2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【政治】放送法文書巡り孤立無援の高市経済安保相 逆風やまず「ポスト岸田」風前の灯火  ★3 [ぐれ★]

342 :ウィズコロナの名無しさん:2023/03/25(土) 06:21:02.51 ID:x/k/QCHA0.net
>>340
ただ、私に言えることがある。
それは、歴史から学んだ人間の
生き方の基本的なことどもである。
昔も今も、また未来においても変わらないことがある。
そこに空気と水、それに土などという
自然があって、人間や他の動植物、
さらには微生物にいたるまでが、
それに依存しつつ生きているということである。
自然こそ不変の価値なのである。
なぜならば、人間は
空気を吸うことなく生きることができないし、
水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。

さて、自然という「不変のもの」を
基準に置いて、人間のことを考えてみたい。
人間は、― くり返すようだが ―
自然によって生かされてきた。
古代でも中世でも
自然こそ神々であるとした。
このことは、少しも誤っていないのである。
歴史の中の人々は、自然をおそれ、
その力をあがめ、自分たちの上にあるものと
して身をつつしんできた。
この態度は、近代や現代に入って
少しゆらいだ。
人間こそ、いちばんえらい
存在だという、思いあがった考えが
頭をもたげた。
二十世紀という現代は、ある意味では、
自然へのおそれがうすくなった
時代といっていい。
同時に、人間は決しておろかではない。
思いあがるということとは
およそ逆のことも、あわせ考えた。
つまり、私ども人間とは
自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。
このことは、古代の賢者も考えたし、
また十九世紀の医学もそのように考えた。
ある意味では、平凡な事実にすぎない
このことを、二十世紀の科学は、科学の事実
として、人々の前にくりひろげてみせた。

総レス数 512
160 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200