた入来半島系が大量に流入、その後は大きな勢力が3つぐらいの日本を作っていた
日向族、出雲族、大和熊野族の3つの国
神武の東征は実際は内戦の終焉

250 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:25:11.88 ID:yMuN3jBnO.net
(-_-;)y-~
住所、間違ってないか。
ググレカス地図では、五塚原古墳、市役所北側で出るけど。

251 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:25:24.20 ID:KpLXAhvtO.net
>>244
発見場所は特定できていないんじゃなかったかな?

252 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:25:25.28 ID:wB044qCn0.net
三角縁神獣鏡がレプリカであれ、その元になった鏡は存在した。そして、元になった鏡は卑弥呼が魏に使いを送って
もらってきたもの。そのレプリカを大和朝廷は全国の首長に配布した。

それは、福島県会津若松市の会津大塚山古墳(4世紀末)からも出土している。

253 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:25:49.68 ID:Il/V458G0.net
>>243
大和国に阿蘇山はない

日本には富士山はある

254 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:26:05.32 ID:B15d5sUK0.net
常識的に考えると関西に邪馬台国があったというのが自然だわな。
九州や東北は田舎。

255 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:26:14.94 ID:OTSMMBVr0.net
箸墓は魏志倭人伝にある卑弥呼の墓じゃないからw

よって糞スレ終了

256 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:26:39.68 ID:i8mD9E3T0.net
>>192
公共事業をやって民衆を食わすのはむかしからやっていること。
こういうことでもやってなきゃ戦争ばっかりするし。

日本は有史以来土建国家だった。と同時に作物はふんだんにとれたことがわかる。
今でも米は取れすぎるから減反。

257 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:26:42.42 ID:IZNIUcL40.net
大和と邪馬台国って戦争したと思うが
そういう戦史って残ってないの?

258 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:26:48.63 ID:S1duqoxX0.net
>1
はやし浩司先生によれば
卑弥呼は宇宙人と交流がありUFOで移動していたんだそうだ
だから、邪馬台国は九州説とかいろんな説があるんだそうだ
はやし浩司先生はほんとすごいね
リアルに今考古学の最先端をいってる人だよ

259 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:26:49.45 ID:Il/V458G0.net
>>243
倭国を京都にすりかえたレトリックじゃん

260 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:27:38.14 ID:BRS2qSFS0.net
>>146
景初3年中に、カレンダーみたく早目に来年分を作り始めたが、3年で終わってもた
この4年の鏡どーするよ、折角作ったのにもったいねーなー
ピコーン!!
字の読めない土人共にくれてやったらいいんでない?
恩着せがましくw
それや!!w

261 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:28:51.24 ID:n0Dl2mKN0.net
>>251
やはりね、伝承とずいぶん違うなと思いました。

262 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:29:03.52 ID:iMSV4SopO.net
無人タイムマシーンで動画撮影まだですか?

263 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:29:37.74 ID:spB0o3Pt0.net
邪馬台国京都説?

264 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:30:43.56 ID:05PEgciw0.net
>>263
京都は古代は大陸半島系が原住民を大虐殺して乗っ取った土地

265 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:30:59.18 ID:yMuN3jBnO.net
(-_-;)y-~
常識的に考えると、古代の近畿なんてど田舎なんだよね。
作物を年2回以上作れる九州四国、頑張れば3毛作、近畿以東は九州の国力半分以下。

266 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:31:39.75 ID:spB0o3Pt0.net
「大和国」を「邪馬台国」などという蔑称の当て字で勝手に書いただけだと思う

267 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:31:53.08 ID:Il/V458G0.net
1) 大和国は九州討伐(阿蘇一周)を行っている。 したがって阿蘇は大和国に含まれない

2) 隋書によると倭には阿蘇山あり したがって九州の阿蘇山あたりは倭である。

3) 1)と2)から 大和国は倭ではない。

4) よって畿内は倭ではない

268 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:32:35.10 ID:5fUmXGrO0.net
龍神丸復活するん?

269 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:32:35.25 ID:zeA637Ci0.net
>>257
どっちも同じヤマト国でしょ

270 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:33:00.79 ID:KronDDq+0.net
邪馬台国は日本中に存在したって、清水義範の本に書いてあったよ。

271 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:34:29.24 ID:yMuN3jBnO.net
(-_-;)y-~
金印が保管されていた場所、推定。

香椎神宮にまとめられた印龠(いんにゃく・いんやく)神社。

272 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:34:42.32 ID:i8mD9E3T0.net
>>257
出雲系と天照系が戦った。現在の奈良盆地の周辺を出雲系が支配していた時期があり。
その時期に女王がいてそれが卑弥呼と記録されている。それが天照系へと移り。二つの系図を融合させて作ったのが天皇家の始まり。

と解釈するとしっくりくる。

273 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:34:49.16 ID:9gdujlGT0.net
>>264
根拠なさ過ぎなんだよ。
大陸系の土器とか、ほとんど出ないんだぞ。
中国系渡来人が半島から来るのが、5世紀初め頃。秦氏とかね。

274 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:34:51.39 ID:NCND17pW0.net
宮内庁は天皇の墓を発掘すると百済か新羅辺りの王族の副葬品が
出てきたら困るから掘らせないんだろうね。

275 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:35:04.35 ID:h0FrLc1g0.net
>>264
また劣等感でいっぱいで妄想してるのかwww


三国史記 (百済本紀)
「397年 夏五月 王は倭国と友好関係を結び、

太子の腆支を人質として倭に送った。」

276 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:35:16.04 ID:KpLXAhvtO.net
>>253で大和国と書き、>>259で倭国と書く。
お前こそわかっていながら九州説に合わせることをやっているじゃないか。

277 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:35:29.28 ID:n0Dl2mKN0.net
昔NHKで松平暴力男が存命のころ、邪馬台国は九州か近畿かというのをやってましたが、
いまだに覚えているが、力で治めた九州説か、話し合いで治めた畿内設かというフレーズ。
畿内説って左巻き思想が入ってるなあという印象でした。

278 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:36:14.92 ID:WAtPzg3s0.net
魏志倭人伝に女王国の境界が鬼奴国とあるだろ。
鬼怒川の鬼奴だ。関東までは女王国。
そして宋書には、478年に倭王武は「先祖が毛人を征服」と皇帝に上奏している。
毛人とは毛野のことで関東人のことだ。
邪馬台国の時点で倭国の領域は関東以西だった。

279 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:37:32.75 ID:h0FrLc1g0.net
>>274
元々南コリアは倭人の土地。
新羅と百済の王の副葬品は倭系。
劣等感でいっぱいだなw

『隋書』倭国伝
「新羅、百濟皆以倭為大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來。」
(新羅や百済は皆、倭を大国で珍物が多いとして、これを敬仰して常に通使が往来している。)

280 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:38:49.52 ID:KpLXAhvtO.net
>>259
そもそも>>243は京都と倭国はイコールにならない。
日本が倭国と入れ替えできる関係だ。
この程度の現代文読解もできないのなら、おとなしく株の話だけしていろ。

>>274
輸入品や貢物が入ってきているのに何を言っているんだ?
武寧王みたく棺が日本にあって半島にはない高野槇だったとかじゃないと。

281 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:39:46.49 ID:WAtPzg3s0.net
>>273
遺伝子調査の結果、京都の遺伝子は山陰と同じで中国東北部
の遺伝子が主流なんだよね。

282 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:40:01.55 ID:i8mD9E3T0.net
天照系は海洋系で、主たる根拠地は紀伊半島。そして鬼界カルデラが噴火する前の九州南部、四国にも同系統が存在したと。
それに対して、出雲系は日本海、東シナ海系で、中国との交流をおこなっていた。いわゆる江南系と考えられる人たち。

沖縄に存在するのも天照系の同系統末裔で、そこは水の確保が困難で米が作れないから江南系が進出しなかった。

283 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:41:27.09 ID:05PEgciw0.net
ヤマトというのは「大和」ではもともとない
当て字です
なぜ大和になったかというと大倭→大和

284 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:42:31.49 ID:yMuN3jBnO.net
(-_-;)y-~
出水郡と長島一帯、黒の瀬戸(くろんせと)を、山門、山門院と言った。
長島に山門なんとか言う地名が残るし、古墳もたくさんあるよ。そして、その山門院に残るのが、田上伝説。
戦艦大和特攻作戦を作った神重徳は、旧藩政出水郡内高尾野出身。
戦艦大和を目撃したことがある、俺の親父●●上飛曹は旧藩政出水郡内阿久根出身。

285 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:42:43.60 ID:HCUXDp7K0.net
前に卑弥呼の子孫とか居た気がする

286 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:44:04.96 ID:IZNIUcL40.net
>>283
おお、その説いいな

287 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:44:08.68 ID:h0FrLc1g0.net
>>285
皇室。
卑弥呼は崇神朝前後の話。

記紀では戦争ではなく疫病で人口が3分の一に減少した、
とある。

288 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:45:17.29 ID:1vRiudC10.net
倭って悪い意味じゃないらしいし
支那と同じだな

289 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:45:28.47 ID:i8mD9E3T0.net
>>281
余り知られていないが、京都には江南系だけが存在していたわけではない。
京都盆地の隣の山科盆地から、石器時代から室町時代まで続く、吉野ヶ里や三内丸山よりも大きな遺跡が存在する。

いわゆる中臣遺跡で、非常に古くから存在するグループがおり。そのグループが日本の歴史と深く関与していることは確実。

290 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:45:34.91 ID:Il/V458G0.net
>>279
魏志韓伝でも 半島南部は倭だね

韓は帯方郡の南にある。東西は海をもって限りとなし、南は倭と接す。およそ四千里四方。三種あり、一は馬韓と言い、二は辰韓と言い、三は弁韓と言う。
                                  ****** 

291 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:45:57.14 ID:e0VvjlxY0.net
うんちく語り
たしかに大和王権は九州征伐を行って、土蜘蛛(朝廷に従わない土豪)を討伐し
中でも熊襲討伐に執心で
天皇親征まで行って仲哀天皇は熊襲に討ち取られた説もあるほどだが
親大和王権の証のような古墳もあるのが九州で
つまり九州は反大和と親大和が混在する状況だったと思われる
初期から継続して古墳のある地域は親大和
殆ど全く古墳が無い地域は反大和でほぼ一貫
そんな状況証拠になるのが古墳

292 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:46:42.94 ID:1oJ1AY8o0.net
>五塚原の大きさは箸墓の3分の1だが

椿井大塚山古墳の2分の1かも知れないだろ

293 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:48:21.40 ID:h0FrLc1g0.net
>>290
そうそう熊襲討伐の阿蘇ね。

294 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:48:30.95 ID:05PEgciw0.net
卑弥呼も当て字
ヒミコは日巫女でも日皇子でもなく、ヒムカのつづまり
ヒムカはおそらく日の向く日向もしくは日対

295 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:49:32.18 ID:yMuN3jBnO.net
(-_-;)y-~
高槻市似非同和地区東端に、津之江という地名があって、筑紫之津神社がある。
祭神は、宗像三女神の一人、市来しまひめの命だったような気がする。
津之江を大規模に発掘したら、ルパン三世のポケットには大きすぎる、古代の港が出てくると思うよ。

296 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:50:23.13 ID:njQeY+tH0.net
>>19
>>35
おっさん2人のやりとりにほっこりもっこり

297 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:51:42.75 ID:fnK2X77/O.net
>>266
なるほど
倭も卑弥呼も中国によるネガティブな当て字だよな

298 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:51:47.25 ID:05PEgciw0.net
>>290
半島南部はチョンのものではなく、古代から日本人(倭人)が切り拓いた完全な植民地
今韓国に住んでるチョンはちなみに何も古代には半島に関係ない
やつらの祖先はモンゴル平原で原始人だったはず

299 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:51:57.14 ID:i8mD9E3T0.net
出雲系つまり物部は、江南系で東シナ海沿岸部に定住していて、日本海側から大和までが勢力範囲だった。
それに対して天孫系は、海洋系で中東からスッダランド経由で日本の太平洋岸から大和までというのは、遺伝子解析からもほぼ確実だと思われる。

300 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:52:39.21 ID:h0FrLc1g0.net
ヤマタイは誤り。読みはヤマト。奈良大和。邪馬台国は大和朝廷のこと。
○ ヤマト多すぎwwwwwww○ ○ ワ=倭=ヤマト   倭国=ヤマト国○
ちょうど2000年の歴史。
倭姫命 やまとひめのみこと     千千衝倭姫命(ちちつくやまとひめのみこと
倭迹迹日百襲媛命 (やまとととひももそひめのみこと)
夜麻登登母母曽毘売命  (やまと・とも・もそ・ひめのみこと)
母は、意富 夜麻登 玖邇阿禮比賣命(おおやまとくにあれひめのみこと)
ヤマトクニカヒメ【倭国香媛】 = 意冨夜麻登玖迩阿礼比売(オホヤマトクニアレヒメ
倭飛羽矢若屋比売(やまととはやわかや ひめ 倭迹迹姫命(やまとととひめのみこと
倭彦命(やまとひこのみこと 倭迩速神浅芽原目妙姫(ヤマトトハヤカムアサジガハラマクワシヒメ
倭迹迹稚屋姫命(やまとととわかやひめのみこと
千千衝倭姫(記:千千都久和比賣 倭姫王(やまとひめのおおきみ
大倭帯日子国押人命(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)=孝安天皇
=国 王 師 升 等 くにおしひと  『漢書』
神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと
大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとものみこと)・大倭日子鉏友命
大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのみこと 大倭根子日子賦斗邇命
大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと)・大倭根子日子国玖琉命
稚日本根子彦大日日尊(わかやまとねこひこおおびびのみこと)・若倭根子日子大毘々命
倭建命 やまとたけるのみこと
倭日子命(やまとひこのみこと)

301 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:52:51.14 ID:cdtdPYkz0.net
3ヶ月に1回ぐらい卑弥呼の墓の周りを車でぐるっと1周してるけど、最近徐々に「卑弥呼の庭」とかがしっかり整備されてきてる。

まきむくン所の土地(現在畑とか藪とか同和地区?みたいな安っぽい土地)もいまのうちに買っといた方がいいな。将来的には一大観光地の可能性あり。

302 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:53:03.47 ID:yMuN3jBnO.net
(-_-;)y-~
倭王貧(ワープ)俺、小学二年生時、筑紫之津神社遠足に連れて行かれた。
秋に、薩摩の祖父が亡くなった。あなかなし

303 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:54:29.96 ID:rm0DfdyF0.net
>>294
ただしくは女王ヒミカ。

304 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:55:55.26 ID:/GUFNblf0.net
>>288
>説文解字(※)では、日本の意であることに加え、「従順なさま。詩経に曰く“周道倭遅(周への道は曲がりくねり遠い)"。」と解説されている。
> 康熙字典によれば、さらに人名にも使用され、例えば魯の第21代王宣公の名は「倭」であると書かれている
>※最古の部首別漢字字典。略して説文ともいう。後漢の許慎(きょしん)の作で、和帝の永元12年(西暦100年)に成立し、
> 建光元年(121年)に許慎の子の許沖が安帝に奉った。

wikiからだけど、別に意味じゃ無いみたいだね。

305 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:57:42.57 ID:bqUAhGTq0.net
>>109
日皇子(ひみこ)
日彦(ひひこ)

306 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:57:51.20 ID:qENGFDl90.net
>>9
そもそも文字も理解しない野蛮人に金印渡すか?
あの礼にうるさい中国が、朝貢封冊の関係で、王の書簡なしで使者に会うか?

307 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:58:02.74 ID:yMuN3jBnO.net
(-_-;)y-~
じい様が亡くなる前年の夏は、さんふらわあで薩摩に行ったよ。
じい様と高松川で、川蟹採り小魚採りをした。先祖代々の墓がある裏山にも、じい様と登った。

じい様、わかった、エリザベス女王杯は枠連で行く!

308 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:59:10.74 ID:bo5HN/CJ0.net
>>298
少なくとも下朝鮮民族より高句麗北朝鮮の方が由緒は正しいんだろうな

309 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 21:59:12.30 ID:KpLXAhvtO.net
>>286
説じゃなくて事実なんだよ。
飛鳥時代末期から大宝律令が施行された時期に、地名を二字の佳い漢字にするようにと命令を出した。
明日香が飛鳥になったりというやつだね。
ヤマトは倭と表記されていたが、天子が住まう所として国号につけられる(大漢とか大唐とか)大を倭
につけて二字にした。
奈良時代になって、大倭国を更に佳字にして大養徳国とした。
更に奈良時代後期に今の大和に変えた。
皇別の豪族に倭(やまと)氏というのがあるのだが、この地名表記の変遷に沿って氏族名の表記も倭氏
から和氏に変わっている。

310 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:00:27.72 ID:fnK2X77/O.net
>>304
どこのwiki?wikiはWikipediaの略称じゃないけど

311 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:00:56.79 ID:FuQBf4rE0.net
>>294
筑紫の日向の橘の〜ってお祓いあるけど関係あるの?

312 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:01:17.93 ID:XDIto2SBO.net
すくなくともミミ王朝までは九州にあった

313 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:01:56.33 ID:psqyBQDMO.net
>>266
>>297

だな。両方とも卑しい字を当てて著している。
九州と畿内説があるが、邪馬台国が九州から畿内に移ったからだと考えればスッキリ。

314 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:02:35.35 ID:N6VB2qSf0.net
やっぱり卑弥呼は関西やったやないか
誰や九州とか言ったんは

315 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:02:44.46 ID:WAtPzg3s0.net
西暦300年ごろ成立した魏志倭人伝の倭人は、
入墨民族=長江系=弥生人
なんだが、西暦629年に成立した梁書の倭人は、
上流階級は帽子で胡族風であったとされる。
恐らく西暦600年ころ本州を支配していたのは、
出雲系=中国東北部系に違いない。

316 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:02:52.06 ID:h0FrLc1g0.net
倭人伝 
トップは伊支馬(いきま)  → 第11代垂仁天皇「伊久米入日子伊佐知命」
次席は弥馬升(みます)   → 垂仁天皇后「氷羽州比賣命」
三席は弥馬獲支(みまかし) → 皇太子大帶日子命、後の第12代景行天皇妃「美波迦斯毘賣命」
四席は奴佳醍(ぬはだい)  → 垂仁天皇妃「沼羽田入毘賣命」
欠史8代神代は実在。
日本の歴史は2000年。倭(やまと)朝廷が成立後万世一系。
殷王朝の祭司王の形式と周王朝の徳治の
文化を継承する易姓革命のない、古き良き中華文明の正統継承国。

317 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:02:59.17 ID:686w/cre0.net
>>1
> 五塚原の大きさは箸墓の3分の1

まぁ

まず ハズレだよな

卑弥呼ほどの当時の巨大な権力者の墓が、そんな規模なわけがない

卑弥呼 = 日巫女 だから 祭祀が重要なんだが

向日市に聖地はない

一方、箸墓古墳の方は、日本最古にして 伊勢や出雲を越える 日本最高の聖地 三輪山 がある

だいたい 三輪山を中心として直線で

日の出の方向の最果ての地が、伊勢

日没の方向の最果ての地が、出雲

あまりにも 出来過ぎてる

318 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:03:06.02 ID:05PEgciw0.net
>>309
概ね正解

319 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:03:23.06 ID:IZNIUcL40.net
>>309
なるほど、しかしこのスレの人は詳しいなあ

320 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:04:13.15 ID:HDXmfJxS0.net
>>80
なにそれ?

321 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:05:21.89 ID:SGZC9bC30.net
色んな古墳の石に埋葬された人の手がかりになる文字が残っているが、
なぜかそれを認めないという話を聞いたことがあるけど、なぜなんだろうか

322 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:06:17.71 ID:yMuN3jBnO.net
(-_-;)y-~
五塚原、五に意味がありそうで、実は、イツ、乙に意味がある感じの地名やな。

イ國の津の塚の原っぱ

323 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:06:40.56 ID:sBXAGJoJ0.net
宮内庁は天皇の墓を発掘すると百済か新羅辺りの王族の副葬品が
出てきたら困るから掘らせないんだろうね。

324 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:07:19.98 ID:EWcdh1350.net
>>8
いつも思うんだが前方後円墳というからには棒のほうが前なんだろうから
絵的には棒のほうを上にするのが正解なんじゃないかと思うが
写真とか全部鍵穴にに見える向きで撮ってるよな
それとも前方のほうを入り口と見てそっちを見る側から手前になるように撮ってるんだろうか

325 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:07:22.02 ID:/GUFNblf0.net
>>310
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AC%E6%96%87%E8%A7%A3%E5%AD%97
Wikipediaを略して使ってすまぬ。
http://e-words.jp/w/Wiki.html

326 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:08:00.14 ID:i8mD9E3T0.net
>>315
出雲系は中国東北部系ではなく、江南系。東シナ海の日本の対岸からも同じ遺伝子をもったグループが発見されたが。
それらのことを総合して、日中双方の学者が米を持ち込んだグループだと特定し。故に江南系だと結論を出している。

白村江の戦い以降は、その江南系(中国側沿岸部、半島の百済方面に住んでいたグループ)が日本列島に集結し、現在の日本の国の形が定まった。
いわゆる東シナ海交流グループの集結です。

327 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:09:00.61 ID:h0FrLc1g0.net
ヤマト

万葉仮名における当て字は夜麻登
古事記では山跡
日本書紀では野麻登、椰麽等、夜麻苔
万葉集では山常、也麻等、夜末等、夜万登、八間跡

邪馬臺
祁馬臺
邪靡堆
邪摩堆
邪馬臺
邪馬台

大和以外になし。

328 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:09:10.50 ID:WAtPzg3s0.net
とりあえず人骨が見つかったら遺伝子調査だ。
この時代だと弥生人=長江系だろう。

329 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:09:24.85 ID:tw9ixvYo0.net
記紀の記述の真実度が増すから困るモン多そうw

330 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:10:07.32 ID:h0FrLc1g0.net
>>323
元々南コリアは倭人の土地。
新羅と百済の王の副葬品は倭系。
劣等感でいっぱいだなw

『隋書』倭国伝
「新羅、百濟皆以倭為大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來。」
(新羅や百済は皆、倭を大国で珍物が多いとして、
これを敬仰して常に通使が往来している。)

331 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:10:22.60 ID:sBXAGJoJ0.net
俺たち40代の男は10代の頃 邪馬台国は北九州だと思って来たから
今でも北九州だと思っている人々が死なない限り北部九州説は消えないと思う。

332 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:12:14.29 ID:TVE+9J4f0.net
>>323

百済や新羅は今の女真系の半島人とは違うんだけれど・・・・
半島は民族移動の通り道で常に支配民族が変化している
最終点が日本

333 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:12:35.54 ID:WAtPzg3s0.net
>>326
山陰地方の遺伝子の大半は中国東北部系なんだよ。
なぜなら出雲は中国東北部から来たからだ。
江南系というのは、長江系の遺伝子のことで、現在の
西日本の大半は長江系。

334 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:12:59.53 ID:e0VvjlxY0.net
>>308
北朝鮮の方が由緒正しいっつーか扶余の血は濃い
>>315
刺青の風習は北部九州か瀬戸内海沿岸さらにもしくは近畿の風習

335 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:14:04.22 ID:yMuN3jBnO.net
(-_-;)y-~
筑紫國から派遣された北斗無双の人の墓やな。

http://m.youtube.com/watch?v=_oLRfE0l66I&itct=CDMQpDAYAyITCICxyMTQ8sECFVcJWAodx6YA4lIO5YyX5paX44Gu5ouzb3A%3D&gl=JP&hl=ja&client=mv-google

336 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:14:16.45 ID:h0FrLc1g0.net
>>334
台湾、オーストロネシア、倭、呉越は古文書と
考古学的に同じ文化圏。

337 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:17:15.68 ID:liaBAloBO.net
>>56
一生無理では?
もしかしたら、天皇家にとても不都合な物が見つかると困るのでしょう

338 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:17:36.69 ID:OAgbZaWU0.net
京都が邪馬台国と関係?
桓武天皇が遷都する以前は℃田舎聞いてたけど

339 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:18:04.07 ID:iS5Ywf/f0.net
近年の遺跡の発見からだと邪馬台国は近畿なんだろうな
九州説は東遷を言うが
なぜ東遷しなければならなかったのかの説明が無いんだよな
九州から東方を征服したとしても東遷する必要は無いし
国の東遷なんて簡単なことじゃない
都を大和から山城に移したとか京都から江戸へとかいうのとは違う

340 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:18:52.37 ID:h0FrLc1g0.net
>>337
不都合だから古墳破壊して埋め戻してたよね。

笑える。

劣等感でいっぱいw

341 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:19:29.13 ID:zeA637Ci0.net
>>333
マクモニーグルの透視とも一致するw

342 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:20:07.33 ID:yMuN3jBnO.net
(-_-;)y-~
ここって、摂津國と山城國を結ぶ最速街道なんだよね。
摂津國と意外と近いんだよ。
まあ、だから、イツの津、港があったんだろうね。

343 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:20:14.50 ID:ZCRKXExd0.net
>>62
誰かつっこめよ

344 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:20:34.35 ID:WAtPzg3s0.net
原子力、法学、歴史学は御用学者の3大分野。
科学に基づかない意見は全て嘘だと思うのが正解。

345 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:23:26.56 ID:e0VvjlxY0.net
>>336
台湾とオーストロネシアの言語的相似点があるのはともかく
有力なのは呉越から直接に渡来した説ではないの?
戦争の敗北側が一か八かで話に聞く東海の島目指して出航
意図しない漂流で九州に流れ着く例がよくあったそうだ

346 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:25:09.84 ID:h0FrLc1g0.net
>>345
というか海流が流れてるから自動的に日本列島に到着する。

遣唐使の事例のように日本から大陸は難しいが

呉越から日本は簡単。

347 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:25:42.66 ID:sRdH49TZ0.net
>>328
マンギョンボン号が無い時代なのに、何で遺伝子変異が起こるほど日本海を渡れない支那人が日本に来れるの?

348 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:27:45.73 ID:isSfD/BX0.net
>>339
三世紀ごろに本州にあった銅鐸が消滅し
銅剣が祭儀にもちいられるようになった。
九州から本州まで広がる政治的な大移動があったのは間違いない
神武の東征の神話や磐井の乱に代表される。
南九州の勢力が長く大和朝廷と敵対したことから推測すると

九州では熊襲と呼ばれる勢力が力があり、西に広がる事が出来なかったので
もともと宮崎県の高千穂あたりを拠点とした大和朝廷の前身となる勢力が、東に広がったのではないか
私はそう考えているよ。

349 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:30:12.24 ID:XxlfjpPp0.net
>>323

新羅はともかく、百済は通訳なしで意思疎通できたこととか、向こうがヤマト系とでもいうべきだろ。
任那に至っては日本府なんて名称つけられてたように、まるきり日本だったし。
副葬品が百済と類似していたら、むしろ半島南部までが日本だったことの証になる可能性の方が高いだろ。
そもそも中国の史書には半島南部まで日本の領域みたいなことがはっきり書いてあるしな。

まあ、子孫である皇室の考えも聞けなきゃらないだろうけど、天皇陵の発掘は賛成だ。

350 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:31:09.94 ID:Ub3SbV1k0.net
>>327
違う。ヤマトは山門。
 

351 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:31:16.69 ID:dv1OhTtv0.net
>>79
暗黒大陸ってどういう意味だろうと検索したらブラックアフリカの項目で
Wikiがヒットしたが外国語版リンクがないのでブラックアフリカはやばい言葉なのだろう。
しかし暗黒大陸の意味は世界に知られていなかったアフリカともありこれならば
やばい意味はなさそうだ

352 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:31:32.66 ID:bqUAhGTq0.net
銅鐸と交代で出てきたのは銅鏡で銅剣や銅矛はそれらと勢力圏が被ってなかったか?

>>319
このスレはいつもよりレベル高い

353 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:32:20.46 ID:EWcdh1350.net
銅鐸って不思議だよな

354 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:32:51.82 ID:Ub3SbV1k0.net
>>339
違う。九州でよい。
東遷が間違いなだけ。
邪馬台国は名前だけ近畿に移植して自らは滅んだ。

355 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:33:26.24 ID:/GUFNblf0.net
>>346
これ見ると、確かに。
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fc-d3/haiku_square/folder/1236175/46/53748546/img_2?1368331542

356 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:34:14.96 ID:h0FrLc1g0.net
>>354
妄想

357 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:35:06.59 ID:rm0DfdyF0.net
>>347
そもそも日本人だって大陸から海を渡ってきたのは確実なんで、無謀なのがいっぱいいたんじゃないの?

358 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:35:58.59 ID:Ub3SbV1k0.net
>>348
違う。銅鐸は近畿側が自ら捨てたもの。
力によって無理矢理破棄されたものでは無い。
銅鐸は破壊された跡が残っているが、争った形跡が全く無い。
 

359 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:37:46.91 ID:Ub3SbV1k0.net
>>356
お前が妄想。
 

360 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:38:20.26 ID:h0FrLc1g0.net
>>359
根拠は?

361 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:40:55.41 ID:yMuN3jBnO.net
(-_-;)y-~
初詣に行こうと何回か企画したんやけど、いつも行けなくなる不思議な神社。
俺には無関係な神社なんだろうな。

鐸比古鐸比賣神社
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%90%B8%E6%AF%94%E5%8F%A4%E9%90%B8%E6%AF%94%E8%B3%A3%E7%A5%9E%E7%A4%BE

362 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:41:45.90 ID:bqUAhGTq0.net
>>358
発掘される場合、埋葬されるように綺麗に埋められていたから、埋めるタイプの呪具かと云われたりもしたね
まあ、内部に鐘用の舌が使用された磨耗部分があるから用途は鐘だろうと云われてるけど、
初期のハンドベルサイズと後期の鐘楼サイズでは用途は違うかもね

363 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:43:00.93 ID:Ub3SbV1k0.net
東遷の形跡は全く無い。
纒向などの重要な遺跡には日本の各地からの土器が見つかっているが、九州のものは
僅かしか無い。
征服者としての九州勢の形跡は全く無い。
また、近畿に邪馬台国の形跡も全く見つかっていない。纒向の度重なる発掘でも、魏志倭人伝の表記と合わないことがわかるだけ。
纒向が邪馬台国である可能性は全く無い。
箸墓も卑弥呼とは年代が合わない。
そもそも、恐らくは崇神の墓だ。

364 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:44:33.87 ID:/GUFNblf0.net
>>358
卑弥呼らの鬼道が、弥生の神の象徴をであった銅鐸(これを叩いて五穀豊穣祈願など)をぶっ壊したんだろうな。
支配者レベルですら古来のギリシャ・ローマ神を捨ててキリスト教になっていった、4世紀のローマ帝国みたいに。

365 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:46:30.38 ID:Ub3SbV1k0.net
>>362
銅鐸は恐らく宗教行事に用いられたものだから大切なもののはず。
しかし、破壊された跡が残っているだけで、争った形跡が全く無い。

神武は東征したのでは無く、近畿に招かれていった雇われ店長だ。

銅鐸は、近畿側が神武を招いた際に自ら捨てたのだ。

366 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:46:40.29 ID:SX27Tsrc0.net
卑弥呼の文字は正しくは「貧民子」

そうとするなら邪馬台国の九州説が現実味を帯びてくるw

367 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:47:47.49 ID:Ub3SbV1k0.net
>>364
違う。争った形跡が全く無い。
近畿側が、自分で破壊したのだ。
神武を招いて迎え入れるために。
 

368 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:49:59.53 ID:OBXqDcDh0.net
大分や宮崎あたりから奈良京都まで来たんだろ
もともと阿蘇辺りがルーツってことだ つまり邪馬台国も熊本辺りで
卑弥呼とは日御子あるいは火巫女をさしてたんだろう
魏志倭人伝の記述も明らかに南方の民族だしな

369 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:50:09.40 ID:yMuN3jBnO.net
(-_-;)y-~
鬼道と言い切るところが魏の現実主義だね。
鬼道の反対は、やはり神道(かんどう)だろうな。

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-0a-2d/kawakatu_1205/folder/1607456/12/52384712/img_0

370 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:50:19.89 ID:dv1OhTtv0.net


371 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:51:42.07 ID:/GUFNblf0.net
>>367
そうだよ。
自らぶっ壊したことを念頭に書いたんだが。
ローマ帝国のたとえが、わかりにくかったかな。(蛮族等の侵略によってキリスト教化したのでなく、自らギリシャ・ローマ古来の神々を否定し、その象徴である像を破壊した)

372 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:52:45.59 ID:isSfD/BX0.net
>>364
畿内にある大神神社は、本殿がなく拝殿のみが置かれている
大神神社の祭殿は、拝殿の向こうにある三輪山自体だ
これが恐らく最古の祭儀の形式だったのだろう。
信仰の対象は山とか海自体であり、神がご神体に宿るとか
そういう思想は後に出来た。

>>358
銅鐸はある時期に短期間に消滅している。
このような事は、急激な何かがなければ起こり得ないよ。
銅剣を奉じる勢力が広がり、銅鐸を奉じる勢力は駆逐されたか
それとも帰順の証として破壊を強いられたとかね

373 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:53:52.73 ID:+m+/pasq0.net
>>324
空撮にしろ地図にしろ建物の前を下にするでしょ

374 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:53:56.23 ID:JceHe7C30.net
五塚原古墳は纒向に似てるだけで
卑弥呼関係ないがな

年代合わないし(´・ω・`)

375 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:54:08.05 ID:Ub3SbV1k0.net
邪馬台はヤマトと読む。
九州の山門のこと。
卑弥呼の時代に御井に移った。
魏志倭人伝の邪馬台国は御井のこと。
卑弥呼の墓は祇園山古墳。
その後朝倉に移り(安元美典が言う邪馬台国)、さらに太宰府に移って奴国と融合し、
そこで滅んだ。

邪馬台国は九州。

376 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:54:18.43 ID:7hUL8Xq30.net
おまえら想像力豊かでうらやましいな

377 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:54:39.71 ID:0fPCoM+6O.net
>>368
その通りだとつじつまがあいます

378 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:54:52.54 ID:e0VvjlxY0.net
>>367
神武はすでに妻帯だったが、それを廃して畿内の有力者の娘を正妻にしたように
畿内人社会に溶け込むように心遣いしたような感じだな
そうしなければよそからやって来た単なる暴力組織でそのうち排除されていただろ

379 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:55:29.82 ID:3yeful8u0.net
お前に食わせる しょろじょうへいたんめんはネェ!

380 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:56:28.92 ID:JceHe7C30.net
考古学はこういう詐欺をするから信用がなくなる
事実だけを答えるべき

妄想は思想家に任せるべき(´・ω・`)

381 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:56:54.17 ID:h0FrLc1g0.net
>>363
>>375

論より証拠。

382 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:57:04.54 ID:isSfD/BX0.net
>>369
>>366
卑弥呼とか鬼道とか邪馬台国とか
あるいは倭とか。どれも当て字。それも蔑みを込めた字を選んだ当て字だ
中国の歴史書には、皇帝に帰順していない異民族は蔑みを込めて
卑しい文字が与えられる。
これは何も日本に対してだけではなく、匈奴とか鮮卑とか他の民族も同じことだよ
だから、中国の史書に書かれている文字の意味を考えても仕方ない
考えるとしたら発音の方だよ

383 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:58:11.04 ID:Ub3SbV1k0.net
>>372
だから争った形跡が全く無いんだって。
自ら破壊した以外に説明する方法は無い。

雇われ店長である神武を迎え入れるためだ。

カムヤマトイワレヒコ。
カム(神)は井沢の説で良い。王朝の始祖と言う意味。
イワレは謂われ。
ヒコは王。
近畿がヤマトと呼ばれるようになったイワレの王で、王朝の始祖である、という意味。

384 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 22:59:10.12 ID:uxCQT2oC0.net
>>288
ID:1vRiudC10
やあ、またお会いしましたね
NHK…グフフッ

385 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:00:48.23 ID:Ub3SbV1k0.net
>>381
近畿説は証拠はただの一つも無いぞ。
全く無い。
魏志倭人伝の記述とも全く合わない。

386 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:00:57.02 ID:isSfD/BX0.net
>>381
それは無理ってものだよ
邪馬台国論争なんぞ、すでに論は出しつくされている。
よほど決定的な根拠
例えば、この地に邪馬台国を築いたと記した銅剣が出土するとか
卑弥呼が皇帝より下賜された金印でも出土するとか
そういう発見でもない限り、確定は無理だし
そういう大発見は、まずあるまい

387 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:01:20.62 ID:JceHe7C30.net
奈良=大大和座国魂神社

卑弥呼=纒向
この説を最初に唱えたのは誰か

そうだ答えは阿波にある
邪馬台国=阿波である(´・ω・`)

388 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:03:09.88 ID:zDSD04nJ0.net
ハイキングウォーキングの営業が捗るな

389 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:03:23.97 ID:isSfD/BX0.net
>>383
畿内にはなかったとされていた物見やぐらやら環濠を行った集落やらは
近年、次々と発見されている
これが意味することは、明らかに戦いがあったってことだ。
日本は酸性土だから骨が発見されないから。
当時の戦死者の骨とかは、なかなか発見されないが
少なくとも争いがあったらしい事は間違いないがな

390 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:03:35.02 ID:JceHe7C30.net
卑弥呼が統治した邪馬台国は阿波である
そうなると墓も阿波にある可能性が高い(´・ω・`)

391 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:03:50.37 ID:XxlfjpPp0.net
邪馬台国を当時の中国語で発音すると、ヤマドゥになるらしいから、
邪馬台国はヤマト国と考えるべきだろ。
そうなると、九州のヤマトが東遷したと考えるのが自然なんだが、
そもそもなぜ東遷したのか。大災害の形跡でもあれば分かりやすいんだけど。
まあ、当時の人間は神託とかを本気で信じていたから、神のお告げで移動してもおかしくはないが。
でも、そうなると、もともと居た祖先の地である九州がどうして神話では蛮族の地みたいな扱いに
なっているのかがわからなくなってくるな。

392 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:03:57.61 ID:Ub3SbV1k0.net
あのね、例えば何で神武が初代の天皇なのか、誰も満足に説明出来ないわけな。
初代だから初代なんだよ、しか言え無い。

これはとても簡単なんだ。

雇われ店長である神武は、雇った近畿側からみたら初代そのものだからなんだよ。
これがタネ明かし。
物凄く当たり前の話しだったわけな。
 

393 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:04:05.30 ID:bqUAhGTq0.net
>>365
つまり銅鐸がニギハヤヒで銅鏡がイワレビコってことですね

>>369
中国における鬼は幽霊のこと
神道は祖霊信仰だから、あながち間違いではない

>>387
阿波から古墳の原型と云われる型が多数出土してるからね

394 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:05:41.44 ID:OBXqDcDh0.net
>>387
君か 前の邪馬台国関連のスレでも見かけた

395 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:06:02.81 ID:Ub3SbV1k0.net
>>389
お前な、阿保か。
銅鐸を破壊した場所で争った形跡が全く見つかって無いと言うことだ。
これは、近畿側が自ら破壊したとしなくては説明が不可能だ。

 

396 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:06:04.64 ID:JceHe7C30.net
人が生きていくには水が川が必要

大和国の奈良の吉野川は和歌山に入ると紀ノ川といいます
なぜ吉野川なのか

それは阿波だからです(´・ω・`)

397 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:07:07.65 ID:isSfD/BX0.net
>>385
卑弥呼の墓に相当するだけの大規模な古墳
物見やぐらが建ち。環濠を巡らせた集落
大規模な王権があったことを示すだけの建造物群の痕跡
それと魏が卑弥呼に下賜した物ではないかと考えられる
大量の銅鏡

魏志倭人伝に記された
これらが全部、揃っている地域は畿内しかなく
畿内説が有力なのは間違いないが

398 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:08:48.74 ID:bqUAhGTq0.net
>>395
銅鐸文化圏の衰退と各勢力図の変更における紛争は関係ないでしょ

399 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:10:05.76 ID:isSfD/BX0.net
>>395
自らのご神体を破壊する理由は?
別の勢力に服従し、その信仰を受け入れた
その証として破壊した。
それ以外に合理的な説明は出来るの?

まだ、百年や二百年と徐々に衰退したのなら
新しい信仰の広がりが古い信仰を追いやったと考えられるが
銅鐸の消滅は非常に短期間に起こっているのだからな。

400 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:10:33.95 ID:clEcnhNy0.net
>>391
日本住血吸虫から逃れてきたということも考えられる。
虫卵の化石が奈良で見つかると有力な証拠になるんだが。

401 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:11:16.19 ID:Ub3SbV1k0.net
>>397
お前、いい加減騙されてることに気づけよ。
三角なんて、今時恥ずかしくてだれも言わないぞ。あれ日本製だぞ。
それから、大規模じゃ邪馬台国の証拠にならない。
纒向は、神武が九州を捨て憧れて行った場所、つまりニギハヤヒの祖先が作った都だと思われ。

402 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:12:19.08 ID:bqUAhGTq0.net
>>396
阿波説は好きだし個人的に推してるけど、そうなると四国が流刑地だった理由が不明なんだよね

403 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:12:27.75 ID:Ub3SbV1k0.net
>>399

>>365>>383
 

404 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:15:06.62 ID:T7egxCTV0.net
日本人の大部分が知らないのは
九州の古墳は本土の古墳と石室内の作りが違う。
そして九州の古墳からは木で出来た船が出土されている。
明らかに古代九州の民は海洋民族であることを証明している、
縄文人を貝殻や海産物を持ち、朝鮮半島南部や中国南部と
海洋交易をしていたのは判明してきた。
九州の民が古代から中国を認識していたのならば、
邪馬台国がわざわざ中国へ助けを求めるのも納得が出来る。
日本の考古学は九州の古代遺跡、古代史を蔑ろにしている。
日本人は学会の思惑に負けずに、九州へ来て古代史に興味を持ってくれ。
このままだと九州の古代史は闇に葬り去られ、真実の日本の歴史は中央の学会によって握りつぶされてしまうかもしれない。

405 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:15:39.17 ID:JceHe7C30.net
卑弥呼の墓=纒向これを唱えたのは
徳島県の中学校の教師であった笠井新也氏

そう真実を隠す阿波に人々は騙されてるのだ(´・ω・`)

406 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:16:21.19 ID:vEnMPkux0.net
魏と交流するのに近畿じゃ遠いよね

407 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:16:49.50 ID:vI/eDUST0.net
宇佐神宮掘れば一発なのに。

408 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:17:54.46 ID:/GUFNblf0.net
>>397
纏向は、九州から北陸や関東まで各地の特色を持つ土器が多数出土しているみたいだね。

409 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:18:34.44 ID:Ub3SbV1k0.net
>>398
何を言ってるかイミフだぞ。
銅鐸を破壊された現場には、争った形跡が全く見つかって無い。ただ破壊された銅鐸があるだけだ。
これは、近畿側が自ら破壊したと考えなければ説明が不可能。

410 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:18:38.47 ID:bqUAhGTq0.net
>>401
三角にはオリジナルとコピーがあり、コピーは大和勢力圏に配布されていた
オリジナルがどこで制作されたかは不明だが魏が有力となっているね

>>399
秘蔵の持論だが、銅鐸を伝えた集団と銅鏡を伝えた集団が同じ、と考えている
それで新しく交換した、と

411 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:19:19.24 ID:JceHe7C30.net
九州人や東大は九州説が良くて
関西人や京大は関西説のが良い
ただそれだけの理由で事実を求めない

真実は阿波にあるm9(`・ω・´)

412 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:19:27.81 ID:OBXqDcDh0.net
大体、隋書倭国伝に倭国には阿蘇山があるって書いてあるし

413 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:19:54.42 ID:QcMQaB6X0.net
卑弥呼の墓ってどれだよ

414 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:22:02.82 ID:Ub3SbV1k0.net
>>410
それこそ妄想。

415 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:22:42.87 ID:h0FrLc1g0.net
>>409
そもそも破壊された銅鐸はごく一部。

416 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:23:44.42 ID:Ub3SbV1k0.net
>>413
九州の御井にある祇園山古墳だと思われ。
100人近くの殉葬者があるのはこれだけ。
時代も卑弥呼とあう。

417 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:24:42.48 ID:MqaeMLgR0.net
このスレに天皇の玄孫いるだろ

418 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:24:45.12 ID:JceHe7C30.net
淡路島が国産みの最初に登場する
九州なら九州が最初でいいし
神武東征は書かれてるし
なのに淡路島が最初にできる

邪馬台国は阿波m9(`・ω・´)

419 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:25:22.20 ID:Ub3SbV1k0.net
>>411
妄想乙。

420 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:26:36.87 ID:Ub3SbV1k0.net
>>418
国産みは後代の捏造。
狗邪韓国が無い。
 

421 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:27:35.33 ID:SIQF5q7C0.net
これだけハイレベルなスレは数年ぶり。
しかも専門板でないときた。

422 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:27:49.21 ID:JceHe7C30.net
阿波から奈良に移った邪馬台国勢力と
九州から奈良に来た天皇家の勢力が
奈良で纏まって大和国となる

邪馬台国は阿波m9(`・ω・´)

423 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:29:54.86 ID:iS5Ywf/f0.net
九州に上陸してから水行20日、水行10日陸行一月というなら
いくら古代でも九州はないわな
関西も近すぎる
余裕で関東まで来れるだろ
つまり邪馬台国は神奈川県大和
間違いない

424 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:31:21.69 ID:OBXqDcDh0.net
有阿蘇山 其石無故火起接天者 俗以爲異因行祭
有如意寶珠 其色青 大如?卵 夜則有光 云魚眼精也
新羅 百濟皆以爲倭大國 多珎物 並敬仰之 恒通使往來

425 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:31:30.38 ID:Ub3SbV1k0.net
旧唐書

日本国は、倭国の別種なり。その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。
あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。

倭国が九州邪馬台国のこと。
日本が近畿ヤマト政権のこと。

 

426 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:32:48.67 ID:686w/cre0.net
まぁ
仮に卑弥呼がいたとして
その墓地と規模が適合するのが、纒向古墳 以外 に ひとつも存在しないからねぇ

九州に300m級の 3世紀中期後期の 古墳 が 発見されるんなら 話 別だけどなwww

427 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:33:46.22 ID:KpLXAhvtO.net
>>416
祇園山古墳は方墳だな。
九州論者は執拗に魏志の記述から円墳しかあり得ないと言うのが多
いが、お前はどう解釈してるんだ?

428 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:34:00.86 ID:2NJoJYLm0.net
邪馬台国スレの畿内説は年輪年代法のあやしさには触れないんだよな
なんで他の学者に検証させないんだろうか

429 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:34:00.78 ID:Ub3SbV1k0.net
>>423
水行10日陸行一日の間違い。

理由1.
そもそも日本に、橋の無いこの時代で陸行一月する土地が存在しない。

理由2。
魏志倭人伝をそっくりパクった梁書は
>水行10日陸行一月日
となっている。

水行10日陸行一日なら、放射説をとれば御井でピッタリ。


 

430 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:34:22.54 ID:bqUAhGTq0.net
>>416
60数体だっけ?
でも殉葬の割に墓の型がバラバラだから
慕っていた王の墓周辺に部下が墓設置しただけっぽいよ

>>412
そりゃ当時の倭国の定義だと西日本から関東までだからね

431 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:34:46.62 ID:vsgnGjCH0.net
奈良にあると考えるのが自然だろ

432 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:36:33.12 ID:Ub3SbV1k0.net
>>427
そんなもん間違いなだけ。
径には「差し渡し」の意味しか無い。円か方形かなど分からない。
それに祇園山古墳は方墳であっても角の丸い柔らかな方墳だ。

ただ、前方後円墳では絶対に無い。
だから、前方後円墳である箸墓は、卑弥呼の墓ではあり得ない。
 

433 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:37:35.58 ID:686w/cre0.net
まぁ
仮に卑弥呼がいたとして

その墓地と規模が適合するのが、纒向古墳 以外 に ひとつも存在しないからねぇ

九州に300m級の 3世紀中期後期の 古墳 が 発見されるんなら 話 別だけどなwww

考えてみろよ

5世紀後半に
日本武尊(ヤマトタケル)が埋葬されたと言われる
軽里大塚古墳が全長約190mだぞw

3世紀中頃に
全長278mの『纒向古墳』は、当時どれだけの ”大物” が埋葬された事になるんだ?
はっきり言うと
この当時、実在した最大の権力者は、”卑弥呼”しかいないんだよw

434 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:39:25.79 ID:bqUAhGTq0.net
>>425
倭国の別種と書きながら、あるいは同じだが名を代えたと書く
これは当時の外交状況が反映されてるからだね
中国が台湾を国として認めないのと似てる

435 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:39:44.43 ID:Ub3SbV1k0.net
>>430
そんなもん殉葬でない根拠にはならんよ。
近畿説が適当に捏造した議論だろう。

箸墓では無いとにかく。殉葬の後が無い。

>>433
逆。規模がでかすぎる。
魏志倭人伝の里は短里であることが明らかになっている。
これで考えれば、100余歩は30mくらい。

実に、祇園山古墳でピッタリだ。

 

436 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:39:54.71 ID:AYAcNoOCO.net
え、墓なんて複数箇所あってもおかしくないだろ
まして卑弥呼クラスの強烈なカリスマあれば
祀った古墳が他に見つかっても何ら不思議じゃない

もしかしたら首と胴体切り離して埋葬したかもだし
戦国武将の墓だって色々ある奴いるだろ

437 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:43:07.09 ID:2NJoJYLm0.net
>>163
晋書は胡散臭い話載せ過ぎだって非難されてるからその話は本当だろうか?

438 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:43:39.83 ID:Ub3SbV1k0.net
箸墓は卑弥呼の墓ではない。

1.そもそも時代が合わない。箸墓はおそらくは崇神の墓。
2.規模がでかすぎる。短里で考えたら、径百余歩は30mくらい。
3.卑弥呼の墓は前方後円墳では絶対に無い。だから箸墓はアウト。
4.箸墓は殉葬の後が無い。魏志倭人伝の記述と全く合わない。

これ、祇園山古墳だとすべてOK。

 

439 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:43:42.63 ID:JceHe7C30.net
卑弥呼は鬼道を司る
天皇家の祭祀を担当したのは忌部氏

邪馬台国は阿波m9(`・ω・´)

440 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:47:17.82 ID:Qc1PsROG0.net
昔は大げさに見せるために数を多く言ったりしたからな
今みたいにwikiやググるでチョチョッとできないから言いたい放題

441 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:47:33.74 ID:Ub3SbV1k0.net
しかも、祇園山古墳は、卑弥呼の時代に出来たもので、かつ出来た当時
北九州最大のもの。「おおいに塚を作る」に符号する。

卑弥呼の時代の邪馬台国は九州の御井。
卑弥呼の墓は、祇園山古墳。

放射説を取り、>>429を受け入れれば、魏志倭人伝の記述とも完全に一致する。
 

442 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:48:37.26 ID:OBXqDcDh0.net
>>430
>当時の倭国の定義だと西日本から関東まで
根拠になる文献は何?

443 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:49:29.58 ID:bqUAhGTq0.net
>>433
最後の一行が気になる
海外の資料で実在が確認された当時の権力者は卑弥呼しかいない、だね

>>435
殉葬の定義によるけど、流石にデザインがバラバラの石棺を周囲に不規則に配置してるのを殉葬と云われるとね
箸墓も胡散臭いけど発掘しないと殉葬がいないと断言出来ない
円墳に方墳を後付けした可能性もあるからね

444 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:50:09.69 ID:JceHe7C30.net
魏志倭人伝に其山有丹と書かれてる
卑弥呼を信じてこれはスルーするおかしいでしょ

弥生時代後期から古墳時代初期に
日本で丹を採掘していた痕跡があるのは
若杉山遺跡だけ

邪馬台国は阿波m9(`・ω・´)

445 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:50:47.27 ID:yjfXzZTK0.net
京都の木の植生から言って奈良より後に手が入ったと思うけどね

446 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:50:49.26 ID:bqUAhGTq0.net
>>442
魏志倭人伝を読んでみれば?

447 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:51:48.04 ID:OBXqDcDh0.net
>>446
魏志倭人伝のどこに当時の倭国の定義は西日本から関東までと書いてあるの?

448 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:52:54.73 ID:isSfD/BX0.net
>>401
三角縁神獣鏡をスペクトル分析を行ったところ
そこに含まれている不純物は日本産の銅とは一致せず
中国の銅山から採れる銅に一番に近い。
この結果を踏まえれば、中国産と考えるのが普通だ。

数がやたら多い事に関しては、配布する豪族が多いので、後に模造品を作り
それを配布したと考えられるし
そもそも銅鏡百枚とは、具体的な数字というよりも、数多という意味にとらえるのが自然であり
その数字に拘っても仕方ないと思うが

449 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:53:22.25 ID:Qo/N43tA0.net
>>20
文化の中心地は移動するって事やね
西洋ではエジプトやメソポタミア(イラクとか)から、ギリシャ、ローマ
スペイン、ポルトガルからイギリスそしてドイツ(アメリカ)
移動するごとに発展していった歴史があるみたいで

東洋は中国インドから100年ほど前から日本へ
東洋はあまり移動しなかったのが、西洋に遅れをとった原因かも?
日本国内でも京大阪から東京へ移動し、大きく発展した歴史もある

450 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:54:11.18 ID:JceHe7C30.net
九州説でも大和説でも
奈良でも京都でもいいから
古墳時代の水銀採取遺跡を見つけてこい

邪馬台国は阿波m9(`・ω・´)

451 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:55:16.27 ID:686w/cre0.net
それと

魏志倭人伝の記述されてる場所の記述では〜

は 無意味

大和国 を 邪馬台国 と わざと記述するような国に

わざわざ 侵略される危険を侵してまで、国の場所教えるかよw

452 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:56:15.16 ID:3GqBEiQj0.net
もう自治体毎に一邪馬台国でいいよ

453 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:56:47.45 ID:iS5Ywf/f0.net
>>429
>そもそも日本に、橋の無いこの時代で陸行一月する土地が存在しない

事実を確認しよう
江戸時代、大きい河には橋をかけなかった
しかし橋が無くても人足で楽々渡ってる
橋なんか無くても陸上を一月も行ったら関東くらい楽勝で行けるんだよw

454 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:57:34.43 ID:JceHe7C30.net
卑弥呼は事実として書かれてるけど
丹を採掘していたのは事実ではない
そんな寝言が通るかm9(`・ω・´)

455 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:58:05.73 ID:XDIto2SBO.net
宇佐神宮の下を掘れば金印が出てくると私も思うわ

456 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:58:24.24 ID:bqUAhGTq0.net
>>444
丹の話まで行くと皆わからないのでは?
発掘されてるという状況証拠だとそうなるけど

>>447
この場合は倭人の住む地域=倭国

457 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:58:39.66 ID:Ub3SbV1k0.net
旧唐書
>あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。
(日本(近畿)が倭国(九州邪馬台国)を併合した、という表記。)

新唐書
>後にやや夏音(漢語)を習得し、倭名を憎み、日本と改号した。
>使者が自ら言うには、国は日の出ずる所に近いので、国名と為した。
>あるいは、日本は小国で、倭に併合された故に、その号を冒すともいう。
>使者には情実がない故にこれを疑う。

その号を冒すの号とはヤマトのこと。
カムヤマトイワレヒコとピッタリ符号する。
>>383参照のこと。

458 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:58:42.83 ID:xKHrMHGK0.net
トゥームレイダーの邪馬台国のコレジャナイ感が好きです

459 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/11(火) 23:58:54.83 ID:isSfD/BX0.net
>>403
>>410
あのさ、銅鐸は本州のかなり広い範囲に存在していた。
そして銅鐸の文化が昨日今日のものならともかく
最古の銅鐸は紀元前二世紀のものであり
二世紀に消滅するまでの間、近畿に限らず
東は遠江から、北は山陰
さらに西は四国に至るまで広い範囲に存在した。
それが一機に失われるのは自主的な廃棄など考えられない
そのことは民俗史を眺めてみればわかるでしょうに

460 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:00:07.05 ID:yQz7Lr2A0.net
ラリホー効くんだよな

461 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:00:26.53 ID:LwnQH/Hj0.net
九州説論者敗北だな。

462 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:01:03.32 ID:XOwUaEF90.net
卑弥呼の墓と言われてるとこみんな調査すりゃいいじゃん
しないの?

463 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:01:16.26 ID:4QXX9GH/O.net
>>451
敵国になるかも知れない大国にわざと九州の南の辺境を時間をかけて案内した可能性もあるわけか

464 :455の続き@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:01:58.26 ID:TDHudg2O0.net
神武は東征したのではなく、近畿に招かれた雇われ店長であり、
神武東征は後代の捏造だ。
雇われ店長では聞こえが悪いので征服者という話しをでっち上げたのだ。

また、新唐書では日本(近畿)が倭(九州邪馬台国)に併合されたことになっており、
旧唐書と逆になっている。

旧唐書が正しい。そして、だからこそ
>使者には情実がない故にこれを疑う。
と中国側が記録しているわけね。

>>459
何言ってるか分からん。自主的な廃棄だからこそ一時期に、争った形跡も無く破棄
されたんだということ。
無理やり破壊して回ったのなら、破壊された場に争った形跡が必ずあるし、時期も
発見され次第だからマチマチになる。
言ってることが逆だ。

465 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:03:19.73 ID:/Y6ZLAVd0.net
>>448
なんか勘違いしてるみたいだけど
三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡じゃない

卑弥呼が貰ったのは中国魏の鏡
三角縁神獣鏡は中国呉の鏡

魏とは敵対してる鏡ですがな(´・ω・`)

466 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:05:01.82 ID:OR8Pt/7j0.net
>>416

祇園山古墳は後漢の鏡が副葬されていて、魏の時代とは合わないよ。
卑弥呼が使いを送ったのは魏!

467 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:05:04.25 ID:cqayr9f10.net
>>20
それは仕方がないことだぞ

みんな、これについて何も言わないけど
日本はアフリカから最も遠い国の一つなんだ
アフリカから人間が徐々に散らばったことを考えると
日本にたどり着くまでかなりの時間がかかる
そりゃー他国に比べ、その頃の文化が劣るのは仕方がないことだろ

468 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:05:33.72 ID:2dwStn4FO.net
>>432
径を差し渡しで解釈しているのに前方後円墳だけありえないと言い切るのは偏りすぎだろ。
角の丸い柔らかなとか、お前の主観でしかない。
測量図を見ると、北東側の角は本来90度の角で整形されていたであろうと認識できる形を保っている。
で、測量図に書かれた尺を見ると、お前が示す径百歩より小さくねえか?
対角でも75歩くらいだろ。

469 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:06:44.01 ID:LwnQH/Hj0.net
高天原=東日本=日本国=関東
豊葦原中国=西日本=倭国=関西

470 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:08:51.31 ID:16M8Pk3Y0.net
>>466
???(何言ってるわけ?)

>>468
違う。前方後円墳は、この時代はできはじめたばかりの頃で、
しかも朝鮮半島南端と日本にだけしか無いもの。

中国人には極めて珍しい形の墓で、それを卑弥呼の墓として見たのなら、
形について表記が無いことはあり得ない。
だから、前方後円墳では絶対に無い。

 

471 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:08:57.38 ID:GBct5XRc0.net
>>459
銅鐸は地面から一定の距離掘った場所に埋められてるケースが多い
他勢力に破壊されたなら抵抗の跡として一部地域だけ使用を続けたり銅鏡と併用する等の変化が絶対に残るんだよ

472 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:09:06.23 ID:OR8Pt/7j0.net
高天原 = 奈良
豊葦原中国 = 大阪
毛国 = 関東

473 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:09:13.64 ID:8SpoXPkd0.net
>>456
周施五千余里しかないんだけど

474 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:10:59.48 ID:LwnQH/Hj0.net
邪馬台国は大和国だな。

九州は神武東征以前(ニニギ〜山幸彦〜フキアエズ〜神武)の時代にすぎない。

475 :◆HKZsYRUkck @\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:12:53.09 ID:OY8vesYs0.net
>>453,>>429
漢和辞典で【陸】の語義を引くと、「丘や山がうねり続く、堅固な大地」と出てくる。
その「陸行」の対となる「水行」というのは「舟行」でも「渡海」でもなく、ずぶずぶの
湿地帯の行程なのだ。つまり当時形成されつつあった筑後平野下流部の描写である。

というのが俺の持論なんだが、誰も賛同してくれん。 orz

476 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:13:29.21 ID:AMuzHQUq0.net
中国から卑弥呼への贈り物が
今後 出土されることはもうないの?

もし金印以外のものが見つかればよいのに

477 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:13:48.62 ID:eRy7tGrn0.net
魏志倭人伝の使者は測量しながら歩いたわけじゃないだろ
山道を歩けば分かるが
方位磁石でも持ってなければ方角は分からない
距離はもっと分からない
一番間違いないのが日数
水行20日、水行10日、陸行1月というならそのとうりかかったんだよ

478 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:14:56.13 ID:IdPHNI5B0.net
>>20
歌が詠まれていた頃にはもう中国から算学や天文学の書物を輸入して
貴族階級は初等教育からもう数学を習っていたし
天文学の専門家もいたんだが?
九九が奈良時代からもう使われていたことは有名だろう
そもそも和歌にだって、たくみに算学を混ぜたものがあったりするんだが

479 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:16:10.54 ID:syByKsE10.net
>>475
ずぶずぶの湿地帯を10日…
想像すると笑えるんだがw

480 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:16:16.14 ID:/Y6ZLAVd0.net
男は度胸
女は愛嬌
卑弥呼は銅鏡

なんかいいたかっただけで
別に意味はないんだけどね(´・ω・`)

481 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:17:00.68 ID:16M8Pk3Y0.net
>>453
ワロタw自分で答え言ってるがな。
橋を架けなかったのはなぜ?

>>429
でオケ。これで全部符号するから。

1.神武東征は記紀の捏造。神武は征服者では無く、雇われ店長。
2.邪馬台国はヤマト国と読む。九州であり、名前だけを神武経由で
近畿に移植して、自らは滅んだ。

こういうこと。


 

482 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:18:40.09 ID:GBct5XRc0.net
>>473
今使譯所通三十国
周旋可五千里

483 :◆HKZsYRUkck @\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:19:37.87 ID:OY8vesYs0.net
>>479
大陸の人にとっては大変だったんだよ。うんうん。

484 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:20:13.12 ID:2dwStn4FO.net
>>470
未完成で計画を聞いただけかも知れんぞ。

485 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:20:15.36 ID:AE9hPy3a0.net
やまと・とも・もそ・ひめのみこと

こんなに発音しにくい人がいたのだろうか。

486 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:20:16.50 ID:IdPHNI5B0.net
>>20
それに医術でも、中国から伝わった医学を纏めた27巻にもなる医学書が著されたのも平安時代だったり、
有名な書物だけを挙げても恋や風景や歌以外のものなんて枚挙に暇がないほどあるだろう
歌に恋の歌や風景が沢山あるのは、恋愛や結婚の時に歌を詠む風習があったり、
何かと風景などを題材に歌を詠むイベントが頻繁だったりと、
歌はもともとそういうジャンルのものだったからで、
歌が恋愛や風景ばかりだったから日本人の書物や文化はそんなものしかないとか的外れすぎる
そりゃ>>20が歌集、それも学校で習う程度の極少ない歌しか知らないだけだよ

487 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:20:27.44 ID:16M8Pk3Y0.net
>>482
周旋可五千里は黒歯国のことだよ。倭国じゃないよ。
「参問倭地」を誤解釈している。
黒歯国と倭国とを比べてみるとという意味だよ。
 

488 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:22:21.36 ID:2A1qy42JO.net
>>474
ごく自然に、邪馬台と書いて「やまと」と読めるし()

489 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:22:58.27 ID:eRy7tGrn0.net
>>481

ワロタw
橋はなくても関東まで一月で行けることに反論できないんじゃんw

>そもそも日本に、橋の無いこの時代で陸行一月する土地が存在しない

490 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:23:07.23 ID:uNI57sUz0.net
神武の祖先は変な名前ばっか
たぶんトーテムなんだと思う
北米インデアンみたくいろんな部族がおったんやろね

491 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:23:28.98 ID:2dwStn4FO.net
>>475
他の文献における水行の用例を出せれば反応が違うと思うよ。

492 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:23:51.60 ID:/Y6ZLAVd0.net
>>483
きたな八女説ww(´・ω・`)

493 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:23:53.32 ID:FtTp97ye0.net
魏志倭人伝における邪馬台国までの経路
<畿内説>
帯方郡→狗邪韓国→対馬国→一大国→末廬国→伊都国→奴国→不弥国→投馬国→邪馬台国
<九州説>
帯方郡→狗邪韓国→対馬国→一大国→末廬国→伊都国→奴国、不弥国、投馬国、邪馬台国
http://ja.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D

494 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:25:40.23 ID:8SpoXPkd0.net
>>487
仮に黒歯国と倭国とを比べてみると
っていう意味だとして
周施五千余里って意味がわからなくなるんだけど?w

495 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:25:55.08 ID:Zp66NuXj0.net
>>490
そこで現天皇家の大化の改新での蘇我氏(それまでの天皇家)からの
王権簒奪説ですよ。

蘇我氏説が有力。蘇我氏の名前と卑弥呼の名前は名づけルールが
同じなので同族だといわれてるし。

496 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:26:41.98 ID:K+PkJSAX0.net
卑弥呼って本当は
太陽の巫女って意味で「日巫女」と国内では書かれていたけど
それを聞いた当時のチャンコロが
けしからん!って
卑弥呼って当て字で書いたって本当?

そうじゃなければ、自国の王にあたる人に
「卑」なんて漢字使わないでしょう

497 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:27:05.85 ID:16M8Pk3Y0.net
また、なんで崇神と神武が二人も王朝の始祖という名前になっているかも分かったろ?

神武--始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)
崇神--御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)

古来から謎とされてきた。
答えは簡単。神武は征服者というのはガセで、実は血筋がいいことを
買われて雇われただけの雇われ店長で、征服者などではない。
神武が近畿側に雇われた当時は、近畿ヤマト政権は単なる一有力豪族にすぎなかった。

本当の王朝始祖が崇神なわけね。
 

498 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:27:06.15 ID:GBct5XRc0.net
>>475
距離的に九州南部の山岳地帯に入っちゃうからね

>>487
黒歯国と倭国、ではなく、黒歯国と女王国では?
書かれているのは倭種だよ

499 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:29:01.54 ID:2dwStn4FO.net
>>495
関祐二だけが言っているというオチか?

500 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:29:14.24 ID:8SpoXPkd0.net
>>493
帯方郡から狗邪韓国までが7000余里
帯方郡から邪馬台国までが12000余里

どう考えても畿内には辿り着かない

501 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:29:15.74 ID:16M8Pk3Y0.net
神武--神話の上だけのなんちゃって始祖。でも話しの都合上、始祖ってことにしないわけに行かない。
崇神--本当の王朝の始祖。本当の始祖だから、話しの都合上、始祖ってことにしないわけに行かないw

こういうこと。だから王朝を始めたって名前の天皇が二人居るわけね。


>>489
ワロタw

もう一度言う。橋を架けなかったのはなぜ?
江戸時代には、架けられる技術がすでにあったが、わざと架けなかったわけな。
なぜ?
 

502 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:29:34.35 ID:q6nVpZug0.net
>>1
韓国で発見された古墳が「都合が悪い」という理由で破壊されてます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1194398911

破壊はされていませんよ。
普通に調査が終わったので元通りに埋め直しただけのことです。

順番に説明しますと
・韓国で前方後円墳見つかる。
・内部調査をすることになり、日韓共同での調査チームが作られる。
・調査が進むうちに、日本の古墳より新しい物である可能性が高くなる
・埋葬された人物が日本人である可能性が高くなる。
・韓国側調査団がこの事実の発表に待ったをかける。
・韓国側が「朝鮮の豪族に仕えていた日本人家臣の墓」として発表
・内部調査及び発掘品の運び出しが終わり元に戻される
という感じです。

503 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:29:45.62 ID:/Y6ZLAVd0.net
>>496
熊襲、蝦夷、土蜘蛛、国巣
いい呼び名だと思う?(´・ω・`)

504 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:29:58.93 ID:UNr9XKmG0.net
重要と思われる古墳はすべて宮内庁の管理下に置かれて学術調査が
出来ないのが欠点だな。調査をして考古学を発展させる必要がある
と思うが。

505 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:31:08.37 ID:GBct5XRc0.net
>>495
天皇家が蘇我氏から簒奪したなら、蘇我氏は誰から簒奪した?
天皇家でしょ。だから奪い返しただけなんだよね

506 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:31:53.64 ID:q6nVpZug0.net
>>502続き

実は韓国では前方後円墳が見つかった時点で
「前方後円墳の起源は朝鮮、日本に教えてやったのは朝鮮」
としたかったんですね。
前方後円墳というのは日本独自の形と言われてきましたから。
ところが調査するうちに日本より新しくしかも日本人の墓らしい、と。
これはつまり、朝鮮を日本人が支配していたということの証明になりかねない。
墳墓というのはその地の支配者しか作れませんからね。
そんなことを発表したら韓国では大問題です。
韓国にとって歴史研究と言うのは国威発揚のための裏付けですから、韓国に都合の良いことしか発表できません。
しかし日韓合同調査チーム作っちゃった以上、発表しないわけにはいかない。
日本に事実を発表されたら大変なことになる。
そこで日本調査チームに発表しないでくれと頼み込み、先に韓国側に都合の良い仮説を発表した…という流れ。
そして何食わぬ顔で調査終了して元の状態に戻した。
決して破壊したわけではありませんのでご注意。

507 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:32:10.98 ID:2dwStn4FO.net
>>497
原田実がベースかい?

508 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:33:39.68 ID:GBct5XRc0.net
>>504
一般公開…カビ…壁画破損…うっ、頭が…

509 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:33:58.83 ID:eRy7tGrn0.net
>>501
>江戸時代には、架けられる技術がすでにあったが、わざと架けなかったわけな。
なぜ

知らないの?
江戸時代に橋をかけなかったのは徳川の江戸防衛上の理由
歴史を勉強してごらん
すぐわかるから

で、橋が無いことが陸路では一月で関東まで行けない理由になってないんだけど
分からないかな?

510 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:34:03.00 ID:q6nVpZug0.net
>>506続き

それにしても韓国側の主張
「日本人の家臣がよく働いたので朝鮮の豪族が褒美に日本式の墓を作らせてやった」
というのは無茶すぎて笑えます。
こうやって誤魔化したのはのは良いのですが、その後の調査で韓国にはまだまだ前方後円墳があることが判明。
そりゃ支配者が1人というわけはありませんからそうなりますわな。
韓国側の主張で行くと墳墓を作ってもらえる特別重要レベルの日本人家臣がやたらといることになってしまうわけで、そんな説が通るわけもなく。
韓国歴史学界は頭を抱えているそうです。

511 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:34:04.44 ID:16M8Pk3Y0.net
>>498
参問ってことばはAとBとを比べてみるという意味だよ。Bは倭地ね。
Aはその前にある裸国やK歯国。船で一年だから、当然日本では無い。
 

512 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:37:11.96 ID:cQv19qQQ0.net
実は戦前の歴史教育ではわざわざ中国読みの「卑弥呼」なんて蔑称で教えてなかったんだな

513 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:37:23.07 ID:cFpRuKUu0.net
>>9
古代日本独自のオシテ文字が
中国の漢字に侵略されてなくなったって聞いたが?

514 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:37:48.84 ID:16M8Pk3Y0.net
>>509
だから、自分で言ってるじゃんか答えを。
人足が自分の頭の上に荷物を載せて移動する程度のことしかできないわけな。
だから、橋を架けないでいると防衛になるわけだろ。

銅鏡がどんだけ思いと思ってるわけ?鏡だけじゃなくて様々な産品も
運んだんだよ。

それから、この当時はそもそも陸行しない。陸は盗賊の餌食になるから。
船で水行するのが常識。
これは本居宣長も明白に言っていることで、
本居宣長が近畿説を否定する重要な根拠にもなっているもの。
 

515 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:37:54.66 ID:qA1l3TRk0.net
こんな近くに古墳あったんだ・・放置された林かと思ってた。
そういや向日町あたりしょっちゅう何か掘ってるし
こんなの出ましたみたいなプレートちょくちょくあるわ。
まぁ俺は綾部と舞鶴の間あたりの丹波の山中の血筋
京都への通り道以外なんか歴史あんのかね・・
ずっとのほほんと畑耕してたんだろうなぁ・・。

516 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:37:57.53 ID:FtTp97ye0.net
>>500
・南至投馬國、水行二十曰
・南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。
これを何里として解釈するの?

517 :あ@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:38:31.21 ID:6fcSr5Yw0.net
ヒミコは日の巫女

卑の字をあてるって中国は昔から大人げない国

518 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:38:48.61 ID:IF/USeZrO.net
>>503
いい名じゃん蝦夷(えびす)

519 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:39:24.54 ID:cQv19qQQ0.net
>>496
プレスコード以来です

520 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:39:26.08 ID:/Y6ZLAVd0.net
実在するかどうか知らないけど
当時崇神天皇は存在してる
国の王は卑弥呼ではない

では、卑弥呼とは誰なんだ
歴史からは消さなくてはいけない

そう当時の歴史の表舞台から
消された土地は阿波m9(`・ω・´)

521 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:39:48.51 ID:+tpo9XhyO.net
まあ曹操のところに奴隷献上するくらいなんだから
西側にあったことは間違いないだろう
やはりどう考えても九州が一番無難な線だろう

522 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:40:09.30 ID:8BpvwThN0.net
バカ「邪馬台国は九州!」
俺「じゃあなんで近畿に大和朝廷が生まれたんだよ」
バカ「ぐぬぬ!」

523 :◆HKZsYRUkck @\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:40:39.34 ID:OY8vesYs0.net
>>491
たしかに魏志東夷伝の中にも「舟行」の意味での「水行」は出てくる。
だけど、「陸行」と対になっているのは倭人伝だけじゃないかと。

関係ないけどついでに語ると、吉野ヶ里のような環濠集落の濠って
アプリオリに戦国時代の城の堀と同一視されちゃってるけど、
排水のためのクリークの機能の方が本質だと思うんだよね。

524 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:40:59.56 ID:L6ZhPAHZ0.net
>>512
中国人が卑弥呼って知ってる?って教えてくれたのにアホだよな

525 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:41:34.43 ID:eRy7tGrn0.net
>>514
橋は無くても江戸〜九州は陸路で一月もかからないんだよ
なんぼ古代でも水行10日陸行一月もあったら関東まで楽勝だってw

526 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:42:01.88 ID:+tpo9XhyO.net
>>522
いや大和朝廷と邪馬台国は別物だろw

527 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:42:07.12 ID:16M8Pk3Y0.net
>>507
誰だよそれはw
オレの説だよ。

1.神武東征は記紀の捏造。神武は征服者では無く、雇われ店長。
2.邪馬台国はヤマト国と読む。九州であり、名前だけを神武経由で
近畿に移植して、自らは滅んだ。

これ以外に古代日本史の謎を解く方法は無い。
そして、これでほとんど全ての謎が解ける。

卑弥呼の墓から、邪馬台国から、神武東征の謎から、遣唐使の問題からなにからなにまで
全部芋づる式に謎が解けていく。

自分でもやってごらん面白いから。

 

528 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:42:22.59 ID:IdPHNI5B0.net
>>20
つか、そもそも『歌』って文化や書物の様子を図る資料としては見当違いすぎる
今で言うとJ-POPを資料として21世紀日本人の書物や文化を図って、
21世紀ヒット曲が男女の恋だのばかりだから21世紀の日本人には科学がなかった
外国では天文や数学の書物が沢山あったのに21世紀日本にはなかったって結論づけるようなもの

独自の字がなくても漢字があり、そこから平仮名片仮名が生まれていることや
科学の発達や文化の成熟には独自の文字である必要がないことくらい
学校で習う程度の歴史でだって分かるだろうに
字がなかったから科学が生まれなかったとか、もう学校の歴史の知識内ですら意味不明だよ

529 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:43:17.79 ID:8SpoXPkd0.net
>>511
参問倭地絶在海中洲島之上或絶或連周旋可五千餘里

じゃあどういう意味になるのさ?

530 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:43:32.89 ID:IF/USeZrO.net
ろくに道も無いのにか

531 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:43:41.56 ID:/Y6ZLAVd0.net
>>518
外から来た人という意味が?(´・ω・`)

532 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:44:35.27 ID:cQv19qQQ0.net
卑弥呼読みもそうだが日本がおかしい
すべての根源はこれだからw
http://www.youtube.com/watch?v=P6eUqvYIoeo

533 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:44:38.05 ID:GBct5XRc0.net
卑弥呼の時代は日本書記では神功皇后の時代

534 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:45:38.86 ID:UNr9XKmG0.net
>>508
俺は学術調査をした方が良いと書いただけだぞ。一般公開を
しろとは思っていない。

535 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:45:48.51 ID:d3YrCV0W0.net
永遠に答えが出ない不毛極まる論争

536 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:45:54.88 ID:16M8Pk3Y0.net
>>522

>>481

(何がぐぬぬだアホwお前だろそれはw)

>>529
(裸国や黒歯国を)倭の地と比較して訊いてみると、絶海の中央の島の上に在り、
隔絶あるいは連結し、周囲を旋回すること五千余里ほど。
 

537 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:46:21.39 ID:L6ZhPAHZ0.net
例えば戦国時代の歴史が絶史していて
島津藩が清に朝貢して
日本にシーマンズいるよってなったのが邪馬台国だろ
その時の歴史が日本には残されてないんだから
島津が天下人と勘違いした
これが真相だろ

538 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:46:33.26 ID:g+WwX4Ux0.net
邪馬台国は、畿内

539 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:47:44.82 ID:8SpoXPkd0.net
>>516
さあね でも魏志倭人伝にそう書いてあるんだから

・從郡至倭循海岸水行?韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里

・自郡至女王國萬二千餘里

540 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:48:18.89 ID:2dwStn4FO.net
>>512
戦前の尋常小学校の教育は、近代国民国家の黎明において日本国民としての共通認識を獲得し共有す
るのが目的という所から始まったのだから、国内の文献に基づいた歴史を日本人の記憶として整理し
子供向けに一般化したものになっている。
外国の文献とかは大学などで学問としてやるものだった。

541 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:48:26.98 ID:16M8Pk3Y0.net
>>535
答えは出たよ。オレのレス読みな。

ID:Ub3SbV1k0
ID:16M8Pk3Y0


>>529
裸国、黒歯国ってどこだと思う?
 

542 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:49:59.77 ID:UNr9XKmG0.net
卑弥呼は倭国にある国の1つの邪馬台国の女王だったと言うことで、
その頃の倭国はまだ統一されていなかったはず、だから卑弥呼が近畿地方
にいたと信じるのもおかしな事だな。

543 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:51:02.68 ID:xtu0bBBN0.net
それよか例えば、土蜘蛛なんてのは一体どういう種族だったの?
もしかして本当に手足が8本あったとか。幾らなんでもそれはないが、
本当に地下に住居を作ってるという地下生活の民だったとか・・・。
蔑まれた種族って、どうなってたんだろう?なんてつい思ってしまうのである。

544 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:51:14.88 ID:/Y6ZLAVd0.net
崇神天皇の存在がある限り

女王卑弥呼が倭国を統治したなどという
そんな歴史は封印しなくてはいけない

卑弥呼と壱与は歴史から消され
では、当時実力者がいて消された土地はドコか?

邪馬台国は阿波m9(`・ω・´)

545 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:51:37.22 ID:IF/USeZrO.net
>>531
スサノオの孫だろ

546 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:52:10.34 ID:z6lPQWGr0.net
邪馬台国は別府だよ。

547 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:52:27.71 ID:cQv19qQQ0.net
>>540
戦後は先勝国史観に変わったの

548 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:53:05.32 ID:2dwStn4FO.net
>>523
江南あたりの環濠集落の延長とする説だね。
環濠集落は北は満州辺りから南はインドシナまで確認されているが、南北で違いがあるんだったかな?

549 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:53:11.15 ID:rl/ic99V0.net
>>464
東征の真偽はともかく、キリスト教の布教でも
一機に信仰が変化するには武力が必要だった

キリスト教が世界化に合わせ、異教の風習である
ハロウィンやクリスマスを取り込んだのと同じようなこともあるものだが
銅鐸に関しては破壊されており、取り込まれた形跡はない
強権でもって行われねばありえないことだ

550 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:55:00.78 ID:16M8Pk3Y0.net
>>543
九州邪馬台国の末裔だよ。
 

551 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:55:11.93 ID:t3EZ+Ekp0.net
最近銅鐸はどーなってるのん?

552 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:55:14.08 ID:GBct5XRc0.net
>>547
戦後に歴史教育におけるキリスト教関係の扱いが変わったからね
踏み絵やキリシタン弾圧がクローズアップされた

553 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:56:34.39 ID:eRy7tGrn0.net
>>516
君が知らない街を歩いたとき
方角は分からなくなるだろ
山道を歩いたら道に迷う
方角は方位磁石でもないかぎり分からないんだよ
そして距離は、魏の使者は測量しながら歩いたわけじゃないんだから適当だ
しかし日数は確実だ
水行十日陸行一月というならそのとうりかかったんだよ
つまり邪馬台国は九州北部から水行十日陸行一月の場所にあった
これは確実

554 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:57:15.41 ID:2dwStn4FO.net
>>527
昭和後期に原田実という在野の人がそういう話を既にしている。
そこから独自の色をつけて20年以上前に「ナムジ」と「神武」などの古事記シリーズの漫画を描いた
のが安彦良和だ。

555 :◆HKZsYRUkck @\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:57:32.68 ID:OY8vesYs0.net
>>543
やっぱ竪穴式住居の人らなんかなあ。
支配民族としてのいわゆる天孫族が高床式住居の人らだった場合、
「穴掘って住んでるww」と蔑視しちゃう可能性は高い気がする。

556 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:57:58.59 ID:rl/ic99V0.net
>>465
聞いたこともない話だが
そもそも三角縁神獣鏡が国産説が唱えられ続けた有力な根拠は
この鏡が中国では一枚も発見されていないからだよ
それなのに何で呉の鏡と断言できるのだ
私は鏡は日本に下賜するためにオーダーメイドされたものだと思っているよ

557 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:58:36.49 ID:3ZV0ah0l0.net
>>59
あるある

研究費欲しいゴミ学者が何かを見つけるたびに
「これは卑弥呼の墓ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」と叫ぶ。

もういいかげんにしろ。

558 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 00:59:09.44 ID:+tpo9XhyO.net
お前らも人に何か貰ったら
住所くらい聞いておけ
じゃないとこうなるぞ
お返しも出来ないだろこれじゃ

559 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:00:49.74 ID:0gF76MN70.net
>>49
神話にしか出てこない神武天皇がまるで実在したかのように言うアホがここに

560 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:01:08.27 ID:/Y6ZLAVd0.net
>>545
そういえばスサノオの吉備も
歴史の表舞台からは
早々に消されるよね(´・ω・`)

561 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:01:12.01 ID:cQv19qQQ0.net
>>552
姦淫を禁止する宣教師が日本女性を人身売買していたと書けない悲しさ

562 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:01:26.35 ID:GBct5XRc0.net
>>551
同じ箇所から銅鐸銅剣が出土するケースが増えて、銅鐸文化圏説や銅剣文化圏説が弱まってる
まあ、一地域に複数の祭器があるのはおかしくないけどね

563 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:01:55.90 ID:cqayr9f10.net
邪馬台国は四国という説はどうなったんだ?

564 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:02:47.66 ID:NvtAH12f0.net
ゴッドハンドのおかげで何を言っても胡散臭い感じになるなw
ところであと18日ですね小保方さん

565 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:02:55.04 ID:COM6W7jM0.net
>>454
四国説案外好きなんだけど、お墓ドコかと考えちゃうなあ
出土品や集落跡も近畿や九州に比べると少なく派手さが少ないし

566 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:02:59.65 ID:8SpoXPkd0.net
>>536
裸国と黒歯国は別々の国だろう なんで2つまとめて周りを回ってその大きさを書き残す必要がある?
倭と比べてって何を比べてるんだ?w

567 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:03:26.03 ID:KFoMeMgR0.net
>>555 ああ、なるほど、それかぁ・・・。
いやもういっその事、モグラみたいに凄いトンネルを地下に掘って
それで中央勢力に対抗してたとかね。ついそんな事を考えてしまって・・・。
フィクションでは未来少年コナンの中で地下組織(本当に地下トンネル)で頑張ってた人達とか、
また事実としては時代は下るがベトナム戦争で地下坑作って米軍に対抗した話とかね。

568 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:04:06.88 ID:16M8Pk3Y0.net
>>543
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B1%A0%E7%9F%B3

女山(ぞやま)神籠石とかね。
昔は女王山だったらしいぞ。
じょおうやま→ぞやま
ね。多分卑弥呼のこと。
 

569 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:04:09.06 ID:FtTp97ye0.net
>>539 >>553
どうも有り難う。
>>553
つまり、自郡至女王國萬二千餘里と南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月って、
計算して出したものと実際に行って出したものってことかな。2つの基準が混在してるイメージ。

570 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:05:58.14 ID:KFoMeMgR0.net
>>556 >私は鏡は日本に下賜するためにオーダーメイドされたものだ
そうだったのか!
しかし本当にそのように日本用のみの様式を作ったのかな?
そうでないなら日本以外の周辺国で見つかってもおかしくない。
日本用に果たしてそんなにわざわざその様式を作ったのかという点で
何となくだが、疑問が残りそうだ。

571 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:06:16.24 ID:z6lPQWGr0.net
>>563
行程の方角の記述からみて可能性無し。

572 :◆HKZsYRUkck @\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:07:14.02 ID:OY8vesYs0.net
>>548
なるほど。
なんとなく思うのは、掘った土を塀に使うのはガチ防御の堀だよね。
塀に使わない(つまり内部の土地に撒いてカサ上げに使う)のは、
水対策な気がする。

573 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:07:14.83 ID:t3EZ+Ekp0.net
>>562
なるほど。ありがとう。大和朝廷とはまだ断絶中か。

574 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:08:55.59 ID:3ZV0ah0l0.net
>>429
> 水行10日陸行一日の間違い。

誰かが「朝鮮半島からの合計じゃね?」って説を唱えていたな。

575 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:10:17.77 ID:vKJVtpA70.net
>>561 >姦淫を禁止する宣教師が
それはキリスト教徒内のみでの話しであって、
非キリスト教徒については、売春させようが、奴隷にして売ろうが問題なしってのが
基本だったんだよね。だから欧州におけるキリスト教の布教期には
欧州の白人が、アフリカの黒人国家へ奴隷として売られてた。
欧米での黒人奴隷のずっと前は、歴史的にはアフリカへ売られる
白人奴隷は一般的であった。

576 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:10:24.61 ID:N/GdydgB0.net
そう言えば卑弥呼さまー!!って叫ぶ芸人見かけなくなったな

577 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:10:30.60 ID:/Y6ZLAVd0.net
「三角縁神獣鏡は、日本に渡った呉の鏡職人が
 日本 で製作したもの」としている
これを唱えてるのが中国の考古学者の王仲殊氏
銅鏡の歴史調べてる人なのよ

そして長江流域で出土した
呉鏡と三角縁神獣鏡とを比較すると
類似するところが多い

そして言う通り中国では
マダ一枚も発見されていない(´・ω・`)

578 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:11:03.26 ID:8SpoXPkd0.net
当時の国っていうのは今で言う郡とかせいぜい市くらいの大きさだと思うよ

579 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:12:26.25 ID:FtTp97ye0.net
ニュー速+とは思えないw、いろいろ邪馬台国の勉強になったスレだった。寝ますわ。

580 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:12:44.33 ID:16M8Pk3Y0.net
>>566
島の上にある国だから、島国の倭国と比べて見たってことだよ。

>>569

そうじゃなくて、>>429が多分正しい。
 

581 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:13:43.44 ID:3ZV0ah0l0.net
>>432

俺も九州の内海側の何処かが自然だと思うのだが、なぜか九州説でも魏志倭人伝の行程を
松浦から無理やり方位を博多側に捻じ曲げる学者が居るのは不思議だな。

582 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:14:09.10 ID:Wwvaileq0.net
>>423
それを真に受けて実験したら太平洋のど真ん中が妥当

583 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:18:36.02 ID:16M8Pk3Y0.net
>>574
そんなおかしな考えをしてはダメ。自然に読まないと。
漢文は前後の文脈から自然な読み方をすることを前提として書いてある。
だから簡潔な文章をわざと書く。

〜〜みたいな解釈ができると勝手に言ってはいけない。それが
自然な読み方であることが大前提でなくては否定されるべき解釈。

>>429で良い。

あと、放射説をとる根拠も、到るがどうの至るがどうの言ってる人が居るが
これは全く間違い。そんな意味の使い分けをした例が全くないのであって、
そのようなものは論拠には全くならない。

放射説をとるべき理由は、それが自然な読み方だから。

>東南に陸行すること五百里、伊都国に到る。官は爾支、副は泄謨觚、柄渠觚という。
>千余戸あり、代々王がおり、皆、女王国の統治下に属し、郡使の往来では常にここに逗留する。

伊都国にみんな駐留したんだよ。だから伊都国基点で放射読みするのは全く自然な読み方。
これが根拠だよ。

584 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:18:48.70 ID:8SpoXPkd0.net
>>582
昔と今じゃ一日に進める距離がぜんぜん違うよ
それに道中補給も兼ねて集落に立ち寄りながら進んでいたはずだし

585 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:22:03.32 ID:GBct5XRc0.net
>>559
伝承学全否定

>>577
中国にも類似の鏡はあったはず
個人の旅行者の日記でそれらしき方向がたまにある
まあ問題は三角縁はただの鏡ではなく魔鏡だから試さないと真贋確認が出来ないところか

586 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:22:07.38 ID:16M8Pk3Y0.net
>>584
そうじゃ無くて、>>429

陸行一月は、写本のときの写し間違い。
そもそも物理的に存在しない。
 

587 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:22:53.90 ID:2dwStn4FO.net
>>583
>伊都国にみんな駐留したんだよ。

ならば、帯方郡から来た使者は卑弥呼の墓は直接見ていないな。
形状はわかるまい。

588 :◆HKZsYRUkck @\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:23:07.76 ID:OY8vesYs0.net
とはいえ、奴国は那の津の博多が有力だからなあ。

たしかに方角は違うんだが、伊都国(糸島半島)から博多に向かう場合、
東南に向かって出発するから仕方ないと思う。
 魏の使者 「奴国ってどっち?」
 地元の人 「こっち」
 魏の使者 「なるほど南東か」
みたいな感じでw

589 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:23:08.86 ID:xXYALynn0.net
>>9
当時の日本が文字に関して中国に劣っていたのかどうかは良く分からないけど、
当時に輸入した中国の文字文化(漢字など)を、日本は数千年後の今でもほぼそのまま温存しているのだよ。
当の中国の今では、当時の感じは悉く残って無く、奇妙な略字化された漢字文字しか無い。
だから、この数十年、中国の漢文研究者や言語研究者は、
本国(中国)にはほとんど史料が無く、
研究のために日本で現在流通している漢字を調査するという始末なんだよ。

590 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:23:38.71 ID:8SpoXPkd0.net
>>586
だから今みたいな整備された道じゃないんだってw

591 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:24:32.81 ID:UNr9XKmG0.net
魏志倭人伝の書き出しは楽浪郡からの出発だから水行十日陸行一月は
楽浪郡から出発してカウントしないといけない。楽浪郡から釜山までは陸行
だから半月以上の日数が要るだろう。水行は釜山〜北部九州〜邪馬台国まで
の日数だろうが十日と一月とはあまりにもキリが良すぎて何処まで信用して
いいものか。

592 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:25:28.98 ID:M55IAjjr0.net
>>543
記紀が記された時代には畿内では掘立柱建物(高床式の住居)に住むようになっていたが、
まだ竪穴住居や洞窟に住む地域・集団もあった。
それが当時の朝廷に従わない集団とリンクすることが多かったので、
付けられた蔑称だとも思われる。
古墳時代までは畿内もどこも竪穴住居だったが、徐々に緩慢に移行していった。
東日本では鎌倉時代まで竪穴住居が相当存在した。

593 :◆HKZsYRUkck @\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:25:51.38 ID:OY8vesYs0.net
あうう、>>581へのレスだった。
いや>>588の話。

594 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:26:03.96 ID:16M8Pk3Y0.net
>>587
一度目はね。
群使は二度来ている。二度目は卑弥呼と直接会っている。

大切なことは、放射読みが自然な読み方だということ。
明確に「郡使の往来では常にここに逗留する」とわざわざ断った後に
以下の旅程が書いてあるという体裁をとっていることを見るべき。
自然な読み方をしなくてはいけない。
自然な読み方をしたら、放射読みしか無くなる。
 

595 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:27:17.43 ID:+GsZFwd90.net
大分県から出土された卑弥呼の鏡
https://www.youtube.com/watch?v=HscW9oNnaVk

596 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:28:13.17 ID:8SpoXPkd0.net
荷物を載せた荷車を押しながら荒れた道無き道を集団で移動して時に谷を越え山を超えしないといけないっていうのに

597 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:28:18.92 ID:16M8Pk3Y0.net
>>591
そういう読み方は不可。
単なる妄想。

598 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:32:32.97 ID:2dwStn4FO.net
>>591
初っぱなに「郡至倭循海岸水行歴韓国乍南乍東到其北岸狗邪韓国」とある。
郡から半島西岸と南岸を沿岸航行だよ。

599 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:39:36.07 ID:8SpoXPkd0.net
スプリンターが単独で荷物も持たずに休憩もせず毎日快晴の中、どこまでも続く整備された平地のアスファルトの上を国から国へと走って行くのとは違うんだぞw

600 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:40:02.84 ID:UNr9XKmG0.net
伊都国から放射状に考えよとの記述があるが、博多に住む俺からすると
非常に奇抜すぎる考えにしか思えない。伊都国の南にはすぐ標高1000m級の
背振山系があるのでその南の吉野ヶ里には直接行くはずが無い、奴国から放射状に
考えるのも無理が有りすぎるので放射状説は間違い。

601 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:40:20.40 ID:R9HM1+eB0.net
普通に南朝鮮から九州の話で完結だろうな

当時の倭人は朝鮮半島でも国を作ってたみたいだし
中国・四国をすっとばして畿内までいっきにいく理由もない

602 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:41:50.77 ID:viis6Fpk0.net
邪馬台国近江説◇論争に終止符!
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1290130003/

603 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:42:22.46 ID:LwnQH/Hj0.net
あんまり魏書の卑弥呼像に捉われても仕方ないと思うよ?
陳が書いた倭人伝の卑弥呼像は明らかにアマテラスのことだけど。
倭人伝は三世紀後半の書物でしょ?
その時代の日本は応神天皇の時代だよ。
東漢氏や秦氏が帰化した時代。
東漢氏の先祖・霊帝の頃の二世紀後半に倭国大乱だろ?
三韓征伐、神功皇后の時代をえて三世紀後半に応神天皇即位。
そのころに陳が倭人伝書いた。
神功皇后の時代のことをアマテラスの時代のことと重ねて書いてしまった感じがするな。

604 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:42:55.39 ID:fZ8B+2Qh0.net
ジャワ島説を推す猛者はまだか?

605 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:44:58.00 ID:16M8Pk3Y0.net
>>600
漢文を自然に読むとそうなる。
お前の妄想はいらん。
 

606 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:45:11.14 ID:SQOZMjyS0.net
文字で思い出したけど神代文字は考古学の世界ではなかったことになってるんだっけ
他のオーパーツと同じで後世に作られた可能性のほうが高そうではあるけど

607 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:47:38.64 ID:M55IAjjr0.net
指南車という方位磁石の代わりになるモノは当時の魏には存在した。
どのように置いても常に一定の方位を゜向くというシロモノ。
最初設定した方位で南とは限らないが、多くは南に設定する。
当時の魏の使者がそれを携行していたかは分からないが。

608 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:48:37.06 ID:jV87KdRy0.net
ひめみこさん

609 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:49:10.95 ID:/Y6ZLAVd0.net
>>601
そうです普通に邪馬台国は阿波です(´・ω・`)

610 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:50:16.20 ID:2dwStn4FO.net
>>594
一度目は正始元年か?
二度目が八年なら卑弥呼は死んでる。
そもそも卑弥呼に使者が直接会えたのか?
「年已長大無夫壻有男弟佐治國自爲王以來少有見者以婢千人自侍唯有男子一人給飲食傳辭出入居處」

611 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:55:17.59 ID:UNr9XKmG0.net
倭人伝に書かれた国名は北部九州内の国名は現在の郡名とほぼ一致するが
その他の国名は瀬戸内、近畿の何処にも当てはまる郡名が見当たらない。
従って著者は北部九州の外には行っていないのだろう。

612 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:59:34.94 ID:16M8Pk3Y0.net
三貴子
アマテラスオオミカミ=邪馬台国(御井)=鏡(卑弥呼の鏡)=イザナギの左目から生まれた
ツクヨミ(月読)=奴国(博多)=勾玉(月のこと)=イザナギの右目から生まれた
スサノオ=出雲=剣=イザナギの鼻から生まれた
という対応。博多では翡翠が取れる。これで勾玉を作った。

中国の盤古伝説が起源。「盤古が死してその左眼が太陽に、右目が月になった。」
そしてこれはそのまま地理的関係を表している。
だが、左目が御井で右目が博多だとうつ伏せになる。
だから古事記では右目と左目を逆にして仰向けにして考えたというオチ。

613 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 01:59:50.95 ID:UNr9XKmG0.net
>>605
お前、今日中に急いで精神科を受診しろ。

614 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:02:29.49 ID:16M8Pk3Y0.net
更に、なぜツクヨミがほとんど神話で活躍しないのはなぜかも理由が分かる。
奴国=ツクヨミは、卑弥呼の時代には邪馬台国に服属する国でまだ活躍できていない。
奴国が活躍するのはずっと後の時代、倭の五王の時代だから。
神武が神話をもって近畿へ行く後の事。

これが三貴子でありながらツクヨミが神話で目立った活躍をしない理由。

 

615 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:03:43.37 ID:AlzWARAK0.net
卑弥呼はビッチすぎて無理だったなあ
やっぱ星野ひかるだよ

616 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:07:10.39 ID:2dwStn4FO.net
>>611
参考までに。
文中に「華奴蘇奴国」というのがあるが、最近はこれは花園ではないかと言う人もいる。
地質調査で再現された河内湾なり河内湖でも、この時期は岸辺に立地している。

>>613
定型文を使って否定するのはカルトの手法だな。
東亜板のいわゆるホロン部にもよくいる。

617 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:10:33.94 ID:16M8Pk3Y0.net
>>613
それお前w
お前の妄想はいらんww

618 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:13:57.96 ID:16M8Pk3Y0.net
>>613
お前なw
どこで吉野ケ里が出てくるんだよw
伊都国の次に出てくるのは博多の奴国だろがw

619 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:14:42.11 ID:2dwStn4FO.net
>>617
おい、>>610に答えろよ。
漢文を自然に読めば、使者は卑弥呼に直接会っていない。
お前の妄想はいらないんだよ。

620 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:17:55.78 ID:PmLqsABx0.net
歴史に関しては芳しい者が、芳しいことを書くなあ。

学者にも、芳しい者が多いなあ。

621 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:21:25.26 ID:16M8Pk3Y0.net
>>600
書いてない文章勝手に妄想で作って、だからデタラメだっとかね。
精神病かよこいつはw
>>619
魏志倭人伝読めキチガイ。檄文を書いて卑弥呼に読ませたんだろうが。
その後卑弥呼が死んだんだろうが。どこを読んでんだお前は。
 

622 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:21:49.29 ID:2dwStn4FO.net
>>618
お前は伊都国を基点にして放射読みすると言った。
次が奴国とかは文中の順番にすぎず、>>600の吉野ヶ里は文中の順番を踏まえたものではない。
伊都国の南と方位を見、その地形に触れている。

623 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:23:16.61 ID:dhdWAvBc0.net
>>28
トヨの墓 彼女も卑弥呼

624 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:23:27.52 ID:16M8Pk3Y0.net
>>622
だから、魏志倭人伝のどこに吉野ケ里が出てくるんだキチガイw

625 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:23:40.48 ID:UNr9XKmG0.net
>>616
それはかなり無理をした憶測で、やはり地名として残っている事が
重要だと思う。
伊都国→糸島、奴国→那ノ津(博多) 不弥(ふみ)国→宇美
のように現在も地名が明確に残っている。

626 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:27:50.47 ID:c/z1Kph60.net
魏志倭人伝の記述がやっつけ仕事なのは、当時の中国の役人が
未開人の住む東の果ての島なんかどうでもいいと思ってたってことだろうな。

627 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:29:09.70 ID:NmSqfCNA0.net
>>611
北九州から水行一か月 + 陸行一か月でたどりつく北九州と
そのルートお願いねw

628 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:30:47.58 ID:2dwStn4FO.net
>>621
>檄文を書いて卑弥呼に読ませたんだろうが。

「告喩」は「言い聞かせる」が一般的な意味だ。
そして、正始八年に告喩されたのは難升米だ。帯方郡で告喩されている。
その直後の文で「卑弥呼以死」だ。

629 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:30:54.59 ID:16M8Pk3Y0.net
これでオケ。これで全部解決する。

1.神武東征は記紀の捏造。神武は征服者では無く、雇われ店長。
2.邪馬台国はヤマト国と読む。九州であり、名前だけを神武経由で
近畿に移植して、自らは滅んだ。

こういうこと。後>>429ね。(卑弥呼の時代の)邪馬台国は九州御井。

>>612>>614もおもしろいだろ。多分いままで誰も言ったことはないんじゃないかね。
 

630 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:32:01.67 ID:+GsZFwd90.net
>>629
キチガイ早く寝ろ

631 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:32:06.12 ID:/Y6ZLAVd0.net
日本最古の前方後円墳は阿波にある
投馬国=土佐国と考えれは距離は合う
丹があるという一文から丹がなければいけない

そして歴史にも出てこない秘境の地で
織物を織る技術さえ継承されていない徳島から
天皇即位で献上される「あらたえ」

邪馬台国は阿波m9(`・ω・´)

632 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:32:31.16 ID:H+DDkHtK0.net
本居宣長の時代からもう300年も魏志倭人伝を読んでいながら
誰一人として邪馬台国にたどり着けないんだから
議論するだけ無駄だろうに…

633 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:34:10.54 ID:R9HM1+eB0.net
帯方郡から狗邪韓國まで7千里、狗邪韓國から対馬・壱岐を経て末廬国まで3千里
帯方郡から女王国まで1万2000余里

朝鮮を旅行しただけで疲れた感じだな

634 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:34:38.39 ID:16M8Pk3Y0.net
>>628
直接会ったは間違いかも知れないが、卑弥呼が生きている時なのは当然。
後、直接合ったかどうかは議論の筋と関係ないが、何を言いたいのか?
 

635 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:35:39.61 ID:2dwStn4FO.net
>>624
吉野ヶ里は今は文中の九州北部だろう国のひとつの候補になっている。

>>625
「華奴蘇奴」を当時の発音の推測から「ファナソナ」に近いものとし、「花園(はなぞの)」になった
のでは?という話。
花園はラグビーで有名な花園だよ。これは地名だ。

636 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:36:11.92 ID:16M8Pk3Y0.net
>>630
それお前w

>>632
たどり着いたよ。九州の御井だよ。
ID:Ub3SbV1k0
ID:16M8Pk3Y0
 

637 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:38:39.65 ID:16M8Pk3Y0.net
>>635
だから?


638 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:39:39.39 ID:2dwStn4FO.net
ID:16M8Pk3Y0は天皇陛下の「ゆかり発言」で天皇は朝鮮人とか言い出す韓国人と変わらないな。

639 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:41:15.58 ID:16M8Pk3Y0.net
>>638
おいおいお前だろキチガイはw

>吉野ヶ里は今は文中の九州北部だろう国のひとつの候補になっている。

だから何だキチガイw
 

640 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:42:23.33 ID:2dwStn4FO.net
>>634
お前の漢文読解力が関係するんだよ。
人に偉そうに言うわりには漢文が読めないのがわかった。

641 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:45:22.87 ID:UNr9XKmG0.net
>>634
お前の邪馬台国=筑後御井説には多少同意できる。邪馬台国の南は
狗奴国(鹿北地方)があるので倭人伝の記述と一致する。
但し、老婆心ながらお前の脳みそは八割方溶解しているので今日中にでも
緊急入院したほうが良いぞ。

642 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:46:56.27 ID:16M8Pk3Y0.net
>>640
吉野ケ里の候補があるから吉野ケ里が書いてあると決めつけているお前は
漢文が読めてるわけか?


643 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:48:01.60 ID:LnEWwabH0.net
卑弥呼にはお世話になったなあ
スタイル良いしエロくてさ
あれでフェラスキーの属性○付いちゃった

644 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:48:48.86 ID:16M8Pk3Y0.net
>>641

>>600を書くお前が何を言ってるわけか?


それから、偉そうに言う割には、具体的な反論が皆無だよなお前w
お前のほうが精神病っぽいぞw
 

645 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:53:03.23 ID:2dwStn4FO.net
>>642
俺のIDを追ってみな。
一言も「吉野ヶ里が書いてある」とは言っていない。
それと、俺はID:UNr9XKmG0>>600について解説を試みただけだ。
お前の妄想はいらないんだよ。

646 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:55:08.35 ID:16M8Pk3Y0.net
>>645
はい。

で、だから何?

>吉野ヶ里は今は文中の九州北部だろう国のひとつの候補になっている。

うん分かったよ。放射読みと関係ないところで、だろ?

で、だから何だよアホ。お前は漢文が読めてるんだろ?
意味を言って見ろよwww

>吉野ヶ里は今は文中の九州北部だろう国のひとつの候補になっている。

だから何だ?

647 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:55:14.03 ID:rD0YBkeX0.net
九州説は完全に負けたな
ネットのよくわからない俗説では話にならないよ

648 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 02:59:13.74 ID:16M8Pk3Y0.net
>>645
おいどうした。

>>622はお前だろ。

お前は漢文が読めてるわけか?

>>622で?

>吉野ヶ里は今は文中の九州北部だろう国のひとつの候補になっている。
で?



 

649 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:00:39.81 ID:2dwStn4FO.net
>>646
意味ってなんだ?
なんの意味かをハッキリといったらどいだ?
逃げようとして支離滅裂になっているぞ。
吉野ヶ里の件は>>645に書いた通りだ。
彼?が吉野ヶ里に触れた理由についての推察とそれに基づく解説だ。

650 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:01:30.03 ID:16M8Pk3Y0.net
>>649

>>648

(分かりやすい破綻をするアホだなしかしw)

 

651 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:01:30.31 ID:tyNv+WsZ0.net
俺は奈良の巻向が邪馬台国でFAだと思うけどなー

652 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:02:48.11 ID:16M8Pk3Y0.net
>>651
近畿説はもう完全に消えたよ。可能性が全然無い。
諦めなさい。STAP細胞と同レベルだよ、近畿説は。
 

653 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:04:18.20 ID:DGnu3XbO0.net
鬼ノ城の謎も解明されたし

654 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:05:16.16 ID:2dwStn4FO.net
>>648
お前は現代文の読解もできないのか?
>>618でお前は>>600の「伊都国の南」を魏志倭人伝の文中に沿ったものだと勘違いをしていたから、
そうじゃないと教えたんだ。

655 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:05:50.09 ID:JA7T6+Ro0.net
邪馬台国は川内原発のある場所だ。

邪馬台国とわかってて原発を作っておるのだ。

656 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:07:37.96 ID:zzhbmgY+0.net
移動説って学会じゃ弱いの?

657 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:07:45.58 ID:+GsZFwd90.net
近畿説は東大の学者が研究し尽くして
戦前には消えて無くなって九州で決着していた
戦後に近畿の学者が機内説をまた持ち出して
理屈をこねているだけ。
昔の東大学者は今のように御用ではなく優秀だったからな。

658 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:08:04.41 ID:2dwStn4FO.net
>>650
やはり現代文の読解もできないのだな。
俺はそういう説があるという解説しかしていない。

659 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:08:41.66 ID:UNr9XKmG0.net
水行十日とは使者の陳寿が帯方郡の役所から半島西岸→半島南岸
→対馬→壱岐→唐津までの日数のようだな。九州に到着してからは
陸行のみで陸行一月は陸行一日の誤記とすれば唐津→伊都国までの
日数とすれば理解出来る。要するに陳寿は邪馬台国までの日数を書いた
ものでは無く、伊都国までの日数を書いたと理解した方が良い。

660 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:09:25.23 ID:16M8Pk3Y0.net
近畿説のあるセンセーは学会で
「卑弥呼の時代の鉄の出土が近畿では殆どないのはなぜですか?」
と聞かれて、
「近畿では鉄が溶けやすいんです」(キリッ
とかやっちゃったらしい。
近畿説ってそのレベルだからw

>>654
キチガイもういいわw
恥ずかしい野郎だバカが。
お前が言ってるのは放射読みと関係ない部分だろがアホw
これで漢文の読み方が(キリッとかw
ばーか

661 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:09:41.35 ID:+tpo9XhyO.net
どう考えても九州しかないね

662 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:11:02.95 ID:16M8Pk3Y0.net
>>659
妄想乙w
 

663 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:11:55.74 ID:lNdGJG850.net
卑弥呼と天皇って何か関係あるの?

664 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:12:11.01 ID:NmSqfCNA0.net
>>659
そうそう九州説なんて九州に収めるための目的論。

学問は関係ないwww

665 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:13:06.83 ID:16M8Pk3Y0.net
>>664
それ近畿説にベストマッチングwww

666 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:14:33.46 ID:/Y6ZLAVd0.net
女王國東渡海千餘里復有國皆倭種

女王国から東へ千余里海を渡ると
女王国と同じような倭人の国が存在しないといけない

ね、邪馬台国は阿波でしょ(´・ω・`)

667 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:16:07.92 ID:0gF76MN70.net
>>585
民俗学と歴史学を混同してるようなやつは馬鹿にされて当然

668 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:16:12.76 ID:2dwStn4FO.net
>>660
お前のレスの書き下し文な、コピペして検索すると大半がどこかのサイトに書かれているのそのまま
なんだよ。
バレてるんだよ。

669 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:17:24.78 ID:R9HM1+eB0.net
引き算で、九州北岸から邪馬台国まで2千里しかないからな
実際は400kmぐらいあるソウル−釜山が7000里とされてるので

2000里だと110kmか
唐津からだと下関までも行けないな

670 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:17:34.01 ID:PmLqsABx0.net
鉄が酸性土壌で溶けることを知らないのは、まあ、中学校も卒業不可の人物だなあ。

鉄が錆びて無くなることは、酸化というのだ。

671 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:18:32.18 ID:16M8Pk3Y0.net
>>666
これはあまり強い根拠は無いが、それ多分山口のあたりのこと。
それから、侏儒国って多分土佐の小筑紫のこと。
唐人駄場遺跡の辺り。

ここは、黒潮が四国とぶつかる所。そこから黒潮に乗って船で一年のところに
裸国と黒歯国がある。

さてどこでしょう?

672 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:18:52.20 ID:/Y6ZLAVd0.net
http://www.youtube.com/watch?v=igzNglcgjUs

ね、阿波でしょ(´・ω・`)

673 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:19:42.48 ID:GQ0s1Y//0.net
>>621
会ってないよ
邪馬台国に入るかはいらないかのタイミングで卑弥呼死す

674 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:19:59.71 ID:16M8Pk3Y0.net
>>668
お前恥ずかしいからレスすんなバカが。
お前どの口で読解力だの漢文読む力だのほざいてるんだ?
 

675 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:21:16.80 ID:16M8Pk3Y0.net
>>673
うん。直接会ったってのは間違いっぽいな。確証は無いが。
それは別にオレの議論の筋と全然関係無いよ。
 

676 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:21:49.61 ID:+GsZFwd90.net
大分の宇佐神宮に神武天皇と一緒に謎の神様、ひめこが祀ってある
おそらくそれが卑弥呼だ
神武天皇と親子関係か何かだな
宇佐神宮は天皇家の神儀の代理をやっている
伊勢神宮はレプリカかも知れない

677 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:24:00.92 ID:GQ0s1Y//0.net
>>522
大和朝廷は倭についての記録をひとつも残してないだろうが

なんで大和朝廷が生まれると 邪馬台国は九州じゃなくなるのか説明不足
あんた以外の人にもわかるように説明して

678 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:24:38.30 ID:16M8Pk3Y0.net
>>676
神武ではなく応神と神功皇后。
比売大神は卑弥呼では無く台与だろう。

679 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:25:21.33 ID:+GsZFwd90.net
おお、勉強家のココ電様のおでましじゃ
ココ電が言う地方が邪馬台国なんだろう

680 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:26:07.77 ID:PmLqsABx0.net
向日市は、同和地区だから、纏向と共通している。


古代は奴隷制度ですから、同和地域と縁があるのではないか。

681 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:27:20.09 ID:GQ0s1Y//0.net
日本書紀 古事記に 倭どころか卑弥呼も倭の5王も 倭にかかわるあらゆることが抜けてるから
大和朝廷は倭ではない。

682 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:28:48.33 ID:PmLqsABx0.net
卑弥呼も、魏に、生口(奴隷)を献上していなかったか。行っていたと思います。

683 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:30:02.09 ID:+GsZFwd90.net
>>678
神武天皇もいるよ

684 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:30:26.64 ID:GQ0s1Y//0.net
もう一回書くと 隋書に 「倭に阿蘇山あり」 とある
で後の時代の大和朝廷は九州討伐で阿蘇山のあたりを討伐してる。
倭が倭を討伐したら意味が判らなくなるので 倭と 大和朝廷は別の国

別の国だから 古事記にも日本書紀にも 倭に関することがひとっことも触れられていない。

685 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:30:28.01 ID:PmLqsABx0.net
同和は、古代の奴隷が続いたものだろう。

686 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:30:48.97 ID:/Y6ZLAVd0.net
魏志倭人伝を検証して行くと
邪馬台国が阿波でないという根拠を探すのが難しい

歴史の検証は積み重ねであって
突飛な考えであってはならない

邪馬台国は阿波です(´・ω・`)

687 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:31:59.80 ID:16M8Pk3Y0.net
>>683
http://www.usajinguu.com/lineage.html

688 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:32:51.90 ID:Dcdl4Fin0.net
卑弥呼というのは日巫女で、巫女さんかひょっとすると天照大神の事だろうな
明代の中国の日本に関する公式文書さえ、木の下にいた藤吉郎なる者とか書いちゃってるレベルだぞ

689 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:33:46.10 ID:PmLqsABx0.net
卑弥呼と、その周りの者たちは、顔や全身に刺青をしておりますから、サメよけの刺青ですから、

海洋民族ですよ、卑弥呼は。

690 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:34:22.55 ID:16M8Pk3Y0.net
>>684
ひとっこともは間違い。
でも概ね同意。

大体、旧唐書にも新唐書にも倭国と日本は別だと書いてあるのにねぇ。
 

691 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:36:25.86 ID:+GsZFwd90.net
>>687
知っている
だが神武天皇もいるんだってば
碑がある

692 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:38:46.74 ID:PmLqsABx0.net
倭国の、倭は、身体が小さく曲がった人間のことです。

しかし、そのような蔑称を付けるのは当時の中国の常識ですから、特別なことではありません。

そのことよりも、"わ"とは、わし、わたし、われわれ、の、"わ"ですから、

自分の事を、"わ"と言っていた日本列島の全ての地域を、中国は倭国と認識したのではないか。

別に2つの倭国があっても何も不思議ではありません。

693 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:38:54.29 ID:16M8Pk3Y0.net
近畿説は無い。

隋書
>倭国は、・・・・・都は邪靡堆、魏志の説に則れば、邪馬臺というなり。

一方で、唐会要
>倭国は東海の小島の野人。耶古、波耶、多尼(ヤコ(屋久島)、ハヤ(隼人)、タニ(種子島))
>の三国がある。いずれも倭に従属している。北は大海が限界、西北は百済と接し、
>正北は新羅と抵触、南は越州に相接する。

>北は大海が限界
>正北は新羅と抵触
この箇所より、少なくとも邪馬台国は近畿では無いことが確定する。
なぜなら、近畿から見て、日本海が「北」で新羅が「正北」なわけが無い。
 

694 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:39:36.93 ID:2dwStn4FO.net
>>674
>千余戸あり、代々王がおり、皆、女王国の統治下に属し、郡使の往来では常にここに逗留する。

あるサイトによると、この現代語訳は「堀貞雄の古代史・探訪館」からの引用だそうだ。

695 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:40:39.34 ID:16M8Pk3Y0.net
近畿説は無い。

新唐書

>日本、古倭奴也。・・・・・・
>其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城。

日本は、古の倭奴なり。・・・・・・
王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、
筑紫城に居住する。



筑 紫 は 九 州 。




 

696 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:42:49.04 ID:2dwStn4FO.net
>>675
>>594
>群使は二度来ている。
>「郡使の往来では常にここに逗留する」

「郡」と「群」、自分で入力したものとコピペで違っているね。

>そういう読み方は不可。
>漢文を自然に読むとそうなる。
漢文が読めるかはお前の議論と関係するんだよ。
自分で触れているのだから。

697 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:42:56.54 ID:L6ZhPAHZ0.net
和風の和は倭人の倭なのか?
和風が何故日本テイストを表すのか

698 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:44:31.64 ID:/Y6ZLAVd0.net
>>693
近畿説はモノがあるだけで理論は破綻してるからね
でも、モノがあるのは強い(´・ω・`)

699 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:45:00.26 ID:PmLqsABx0.net
邪馬臺  ← これも、素直に読めば、ヤマトです。

本居宣長は、当時、朝廷の崇拝者でしたから、顔と全身に刺青をしていた卑弥呼なんて者は、

大和朝廷と無関係と思い込み、熊襲だ、熊襲だと言って、九州説を唱えた。

しかし、邪馬台国は、素直に読むと、ヤマト国です。九州説の元祖の本居宣長が、朝廷崇拝のあまり、

ヤマタイコクと無理に読んだのが、そもそもの大きな間違いなのです。

700 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:45:10.97 ID:16M8Pk3Y0.net
>>693>695
こんなの2つだけで、九州確定だろ?

近畿説とか、キチガイが言う説だぜ。>>696

>>696
お前はもう死んどけキチガイw
 

701 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:46:16.80 ID:gmD/oSjB0.net
お前ら文章書いてアセンションしたか?同じ過ちを・・・か?

3000人住んでるだけ これでは辞書になりません ほとんど公告ですよ?
世界がまともになればまともになるのかな? 取りあえず勝負だ!

702 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:49:10.73 ID:2dwStn4FO.net
>>695
その書き下し文はこのサイトだね。
ここのサイトは便利だよね。

『新唐書』和国伝
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun11-sintosho.htm

703 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:49:38.21 ID:TCoVGjMp0.net
宇佐神宮から真西に太宰府天満宮
宇佐神宮から真南に西都原古墳群
宇佐神宮と太宰府天満宮と西都原古墳群を線で結んだ三角地帯
ここが邪馬台国なのです
もうとっくに答えは出てるんですよ

704 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:50:03.00 ID:3xv8RGHP0.net
卑弥呼=日の巫女=天照大神
って説もあるよね。

705 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:50:40.59 ID:R9HM1+eB0.net
女王国=沖縄説もあるんだよな
あそこは未だに巫女使って分けのわからん事やってるし
ハヂチとかいう入れ墨を明治までやってたって事で
文化的には合致する

706 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:51:14.83 ID:oU/TECmY0.net
お前らは本当に馬鹿だなイタコに聞けばいいだろ

707 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:51:20.63 ID:16M8Pk3Y0.net
隋書
>倭国は、・・・・・都は邪靡堆、魏志の説に則れば、邪馬臺というなり。

一方で、唐会要
>倭国は東海の小島の野人。耶古、波耶、多尼(ヤコ(屋久島)、ハヤ(隼人)、タニ(種子島))
>の三国がある。いずれも倭に従属している。北は大海が限界、西北は百済と接し、
>正北は新羅と抵触、南は越州に相接する。

>北は大海が限界
>正北は新羅と抵触
この箇所より、少なくとも邪馬台国は近畿では無いことが確定する。
なぜなら、近畿から見て、日本海が「北」で新羅が「正北」なわけが無い。
 

これ確定だろ。どう見ても九州から見た表記だぜこれ。

違うと言えるヤツ存在するのか?


 

708 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:51:53.73 ID:gKT4n/oX0.net
>>11
当時韓国が有ったのか

709 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:53:27.11 ID:lOKom9+L0.net
>>20 ID:edeJS4eh0

文字と高度な数学・冶金術・土木工学の知識がないと前方後円墳は作れないよ。
卑弥呼の時代に、早くも日本は部族国家を脱していて、信書を携えた国使が魏へ渡っている。
……卑弥呼の時代に漢字は使われていた。(後に百済から来たシナ人の王仁は皇室の子女の家庭教師。文字を伝えた事実はない)

日本に文字がなかったとか、ウリが文化を教えたとか、朝鮮人の史観は誤りである前に、幼稚すぎる。
古代の半島と日本の遺跡・遺物を比較すると、日本の方がはるかに文化国家であったことが見てとれる。
その差はあまりにも歴然としているので、資料を見せると小学生でも理解できる。

日本の小学生>>玄界灘>>>韓国の歴史学者

あおりでも揶揄でもない客観的な事実です

710 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:55:28.51 ID:2dwStn4FO.net
>>707
魏志だろうと唐書だろうと、視点は中原の漢人であって日本人じゃないぞ。
誰が書いていると思っているんだ。

711 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 03:59:37.52 ID:a+TDU03jO.net
福岡の宗形大社に百済の財宝が何万点とある。まさか韓国とは言わないよなw

712 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 04:01:41.86 ID:a4lElLND0.net
>>711
宗像神社説のひともいたよ
陸行1カ月がわからないけれど

713 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 04:02:43.74 ID:16M8Pk3Y0.net
隋書
>使者が言うには、倭王は天を以て兄となし、日を以て弟となす、
>天が未だ明けない時、出でて聴政し、結跏趺坐(けっかふざ=座禅に於ける坐相)し、
>日が昇れば、すなわち政務を停め、我が弟に委ねるという。
>高祖が曰く「これはとても道理ではない」。ここに於いて訓令でこれを改めさせる。

これも、オレが解説しておこう。
アマタラシヒコとはアマ(邪馬台国=高天原)が地上に任命(垂らし)た彦(王)という意味。
具体的には奴国=ツクヨミ=夜の食国のこと。
日=我が弟とは、日本(近畿ヤマト政権)のこと。
このころには、邪馬台国は名前だけになり、政治の実権は奴国から更に日本(近畿ヤマト政権)
に移っていた。

>高祖が曰く「これはとても道理ではない」。
とは、それじゃ二重国家だろがボケ、そんなもん聞いたことあるかボケという意味。
>訓令でこれを改めさせる。
これがあの有名な、小野妹子が紛失した訓令書。

714 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 04:05:20.87 ID:2dwStn4FO.net
>>707
>南は越州に相接する。

これは解釈しないの?
結構大事なんだけど。

715 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 04:07:25.74 ID:16M8Pk3Y0.net
>>710
↑おいwなんだこのバカレスwwwwwwww
死ねアホwwwwww
----------------
つまり、小野妹子が紛失した(ことにした)訓令書には、
おまえら日本は認めんぞ、邪馬台国が倭人の主だと書いてあったわけねw
こんなもん認めるわけにいかない。
だから小野妹子は(多分推古天皇承認の上で)紛失したことにした、というお話し。
 

716 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 04:12:22.22 ID:16M8Pk3Y0.net
隋書
>その国書に曰く「日出ずる處の天子、書を日沒する處の天子に致す。恙なきや」云々。
>帝はこれを見て悦ばず。
>鴻臚卿が曰く「蛮夷の書に無礼あり。再び聞くことなかれ」と。

これね。一番有名なところ。なぜ帝は怒ったか?
従来の説は全部誤り。成り立って無い。いちいち書かないけど、どれも過誤がある。
正解は、二重国家は認めん、倭国が倭人の主だと言う訓令書を送ったのに、
それを日本が無視したから。
 

717 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 04:18:19.85 ID:2dwStn4FO.net
>>716
お前のレスの三貴子とかツクヨミの夜の食国が筑紫だとかは、検索するとぞろぞろ出てくるぞ。
パクりか?

718 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 04:18:59.33 ID:/Y6ZLAVd0.net
邪馬台国は阿波であるという事実を認めない限り
この謎は解けない

なぜなら日本三大秘境の一つ
徳島が舞台だからだ(´・ω・`)

719 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 04:21:47.99 ID:16M8Pk3Y0.net
>翌年、上(天子)は文林郎の裴世清を使者として倭国に派遣した。
>百済を渡り、竹島に行き着き、南に○羅国を望み、都斯麻国を経て、遙か大海中に在り。
>また東に一支国に至り、また竹斯国に至り、また東に秦王国に至る。
>そこの人は華夏(中華)と同じ、以て夷洲となす。疑わしいが解明は不能である。
ここの秦王国が日本(近畿ヤマト政権)のこと。
秦王とは秦河勝のこと。新撰姓氏録で秦河勝の子孫のことを「秦王(しんのきみ)」と記している。
村上天皇の日記には「大内裏は秦河勝の宅地跡に建っている」と記されている。
落ちぶれ貴族の倭国が、日本を揶揄して「あれは正当な血筋の国ではない。秦河勝の国だ。」と
言ったわけな。しかし、すでに倭国を凌ぐ巨大な勢力になっていた。
それが「そこの人は華夏(中華)と同じ、以て夷洲となす。疑わしいが解明は不能である。」ということ。

720 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 04:23:08.12 ID:2dwStn4FO.net
>>716
隋書には倭國の使者(現存する隋書の写本では倭は人偏に妥)と書いてあるのに日本?
どっから出てきたの?

721 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 04:26:10.55 ID:16M8Pk3Y0.net
煬帝は倭国に激怒したのではない。日本に激怒したのだ。
「お前は認めんと言っただろ。何を書いてよこして来たのか?」
と煬帝は怒ったわけな。
そして、倭国が心配になって、翌年すぐ裴世清を使いに送って倭地を探らせたわけな。
 

722 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 04:28:48.70 ID:/Y6ZLAVd0.net
北九州、南九州、出雲、吉備、畿内、東海
これらの地は歴史の表舞台にいる

卑弥呼の邪馬台国は歴史表舞台からは
天皇が存在するんだから消されてなければいけない

邪馬台国は阿波(´・ω・`)

723 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 04:31:58.95 ID:16M8Pk3Y0.net
隋書の最後のところ
>裴世清が答えて曰く「皇帝のコは併せて二儀、恩恵は四海に流れ、王を慕うを以て化し、
>故に使者を来たらしめ、ここに諭を宣す」。
>既に裴世清は引き上げて館に就く。その後、裴世清が人を遣わして、
>その王に曰く「朝命は既に伝達したので、すぐに道を戒めることを請う」。
これは、近畿のことではない。九州の奴国の王のこと。
道を戒めるとは、二重国家状態を解消して、お前(奴国王)がちゃんと倭地全体を
おさめろ、じゃないと皇帝の徳がお前を仲介して倭地全体へ届いてゆかないだろ
バカものが、という意味。

724 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 04:36:46.89 ID:2dwStn4FO.net
>>719
「竹斯國又東至秦王國其人同於華夏以爲夷洲疑不能明也」

そこにはここまで書いてあるね。
じゃあ、続きを書いてあげよう。
「又經十餘國達於海岸自竹斯國以東皆附庸倭」

秦王國から東に十数ヵ国を経て海岸に達する。全て倭の支配下である。
この海はどこの海?

725 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 04:38:35.06 ID:16M8Pk3Y0.net
1.神武東征は記紀の捏造。神武は征服者では無く、雇われ店長。
2.邪馬台国はヤマト国と読む。九州であり、名前だけを神武経由で
近畿に移植して、自らは滅んだ。

こういうこと。後>>429ね。(卑弥呼の時代の)邪馬台国は九州御井。

これで、古代日本史のほとんどの謎が解ける。






 

726 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 04:44:09.48 ID:gHQEIfUm0.net
古田の九州王朝説www

727 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 04:44:23.38 ID:XYyqzQ5e0.net
中国の当て字使うのいい加減止めろ

728 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 04:49:09.58 ID:LdZrEvpP0.net
卑弥呼←こんなの日本の記録にない
もし、これが魏の当て字だと言うなら
「ひみこ」なんて読むはずが無い
なんて読むの?

729 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 04:53:21.70 ID:/Y6ZLAVd0.net
倭迹迹日百襲姫命は
大物主神の妻となり
旦那の蛇の姿を見て箸で亡くなってる
その墓が箸墓古墳

独身の鬼道使いのおばさんとは
どうかんがえても結びつかない(´・ω・`)

730 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 04:56:57.36 ID:8bNNtfKzO.net
卑弥呼 ヒミカ ヒュウムカ 
日向

731 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 05:00:16.67 ID:2dwStn4FO.net
>>729
相手は神様だからね。
キリスト教だけど、例えば修道女は神と結婚して生涯独身だ。
こういうのを神婚とか神婚説話という。
鬼神は敬して遠ざける漢人から見たら独身だな。

732 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 05:01:26.51 ID:X6PQIvmEO.net
ヒメミコがヒメコって誤記されたんじゃないの?卑弥呼

733 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 05:06:34.97 ID:/Y6ZLAVd0.net
>>731
邪馬台国は食べ物は高坏に盛って
手づかみで食べる

死因の箸とはなんだと言うコトになる(´・ω・`)

734 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 05:06:52.46 ID:LdZrEvpP0.net
「日本」これを発音するとリーベンだよ
じゃあ「卑弥呼」を魏の言葉で発音するとどうなるのかって話だよ

735 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 05:12:35.06 ID:RSIiGnbU0.net
>>9
(´・ω・`)しらんかったー

なんでやろね?
石器時代から文字あったのにね
なんで日本の古墳、墓には文字がないの?
文字が使われてたはずなのに古墳の内部には文字がつかわれてないんだ

ふしぎー
なんでやろね?

736 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 05:14:01.58 ID:2dwStn4FO.net
>>724続き
さて、通説だと「秦王國」は周防国と見られている。
秦王がすおうに訛り、周防と当てられたと。
通説に従い秦王國を周防国とし、その東の十餘國は何かを見てみよう。
令制国以前なので国造制だね。
1阿岐国造、2吉備穴国造、3吉備品治国造、4吉備中県国造、
5下道国造、6加夜国造、7笠臣国造、8三野国造、9上道国造、
10大伯国造、11針間鴨国造、12針間国造、13明石国造、14都下国造
「十餘國」だね。都下国造は後の摂津だ。

737 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 05:16:14.60 ID:DAZBCrKA0.net
チョンが居座るのはそういう場所だろ

738 :ネトサポハンター@\(^o^)/:2014/11/12(水) 05:16:49.79 ID:RVGbvAZV0.net
卑弥呼は音に字を当てただけで、今風に書けば「姫子」だと聞いたけどな



        ひめちゃーん(意訳)

739 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 05:18:14.19 ID:VHhFQkdX0.net
ナイスですねえ

740 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 05:20:34.48 ID:2dwStn4FO.net
>>733
当時は箸は神聖な食事でしか使わなかったという説があるね。
一般的な食事の記録なら箸の使用は書かれないかもね。

741 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 05:21:07.23 ID:o9iBG2Xs0.net
遺跡は全て壊してきた土建

742 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 05:26:20.40 ID:rJ1ENzwF0.net
邪馬台国九州説はチョンの陰謀だっけ

743 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 05:29:53.82 ID:En5bPBwy0.net
>>742
え? なんで? 朝鮮に近いから?

744 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 05:33:07.51 ID:l/HWFTSO0.net
ID:/Y6ZLAVd0
そうだな。阿波説が一番 理に敵っているよね。
古事記「島々の生成」の項で
「その沼矛を指し下ろして画きたまひ、塩こをろこをろこに画き鳴らして」
は、鳴門海峡の渦を指しているよね。

745 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 05:47:54.42 ID:/Y6ZLAVd0.net
台与(トヨ)でも魏志倭人伝に書かれてるのは
壹與で発音はイヨ

これで壹はイと読むコトが分かる
邪馬壹国は○○イ国と発音するコトになる

阿波の古い呼び名はイ国
そういえば女王国の出先機関が
九州にあったな伊都国が

邪馬台国は阿波(´・ω・`)

746 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 05:48:31.44 ID:mAQfL7cU0.net
地理的にどう考えても九州飛ばして京都はないでしょ

747 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 05:52:58.90 ID:Qx1cX85/0.net
>>589
デタラメ抜かすのも程々にしとけ
漢字研究に関しては中国は周辺諸国とは比べ物にならんほどの蓄積があるわい
そのおかげで甲骨文字ですらさほど時間を掛けずに解読できたくらいだ
お前が言ってるのは中国本土で散逸したと思われていた史料を
明治時代に来日した中国人が発見したって逸話を元にしたんだろうが
改竄にも程があるぞ

748 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 06:00:12.16 ID:eX3ObXFUO.net
住所くらい書いとけよ。配達員より

749 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 06:04:44.34 ID:LdZrEvpP0.net
比企子母留
これは古事記原文に書かれている実際の当て字
ヒキコモルと読む
意味は、引き篭るで現代日本語の意味と100%同じ

卑弥呼は魏志倭人伝でしょ
つまり魏書
そこに意味が無いのは日本語の発音ほうでそこからは何も派生しない
魏が日本人で無い限り

750 :ネトサポハンター@\(^o^)/:2014/11/12(水) 06:08:09.81 ID:RVGbvAZV0.net
現地の人間の発音に対して魏の人が字を当てたんだから
どのみち文字列に意味はないんじゃね?

元の発音が現地(日本)でどういう意味に当たるか、ってことでしょ

751 :ネトサポハンター@\(^o^)/:2014/11/12(水) 06:18:06.94 ID:RVGbvAZV0.net
卑弥呼という文字が当時の魏で、なんと発音したか

→その発音の言葉は当時の日本で何の意味か

→今の言葉で言うと何か

752 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 06:27:32.65 ID:0+gAWVS00.net
アミシャブのDNA解析調査で日本人の先祖の数割が中東から来た事は確定な訳だし
大陸から宗教や文明を持ち込んで大きな集落があちこちあった事は容易に想像できる。
遺跡も新たに青森、関東、越、丹波、和歌山、出雲、四国、九州、沖縄とあちこちから出てきてるのに
ここ半世紀近く卑弥呼にとらわれて何も進まないままだな

753 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 06:32:29.81 ID:/Y6ZLAVd0.net
>>752
卑弥呼にとらわれてではなく
天皇家があるからね

なぜか考古学者は
墓を掘る事しか考えないから
先に進まない(´・ω・`)

754 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 06:42:23.87 ID:R9HM1+eB0.net
日本でも竹簡木簡や墨の原料は大昔から調達できるはずなのに
歴史史料すら残ってないっていうのがな

中国大陸から人が移住しまくってきたって嘘じゃねーか?
にしてはレベルが低すぎる

755 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 06:53:23.04 ID:rl/ic99V0.net
>>754
竹簡や木簡は、本一冊分も保存しようと思ったら
馬車一台分もの荷物になる。
それだけに数も限られているのよ
史記、論語、孫子、諸々の名著も原本など残っていない

それと中国から日本に渡ってきた人が存在したのは間違いない
多分、戦国時代あたりで滅亡した国の遺民あたりとかが海を越えてきた可能性もあるが
それほど数は多くはなかったと思うよ
当時のことだから、日本海を渡るのは、けっこうリスクが伴うもの
そんな船団を率いるのは簡単なことではない

756 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:07:19.61 ID:Ihl6ABb4O.net
鉄剣には文字が刻んであるのに出土した古墳には文字がないのはほんとに不思議

757 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:12:37.30 ID:UNr9XKmG0.net
常識的に考えても軍事力の弱い国が倭国を治められるはずが無い。
北部九州の遺跡からは鉄製の武器が大量に出土するが近畿地方の遺跡からは
殆ど出土していないし、出土した武器も北部九州製と比べて格段に劣る
そうだ。やはり北部九州の有力な国が瀬戸内や近畿の国々を従えて倭国の
王となったと考える方が無理が無い。卑弥呼の母は糸島市の平原古墳に埋葬
されている女性で、卑弥呼は弟に従って東征をして奈良に入ったと考えられる。

758 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:17:39.48 ID:Rnf+wjek0.net
http://blog.videon.co.jp/images/chuugokunihontizu2.jpg

759 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:22:27.78 ID:/Y6ZLAVd0.net
>>757
鉄器製造の鍛冶工房を営む勢力がある
淡路島の垣内遺跡は国内最大級の鍛冶跡

邪馬台国は阿波です(´・ω・`)

760 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:24:16.89 ID:0+gAWVS00.net
天皇家はアマテラスを祖とする一族。アマテラスを信仰し国を築き拡大した。
大陸と交流する際はアマテラス一族によって統治されていると説明した。
それを向こうの人は女王によって統治された国だと勘違いした。とかね

761 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:25:22.82 ID:o6Y8ao870.net
皇室の宗廟は伊勢神宮と宇佐神宮の二つ 道鏡事件のとき伊勢は蚊帳の外で宇佐の神託が全てを決めた
そして、皇室は奈良時代から明治に至るまで伊勢には参拝してい無い かたや宇佐には歴代皇室が必ず参拝している
つまり、皇室の本当の宗廟は宇佐と言うことだ、その宇佐神宮の主祭神は比売大神、女性神
宇佐神宮は小高い人工の丘の上に建っている その径100余歩 また、昭和改修の際、巨大石棺が神宮の地下に
埋まっているのが目撃されている

宇佐神宮は 卑弥呼=天照大神 の墓であり皇室の宗廟ということだ

762 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:25:44.98 ID:UNr9XKmG0.net
>>759
鍛冶跡があっても武器が出土しなかったら何の意味も無いだろうが。

763 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:26:42.05 ID:grPntYg3O.net
>>757
関西だから売っぱらって残ってないのでは

764 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:29:00.28 ID:UNr9XKmG0.net
>>761
宇佐神宮の神主は宇佐=邪馬台国説を否定しているが、もしかしたら
宇佐神宮の周りを掘り返されるのを恐れてカムフラージュしているのかも
知れないな。

765 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:31:07.49 ID:s81zkUGm0.net
似たような古墳があるということは、
箸墓は卑弥呼じゃない可能性もあるわけか。

766 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:39:07.26 ID:o6Y8ao870.net
摂津 宇佐宮司家は55代続いているが神社本庁ともめている 
このままだと、宇佐の秘密を伝える一子相伝が途絶える可能性がある

767 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:39:28.29 ID:5ZuWP47hO.net
>>757
卑弥呼は超有力な巫女で、卑弥呼は多くの王を従えていた。
従っていた王は当然、武力を有していただろうが、卑弥呼直轄地は巫女の威光で武力不要だったかもしれない。

ヨーロッパでも、ローマ教皇領はハプスブルク家やブルボン家より武力は遥かに劣っていた。
が、ローマ教皇に逆らうなんてありえなかった。

768 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:39:49.76 ID:/Y6ZLAVd0.net
>>765
箸墓はそもそも卑弥呼とは年代が合わない
無理やり合わそうとはしてるけど
あれは台与の年代の古墳(´・ω・`)

769 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:45:42.95 ID:J/PAjPGHO.net
(-_-;)y-~
筑紫の國から派遣された人の墓です。

http://m.youtube.com/watch?v=_oLRfE0l66I&amp;itct=CDAQpDAYBCITCK6ugsPQ88ECFRF4WAodF2YAVFIO5YyX5paX44Gu5ouzb3A%3D&amp;client=mv-google&amp;gl=JP&amp;hl=ja

770 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:45:54.08 ID:tjz5qsGs0.net
卑弥呼は日巫女。
日巫女はたんなる職掌で人の名前じゃない。
九州にもいれば、畿内にもいただろうよ。

771 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:48:08.93 ID:jwUr+c230.net
日御子
日巫女
日神子

元の意味としては、こんなところじゃないかな?

772 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:48:44.86 ID:/jbas0PW0.net
>>761
神託については勘違いしてる人多いけど
あくまで宇佐が神託受けたよって言ったから
朝廷として聞きに行っただけで
神託を伺いに行った訳じゃないよ

773 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:50:07.80 ID:/Y6ZLAVd0.net
>>769
そう言えば北斗の拳も四国説あったな(´・ω・`)

774 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:51:17.07 ID:1LB6UfDM0.net
この時代から4世紀の朝鮮半島南部は日本の支配下で日本の領土だった

マメな

775 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:51:58.09 ID:J/PAjPGHO.net
(-_-;)y-~
今でもそうなんやけど、古代の漢語も、日本語の「の」を省略表記してるんやないやろか。
卑弥呼、卑の弥呼、卑弥の呼、卑の弥の呼。

776 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:57:09.54 ID:J/PAjPGHO.net
(-_-;)y-~
阿久根は、昔、英禰と表記されていた。
実は、この英禰表記、現地の薩音にぴったりあってるんだよね。
今でも、阿久根をアクネとは発音しないんだよ、薩音では。
英禰。

777 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:57:13.66 ID:skHQRwJnO.net
日の巫女、火の神子とかだったんだろうな。

778 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:59:54.02 ID:Ihl6ABb4O.net
もし火巫女なら「ほみこ」って発音したんじゃね?

779 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 07:59:57.28 ID:J/PAjPGHO.net
(-_-;)y-~
古田武彦はんは、ヒミカと言うてはるけど、
俺はヒネコ、ヒネカ、ヒノネコ、ヒネノコだと思っている。

780 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:01:40.75 ID:o6Y8ao870.net
>>772 一回目の神託はそう 二回目に和気清麻呂を派遣したのは朝廷

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E4%BD%90%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E8%A8%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6

781 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:03:40.55 ID:hwC49jvrO.net
仮に卑弥呼が畿内に居たとなると、いわゆる天皇家とはどんな関係にあったのだろうか?畿内の天皇家の近くにのほほんと卑弥呼は弟と暮らせたのだろうか?

782 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:07:16.77 ID:s81zkUGm0.net
日向、日巫女などのネタが出るのに、
肥前国肥後国の肥の巫女説が出ないのが
納得できない

783 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:07:38.45 ID:/jbas0PW0.net
>>780
一連の流れだろうに
あくまで、神託出たよって宇佐が朝廷に言ったから聞きにいったり
人を派遣した

それにも書いてあるけど、聞きに行った人物は一時左遷されてるじゃん


この事件で不思議なのは道鏡の罪が意外と軽かったこと
死罪でも不思議ないのに

784 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:07:52.33 ID:J/PAjPGHO.net
(-_-;)y-~
日本語、古代倭語の「ね」って、「骨」「ほね」の「ね」だと思うんだよね。
「根子」はまさに、「ね」の子、裏山に葬られた先祖の骨を受け継ぐ者という意味で「根子」なんだと思う。

785 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:08:49.12 ID:skHQRwJnO.net
>>778
発音の問題もあるから分からん。
当時、筆談ができたのか、中国とのやりとりが何語だったかわからんし。

江戸時代、水戸黄門が千葉県のある村を訪ね、初めて目にした見事な木を地元の人に訪ねたら、耳が悪い爺さんが「ナンジャモンジャ?」と答え、それがナンジャモンジャの木と呼ばれるようになったからな。

786 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:09:35.20 ID:wPZRxwsJ0.net
あれ、邪馬台国スレでは邪馬台国は九州地方でクナ国こそが天孫の先祖という説だったが

787 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:10:26.91 ID:kfdojEPA0.net
卑弥呼って男の説ある?

788 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:10:59.17 ID:hwC49jvrO.net
まずは邪馬台国が存在していた時の畿内朝廷はあったのか? だな

789 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:12:19.90 ID:UNr9XKmG0.net
宇佐八幡の前の神主は神社本庁と喧嘩して解任されたんだが、神社本庁と
堂々と喧嘩できるほど宇佐八幡の位が高い証拠だな。神社の中では八幡宮が
一番多く、その頂点に立つのが宇佐八幡だからな。

790 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:14:46.25 ID:o6Y8ao870.net
>>783 いづれにせよ宇佐には皇室を振り回す権威があるということだ
皇室の始祖たる 卑弥呼=天照 を祭っているのだから当たり前の話

791 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:15:58.86 ID:ozwSl1znO.net
世界の文明は日本から伝わっていったって本当だったんだな

792 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:16:26.48 ID:UNr9XKmG0.net
>>767
非常に考えられない屁理屈だな。奈良だけじゃ無くて近畿地方全体から
鉄製武器の出土が殆ど無い。卑弥呼の時代は混沌としていたので非武装など
考える方が馬鹿馬鹿しい。

793 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:18:28.23 ID:+n7cR6rZ0.net
トゥームレイダーかw

794 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:18:28.69 ID:Z/fegWAH0.net
>>757
そういった征服王朝なら、なぜ先住者であるニギハヤヒの存在を抹消しないで、
その後も脈々と祀り続けたのかが、良くわからない。
日向のイワレヒコと大和のニギハヤヒは元々同族だった、という俗説がやはり正しいのだろうか。

795 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:23:06.67 ID:wPZRxwsJ0.net
八幡宮って不思議だね
ハタ氏、渡来人系で鍛鉄やさまざまな技術の神様かと思ったら
軍神でもあり出雲大国主とも同体とされたり、どの地域にもドッサリあったり
色々統廃合が行われてスッゴク多面的な神様

796 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:27:32.22 ID:GQ0s1Y//0.net
>>710
おお 魏志倭人伝全否定かよ
じゃ 邪馬台国について悩むことは無いわな

797 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:28:24.78 ID:0+gAWVS00.net
平将門やオオクニヌシのように倒したり奪った相手を神として祭るのが日本流。
つまりそこには文化圏があった・・・のかも

798 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:30:41.01 ID:GQ0s1Y//0.net
>>757
邪馬台国は軍事力ではなく 調停能力で治めてたんだぞ 
卑弥呼 イヨ の記述を見てみろ

ぶっちゃけ ロリコンパワーで乱を鎮めた

799 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:32:48.61 ID:/jbas0PW0.net
>>798
卑弥呼はバァーさんじゃね?

800 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:35:07.96 ID:L0OSVpiX0.net
>>38
徐福秦氏は、出雲族だし
徐福自身が、饒速日命(物部氏祖。)だし
古代天皇家と秦氏は、親類だし
神武の兄が、新羅建国の稲飯命で、その子孫が脱解王(昔氏祖。)で、新羅王子の天日槍命の祖。
黄帝の子孫で共通の秦氏と司馬氏。
天日槍命の裔の神功皇后・応神天皇(父が、仲哀天皇か武内宿禰。)の時代
百済経由で渡来した、秦の始皇帝七代:弓月君が渡来し、太秦国拝領された惟宗氏・・島津氏と成る。
同じ島族に司馬氏の渡来姓も同族として、渡来している。
司馬炎は、魏の追号を受けている。三国志に勝利した司馬氏が魏の皇帝で、魏志倭人伝・・邪馬台国を記し
卑弥呼の存在を伝えている。

801 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:35:25.49 ID:NmSqfCNA0.net
>>725
妄想

802 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:35:49.72 ID:hwC49jvrO.net
神功皇后=卑弥呼 か?

803 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:36:04.79 ID:UNr9XKmG0.net
>>798
お前魏志倭人伝の記述に良く目を通せ、邪馬台国は南の狗奴国と
戦争状態にあったと書いてあるぞ、幾度か戦って決着がつかないと
書いてあるぞ、そんな処で非武装など有るはずが無いだろうが

804 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:40:52.07 ID:o6Y8ao870.net
>>802 卑弥呼は 年已長大、無夫壻 だぞ 応神天皇のお袋のはずが無い

805 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:41:49.50 ID:L0OSVpiX0.net
卑弥呼の子、台与は幼して母を無くし、台与の摂政を勤めたのが・・崇神天皇。

806 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:43:30.75 ID:hwC49jvrO.net
>>804
神功皇后が実在した考える場合、畿内に神功皇后と卑弥呼が共存出来たであろうか?

807 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:44:13.09 ID:ZAVqaQLj0.net
お前らの知識には感心するわ(・∀・)
みんな、おさーんなん(´・ω・`)?

808 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:44:19.98 ID:0+gAWVS00.net
しかし人々の前には姿をあらわさなかった。側近の男性が卑弥呼の言葉を人々に伝えて統治した。
なら本当に卑弥呼がいたのかも疑わしいと思うんですよね。
御神体=アマテラス=卑弥呼。だから象徴の可能性もあると思う。

809 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:45:11.64 ID:o6Y8ao870.net
時代錯誤も甚だしい 卑弥呼や台与の時代に天皇がいるはずが無かろう

810 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:45:55.69 ID:L0OSVpiX0.net
>>806
畿内説敵だと・・
出雲の卑弥呼、大和の神功皇后だろうね。

811 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:46:15.78 ID:Ihl6ABb4O.net
もともとは琉球と同じように女はキコエオオキミのように神事を司り男はシュリテンガナシのように政治軍事を司るも権力は巫女が上だったのが伝統だったのではないかなと
それ故男王が立つと伝統に反するともめて大乱につながったのではないかと
であれば神権と実権の二重支配構造国家がイタリアとバチカンのように倭国で続いて行ってもなんの不思議はないよね
タラシヒコは神権を持つ天が垂らした人説はかなり説得力があるね

812 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:47:56.37 ID:0kZeFVb40.net
そもそも卑弥呼と天皇って繋がりあるの?奴国みたく小国かもしれないのに

813 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:48:36.86 ID:hwC49jvrO.net
魏と交流するほどの邪馬台国が畿内朝廷だった、または関わりがあったのならば現在の天皇家にも邪馬台国独特の習わしがあっても良さそうだが、全くそんな匂いはしないのは何故だろうか?朝廷と、邪馬台国は全く無関係、相反する関係なんじゃないか?

814 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:48:53.60 ID:o6Y8ao870.net
馬鹿め 魏志倭人伝に天皇なんて言葉が一言でも書いてあるかw

815 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:48:57.09 ID:L0OSVpiX0.net
>>811
もともと・・琉球とか・・たった千年前、平安時代に建国の小島国がぁ・・偉そうに・・

816 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:51:18.94 ID:Ihl6ABb4O.net
>>815
なんだ?何がいいたい?

817 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:51:22.93 ID:7gRUTU+G0.net
卑弥呼は半島からやってきた在日朝鮮人
これ豆知識な。

818 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:51:34.71 ID:aSqJ5aTg0.net
>>1
卑弥呼の国と古代大和政権を繋げるからオカシいのに

819 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:52:18.91 ID:L0OSVpiX0.net
>>813
伊勢の内宮の天照大神の御魂・外宮の豊受大神の御魂と交信するのが、古代からの歴代天皇家の役割だった。

820 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:53:54.48 ID:Qd0IkcIO0.net
「卑弥呼」ってのは魏志倭人伝に出てくるわけだけど
「卑弥」が名前の部分で「呼」はそのように呼ばれていたというくらいの意味なんでしょ。
つまりま名前そのものではない。
しかも当時その名前の部分の「卑弥」がどのように発音されていたかは正確には不明なんでしょ。
「ぺミィエ」のような発音らしいけど。

821 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:54:02.70 ID:L0OSVpiX0.net
>>816
三別抄建国じゃなくば、沖の名和氏建国でも、倭寇の名和氏で、千年前だねっ

822 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:55:03.04 ID:L0OSVpiX0.net
>>813
豊受大神=台与なっ

823 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:55:33.29 ID:0+gAWVS00.net
>>814
7世紀後半までは天皇なんて言葉はなかったはず

824 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:56:31.52 ID:ppP6kHYl0.net
大和朝廷と邪馬台国は別物

金になるから同じ物にしたがる御用学者

825 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:57:37.54 ID:Ihl6ABb4O.net
あ〜なるほど、そうじゃなくもともとは倭の文化が隔絶したガラパゴス琉球に残ってたって言いたかったのさ
琉球の方が倭国より進歩してたわけないじゃないか常識的に

826 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:58:03.20 ID:L0OSVpiX0.net
>>824
北陸の日本
畿内の大和
九州の邪馬台

827 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:58:14.06 ID:hwC49jvrO.net
>>810
なるほど。卑弥呼は東征して大和入りしたけどで、神功皇后も東征して大和入りしてるんだったっけ

828 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 08:59:15.76 ID:o6Y8ao870.net
>>824 大和と邪馬台国 ヤマトとヤマタイ 語呂は通じる

829 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:01:59.17 ID:aSqJ5aTg0.net
そもそも論として、古代大和と卑弥呼の国につながりがあるなら、日本書紀で大々的に喧伝するわな。

こそっと神功皇后の話題に「中国にはこんな話もありますね」的に入れてる謎

830 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:02:58.82 ID:UNr9XKmG0.net
応神天皇の両親は仲哀天皇と神功皇后で、仲哀天皇は三韓征伐の途中で
滞在した香椎宮で急死した。神功皇后は三韓征伐から帰国して福岡の
宇美八幡宮で応神天皇を出産したんだよ。宇美の近くには応神天皇の
おしめを替えた志免と言う地名も残っているし、奈良に帰る時に応神天皇を
しょうけに入れて山越えしたのでショウケ越と言う地名もある。

831 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:03:03.61 ID:aSqJ5aTg0.net
>>828
大和政権のことは倭国と記録されているのに?

832 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:03:36.29 ID:j1GMLstF0.net
>>792

畿内から鉄製武器がでないのは、出雲の荒神谷遺跡に集めて埋めて封印したから。
これが、オオクニヌシの国譲り。
あんな何百本もの銅剣が集めて埋めらてるのはおかしい。すごいイベントか儀式があったはず

833 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:05:01.02 ID:hwC49jvrO.net
宮内庁は邪馬台国を国賊と見てるのか、それとも天皇家の先祖と見ているのか。そこが気になる

834 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:07:05.07 ID:DcAohFp20.net
卑弥呼を探す作業は慰安婦を探す作業に似ている。
日本をいくら探してもみつかるのか。

835 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:08:58.50 ID:xJcgL9zh0.net
畿内説に確定するかもしれんってこと?

836 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:09:44.82 ID:2dwStn4FO.net
>>796
史料批判においての初歩的な常識じゃないか。
情報を読むという点でも情報発信源を考察するは常識だろ。
お前、株をやる時に情報元の分析やってなかったのか?

837 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:10:16.21 ID:gChRBk/h0.net
 >>834

 おい、朝鮮人。「ヒミコ」は誰が見ても日本人の名前だよ。
 朝鮮人たったら「ピミョキョン」だろうがwwwwwwww

838 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:10:21.47 ID:hwC49jvrO.net
>>830
応神は厳密にはタケノウチスクネの子らしいけどな。
神功皇后を卑弥呼、タケノウチを卑弥呼の弟としたいんだろうな

839 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:12:24.18 ID:e90+u3KzO.net
>>1
「一見さんお断り」どすぇ。

840 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:14:02.49 ID:L0OSVpiX0.net
>>832
徐福(出雲族)渡来以前の出雲王権は、神門家と向家の2王家の交代制だった。
クナト大神八代:八千矛・大穴持(大国主)・・神門家
クナト大神七代:天之冬衣の子、八重波津身(事代主)・・向家・豊家
※クナト大神=国常立神・・徐福・出雲族渡来以前の神は、クナト大神で、徐福・出雲族渡来以降にクナト大神から、秦氏の祖神、素戔嗚尊に摩り替えられた・・
これが、出雲国譲りの正体。

841 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:15:01.34 ID:QRzsUc7l0.net
卑弥呼の墓ならずっと昔からここにあるけど
https://www.youtube.com/watch?v=igzNglcgjUs

842 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:15:40.06 ID:5YHmzEiQ0.net
卑弥呼って自称、古代中国の呉から日本に渡った民の子孫なんだろ
なぜか現代の日本史では一切触れようとしないけど

中国語や英語のネット記事とか見るとアジアにはこんなに多くの民族がいたのか、
アジア人なのに知らなかったってことばかりだ
日本人の日本史ってこうであって欲しいって理想で少し偏向されてる気がする
聖徳太子の時代にはすでに中国にユダヤ人が住み着いてて、その子孫集団が今もユダヤの伝統を守って
中国国内で暮らしてて世界的に有名ってのは本当に驚いた。そりゃ日本にもユダヤ文化の切れ端が伝わるよw

843 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:16:07.68 ID:UNr9XKmG0.net
>>832
お前の妄想もそこまで行くと病的だぞ、悪い事は言わないからさっさと
神経内科を受診して即刻入院した方が良い。出来れば一生入院していた方が良い。

844 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:17:29.26 ID:L0OSVpiX0.net
諏訪家の祖神、建御名方は、八重波津身(事代主)と沼川姫の子。

845 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:19:35.12 ID:L0OSVpiX0.net
>>842
日本でのシメオン族=秦氏・司馬氏・島氏

846 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:19:40.50 ID:hwC49jvrO.net
卑弥呼って三種の神器を見た時はあったのだろうか?
邪馬台国が畿内に簡単に侵入し制圧なんて出来るのだろうか?

847 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:22:09.36 ID:aSqJ5aTg0.net
>>846
大阪湾で負けて見せた後に南下政策をとってやっとこさ上陸し山をいくつか越えた後に呪術をかけてジモティを仲間に引き込めば、簡単に大和入りできますよ、きっと

848 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:22:09.92 ID:UNr9XKmG0.net
>>832
お前の勘違いは近畿地方からは鉄製武器は出土しないが、銅製武器はたくさん
出土している事を知らない事だ。鉄製武器と銅製武器とで戦えば当然鉄製武器の
方が強い。だから荒神谷遺跡の出土とは無関係。

849 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:22:22.34 ID:L0OSVpiX0.net
>>846
畿内に来た時には、卑弥呼は他界して、台与を後継にしたのが崇神天皇。

850 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:22:40.58 ID:2dwStn4FO.net
>>810
畿内説とか関係なく、時代が違うという話になる。
好太王碑の内容と記紀の応神天皇が呉に使節を派遣した記述から、4世紀後半から5世紀初頭になるか
らだ。

851 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:23:12.05 ID:aSqJ5aTg0.net
>>794
それ、俗説じゃなくて公式見解w

852 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:25:46.95 ID:aSqJ5aTg0.net
>>850
晋書に出てくるトヨを応神周辺に比定しちゃうと色々と後の歴史がオカシいことになるからなあ。年号記述的に

853 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:26:29.91 ID:L0OSVpiX0.net
大国主の曾孫、神門家の子筋が・・建部(武部)氏と島氏(島族)・・武内宿禰と斯摩宿禰。

854 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:27:54.13 ID:L0OSVpiX0.net
>>850
まぁ・・畿内は、余計だったね。

855 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:27:58.13 ID:hwC49jvrO.net
>>849
崇神朝では、刺青等の風習は受け継がれてたって事かな?で、どこかで崇神朝は断絶したと…

856 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:28:47.95 ID:2dwStn4FO.net
>>821
三別抄が琉球を建国したなんて真顔で言うのは韓国人くらいだぞ。

857 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:29:10.11 ID:L0OSVpiX0.net
>>855
そうそう・・

858 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:30:56.36 ID:L0OSVpiX0.net
>>854
その時期には、本土にも、高麗王族が蒙古から追われて渡来して、埼玉に定住している。

859 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:32:29.69 ID:L0OSVpiX0.net
>>858
アンカー違い
正しくは>>856

860 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:36:27.07 ID:Qd0IkcIO0.net
確かに荒神谷のあの銅剣と銅鐸の量は異常だと思う。
まぁ、国譲り云々はわからないけれども何らかの
極めて特別な祭祀があったのだろうね。
四隅突出型の古墳も世界の何処にも無い出雲だけの独特の物だし、
出雲ってのは何が出てくるかわからない面白い所です。

861 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:36:47.09 ID:L0OSVpiX0.net
多分、山口県の田布施の朝鮮の人も、この頃に渡来し、長州の吉川氏も、高麗王族と共に来た帰化人でしょうね。

862 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:37:58.98 ID:aC4Q7mCu0.net
支那から金印貰って子分だった国に
なんでこうもなりたがるんだ?
京都、大阪、奈良なんかテヨソ系が多いから、仕方ないかw

863 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:38:06.62 ID:L0OSVpiX0.net
多々良の大内氏も・・

864 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:42:28.45 ID:Jz/u6U+J0.net
歴博「古墳出現期の炭素 14 年代測定」は誤り
ttp://homepage3.nifty.com/washizaki/rekihaku.pdf

畿内説サイドの学者って、これについてどういう見解なのかね。
ググってもほとんど見つからない。

865 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:43:21.64 ID:L0OSVpiX0.net
高麗王族を警護して渡来したのが、高句麗渡来を自称する、特殊部隊軍属(工作専門)の傀儡師たち・・
西宮神社周辺に部落を形成した、弾座衛門を祖とする人たち。

866 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:43:32.69 ID:2dwStn4FO.net
>>858
埼玉って、高麗神社のことか?
高麗ってのは元は高句麗の正式名だ。記紀に出てくる高麗(こま)は高句麗のこと。
支那史料でも高麗が正式名だ。
新羅の後の王氏高麗は後継を自称した。
王氏高麗の時に編纂された三国史記が高氏高麗を高句麗と書いている為に、何故か戦後から高句麗と
呼称するようになった。

867 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:45:25.95 ID:L0OSVpiX0.net
>>866
そうそう

868 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:45:51.89 ID:XsWfafKZ0.net
元祖DQN名

869 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:46:17.22 ID:965fmPwE0.net
句奴国=熊野=天孫系
邪馬台国=出雲=物部系

この時代の、奈良周辺の支配権は出雲系にあって、
最終的に国譲り(和平成立)で天皇の男系が熊野系継承で、出雲系の嫁入りで固まった。

出雲大社 VS 伊勢神宮 ではなくて。

出雲大社 VS 日前神宮・國懸神宮から、和平成立後に 出雲大社&伊勢神宮 体勢への変化。
http://ja.wikipedia.org/wiki/日前神宮・國懸神宮

天照大神が女神である理由の説明はこれでできる。

870 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:46:18.94 ID:O0/l3c5r0.net
こんなの、意味ないだろ。

まず、卑弥呼が実在したかどうかもわからないし、仮に実在したとしても
それが日本の歴史の中心と関わっているのかどうかもわからない。
仮に関わっていたとしても、それがどういう意味を持つのかがわからない。

あまりにもすべてが曖昧すぎる。

871 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:46:55.99 ID:hwC49jvrO.net
しかし、卑弥呼の埋葬には二百人の付き添いがあるんじゃなかったか?相当な骨が見つからない限りはな

872 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:48:20.86 ID:Qd0IkcIO0.net
渡来、渡来ってチョンがうるせーな

873 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:48:27.98 ID:o6Y8ao870.net
>>860 荒神山の銅剣には全て×印が刻まれていて大和の方向に向けて納められていた 
これは梅原猛によれば敵の祭祀を破壊するのと同等の意味を持つという解釈だな

出雲族の祭祀は銅鐸 ヤマト族のそれは剣、鏡、玉 皇室の三種の神器と同じ

874 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:49:54.04 ID:L0OSVpiX0.net
>>872
逆・・W

875 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:53:06.52 ID:L0OSVpiX0.net
通名制廃止近いから、誰がとか疑わずに済む時代が間近がねっ

876 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 09:54:29.15 ID:Qd0IkcIO0.net
>>873
そういう解釈もあるみたいですね
銅鐸にも×印が付いているし。 
でも当時の×印を現代の「否定的な」意味合いで解釈するのはちょっと危険な
感じもするのですけど。まったく違う意味もあったりするかも。

877 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 10:01:55.83 ID:i+pnMtgC0.net
箸墓に似てても卑弥呼の墓に似てることにはならん

878 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 10:10:55.65 ID:nHUA24fo0.net
>>758
いくらなんでもいい加減すぎるだろ。
テキトーな感じが伝わってくる。

879 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 10:15:15.56 ID:Ihl6ABb4O.net
古代日本の渡来人と言っても今の韓国人とは所詮縁も所縁もないから脊髄反射で喜ばないように

880 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 10:18:11.14 ID:o6Y8ao870.net
>>876 畿内で発掘される銅鐸は実際に破壊されているケースが多い 

ヤマトは4世紀初頭に九州から東征で畿内に侵入し、先住の銅鐸=出雲族を優秀な鉄器で駆逐し王権を確立した 
それから古墳時代が始まる

881 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 10:23:14.05 ID:eDJyyKDQ0.net
古代厨はよく飽きねぇな同じネタばっか使い回して

882 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 10:25:57.54 ID:hwC49jvrO.net
光武帝からの金印が九州で見つかるくらいだからな

883 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 10:33:49.10 ID:UNr9XKmG0.net
>>879
古代の渡来人が現在の朝鮮人とは赤の他人と書いているが、それは間違いだ
百済、新羅、高句麗なども朝鮮人と先祖は同じツングース系のエベンキだぞ
おまけに居住地域も中国東北部(満州)から朝鮮北部と重なっているので
全くの他人では無くてかなり近縁性のある従兄弟くらいの間柄だ。

884 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 10:33:52.50 ID:pqZla09P0.net
向日市ってことは三島古墳群に繋がるといういえばつながるような気がしないでもない予感

885 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 10:36:51.53 ID:UNr9XKmG0.net
兎に角宇佐八幡宮が皇室と非常に関係が深い事は間違いない。皇室と
伊勢神宮の関係以上と思う。仲哀天皇と神功皇后が三韓征伐に行く時も
宇佐八幡に参拝されている。

886 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 10:39:16.11 ID:hwC49jvrO.net
>>885
宇佐八幡はもともたは応神が氏神だったと思ったが、いつからハチマンタロウになったんだ?

887 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 10:41:43.43 ID:hwC49jvrO.net
卑弥呼らしき人物が氏神の神社とかありゃいいのに

888 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 10:42:10.75 ID:3ZV0ah0l0.net
>>880
畿内に古くからある祭器で破壊されなかったものはあるの?
なんか、こんな感じがする。根拠は無い。


残った祭器=九州から外患誘致した勢力
バツ印の祭器=降伏した勢力
破壊された祭器=徹底抗戦した殲滅された勢力

889 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 10:46:12.08 ID:JkiV92WD0.net
>>26 ヒメミコの音写で皇女の事だという見解が多い

890 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 10:48:01.72 ID:o6Y8ao870.net
>>880 勝者であるヤマトの鏡や剣は無傷で出土する  破壊されているのは敗者=出雲の銅鐸

891 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 10:55:53.47 ID:GEHbdyHU0.net
卑弥呼より偉い奴ってこの頃の時代居なかったの?

892 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 11:00:54.55 ID:RKBckH690.net
卑弥呼とか妄想はやめてくれよw

893 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 11:01:47.08 ID:Mfg/GDEC0.net
>>347 >>357
旧石器時代は地続きだった
海進で海峡が出来てからは通行の頻度が減っただろう

894 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 11:16:56.68 ID:8IA7utUJ0.net
卑弥呼には若かりし日にお世話になりました
スチュワーデス作品が一番好きだったな
プレイは勿論だが、男優とのギャグ会話も良かった

随分むかしにビデオを貸したまま行方不明だったが、
xHamster'sで視られるとは、いい時代になったもんだ

895 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 11:25:28.86 ID:tn+/MWZi0.net
九州の権力者が海外の協力取り付けて
東に向けて行動を起こすってパターンは当時でも同じ気がするなぁ…

896 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 11:39:27.68 ID:tjz5qsGs0.net
元AV嬢がなんで古代の墓に入ってんだよ。
考古学者って馬鹿すぎwww

897 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 11:44:57.35 ID:L0OSVpiX0.net
>>881
俺のは、真新しいネタだけどねっ
向家・富家の旧家伝伝承の地方出版の本が出たのは・・2007年・・俺が知ったのは、2年前で、ごく最近・・

898 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 11:53:45.91 ID:njrbkTHvO.net
>>883
それ言い出したら、
朝鮮人も日本人もみな結局アフリカ人でしょ くだらない

899 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 11:59:26.75 ID:L0OSVpiX0.net
>>883
所謂、父方・母方の片親因子だろう・・
百済は、大和の武内氏(斯摩)や中国の秦氏や司馬氏を名乗ってて
新羅も、4代の脱解王(昔氏)は、祖を神武の兄、稲飯命とし、渡来の王子は、天日槍命と成ってる。
高句麗(高麗)王族も1000年前の渡来している。

900 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 12:00:48.25 ID:L0OSVpiX0.net
>>883
半島周辺に散在してたのが、ツングース系エベンギで、シャーマン少数民族。
半島自体は、古代中国と古代日本の在地官人が、分かち合って共有していた
中立複合民族統治国家・・三国共に・・
高句麗が魏の統治影響が濃い国家。

901 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 12:09:44.42 ID:L0OSVpiX0.net
今の韓国人は、そのシャーマン少数民族の末裔。
韓国の上層のには、僅かに、高麗の遺伝子が入ってるだろうけど・・
李氏朝鮮の向こうの皇族は、中国統治下に来た在地官人王族らしいけど・・
天皇家の皇族が、戦時中に輿入れしてる。

902 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 12:12:51.37 ID:L0OSVpiX0.net
愛親覚羅家にも、皇族が輿入れしてるし、愛親覚羅溥儀の弟、溥傑の子が、日本に帰化してるのだろう。

903 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 12:22:46.21 ID:L0OSVpiX0.net
日本側の半島に居た在地官人王族たる、百済王族は、白村江の戦いに、大和が敗北し、大伴将軍か百済王族を救出したのが最後辺り・・
西暦200年からの数百年間掛けて、百済王族は、日本へ帰還している。
関東平野の国造家が、その末代。

904 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 12:35:36.87 ID:L0OSVpiX0.net
その時代は、中央の蘇我氏の時代。

905 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 13:20:00.64 ID:j1GMLstF0.net
>>848

荒神谷遺跡の銅剣は、武器を捨てて平和になろうということで儀式をし、埋められたと思う。
銅剣は、各国にあった剣を集めて埋めた。

だから、人が近づかないように結界とか張ってたと思うよ。
出雲大社の注連縄も結界の意味がある

906 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 13:43:14.43 ID:ZPz5CuNx0.net
「卑弥呼の」フレーズを入れるとマスコミの食いつきがいいと
県教委の歴史委員が言ってた。
予算確保にはまず卑弥呼だってさ。

907 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 14:03:01.66 ID:UNr9XKmG0.net
百済と高句麗の難民は日本に逃げて来ても不仲だったので多摩川を挟んで
棲み分けていただろう。神奈川県側に百済人、東京、埼玉県側に高句麗だね。

908 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 14:30:15.06 ID:Uaw32PYp0.net
昔の2ch

九州 「九州ですたいこのバカちんが。」
畿内 「畿内に決まってるだろアホボケカス」

ついこの間までの2ch

九州 「九州だよな?」
畿内 「邪馬台国はヤマタイではなくヤマトと呼ぶのだ。頭が高い。」
九州 「あわわわ ボゥボゥーーーぉぉぉぉ」

最近の2ch

九州 「邪馬台国はヤマトだ。ヤマトは元々九州にあって、それが畿内に移った。」
畿内 「なにぃーーーーうぐぐぐぐぐぐ」
九州 「古事記って知ってる?」
畿内  「あばばばばば゛はーーー」

909 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 15:01:49.34 ID:It8in8fg0.net
>>907
百済と高句麗というより、百済と新羅ね。
百済とヤマトは呉人で、新羅とイズモは越人だったという説もある。
昔から犬猿の仲。

910 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 15:11:52.89 ID:46DlBjSV0.net
>>623
それでもまだ時代が合わないんじゃないか?
卑弥呼(老)の死亡時に14歳だから50歳ほどしか違わないだろう
1世紀の年代差があるならトヨの墓としても合わない

911 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 15:18:16.68 ID:0+gAWVS00.net
奈良ホケノ山古墳の棺の炭素量測定の結果、大和政権が今まで考えられていたより1〜2世紀前にあった可能性があるらしい
同時期に存在したなら邪馬台国は連合国ユナイテッドジャパンの略称かもしれないし、卑弥呼は国家を治める信仰の対象=アマテラスかもしれない。
大和政権は政治の中枢都市で、オロチは邪馬台連合国との戦闘の事かもしれない
ヤマト、ヤマタイ、ヤマタノオロチ、語呂のつじつまもあう

912 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 15:21:05.82 ID:46DlBjSV0.net
>>887
卑弥呼=アマテラス説というのもあるぞ
これが正解なら伊勢神宮がそれにあたるな

913 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 15:23:35.02 ID:VuJpBdMj0.net
>>909
司馬・呉は、百済の内なり・・
斉(出雲)・秦は、新羅の内なりか・・
日本での百済人は・・先住の大国主神・事代主神の裔、神門家と向家・富家の子筋主張で渡来。
新羅人は・・天照大神・素戔嗚尊の出雲族派で、天皇家親族として渡来。

914 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 15:25:32.05 ID:VuJpBdMj0.net
>>912
卑弥呼の子、台与=豊受大神で
伊勢神宮の外宮の祭神なっ

915 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 15:27:22.90 ID:VuJpBdMj0.net
>>912
伊勢神宮の内宮の祭神:天照大神は、あくまで、天皇家の祭神。

916 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 15:30:41.14 ID:VuJpBdMj0.net
伊勢の元の祭神は、アラハバキ=イザナミ
熊野大社が・・クナト(国常立)大神=イザナギ

とっ事代主直系の向家・富家の人が言ってる・・。

917 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 15:32:33.85 ID:Uaw32PYp0.net
神武東征 大阪編

神武 「九州からはるばる大阪までやってきたぞ。」
大阪 「オッりゃーーー。ダレじゃおどれらーーー」
神武 「うわぁーーーーーー」
大阪 「しばきまわしたるわ、ヒョーーーー・・・・グサッ」
神武 「お兄さーーーーーーん」
お兄 「大阪は恐ろしい。三重にいくのだ・・・ガクッ」
神武 「兄さーーーーーん」

918 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 15:43:13.24 ID:VuJpBdMj0.net
>>917
おいおいっ
勝手に、初代神門氏の速甕之建沢谷地乃身命(古事記の速甕之多気佐波夜遅奴美神)の親父さん・・鹽冶毘古能(大国主の孫)=長髄彦を大阪人にしてくれるなっ

919 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 15:49:06.45 ID:VuJpBdMj0.net
出雲族が伝える「古事記上巻系譜」では・・
http://homepage3.nifty.com/tora_tora/JapaneseMyth/pedigree/pedigree1.htm
建速須佐之男命−八島士奴美神(八島篠)−布波能母遅久奴須奴神(布葉之文字巧為)−D深淵之水夜礼花神−淤美豆奴神−F天之冬衣神−大国主神−H鳥鳴海神−I国忍富神−J速甕之多気佐波夜遅奴美神−K甕主彦・・

920 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 15:54:58.51 ID:VuJpBdMj0.net
向家・富家が伝える事代主の向家と大国主の神門家2交代王朝の系譜は・・
諏訪家の祖、建御名方は、向家の祖、八重波津身(事代主)の子神。(鳥鳴海とは、異母兄弟。)
・御中主命=国常立命(クナト大神)
向家・富家
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為−D深淵之水夜礼花−淤美豆奴−F天之冬衣−八重波津身(事代主)−H鳥鳴海−I国忍富・・

神門家
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為−E八束水臣津野−赤衾伊努意保須美比古佐倭気−G八千矛(大穴持・大国主)┬伊佐我(伊佐波)
                                                                            └阿遅須枳高日子−鹽冶毘古能−J速甕之建沢谷地乃身−K甕主彦・・
古代出雲王朝と神話ゆかりの地を訪ねて 10.大和葛城地方へ移住した出雲王朝の人々
http://yochanh.blog.ocn.ne.jp/kodaiizumo/2013/02/post_638d.html
出雲王家と親族神代系譜。
http://yochanh.blog.ocn.ne.jp/photos/uncategorized/2013/02/13/photo.jpg

※神名の先頭の番号が。第××代クナト大神の意味。

921 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 15:55:11.16 ID:Uaw32PYp0.net
でたな富一族。

922 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:06:00.05 ID:VuJpBdMj0.net
大国主−阿遅須枳高日子(阿遅須枳高日子=櫛玉・出雲建子=伊勢津彦=櫛瓊・伊佐我が同一神。)
大国主−阿遅須枳高日子−鹽冶毘古能(長髄彦)−古事記の速甕之多気佐波夜遅奴美(速甕之建沢谷地乃身)(初代:旧出雲大社(杵築大社)司祭:神門氏)−甕主彦・・

923 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:07:19.51 ID:VuJpBdMj0.net
甕主彦・・・神門十代目:出雲(神門)阿多−十一代目:出雲(神門)振根=(倭健)日本武−十二代目:出雲(神門)鹽手=伊賀曽熊で、伊賀曽熊子筋が・・
建部氏(武部)、武内宿禰・葛城襲津彦・・蘇我馬子=島大臣。※百済国、第二十五代:武寧(武内)王=斯摩王の和史氏・高野氏など・・
出雲(神門)笠夜命、斯摩宿祢、島津(志摩)国造家の斯摩、志摩、島(直)氏の島族・・※百済渡来島族の武蔵・千葉国造家大宮・氷川神社祭神などが百済渡来の島族。
※島族には、応神天皇の時代に渡来した、秦の始皇帝7世・弓月君の惟宗・島津氏と秦族司馬氏も含む。

924 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:07:39.44 ID:0+gAWVS00.net
オロチの名前の由来は諸説あるが、オロチの「オ」は峰、「ロ」は接尾語、「チ」は霊力の意とされているらしい。
霊力=呪術と考えると、ヤマタノオロチは大和の呪術師=卑弥呼の事かもしれない。
国ゆずりさせられた出雲側から見れば、敵国の象徴である卑弥呼がモンスターに例えられても納得できる。
スサノオとアマテラスの戦いもこの時期の事かもしれない。
聖書にある大淫婦バビロンの獣しかり、古代の人々は国や権力者を怪物の頭に例える傾向もある。

925 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:08:09.38 ID:NmSqfCNA0.net
ヤマタイは誤りで読みは「ト」。大和、ヤマト、奈良で確定。
邪馬壹  邪馬臺  祁馬臺  邪靡堆
邪摩堆  邪馬臺  邪馬台
邪馬臺 = 邪靡椎 『隋書』倭国伝 「都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也」
倭迹迹日百襲姫命= 卑弥呼 = 夜麻登登母母曾毘売命 夜麻登 ヤマト 
邪馬台国 ≒ 崇神時代 魏志倭人伝における補佐する男 = 崇神天皇

926 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:09:01.03 ID:VuJpBdMj0.net
出雲族に敗れた大国主の一族は、出雲族とされ、系譜には、後の秦王族の渡来も同族として列する様に成る。
神門の名も、島の名も、秦族の由来姓を出雲族にされた影響の姓。
武内宿禰の系譜にも、蘇我氏と共に、波多氏の名が列しているのも、蘇我の名の由来も、国譲りの影響の姓。
神門氏の現在の系譜が、千家分派とされている。
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 出雲氏
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02119.htm

先代旧事本紀 国造:玄松子の祭神記
http://www.genbu.net/saijin/kuninomiyatuko.htm?print=on
10.嶋津國造 (三重県志摩半島)
出雲笠夜命 【天穂日命の後裔・出雲臣の祖・佐比祢足尼(天夷鳥命十世孫)の孫。鹽手命の子】

927 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:10:20.89 ID:NmSqfCNA0.net
夜麻苔  日本書紀  邪馬台
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壹與   倭人伝表記  臺與   梁書、北史表記
台与 トヨ 卑弥呼の後継者  豊鍬入姫命 トヨ その後の伊勢神宮 初代斎王 (現今上陛下の姉)
-----
壹  臺 臺  堆 堆  臺 台  ------- 苔   台  ----壹  臺  台
ヤマタイは誤りで読みは「ト」。大和、奈良で確定。 1800年以上一系。
殷王朝の祭司王の形式と周王朝の徳治の
文化を継承する易姓革命のない、古き良き中華文明の正統継承国。

928 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:11:18.78 ID:VuJpBdMj0.net
出雲と大和のあけぼの: 丹後風土記の世界 著者: 斎木雲州
http://books.google.co.jp/books?id=I49bk2tY4R4C&pg=PA84&lpg=PA84&dq=#v=onepage&q&f=false
出雲王国の正体: 日本最古の神政国家 著者: 武光誠
http://books.google.co.jp/books?id=_V9GDh7VBpQC&pg=PA124&lpg=PA124&dq=#v=onepage&q&f=false

929 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:12:58.09 ID:VuJpBdMj0.net
ヤマトタケル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E3%82%BF%E3%82%B1%E3%83%AB
日本書紀
崇神天皇の条に出雲振根と弟の飯入根の物語として、酷似した話があるが、日本武尊の話としては出雲は全く登場しない。
熊襲討伐後は吉備や難波の邪神を退治して、水陸の道を開き、天皇の賞賛と寵愛を受ける。
出雲タケルの物語
出雲の神門臣の勢力争いの物語の挿入→原型は崇神紀の出雲振根説話
建部氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E9%83%A8%E6%B0%8F

930 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:13:53.49 ID:NmSqfCNA0.net
位置関係が確定している

末盧國 → 伊都國 → 奴國 が2つとも「東南」とされていて

で現実と90度ずれている。
実際は東北。

奈良邪馬台国へ「南」表記は東への解釈でむしろ正しい。

不弥国は奴國の「東」だから実際には北の宗像市海沿いを比定しなければならない。

奈良時代は波の荒い日本海側ではなく、
穏やかな瀬戸内海を通って奈良へ行っていた。

 吉備岡山、奈良コースで確定。 
九州はないw

中国では東夷といい沖縄と本州を混同していた。

931 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:14:15.36 ID:Ihl6ABb4O.net
奈良の地名が嫌い

932 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:14:22.22 ID:VuJpBdMj0.net
富家による出雲臣(神門臣家)の系譜の伝承 - 神々の黄昏 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/16408628.html
富家による出雲臣(神門臣家)の系譜の伝承A - 神々の黄昏 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/16560282.html
能舞台に封印された花の記憶
http://nami-no-kai.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06
「ここがふるさと」八上姫物語
http://www.ncn-t.net/ss151123/chiikiokoshi/kawahara/yakamihime.html
出雲の司祭 神門氏から出雲氏へ|神さんめぐり
http://ameblo.jp/aramitama/entry-10730508438.html
出雲大社 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A4%BE

933 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:15:43.06 ID:VuJpBdMj0.net
大国主命と多紀理姫命との子神、阿遅須枳高日子命の裔が神門氏、神門の語源は、阿遅須枳高日子命が先祖代々から受け継いで身に着けていた、神度剣由来だそうだ。
※神度剣=大量剣は、十束剣(とつかのつるぎ)は日本神話に登場する剣。「十握剣」「十拳剣」「十掬剣」など様々に表記される伊耶那岐命の天之尾羽張剣(伊都之尾羽張剣)=天羽々斬剣。
石上神宮には、配神を両刃の伊耶那岐命の天羽々斬剣と主祭神として、片刃の布都御魂剣の2刀を祀っている。
阿遅須枳高日子命から神門振根に受け継がれた神度剣が、石上神宮配神の両刃の天羽々斬剣と思われる。

934 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:15:54.89 ID:NmSqfCNA0.net
「飛」の略字は「升」

難 升(飛) 米
ナ ト    メ
国 王 師 升(飛)等  『後漢書』
國 王 師 升(飛)至  『翰苑』
クニオ シ ヒ   ト = 国押人命 = 第6代孝安天皇
 
大倭帯日子国押人命(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)
=孝安天皇 = 国 王 師 升 等 くにおしひと  『後漢書』
翰苑では「後漢書曰、安帝永初元年、有倭面上國王師升至」やまと くにおしひと
等は「〜〜たち」の意味ではなく音。
トの音。だから翰苑では「至」イコール「等」
意味ではなく音。孝安天皇。

935 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:16:43.58 ID:VuJpBdMj0.net
神門氏 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E9%96%80%E6%B0%8F
豪族神門(かんど)氏が,その配下の人々を日置部・海部・鳥取部・神奴部等に編成して,杵築大神の祭料をととのえさせた。

936 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:18:25.23 ID:0+gAWVS00.net
九州からは金印が出たのだから同じ場所から別の勢力圏の金印が出るとは考えにくい
古代の中国地図は中国の中心に向かって北を表し離れるとどの方角も南を表した。
だから魏は四国や近畿より東の関東勢力圏を南の敵国と戦争をしていたと記述していたのかもしれない
なので卑弥呼がいたとされる勢力圏は四国、畿内が有力だと思う。卑弥呼が実在したかどうかは別にして

937 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:19:35.50 ID:hwC49jvrO.net
>>924
ドラクエVは正しかったのか

938 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:20:38.28 ID:VuJpBdMj0.net
埼玉苗字辞典
http://homepage1.nifty.com/joichi/2-6si.html
島 シマ 斯摩、志摩、司馬は島と記す。
日本書紀・神功皇后摂政四十六年(応神天皇)条に「斯摩宿祢を卓淳国に遣す」と。
百済の卓淳(とくじゅん)は慶尚北道大邱の古名。
斯摩宿祢の使が百済王の肖古王(百済十三代、在位三四六〜三七五年)に献上する。
後漢帝は朝鮮楽浪郡の南に帯方郡置く。

939 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:21:38.80 ID:VuJpBdMj0.net
古代氏族系譜集成・坂上氏系図に「後漢帝―石秋王延(封東呉石秋県、至帯方郡)―マ(帯方大守。弟楯は百済上柱国)―ム(帯方大守)―f(沂州司馬)―阿智使主照(応神天皇二十年投化、居大和国高市郡桧前村)。
鞍作村主等従ひ来る」と。
呉、司馬は百済国の内なり。クレ条参照。
坂上族は東漢直(やまとのあやのあたえ)、或は桧前忌寸(ひのくまのいみき)と総称され、同族百済人蘇我氏に軍事をもって臣従した。アヤ条参照。
扶桑略記・継体天皇六年に「大唐漢人案部村主司馬達止、此の年春二月入朝す」。
大唐(大加羅)の漢人(あやひと)は百済人、案部村主(くらづくりのすぐり)は鞍作の村長なり。

940 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:22:01.74 ID:NmSqfCNA0.net
>>936
次有奴國 此女王境界所盡

奴国は女王の境界のつきるところ。
奴国の比定地が北九州。

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/8a/6c/rokusho695/folder/616048/img_616048_15997567_0
上の各國の比定地は若干後のヤマトの朝廷の時代の支配域よりも九州が狭い(奴国まで)

941 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:34:39.97 ID:0+gAWVS00.net
>>940
756、当時の地図から見た熊襲は南の勢力圏とは言いがたいと思うんだよね。
複数の地図で当時は756みたいに書かれてる物が見つかってるし

942 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:36:01.10 ID:0+gAWVS00.net
ごめん。あんかミス
>>758

943 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:40:47.26 ID:djVuPcng0.net
邪馬台国は倭国一周して最後なので
ナ国の隣の九州ですわ

944 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:41:29.15 ID:hwC49jvrO.net
イワイの反乱のイワイってクマソの流れをくんでるじゃ無かったか?だとするとクマソは九州だろう

945 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:45:32.42 ID:hwC49jvrO.net
>>1が本当に卑弥呼の墓だったらスゴいな。卑弥呼とは実は歴史上影響力のあった誰かなんだよ。神社、仏閣に祀られて当然のレベルの女性の有力者。その誰かが卑弥呼だ。もちろん、初めて知る様な人では無い。おそらくみんな知ってるだろう

946 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:45:57.51 ID:0+gAWVS00.net
自分はこの説を押すわ。

本当の邪馬台国 四国山上説 その1 1/3 https://www.youtube.com/watch?v=lWJRbf_jaWU

947 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 16:49:20.59 ID:Oc5tnjDS0.net
昔の日向は今の鹿児島宮崎を指した
宮内庁は鹿児島が天皇家の祖先の地と認めている
記紀でも神武天皇の大伯父の海彦が隼人の祖先と書いている
隼人は五島列島辺りまで交流があったらしい
宮崎の弱点は海に関する出土品の少なさ
神武天皇は3/4鮫の血が流れているからな

948 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 17:04:43.45 ID:IdfdeIVs0.net
>>774 >>883
日本人のルーツ倭韓(わかん)
http://www.amazon.co.jp/dp/4990654412/

949 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 17:32:07.98 ID:dcsViZ610.net
なんか家畜人ヤプーのアマテラスはタイムスリップした未来人って話に近い妄想を真顔で語ってる奴多過ぎw

950 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 17:34:23.58 ID:ZHR8QBr30.net
>>930
じゃあなんで金印が福岡にあんの?

951 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 17:34:30.59 ID:8bNNtfKzO.net
>>734 当時、の発音では
ひゅうが

952 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 17:40:09.30 ID:1yP2WunA0.net
邪馬台国がどこかなんて永遠に分からん。

それよりも、ヤマト王朝がずっと存在したってだけでいいじゃねえか

953 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 17:46:31.83 ID:1yP2WunA0.net
東征説は今じゃどの学者も言わん

954 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 17:55:28.34 ID:It8in8fg0.net
銅剣の分布が、ほぼ東征の痕跡

955 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 18:02:58.76 ID:LwnQH/Hj0.net
邪馬台国は大和国に決まってんじゃん。

でも箸墓古墳は卑弥呼じゃねーだろ。

陳寿は神功皇后と天照大神を重ねて卑弥呼ってしてる。

だから箸墓古墳は神功皇后と天照大神の古墳じゃない。

956 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 18:04:20.15 ID:hRw6S1aw0.net
箸墓息してる?

957 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 18:04:27.65 ID:It8in8fg0.net
銅矛(北九州で出土)=ザク
銅剣(中国地方で出土)=ドム
鉄剣(近畿地方で出土、錆びやすい)=ゲルググ

958 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 18:06:39.87 ID:LwnQH/Hj0.net
誰も大田田根子の話ししないんだな。驚いた。

959 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 18:08:42.15 ID:Vq2u1auJ0.net
邪馬台国はもうオワコン

960 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 18:09:46.02 ID:e951IeKO0.net
卑弥呼は数百年生きた

961 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 18:18:28.12 ID:It8in8fg0.net
桃太郎も吉備に住み着いた百済出身の豪族・温羅を
崇神天皇が退治したというのが起源という説があるようだ

962 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 18:22:56.16 ID:It8in8fg0.net
桃太郎は、神武(崇神天皇)東征のエピソードの一つなのかもなあ

963 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 18:30:03.34 ID:djVuPcng0.net
邪馬台国は九州王家の家系っぽい
中国と交易できたので瀬戸内海沿岸と大阪支配したので
九州王とかかわりあって
大阪は倭国の一部で遺跡はその名残
古代難波宮は滅んだがパクッた王朝が明日香宮で
継体天皇から別らしい

964 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 18:30:09.05 ID:9Rv4dvID0.net
>>962
お前みたいな外野のトンデモさんが喜びそうなネタだわな・・・

965 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 18:42:30.99 ID:LwnQH/Hj0.net
>>963
まず、倭国と邪馬台国を別けてほしいな。

966 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 18:51:06.92 ID:NmSqfCNA0.net
>>950
福岡でいいじゃん。

倭人伝に乗ってるところから出てきたんだから。

967 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 18:54:09.45 ID:djVuPcng0.net
奈良のヤマト自体魏志倭人伝のヤマトのパクリ
だと思うのが自然
大和もヤマトと当て字で読ませた

968 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 18:55:49.55 ID:NmSqfCNA0.net
>>965
同一。

ヤマト。

969 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 18:58:03.26 ID:8SpoXPkd0.net
熊襲とよばれたのが邪馬台国だよ
大和政権が九州まで来て滅ぼしたから卑弥呼も壹與も倭の五王も歴史から抹殺されてるけどね

970 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 19:02:20.11 ID:djVuPcng0.net
なので奈良に都作るとき
邪馬台国の場所わからなかったので卑弥呼の痕跡
日本書紀にも残せるはずは無かった
奈良の地名が和歌集の語感で奈良時代あたりの地名

971 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 19:04:52.44 ID:NmSqfCNA0.net
>>969
>>970

妄想

972 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 19:05:15.45 ID:VuJpBdMj0.net
>>961
崇神天皇の四道将軍の吉備津彦と丹波道主が新羅王子の天日槍を退治して、百済渡来の温羅とした。
とっ・・出石神社元司祭の神床氏が言ってますね。
同時期に
崇神天皇の四道将軍の丹波道主と武渟川別が、杵築大社司祭の神門振根の司祭たる証の宝剣、神度剣を弟を唆して、騙し取り、弟を処罰した兄の振根を討伐している。

973 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 19:05:28.66 ID:xsRxNaBP0.net
考古学の時代だし、合ってるかどうか分かんない魏志倭人伝の解釈とかどうでもいいだよなあ・・・

974 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 19:47:18.34 ID:lmpyKE8X0.net
土佐の奥 物部には 極初期の神道がそのまま伝承されているが
イザナギイザナミの頃からのものらしいが また物部は阿波に極近い
そして山深いにも程があるところだが これは皆の者 どう解釈する?

975 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 19:51:09.43 ID:k176HDNh0.net
大内義興のことを日本国王って思っちゃうくらいだし。

中国側の視点なんて、誤りがあって当然。

976 :ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @\(^o^)/:2014/11/12(水) 19:54:58.47 ID:GQ0s1Y//0.net
>>905
平和なら鋳直して別のものにするだろ
再起のために隠したんじゃね?

977 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 19:57:51.76 ID:k176HDNh0.net
>>968
魏史倭人伝(三世紀後半)の頃の邪馬台国はどこだか?って話しでしょ?

倭国は総称だろ

978 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 19:58:09.81 ID:lmpyKE8X0.net
追加 物部近辺では曽我部姓がやたら多い

979 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:01:02.52 ID:k176HDNh0.net
>>978
物部氏が祖の国造の近辺にはミワ氏が多いのと似たような感じだな。

980 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:03:38.12 ID:o5hvWN4b0.net
当時の人々もやっぱり卑弥呼に巫女萌えしてたの?

981 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:10:46.74 ID:4DYh8lZg0.net
卑弥呼は青き衣をまといて金色の野に降り立ったらしいよ
子供たちからは卑弥姉さまと慕われたらしいよ

982 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:27:12.44 ID:hwC49jvrO.net
卑弥呼の亡骸の近くには一緒に埋められた奴隷達の骨が沢山ある筈だ

983 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:27:27.97 ID:It8in8fg0.net
倭国というのは、倭人が住む国という意味で
アラブとアラブ人みたいなもんだわな

ヤマタイの失礼な当て字が邪馬台で、後にヤマトとなる感じだろう
奈良盆地が宇陀から倭国となったのは、東征の後のこと。

984 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:31:13.73 ID:hwC49jvrO.net
倭の別種って書かれてる部分がある

985 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:37:55.71 ID:FIXH8pK0O.net
>倭国
>邪馬台
暗黒大陸シナによるディスカウントジャパンですね。
分かります。
世界の中心は自分たち=中華思想のヘイトスピーチは古代からあったわけだ。

986 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:37:58.84 ID:It8in8fg0.net
倭→大倭→大和
読み方は「やまと」

987 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:43:34.43 ID:k176HDNh0.net
倭国の東は大漢国、大漢国の東は扶桑国

この場合の倭国は、九州らへんだろうな
この場合の大漢国は、太秦らへんだろうな
この場合の扶桑国は、東日本だろうな

魏書の邪馬台国は大和国だろうな

988 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:45:00.11 ID:hwC49jvrO.net
邪馬台国畿内説を考える人達は、やはり邪馬台国=大和朝廷 と考えてるのか?それとも邪馬台国はある一時期だけ畿内を抑えて繁栄したが、大和朝廷に敗北して滅亡したと考えてるのだろうか?

989 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:45:30.55 ID:k176HDNh0.net
魏史倭人伝(三世紀後半)の時代は、神功皇后と応神天皇の時世

990 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:46:28.31 ID:It8in8fg0.net
倭国と呼ばれた理由としては
「我が」の語源の「わ」が元になったという説もあるようだ。
「おれの国」だったら、日本の国号がオレだったのかもしれない。

991 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:46:56.61 ID:k176HDNh0.net
>>988
俺個人は、邪馬台国=大和朝廷です。

992 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:49:11.84 ID:hwC49jvrO.net
新井白石だったか本居とかは卑弥呼=神功皇后、としてるな。しかし、何故、あの大国であった魏と交流すら出来て親魏倭王の承諾を得た素晴らしい国である邪馬台国を記紀は大和朝廷と宣伝しなかったのか?

やはり、邪馬台国は朝廷とは無縁じゃないのか?

993 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:51:46.15 ID:hwC49jvrO.net
>>991
そうならば、記紀にも堂々と書いても良い気がするんだよなぁ。正統性を表せる貴重な記紀で何故、邪馬台国をスルーしたんだろうか?

994 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:53:12.14 ID:E25nzLkT0.net
九州なんてど田舎ににそんなもんあるわけがねぇ

995 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:53:23.01 ID:k176HDNh0.net
>>992
いちおう日本書紀には、おもわせぶりな書き方はしてる。

外人の書物なんて誤りが多かったから、ちんぷんかんぷんだったんだろ。
だから日本書紀の神功皇后の部分で、魏書の卑弥呼の部分を書いてる。

996 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:55:14.94 ID:o6Y8ao870.net
>>989 時代錯誤 3世紀に天皇なんていないぞ

997 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:55:17.53 ID:qKCiJQxm0.net
>>994
大昔は大陸に近いほど文明に近かった

998 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:56:27.66 ID:k176HDNh0.net
>>996
天皇の称号の呼び方が違うとか、ここで議論する意味あるのか?

999 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:57:57.15 ID:k176HDNh0.net
>>997
文明に近いから首都とは限らない。
大内氏は日本国王か?

日本ではそれは正しくない

1000 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:58:14.13 ID:It8in8fg0.net
>>994
当時は中国から近いので、むしろ都会

1001 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:59:07.76 ID:k176HDNh0.net
日本では九州は左遷の地

1002 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/12(水) 20:59:37.57 ID:hwC49jvrO.net
>>995
なるほどねぇ。なぜ思わせ振りなんだろうか?実は大和朝廷が邪馬台国を乗っ取ったとか?

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