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「領土奪還より話し合いを」 欧州、期待から失望に―ウクライナ侵攻2年 [蚤の市★]

933 :アフターコロナの名無しさん:2024/02/25(日) 11:20:22.06 ID:Dp/Iz3AA0.net
いまさら聞けない「ウクライナ紛争」について東大生が超要約してみた

1991年のソ連解体後、ソ連から独立したウクライナでは、「親欧米派」と「親ロシア派」との対立が深まっていきました。

2004年には大統領選挙に不正があったとして抗議運動が起こり、親欧米派のユシチェンコ大統領が誕生しました(オレンジ革命)。
しかし、ユシチェンコ大統領のもとで政治的混乱が続くと、2010年にはオレンジ革命で一度は排除された親ロシア派のヤヌコビッチが大統領に返り咲きます。

ところが、そのヤヌコビッチ大統領も2013年からの親欧米派による抗議運動(ユーロマイダン革命)で追放され、
今度は親欧米派のポロシェンコが大統領となりました。

これを受け、ウクライナでは親ロシア派による抗議活動が始まりました。
そして、親ロシア派とみられる武装勢力がクリミアの議会を占拠し、クリミアのウクライナからの独立、そしてロシア編入をめぐる住民投票を実施しました。
結果は賛成多数で、翌日にはクリミアはウクライナから独立を宣言し、ロシアに編入されることになりました。

このクリミア併合をきっかけに、ウクライナ東部の一部地域で、親欧米派のウクライナ政府軍と親ロシア派武装勢力による紛争が始まったのです。

親ロシア派武装勢力は、ウクライナ東部のドンバス地域を占拠し、それぞれドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国と名乗りました。
ウクライナ政府は武装勢力を追い詰めますが、ここでロシア軍兵士が「義勇兵」として参戦し始め、正規のロシア軍もウクライナ国境に集結しました。

2015年には、ドイツ・フランスの仲介により、ウクライナ政府と親ロシア派とのウクライナ東部での停戦、外国部隊の撤退などを決めた「ミンスク合意」が取り交わされました。
武装勢力が実効支配している2つの州には特別な地位が認められ、幅広い自治権を認める内容となっていたのです。
そのため、合意後もウクライナ東部では紛争が続き、それが2022年に起きたロシアのウクライナ侵攻の大きな要因の一つになっています。
https://diamond.jp/articles/-/318034

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