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【歴史】バチカン、トルコで「キリストが十字架に磔にされたことを否定する」1500年前の聖書発見に懸念★2
- 179 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/07/20(日) 22:18:59.21 ID:6ZRhzTSe0.net
- 竹内文書
大和朝廷を起こしたのは大和族と呼ばれる一族である。
そして大和族のライバルとしては出雲族があり、両者はともにスメラ族だそうだ。
地球規模の大洪水発生。
スメラ族は日本から出発し、シュメールの地でシュメール文明の勃興の一翼を担い
その後メソポタミアに移り、多大な時間を要してまた、陸路と海路で遠路はるばる
日本にユーターンして戻ってきたというのだ。
そしてシュメールに渡った一族の内一部はユダヤイスラエルに入り、そのユダヤ族も
時は違えども前後して徐々にユーターンして日本へ帰ってきたとされる。
当初のシュメール人が姿を消したのは、紀元前2000年と言われている。
シュメールの最大の都の名は「スサ」と呼ばれ、その「スサ」の王をスサノオと呼んだ。
スサノオは政治軍事を司る王として君臨し、後にこの政治・軍事グループは出雲族となる。
一方で祭祀を司るものたちはスメラミコトと呼ばれ、スメラミコトの祭祀族は後に大和族となったとされる。
スメラミコト(後の大和族)たちは、シュメールから海路で日本に向かい、最後に九州の日向の高千穂に上陸した。
一方、スサノオ(後の出雲族に合流発展)のグループは陸路(後のシルクロード)で日本に向かい
朝鮮半島を経て大和族よりも早く北九州に上陸しした。
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