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【大分】邪馬台国には日田説、大分市説、大分県南部説も [樽悶★]

505 :不要不急の名無しさん:2020/09/10(木) 20:06:32 ID:PPM77+UB0.net
>>488
山川の教科書から抜粋
「弥生時代の後期には、すでに大きな墳丘をもつ墓が各地で営まれていたが、
3世紀中頃から後半になると、より大規模な前方後円墳をはじめとする古墳が西日本を中心に出現する。
これら出現期の古墳は、多くは前方後円墳もしくは前方後方墳で、
長い木棺を竪穴式石室におさめた埋葬施設や、多数の銅鏡をはじめとする呪術的な
副葬品をもつなど、画一的な特徴をもっていた。
それは古墳が各地の首長たちの共通の意識のもとにつくり出された墓制で、
その背景には古墳の出現に先だって広域の政治連合が形成されていたことが考えられる。
出現期の古墳の中でもっとも規模が大きいものは、奈良県(大和)にみられ、
この時期大和地方を中心とする近畿中央部の勢力によって政治連合が形成されていた。
この大和地方を中心とする政治連合をヤマト政権という。」

なぜこういう記述をされているか、自分で考古資料を調べてみなよ

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