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--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻

487 :宝珠真範@迦楼羅 :2020/04/05(日) 11:19:43.66 ID:zWwbqjoP.net
>>447
>(即ちアートマン)は、
>有為なるものであり、>現象界における一切(一切法) の中にあるもの
>となるが?

いや.全然そうとはなりませんよ。
「有為」が涅槃を覚知できるわけがないでしょうが!!!
いちいち言われなくても“アートマンは無為”に決まってるわ。

事例...
 『〔それは〕全体であり、一切に遍満し、寂静であり、汚れなく、虚空のように安定し、
部分をもたず、行為をもたず、一切であり、常住であり、二元対立を越えている、〔と知るべきである〕。』
(シャンカラ著『ウパデーシャ・サーハスリー』T,15.37)
 『変化せず、清浄であり、悪を離れたブラフマンである私に、
精神統一していない状態や他の浄化されるべきものがあるのを、決して、私は見ることがない。』
(『同著』T,14.35)

アートマン(であり、かつブラフマン)の持つ基本属性とは、
“不生不滅にして永劫恒常”、“完全なる清浄性”と“完全なる善意識”、
そして、当然ながら“非物質性”であるということ。

一体、仏教の説く涅槃と何がどう違う??
唯一の違いとしてはだ、それは覚知される境地と覚知する主体との差でしかない。
しかし、それは当然、覚知する主体がなければ(涅槃を)覚知できるわけがないのであり、
また、涅槃に達しなければ、当然、涅槃を覚知するわけもないこと。
ただ、それだけのことだ!!!

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