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古賀政男総合スレ
- 1 :昔の名無しで出ています:2011/11/02(水) 19:55:49.20 ID:iCJ19Fnt.net
- 今でも語り継がれている名作曲家の古賀政男について語りましょう
古賀政男 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E8%B3%80%E6%94%BF%E7%94%B7
古賀政男音楽博物館
http://www.koga.or.jp/
- 487 :昔の名無しで出ています:2014/11/03(月) 12:59:15.00 ID:tLYrrzLI3
- 「祖国の花」昭和二十年一月発売。東宝映画『勝利の日まで』挿入歌。
轟夕起子、奈良光枝、真木絢代、渡辺一恵、東海林壽代。
作詞 サトウハチロー
作曲 古賀政男
花の香りにふと目が覚めて
窓を開けば垣根の小菊
拝む遥かな代々木の社
送りましょうか 祖国の花を
愛し懐かし故郷の花を
梅に鶯蝶々に牡丹
菖蒲咲く日は五月の空を
護る姿とあの鯉幟
送りましょうか 祖国の花を
愛し懐かし故郷の花を
月と語るは宵待ち草か
露と囁く小路の竜胆
河原撫子小風と歌う
送りましょうか 祖国の花を
愛し懐かし故郷の花を
丁度今から70年前、太平洋戦争の最末期、昭和19年から20年にかけて、日本は敗戦の坂道を転げ落ちるように総力戦を展開していた。
この苦難の時代に作られた慰問映画、東宝映画『勝利の日まで』。
「勝利の日まで」とともに映画の主題歌・挿入歌。
戦争の最中、戦争を忘れるようなこのような歌があったことは驚嘆に値する。
- 488 :昔の名無しで出ています:2014/11/14(金) 22:44:58.60 ID:rPReHlDAW
- 国民合唱 「勝利の日まで」
昭和20年1月
作詞:サトウハチロー 作曲:古賀政男
1
丘にはためく あの日の丸を
仰ぎ眺める 我等の瞳
何時かあふるる 感謝の涙
燃えて来る来る 心の炎
我等はみんな 力の限り
勝利の日まで 勝利の日まで
2
山で斧ふる おきなの腕も
海の若者 櫓を漕ぐ腕も
町の工場の 乙女の指も
今日も来る来る お国のために
我等はみんな 力の限り
勝利の日まで 勝利の日まで
- 489 :昔の名無しで出ています:2014/11/14(金) 22:49:37.12 ID:rPReHlDAW
- 3
雨の朝も 吹雪の夜半も
思うは一つ ただただ一つ
遠い戦地と 雄々しき姿
浮かび来る来る ほほえむ顔が
我等はみんな 力の限り
勝利の日まで 勝利の日まで
4
空に飛び行く 翼に祈り
沖をすぎ行く 煙に誓う
国を挙げての この戦に
湧いて来る来る 撃ちてし止まん
我等はみんな 力の限り
勝利の日まで 勝利の日まで
- 490 :昔の名無しで出ています:2014/11/14(金) 23:04:35.76 ID:rPReHlDAW
- 国民合唱「勝利の日まで」は、1944年、日本放送協会に委嘱して作られ、
映画に先立ち、1944年3月10日に霧島昇歌唱版で発売された。
東宝映画公開と共に、8人の歌手(波平暁男、近江俊郎、志村道夫、高倉敏、菅沼ゆき子、奈良光枝、池真理子、渡辺一恵)によって吹き込まれ、1945年(昭和20年)1月に再発売されている(合唱版)。
円谷英冶の特撮映画第一号と言えるコミカルで荒唐無稽な慰問映画であるが、主題歌は前奏・間奏・後奏がそれぞれ独立した一曲にも値するような、哀調を帯びた行進曲風の軽快な曲、日本のもっとも苦難の時代に作られた古賀メロディ―の隠れた名曲。
この歌は全国に散った多くの疎開学童によってうたわれたという。
- 491 :昔の名無しで出ています:2014/11/15(土) 09:00:06.95 ID:Kp/2TOkB2
- 昭和19年から、20年にかけていわゆる軍歌と一線を画し歌われたNHK(JOAK)「国民歌謡」から変わった「国民合唱」がある。
学童疎開をうたった「勝ち抜く僕等少國民」や、「僕は空へ君 は海へ」、「お山の杉の子」、それに「勝利の日まで」などがある。
「勝ち抜く僕等少國民」
昭和20年1月21日 放送 作詞 上村数馬 作曲 橋本国彦 歌 東京放送合唱団 東京放送児童合唱団
「僕は空へ君 は海へ」昭和19年11月, 日畜
(サトウハチロー作詞/佐々木すぐる作曲).
「お山の杉の子」(吉田テフ子作詞、サトー ハチロー補作。佐々木すぐる作曲)安西愛子、加賀美一郎、壽永恵美子、日畜児童合唱団)日畜
なお、「東京放送児童合唱団」、「日畜児童合唱団」は、いずれも「音羽小国民合唱団」(音羽ゆりかご会)。
- 492 :昔の名無しで出ています:2014/11/17(月) 22:12:00.84 ID:R1nHTVbAL
- [勝利の日まで」はNHKラジオで放送された国民合唱でレコードでもあった。そして全国に散らばった疎開学童によって歌われたといわれる。
昭和19年から29年にかけて行われた学童疎開。親元を離れた子供たち、最初は遠足気分であっても、次第にひもじさ空腹、ホームシック、いじめ、シラミ・・それらを紛らわすために知っている限りの歌を歌ったそうだ。
そして最後に歌うのが「勝利の日まで」、早くお母さんのもとに帰りたい・・頑張ろう、勝利の日までがんばろう、その気持ちにぴったりの歌それが「勝利の日まで」だったのだ。
そして歌い始めるが、この歌だけは歌っててなぜか涙が出てきて、途中で歌えなくなってしまう、学童疎開を経験した世代には忘れられない歌という。
- 493 :昔の名無しで出ています:2014/11/17(月) 22:23:20.57 ID:R1nHTVbAL
- 訂正
日畜・・・日蓄(コロムビア)
昭和19年8月から20年にかけて行われた学童疎開。
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