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【朝日騒動】中国や韓国と一体化して、日本を貶めているだけの朝日、特派員は退職後「人民日報」の編集顧問についたり…門田隆将氏

1 :◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★:2014/10/10(金) 15:35:03.71 ID:???
★戦後ジャーナリズムの偽善を暴く〔2〕/門田隆将(ノンフィクション作家)
PHP Biz Online 衆知(Voice) 10月10日(金)12時51分配信

◆『人民日報』と連動した大キャンペーン◆

――『朝日』の報道でさまざまな問題が引き起こされたことが、最近とみに指摘されるようになっています。

門田 私は、恣意的な記事づくりという手法が大きな不幸をもたらした1つが「日中関係」だと思っています。
じつは私は昭和57年(1982)から毎年、中国に行っていましたが、中国の人は基本的に人がよくて優しく、
そのころ、嫌な思いをすることは少なかった。ところが、昭和60年(1985)を境にして、大きく変わってくるのです。

このとき、中曽根首相が「戦後政治の総決算」をスローガンに、さまざまな政策を打ち出していました。
それを打倒しようとしていたのが『朝日新聞』です。そのための1つのツールが、靖国神社公式参拝の阻止でした。
昭和60年8月に『朝日』は「『靖国』問題 アジア諸国の目」と題して、アジア各地の人びとの靖国公式参拝に
対する見方を伝える特集記事を掲載しました。いうまでもありませんが、アジアの人びとはそもそも靖国参拝問題
など知らない。どうにかしてこれを問題化したかった『朝日』は、アジア各地にいる特派員に、その地の人びとが
どのような思いでこの問題を見ているかを記事として出させたわけです。だが、いくら読んでも『朝日』の問題意識
とはほとんど合っていない。当たり前です。関心がないわけですから。ただわかったのは、いかに『朝日』が
靖国参拝を阻止したいのか、ということでした。

しかし同月、ついに『人民日報』が動き、初めて靖国参拝で「日本の動きを注視している」と書くのです。
さらに8月14日に中国政府のスポークスマンが「中曽根首相の靖国参拝はアジアの隣人の感情を傷つける」と表明します。
私は「ああ、これはやってはいけないことをやったな」と、思いました。言論の自由が制限されている中国では、
共産党の機関紙である『人民日報』の影響は日本人の想像をはるかに超えています。

『朝日新聞』の特派員には、退職後、『人民日報』や『人民中国』の日本側代理店となったり、編集顧問に就いたり
した人がいます。これらのメディアと、それほど関係が深いのです。あの文革(文化大革命)のときも、
批判的に報じる日本メディアが次々と追放されるなかで、『朝日』は唯一、北京に特派員を置くことが許されるなど、
一貫して中国共産党と濃密な関係にありました。

だから、いくら中曽根政権打倒という自分たちの目的のためとはいえ、『人民日報』を動かすのはまずい、
と思ったわけです。 戦後、靖国神社には日本の総理大臣が60回以上参拝し、昭和53年(1978)にA級戦犯が
合祀されてから昭和59年(1984)までの6年間だけでも19回もしています。

それでも、靖国参拝は中国側に一度も問題視されたことはなかった。それがこの昭和60年に、中曽根政権の戦後政治の
総決算を阻止しようとする『朝日』の大キャンペーンと『人民日報』との連動によって一挙に国際問題になり、
靖国参拝が中国の外交カードになってしまったわけです。

――それまで中国共産党は「日本の軍国主義は悪かった。しかし現在の一般の日本人民と日本軍国主義は違う」という言い方をしてきましたね。

門田 そうです。しかし、靖国参拝を取り上げることによって「軍国主義」が「いま現在」のものになってしまいました。
さらにその後、江沢民政権が反日教育を進めたことで、決定的に対日感情が悪化し、いまでは日中関係は完全に破壊されています。
きっかけは、『朝日新聞』なのです。

私は『朝日新聞』によって日中関係が破壊される昭和60年以前の中国の人びとの姿を知っているので、
ますます何ともいえない感慨を覚えます。『朝日新聞』には、日中関係をそこまで破壊して嬉しいのか、と聞きたいですね。
>>2へ続く

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141010-00000003-voice-pol

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