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--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻

303 :神も仏も名無しさん:2020/03/17(火) 21:05:54 ID:XTYY61C/.net
問16-79 「私」は概念です。「願望」は概念です。
ジャーナ、天神、梵天神、悪道及びその他のすべての世間と出世間の事柄は全部概念です。
生死輪廻の中では、概念が概念を追い求めているだけです。
涅槃も概念ですか?もし違うのであれば、「私」と言う概念は、概念に属さない涅槃をどのようにして証悟するのでしょうか?

「我」という概念は、どのようにして、般涅槃の時に非概念法を証悟する事ができるのでしょうか?
概念の視点から言うと、諸仏と阿羅漢たちは涅槃の中で会っていて、かつ、彼らの間では、生死輪廻の期間における関係を知っているという事はありますか?
彼らは涅槃で何をしているのでしょうか?

答16-79 あなたは概念と究竟法の区別をつけて下さい。人類、天神及び梵天神はすべて概念です。
というのも、究竟の視点から見ると、彼らは究竟名色法に過ぎないからです。

究竟法には四つあります。すなわち、色法、心、心所及び涅槃です。
願望及びジャーナはすべて心と心所に過ぎず、概念ではありません。
世間法は究竟法と概念法を含んでいますが、四道、四果と涅槃という九種類の出世間法はすべて究竟法です。
四道と四果は心と心所からできています。涅槃を対象に取るのはそれらであり、人という概念法ではありません。

般涅槃の時、諸仏と阿羅漢たちの五蘊は、すでに完全に滅尽します。故に、彼らは涅槃の中で会う事はできません。


パオ・セヤドー問答集~#353~#366問答(16)問16-73-16-86<証悟涅槃編>14編。

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