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【歴史】伝説の羊太夫は渡来人、キリスト教徒?…世界記憶遺産の上野三碑(山上碑、多胡碑、金井沢碑) [樽悶★]
- 310 :ウィズコロナの名無しさん:2023/05/01(月) 21:15:05.26 ID:aQVbVXXm0.net
- 纏向遺跡は4世紀初頭でほぼ閉鎖されている
そしてその南に
https://www.asahi.com/articles/ASLCX5JHQLCXPTFC01S.html
大壁建物が4世紀末~5世紀初めに築かれ、渡来人の同町への移住時期が100年近くさかのぼる可能性が出てきた
奈良時代ごろ、飛鳥地方の住民の80%~90%が朝鮮人であったことは、「続日本紀」「姓氏録」に書かれており、
「飛鳥は日本人の心のふるさとだと言っているが、そこに住んでいたのは朝鮮人であった。」と井上光貞・山本健吉は述べている。
また、司馬遼太郎・上田正昭・金達寿の対談集によれば「飛鳥は朝鮮文化をぬきには語れない」と語り、
「飛鳥における政治の実権は蘇我氏<朝鮮人>の掌中にあった。このころの天皇とは蘇我氏のことである。」と亀井勝一郎氏は述べている。
「飛鳥の朝廷を調べると、いたるところに百済人だらけである。常識的に言って、百済語が公用語だったとしか考えられない。」と佐々克明は述べている。
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