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若い頃の吉永小百合が天使すぎる件★4

917 :この子の名無しのお祝いに:2018/02/19(月) 18:34:29.13 ID:wDJAA73U.net
 つまり若くして映画界に入って、その業界で「つくられた」女優でしかなかった。だから吉永には、つねにマスゴミで話題にはなるが、これという“代表作”がない。成長もしない。相も変わらず「お人形さん」なのだ。
 どこかの優れたシェフが存分に腕をふるった料理、ではなくして、人工的な「旨味」でこしらえたカップラーメンみたいな女優である。
 吉永はきっと『ガラスの仮面』のヒロイン北嶋マヤや姫川亜弓のように、いかにして役になりきるか、いかに舞台で役柄の存在感を出せるかに身を削って腐心するような経験はあるまい。

 こう酷評すると、サユリストどもから反発をくらうだろうが、それなら聞くけれど、
例えば不朽の名作たる『奇跡の人(The Miracle Worker)』のサリバン先生を演じたアン・バンクラフトやヘレンを演じたパティ・デュークに匹敵するほどの名演を見せたことが1度でもあったか?

 先日、ビデオではもう見られなくなったので、改めてDVDで『奇跡の人』を購入して鑑賞した。何度も見ているけれど、見るたびに勉強になる。
 『奇跡の人』のすごいところは多々あるが、注意して見れば、サリバン先生の教育でヘレン・ケラーもそうだがサリバン先生(アン・バンクラフト)自身も(映画のなかで)
、だんだん動物的な顔から人間的な顔に変わっていくのである。
 そこまで演じきれるのかと圧倒される。名女優と賞賛されるだけのことはある。

 週刊新潮の記事では「60歳を大きく過ぎているのに、人生経験が反映されるような役を貰えないことが、吉永小百合の不幸」とか「年を取れない吉永小百合はどこか悲しい」などと書いてある。
 浅丘ルリ子、草笛光子、山本陽子、倍賞美津子といったかつての美人女優たちが老婆役や汚れ役を演じているのに、吉永にはそういう役はできないだろうと言っている。
周囲が彼女には無理だとわかっているからだ。

 問題は汚れ役に体当たりで向かうかどうかではなくて、吉永自身がアン・バンクラフトのような世界的女優になろうという志がなかったことが今日の“地”のままでしか映画に出られない三流女優にしたのである。
三流とは、大衆にしか喜んでもらえない映画女優を言う。

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