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ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ7

284 :132人目の素数さん:2024/05/18(土) 10:23:24.62 ID:ZZ6TAsQZ.net
>>192 戻る
>>”プロ数学者養成をどうするか?”
>好き勝手をさせてくれたので数学者になれた。
>好き勝手にしてもらったので数学者に育ってくれた

・小平先生の場合、下記
・”出会い”がキモですかね。ワイル、スペンサー
(ある人の場合は、中野&竹腰)
・∂-(ディーバー)作用素に関するsusumukuni氏の解説もありますね。なるほど
(秋月・中野両先生により考案されたこの方法で消滅定理を証明するのが、今日では標準的なものと認識されている・・)

(参考)
https://www.iwanami.co.jp/book/b265484.html
小平邦彦が拓いた数学 上野健爾著 2015 岩波
https://www.iwanami.co.jp/files/tachiyomi/pdfs/0063160.pdf
試し読み 序 小平数学の概要 第1章 ワイルとの出会い ...

小平の調和積分の研究の概要は第二次世界大戦中に[K12]として発表され,証明のついた論文は戦後[K17]として発表された.この論文ではヘルマン・ワイルの『リーマン面の概念』に倣って一般のコンパクトリーマン多様体上での微分型式に対する調和積分論が展開されている.ド・ラーム(Georges de Rham)はコンパクト可微分多様体のコホモロジーは微分型式を使って表すことができることを示した.その後ホッジ(WilliamHodge)は各コホモロジー類の中で調和函数を一般化した調和型式と呼ばれる微分型式が唯一通りに存在することを示し,その事実を使って代数多様体*1のコホモロジーが注目すべき性質をもつことを示した.ホッジの調和型式の存在定理はヒルベルト(David Hilbert)の積分方程式論([H2])を使ったものであったが,証明が不完全であった.ホッジは著書[Hod1]を出版する前に論文として結果の一部を発表していた.これらの論文は小平は読むことができたが,著書[Hod1] は戦争のために論文[K17]を準備する段階では目にすることはできなかった.小平は積分方程式の代わりにワイル([Wey6])によって開発されたヒルベルト空間の直交射影の方法を適用することによって調和型式の存在を証明した.ワイルはユークリッド空間でしか直交射影の方法を証明していなかったので,リーマン多様体の場合に適用するためには新しいアイディアが必要とされた.さらに論文[K17]ではワイル([Wey3])に倣って特異性をもつ調和型式の存在も論じている.
閉リーマン面の場合は特異性は点でよかったが,次元があがると特異性をもつ集合は大域的になって議論は格段に難しくなる.小平は特別な場合に問題を解くに留まった.
論文[K17], [K18] はワイルの注目を浴び,彼によって,1949年に小平はプリンストン(Princeton)の高等研究所に招かれた.

小平はさらに3次元多様体の場合([K24]),一般のケーラー多様体の場合([K26])にリーマン・ロッホの定理の特別な場合を証明した.また,イタリア学派によって導入された算術種数(arithmetic genus)の理論にも新しい風を吹き込んだが([K27], [K30]),一方では調和積分論の限界も見え始めていた.コンパクトケーラー多様体のリーマン・ロッホの定理は層のコホモロジー群を使うことによって明確に定式化できることをセール(Jean-Pierre Serre)が指摘し,代数多様体のリーマン・ロッホの定理はプリンストン高等研究所にやってきた若いドイツ人ヒルツェブルッフ(Friedrich Hirzebruch)によって思いもかけないトポロジーの手法を用いて証明された.
つづく

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