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--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻

146 :神も仏も名無しさん:2020/01/15(水) 11:21:02 ID:N0hClEPn.net
『サンユッタ・ニカーヤ』五比丘(無我相経)


3.【色】
「色は、比丘たちよ、自己ならざるもの(無我、anattan)である。
比丘たちよ、もし色が自己であったのであるならば、この色が、病のために壊れることもないだろう。
また、色において、<このように、わたしの色はあれ、このようにわたしの色はあるな>と、いうようにできるはずである。

4.
比丘たちよ、じつに、色は自己ならざるものであるから、色は病のために壊れる。
さらに、色において、<このように、わたしの色はあれ。このように、わたしの色はあるな>となすことができないのである。
http://manikana.la.coocan.jp/canon/anattalakkhana.html


比丘たちよ、もし色が自己であったのであるならば、この色が、病のために壊れることもないだろう。
→これはその通りだと思う

また、色において、<このように、わたしの色はあれ、このようにわたしの色はあるな>と、いうようにできるはずである。
→これはどうか?
アートマンって捉えることができない、「非らず、非らず」でしか表現できないものだから、色が自己であるならば思いのままになすことが出来るというのは変だと思う。

言い換えれば
無常なるものは我がアートマンに非らずは正しいが、
苦(思い通りにならないもの)が我がアートマンに非らずは正しいとは言えない。
もしアートマンが苦ならざるものであるならば「非らず、非らず」でしか表現できないということはない。

つまりは釈迦のアートマンに対する見解も邪見w

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