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--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻

351 :宝珠真範@代行依頼:2020/03/24(火) 11:12:10.45 ID:7pX1urTr.net
>>347
>現実には永遠なる自己はありませんし

そんな単純に語られても困る...。
もちろん肉体と脳神経活動ならば、当然、肉体死と共に断滅するに決まってる。
けれども、個人によっては情緒意識が死後をも残存していることについては、「餓鬼」(カーマ・ローカやブータ)存在として知られ、
これが目撃された際には一般的には心霊存在と呼ばれるものとなる。
また、繰り返される再生誕の核コアとしては輪廻主体の「識」がある。これが魂(ジーヴァ)ということになる。
そして、究極の涅槃(永遠の境地)においては当然、そのことを覚知している自己があることになる。
本当に、完全に解脱して完成したかどうかは他人から教えられなくても自分でそれとわかる。
でなければ、プッダが『わたしは自己に帰依することをなし遂げた』(DN,16-南伝大涅槃経13,51)などという筈がないでしょうが!
当り前の話ながら、“悟り”(最終解脱/涅槃)とは内的な自覚(自分自身の気付き)のことであって、
それ以外の何ものでもないから。

>>348
>勝義諦としては「私」などというものはなく、ただ無我(アナッター)であるのみです。

それは、より真実に近い言い方をするならば、“個としての分離意識の消滅”のこと。
あなた方(伝統仏教)の勘違いである「涅槃では如何なる自己も無い」だの、
「アートマンは無い」などという教えはブッダは一度も説かれなかった。
もしも、“涅槃は無我である”というブッダからの言葉があるのならばココに出してみなさい!
そんな経文は絶対にないから!!

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