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ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ7

1 :132人目の素数さん:2024/05/12(日) 23:49:41.59 ID:qeZkOp9E.net
このスレは、ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレです
関連は、だいたい何でもありです(現代ガロア理論&乗数イデアル関連他文学論・囲碁将棋まであります)

前スレ
ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ6
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1704672583/

資料としては、まずはこれ
https://sites.google.com/site/galois1811to1832/
ガロアの第一論文を読む
渡部 一己 著 (2018.1.28)
PDF
https://sites.google.com/site/galois1811to1832/galois-1.pdf?attredirects=0

<乗数イデアル関連>
ガロア第一論文及びその関連の資料スレ
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1615510393/785 以降ご参照
https://en.wikipedia.org/wiki/Multiplier_ideal Multiplier ideal
https://mathoverflow.net/questions/142937/motivation-for-multiplier-ideal-sheaves motivation for multiplier ideal sheaves asked Sep 23, 2013 Koushik

<層について>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%A4_(%E6%95%B0%E5%AD%A6)
層 (数学)
https://en.wikipedia.org/wiki/Sheaf_(mathematics)
Sheaf (mathematics)
https://fr.wikipedia.org/wiki/Faisceau_(math%C3%A9matiques)
Faisceau (mathématiques)

あと、テンプレ順次

つづく

298 :132人目の素数さん:2024/05/18(土) 20:59:39.77 ID:ZZ6TAsQZ.net
>>192 戻る
>>”プロ数学者養成をどうするか?”
>好き勝手をさせてくれたので数学者になれた。
>好き勝手にしてもらったので数学者に育ってくれた

・小沢登高先生、”キン肉マン 火事場のクソ力”
・”指導教官の河東泰之と泉正己の手に負えなくなったので、テキサスA&M大学に送りこまれた形”
・テキサスに行くと、指導教官のPisier氏はパリへ行ってしまって一人ぼっち
・そこからが、常人とは違う ;p)
 火事場のクソ力で、学士取得後3年で博士課程を修了したという
(なんか下記では 東大修士と博士、テキサスA&MのPh.D全部をたった3年で?と読める)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E4%BA%8B%E5%A0%B4%E3%81%AE%E3%82%AF%E3%82%BD%E5%8A%9B
キン肉マン 火事場のクソ力
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%BE%A4%E7%99%BB%E9%AB%98
小澤 登高(おざわ なるたか、1974年[1] - )
人物
大学院で作用素環論とバナッハ空間論の境界分野である作用素空間論を勉強していたが、指導教官の河東泰之と泉正己の手に負えなくなったので、テキサスA&M大学に送りこまれた形になった[5]。河東は、書類上は東京大学大学院数理科学研究科で指導教官だったが何も教えてはおらず、逆に小澤に多くのことを教わったという[6]。
1999年に東京大学大学院数理科学研究科修士課程を修了、その1年後には同研究科の博士課程を修了する。またさらに1年後には、テキサスA&M大学でPh.Dを取得している。学士取得後3年で博士課程を修了した
https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~narutaka/jndex.html
小沢 登高
https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~narutaka/rireki.html
履歴書(非公式版)
横浜市磯子区に生まれる。 1998年にテキサスに留学するまで、 同地にて育つ。
1993年3月 栄光学園卒業
毎日、何をすることもなく雲を見てすごした。 良いところだった。 高校に上がった頃から昼寝をする癖がついた。
1993年4月 東京大学理科一類入学
学部時代は一貫してTVゲームとバイトに多忙。
1995年4月 同理学部数学科進学
高校時代に科学雑誌を通して理論物理に興味を覚えたが、 現代数学については完全に無知。 そんなわけで大学入学時は理物に進もうと思っていたが、 線形代数が面白かったので数学に進むことになった。 実は微分方程式が嫌いであるという理由も大きい

つづく

299 :132人目の素数さん:2024/05/18(土) 21:00:06.43 ID:ZZ6TAsQZ.net
つづき

当時、3年生向けの講義は一日一科目で午前午後を通して行われたが、 昼寝癖のせいで後ろ半分はほとんど聞き逃した。 おかげで、知識は穴だらけであった。 冬になり大学院とび入学試験があるというので、 とりあえず受けてはみたが、失敗。 口頭試問の場で、自分がいくつかの基本的なこと (例えばルベーグ単調収束定理)をまったく知らない という事実に気付かされた。
函数解析の勉強を続けたかったので、 大学院の進路希望には作用素論か作用素環論と書いた。 実は微分方程式が嫌いであるという理由も大きい。 口頭試問のとき、東大には作用素論は無いんですよ、 と言われたので作用素環論を選択。 このときに至っても作用素環についてはConwayの教科書で 読んだこと程度しか知らなかった。 4年後期のセミナーでStratila-Zsidoの教科書を読んだ。 修士1年の前期で終わった。
1997年4月 東京大学大学院数理科学研究科修士課程入学
河東先生と泉先生の指導の下、作用素環を学んだ。 ひょんなことからマイナー分野であった作用素空間論の勉強を始める。
この年の秋に河東先生に薦められて、 作用素空間論の専門家であるテキサス農工大学(以下、TAMU)のPisierのもとに 留学することを決意。

1998年7月1日 Texas到着
TAMUでの待遇は、奨学金が毎月1200ドルで初めの一年間は仕事なし、 というものだった。 授業料は州民向け割引を受けた。 7月中旬のワークショップでPisierに会ったが、 彼は8月になるとなぜかParisへ帰って行ってしまった。
驚いて彼から以前もらった電子メイルたちを調べたところ、 秋はParisにいるから私の面倒は見られないとハッキリ書いてあった。 英語で書いてあったので、それまで読まなかったのだ。 それから五ヶ月間ほとんどまったく他人と話さなかった。 たった一人になったおかげで、死にもの狂いの努力ができた。 修士論文も書けた。 Texasに来るときはPisierに何か課題を与えてもらおうとか進路を 指導してもらおうとか考えていたのだが、 今になって振り返れば、そうならなくて本当に良かった。 一年間住んだアパートはむやみにでかかった。 自家用車も公共交通もなく、人とも付き合わなかったので、 生活にはいろいろ不便した。 特に空港まで行くのには難渋した。

1998年年末に学振採用の報告を受ける。 河東先生の助力のおかげである。 具体的には推薦状をいただいた
1999年4月 東京大学大学院数理科学研究科博士課程進学
博士課程に進学するもTexasにいたので別段、環境に変化無し。
フランス留学のためのビザを申請するが却下される。 研究所に行くというのに私が博士号を持っていないことが問題とされた(らしい)。
Poincare研究所の後、 MSRIの通年研究集会"Operator algebras 2000-2001"に行くことにした。 そんなわけで、TAMUのPh.D.は諦めるつもりだったが、 多く人の努力のおかげでなんとかなることになった。 感謝。
(引用終り)
以上

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