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--佛教論議の伽藍スレ-- 第六巻

139 :神も仏も名無しさん:2020/01/11(土) 02:27:05.69 ID:YI0HdQ1W.net
しかし、真我実現したと自負しているニサルガダッタ・マハラジやラマナ・マハルシも、
あるいは仏教側から見るとその真我は邪見となってしまう可能性があるねw

現在梵網経が成立したらマハラジ、マハルシなどの真我探究で気づいた真我にも理屈をつけられて

「それはすべて六つの感覚器官の接触に触れて、感受するのです。」
「感受を縁として、渇愛が生じ、渇愛を縁として固執が生じ、固執を縁として生存が生じ、生存を縁として生まれることが生じ、
生まれることを縁として老いることと死ぬこと、それに嘆き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩みが生じている。」
「六つの感覚器官の接触の原因と消滅と楽しみと過患と離脱を如実に知れば、それら真我探究の見解より一層すぐれていることを知ります。」
「ブッタは固執がないから、心のうちに寂静があり、感受の生起する原因と消滅と過患と出離とを正しく知って、執着を離れている。」

とされちゃうかもしれないし、されないかもしれないw

まあマハラジは肉体を真我としたりするのは誤った見解であるとか、エゴをと真我を同一視するなかれとか言ってるけど。

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