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--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻

706 :宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk :2020/05/02(土) 04:18:00 ID:ugU/ydKn.net
>闇雲に無批判的に、「人を殺せ」というススメにしか見えません。

 もし、このように『ギーター』を「殺人を奨める聖典だ」などとインドで公言していたら、たぶん大衆から投石され唾を吐きかけられ
るでしょう。これはすでに解説した通りであって、カルマ・ヨーガについて、そして、一元論的非行為の道ジュニャーナと行為の道ヨーガとの
関係について教えるものです。それは戦争に臆する青年を題材にした寓話であって、話をより分かりやすくするために敢えて極端な設定
をしたもの。もちろん、決して戦争を推奨するものでも殺人を説くものでもありません。

 しかしながら、あくまでも私個人の見解として述べさせてもらいますが、これは実際上の話においてもこのクリシュナからの教えとい
うは大きく効力を発揮するものです。
 例えば明日、死刑を執り行うことになっている執行担当者(実際にボタンを押す人間)が明日を想い心を患っていた場合、この教えは確
実にその人の心の葛藤と苦悩の軽減へと大きく繋がるものです。執行人がこの時にできることとは、ただ単に無執着に淡々と任務を遂行
することであり、そして、唯一できることが死刑によって亡くなる方が罪を悔い改め、死後には少しでも安穏で良き来世へと生まれるこ
とができるようにお祈りすることです。
 死刑というのは、死刑執行を担当する特殊任務に就いている人間のみならず、死刑制度を支持する国民すべてにその責任と罪過がある
のであって、特定の執行人個人だけの責任などではない。この私は死刑反対論者ですが、それでも明日、執行しなければならないとして
苦悩する担当者に向かって、「死刑は殺人に他ならず、殺人は最も大きな罪悪だ。そんなことをしたらおまえは地獄に堕ちるぞ。これは
ブッダが説いたことであり、そして、絶対的な真理なのだ!!」などと、その人間に説き聞かせることがその人の心の苦悩の救済になると
は決して思わない。なるわけがない。

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