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--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻

449 :神も仏も名無しさん:2020/04/03(金) 09:37:23 ID:FeBMwfbl.net
小部ウダーナ バーヒヤ経


「それならば、バーヒヤよ、この世において、次のようなことが学ばれねばならない。
見られたものにおいて、見られただけのものがあるだろう。
聞かれたものにおいて、聞かれただけのものがあるだろう。
考えられたものにおいて、考えられただけのものがあるだろう。
識別されたものにおいて、識別されただけのものがあるだろう。

実に、バーヒヤよ。おまえはこのように学ばなければならない。
見られたものにおいて、見られただけのものがあるだろう。聞かれたものにおいて、聞かれただけのものがあるだろう。考えられたものにおいて、考えられただけのものがあるだろう。
識別されたものにおいて、識別されただけのものがあるだろう。
 バーヒヤよ、それ故に、おまえはそこにいない、なぜなら、バーヒヤよ、おまえは、まさにここにいないのだから。
それだから、バーヒヤよ、おまえは、この世にも、他の世にも、両者の中間にもいないのだから、これこそ、苦の終わりである」
http://manikana.la.coocan.jp/canon/bahiya.html


諸法実相(あらゆる事物・現象がそのまま真実の姿であるということ。)こそが苦の滅であり涅槃である、ということじゃないですかね。

ちなみに私達は五蘊や六根に自我、先入観、潜在意識(末那識や阿頼耶識など)の覆いがあるために諸法実相を知見できません。
その覆いを外すことができたら苦の終わりとされます。
そして、そのようにしなさいとブッダはバーヒヤに説いたのがこの経と思われます。

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