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【イエス】愛とグノーシス探究スレ3【キリスト】

115 :神も仏も名無しさん:2024/04/21(日) 20:59:36.91 ID:C8tzOs7t.net
>>108
考えるだけでも恐ろしいことですが、もし『性欲がアルコーンに属するもの』だったとしたら、人はそれを手離さない限り、いくら器を大きくしても『アルコーンからの脱却は不可能』ということになります。

イエス、パウロ、ヨハネ、釈迦、龍樹、ピタゴラス、ストア派やグノーシス主義者たち、皆が皆口を揃えて性に否定的な態度を取ったのは何故なんでしょうか?

確かイエスの「狭き門から入れ」という言葉が聖書にはあったと思います。うろ覚えですが「広き門は死に通じる、狭き門は生に通じる」とその後に続いたと記憶しています。

性の快楽を楽しむのは誰もがしていることです。悪いことではないのですから当前です。では何故古の聖者たちは皆口を揃えて性を否定したのか。

性の快楽を楽しむ人生は広き門で性の快楽を否定する禁欲の人生は狭き門なのでしょうか?

もし『霊の知識を得る』為の絶対条件が性欲と性快楽の完全否定なのだとしたら、それを手に入れる人はほぼほぼ皆無ということになる、私はそれを恐れます。何故なら性の享楽を手離せる人間など存在しないのですから。

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