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--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻

419 :神も仏も名無しさん:2020/04/01(水) 23:29:49 ID:LBtRxxUj.net
<有部のニルヴァーナ論>

 仏教者のめざすニルヴァーナ(涅槃)とは、いったいどのような状態なのであるか。
 『中論』の第二五章(ニルヴァーナの考察)において、ニルヴァーナが論ぜられているが、その第四、五、六詩は、ニルヴァーナを有とみなす説一切有部の説を排撃している。
 すでの論争の書であるセイロンの上座部の『論事』においても、有部は「ニルヴァーナは有り」といい、ニルヴァーナという実体を認めていたと理解されている。
有部によればニルヴァーナとは独立な別の実体であり(『俱舎論』ヤショーミトラ註、二一九ページ)、「滅を本質とするもの」(『プラサンナパダー』五二五ページ)であるという。
それは五蘊とは別に実在するものであり(俱舎論』ヤショーミトラ註、二一八、二一九ページ)、
「煩悩と業と苦しみとの連続のはたらくことを決定的に妨げるところの、滅を本質としてるものであり、水の流れを妨げる堰に相当するものである」(『プラサンナパダー』五二五ページ)
と考えられている。
故にニルヴァーナとはたんなる渇愛の滅尽をいうのではなくて、そのニルヴァーナという独立なダルマがあるときに、渇愛の滅尽が可能なのであるとする(同書五二五ページ)。
 これははなはだ奇妙な説に思われるかもしれないが、全く理解できないことではない。
人がいくら修行してもニルヴァーナの境地に到達しないことを思うと、ニルヴァーナという実体が別にあって、その実体がニルヴァーナへの到達を可能ならしめると考えたのも、理由のないことではないであろう。
(説一切有部の教学によると、智慧のはたらきによる滅〔択滅無為〕という独立の実体がニルヴァーナを可能ならしめるのである)。


中村元『龍樹』

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