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【国際】余生を送っていた101歳の「ナチス戦犯」に禁錮刑、ドイツ司法機関が懸命の追跡 親衛隊の大物はみな死亡、残るは下級隊員 [ぐれ★]

1 :ぐれ ★:2022/12/11(日) 20:52:10.20 ID:KTOpWVjl9.net
※共同通信
Published2022/12/11 10:00 (JST)

 今年6月、ドイツの首都ベルリン近郊の地方裁判所。地元に暮らす101歳の男に禁錮5年の判決が下った。罪状は3500人の殺人ほう助。男は第2次大戦下の約80年前、ナチス親衛隊の下級隊員で、ユダヤ人らが虐殺された強制収容所の看守だった。戦後は家族にも過去を語らず平穏な人生を送ってきたが、ついに追跡の手が伸びた。ドイツでは近年、ナチス戦犯の訴追を容易にする司法判断が出され、90歳を超す被告の裁判が相次ぐ。高齢化で追及は時間との闘いになり、捜査は数年後に終わるとみられるが、当局は国内外に残る資料を駆使して最後の1人まで追う構えだ。

 ▽モスクワで見つけた被告の名前

 ドイツ・ノイルピーンの裁判所で判決を受けたのはヨーゼフ・シュッツ被告。公判には車いすで出廷し、最後まで無罪を訴えた。実刑判決を身じろぎもせずに聞き、すぐに控訴の意思を示した。司法関係者は「前日のプロサッカーの試合結果もよく覚えている。頭は今もクリアだ」と話す。

2021年10月、ドイツ東部ノイルピーンの裁判所に出廷したシュッツ被告(左)(ロイター=共同)
 シュッツ被告は1942年から敗戦の45年まで、ベルリン近郊のザクセンハウゼン強制収容所に勤務した。大勢の看守の一人で、当時20代前半。所内ではこの間、ユダヤ人やドイツ軍に降伏したソ連軍捕虜が銃やガス室で次々と殺されていた。
 戦後は社会主義体制下の旧東ドイツの田舎町に暮らし、農場で働いた。一市民として社会に溶け込み、その名前が目立つことはなかった。

シュッツ被告がかつて勤務したザクセンハウゼン強制収容所の正面ゲート。中央にはドイツ語で「働けば自由になる」と記されている。建物の多くは戦後失われた=2020年8月、ベルリン近郊オラニエンブルク(共同)
 だが、余生は数年前に一転する。端緒はロシアの首都モスクワ。ナチス戦犯を追うドイツの司法機関「ナチス犯罪解明のための州司法行政中央本部」の係官が現地の公文書館に出向き、ソ連軍が戦後間もなく押収したドイツ側文書からシュッツ被告の名前を見つけたのだ。

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