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--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻

490 :宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk :2020/04/05(日) 11:23:30 ID:zWwbqjoP.net
>>473
>そういう人でも、愛や友情、喜び悲しみ等が無い、とまで言い切る人は少ないだろう。
>「唯○○論」と一口に言っても、その範囲は結構広い。

違います!
その意味とは、「愛や友情は物質とはいわないだろう?」ということではなくて、
このスレ上でこの私が使う際の「唯物論」の定義は完全に一つのものとして常に定まっていますよ!
要するに、人間というものは「肉体死の後には故人の意識のようなものは何も残っていない(継続しない)」という考え方のこと。
いわゆる死後の世界であるとか、死者の霊存在であるとか、地獄や極楽天国、
そして、前世来世/生まれ変わり転生現象...というものの完全否定のことです。
仏教では、これを「断滅論」(最低のものの考え方)と呼ぶのです。
唯物主義では、愛や友情、喜び悲しみ等についても、それらは脳神経科学ですべて説明が付くものと見なします。
脳神経科学においては、ある種の心霊超常現象ですらも脳内反応でそれらを見ているだけとします。
要するに、脳内科学物質による電気的科学反応とするので、当然、肉体が死によって無くなればそれでお終いです。
無知な彼らは、その科学論では説明のつかない事案については無視を決め付ける。

そしてまた、唯物論というものは宗教を(真実のものとしては)認めないということ。
何故ならば、「宗教」(仏教も宗教です)とは『神または何らかの超越的絶対者あるいは神聖なものに関する信仰・行事』(広辞苑)のことなので、
唯物論では、それらの神や超越的な絶対者などは存在しないとみなすものだからです。

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