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【日本三大都市】「東京」「大阪」「名古屋」一人暮らしに必要な生活費はどのくらい? ★3 [首都圏の虎★]

372 :新規スレ立て人募集 社説+の募集スレまで:2022/12/01(木) 19:02:43.52 ID:gLzsScnf0.net
>>336
源流地と創業地は、中の人がそう言ってんだよ
尚且つ、豊田佐吉は東の人間
植民地にした家康と同じだろうが


豊田佐吉
1867年3月19日三河吉田藩山口村で生まれる。

1875年、下等小学校入学(坊瀬の妙源寺の寺子屋が途中で川尻小学校に変わる)。
1878年春、小学校在学中、三河県岡崎市の岩津天満宮へ参拝、徒歩で往復。
1878年12月、吉津村川尻小学校を卒業。
1885年、二俣紡績(遠州紡績会社)への就職を希望。父の反対で断念。
1886年2月 山口夜学会を山口観音堂で実施。
1886年春、佐吉は朋輩の佐原五郎作と無断で東京方面へ出奔。
1887年春、徴兵検査を受けるが、抽選のがれで入隊できず。
1887年暮、三河県豊橋市中八丁の大工・岡田波平のもとで修行。
1889年正月、再度家を出る。神奈川県横須賀の佐原谷蔵宅に寄寓。
1889年春、愛知県知多郡岡田村へ織機の研究。
1890年4月、東京上野で開催の第3回内国勧業博覧会を見る。
1890年11月11日、豊田式木製人力織機を発明、特許申請。
1891年5月14日付で、豊田式木製人力織機の特許を得る。
1892年10月、東京浅草外千束に住む。
1892年、織機研究のため埼玉県蕨市、高橋新五郎を訪ねる。
1893年3月26日、佐原豊作の三女たみと結婚、東京で暮す。
1893年年末、東京を引き揚げ、妻たみと山口村へ帰る。
1894年正月、家出。三河県豊橋市曲尺手町の叔父・森重治郎宅へ。妻は取り残される。



遺伝子レベルで尾張ドン百姓は無関係w

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