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河野防衛相が女系天皇容認論 次の天皇「内親王のお子さまも」 ★8 [蚤の市★]

197 :不要不急の名無しさん:2020/08/24(月) 19:56:17.33 ID:ufdRMuT00.net
>>173
旧宮家の話になると、何かにつけて、その血統の大もとである伏見宮家の13代目当主、貞致親王
(いわゆる鍛冶屋の長九郎)が問題視されることが多い。貞致は伏見宮家10代目と伏見宮家に仕えていた
安藤家の女子(安藤定子)との間にできた落胤(落とし子)とされており、養子に出されたあと、
11〜12歳ごろから鍛冶屋の徒弟になっていた。そのため、彼は伏見宮家と血のつながりがないにもかかわらず、
宮家の断絶を防ぐために、後継者として担ぎ出されたのではないか、伏見宮家の本来の血統は
江戸時代初期の12代目で断絶しているのではないか、という疑念が取りざたされることがある。

しかし江戸時代には、4つの世襲親王家(伏見宮、桂宮、有栖川宮、閑院宮)は
後継者がいないときでも断絶にならず、当主不在のままで存続し、適当な時期に
天皇か上皇の皇子を養子として迎え、その宮家を継がせることになっていた。
実際に、桂宮家と有栖川宮家は何回か後継者がいなくなり、事実上断絶したことがあるが、
その度に天皇か上皇の皇子が養子となり、宮家を継承している。

つまり伏見宮家にしてみれば、12代目のあとに後継者がいなくなったからといって、
お家断絶を防ぐために、血統をごまかして、本当は血のつながりのない者を、
あるいは血のつながりがあるかどうか怪しい者を、無理に後継者として
担ぎ出す必要などなかったのだ。わざわざそんなリスクをおかさなくても、
天皇か上皇の皇子を養子にすればいいだけなのだから。現に貞致の存在が明らかになる前に、
すでに後水尾上皇の皇子が養子となり、伏見宮家を継ぐことが決まっていた。

上記のようなことから、少なくとも貞致はたとえ落胤だったにしても、伏見宮の男系の血を引いている証拠があり、
周りもそれを認めたからこそ、後継者になったと考えるのが自然だろう。そうでないと、すでに決まっていた
上皇の皇子の養子入りを反故にしてまで、貞致を後継者とした理由が説明できない。
最終的には、第三者的立場である江戸幕府の京都所司代の裁定によって、
貞致の伏見宮家継承が決まっている。

さらに、伏見宮家の当主になってから、貞致は後陽成天皇の孫にあたる関白近衛尚嗣の娘を正室とし、
息子(14代目伏見宮家当主、邦永親王)は霊元天皇の皇女(福子内親王)を正室として迎え、
娘(理子女王)は徳川吉宗の正室になっている。貞致の出自が本当に怪しかったら、
このようなことができるとは考えにくい。

その上、後に後桃園天皇が後継ぎの男子を残さずに崩御し、世襲親王家から次の天皇を
出すことになったときには、19代目伏見宮貞敬親王が閑院宮師仁親王(後の光格天皇)と並んで
皇位継承者候補になっている。もし13代目貞致親王が本当に怪しい血統だったら、
その子孫が皇位継承者の候補になることなどなかっただろう。

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