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--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻
- 199 :宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk :2020/02/08(土) 04:06:50 ID:qptK7YMy.net
- スマ長老がとても良いことを述べていたので、ここに紹介しておきます。
この部分の長老の言葉ならばこの私も同意します。
この、“涅槃とは一切を超越した状態であり、涅槃を「空」ということはできない”ということです。
『それでは、一般の人々は困るので、「最高な幸福、最高な安らぎ、不死なる境地、一切の苦しみの終焉」などの言葉も使っています。それでも、理解
できるとは思えないのです。涅槃とは、一切の次元を超越した状態です。ある、存在する、という理解できる範囲を超越しています。それ以上、目指す
べきところはありません。
我々は、有の世界にいるのです。有・有るということは、因縁によって現れた、変化生滅していく、一時的な現象の世界です。神の次元も、梵天の次元
も、有の世界です。有は、無常なのです。有に対立して、人間は「無」の状態も想像しますが、実感があるとは思えません。どちらかというと、虚無主義
に陥りやすい概念なのです。仏教の世界でも、「無」「空」という概念は人気があります。それは、虚無主義ではなく、我々が経験している現象の世界は、
実は実体のないものです、という意味です。この存在は、「空」というのです。しかし、涅槃は「空」だというと、正しくないのです。そうなると、輪廻も
涅槃も同じものになるのです。であるならば、修行しなくても、努力しなくても良いことになるのです。釈尊は、涅槃を anakkhâta (ineffable)表現不
可能だと説かれているので、涅槃を「空」とは言わないのです。しかし、「有」でもないのです。その境地は観念的なものではなく、経験できるものです。』
(『解脱は理解できない』) http://www.j-theravada.net/howa/howa125.html
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