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【政治】 首相主催の「桜を見る会」炎上、「菊を見る会」に飛び火必至

2 :擬古牛φ ★:2019/11/19(火) 07:43:01.50 ID:???
>>1の続き

 また、栄誉のある方々の名簿が個人情報として廃棄されるようなものではない。

 天皇・皇后、宮内庁の主催で開かれる「園遊会」同様、その招待は国家行事としての栄誉であって、
園遊会の場合は名簿は30年間保存されることになっている。

 どこの世界に「今年の文化勲章は個人情報保護の観点で、お名前は公表しません」という寝言があるでしょうか。

 いったいどこの「秋の叙勲」で、栄典を授与された人の名前を
「セキュリティの観点から、名前は伏せ字とさせていただく」という戯言が可能になるのでしょう。

 ただ単にあり得ない仕儀と分かりますが、こうした追及は他のメディアでも行うと思いますので、ここではこれ以上踏み込みません。

 例によって本コラムが専ら検討する、「桜を見る会」と「園遊会」さらに言えばもう一つ存在する、
現在は名義上、環境大臣主催となっている「菊を見る会」の3つについて、その本質と、あるべき方向性を示したいと思います。

■ 「菊を見る会」招待名簿を押さえよ

 この種の行事として、日本国は「桜を見る会」と並んで「菊を見る会」なる行事を同じ新宿御苑で開いています。

 これは名義上、環境大臣の主催となっており、今年については11月1日から15日にかけて開催、
セクシーでクールな環境大臣の名で案内状が送付されています。

 本コラムは永田町関係者も多数チェックしていると聞き及びますので、野党関係者には、
いま終わった直後の「菊を見る会」の名簿を「桜」との比較対照データとして押さえておくことを薦めます。

 菊の方にも後援会その他が混ざっているようなら大問題ですが、比較的健全な招待規模に留まっているとすれば、
「桜を見る会」を客観的、合理的に検討するうえで、適切な資料となるでしょう。

 そもそも、天皇皇后の「園遊会」と、いまおかしなことになっている「桜を見る会」とは、
双子の兄弟姉妹といっていい関係で生まれました。

 「園遊会」の原点は1880年=明治13年秋にスタートした「観菊会」つまり天皇主催の
「菊を見る会」(分かりやすいですね、菊の紋章が菊を見る会を主催したわけです)にあります。

 翌1881年の春、今度は「観桜会」つまり「桜を見る会」が開かれたのち、「外交行事」として慣例化します。

 いずれも、条約改正を念頭に、当時は太政官体制で「外務卿」であった井上馨の発案でスタートした、140年の歴史を持つ行事です。

 すなわち、西南戦争を辛くも乗り切った直後から、近代日本の歴史全体と同じ来歴をもつ行事にほかなりません。

 そもそも外交の歴史は近代日本の歴史そのものであって、68年の伝統などというのは、近代日本の足取りを半分以下に見積もる愚かな仕儀です。

 実に近視眼、短慮で、本質を見失っているとしか言いようがない。

 この制度は、長州藩士として生まれ、吉田松陰の松下村塾には学ばず、
執政・周布正之助の配慮で1863年に英国に密航留学することができた「井上聞多」が導入したものです。

 井上は、仲間だった高杉晋作、久坂玄瑞といった連中が軒並み落命するなか維新後まで命脈を保ち、
英国と幕藩体制日本の絶壁のような落差を認識、井の中の蛙の攘夷論から一変して開国派に傾きます。

 岩倉視察団の時期は留守居政府、逆に西南戦争の時期は欧米留学で難を避け、大久保、木戸の両巨頭の死で帰国後、
外務卿となって、「イギリス社交界伝統」を日本へ焼き直して導入したものにほかなりません。

続く

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