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古賀政男総合スレ

1 :昔の名無しで出ています:2011/11/02(水) 19:55:49.20 ID:iCJ19Fnt.net
今でも語り継がれている名作曲家の古賀政男について語りましょう

古賀政男 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E8%B3%80%E6%94%BF%E7%94%B7

古賀政男音楽博物館
http://www.koga.or.jp/

429 :昔の名無しで出ています:2014/09/08(月) 16:58:52.02 ID:E4v/NLUKt
小畑は戦後、昭和25年(1950)に晴れて古賀のいるコロムビア専属となった。
古賀は「彼は僕の唄が唄いたくて専属契約を結んだのだから、大いにヒットを出さにゃならん。」と大変喜んだという。そして小畑実コロムビア専属第一作が『銀座シャンソン』(1950.5)だったのだ。
『婦系図の唄(湯島の白梅)』昭和17年(ビクター/詩:佐伯孝夫/曲:清水保雄/歌:小畑実・藤原亮子)

『勘太郎月夜唄』昭和18年(ビクター/詩:佐伯孝夫/曲:清水保雄/歌:小畑実・藤原亮子)

『銀座シャンソン』(門田ゆたか作詞、古賀政男作曲)小畑実1950.5コロムビア

430 :昔の名無しで出ています:2014/09/08(月) 21:29:48.97 ID:E4v/NLUKt
人は古賀政男を大作曲家、歌謡界の帝王とよんだ。
五千曲に及ぶ作曲生活の中で、数多い名曲、ヒット曲を生み、それが築いた富は数十億円とも言われている。

広大な邸宅に住み、晩年に到るまで名声と富に囲まれて暮らしていた古賀政男。死後は国民栄誉賞に輝き、彼が生んだ古賀メロディーは、今後とも日本人の心の中に生き続けるだろう。
―人間として、作曲家として文句のつけようのない生涯であったと誰しもが考える。

だが、この華やかさとはうらはらに、古賀政男は心を許した親しいものに
「ぼくは寂しいのよ」と、よく打ちあけたことは知られている。

少年時代から死ぬまで古賀政男にとって、確かなものは、音楽への情熱しかなかった。

その心を歌に託せば、“哀しみ”と“寂しさ”になり、人々の心をうつのであろう。

まぼろしの
影を慕いて 雨に日に
月にやるせぬ わが想い

古賀政男を作曲家としてスタートさせた処女作『影を慕いて』の
あの“哀しみ”と“寂しさ”。

そして晩年に到るまで古賀政男の心に宿り、いつの時代の作曲活動にも活力となった
“寂しさ”と“哀しみ”とはなんだったのだろうか。・・


貧困の中での生い立ち,父の死、母と兄の確執、自殺未遂・・、
暗い青春にある日突然訪れた栄光。
古賀作品の本質と彼の青春は深くかかわりあっているのだ。

第一部 流転の旅 ― 人間 古賀政男 その青春
  「古賀政男・昭和の日本の心・・わが歌は永遠に」(平凡出版1978))

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