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【歴史】伝説の羊太夫は渡来人、キリスト教徒?…世界記憶遺産の上野三碑(山上碑、多胡碑、金井沢碑) [樽悶★]

82 :ウィズコロナの名無しさん:2023/04/30(日) 22:57:49.49 ID:sdDEkvTT0.net
◆八幡神の正体

秦氏が景教徒であるとする佐伯氏の仮説は時代が合わない。
しかし秦氏の文化や信仰には明らかにキリスト教の影響が見て取れる。
ではいったいどういう事なのか。

簡単に言えば日本には弥生時代に
既に徐福とともにユダヤ人らが渡来していた。
彼らは物部氏の祖先となった。

そして時代が下り、ネストリウス派が東方に布教するより先に
神託に導かれ、シルクロードの彼方から、
何代もかけて日本に原始キリスト教徒が渡来していた。
彼らが秦氏の正体なのだ。

日本に渡来した秦氏は八幡神(やはたのかみ)を崇め、
日本各地に膨大な神社を作った。

八幡という名はイェフダ(Yehudah)に由来している。
イェフダとはユダヤをさすヘブル語だ。
つまり八幡神とはユダヤの絶対神にして託宣神であるヤハウェをさしているのだ。
八幡神という漢字が転訛し、日本ではハチマンシンと呼ばれるようになった。

ユダヤの絶対神ヤハウェはまた、音訳されてヤエイ(弥栄)とも呼ばれた。
これも転訛して栄光を意味する「イヤサカ」と呼ばれ、
更に「ヤサカ」になり、京都の八坂神社の名前の由来にもなった。

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