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古賀政男総合スレ
- 417 :昔の名無しで出ています:2014/09/06(土) 21:05:27.73 ID:VdMDhGbo+
- 古賀政男「影を慕いて」に関する現地調査での新発見、その2 2012/7/24(火) 午前 8:19
http://blogs.yahoo.co.jp/je7pyh/30887656.html
松島に一泊した二人は、2泊目を、青根温泉の佐藤仁右衛門旅館に投宿しました。当時はその佐藤旅館しか青根温泉にはなかったということです。
現在の「不忘閣」という旅館です。
この温泉は伊達政宗の時代からの温泉で、当時は、様々な建物が廊下で繋がり、素晴らしい佇まいの旅館だったようです。
今でのその名残を建物や庭園に伝えています。その旅館に二人は投宿したのでした。
そこで何があったかは、知る由もないのですが、夏の終わりの日、古賀は散歩を偽り、山中に入って行ったのです。
青根温泉から山中に入った、現在の歌碑のある辺りで、古賀はナイフで手首を切り、自殺を図ったのでした。
いつまでも帰ってこない古賀が心配になり、幸七は探しに出かけたのです。
やっと探し当て、山中で自殺を図って倒れている古賀に必死で呼び掛け、応急処置をして一命を取り留めることができたのでした。
その後、幸七は約50年後、死ぬまで古賀政男が自殺を図ったことは、一言も喋らなかったということです。
この自殺未遂を起こしたことは、何と古賀の口から話されたことだということでした。
古賀が当時を回想して、日経の雑誌に語ったことがきっかけで、これが世に出ることになったということでした。
古賀が亡くなる1年ほど前に、幸七は71歳で他界することになるのですが、幸七の葬式には、遥々東京から古賀が黒塗りのベンツで、
両腕を抱えられながらやってきたと話していました。
古賀が、最後まで幸七のことを、いかに心に掛けていたということが伺えるような気がしました。
古賀はそれから約1年後、昭和53年に亡くなりました。あの青根温泉への投宿した同じ夏の暑い日でした。
昭和の金字塔「影を慕いて」は、こうして生み出されたのでした。古賀の幸七への想い、韓国に就職で旅立つ幸七に愛用の名器を託したこと、
そして幸七は、死ぬまで古賀の自殺を明かさなかったことなどでも、二人の生涯を通した強い絆が感じられるのです。
「影をしたいて」には、古賀の幸七に対するそんな思いが、全ての琴線に溢れているような気がしてならないのです。
「影をしたいて」には、古賀の幸七に対するそんな思いが、全ての琴線に溢れているような気がしてならないのです。
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