2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【政治】 首相主催の「桜を見る会」炎上、「菊を見る会」に飛び火必至

3 :擬古牛φ ★:2019/11/19(火) 07:43:31.81 ID:???
>>2の続き

 すなわち、英国社交界では、貴族令嬢が初めて国王の前に謁見する「デビュー」を演出する春と秋の
「英国式庭園園遊会」を模倣して始まったのが「観桜会」「観菊会」なのです。

 しかし、社交界のデビューといった風習がそもそも日本には存在しませんでした。

 そこで、このような場を設けて各界の要人を一か所に同時に集め、各国要人との対面調整の場をもち、
条約改正を筆頭に外交の積極展開に活用することとなります。

 その目的では年に2回では到底足りませんから、3年の期間をかけて
(当時は宮大工くらいしかいない日本国内で)洋風建築を苦労して模倣したのが「鹿鳴館」であったことなどは、前回も触れました。

 1880年代初頭から、1938年、日中戦争の激化に伴って休止するまで、「観桜会」も「観菊会」も、
英国王室をモデルに、天皇皇后が主催する外交社交の場であって、「日本国内の功労者向け、栄典相当の行事」などでは全くなかった。

 これが変質したのは、敗戦とそれに伴う行事の「分岐」が原因となっています。

■ 「園遊会」のセキュリティ

 日中戦争の激化によって1937年の秋に「観菊会」、翌38年春に「観桜会」が各々中止され、太平洋戦争、
原爆投下から終戦、敗戦後の占領期を経て、日本が主権を取り戻した1952年4月、国際社会への再デビューを念頭に、
首相主催の「桜を見る会」が再開したことにも、前回触れました。

 翌1953年、新憲法のもと「象徴」としての位置が安定化しつつあった皇室と、日本に滞在する在外公館員、
大使や大使夫人、そして「大使令嬢」などを含む「社交」の場として復活したのが「園遊会」です。

 当初は、春の「桜を見る会」と対になるものとして「秋の園遊会」として復活したものでした。

 「園遊会」と「桜を見る会」は、双子のような存在で、灰燼に帰した日本が戦後復興に向けて国際社会に復帰し、
そののち、昭和30年代の高度成長に至る足場を作った重要な外交行事となったわけです。

続く

総レス数 10
16 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★