■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
古賀政男総合スレ
- 344 :昔の名無しで出ています:2014/07/15(火) 12:04:27.94 ID:qjmvjWHpJ
- 昭和8年1月には、朔太郎は世田谷区代田一丁目に自宅を新築。
8月には妹アイは、佐藤惣之助と結婚。
マンドリン演奏家としても知られる朔太郎は、マンドリン、ギターの名手でもある古賀政男邸に足しげく通い、
マンドリンやギターを習い、詩の談義に話をはずませたという。
なお、下北沢、世田谷代田は小田急線で、代々木上原から二つ目、三つ目。
朔太郎56歳は、太平洋戦争に突入して半月後の、昭和17年5月11日、風邪をこじらせ世田谷代田の自宅で急性肺炎で病没。
義兄・萩原朔太郎の葬儀を済ませた佐藤惣之助51歳も、
4日後、疲れから外出先で脳溢血で倒れ帰らぬ人となり、二人の詩人は相次いであっけなくこの世を去った。
朔太郎終焉の地近くの北沢川緑道に「萩原朔太郎・葉子と代田の丘の61号鉄塔」という由来碑がある。
この高圧鉄塔は、萩原朔太郎の居住痕跡を示す唯一のものとして「世田谷区地域風景資産」となっている。
前橋、広瀬川のほとりに立つ前橋文学館(萩原朔太郎記念館)には、朔太郎直筆の原稿やノートなどのほか、愛娘葉子と「古賀メロディー」を奏でた朔太郎愛用のギターなどが展示されている。
(参 考)
萩原葉子 『父・萩原朔太郎』(中央公論社 中公文庫 A 109-2、1979) 1959筑摩書房
萩原朔太郎 流行歌曲について
(「日本の名随筆 別巻82 演歌」作品社。:「萩原朔太郎全集」筑摩書房1975)
古賀政男「歌はわが友わが心 : 古賀政男自伝」潮出版社1977
総レス数 587
269 KB
新着レスの表示
掲示板に戻る
全部
前100
次100
最新50
read.cgi ver.24052200