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--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻

417 :神も仏も名無しさん:2020/04/01(水) 16:45:05 ID:thy7cYIk.net
中論は言葉を使って書かれている以上は世俗諦での記述。
もし勝義諦なら言葉はつかえないはず、龍樹の場合はですね。

空の思想 6.龍樹(ナーガールジュナ)(3)空と言葉
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1214406&id=9530364

そもそも部派仏教アビダンマ哲学の時から三蔵の中でも論蔵は勝義諦での記述を多用し勝ち。
もちろん、その勝義諦とは法有として残る法の部分を実在としているもので龍樹の勝義とは違いますし、だから言葉で表現したものも勝義になるのですが。

龍樹の勝義諦は言葉(概念、五蘊など部派仏教で法とされてのも概念(法空))を超えるという教理が、
禅の教外別伝・不立文字に繋がったのかは存じませんがw

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