2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻

316 :神も仏も名無しさん:2020/03/19(木) 00:08:55.10 ID:M5VpUbQn.net
>>315続き

「中論」第一五章 <それ自体>(自性)の考察

七 カーティヤーヤナに教える【経】において、「有り」と「無し」という両者が、有に無とを説き給う尊師によって論破せられた。

八 もしも本性上、或るものが有であるならば、そのものが無はありえないであろう。何となれば、本性の変化することはけっして成立しえないからである。

九 【物の】本性が無であるとき何物の変化することがあろうか。また本性が有なるとき何物の変化することがありえるであろうか。

一〇 <有り>というのは常住に執著する偏見であり、<無し>というのは断滅を執する偏見である。故に賢者は<有りということ>と<無しということ>に執着してはならない。

一一 <その本性上存在するものは、無いのではない>というのは常住を執する偏見である。<以前には存在したが、今は無し>というのは断滅を執する偏見となるであろう。
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1214406&id=9529952

龍樹もブッダも説いてることは一切は縁起であり、故に有無を断定しないということで合っています。

総レス数 748
599 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200