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ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ7

69 :132人目の素数さん:2024/05/14(火) 11:17:32.28 ID:MaRtchDo.net
>>54
>記者たちに言われた悪口を聞いてから
>韓国が好きになるまで40年というのは
>ある意味痛々しい

ほう? 実は、まだ記事は読んでないのです ;p)
今度の休日に図書館で、読んでみます

ところで、李昌鎬(イ・チャンホ)が 日本での修行経験なしで
世界戦で勝ちまくり、当時の韓国の英雄になりましたね

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%98%8C%E9%8E%AC
李昌鎬(イ・チャンホ、이창호、1975年7月29日 - )は、韓国の囲碁棋士。全羅北道全州市出身、韓国棋院所属、?゙薫鉉門下、九段。

わずか16歳で世界戦優勝。その後世界歴代1位の世界棋戦優勝21回、国内棋戦優勝140回を数え、1990年代から2000年代の世界最強棋士と称される。プロ囲碁全体の歴史でも呉清源などと共に歴代最高の棋士とよく言及される。

1983年 ?゙薫鉉と出会う。3子の指導対局をしたのち、1984年夏に内弟子入りする。当時はまだ韓国に内弟子慣習が無く、しかも引退間近ではなく全盛期のトップ棋士が内弟子をとるのは異例のことだった[4]。また、韓国棋院の研究生となり5級に登録される。

1992年1月27日、第3期東洋証券杯世界選手権戦で林海峰を退け、最年少世界タイトル獲得(15歳6ヵ月)の記録を打ち立てる。この模様は韓国放送公社(KBSテレビ)で全国放送されるほどの関心を集め、韓国にこども囲碁教室の新設ブームを起こした。[9] 

1993年東洋証券杯で趙治勲に3-0で勝利し連覇。1994年2月第2回真露杯で韓国の優勝に貢献。ここから韓国勢が世界戦を制覇していく時代の始まりとなる[10]。

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