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【狂信者】GLAを憂う元会員の独り言A【妄想王】

1 :神も仏も名無しさん:2018/09/26(水) 09:27:05.45 ID:cP2EUStN.net
前スレ

【隔離】GLAを憂う元会員の独り言【ちらしの裏】
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1485339463

203 :神も仏も名無しさん:2019/08/26(月) 15:04:26.63 ID:Gv2PeKQD.net
86 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2019/08/26(月) 11:55:17.26 ID:3tcp+xNEs [1/3]
GLAを憂う元会員は、2013年に「歴史の整備」について次のような見解を述べている。
http://copyman.syoyu.net/Date/20131017/
> 歴史の整備:「未来千年の礎」について

>  「GLA随想2 GLAの歴史概観」のレポートにありますように、「歴史の整備」
> について佳子先生が元々下さったヒントは「GLA40年を振り返り、未来千年の
> 礎とする」ではなかったかと推測します。この「未来千年の礎」の意味について
> よく吟味できていなかったと思いますので、もう一度考えてみることにします。

>  GLA40年の歴史というものは、ある側面から眺めますと、「人を排除していった
> 歴史」と呼べるのではないでしょうか。具体的には、これまでのレポートや記事
> にありますように、法の継承時の鍛錬、1981年の予言、「人間のまなざし」
> シリーズの学びなどが該当します。そして、現在も「佳子先生の法に共感できること」
> 「面接にあたっておかしな様子が見られないこと」を入会承認の基準としていることは、
> 「人の排除」が依然として続いているという事ではないでしょうか。

>  これらは全て神の御意志に基づくものであり、止むを得ない事情があったという
> 点では、確かにその通りであると思いますが、それだけでは割り切れない「痛み」
> を感じることも事実ではないでしょうか。そうしますと、その「痛み」を
> 「一人も排除しないGLAを実現する」という「願い」に転換することができるはずですし、
> その「願い」こそを「未来千年の礎」とすべきではないかと思われます。
> 「一人も排除しない」ということは、「一切の人を救済する」と同義であるとも考え
> られますが、「目の前に集ってきた人を一人も排除しない」という意味に考えますと、
> かなり具体的で身口意に結びやすいことではないでしょうか。

204 :神も仏も名無しさん:2019/08/26(月) 15:05:11.51 ID:Gv2PeKQD.net
87 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2019/08/26(月) 11:56:08.20 ID:3tcp+xNEs [2/3]
しかし、ここで述べられた見解には、若干、認識不足な面があったと感じる。
それは、上述した引用箇所のうち、“それだけでは割り切れない「痛み」を感じる
ことも事実ではないでしょうか。”の部分である。実は、大部分の人は、(少なく
とも表面意識の上では)「痛み」など、何も感じていないのではないだろうか?

1980年代、「高橋信次の霊言」などと称するものを持ってきて「私には解ります。
これは本物の信次先生です」などと言って、GLAを去って行った人がいただろう。
また、現在でも、救いを求めてGLAに入会希望したとしても、佳子先生の法に
共感できなければ、入会は認められないだろう。

あなたは、そうやって、GLAから排除されていった人々の「痛み」を感じる
ことができるだろうか?その「傷み」を自分自身の「痛み」として引き受けること
はできるだろうか?

それができないのであれば、まずは、「自分自身の心」を「その人々の心」に
合わせることが大切だと思う。佳子先生は、智慧とはただ「なる」ことである、
と示されている。それゆえ、自分自身が、その人々に、ただ「なる」こと
によって「痛み」を引き寄せることができるだろう。

88 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2019/08/26(月) 11:56:39.15 ID:3tcp+xNEs [3/3]
例えば、「高橋信次先生のご著書を拝読しましたところ、どうも私は悪霊に憑依
されているようです。お助け頂けませんでしょうか?」と言ってきた人に対して、
「佳子先生のご著書は何か読まれましたか?お読みになって共感されたら、
またおいで下さい」という言葉を返すこと。

それが如何に残酷な事であるか、言われた側の人の立場に立てば、容易に
想像できるのではないだろうか。自分自身が、そのような人々の立場に立ったなら、
自分の心に何が訪れるだろうか?また、自分自身の魂の行く末はどうなるだろうか、
と精一杯、想いを寄せることだと思う。それによって「痛み」を感じることが
何よりも大切だと思う。

その「痛み」が「一人も排除しないGLA」、「一切の人を救済する」という
「願い」に転換して、初めて千年構想のスタートが切れるのではないだろうか。

205 :神も仏も名無しさん:2019/08/27(火) 11:05:22.87 ID:DB0DgrM6.net
何でも叶う
みたいな宣伝しておいて

いざとなれば

そういうところではございませんの
オホホホホ

ご自分で精進されることですね
でわ これで〜


騙された私が馬鹿でした〜と
気付ければ
まだいいけどね

206 :神も仏も名無しさん:2019/08/27(火) 12:43:05.29 ID:0koNvzZQ.net
89 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2019/08/27(火) 11:53:47.77 ID:xCRreD494
悪霊に憑依されている人々のお世話を如何に果たしてゆくかと考えてみると、
ある意味では信次先生の時代と同様の状況を作ってゆく必要があると思う。
つまり、「悪霊が見える」「悪霊と話せる」「除霊ができる」という条件を
満たす人を数多く輩出してゆく必要があるだろう。

現在でもごく一部の人は、そのような形で霊道を開いているようだが、
それでは全く数が足りなくなるだろう。そのような形で霊道を開くこと自体は、
佳子先生にとっては容易なことだと思う。おそらく、数秒で実現できるだろう。

しかし、霊道を開くと、魔界からの干渉を受けやすくなり、危険を背負う
ことになる。その人々は、自分の内に巣食う闇に対して、いっそう鋭敏に
なり、浄化に励む必要が生じるだろう。実際、信次先生の時代に、霊道を
開いておかしくなった人が何人もいたと聞いている。

危険を伴う以上、例えば佳子先生の側から「このようにしたらどうか?」
という形で提案される事は無いのではないかと思う。

あくまでも、弟子の側から発心して、「私は危険を背負ってでも、悪霊に
憑依されている方々に手を差し伸べてゆきたいと願います。どうか
私の霊道を開いて下さい」と願い出なければならないのではなかろうか。

その人々の願いを聞き入れる形で、佳子先生はその人々の霊道を開かれる
だろう。これにより、GLAでは、悪霊に憑依されている人々のお世話が
再び果たせるようになるだろう。

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