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GLA【高橋佳子】の死生観

1 :神も仏も名無しさん:2017/12/05(火) 08:45:22.46 ID:pFvMserwe
 このスレッドは、宗教法人GLA(主宰:高橋佳子)の死生観、その他、宗教法人GLAに
関する話題を議論するスレッドです。
 GLAでは、「人間は永遠の生命を抱く魂の存在」と捉え、「死んだら終わり」
ではなく、魂はこの世(現象界)とあの世(実在界)を往還しながら、進化と成長を
果たしてゆく「円環的人生観」が説かれています。さらに、そのような死生観に基づき、
GLAでは独自の葬儀や人生祈念館への人生記録・ご遺骨の奉納、特別供養などの葬送が
行われていること、そのことによって人生がまったく変わり、希望と安らぎを得ている
会員の実践についても日々発表されています。
 しかし、GLAの死生観について、若干の疑問の声があることも事実ですので、ぜひ、
GLA会員の皆様からのご教示をお願いします。
(参考スレ)
GLAの遺骨崇拝 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1415245309/
GLA【高橋佳子】の遺骨崇拝2 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1451819519/
GLA【高橋佳子】の遺骨崇拝3 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/
【隔離】GLAを憂う元会員の独り言【ちらしの裏】 "http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1485339463/467-n"

2 :神も仏も名無しさん:2017/12/15(金) 15:05:49.43 ID:wZC1FExdL
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1512523045/l50
GLA【高橋佳子】の死生観

本家(5ch)にスレが立ちましたので、5chで議論しましょう。

ここは、非常用ということで。

3 :神も仏も名無しさん:2018/10/01(月) 08:51:36.27 ID:RvMSgHq84
hoshu

4 :神も仏も名無しさん:2018/11/08(木) 11:56:29.41 ID:Alauurl5F
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/

https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1485339463/39-880

上のスレッドの続きを、ここに書くことにする。

GLAで様々展開されている神理実践は、「狭域神理実践」と、
「広域神理実践」に分類することができるだろう。

「狭域神理実践」とは、自分自身、自分の家族、自分の職場等に
満ちる困を解決してゆく神理実践であり、
「広域神理実践」とは、社会全体に満ちる困、より多くの人々が
関わっている困、様々な人の利害が対立している困を解決してゆく
神理実践である。

但し、両者を明確に区別することはできず、両者の中間あたりの
神理実践というものもある。一般的には、狭域神理実践よりも
広域神理実践のほうが困難である場合が多い。

また、広域神理実践は動機付けが難しい。狭域神理実践における
「困」は、ある意味で「自分や家族に火の粉が降りかかっている」
状態であり、それが神理実践に取り組む動機になる。

しかし、広域神理実践における「困」は、「自分には関係ない」と思えば、
見過ごしてしまうことができ、そのことが自分自身や自分の家族に
特に害をもたらすということが無い。

5 :神も仏も名無しさん:2018/11/08(木) 11:57:31.85 ID:Alauurl5F
佳子先生のご著書には、広域神理実践を果たした会員の実例が
数多く掲載されている。GLAのことをよく知らない人が佳子先生の
ご著書を読むと、「GLAとは、様々な人が、次々と広域神理実践を
果たしてゆく団体である」と認識するかもしれない。

しかし、GLAのことをよく見てみると、全く矛盾する姿を目にする
ことができる。それは、佳子先生から頂いた「千年構想」、
「7つのプログラム」を放置し続けているGLAである。

例えば「通信ネットワーク環境の整備」というテーマについて見てみよう。
高齢者、病人など、自分で簡単に動けない人が集いに参加するためには、
介護者や自動車等を手配しなければならず、手配できなければ集いに
参加できないのだ。

そして、その困に直面している人々は、多くの会員にとって顔も名前も
知っている人々なのだ。そして、「GLAは魂家族」という佳子先生の
お言葉からすると、困に直面している人々は、自分の「家族」ではないか。
ならば、この困を解決することは、広域神理実践というよりは、むしろ
狭域神理実践に近いだろう。

6 :神も仏も名無しさん:2018/11/08(木) 11:58:15.31 ID:Alauurl5F
佳子先生は「通信ネットワーク環境の整備」というテーマを明示され、
さらに(本来の用途を伏せた状態で)「インターネットを通じた
画像配信システムを構築して下さる」という形で解りやすいヒントを示して
下さっている。それにもかかわらず、GLAは「何もできないGLA」という
姿を晒し続けている。

佳子先生のご著書等に現れている「次々と広域神理実践を果たしてゆくGLA」と、
「千年構想」、「7つのプログラム」に現れている「何もできないGLA」。
2つのGLAの姿のうち、どちらが本当のGLAの姿だろうか?

それは、「何もできないGLA」というのが本当の姿なのだ。

では、ご著書等に現れている「次々と広域神理実践を果たしてゆくGLA」
とは一体何なのか?これは、けっして「虚偽」というわけではないが、
「幻」のようなものなのだ。

7 :神も仏も名無しさん:2018/11/08(木) 11:58:43.16 ID:Alauurl5F
佳子先生のご著書等に現れている広域神理実践には、ほとんど、
「佳子先生の御助力」が付随している。「御助力」は多岐にわたる
場合もあれば、非常に些細なものに見える場合もある。

例えば、佳子先生が会員に対して、「この問題をあなたと責任として
背負うことはできないだろうか?」と問いかけられ、その会員が、
その問いかけによって目覚め、その後は一切の御助力を頂くことなく
広域神理実践を果たしたとしよう。

一言だけ問いかけられるというご助力は、非常に些細なように見える
かもしれないが、その御助力が無ければ、その広域神理実践は、
絶対に成立しなかったものである。だから、その広域神理実践は
「幻」なのだ。

「幻」が「幻」であるということは、佳子先生の御助力がストップ
した時にはっきりと証明されるだろう。その時は、「佳子先生のご帰天」
によって訪れるかもしれない。あるいは佳子先生の御存命中に
「御助力をストップされる」という形で現れるかもしれない。

そのとき、「次々と広域神理実践を果たしてゆくGLA」というものが、
幻の如く消え去るだろう。それは、元々「幻」だったからに他ならない。

8 :神も仏も名無しさん:2018/11/08(木) 11:59:41.87 ID:Alauurl5F
そのときのGLAの姿は、法華経の中で「化城宝処の喩」として既に予言
されているように見受けられる。
この喩は、Wikipedia の内容を引用すると、次のようなものである。
-------------------------
宝のある場所(宝処)に向かって五百由旬という遥かな遠路を旅する
多くの人々がいた。しかし険しく厳しい道が続いたので、皆が疲れて止まった。
そこの中に一人の導師がおり、三百由旬をすぎた処で方便力をもって幻の城を
化現させ、そこで人々を休息させて疲れを癒した。
人々がそこで満足しているのを見て、導師はこれは仮の城であることを
教えて、そして再び宝処に向かって出発し、ついに人々を真の宝処に導いた。
この物語の導師は仏で、旅をする人々は一切衆生、五百由旬の道のりは
仏道修行の厳しさや困難、化城は二乗の悟り、宝処は一乗の悟りであり、
仏の化導によって二乗がその悟りに満足せずに仏道修行を続けて、
一乗の境界に至らしめることを説いている。法華経では、遥か昔の
大通智勝如来が出世された時、仏法を信じられず信心を止めようと
思った人々が、再び釈迦仏の時代に生まれて仏に見(まみ)え、
四十余年の間、様々な教えを説いて仮の悟りを示し理解して、
また修行により真の宝である一乗の教えに到達させることを表している。
-------------------------

「次々と広域神理実践を果たしてゆくGLA」とは、佳子先生が出現させた
「化城」、「幻」に過ぎないのだ。

9 :神も仏も名無しさん:2018/11/08(木) 12:00:39.97 ID:Alauurl5F
「この問題をあなたと責任として背負うことはできないだろうか?」
と佳子先生から問いかけられて広域神理実践を果たせる人は、
自分で「動機付け」ができない人であり、何の御助力も頂かず
広域神理実践を果たせる人は、自分で「動機付け」ができる人である。

両者の間には、見た目以上の大きな差がある。
「動機付け」というのは、それだけ難しいものであり、
広域神理実践を果たしてゆく中核になる要素だからだ。

「何の御助力も頂かず広域神理実践を果たせる人」とは、ある意味では
「自分の内に佳子先生が出現した人」と表現することができるだろう。
その人の内なる佳子先生が「この問題をあなたと責任として背負うこと
はできないだろうか?」と語りかけるため、外なる佳子先生が何も
されなくても動機付けができるのだ。

では、自分自身の中に「内なる佳子先生」を出現させるためには、
どうすれば良いだろうか?佳子先生の御心を自らの心に写し取らせて
頂く霊操行(http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf)こそが、
その解答である。

10 :神も仏も名無しさん:2018/11/08(木) 12:01:10.89 ID:Alauurl5F
佳子先生がご助力をストップされ、「次々と広域神理実践を果たしてゆくGLA」
が「幻」、「化城」の如く消え去った時、「ふりだしに戻った」と思う人が
いるかもしれない。しかし、それは誤りである。

「化城宝処の喩」では、導師が「化城」を出現させたのは、五百由旬の
道程のうち三百由旬をすぎた処である。すなわち、道程の半分以上は
既に歩んでいるのだ。そこまで既に歩んだからこそ、導師は「化城」を
出現させたのだ。

但し、残りの二百由旬は、既に歩んできた三百由旬とは異なり、霊操行を
基として歩んでゆく道である。

「次々と広域神理実践を果たしてゆくGLA」は、一時は幻の如く消えたかも
しれない。しかし、霊操行を基として、さらに二百由旬を歩んだならば、
そこには本物の「宝処」がある。そこでは、霊操行によって内なる
佳子先生を出現させた人々が、「本物の広域神理実践」を果たしてゆくだろう。

その時、GLAは「本物の広域神理実践を果たしてゆくGLA」として、さらに
グレードアップした姿を現すだろう。

11 :神も仏も名無しさん:2018/11/15(木) 11:59:13.92 ID:lAU/vwbik
法華七喩の中の「髻中明珠の喩」について考えてみたい。
Wikipedia には、次のようにある。
---------------------------------------------------
転輪聖王(武力でなく仏法によって世界を治める理想の王)は、
兵士に対してその手柄に従って城や衣服、財宝などを与えていた。
しかし髻(まげ、もとどり)の中にある宝珠だけは、みだりに
与えると諸人が驚き怪しむので容易に人に授与しなかった。
この物語の転輪聖王とは仏で、兵士たちは弟子、種々の手柄により
与えられた宝とは爾前経(にぜんきょう=法華経以前の様々な教え)、
髻中の明珠とは法華経であることを表している。
より正しくは、転輪聖王と同じように如来も法華教を教えることを
最後まで慎重に控えていたのだ、と説明している。
---------------------------------------------------

「髻の中にある宝珠」というのは、外からは見えない宝を
暗示しているのではないだろうか。「転輪聖王」は佳子先生を
表しており、「髻の中にある宝珠」とは、
「佳子先生に内在された叡智」を表しているように思える。

佳子先生は、「内在された叡智」を容易に他人に与えられる
わけではないし、そもそも与えることは困難である。
しかし、霊操行に親しむ者は、自らの内に
「宝珠=内在された叡智」を育むことができるだろう。

「宝珠=内在された叡智=内なる佳子先生」こそ、決して奪われる
ことのない最高の宝である。

12 :神も仏も名無しさん:2018/11/15(木) 11:59:44.72 ID:lAU/vwbik
次に、「良医病子の喩」について考えてみたい。
Wikipedia には、次のようにある。
---------------------------------------------------
ある所に腕の立つ良医がおり、彼には百人余りの子供がいた。
ある時、良医の留守中に子供たちが毒薬を飲んで苦しんでいた。
そこへ帰った良医は薬を調合して子供たちに与えたが、
半数の子供たちは毒気が軽減だったのか父親の薬を素直に
飲んで本心を取り戻した。
しかし残りの子供たちはそれも毒だと思い飲もうとしなかった。
そこで良医は一計を案じ、いったん外出して使いの者を出し、
父親が出先で死んだと告げさせた。父の死を聞いた子供たちは
毒気も忘れ嘆き悲しみ、大いに憂いて、父親が残してくれた良薬を
飲んで病を治すことができた。この物語の良医は仏で、病で苦しむ
子供たちを衆生、良医が帰宅し病の子らを救う姿は仏が一切衆生を
救う姿、良医が死んだというのは方便で涅槃したことを表している。
---------------------------------------------------

この喩の意味について、私は次のように考えた。
『「毒薬を飲んで苦しむ」とは、「快苦に翻弄され悩乱する」ことであり、
 「薬」とは、「千年構想、7つのプログラム」というテーマである。
 「出先で死んだ」という方便は、佳子先生が早逝されることを
 表している。「薬を飲んで病を治す」とは、佳子先生が逝去された後、
 快苦に翻弄されテーマを放置していた人々が、頂いたテーマに真剣に
 向かい合い、覚醒してゆくことを表している。
 「良医が帰宅した」とは、テーマに真剣に向かい合う中で、天上界
 との響働が果たされ、正にそこに佳子先生がおられるかのような
 場が現成することを表している。


13 :神も仏も名無しさん:2018/11/15(木) 12:01:09.85 ID:lAU/vwbik
しかし、よく解らないのは、
「半数の子供たちは毒気が軽減だったのか父親の薬を素直に
飲んで本心を取り戻した」という箇所である。

「千年構想、7つのプログラム」というテーマに真剣に対峙している
会員は半数もいないではないか。快苦に翻弄されている状態から脱して、
テーマを推進しようとしている人は非常に少ないだろう。否、「現会員」
に限れば、もしかすると一人もいないのではないだろか?

ならば、この箇所は、「今後、佳子先生が逝去される前に、半数までは
いかなくとも、多くの人がテーマに向かい合って覚醒する」ということ
だろうか?そのあたりは、私にとっても謎のままだ。今後起こる「事実」
によって、それは明らかになってゆくだろう。

何れにせよ、近い将来には、法華七喩の要素が全てGLAに揃うだろう。
その時、GLAこそが法華経を具現する共同体であることを、
何百万もの法華経信者に向かって、宣言する時がくるだろう。

14 :神も仏も名無しさん:2018/11/21(水) 11:54:59.32 ID:qpNFggZq6
私はこれまで、
・今後とも「千年構想」、「7つのプログラム」のテーマを放置し続けたなら、
佳子先生の早逝は避けられない
・しかし、まだ時間は残されているので、内界を転換してテーマに対峙すれば、
佳子先生の早逝は避けられる
ということを再三述べてきた。

しかし、後者は違っているかもしれないと思うようになった。
つまり、「佳子先生が早逝されない限り目覚めない人」ばかりが、
GLAに集められているのではないかと思えてきた。

そうであるとすると、「佳子先生の御存命中に内界を転換して
テーマに対峙する」という事は起こり得ないことであり、
佳子先生の早逝は最初から定められていたということになる。

15 :神も仏も名無しさん:2018/11/21(水) 11:55:42.62 ID:qpNFggZq6
実際のところ、どうなのだろうか?佳子先生が早逝されたとき、
「本当にこうなる前に、自分が覚醒して、頂いたテーマに向かう
ことはできなかっただろうか?」と、一人一人が自らに問いかけ、
「嘘をつけない心」によって内界を検証することが大切だろう。

内界を検証した結果、あなたの結論が「佳子先生が早逝される前に、
自ら覚醒しテーマを進捗させてゆくことは自分には無理であった」
ということであれば、佳子先生の早逝について、少なくともあなたには、
責任は無いと言えるだろう。

そして、GLA会員の全員が、そのような結論を出したのであれば、
「佳子先生の早逝は最初から定められていた事であって、
誰かが悪かったわけではない」ということになるだろう。

ならば、「自分が悪かった」と自責の念を抱くことは、かえって
「嘘をつけない心」に反することになるだろう。

16 :神も仏も名無しさん:2018/11/21(水) 11:56:47.96 ID:qpNFggZq6
自責の念を抱く必要は無いが、佳子先生が一体何を果たして下さったのか、
それは明確に認識しなければならない。

・菩薩になる事を願って転生を繰り返したのに、「快苦の奴隷」となって
その願いを適えることができなかった人々…
・その願いを適えられるように、佳子先生の弟子としての人生を与えられ、
菩薩になるための修行のテーマ(千年構想、7つのプログラム)を
与えられたのに、再び「快苦の奴隷」となってそれを放置し続けた人々…
・テーマが放置されている事に危機感を抱いた者が、自らの退会と
引き換えに警鐘を鳴らしたにもかかわらず、「快苦の奴隷」の暗き
眼差しによって、その事態をただ黙って眺めていた人々…
・それにもかかわらず、口先で佳子先生を賛美している人々…

佳子先生は、そのような人々に対して、限りなき御慈愛を注がれてきたのだ。
そして、佳子先生が早逝されたとすれば、それは、そのような人々の
背中を押し、目覚めさせるために、自らを犠牲にされたということなのだ。

17 :神も仏も名無しさん:2018/11/21(水) 11:57:54.75 ID:qpNFggZq6
佳子先生が一体何を果たして下さったのか、それを認識できたならば、
次は、あなたが「佳子先生にお応えする」番である。
それは、「菩薩になる」という佳子先生との約束を成就することである。

菩薩になるための「静中の工夫」となる修行は、佳子先生との一体化を
果たす霊操行である。

菩薩になるための「動中の工夫」となる修行は、頂いたテーマ
(千年構想、7つのプログラム)の実践である。

「静中の工夫」と「動中の工夫」を車の両輪として進むならば、
「快苦の奴隷」がうごめく土くれの中から、菩薩を湧出させることが
できるであろう。

湧出する菩薩こそ、法華経の中で予言された「地涌の菩薩」であろう。

18 :神も仏も名無しさん:2018/11/21(水) 19:14:31.09 ID:qpNFggZq6
もう一つ、重要なことを述べておこう。
佳子先生が早逝された後、またはその兆候が現れたとき、
その意味についてあれこれ語る者は数多く現れるだろう。

しかし、そのような者が語ることは信用するに値しない。
佳子先生が早逝される真の意味を語れる者であれば、
その兆候が現れる前に、その意味を解説できるはずなのだ。

佳子先生が早逝される理由はただ一つ、それは
「一人の菩薩を生むため」である。

19 :神も仏も名無しさん:2018/12/04(火) 15:15:41.21 ID:pTZjERIYA
佳子先生が示された悟りの第九段階の表では、第七段階以上が
「菩薩」であるとされている。第七段階の悟りの内容は、
「回心(慙愧と歓喜)が訪れる」「個の目的と全体の目的との合一が起こる」
ということである。

このうち、「個の目的と全体の目的との合一が起こる」について
考えてみたい。「個の目的」とは、一人一人個人の目的であろう。
また、「全体の目的」とは、ただ「全体に関わる目的」ということではなく、
「神意に適う全体の目的」という意味であると考えられる。

「神意に適う全体の目的」とは、具体的に如何なるものであるのか
簡単に解らない場合が多い。しかし、佳子先生が示される「全体の目的」が
「神意に適うもの」であると認めるならば、これは佳子先生のお言葉から
容易に知ることができる。

すなわち、「千年構想」や「7つのプログラム」が
「(神意に適う)全体の目的」に他ならないのだ。

20 :神も仏も名無しさん:2018/12/04(火) 15:16:03.16 ID:pTZjERIYA
では、「個の目的と全体の目的との合一が起こる」とは如何なること
だろうか?それは、佳子先生が「千年構想」「7つのプログラム」という
形で明確なヴィジョンを示される前に、たとえ曖昧なものであっても
自分自身が似たようなヴィジョンを抱ける、ということだろう。

また、佳子先生が「千年構想」「7つのプログラム」という明確な
ヴィジョンを示されたとき、「そうだ。これこそ自分が果たしたかったことだ」
と思えることではないだろうか。

自分の心をそのように動かすことができない人は、明らかに
「菩薩ではない人」である。では、「菩薩ではない人」が「菩薩」になる
ためには、何を果たせば良いだろうか?

それは、「佳子先生のお言葉を信じてチャレンジしてみる」ことしか無いと
思う。今一つしっくりこない点があったとしても、佳子先生を信じて
チャレンジを続けたならばどうなるだろうか?

21 :神も仏も名無しさん:2018/12/04(火) 15:18:20.13 ID:pTZjERIYA
それは、苦しく長い道のりかもしれないが、やがて「これは元々自分が
やりたかったことだ」と思えるようになるかもしれない。否、そうなることが
予定されている人々が、今、GLAに集められているのではないだろうか。

たとえ苦しくとも、チャレンジを続けてゆけば、「自分自身の意識の
働かせ方」というものに、ある種の「道」が付いてくると思う。
そうすると、将来(それは来世になるかもしれないが)、別の「全体の目的」
に出会ったとき、今回とは異なる変化が起きるのではないだろうか。

「全体の目的」を語る人は、あなたにとって佳子先生ほど信頼の置ける
人ではないかもしれない。しかし、その人が「全体の目的」を語った時、
「そうだ。これこそ自分が果たしたかったことだ」、「自分も似たような
ことを考えていた」と、思えるようになるのではないだろうか。

もし、それがあなたの身に起こったならば、あなたは
「個の目的と全体の目的との合一」を果たした、ということになるだろう。

22 :神も仏も名無しさん:2019/01/29(火) 15:07:36.06 ID:u7TfPjAb5
最近、日本と韓国との関係がおかしくなっているが、
その件について、様々思うことがある。

関係がおかしくなっている原因は韓国側にある。
まず、戦時中の元労働者の未払賃金の問題で、日本と韓国との間に
交わされた日韓基本条約を一方的に反故にしたのは韓国だ。

2015に日韓の合意によって設立された慰安婦合意に反し、
一方的に慰安婦財団を解散させたのも韓国だ。
さらに、最近、自衛隊のP−1哨戒機に対して韓国駆逐艦が
火器管制レーダーを照射した事件があったが、韓国の呆れるばかりだ。

最初、韓国政府は、「漁船探索のために火器管制レーダーを使用した」と
主張したのに、「火器管制レーダーを使用していない」と主張を変え、
「日本が威嚇飛行をし、救助活動を妨害した」などと、幼稚で
見え透いたウソを世界中に発表し続けているのだ。

日本政府は、「事実を認めて再発防止策を講じてくれれば穏便に済ませる」
という態度であったのに、なぜこうなってしまうのだろうか?

23 :神も仏も名無しさん:2019/01/29(火) 15:08:01.65 ID:u7TfPjAb5
韓国人の中にも、まともな感性を有し、「恥ずかしいから韓国政府はウソを
言うのはやめろ。日本に謝罪せよ」という主張する人もいる。
しかし、そのような人は「親日派」として糾弾され、時には暴力を受け、
その声は多勢に影響することはない。

なお、日本人の中にも、幼稚で見え透いたウソをつく人間は多数存在する。
しかし、政府首脳や軍首脳の発言が、新聞記事が、国民世論が、
「幼稚で見え透いたウソ」で固まっている現実は、多くの日本人にとって
理解不可能なことだろう。

しかし、神理の眼差しで眺めれば、なぜそうなっているのか理解できる。
韓国が上述のようになっている原因は、「そのようなカルマを持つ多くの魂が、
韓国に生まれることを切望した」「それゆえ、神が、そのようなカルマを
持つ魂ばかり、わざわざ韓国に集められた」からなのだ。

ある傾向のカルマを持った魂が「要素」として集まると、その「要素」
によって「場」が生じ、その傾向が一層強められる。「場」が生じると、
「潮流」が生まれる。すなわち、その傾向が世代を超えて受け継がれるようになる。
この「潮流」は「三つのち」とも呼ばれてきた。

24 :神も仏も名無しさん:2019/01/29(火) 15:08:33.02 ID:u7TfPjAb5
韓国の子供たちの事を考えてみよう。韓国の子供たちも、元々大人たちと
同じようなカルマを持つ魂だった。そして、その魂は韓国に生まれて、
大人たちの行動、想念を無自覚のまま、吸い込んでしまうのだ。

そして、子供たちが成長したとき、今の大人たちとそっくり同じ「韓国人」
となって、暗転の現実を生み出し続けるだろう。

では、なぜ、その魂は韓国に生まれることを切望したのだろうか?
それは、「暗転の現実」という果報こそが得難い恩寵だからだ。
「暗転の現実」を直視するならば、それを生み出した自らの
「因=カルマ」を直視せざるを得なくなり、
それによってカルマを克服できる可能性が生まれてくるからだろう。

そして、一人がカルマを克服したなら、魂の大地に
「カルマを克服する道」ができ、その道を辿って、全員にカルマ克服
の可能性が生まれるからだろう。

しかし、「暗転の現実」を直視せず、「見て見ぬふり」、「知らないふり」、
「関心の無いふり」を続けるならば、自らの「因=カルマ」を知る
ことができず、カルマを克服することはできない。生じた「暗転の現実」に対して、
ウソの上にウソを重ね、「日本が悪い」と叫ぶばかりでは、かえって
カルマを強めてしまうことになるだろう。

25 :神も仏も名無しさん:2019/01/29(火) 15:08:55.14 ID:u7TfPjAb5
今、なぜ韓国の話をしたかと言うと、実は韓国の現実と、GLAの現実が、
そっくり同じようなものに見えてしまったからだ。

佳子先生は、「GLA共同体の千年構想の青写真に、一丸となってアクセスする」
(GLA誌1999年11月号79ページ)という御指示を下さった。しかし、
そのご指示は20年に渡って放置され続けている。

放置され続けている原因は何だろうか?それは、多くのGLA会員が快苦に
翻弄される人間であり、ひたすらに快=楽を追及してきたからである。

佳子先生は、千年構想を放置し続ける事の愚かさを知らしめて下さった。
それは、2014年、「佳子先生が信次先生の遺骨を祀られた」ということだ。
佳子先生が信次先生の遺骨を祀られた理由と考えられるものは、次のリンクにある。
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/637-640

しかし、その理由を想起できた者は、佳子先生のご指示に従って
青写真へのアクセスに挑戦し続けた者だけである。
青写真へのアクセスする事を怠ってきた者にとって、その出来事は
全く理解不能で困惑するしかなかっただろう。
これこそ、「青写真へのアクセスする事を怠ってきた」という想念、
行為に対する何よりの警鐘では、なかっただろうか。

26 :神も仏も名無しさん:2019/01/29(火) 15:09:52.63 ID:u7TfPjAb5
その警鐘を頂いてから5年が経過しようとしているが、いまだに
GLAは千年構想を放置し続けている。なぜ、これほどの警鐘を頂きながら
放置し続けることができるのだろうか?

それは、韓国の現実が生じている原因とそっくり同じだと思う。すなわち、
「そのようなカルマを持つ多くの魂が、そのカルマが顕現される場に
生まれることを切望した」
「それゆえ、神が、そのようなカルマを持つ魂ばかり、わざわざGLAに集められた」
からなのだ。

快苦に翻弄されるカルマを持った魂が「要素」として集まると、その「要素」
によって「場」が生じ、その傾向が一層強められる。「場」が生じると、
「潮流」が生まれる。すなわち、その傾向が世代を超えて
受け継がれるようになる。

「快苦に翻弄され、佳子先生のご指示を放置し続ける」という「原則」、
「風土」、「集団想念」というものが、空気のように自然にGLAの中に
蔓延している。そして、その「原則」、「風土」、「集団想念」に反する
言動を行う者は、異端者として排除されるのが、現状のGLAではないのか。

27 :神も仏も名無しさん:2019/01/29(火) 15:12:06.88 ID:u7TfPjAb5
それは、火器管制レーダーの照射事件について、「恥ずかしいから
韓国政府はウソを言うのはやめろ。日本に謝罪せよ」という主張する
韓国人が「親日派」として糾弾され、時には暴力を受けている現実と
そっくり同じではないのか?

GLAが「暗転の現実」を直視せず、「見て見ぬふり」、「知らないふり」、
「関心の無いふり」を続ける姿は、韓国人の姿とそっくりではないのか?
これでは、自らの「因=カルマ」を知ることができず、カルマを克服してゆく
折角の機会を無駄にしてしまうのではないだろうか。

神は、韓国の現実を通じてGLAに対して呼びかけを下さっているように
思えるのだ。それは、
 
 「眼を開いて韓国の姿を直視せよ。
 韓国こそが、あなた方の鏡である
 韓国の姿こそが、あなたたちの姿である」
 
という呼びかけた。

28 :神も仏も名無しさん:2019/02/12(火) 08:54:18.98 ID:F5ANPigte
あるカルマを抱いた一群の魂が、一つの場に集まれば、
集団のカルマによって「場」が生じ「潮流」が生まれる。

それは、カルマが強調され、暗転の現実が起きることによって
カルマを知り、カルマを超克してゆく道が開けるからだろう。
その点は韓国もGLAも同様だろう。

しかし、カルマを超克することは、智慧と努力と勇気が必要であり、
多くの人は、カルマを超克することなく人生を終える。

韓国の中で、虚偽と不実がまかり通っていること、
GLAの中で佳子先生を賛美しながら佳子先生が下さったテーマを
放置する態度がまかり通っていること。

それらは、外から眺めている人間の目には実に奇異なものに映るが、
集団のカルマが作り出す「場」と「潮流」に呑み込まれている
人間にとっては脱却することが難しいものなのだろう。

この傾向は、韓国とGLAに限ったものではなく、世界中に満ちている
現実ではないだろうか。世界に満ちる様々な困の現実のほとんど全ては、
集団のカルマが引き起こしていると言ってもいいだろう。

29 :神も仏も名無しさん:2019/02/12(火) 08:54:43.13 ID:F5ANPigte
GLAが今後千年かけて、世界に満ちる困に立ち向かってゆくことを願う
ならば、それは世界に満ちる「集団のカルマ」に立ち向かい、
「集団のカルマ」を超克してゆくことに他ならないだろう。

しかし、世界に満ちる「集団のカルマ」を超克してゆくためには、
その前にGLA自身が「集団のカルマ」を超克してゆく必要があるのでは
ないだろうか。自分達が果たせないことを、他人に向かって「果たせ」
とは言えないだろう。

現在のGLAには、快苦に囚われ、ただ快を求め苦を退ける傾向の
強い人が集められているように見える。それによって、
「佳子先生が下さった千年構想のテーマが20年に渡って放置されている」
という起こり得ないような現実が実際に起こっているのだ。

そのような人々ばかりが集められた理由の一つは、そのような人々の
カルマ超克ということが挙げられるだろう。そして、もう一つの
理由として、「集団のカルマを超克してゆくモデルを世界に示す」、
ということがあるのではないだろうか。

モデルを示せるからこそ、世界に満ちる「集団のカルマ」を
超克してゆく道が整うのではないだろうか。ならば、現在のGLAの
人々には、自分自身のカルマ超克とともに、「モデルを示す」という
重大な使命を背負っている。

ただ己のカルマを超克することに限られず、「一切の人を救済したい」
という願いがあったからこそ、重大な使命を背負ったのではないだろうか。
ぜひ、その事を自覚して頂きたいと思う。

30 :神も仏も名無しさん:2019/02/25(月) 09:00:14.68 ID:DNxjro3e3
>>27 に私は次のように書いた。
> 神は、韓国の現実を通じてGLAに対して呼びかけを下さっているように
> 思えるのだ。それは、
>  「眼を開いて韓国の姿を直視せよ。
>  韓国こそが、あなた方の鏡である
>  韓国の姿こそが、あなたたちの姿である」
> という呼びかけた。

しかし、神は、もう一つ大切な呼びかけを下さっているように思える。
それは、「韓国人の民族業の超克を助けよ」という呼びかけである。

韓国人の民族業を超克してゆくことは、韓国人自身の問題である。ただ、
日本政府が、あるいは一人ひとりの日本人が「韓国人の民族業の超克」
を助力してゆく事は可能であり、GLAが日本社会をリードして、
そのような助力を実現すること、というのが私が感じた呼びかけである。

31 :神も仏も名無しさん:2019/02/25(月) 09:01:00.62 ID:DNxjro3e3
韓国政府が次々に日本政府に対して不実を働いてきた事実に対して、
日本には様々な世論がある。「報復せよ」という声もあれば
「放置しておけばよい」という声もある。しかし、「その願いは何か」
という事を突き詰めて考える人は皆無に等しい。

「日本にとって最大の経済的利益を追求する」ことを「願い」とする
ならば、「韓国以外の諸外国に対しては日本の立場や見解を明確に表明し、
韓国に対しては無視する」というのが正しいのではないかと思う。

しかし、そのような「願い」を抱くことは正しいのだろうか?
「願い」を抱くならば、それは「韓国人の民族業の超克」でなければ
ならないはずだ。ならば、彼らが民族業によって不実な態度を示した
場合には、彼らに対して、例えば「経済的制裁を加える」等の方法で、
明確に「NO」という態度を示さなければならない。

32 :神も仏も名無しさん:2019/02/25(月) 09:01:36.88 ID:DNxjro3e3
日本が韓国に経済的制裁を加えたならば、韓国から経済的な報復が
返ってくる可能性が高い。それは、日本の国益を損なうことになる
かもしれないが、「韓国人の民族業の超克」という事を願いに重きを
置くならば、多少の痛みは甘受することが正しいだろう。

現在、多くの人は、そのような「考え方」、「パラダイム」
というものを知らない。知らないものを選択することは不可能だ。

だからこそ、何よりも「魂の救済」を願いとすること、
その「願い」に基づいて方策を講じること、その事をGLAが社会に
対して提言しなければならないと思う。

33 :神も仏も名無しさん:2019/03/22(金) 12:06:27.68 ID:+QGJSilwq
>>12-13 で「良医病子の喩」について述べたが、もう一度
考え直してみた。

この喩における「良医」とは、おそらく大いなる存在、神を表している。
そして、「子供たちが毒薬を飲んで苦しんでいた」というのは、快苦に翻弄
された人々の現状を表している。

良医が調合した「薬」とは、「千年構想」「7つのプログラム」を表している。
「薬が毒だと思って飲まない」とは、正しく快苦に翻弄された人々が、
「千年構想」「7つのプログラム」を放置している事を表している。

「良医が死んだ」という方便は、「佳子先生の逝去」を表していると
思われる。元よりGLAのリーダーは神であり、GLAは神の御意志を
具現してゆく共同体である。佳子先生は神に動かされている存在である。

しかし、多くの人は神の御意志を知ることはできず、「他の誰か」が
神の御意志を語ってくれることによってのみ、神の御意志を知ることができる。


現在のGLAにおいて「他の誰か」というのは「佳子先生のみ」と認識
している人が多いだろう。すると、「佳子先生の逝去」によって
神そのものと断絶したかのように感じる人が多いのではないだろうか。

だからこそ、「良医が死んだ」という方便は、「佳子先生の逝去」を
表していると思える。

34 :神も仏も名無しさん:2019/03/22(金) 12:06:49.23 ID:+QGJSilwq
しかし、神の御意志にアクセスできる者は、別に佳子先生に限られる
わけではない。佳子先生よりも20年以上若い世代に、その力を持った
人が、おそらく数多く出生していることと思う。その人々は、佳子先生
の御帰天後、GLAを背負う使命を持った人々である。

しかし、神の御意志にアクセスできる人々は、現状ではGLAの中で力を
発揮することはできない。なぜそうなってしまうのか、それは少し
考えてみれば容易に理解できる。

神の御意志にアクセスできる人々とは、誰よりも神の御意志に共感
できる人である。それゆえ、佳子先生が示された神の御意志である
「千年構想」「7つのプログラム」についても、強く共感できる人々である。

ならば、神の御意志にアクセスできる人々は、GLAの中で放置されて
きた「千年構想」「7つのプログラム」に強く共感し、それを実現
したいと願い、実現に向かって動こうとするだろう。

しかし、その行為は、「快苦に翻弄される人々」にとって、
迷惑千万な行為であると受け止められるだろう。

「快苦に翻弄される人々」とは、口先で佳子先生を賛美しながら、
ただ己の快を求め、苦を退けようと動く人間を指す。その人々は、
無自覚のうちに、快を求め苦を退ける強固な同盟関係を作り上げている。

そして、その同盟関係によって、「千年構想も7つのプログラムも
放置すべき」という不文律、暗黙の了解をGLAの中に作り上げてきたのだ。

35 :神も仏も名無しさん:2019/03/22(金) 12:07:53.34 ID:+QGJSilwq
「千年構想」「7つのプログラム」を実現しようと動くことは、
その不文律、暗黙の了解をぶち壊そうとする事に等しい。

「神の御意志にアクセスできる人々」は、「千年構想、7つの
プログラムを実現させようと動く人々」に他ならない。その人々は、
「快苦に翻弄される人々」にとって迷惑千万な人間になるだろう。

「快苦に翻弄される人々」の中には、かつて関芳郎が実行したように、
「千年構想、7つのプログラムを実現させようと動く人々」を退会に
追い込もうとするかもしれない。

そこまでいかなくても、単に「無視する」単に「協力しない」、
「勝手にやれば?」という態度をとる、そのような雰囲気を醸し出す
だけでも充分だと思う。

神の御意志にアクセスできる人々は、比較的若い人々、新参者が
多いと思われる。すると、古参の会員である「快苦に翻弄される人々」
が否定的な雰囲気を出しただけで、どのように推進すれば良いのか
解らず、口を閉ざしてしまうかもしれない。

36 :神も仏も名無しさん:2019/03/22(金) 12:09:15.61 ID:+QGJSilwq
あるいは、「快苦に翻弄される人々」を啓蒙しようと動き出す人も
存在するかもしれない。しかし、そのように動く人々を、
「快苦に翻弄される人々」は、異端者、邪魔者と看做すだろう。

そうなると、退会にまで追い込まれなかったとしても「神の御意志に
アクセスできる人々」は力を発揮することができなくなるだろう。

「神の御意志にアクセスできる人々」が力を発揮できなければ、
神の御意志のままにGLAを動かすことは不可能になる。

すると、GLAには、「神不在の暗黒時代」が訪れるだろう。
GLAは糸が切れた凧のような状態になり、様々な痛みや混乱の現実が
次々と引き起こされるだろう。

「快苦に翻弄される人々」は、最初はその原因が解らないかもしれない。
しかし、やがて自分たちの因がその現実を引き起こしていた事に
気づくだろう。

ただ、快を求め苦を退けるために「千年構想も7つのプログラムも放置すべき」
という不文律を作ってきた自分立ち。その自分たちの因こそが、
「神不在の暗黒時代」を作り出してきたことに気づくだろう。

気づいたならば、「快苦に翻弄される人々」は、佳子先生が遺して下さった
「千年構想」「7つのプログラム」に真剣に対峙するようになるだろう。

37 :神も仏も名無しさん:2019/03/22(金) 12:10:33.36 ID:+QGJSilwq
ただ、「真剣に対峙する」と言っても、直接的には大した成果は
上げられないだろう。例えば、今までろくに運動をしてこなかった人が、
運動を始めるのは良いことだが、いきなりマラソン大会に出場したところで、
成果を上げることはできないだろう。

それと同じことだ。過去世の智慧の蓄積がなく、今生の智慧の蓄積も無い
人々にとって、智慧を発揮するのは難しく、そこには、かなり低いレベルの
「限界」というものがあるだろう。

しかし、「快苦に翻弄される人々」が「千年構想」「7つのプログラム」
に真剣に対峙することは、決して無意味ではない。否、智慧なき人々が
挑戦することは、極めて重大な意義のある行為である。

なぜなら、その行為によって、「異端者、邪魔者」と看做されてきた
「神の御意志にアクセスできる人々」が「異端者でも邪魔者でもない人々」
に転換するからである。

やがて、「神の御意志にアクセスできる人々」の力は、GLAの中で知られて
ゆくようになるだろう。そして、その人々が響働することで、再び
GLAは神の御意志を具現できる共同体になるだろう。

喩の中にある「半数の子供たちは毒気が軽減だったのか父親の
薬を素直に飲んで本心を取り戻した」は、佳子先生の御帰天前に
相当数の人々が覚醒し、「千年構想」「7つのプログラム」に
対峙し始めるという意味だと思われる。

しかし、佳子先生の御帰天が無ければ、それはGLA全体の潮流には
ならないのだろう。「快苦に翻弄される人々」の大部分は、
佳子先生の御帰天が無ければ目覚めることはできない、という
意味であると思われる。

38 :神も仏も名無しさん:2019/04/01(月) 08:50:38.98 ID:jvzND3Zf8
快苦に翻弄され、20年に渡って千年構想を放置してきた人々が、
覚醒し千年構想を推進してゆけるようになる事は可能だろうか?
可能であるとすれば、一体何が必要だろうか?

それは、まず「願いに還る」ことではないだろうか。自らが何を願って
転生してきたのか、それは魂の所以を遡る瞑想等によって示されて
きたことであろう。

そして、その願いが「一切の人を救済すること」であったのなら、
今一度、その願いを呼び起こし、「願いに還る」ことが第一歩であろう。
願いを刻印に、如何なる苦難があろうともそれを実現する志を
確かにすることであろう。

次に、「願いを果たすために何が必要か」を考えることだ。
「一切の人を救済すること」は簡単に適う願いではない。
それには何百年、何千年という時間が必要である。

その願いを果たすことは、巨大なビルを建設することに似ていると思う。
巨大なビルを建設するために、一体何が必要だろうか?
そのためには、まず設計図を描くことから始めなければならない。

39 :神も仏も名無しさん:2019/04/01(月) 08:51:02.66 ID:jvzND3Zf8
設計図を描いたならば、次に強固な基礎を固めなければならない。
そのような手順を踏まなければ、巨大なビルを建設することはできない。

手順を無視して、ただ無手勝流に鉄骨を組み上げたり、コンクリートの
型枠を作れば、どうなるだろうか?それらの作業は、全て無駄になるのだ。

あなたの願いを具現するにあたって「千年構想」とは「ビルの設計図」
である。ビルを建築するための強固な基礎となるものは「菩提心発掘」
である。「7つのプログラム」は、その「菩提心発掘」の第一歩になるだろう。

このように、「千年構想」「7つのプログラム」を推進してゆくことは、
あなたの願いを具現する唯一の道である。この唯一の道を歩まなければ、
あなたは願いを具現することができないのだ。

その自覚を得た人が増えるに従って、GLAの場は転換されてゆくだろう。

40 :神も仏も名無しさん:2019/04/17(水) 12:00:40.90 ID:mlHPJ90rz
「魂の所以を遡る瞑想」等によって「一切の人を救済する」という
「願い」を思い出した人の多くは、それと同時に「後悔」の念が湧き
上がってきたのではないだろうか。それは、過去世では願いに
生きられなかった、という後悔だ。

後悔の念が湧いてきても、後悔の具体的な原因を思い出せるだろうか?
自分は、過去世に何をしたのか?何をしなかったのか?
過去世の人生では一体、何が問題だったのか?
具体的に思い出せる人は少ないだろう。

しかし、過去世の後悔の詳細を思い出せなくても、特に問題ない。
過去20年、今生のあなたの人生を思い出してみれば、それで充分では
ないかと思うのだ。過去20年、今生のあなたは、あなたの「願い」
に対してどのように生きてきただろうか?

20年前、佳子先生は、あなたの願いを具現化する「千年構想」に
取り組むよう、呼びかけて下さった。しかし、あなたはその呼びかけを
無視して何も為さなかっただろう。

「組織」としてのGLAが「千年構想」を放置した責任は、直接的には
あなたには無いかもしれない。しかし、「組織」としてのGLAがどうであれ、
「あなた個人」が佳子先生の呼びかけに応えて、「千年構想」を進めること、
千年のヴィジョンを描いて刻印することに、何の障害も無かったはずなのだ。

41 :神も仏も名無しさん:2019/04/17(水) 12:01:51.34 ID:mlHPJ90rz
千年後に一体何を果たしたいのか、そのために、今、何を果たさなければ
ならないのか、そのヴィジョンにアクセスし、ヴィジョンを深めてゆくことは、
組織がどうであれ、他人がどうであれ、「あなた個人」が果たせたことである。
しかし、あなたは「あなた個人」が果たせることすら、何も果たさなかったのだ。

10年前、佳子先生は、「7つのプログラムを通じて菩提心を発掘する」
ことを呼びかけて下さった。しかし、あなたはその呼びかけも
無視して何も為さなかっただろう。

この問題も、「千年構想」と類似している。「組織」としてのGLAが
「7つのプログラム」を放置した事の直接的な責任は、あなたには無いかもしれない。
しかし、あなたは「7つのプログラム」のヴィジョンを描くことができただろう。
「7つのプログラム」のヴィジョンを描くこと、これは即ち「7つのプログラム
を通じて菩提心を発掘する」という佳子先生からの呼びかけに応えることである。

ヴィジョンを実現するためには「組織」としてのGLAを動かさなければ
ならないが、ヴィジョンを描き、ヴィジョンを深めてゆくことは、
組織がどうであれ、他人がどうであれ、「あなた個人」が果たせたことである。

しかし、この「7つのプログラム」についても、あなたは「あなた個人」が
果たせることすら、何も果たさなかったのだ。

42 :神も仏も名無しさん:2019/04/17(水) 12:02:17.40 ID:mlHPJ90rz
2013年、「千年構想」、「7つのプログラム」が放置されている事に
危機感を抱いた者が、自らの退会と引き換えに警鐘を鳴らした。

しかし、あなたは何も為さなかっただろう。それは、必ずしも
「組織としてのGLAを動かす」ことだけではない。あなたは、
「あなた個人が果たせること」を果たそうとしなかったのだ。

2014年、佳子先生は、「千年構想」を放置し続ける事の愚かさを
あなたに知らしめて下さったであろう。

それは、2014年、「佳子先生が信次先生の遺骨を祀られた」ということだ。
佳子先生が信次先生の遺骨を祀られた理由と考えられるものは、次のリンクにある。
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/637-640

しかし、その理由を想起できた者は、佳子先生の呼びかけに愚直に
従って「千年構想」の青写真へのアクセスに挑戦し続けた者だけである。

青写真へのアクセスする事を怠ってきた、あなたにとって、
その出来事は全く理解不能で困惑するしかなかっただろう。
これこそ、「青写真へのアクセスする事を怠ってきた」という想念、
行為に対する何よりの警鐘では、なかっただろうか。

43 :神も仏も名無しさん:2019/04/17(水) 12:02:55.42 ID:mlHPJ90rz
しかし、それでもあなたは、警鐘を無視して、「あなた個人が果たせること」
すら何も果たそうとしなかったのだ。

勿論、「組織」としてのGLAを変革することは、避けて通れないだろう。

しかし、「組織」とは「個人」の集まりであるから、「個人」を
変革することが先決問題になるだろう。すなわち、「千年構想」、
「7つのプログラム」について、「あなた個人が果たせること」を、
あなたが果たすことだ。

それによって、「組織」としてのGLAを転換してゆく道が整ってくるだろう。

過去世の後悔の話に戻ろう。人間は、転生しても、過去世と
同じようなことをする存在だ。時代を違え、国を違え、状況を違えても、
なぜか過去世とそっくり同じような事をする。

あなたには、過去世のあなたの状況は解らないかもしれない。
しかし、今世のあなた自身の姿を見ていると、大体のことは解るだろう。
過去20年に現れた今世のあなたの姿、それは、過去世のあなたの姿
とそっくりなのだろう。ならば、そのまま人生が終われば、後悔する
しかない一生になるだろう。

今生の人生で、あなたは、その後悔をまた繰り返すのだろうか?
それとも今生の人生で、後悔を生き直すことができるだろうか?

44 :神も仏も名無しさん:2019/04/25(木) 12:21:15.87 ID:h/7nuCf/M
「何かを信じれば、それで菩薩になれるか?」と問われるならば、
「絶対にそのような事は無い」と答えるのが普通だろう。

しかし、誤解を恐れずに言うならば、現在のGLAで、
「魂の所以を遡る瞑想」等によって「一切の人を救済する」という
「願い」を思い出した人、そして、それにもかかわらず「千年構想」、
「7つのプログラム」を放置し続けている人々に限定するならば、
「佳子先生に対する信を確立すれば、菩薩となって願いを生きることができる」
と言い切ることができるのではないだろうか。

あななたが「菩薩になりたい」「一切の人を救済したい」という願いを
持ちながら、過去世ではそれを果たせなかったのだ。だからこそ、
佳子先生は、今生の人生では、あなたを弟子として迎えられ、
「菩薩になれる道を整える」と約束されたのだ。

あなたは、「菩薩になれる道を整える」という佳子先生の約束を信じられるだろうか?

45 :神も仏も名無しさん:2019/04/25(木) 12:21:40.12 ID:h/7nuCf/M
「菩薩になれる道を整える」という佳子先生の約束を信じられるならば、
「菩薩になれる道」とは具体的に何だと思われるだろうか?

それは、「千年構想」であり「7つのプログラム」であろう。
この2つ以外にも、佳子先生は様々なテーマを与えて下さっている。
しかし、今生の人生で「菩薩」になる事を実現してゆけるような
テーマは他に存在するだろうか?少なくとも、私は、そのような
他のテーマが存在することを知らない。

では、「千年構想」「7つのプログラム」について、
「佳子先生は必要充分な事を果たして下さっている」と信じられるだろうか?

今よりも、さらに難しいヒントが与えられたなら、あるいはノーヒント
であったなら、あなたは「千年構想」にも「7つのプログラム」にも取り組む
ことができなかっただろう。

46 :神も仏も名無しさん:2019/04/25(木) 12:23:03.72 ID:h/7nuCf/M
逆に、今よりも易しいヒントが与えられたなら、あるいは、手取り足取り
ご指導を下さり、お膳立てを整えて下さる等、もっと助力を下さったなら、
あなたは「千年構想」も「7つのプログラム」も、ずっと楽に取り組めたはずだ。

もし、そうして下さっていたなら、今日では、目に見える形で、
ある程度の結果が出ているだろう。しかし、それでは、あなたの中から
「一人の菩薩を生む」ことはできなかっただろう。

だからこそ、佳子先生は、現時点の助力を与えて下さっているのだ。
佳子先生は、あなたの中から一人の菩薩を生むために、
「易し過ぎず、難し過ぎない、ぎりぎりの線の助力」を見極められる
事ができる方である。そして、その助力を実践できる方である。

あなたは、その事を信じられるだろうか?

以上のような点で、「ただ佳子先生を信じる」ことができるならば、
あなたは、菩薩となって願いを生きることができるだろう。

47 :神も仏も名無しさん:2019/05/10(金) 08:25:24.19 ID:6kzhdql3J
「佳子先生に対する信を確立する」という点で、もう一つ重要な側面がある
と思う。それは、
「佳子先生は、あなたにとって困難なテーマに対しては、必ず助力を下さる」
ということだ。

過去20年、「千年構想」「7つのプログラム」について、
佳子先生は、あなたに対して何の助力も下さらなかっただろう。
しかし、それは、あなた自身が果たせること(>>40-43) を、
あなたが果たしてこなかったからであろう。

佳子先生が、あなたに対して助力を下さるタイミングは、あなた自身が
智慧の限りを尽くして進める所まで進んだ時である。

そのタイミングで助力を下さるからこそ、助力はあなたの力を引き上げ、
次に同レベルの障害に見舞われたとき、助力なしで対応できるようになるだろう。
その繰り返しこそ、あなたが魂願成就する道であろう。

だからこそ、必ず佳子先生が助力を下さることを信じて、頂いたテーマ
「千年構想」「7つのプログラム」に対峙してゆくべきであろう。

48 :神も仏も名無しさん:2019/05/21(火) 12:08:15.30 ID:eTlEJjzX8
佳子先生が下さる助力とは、具体的に如何なるものだろうか?それは、
「現身を持たれた佳子先生が手口足を使ってご助力下さる」という側面と、
「聖霊としての佳子先生が手口足を使わずにご助力下さる」という側面がある。

ここで特に重要なのは後者である。前者の御助力は、佳子先生が現身を
持たれているごく短い期間内に例外的に生じることであって、来世のあなたが、
そのようなご助力を頂くことは期待できない。

しかし、後者の御助力であれば、今世も、来世も変わることなく
頂くことができる。後者の御助力とは、例えば、「インスピレーション
を送って頂く」、「奇跡を起こして頂く」という形として現れるだろう。

後者の御助力の中で、最も重要と思われるものは、神の御意志に基づいて、
佳子先生と弟子であるあなたとが響働することである。

それは「父と子と聖霊 三位一体の具現」という言葉で表すことができると思う。
「父と子と聖霊」「三位一体」という言葉は、キリスト教にもみられるが、
キリスト教の解釈は、ここでは全く関係ない。

私が言う「父と子と聖霊 三位一体の具現」において、「父」とは、大いなる存在、
神であり、一切の計画者である。「子」とは、地上に現身を持っている人間であり、
神の御意志を知り、手口足を使って神の御意志を具現してゆく存在である。
そして、「聖霊」とは、現身を持たない存在であり、神の御意志に基づいて
奇跡を起こして「子」を助ける存在である。

「父」と「子」と「聖霊」、この三者が響働することによって、
「子」のみでは実現不可能な事が具現されてゆくだろう。

49 :神も仏も名無しさん:2019/05/21(火) 12:08:37.42 ID:eTlEJjzX8
「三位一体の具現」を実現するにあたって、ボトルネックになるものは、
常に「子」である。「子」が神の御意志にアクセスできない限り、
三位一体の具現は起こり得ない。そして、「神の御意志にアクセスする」
というのは、なかなか難しいことである。

しかし、現在のGLAではどうだろうか?
「千年構想」「7つのプログラム」は佳子先生が示されたテーマ
であるから、これが「神の御意志」であることに絶対に間違いは無い。

勿論、細かい点では様々不明な事もあるが、大枠のヴィジョンは
絶対に間違いようが無い。だから、佳子先生がテーマを示して下さった
という事は、大きなご助力を頂いたという事に他ならない。

これによって、「子が神の御意志にアクセスする」という困難さを
相当に克服することができ、現実に三位一体の具現を果たしてゆけるだろう。

ただ、来世のあなたには、現在の佳子先生のように「絶対に間違い無い」
テーマを示して下さる方は現れないだろう。色々なテーマを示してくれる人は
いるだろうが、そのテーマは「絶対に間違い無い」とは言い切れないだろう。

すると、来世のあなたは、神の御意志が一体何であるのか、自分自身で
判断しなければならず、その判断が当たらない限り、三位一体の具現は起こり得ない。
そのために、今生のあなたは「神の御意志」とは如何なるものであるか、
その感性を磨いてゆかなければならない。

50 :神も仏も名無しさん:2019/05/21(火) 12:09:36.41 ID:eTlEJjzX8
では、如何にしてそれを磨いてゆくのか?
それは、神の御意志である「千年構想」「7つのプログラム」を吟味し、
考察し、他の人との間で智慧の交換を果たし、具現してゆくことである。
それによって、間違いなく、「神の御意志」に対する感性が、あなたの
中に育まれてゆくだろう。

また、「父と子と聖霊 三位一体の具現」において、本来、「聖霊」は現身を
持たない存在であり、手口足を使って「子」を助けることはない。しかし、
現在のところ、佳子先生は現身を持たれており、必要に応じて
手口足を使って御助力を下さることも起こり得る。

前述のように、2014年、佳子先生は「信次先生の遺骨を祀られた」という
行為によって、御助力を下さった。これは、「現身を持たれた佳子先生が
手口足を使って御助力を下さった」ということである。

このようなご助力を頂けることも、「三位一体の具現」を果たせる力を
今生の人生で育んでゆける大きな力になるだろう。来世のあなたには、
これほどの恩恵が与えられることはあり得ない。今生の人生で与えられている
恩恵が如何に尊く、如何に稀有なものであるのか、よく認識することである。

その恩恵を認識したなら、今生の人生を賭けて、頂いたテーマである
「千年構想」「7つのプログラム」に対峙してゆくことが、あなたには
呼びかけられているのではないだろうか。

51 :神も仏も名無しさん:2019/07/12(金) 08:57:15.98 ID:HmR+DSjXV
1999年、高橋佳子先生が「GLA 魂共同体千年構想」を
呼びかけて下さった後、20年が経過しようとしている。

しかし、20年に渡って、千年構想は、ほとんど何も進捗していない。
それは何故だろうか?それは、私が再三に渡って述べてきたように、
「快苦に翻弄される人間の自我」にある。否、もっとはっきり言えば、
「快苦に翻弄されるあなた自身」に原因がある。

佳子先生が「千年構想」を呼びかけて下さったのに、あなたは、
なぜGLA千年のヴィジョンにアクセスしようとしなかったのか?
なぜ志を立てなかったのか?なぜ先生の御心に己の心を合わせようと
しなかったのか?

それは、何もしない事のほうが快であり、楽だからだろう。

その後、関芳郎が「千年構想」を放置しているのに、あなたは何故、
関芳郎を放置したのだろうか?それは、関芳郎に意見すれば、関芳郎との
間に軋轢が生じる。それは、あなたにとって「苦」だからだろう。
何も言わないことが、あなたに「快」と「楽」をもたらすからだろう。

52 :神も仏も名無しさん:2019/07/12(金) 08:57:37.82 ID:HmR+DSjXV
また、関芳郎が「千年構想」を放置している事に対して苦言を述べ、
「千年構想」のヴィジョンを提示した人間(GLAを憂う元会員)がいた。
しかし、関芳郎は己の見栄と体面を守るため、その人間を退会に追い込んだ。

あなたは、その事実を知りながら、全く動かなかっただろう。なぜ、動か
なかったのか?やはり、それはあなたが「苦」を退け「快」を求めたからだろう。

また、佳子先生は地域拠点で止観シート研修を実施され、信次先生の
遺骨を祀られた。これは、GLAを憂う元会員の描いたヴィジョンの正しさを
証明するものである。佳子先生がそこまでして下さったのに、何故あなたは
動かなかったのだろうか?やはり、動かないほうが、あなたにとって
「楽」であり「快」だからだろう。

53 :神も仏も名無しさん:2019/07/12(金) 08:58:05.00 ID:HmR+DSjXV
佳子先生は以前、「志の無い人間にとって時間とは快楽の餌である」
と仰ったことがあった。正に、このお言葉の通り、20年という
時間が「快楽の餌」となって消えたのだ。
では、「快楽の餌」となって消えてしまった20年は、「全く無駄な時間」
だったのだろうか?それは、今後のあなた次第だと思う。

あなたがその事実を振り返らなければ、本当に「全く無駄な時間」として
終わるだろう。

しかし、過去20年、あなたが快苦に翻弄されてきた事実を克明に検証し、慚愧し、
それを新生の願いに結ぶことができたなら、「快楽の餌」となって消えた
20年は、あなたにとって有意義なものになるだろう。

また、過去20年にGLAに起こったことは、未来千年のGLAでも充分に
起こり得ることだと思う。まず、快苦に翻弄されやすいという人間の性は、
未来のGLAにおいても変わらないだろう。未来のGLAでも、快苦に翻弄
された人間が為すべき事を知りながら放置することは充分に考えられる。

54 :神も仏も名無しさん:2019/07/12(金) 08:58:26.14 ID:HmR+DSjXV
また、未来のGLAにおいても、GLA共同体が困難な解決・創造を果たさ
なければならない時、神は「鍵を持った人間」を出現させるだろう。
しかし、「鍵を持った人間」は、GLAの権力者に「自分の体面を潰す人間」
と看做される危険があり、権力者によって排除される可能性がある。
その際、GLA会員が快苦に翻弄されていれば、権力者の行動を黙認して
しまうだろう。

過去20年、すなわち1999年〜2019年のGLAの歴史を克明に後智慧
するならば、それは未来のGLAにとって貴重な先智慧になる。
未来のGLAの人々が、快苦に足をすくわれそうになったとき、その
先智慧によって混乱を避けられるようになるだろう。

私は、「GLAは千年構想20年の歩みを振り返らなければならない」
という神の御意志を強く感じる。おそらく、近日中に、佳子先生から
「千年構想20年の歩みを振り返るように」との御指示を下さるのでは
ないかと思う。もしかすると、既にその御指示を下さっているかもしれない。
もし、そのような御指示があったとすれば、その御指示の意味は、
上述した通りのことだと思う。

55 :神も仏も名無しさん:2019/07/12(金) 08:59:15.22 ID:HmR+DSjXV
すなわち、過去20年の時間を「快楽の餌」にしてしまった事実を
しっかりと刻印に、それを新生の願いに転換することを佳子先生は
求められているのだと思う。

しかし、仮に、佳子先生が関芳郎に対して「千年構想20年の歩みの
振り返りを行うように」と命じられたならば、関芳郎は、上述したような
ことを絶対にやらないと思う。関芳郎ならば、例えば「過去20年に
建設された建物の賛美」のような事を始めるのではないかと予想している。

勿論、GLAにとって建物も大切な要素に違いないが、建物を充実して
こられたのは主として佳子先生であろう。そして、いくら建物の
話をしても、「千年後に何を果たしたいのか」、「千年後のために、
今、何を果たさなければならないのか」、というテーマがさっぱり
見えてこないだろう。

56 :神も仏も名無しさん:2019/07/12(金) 09:00:30.50 ID:HmR+DSjXV
しかし、関芳郎ならば、それでも「建物の賛美」で「千年構想20年の
歩みの振り返り」を終わらせようとするだろう。

もし、あなたの目前で関芳郎が上述のような行動を取ったとすると、
それは、「あなたが神に試されている」ということだと思う。
神は、その事態を通して、次のようにあなたに呼びかけられているの
ではないだろうか。

「あなたは関芳郎の行為を看過してしまうのか?看過することは、
過去20年を無駄にするということだ。あなたが快苦に囚われた人間の
まま終わるということだ。あなたは快苦の轍から離れなければならない。
今こそ、快苦に翻弄される自我に打ち克ち、GLAの未来を開かなければ
ならない」

その時、あなたは神の呼びかけに応えて、今度こそ立ち上がるべきだろう。
もし、それでもあなたが「快」を求め「楽」を求める方向に進もうとする
ならば、神から厳しい形で「よびかけ」を受けることになるだろう。

57 :神も仏も名無しさん:2019/07/19(金) 12:00:06.72 ID:WhYPhlyZv
先生が「千年構想20年の振り返り」を呼びかけて下さるとすると、
次の伝道者研鑚セミナーの可能性が高いのではないかと思う。
その時、「魂の所以を遡る瞑想」によっても、先生はご助力を下さる
のではないかと予想している。

千年構想が20年に渡って放置され続けてきた原因の一つとして、
「ご指示を放置するような人間」、「黙って眺めているだけの人間」
ばかりを対象として修行の場が設けられてきたことが挙げられるだろう。

すなわち、先生の御旨を我が旨として、先生のご指示に愚直に従って
千年構想を推進しようとする人には、おそらく先生によって
全員にストップがかけられている。

そのため、「黙って眺めているだけの人間」による「放置プレイ」
ばかりが、GLAの中で目立ってしまうのだろう。

なぜ、「黙って眺めているだけの人間」ばかりを対象として、
修行の場が与えられているのだろうか?それは、「本人の切なる願い」
があるからだろう。

「黙って眺めているだけの人間」は、表面意識では、「自分は何も
していない」と認識しているかもしれない。しかし、魂の眼差しで
眺めるならば、大きな役割を果たしているのだ。

「黙って眺めている」という事は、権力者(ここでは関芳郎)の
行動を承認し、権力者を応援し、権力者にエネルギーを与えることに
他ならないのだ。

58 :神も仏も名無しさん:2019/07/19(金) 12:00:52.29 ID:WhYPhlyZv
「千年構想」という言葉は、既にGLAのホームページからは全く削除
されている。これは、「千年構想」を徹底的に放置し、無かったこと
にしたいという関芳郎の意向の現れだろう。これは、先生のご指示を
ないがしろにする行為である。

「黙って眺めているだけの人間」は、そのような「先生のご指示を
ないがしろにする行為」行為を承認し、賛同し、推進してきたのだ。

今生の人生で過去20年間、「黙って眺めているだけの人間」
であった人々は、過去世においても、全く同じような行動を
取ってきたのだろう。

それによって、その時代の権力者を増長させ、共同体を破滅に
追い込んできたのだろう。

「黙って眺めているだけの人間」は、過去世の人生が終わった後、
保身、快苦に捕われた己の人生を振り返り、慙愧したことだろう。
そして、「そのような自分を超えてゆきたい」という
新生の願いを抱いたのではないだろうか。

だからこそ、今生の人生では「黙って眺めているだけの人間」
ばかりが集められ、共にその轍を超えてゆけるように修行の場が
与えられているのだろう。一切は、あなた自身の「願い」に基づく
ものなのだ。「魂の所以を遡る瞑想」によって、そのリアリティを
恢復できるかもしれない。

59 :神も仏も名無しさん:2019/07/19(金) 12:01:50.14 ID:WhYPhlyZv
すなわち、次の伝道者研鑚セミナーでは、「黙って眺めているだけの人間」に
対して、神、先生から二つの御助力が与えられるのではないかと思う。

一つ目の御助力は、「関芳郎が、千年構想20年の振り返りを
建物の賛美等で終わらせてしまう」という事態を起こすことである。

二つ目の御助力は、「黙って眺めているだけの人間」で終わって
しまった過去世の後悔を思い出させて頂くということである。

過去世においても、今生の人生においても、「黙って眺めている
だけの人間」であった人々は、この二つの御助力によって目覚める
ことができるだろうか?

関芳郎に対して、「千年構想20年の振り返り」のやり直しを要求する
ことができるだろうか?それを実現させることができるだろうか?
正直言って、難しいかもしれない。カルマの轍は深く、苦を退け
快と楽を求める自我の傾向は度し難い。

その困難を乗り越える力は、「佳子先生に対する信」から生まれる
のかもしれない。

あなたは、千年構想の大切さを説かれた先生を信じることができるのか?

あなたのために、大切な千年構想の中の20年という時間を犠牲にして、
修行の場を与えて下さった先生を信じることができるのか?

信じることができるのであれば、今度こそ、自らの行動によって
信を示さなければならないのではないか。それとも、今回も
「黙って眺めているだけの人間」のまま終わってしまうのだろうか?

60 :神も仏も名無しさん:2019/07/20(土) 10:55:54.73 ID:/1nYh5lt3
>>59 に書いた「二つの御助力」では足りない人には、
神から「三つめの御助力」を頂けると思う。それは、「厳しい形のよびかけ」
を下さる、という御助力である。

「厳しい形のよびかけ」とは、具体的にどのようなものになるか
人によって違うだろう。それは、「肉体的試練」かもしれないし、
「精神的試練」、「経済的試練」かもしれない。

ただ、「肉体的試練」も、「精神的試練」も、「経済的試練」も、
「原因は必ず、千年構想を放置してきたことにある」とは言い
切れない面はある。

「肉体的試練」、「精神的試練」、「経済的試練」が訪れたとき、
「これは千年構想の放置とは関係ない」と考えて、様々なアプローチを
試してみるのもいいかもしれない。しかし、どのようなアプローチを
試しても、結果が変わらない場合は、腹を据えるべきだろう。

あなたの試練が「千年構想の放置」に対する神からのよびかけである
とするならば、「千年構想を推進すること」以外の道はあり得ないからだ。

61 :神も仏も名無しさん:2019/07/22(月) 12:18:57.38 ID:MibAOSNK6
佳子先生から頂いた「千年構想」のテーマが20年も放置されていること、
それは「黙って眺めているだけの人間」という個人個人が
引き起こしている面があるが、それと同時に「黙って眺めているだけで良い」
という「場の風土」が引き起こしている面もある。

「場の風土」は、個人個人の意識が集まって形成されたものであるが、「場の風土」
が出来上がってしまうと、個人個人の意識に対して強い影響を及ぼすようになる。

例えば、「先生の御旨を我が旨として、先生のお言葉に愚直に従って千年構想を
推進したい」という志があなたに生じたとしても、「黙って眺めているだけで良い」
という「場の風土」に勝利しない限り、あなたは、行動に結ぶことが出来なくなるのだ。

しかし、現在とは真逆の「場の風土」が醸成されていたらどうだろうか?
「先生の御旨を我が旨として、先生のお言葉に愚直に従って千年構想を推進する」
「神の御心を尋ね、神の御心に従って、GLAを運営する」「自分たちがGLAのあり方の
責任を担う」ということが、「場の風土」=「暗黙の了解」あるいは「常識」として
GLAの中に確立していたらどうなるだろうか?

「黙って眺めているだけでいいんじゃないの?」と思っていた人も、「場の風土」
触れて「場の風土」に感化され、「千年構想を推進する人」になれるのではなかろうか。
そして、「千年構想を推進する人」になった人は、その態度によって「場の風土」を
維持し深化させてゆくことができるだろう。

このように、「場の風土」が醸成されていたなら、より多くの人が、もっと容易に、
千年構想に参画できるだろう。ならば、そのような「場の風土」を醸成してゆくことが、
GLAの直面している課題ではないだろうか。

62 :神も仏も名無しさん:2019/07/22(月) 12:19:21.24 ID:MibAOSNK6
これから、「黙って眺めているだけの人間」から脱却しようとする人は、
「個人のカルマを超克する」と同時に、その事を通じて「場の風土を醸成する」
という使命も抱いているように思える。

>>54 で述べたように、未来のGLAにおいても、GLA共同体が困難な解決・創造を
果たさなければならない時、神は「鍵を持った人間」を出現させるだろう。
しかし、「鍵を持った人間」は、GLAの権力者に「自分の体面を潰す人間」と
看做される危険があり、権力者によって排除される可能性がある。

それにストップをかける「場の風土」が醸成されていなければ、権力者の意向
のまま事態が進み、全くストップがかからなくなるかもしれない。ならば、
「場の風土」を醸成しない限り、GLAは立ち行かなくなるだろう。

今、この時代にあなたがGLAの場に集っている理由は、「個人のカルマを超克する」
「場の風土を醸成する」という二つの使命、願いを抱いているからではないだろうか。
「場の風土を醸成する」というのは相当に大変なことであるが、実は、あなたは、
この大変な使命を避けることができたのだ。例えば、50年後、100年後に
GLAに集ってこれるように生まれてくればよかったのだ。

その時には、既に「場の風土」は醸成されているだろう。だから、あなたは
「場の風土」に乗って、もっと容易に、千年構想に参画できただろう。

あなたには、厳しい形で試練が訪れるかもしれない。それは、「個人のカルマを
超克する」「場の風土を醸成する」という二つの使命、願いをあなたが抱いたこと
に起因する。神は、あなたが二つの使命、願いを成就できるよう試練を与えられるのだ。

このように、全体のため、未来千年のGLAのため、避けられたはずの苦労や試練を
自ら引き受けることが、「未来千年の礎になる」ということではないだろうか。

63 :神も仏も名無しさん:2019/07/23(火) 08:17:09.16 ID:H2OsK0Dmk
「未来千年の礎になる」という言葉は、「魂の大地にカルマを克服する道を付ける」
という側面からも捉えることができると思う。

>>22-23 で、私は次のように述べた。

> ある傾向のカルマを持った魂が「要素」として集まると、その「要素」
> によって「場」が生じ、その傾向が一層強められる。「場」が生じると、
> 「潮流」が生まれる。すなわち、その傾向が世代を超えて受け継がれるようになる。
> この「潮流」は「三つのち」とも呼ばれてきた。

> そして、一人がカルマを克服したなら、魂の大地に
> 「カルマを克服する道」ができ、その道を辿って、全員にカルマ克服
> の可能性が生まれる

ここで重要なことは、魂の大地に「カルマを克服する道」を付けられる者とは、
「一度はそのカルマに呑まれた者」である。

元々、そのカルマを持たなかった人間は、魂の大地に「カルマを克服する道」
を付けることはできないのだ。

例えば、人里離れた村があり、その村人が共通のカルマを抱いており、その
カルマが村の「三つのち」として受け継がれてきたとしよう。

ある日、村に旅人が訪れ、その旅人が「この村の人間は全員がおかしい。
考え方が変だ。言っている事も、やっている事も変だ」と言い出したとしよう。

64 :神も仏も名無しさん:2019/07/23(火) 08:17:41.27 ID:H2OsK0Dmk
旅人にそのように言われて、村人たちは、「三つのち」を超克できるだろうか?
外部の人間に「正しい事」を言われたからといって、簡単に超克することは
できないだろう。

しかし、村人のうち、誰か一人が、その「三つのち」を超克したとき、その
「一人の村人」というミクロと、「村全体」というマクロが共振して、村人全員に
「三つのち」を超克できる道が整う。それが「希望の原理」というものであろう。

千年構想に関して言えば、最初から「先生の御旨を我が旨として、先生の
ご指示に愚直に従って千年構想を推進しよう」と考える人は、「カルマを
克服する道」を付けることはできない。

「10年も、20年も、ご指示を放置する人」、
「10年も、20年も、黙って眺めているだけの人」、
「己の保身のため、権力者に媚び権力者の行動を黙認する人」、…
そのような人間こそ、カルマを克服したとき、魂の大地に「カルマを克服する道」
を付けることができる。

やがて、GLAに醸成される「場の風土」には、その「カルマを克服する道」も
伴うだろう。だから、後世の人は、今よりも楽にカルマを克服できるように
なるだろう。しかし、「カルマを克服する道」を付ける人は、道が無い所に
道を切り拓いてゆく人であり、後世の人と比較して何倍もの苦労を背負うだろう。

「未来千年の礎になる」という言葉は、このように、「自ら願って、後世の人の
何倍もの苦労を背負って、魂の大地に道を付ける」という意味
にも捉えることができるだろう。

65 :神も仏も名無しさん:2019/07/26(金) 12:28:12.81 ID:qhZM883Ka
やがて、GLAには、
「先生の御旨を我が旨として、先生のお言葉に愚直に従って
千年構想を推進する」「神の御心を尋ね、神の御心に従って、GLAを運営する」
「自分たちがGLAのあり方の責任を担う」
という「場の風土」が千年構想を介在として、醸成されてゆくだろう。

また、魂の大地には、その風土によって「カルマを克服する道」
が刻まれるだろう。

この「場の風土」と「魂の大地に刻まれる道」は、
「GLAに数多の菩薩を湧出させる母胎」になるのではないだろうか。

以前、佳子先生は「数多の菩薩を湧出させるヴィジョン」について
語られたことがあった。しかし、具体的に如何にしてそのヴィジョンを
実現させるのか、それは、なかなか見えてこなかった。

そのヴィジョンは、これから醸成される「場の風土」と「魂の大地に刻まれる道」
によって実現されてゆくように思えてならない。

66 :神も仏も名無しさん:2019/07/31(水) 08:27:31.25 ID:OpHkvq8Jh
「場の風土」と「魂の大地に刻まれる道」を具現してゆくために
試練に遭遇する人々のことについて、触れておこう。

その人々が遭遇する試練とは如何なるものになるだろうか?
それは、その人、個人個人の状況に応じて異なるため、一概に
「このような試練が訪れる」という具合に、言えるものではない。

しかし、「間接的な形で試練が訪れる可能性が高い」ということは
言えると思う。例えば、ある人に「原因不明な疼痛が日夜訪れ、病院に
行っても原因が解らない」、さらに「経済的に行き詰って、火の車になる」
という形で試練が与えられたとしよう。

では、その人は、千年構想を推進するために働けるだろうか?
それは、ほとんど無理になるのではないだろうか。

ならば、神が「試練」を通してあなたに対して「千年構想を推進せよ」
と呼びかけられるなら、その「試練」は、あなたに対して直接与えられる
ものではないかもしれないと思えるのだ。

67 :神も仏も名無しさん:2019/07/31(水) 08:27:55.90 ID:OpHkvq8Jh
その「試練」は、例えば、「あなたにとって大切な人に痛みを与える」
という形で現れるかもしれない。その痛みを引き受けて下さる方は、
あなたにとって御縁の深い人なのだろう。その方の魂は、
「あなたの魂の成長」のために、自分自身が犠牲になることを受け入れて
下さったのだ。

さらに、これから千年構想を介在としてGLAに醸成される「場の風土」と
「魂の大地に刻まれる道」は、全人類にとって宝であり、希望の星である。
だから、痛みを引き受けて下さる方の魂は、「あなたの魂の成長」を通して、
「全人類に対して貢献したい」とも願って下さっているのだろう。

もし、そのような方があなたの周囲に出現したならば、あなたには
「自分自身の責任の重さ」というものを、再認識する必要があるだろう。
あなたが魂の成長を果たし、「場の風土」を醸成し、魂の大地に「道」を
刻まない限り、その方が「痛み」から解放される術は無いだろう。

68 :神も仏も名無しさん:2019/07/31(水) 08:29:45.68 ID:OpHkvq8Jh
「場の風土」を醸成すること、魂の大地に「道」を刻むこと、
それは次の段階を経て、果たされるのではないかと思う。

【段階1】佳子先生は関芳郎に対して、「千年構想20年の振り返り」
を命じられ、関芳郎は、例えば「建物の賛美」のような事で「振り返り」
を終わらせようとするだろう。それに対して、「振り返り」のやり直し
を要求しなければならない。快苦に翻弄された過去20年を慚愧し、
千年後に何を果たしたいのか、その願い、ヴィジョンを明確に
しなければならないだろう。

【段階2】千年構想の願い、ヴィジョンが明確になったのであれば、
「7つのプログラム」を再スタートし、「菩提心発掘」を果たさなければ
ならないだろう。自分自身に青写真にアクセスする力が足りないと感じる
ならば、霊操行( http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf )によって
その力を育めばいいだろう。

69 :神も仏も名無しさん:2019/07/31(水) 08:30:06.64 ID:OpHkvq8Jh
【段階3】「7つのプログラム」によって「菩提心発掘」を果たした
のであれば、次は「高橋信次先生の法の復活」
http://file.copyman.syoyu.net/GJ.pdf
をスタートさせることだ。これによって「神理を学ぶ場」を一つに統合し、
「佳子先生の法」に共感できない人を「佳子先生の法」につないでゆく
智慧の鍛錬を積むことができる。

【段階4】次は「法華経に依拠する伝道」
http://file.copyman.syoyu.net/GF.pdf
をスタートさせることだ。これによって、さらに多くの人々を
神理につないでゆく智慧の鍛錬を積むことができる。

私は、以上の段階1〜段階4によって、「場の風土」を醸成し、魂の
大地に「道」を刻むことができるのではないかと思っている。

仮にそうであるとすると、段階4において、多くの人々が厳しい試練
から解放されるのではないだろうか。

70 :神も仏も名無しさん:2019/08/03(土) 13:39:50.85 ID:40ouZOx6o
これからGLAが千年構想を進めてゆくにあたって、佳子先生は如何なるご助力を
下さるだろうか?「手口足を動かして下さる」という意味では、
「一切ご助力を下さらない」という事を覚悟する必要があるだろう。

それが何故なのか、少し考えてみれば解ることだ。「手口足を動かして下さる」
という形で佳子先生からご助力を頂ける期間は、あと僅かしか残されていない。
ならば、そのようなご助力が無い前提で鍛錬を積まなければ、GLAはすぐに
立ち行かなくなる。

ただ、「手口足を動かして下さる」という形の御助力が「全くない」と
言い切れるわけでもない。2014年、「佳子先生が信次先生の遺骨を祀られた」
ということも、これから関芳郎に対して「千年構想20年の振り返り」を命じて
下さることも、「手口足を動かして下さる」という形の御助力である。

しかし、それは「ごく僅かな例外」に過ぎないのであって、原則としては、
そのような形のご助力は一切頂けないものと覚悟する必要があるだろう。

71 :神も仏も名無しさん:2019/08/03(土) 13:40:29.59 ID:40ouZOx6o
すなわち、千年構想を進めてゆくにあたって、「人間が手口足を動かす」
必要があるならば、その一切は弟子が担わなければならないということであり、
「現身を持たれた佳子先生」は(ごく僅かな例外を除いて)、一切御助力を
下さらないということだ。

しかし、>>48-49 で述べた「聖霊としての佳子先生」ならば、常にあなたに
御助力を下さるだろう。すなわち、あなたが手口足を使って神の御意志を具現しよう
とするとき、「人間が手口足を使っても具現できないことを具現すること」によって、
あなたに御助力を下さるだろう。

例えば、あなたが行き詰っているとき、「聖霊としての佳子先生」は、「あなたに
インスピレーションを送る」という形で御助力を下さるかもしれない。
また、「ある人に過去世の後悔を思い出させたい」と思っても、それはあなたには
できないだろう。また、「自分さえよければよい」と考える人たちが集まって場を
作っているとき、その場を短時間で「慈愛溢れる場」に転換してしまうことも、
あなたにはできないだろう。

72 :神も仏も名無しさん:2019/08/03(土) 13:41:18.57 ID:40ouZOx6o
そのように、自分がどのように手口足を動かしても実現できない事は、
「聖霊としての佳子先生」にお願いすれば実現して頂けるだろう。勿論、
自分勝手に佳子先生を動かすことはできない。しかし、あなたが神の御意志を
具現しようと動くとき、「聖霊としての佳子先生」は、あなたと一体になって
動かれるのだ。

千年構想は、>>48-49 で述べた「父と子と聖霊 三位一体の具現」を果たして
ゆくことによって具現してゆくであろう。また、それは今生だけの話では終わらない。
あなたが、今生の人生で、「三位一体の具現」の「子」としての役割を果たせる
ようになったなら、あなたには、その役割を再び果たす「来世」が待っている。

来世の人生においても、あなたは、聖霊としての佳子先生と響働して、
共に神の御意志を具現してゆく人、その使命を担える人になるだろう。

これから、あなたに与えられる試練は、辛く、長く、厳しいものになるかもしれない。
しかし、試練からの「よびかけ」に応えてゆくことによって、このような
来世が開かれることも、忘れないでほしい。

73 :神も仏も名無しさん:2019/08/06(火) 12:16:02.35 ID:QAt521oHA
「GLA千年の願い」とは何か?千年後に一体何を実現したいのか?それを突き詰めて
ゆくならば、「一切の人を救済する」という事に集約されてくるだろう。

また、「魂の所以を遡る瞑想」等によって「一切の人を救済する」という「願い」を
思い出した人もいるかもしれない。但し、「一切の人を救済する」という願いを認識
しただけでは、その願いに従って動き続けることは難しいだろう。

>>68-69 には、千年構想において当面必要と思われる4つの段階について
述べたが、ただ、願いを認識しただけでは、おそらく4つの段階を完遂
するまで志を持続させることも難しいのではないだろうか。

佳子先生は「魂の所以を遡る瞑想」によって思い出した境地を「瞬間最大境地」
と表現されたことがあった。「瞬間最大境地」であるがゆえ、瞑想が終わった
後は、段々とリアリティが薄れ、錆びてゆくしことは必然である。

このままでは、煩悩によって、楽な方向へ、楽な方向へと、流されてしまう
可能性が、どうしても高くなると思う。願いを一層確かにし、志を持続させるには、
霊操行( http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf
に取り組み続けることが欠かせないと思う。

霊操行によって、表面意識に強いエネルギーを加えることにより、
煩悩に流されやすい自我を修正してゆけるだろう。

74 :神も仏も名無しさん:2019/08/08(木) 08:48:39.01 ID:i6LdD7skl
「青写真へのアクセスの仕方」という事について、述べておいたほうが
良いと思う。「青写真へのアクセス」に関しては、過去に佳子先生が
様々な実例を見せて下さっている。しかし、佳子先生がされた事は、
誤解を恐れずに言うならば、「これから千年構想にチャレンジする人々」
にとって、あまり参考にならないと思う。

佳子先生は、「非常に早い時期に確度の高い青写真にアクセスできる」
という稀有な力を持たれた方だと思う。しかし、佳子先生の具現を間近で
何十年も見せて頂いたとしても、「同じように具現する」というは
なかなか難しい。

だから、「青写真へのアクセス」に関してお手本を探すのであれば、
佳子先生よりもずっとレベルの低い人、つまり菩薩クラスの人の具現
をお手本にするのが最適ではないかと思う。

75 :神も仏も名無しさん:2019/08/08(木) 08:49:22.10 ID:i6LdD7skl
では、具体的に何が最適かと考えてみると、「明治維新」は如何だろうか?
「明治維新」に関しては、佳子先生も様々な御著書で取り上げて下
さっているので、その点でも取り組み易い題材ではないかと思う。

ペリー来航を皮切りにして、欧米列強が日本に接近してきた時代、
「このままでは日本が欧米列強の植民地になる」と危惧した人が
何人も現れた。

その中の「一橋派」と呼ばれた人々は、「将軍になる資格がある人間の
中で最も優秀な人間である一橋慶喜(徳川慶喜)を将軍にして、
一橋慶喜を中心として危機を乗り越えよう」というものであった。

西郷隆盛も、主君の島津斉彬も、一橋慶喜を将軍にするために、
様々な画策をして動いていた。やがて、一橋慶喜を将軍にすることは
成功したが、それでは、どうもうまくいかないという事が見えてきた。

つまり、旧来の幕藩体制を維持したままで危機を乗り越えることは
難しいということが、後になって解ったのだ。

76 :神も仏も名無しさん:2019/08/08(木) 08:50:20.06 ID:i6LdD7skl
すると、今度は幕府を倒して天皇中心の国家を作り、そのうえで外国を
排除する「尊王攘夷」という思想が主流になってきた。しかし、当時の
欧米諸国と日本の軍事力を冷静に比較したとき、外国を排除する「攘夷」
というのは、そもそも無理・無謀だという事が、解ってきた。

そこで、最後に、外国から様々な知識を学びつつ日本を改革してゆく
「明治維新」というヴィジョンが生まれてきたわけであり、これが青写真に
適うヴィジョンだったのだろう。

島津斉彬は、明治元年(1968年)の十年前(1958年)に亡くなったが、
その時、「勤王の志士」と呼ばれる人々の中で「明治維新」という
ヴィジョンを描けた人間は、誰もいなかっただろう。

「10年後のヴィジョンを正確に描く」ということは、非常に難しい。
やはり、青写真にアクセスするためには、青写真の真実の内容が
解らなくても、その時、その時に「最も正しい」と思えるヴィジョンに
邁進することが大切だと思う。

77 :神も仏も名無しさん:2019/08/08(木) 08:50:47.64 ID:i6LdD7skl
邁進するからこそ、世界から「No」の洗礼を受けることができるの
ではないだろうか。そして、「No」の洗礼を受けることができたなら、
そのよびかけをしっかりと聴くことによって、ヴィジョンを修整する
ことができる。これによって青写真に一歩近づくことができるだろう。

この先智慧――実行――後智慧のサイクルを何度も何度も繰り返して、
最後に青写真に到達する、というのが「菩薩による具現」であり、
「菩薩による青写真へのアクセス」ではないだろうか。

これから、GLAで展開される「千年構想」についても、そこに現れる
姿は、「佳子先生による具現」よりも、むしろ「明治維新」にずっと
近い形になるのではないかと思う。

78 :神も仏も名無しさん:2019/08/09(金) 15:02:30.71 ID:6i1AlfRqM
千年構想をスタートするとき、最初、どのようにスタートすべきかを
考えてみたい。まず、最初に取り組むべき事は、多くの会員が議論して
智慧の交換ができるコミュニティを創設することだろう。

2018年には、GLAが「Facebookグループ(会員用)」というものを開設
したようだ。私は、その内容や、規則を全く知らないが、もしその場で
議論することが可能であるなら、その場で議論するということも考えられる。

ただ、以前、「GLA Facebookページ」が開設された際には、GLAの方針に
関する話題は禁止されていたので、「Facebookグループ(会員用)」でも、
そうなっているのかもしれない。

その場合は、自分自身でネットワーク上のコミュニティを立ち上げ、
「Facebookグループ(会員用)」では、その案内とメンバーの募集を行えば
良いだろう。

79 :神も仏も名無しさん:2019/08/09(金) 15:02:54.27 ID:6i1AlfRqM
次に、2番目に何をすれば良いか考えてみたい。コミュニティが創設された
直後では、メンバーがさほど集まっていないだろう。ならば、2番目に取り組む
テーマは「解りやすい、取り組みやすい」ものにし、そのテーマに共に取り組む
ことを呼びかけながら「メンバーを増やしてゆく」ことが大切だと思う。

具体的には、「通信ネットワーク環境の整備」に取り組むことが最適では
ないかと思う。GLAには、既にインターネット経由で会員の自宅に映像配信
できるシステムが整っているが、このシステムは眠ったままで有効利用
されていない。

そこで、様々な事情でGLAの場になかなか集えない方々のために、四聖日の
内容や、佳子先生のご講義の内容等の映像配信を実現することが呼びかけられ
ていると思う。

最後は「映像配信のヴィジョンを具体的に立案し、総合本部を動かす」ことに
よって、このテーマは完結するだろう。この実際に「総合本部を動かす」
という体験を積むことも大切であり、その他のテーマを進めてゆく励みにも
なるだろう。また、2番目のテーマが完結する頃には、コミュニティが充実し、
様々な議論も活発になってくると思うので、「3番目以降、何に取り組むか?」
という問題も、自ずと答えが出てくるだろう。

80 :神も仏も名無しさん:2019/08/12(月) 17:55:19.07 ID:SBDfiXktf
  私は、GLAについて自分の意識に浮かんだヴィジョンなどを様々
投稿してきた。投稿してきた理由は、「投稿せよ」という神の
御意志を感じたことによる。

しかし、投稿しながら、私はいつも不思議に思っていたことがあった。
それは、「GLAの現状に関する情報」が入ってこない立場に私が
置かれていることだ。

GLAの現状がよく解らないのに、GLAのヴィジョンを描いたとしても、
それは青写真から外れてしまう可能性が高くなるはずだ。神が一体、
私に何を望んでおられるのか、今一つ見えてこなかった。

最近、それが、ようやく解ってきたような気がする。神は、私が
「不正確なヴィジョン」、つまり「大筋では正しいものの、修正しない
限り使い物にならないヴィジョン」を描くことを望まれていたのだと思う。

81 :神も仏も名無しさん:2019/08/12(月) 17:55:56.68 ID:SBDfiXktf
それは、これからGLAで「千年構想」にチャレンジする人に対する
神の御慈愛ではないだろうか。1999年以前、GLAが果たす具現に
ついては、佳子先生が常に青写真に適ったヴィジョンを示して下さった
のではなかっただろうか?

すると、弟子は青写真にアクセスせずとも、ただ佳子先生の示された
ヴィジョンの通りに動いていればよかったわけだ。しかし、それだけでは
魂の成長には限界が生じる。

自ら青写真にアクセスする鍛錬を積まない限り、菩薩になることは
無理ではないかと思う。それは、>>75-77に述べたように、
先智慧――実行――後智慧のサイクルを何度も何度も繰り返して、
青写真に到達するということだ。

しかし、過去世にそのような具現を果たした経験のない人にとっては、
その事も困難ではないだろうか。そこで、そのための「たたき台」として
「大筋では正しいものの、修正しない限り使い物にならないヴィジョン」
というものが必要だったのではないだろうか。

82 :神も仏も名無しさん:2019/08/14(水) 08:45:07.78 ID:EhDXjPwtF
コミュニティを立ち上げ、千年構想についてヴィジョンを構築してゆくのは
在家の会員の役割であるが、この在家の会員の働きは「押し上げる力」
であると言える。

これに対して、職員は「引き上げる力」を発揮することが呼びかけられている
のではないだろうか。「押し上げる力」、「引き上げる力」については、
以下のリンク等で考察が重ねられている。

ttp://file.copyman.syoyu.net/GE.pdf
ttp://copyman.syoyu.net/Date/20130523/
ttp://copyman.syoyu.net/Date/20130614/
ttp://copyman.syoyu.net/Date/20130622/
ttp://copyman.syoyu.net/Date/20131202/
ttp://copyman.syoyu.net/Date/20131216/
ttp://copyman.syoyu.net/Date/20140110/
ttp://copyman.syoyu.net/Date/20140119/
ttp://copyman.syoyu.net/Date/20140125/

要するに、在家の会員のみでは、青写真から外れたヴィジョンを描きやすいため、
職員は、ボーディ・サットヴァ・ウィズダム等に基づいて、在家の会員の視点落ち
を補い、青写真に適ったヴィジョンに誘導してゆく事が呼びかけられている
のではないだろうか。

私が「大筋では正しいものの、修正しない限り使い物にならないヴィジョン」
を描くこと、そして職員が「引き上げる力」を発揮すること、これら二つの
サポートによって、青写真にアクセスする経験をさほど積んでいない人々にも、
「千年構想」にチャレンジしてゆける下地が既に整っているのではないだろうか。

83 :神も仏も名無しさん:2019/08/21(水) 12:28:08.45 ID:rq9suKHb4
千年構想、7つのプログラムについて、今日まで佳子先生がほとんど
ヒントを与えて下さらず、助力も少なかった理由について、これまで
とは別の観点から考えてみたい。過去、佳子先生が目指してこられた
ことは、「会員の一人一人が神とつながる」ことである、と考える
ことができるだろう。

ただ、「神とつながる」には、二種類の方法がある。
一つは「他人を介して神とつながる」ことである。現在のGLAにおいて、
多くの場合、その「他人」とは「佳子先生」になるだろう。

「神とつながる」もう一つの方法は、(他人を介さず)「神と直接
つながる」ことである。菩薩になってゆくには、この「神と直接つながる」
事の鍛錬が欠かせないだろう。

弟子が「神と直接つながる」ことを佳子先生が願われるなら、「手口足を
動かして助力を与える」という意味では、基本的には「何も助力を与えない」
ことが正しいだろう。

なぜなら、ヒントを与えれば与えるほど、また助力を与えれば与えるほど、
弟子が「神と直接つながる」機会を奪ってしまうからだ。ただ、神と直接
つながった体験の乏しい人が、千年構想、7つのプログラムをノーヒントで
推進してゆくことは、相当に厳しい面があるだろう。

それゆえ、佳子先生は必要最小限の御助力しか下さっていないのだろう。
ならば、佳子先生が下さった御助力では足りないのであれば、
「神と直接つながる」ことによって「神から直接御助力を頂く」ことが
弟子として取るべき態度であろう。

84 :神も仏も名無しさん:2019/08/21(水) 12:29:24.45 ID:rq9suKHb4
「神と直接つながる」こと、そして「神から直接御助力を頂く」ことを如何に
果たしてゆくかであるが、それには「如来的方法」と「菩薩的方法」がある
ように思える。

「如来的方法」は、深い次元で「神の御意志」に通じ、先の先を読んで
ヴィジョンを描き、アクションプログラムを立てること、と言えるだろう。
これは、佳子先生が様々な形で具体例を示して下さっている。

「菩薩的方法」はその時、その時に「最も正しい」と思えるヴィジョンに
邁進することである。そして、世界から「NO」のサインが突きつけられる度に
先智慧――実行――後智慧のサイクルを何度も何度も繰り返して、
臨機応変にヴィジョンを組み替えながら、最後の最後に青写真=神の御意志に
到達するということだ。前述した「明治維新」がその具体例になるだろう。

「如来的方法」が実践できるのであれば、それが最もスムーズに神の御意志を
具現できる方法である。しかし、「如来的方法」というものは、幾転生にも
渡って「菩薩的方法」の実践を続け、神意・青写真に対する感性を育んで
徐々に果たせるようになるものである。その過程を経ていない者が
「如来的方法」を実践できるはずはない。

従って、誤解を恐れずに言うならば、千年構想、7つのプログラムを通じて、
これから鍛錬を積もうと志す人々にとって、「如来的方法」すなわち
「佳子先生による具現」というものはお手本にはならないと思う。

例えば、明治維新のような「菩薩的方法」による具現こそ、学ぶべき
対象であり、お手本にすべき対象であると思う。

85 :神も仏も名無しさん:2019/08/22(木) 08:34:46.98 ID:wjsRDhGA8
「菩薩的方法」によって具現を進めるには、
・世界からの「NO」のサインを的確に察知すること、
・それによって臨機応変にヴィジョンを組み替えること
という二つの態度が欠かせないだろう。

いつの時代にも、硬直した考えしか持てない人間は存在する。
おそらく、江戸時代にも、次のように言う人間がいただろう。

「あなたは、一橋慶喜公を中心に改革を進めると言ったではないか。
それなのに、なぜ幕府に盾突くようなことをするのか?」

「あなたは、尊王攘夷の大切さを説いていたではないか。
それなのに、なぜ外国に使節を送ろうとしているのか?」

このように、硬直した考えしか持てない人間は、維新の流れから
取り残されていったことだろう。

86 :神も仏も名無しさん:2019/08/26(月) 11:55:17.26 ID:3tcp+xNEs
GLAを憂う元会員は、2013年に「歴史の整備」について次のような見解を述べている。
http://copyman.syoyu.net/Date/20131017/
> 歴史の整備:「未来千年の礎」について

>  「GLA随想2 GLAの歴史概観」のレポートにありますように、「歴史の整備」
> について佳子先生が元々下さったヒントは「GLA40年を振り返り、未来千年の
> 礎とする」ではなかったかと推測します。この「未来千年の礎」の意味について
> よく吟味できていなかったと思いますので、もう一度考えてみることにします。

>  GLA40年の歴史というものは、ある側面から眺めますと、「人を排除していった
> 歴史」と呼べるのではないでしょうか。具体的には、これまでのレポートや記事
> にありますように、法の継承時の鍛錬、1981年の予言、「人間のまなざし」
> シリーズの学びなどが該当します。そして、現在も「佳子先生の法に共感できること」
> 「面接にあたっておかしな様子が見られないこと」を入会承認の基準としていることは、
> 「人の排除」が依然として続いているという事ではないでしょうか。

>  これらは全て神の御意志に基づくものであり、止むを得ない事情があったという
> 点では、確かにその通りであると思いますが、それだけでは割り切れない「痛み」
> を感じることも事実ではないでしょうか。そうしますと、その「痛み」を
> 「一人も排除しないGLAを実現する」という「願い」に転換することができるはずですし、
> その「願い」こそを「未来千年の礎」とすべきではないかと思われます。
> 「一人も排除しない」ということは、「一切の人を救済する」と同義であるとも考え
> られますが、「目の前に集ってきた人を一人も排除しない」という意味に考えますと、
> かなり具体的で身口意に結びやすいことではないでしょうか。

87 :神も仏も名無しさん:2019/08/26(月) 11:56:08.20 ID:3tcp+xNEs
しかし、ここで述べられた見解には、若干、認識不足な面があったと感じる。
それは、上述した引用箇所のうち、“それだけでは割り切れない「痛み」を感じる
ことも事実ではないでしょうか。”の部分である。実は、大部分の人は、(少なく
とも表面意識の上では)「痛み」など、何も感じていないのではないだろうか?

1980年代、「高橋信次の霊言」などと称するものを持ってきて「私には解ります。
これは本物の信次先生です」などと言って、GLAを去って行った人がいただろう。
また、現在でも、救いを求めてGLAに入会希望したとしても、佳子先生の法に
共感できなければ、入会は認められないだろう。

あなたは、そうやって、GLAから排除されていった人々の「痛み」を感じる
ことができるだろうか?その「傷み」を自分自身の「痛み」として引き受けること
はできるだろうか?

それができないのであれば、まずは、「自分自身の心」を「その人々の心」に
合わせることが大切だと思う。佳子先生は、智慧とはただ「なる」ことである、
と示されている。それゆえ、自分自身が、その人々に、ただ「なる」こと
によって「痛み」を引き寄せることができるだろう。

88 :神も仏も名無しさん:2019/08/26(月) 11:56:39.15 ID:3tcp+xNEs
例えば、「高橋信次先生のご著書を拝読しましたところ、どうも私は悪霊に憑依
されているようです。お助け頂けませんでしょうか?」と言ってきた人に対して、
「佳子先生のご著書は何か読まれましたか?お読みになって共感されたら、
またおいで下さい」という言葉を返すこと。

それが如何に残酷な事であるか、言われた側の人の立場に立てば、容易に
想像できるのではないだろうか。自分自身が、そのような人々の立場に立ったなら、
自分の心に何が訪れるだろうか?また、自分自身の魂の行く末はどうなるだろうか、
と精一杯、想いを寄せることだと思う。それによって「痛み」を感じることが
何よりも大切だと思う。

その「痛み」が「一人も排除しないGLA」、「一切の人を救済する」という
「願い」に転換して、初めて千年構想のスタートが切れるのではないだろうか。

89 :神も仏も名無しさん:2019/08/27(火) 11:53:47.77 ID:xCRreD494
悪霊に憑依されている人々のお世話を如何に果たしてゆくかと考えてみると、
ある意味では信次先生の時代と同様の状況を作ってゆく必要があると思う。
つまり、「悪霊が見える」「悪霊と話せる」「除霊ができる」という条件を
満たす人を数多く輩出してゆく必要があるだろう。

現在でもごく一部の人は、そのような形で霊道を開いているようだが、
それでは全く数が足りなくなるだろう。そのような形で霊道を開くこと自体は、
佳子先生にとっては容易なことだと思う。おそらく、数秒で実現できるだろう。

しかし、霊道を開くと、魔界からの干渉を受けやすくなり、危険を背負う
ことになる。その人々は、自分の内に巣食う闇に対して、いっそう鋭敏に
なり、浄化に励む必要が生じるだろう。実際、信次先生の時代に、霊道を
開いておかしくなった人が何人もいたと聞いている。

危険を伴う以上、例えば佳子先生の側から「このようにしたらどうか?」
という形で提案される事は無いのではないかと思う。

あくまでも、弟子の側から発心して、「私は危険を背負ってでも、悪霊に
憑依されている方々に手を差し伸べてゆきたいと願います。どうか
私の霊道を開いて下さい」と願い出なければならないのではなかろうか。

その人々の願いを聞き入れる形で、佳子先生はその人々の霊道を開かれる
だろう。これにより、GLAでは、悪霊に憑依されている人々のお世話が
再び果たせるようになるだろう。

90 :神も仏も名無しさん:2019/08/29(木) 11:56:12.61 ID:mwEhz18dA
GLAには、各会員の個人宅等に映像配信できるシステムが整っているが、
整えた理由は「新型インフルエンザの感染拡大などの理由により、学びの場
そのものの開催が困難である場合に対処するため」、つまり「非常用」という
ことだ。「非常用」であることは、佳子先生が指示されたことであろう。

しかし、この映像配信システムは、本当に「非常用」として使えるよう
準備が整えられているのだろうか?非常時において、実際に「非常用」として
使うためには、少なくとも次の条件は必要だろう。

(1)各会員は、非常時にアクセスするサイトのurlを知っており、
自分のIDやパスワードも知っている。
(2)各会員は、実際に自分の端末を映像配信サーバーに接続した経験があり、
自分のネット接続環境が映像配信のために充分であることを確認している。

これらの条件は、非常事態が起こって慌てて整えようとしても整えられる
ものではない。従って、これらの条件が満たされていないとすると、
映像配信システムは「非常時に使えない」ものになり、「非常用として
使えるようにせよ」との佳子先生のご指示に反している。

仮に、そのような事態が生じているならば、それは明らかに事務局の怠慢
である。事務局は、映像配信システムが「非常用」として使えるように、
直ちに準備を整えるべきだろう。これは、在家の会員に対して、映像配信
システムの存在意義を再考する契機になるだろう。

そして、この映像配信システムを「非常用」のみならず、平時から役立てる
ことは、在家の会員が主導して実現すべきことである。
すなわち、在家の会員が、自ら、ネットワーク上のコミュニティを立ち上げ、
そのコミュニティで議論を重ねることである。そして、議論に関わった人の
連名で、「願いの書」と「ウィズダム」を事務局に提出することだ。それに
よって、「7つのプログラム」の目的である「菩提心発掘」を果たせるだろう。

91 :神も仏も名無しさん:2019/09/02(月) 12:10:47.42 ID:Srd22MGjD
GLAの映像配信システムが「常用」としても、「非常用」としても役に立って
いないということは、現在のGLAにおいて、映像配信システムは、「何の役
にも立たない粗大ゴミ」になっているという事になる。そうなってしまった
理由は何だろうか?事務局の実情はよく解らないが、私が想像したことを
述べてみよう。

佳子先生は、2009年に映像配信システムを整えられた後、「映像配信シス
テムを運用するウィズダムを作成するように」と職員に命じられたのでは
ないだろうか。そして、職員が何度ウィズダムを作成しても佳子先生に却下
されるため、映像配信システムを全く動かすことができず、粗大ゴミ状態
のまま十年が経ってしまった、ということではないだろうか。

仮に上述の通りであれば、それはウィズダムの「願い」を突き詰めていない
ことが原因ではないかと思う。7つのプログラムの願いが「菩提心発掘」
なのだから、映像配信システムを運用する願いも、当然、「菩提心発掘」
になっているだろう。

しかし、その「願い」をただ紙に書けば良いというわけではなく、自分の
中で「願い」を突き詰めなければならないはずだ。それをやっていなければ、
何度やっても、ウィズダムが却下され続けるだろう。

ウィズダムの「現状」はさておき、「目標」は何だろうか?それは、
「在家の会員が、自ら発心して、映像配信システムを適切に運用する行動を
取ることによって、在家の会員が菩提心を発掘する」ことになるのでは
ないだろうか。では、それを実現してゆく「方策」は何だろうか?主な
方策としては次の二つがあるように思える。

92 :神も仏も名無しさん:2019/09/02(月) 12:11:10.57 ID:Srd22MGjD
(方策1)方策の一つは、「映像配信システムを必要としている方々のことを
在家の会員に意識化させること」ではないだろうか。「必要としている方々」
の一例として、 http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf
(GLA 随想8 霊操行のご提案)の7〜9ページでは、GLA誌2006年6月号の
p36〜37の記事を引用して、青木辰男さん(仮名)の実情が紹介されている。

青木さんのような方々は、相当多くおられる筈だ。しかし、一般の在家の
会員にとって普段は会うことが無いため、意識化し辛いと思う。そこで、
そのような方々の記事を、例えばある程度の頻度で「G.誌」に掲載すれば、
多くの在家の会員に「意識化させる」ことができるだろう。

(方策2)もう一つの方策は、「映像配信システムの存在を在家の会員に
意識化させる」という事ではないだろうか。例えば、「映像配信システムを
非常時に非常用として使うためには、普段から練習して、スムーズに使える
ようにしなければならない」として、定期的に接続試験を行い、それに
参加するよう在家の会員に対して呼びかけてゆくことが考えられる。

方策1,2によって、在家の会員は、「映像配信システムを必要として
いる方々」そして「映像配信システムの存在」という二つの事項を意識化
してゆくことができる。

そこで、方策1,2を続けてゆくと、やがて在家の会員が発心して、意識化
した二つの事項を結び合わせることを願い、そのための行動を具体的に
起こせるようになるのではないだろうか。それによって「菩提心発掘」
という「願い」を果たしてゆくことができるだろう。

93 :神も仏も名無しさん:2019/09/04(水) 08:18:29.20 ID:FZA5lXWdo
>>91-92 に書いたことが今一つだったように思えるので、もう一度、
ウィズダム型式で再検討してみた。おそらく、このようなストーリーで、
映像配信システムを「非常用」として運用できるようになるのではないか
と思う。

【願い、目的】
 映像配信システムを介在として、在家の会員の菩提心発掘を果たす。
【現状】
 在家の会員の多くは、菩提心発掘の状態が不十分である。
 そのため、映像配信システムの運用について、自己の責任を自覚して
おらず、「佳子先生または事務局が運用の在り方を決定すればよい」、
「自分は指示があれば動くが、指示が無ければ動く必要はない」という
パラダイムに染まっている。
【目標】
 菩提心を発掘しパラダイムを転換することによって、必要とする人々
のために映像配信システムを活用してゆくことを、在家の会員に発心
して頂く。具体的には、「多くの会員の連名で、事務局に願いの書と
ウィズダムを提出する」という行為に結んで頂く。

94 :神も仏も名無しさん:2019/09/04(水) 08:18:58.36 ID:FZA5lXWdo
【方策】
(1)在家の会員に、菩提心を発掘しパラダイムを転換する必要性を
認識して頂く。
 具体的には、GLAの様々な研修、セミナー等の場において、当該研修、
セミナー等の目的に合致する範囲で、菩提心を発掘しパラダイムを転換
する必要性に気づける要素を組み込んでゆく。
 例えば、古今東西の神理実践の事例の中から、「(i)古いパラダイム
に染まる、(ii)菩提心を発掘する、(iii)発掘した菩提心によって
パラダイムを転換する」というストーリー性があるものを、カリキュラム
の中に組み込んでゆく。
(2)在家の会員に、映像配信システムを必要としている同志の存在を
認識して頂く。
 具体的には、高齢や病気等の事情によって学びの場に参加困難で
ありながら、高い志を持って学んでおられる方々を「G.」誌等で
紹介する。これにより、その方々にとって映像配信システムの運用が
如何に必要であるかを、在家の会員が思い遣れるようにする。
(3)在家の会員に、映像配信システムの存在を認識して頂く。
 すなわち、「非常用」として映像配信システムの運用を開始する
とともに、「映像配信システムを非常時に非常用として使うためには、
普段から練習して、スムーズに使えるようにしなければならない」
として、定期的に接続試験を行い、それに参加するよう在家の会員に
呼びかけてゆく。

95 :神も仏も名無しさん:2019/09/06(金) 11:55:09.91 ID:ktNSLSZU1
「在家の会員が連名で、事務局に願いの書とウィズダムを提出する」
という目標が達成された後の事も考えておこう。

在家の会員が提出するウィズダムは、水準の低いものになるだろう。
しかし、佳子先生は、ボーディサットヴァ・ウィズダムにおいて、映像配信
システムの詳細な内容を既に明かして下さっているのではないだろうか。

すると、事務局が為すべき事は、ボーディサットヴァ・ウィズダムに基
づいて、在家の会員に対してヒントを与えて、ウィズダムの再作成を促す
事になるだろう。これによって、在家の会員の菩提心発掘がさらに進むだろう。
また、7つのプログラムの他の項目についても、同様に進めることができる
のではないかと思う。

GLA誌2001年6月号には2001年善友の集いの特集記事が組まれており、
61ページには、「二十一世紀に向かうGLAのヴィジョン」として、
「A:共同体の変革一 ―― 押し上げる力の結集」とある。

そして、60ページには、「二十一世紀に入ったGLAがはたらきを全開するためには、
これまで以上に職員のはたらきと在家の方々の押し上げる力が車の両輪のよう
になって響働してゆく必要があります。あらゆる側面で職員と在家の両輪が
たくましくなり、押し上げる力と引き上げる力がつながってエネルギーが全開
してゆくように、ぜひお世話をさせて頂きたいと願っております。」とある。

「押し上げる力の結集」、「押し上げる力と引き上げる力がつながって
エネルギーが全開してゆく」の一つの側面として、「7つのプログラムを
介在とした菩提心発掘」が位置づけられているのではないかと思う。

96 :神も仏も名無しさん:2019/09/12(木) 12:19:29.31 ID:rmj92Hxp7
映像配信システムの運用が軌道に乗った後に為すべきことについても、
考えを述べておこう。

(1)まず、最初に為すべきことは、「7つのプログラム(歴史の整備
を除く)」のレポート( http://file.copyman.syoyu.net/GD.pdf )の
冒頭にあるように、「佳子先生から頂いたヒントを明確化する」という
ことだろう。

(2)ヒントが明確化されたなら、次に何を果たすべきか?
それは、「明確化されたヒント」に基づいて判断すべきものである。
しかし、現状から推察できる範囲では、「研鑽の充実」と「人生同伴
態勢の充実」が取り組みやすいのではないかと思う。

「研鑽の充実」、「人生同伴態勢の充実」は、言葉を変えれば、
「今、研鑽は充実していない」、「今、人生同伴態勢は充実していない」
という事である。それによって、様々な「痛み」というものが
現実に生まれているのではないだろうか。

また、現実に「痛み」が現れていなくても、それは「佳子先生に
フォローして頂いたから、痛みの現実が現れずに済んだ」という事は
ないだろうか?

97 :神も仏も名無しさん:2019/09/12(木) 12:19:56.38 ID:rmj92Hxp7
このように、「研鑽の充実」と「人生同伴態勢の充実」は、「会員の皆様
の現状」をよく見ることによって、ヴィジョンを描きやすいテーマだと思う。

また、これは重要な事なので繰り返すが、「ヴィジョンを描きやすい」
と言っても、最初から「青写真に即した確度の高いヴィジョン」に到達する
ことは無理だろう。しかし、「現時点で智慧を尽くした限りで、正しいと
思えるヴィジョン」ならば、提示できるはずだ。

だから、それを果たすことが重要であると思う。その描いたヴィジョンを
青写真に近づけてゆくことは、先述のように「押し上げる力と引き上げる
力の響働」によって果たしてゆけるだろう。それは、後述する他のテーマ
についても同様である。

(3)「研鑽の充実」、「人生同伴態勢の充実」の方向性がある程度見えて
くると、次は、「社会発信力の強化」に挑戦すると如何だろうか。

「社会発信」は、「GLA会員ではない人」「状況を把握することが難しい人」
を対象とするものである。これは、「GLA会員であり、状況を把握しやすい人」
を対象とする「研鑽の充実」、「人生同伴態勢の充実」によって智慧の
鍛錬を積んだ後に、挑戦することが妥当ではないかと思われる。

98 :神も仏も名無しさん:2019/09/12(木) 12:20:25.73 ID:rmj92Hxp7
(4)次に挑戦するテーマは、「拠点の充実」であると思う。
「拠点の充実」は「拠点の機能を充実する」ことであるが、どのような機能を
充実しなければならないのかは、「研鑽の充実」、「人生同伴態勢の充実」、
「社会発信力の強化」の方向性が見えてくれば、見えやすくなるのではないか
と思われる。

(5)「現在のGLA会員」および「現在の伝道対象になる人々」を対象とする
テーマ(研鑽の充実、人生同伴態勢の充実、拠点の充実、社会発信力の強化)
に挑戦し、志と愛と智慧とを高めていったならば、次に「歴史の整備」
に挑戦できる時期が訪れるだろう。

>>86-88 に述べたように、「歴史の整備」は、「GLAから排除されてきた人々」、
「現在もGLAから排除されている人々」の痛みを自分自身に引き寄せて、
千年構想の「願い」を明確化することであると思う。

その人々の痛みを自分自身に引き寄せるためには、やはりそれ以前に
志と愛と智慧とを高めてゆく必要性があるだろう。

千年構想の「願い」を明確化したなら、「願い」を具体化してゆく
ウィズダムに挑戦することだと思う。すなわち、「目的(大目的、中目的、
小目的)」、「現状」、「目標」、「アクションプログラム」を明確化
してゆく、ということである。

99 :神も仏も名無しさん:2019/09/12(木) 12:21:00.65 ID:rmj92Hxp7
(6)7つのプログラムの中で最後に挑戦するテーマは
「GLA千年構想基金の充実」だろう。

千年構想の「アクションプログラム」が明確になってきたならば、
「その実現のためには多額のお金がかかる」という制約も見えてくるだろう。
「それでも、基金の充実させて実現したい」という願いが起こって、初めて
「GLA千年構想基金の充実」に挑戦できる前提が整うと思う。

2019年の現状は、「千年構想とは、具体的に何をするものか解らない」、
「なぜお金が必要なのか解らない」というようなものであるから、
それでは「基金を充実させたい」という願いも、なかなか湧かないだろう。

ところで、「基金を充実させたい」という願いが起こって、基金を集め始めて、
それで間に合うものだろうか?多分、それでは間に合わないだろう。だから、
佳子先生は先に手を打って下さっている。それは、例えば、「GLA創立40周年
記念プロジェクト」の「喜捨行」「書写行」である。

「喜捨行」「書写行」は、とにかくお金がかかったという事を覚えている
人も多いだろう。「GLA千年構想基金の充実」に挑戦できる段階になって、
初めて、佳子先生が「喜捨行」「書写行」を進めて下さった本当の有難さ
を感じられるようになるだろう。

100 :神も仏も名無しさん:2019/09/17(火) 08:30:39.70 ID:gYQBikizj
>>93-94 では、映像配信システムに関して事務局が作成すべきウィズダム
の骨子の案を示したが、その中には、次の3つの方策があった。

(1)在家の会員に、菩提心を発掘しパラダイムを転換する必要性を
認識して頂く。
(2)在家の会員に、映像配信システムを必要としている同志の存在を
認識して頂く。
(3)在家の会員に、映像配信システムの存在を認識して頂く。

この中で最も重要で、最も智慧が必要で、最も難しいものは、方策(1)
であると思う。しかし、もしかすると、方策(1)は既に佳子先生が
進めて下さっているのではないだろうか?

そうであるとすると、事務局では方策(2)(3)だけ進めればよく、
方策(1)については、特に動く必要は無いのかもしれない。仮にその
通りであるとすると、事務局としては、かなり進めやすくなると思う。

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