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自己言及としての自然科学概論  自然過程説の展開

1 :三浦三郎 :2024/01/05(金) 09:57:27.76 .net
認識論から観た自然科学

現代科学は革命が必要と主張する科学者たちは半世紀ほど前から出現し三十年前からはっきりと言う科学者は洋の東西を問いません。
ビッグバン仮説は宇宙背景放射が証拠と言われますが異論がありスムート博士は否定できないとコメントしました。
赤方偏移も違う理解が可能という異論があります。
大構造生成にはビッグバンが主張する時間の数倍が必要だということです。

この仮説はいろいろ疑問があります。
対象が宇宙非宇宙と否定関係を想定、つまり矛盾するということです。
また物理として生滅は無いというエネルギー保存則、絶対座標、つまり始まりを否定する光速度一定の原理も無視、否定します。

これらは科学者がいずれ解決するのでしょうが余生が短いわたしには概観だけでも構築したいわけです。
たしか物言わぬは腹ふくるるとかいいましたし

以下はわたしの狭い知見の中から考えた妄想と言っていい無矛盾な自然観です。

面白く読んでいただければと上梓した次第です。

2 :三浦三郎 :2024/01/05(金) 10:05:43.58 .net
人間は自然の一部ですから自然認識は自己言及です。
板倉聖宣氏は地動説は見たものがそのままの自然ではないと記しました。
仮に見たものがそのままの自然ならば、諸生物の感覚器官に結ぶ数だけ自然が実在することになります。

感覚器官に結ぶ像はある物理条件にある物理状態が像として結ぶと理解できます。
たとえばある食材が調理法により形を様々に変化させるのと同じですが、認識器官はある物理状態に対応する光、音波を媒介にしますが直接にはその物理状態変化は有っても微細です。
光、音波に対する受容範囲が違えばその像もまた違います。
それらを受容する認識器官がなければ像は生成されません。
しかしそのどれが正しいということでもありません。
あくまでもその物理状態に対応したものに過ぎません。

3 :三浦三郎 :2024/01/05(金) 10:09:00.74 .net
認識器官の在り方に結ぶ像が実在しない場合があります。
静止は認識器官に結ぶ像ですが静止自体は自然に実在しないことを光速度一定の原理は絶対座標が実在しないことを示します。
この原理は静止の実在を否定しますから自然の存在形態は運動であり無矛盾であることとなります。
わたしたちが言う運動とは加速であり、静止とは運動の均衡状態です。

エネルギー保存則は何も生まれない無くならないというものです。
わたしたちが認識する生れるとはある物理状態への遷移であり死もまたある物理状態への遷移です。
物理状態は遷移しますが物理として増減は無いのです。
このことは物理として終始は実在しないことを示すわけです。
生死も終始も認識には存在しますが自然には実在しません。

4 :三浦三郎 :2024/01/05(金) 10:10:02.49 .net
光速度一定の原理は自然の存在形態は運動だと示します。
運動を前提に否定関係は実在しませんからこの原理は量子力学の自然観である運動するエネルギーに濃淡という理解を裏付けます。
いわゆる真空、無はディラックの海が示すようにエネルギーの基底状態ということになり、自然に無は実在しないこととなります。
物理として終始は無いことになります。
〈ここ〉から〈ここ〉までは実在しません。
ということは粒子は実在しないということになります.

絶対座標が実在しないのですから、自然は無限であり静止、生死、終始は実在しないのです。

5 :三浦三郎 :2024/01/05(金) 10:12:45.51 .net
静止とは物理状態である認識器官に結ぶ像であり、実在しません。
静止、終始もまた認識器官の在り方に結ぶ像であり実在しません。

自然科学は認識の在り方の自己言及という側面があり、認識を相対化したわけです。

近世の哲学者スピノザは規定は否定としました。
自己言及とは自己を他として認識することです。
たとえば地図を描く場合に頭の中では空中から街、日本、地球などを眺めます。
この能力で古今東西行き来可能ですし、また小説、映画などの登場人物になれます。
〈わたし〉という自己言及はこの能力で可能になります。
物理としての自己を観念のわたしが他者として認識し表現します。
詳しくは三浦つとむ氏の「日本語はどういう言語か」を読んでください。

6 :三浦三郎 :2024/01/05(金) 10:12:46.10 .net
静止とは物理状態である認識器官に結ぶ像であり、実在しません。
静止、終始もまた認識器官の在り方に結ぶ像であり実在しません。

自然科学は認識の在り方の自己言及という側面があり、認識を相対化したわけです。

近世の哲学者スピノザは規定は否定としました。
自己言及とは自己を他として認識することです。
たとえば地図を描く場合に頭の中では空中から街、日本、地球などを眺めます。
この能力で古今東西行き来可能ですし、また小説、映画などの登場人物になれます。
〈わたし〉という自己言及はこの能力で可能になります。
物理としての自己を観念のわたしが他者として認識し表現します。
詳しくは三浦つとむ氏の「日本語はどういう言語か」を読んでください。

7 :三浦三郎 :2024/01/05(金) 10:14:15.50 .net
わたしは植物でも金属でもありませんが物理としては差異です。
差異を否定で規定しますからです。
わたしは常に運動変化して物理として同一であることはありませんが一のわたしと規定します。
同一を非同一で、非同一を同一で規定します。

光速度一定の原理は静止で運動を規定することを示し、静止の実在を否定することで自然が無矛盾であることを示します。

ウイルスは生物非生物と分類困難ですが、物理としては差異であり否定関係ではありません。
実は様々な問題は対象の否定で規定するから出来するのであり、規定しなければ問題は起きません。

8 :三浦三郎 :2024/01/05(金) 10:15:47.99 .net
吉本隆明氏は「言語にとって美とはなにか」の序論で品詞についてのべていることを紹介します。
名詞は表現する主体は言葉に現れませんが含まれます。
認識しなければ表現もありません。
感嘆詞は対象は表現されませんがやはり含まれます。
言葉というか規定は常に対象という客体とそれを認識する主体が含まれます。
自然認識も客体を認識しますが、その在り方には主体がつきまといます。
それは対象に実在しない、否定である静止、生死、終始で規定されます。

9 :三浦三郎 :2024/01/05(金) 10:18:20.67 .net
光速度一定の原理は静止で規定して静止は実在しない、つまり規定そのものを否定して対象が無矛盾であることを示します。

エネルギー保存則、地動説、観測問題などは認識の在り方を相対化しています。
不確定性原理は静止を運動で規定する、つまり無で有を規定するからです。
0に限りなく近いが0ではないという定義は運動はそのまま捉えられませんから近似値が必至ということです。
エネルギー保存則の破れが言われますが、近似値でしか認識できませんので=では捉えられないからです。

10 :三浦三郎 :2024/01/05(金) 10:19:41.02 .net
四次元、つまり時間は実在しません。
座標原点、終始は実在しません。
静止した三次元が無限に、つまり無が無限に集まったら運動するということはありません。
わたしたちは運動をそのまま理解できません。
今、ここと指示すると今、ここは飛び去ると哲学者は語ります。
これは運動をその否定の静止、つまり有を無で規定するからです。
数学の0に限りなく近いが0では無いという不可解な規定は対象と規定の関係から生じます。

11 :三浦三郎 :2024/01/05(金) 10:21:32.13 .net
生物学者は生物は生きつつかつ死につつあると語ります。
これも運動変化する対象を静止、無で規定するからです。
自然のいかなるものも運動変化して、それを静止で規定するからです。

規定するから次元が必要になります。

静止、生死、終始で規定しますが、これらは実在しません。
絶対座標、つまりここからが実在しませんし、このことはここまでも実在しないということです。

自己言及とは対象をその否定で規定することです。
この問題を最初に指摘したのはクレタ人の逆説です。
これも対象をその否定で規定するからこその逆説です。

観測問題も不確定性原理も認識の在り方の問題でありウイルス分類問題同様に対象である自然の問題ではありません。

科学は認識の在り方を相対化してきた歴史という側面があります。
現代科学が直面している基本的な諸問題は認識の在り方を考えれば解決可能だとわたしは主張します。

自然科学は自然認識であり、自己言及だとわたしは理解しています。
自己言及の認識論的解明が必要だとわたしは考えています。

12 :三浦三郎 :2024/01/05(金) 10:25:00.18 .net
哲学上の諸問題

まずゼノンの逆説をとりあげます。
これは師のパルメニデスの主張である自然は一であるという理解の擁護です。
仮に数が実在し最小単位があるとしたらその半分の大きさがあることを「競技場の逆説」で示します。
自然は数で出来ていると反駁するピタゴラス学派は数には大きさが無いとします。
ならばと「二分の一の逆説」「アキレスと亀の逆説」で目的地に達することも、亀を追い抜くこともできないと反論します。
「飛ぶ矢の逆説」では自然が点で出来ていたら運動は不可能だと証明します。

これらは光速度一定の原理が座標原点が実在しないことで裏付けられます。
数で規定しますが数は実在しません。
無で有を、規定は否定です。

カントは二律背反で時空に終始が有ることも無いことも証明します。
二律背反は、ここからもここまでも実在しないが、ここからここまでと規定する認識の在り方の問題です。
規定しなければ二律背反もありません。

規定は否定です。

13 :三浦三郎 :2024/01/05(金) 10:25:01.18 .net
哲学上の諸問題

まずゼノンの逆説をとりあげます。
これは師のパルメニデスの主張である自然は一であるという理解の擁護です。
仮に数が実在し最小単位があるとしたらその半分の大きさがあることを「競技場の逆説」で示します。
自然は数で出来ていると反駁するピタゴラス学派は数には大きさが無いとします。
ならばと「二分の一の逆説」「アキレスと亀の逆説」で目的地に達することも、亀を追い抜くこともできないと反論します。
「飛ぶ矢の逆説」では自然が点で出来ていたら運動は不可能だと証明します。

これらは光速度一定の原理が座標原点が実在しないことで裏付けられます。
数で規定しますが数は実在しません。
無で有を、規定は否定です。

カントは二律背反で時空に終始が有ることも無いことも証明します。
二律背反は、ここからもここまでも実在しないが、ここからここまでと規定する認識の在り方の問題です。
規定しなければ二律背反もありません。

規定は否定です。

14 :三浦三郎 :2024/01/05(金) 10:25:01.85 .net
哲学上の諸問題

まずゼノンの逆説をとりあげます。
これは師のパルメニデスの主張である自然は一であるという理解の擁護です。
仮に数が実在し最小単位があるとしたらその半分の大きさがあることを「競技場の逆説」で示します。
自然は数で出来ていると反駁するピタゴラス学派は数には大きさが無いとします。
ならばと「二分の一の逆説」「アキレスと亀の逆説」で目的地に達することも、亀を追い抜くこともできないと反論します。
「飛ぶ矢の逆説」では自然が点で出来ていたら運動は不可能だと証明します。

これらは光速度一定の原理が座標原点が実在しないことで裏付けられます。
数で規定しますが数は実在しません。
無で有を、規定は否定です。

カントは二律背反で時空に終始が有ることも無いことも証明します。
二律背反は、ここからもここまでも実在しないが、ここからここまでと規定する認識の在り方の問題です。
規定しなければ二律背反もありません。

規定は否定です。

15 :三浦三郎 :2024/01/05(金) 10:39:54.90 .net
哲学上の諸問題

まずゼノンの逆説をとりあげます。
これは師のパルメニデスの主張である自然は一であるという理解の擁護です。
仮に数が実在し最小単位があるとしたらその半分の大きさがあることを「競技場の逆説」で示します。
自然は数で出来ていると反駁するピタゴラス学派は数には大きさが無いとします。
ならばと「二分の一の逆説」「アキレスと亀の逆説」で目的地に達することも、亀を追い抜くこともできないと反論します。
「飛ぶ矢の逆説」では自然が点で出来ていたら運動は不可能だと証明します。

これらは光速度一定の原理が座標原点が実在しないことで裏付けられます。
数で規定しますが数は実在しません。
無で有を、規定は否定です。

カントは二律背反で時空に終始が有ることも無いことも証明します。
二律背反は、ここからもここまでも実在しないが、ここからここまでと規定する認識の在り方の問題です。
規定しなければ二律背反もありません。

規定は否定です。

16 :三浦三郎 :2024/01/05(金) 10:39:55.65 .net
哲学上の諸問題

まずゼノンの逆説をとりあげます。
これは師のパルメニデスの主張である自然は一であるという理解の擁護です。
仮に数が実在し最小単位があるとしたらその半分の大きさがあることを「競技場の逆説」で示します。
自然は数で出来ていると反駁するピタゴラス学派は数には大きさが無いとします。
ならばと「二分の一の逆説」「アキレスと亀の逆説」で目的地に達することも、亀を追い抜くこともできないと反論します。
「飛ぶ矢の逆説」では自然が点で出来ていたら運動は不可能だと証明します。

これらは光速度一定の原理が座標原点が実在しないことで裏付けられます。
数で規定しますが数は実在しません。
無で有を、規定は否定です。

カントは二律背反で時空に終始が有ることも無いことも証明します。
二律背反は、ここからもここまでも実在しないが、ここからここまでと規定する認識の在り方の問題です。
規定しなければ二律背反もありません。

規定は否定です。

17 :三浦三郎 :2024/01/05(金) 10:39:56.42 .net
哲学上の諸問題

まずゼノンの逆説をとりあげます。
これは師のパルメニデスの主張である自然は一であるという理解の擁護です。
仮に数が実在し最小単位があるとしたらその半分の大きさがあることを「競技場の逆説」で示します。
自然は数で出来ていると反駁するピタゴラス学派は数には大きさが無いとします。
ならばと「二分の一の逆説」「アキレスと亀の逆説」で目的地に達することも、亀を追い抜くこともできないと反論します。
「飛ぶ矢の逆説」では自然が点で出来ていたら運動は不可能だと証明します。

これらは光速度一定の原理が座標原点が実在しないことで裏付けられます。
数で規定しますが数は実在しません。
無で有を、規定は否定です。

カントは二律背反で時空に終始が有ることも無いことも証明します。
二律背反は、ここからもここまでも実在しないが、ここからここまでと規定する認識の在り方の問題です。
規定しなければ二律背反もありません。

規定は否定です。

18 :三浦三郎 :2024/01/05(金) 10:42:09.74 .net
観測問題は粒子は波の渦状態とすると解決します
ここからもここまでも実在しませんが認識器官は全てを反映しません
重力は運動関係変更に要するエネルギー量であり
他の諸力はその物理理状態生成に必要なエネルギー量と理解できます。

自然は運動するエネルギーの濃淡が親和反撥の過程で様々な物理状態を生成します

進化論はこの理解で裏付けられます

自然はただただ運動変化する過程として在るだけです

19 :三浦三郎 :2024/01/05(金) 10:45:55.84 .net
諸力も次元なども自然を規定理解するためにあり自然には実在しないのです

自然は無矛盾です

20 :Nanashi_et_al.:2024/01/07(日) 02:01:16.29 .net
sm43241510

21 :Nanashi_et_al.:2024/01/08(月) 08:56:24.25 .net
>>20
哲学板の常連さん?
投稿の意味が解らん
無意味なんかな 笑

22 :Nanashi_et_al.:2024/01/08(月) 08:58:41.22 .net
あっ勘違いだ
失礼した、

23 :Nanashi_et_al.:2024/01/09(火) 15:35:48.21 .net
自然が無矛盾であることは、静止、生死、終始、粒子など、これは静止の派生ですが、それが実在を否定され証明されます。
認識器官は物理状態であり、その在り様に物理状態の像は生成されます。
ですから一である自然は多様な像を生成します。
表現には認識主体が常に付きまといます。
同様に自然像はその各々の認識器官の在り様が付きまといます。
静止、生死、終始などはそれです。
科学はその認識の在り方を相対化していく歴史でもあります。

光速度一定の原理は認識器官の在り方から生成される像である静止が実在しない事を示し自然の存在形態が運動であり終始の実在を否定し無限である事、エネルギー保存則が成立、対象が無矛盾であることを証明しました。

規定は否定です、有を無で規定するからこそ不確定性原理です。
自然認識は自己言及ですから、対象が無矛盾であるが故に決定不能となります。

24 :Nanashi_et_al.:2024/01/09(火) 16:43:56.50 .net
意識問題を考えます
自然は運動するエネルギーの濃淡であり非物理存在は自然には存在しません
たとえば樹木と認識したとします
樹木という物理状態は同一であることはなく違う物理状態に遷移します。
樹木という表現は対象を静止、非同一を同一で捉えいたものです。
科学者が死を峻別できないのは生死が物理として存在しないからです。
運動変化している物理状態をわたしたちは静止で規定しますから生滅と認識します。

物理状態を人間、樹木と静止で規定しますから生滅すると認識するわけです。
意識自身も物理状態の附随現象ですから生滅します。
意識の自己言及の側面の考察が必要ではないかと現在は考えています

暗中模索の感がありますがとりあえず提案します

25 :スレ主:2024/01/10(水) 04:58:07.00 .net
結局附随現象活動か
現象界 

自身もまた

26 :Nanashi_et_al.:2024/01/10(水) 05:00:53.26 .net
うん、また書き直しだな 笑

27 :スレ主:2024/01/10(水) 05:06:30.60 .net
運動変化がもたらすだけか
物理状態の関係理解ということか?  
そこに還元される・・・

28 :スレ主:2024/01/11(木) 10:40:34.29 .net
現象学ってあったな
読んでみるかな

29 :Nanashi_et_al.:2024/01/11(木) 15:22:14.78 .net
展開し直すか
もう三十年前かなゼノンのパラドックスから展開した
何回書き直したやら

30 :Nanashi_et_al.:2024/01/14(日) 19:57:46.36 .net
不確定性原理
不完全性定理

規定は否定の具現ということです 
今頃気がついた 

31 :スレ主:2024/01/14(日) 20:01:28.36 .net
正直自然科学の結論が怖い

32 :Nanashi_et_al.:2024/01/14(日) 20:05:23.98 .net
新約聖書学
共産主義思想
数学

これらの結論にはひいた

わたしたちは自然科学には呆然としそう

33 :Nanashi_et_al.:2024/01/14(日) 20:07:26.42 .net
突き進むしかない

誰かがやるだろうが憎まれそう

34 :Nanashi_et_al.:2024/01/14(日) 20:15:26.83 .net
トドメは西欧には文化背景から困難かと思えるが
さて

35 :Nanashi_et_al.:2024/01/14(日) 20:20:23.82 .net
もう少しかと

ただ怖いです

36 :Nanashi_et_al.:2024/02/21(水) 10:34:37.64 ID:ITAQ3ntzV
人を刺すのか゛流行ってるけと゛さ,相模原なんて厚木基地に横田基地に入間基地にと襲撃されてる被災地らしくてなるほどなって感じた゛よな
入間基地の近くでJKが同級生ナヰフて゛刺したのも航空騷音か゛原因だっていうし、自殺や犯罪は騒音が原因た゛って研究結果まて゛あるし
朝から晩まで低空飛行してる厚木基地の近くなんて自殺や殺人た゛らけに市長まて゛イライラパワ八ラしまくりポリ公は収賄で逮捕だし.
もちろんチハ゛島なんて虐待して殺したり連れ去って殺したり路上で人刺したり頭おかしくされたやつた゛らけ.路上て゛親孑刺したJCの戸田
なんて数珠つなぎて゛クソ羽田成田航空機に侵略されて、四六時中猥褻がらみて゛逮捕されてるクソポリ公にはかつてない頻度で挑發を繰り
返させて望遠カメラて゛女風呂のぞき見しなか゛らク゛ルグ儿騒音まき散らして威力業務妨害に勉強妨害と住民の神経破壊してイラヰラ犯罪惹起
温室効果ガスに騒音にコ口ナにとまき散らして人殺して私権侵害して私腹を肥やす強盗殺人の首魁齊藤鉄夫ら世界最惡の殺人腐敗組織の
公明党国土破壞省か゛,俺も俺もと強盜殺人を流行らせたりと.世界最悪の腐敗テ□組織自民公明によってと゛んと゛ん曰本が破壞されてゆくな
(ref.) ttps://www.call4.jp/info.php?type=items&id=I0000062
ttps://haneda-project.jimdofree.com/ , ttps://flight-route.com/
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