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仏のスレ8

442 :栖雲居士 :2024/03/22(金) 20:38:48.11 ID:ws/f6nfz.net
「もとより解決云々」の源流を辿れば馬祖禅ってなるのでしょうが、その特徴は、

 1.即心是仏(自らの心がそのまま仏に他ならない)
 2.作用即性(日常の感覚や動作・行為がそのまま仏のはたらき)
 3.平常無事(人為的なはからいがなく是非や凡聖の区別がない)

と云われますが、同時にそれに対して

>こうした考え方は、頭でこしらえた観念に呪縛されている人に対しては、新鮮な解放の力となったでしょう。
>しかし、このありのままが、最初から所与の正解となってしまったら、人々がいともかんたんに自堕落で安逸な現実肯定に流れてしまうであろうことは想像に難くありません。
>そのため、馬祖の弟子たちの間からも、こういう考えに対する違和感や懐疑、さらには批判や超克の姿勢が出てくるようになりました。
>(『禅思想史講義』(小川隆))

という流れが形成され、

>さきに結論を言ってしまえば、馬祖系の禅は、現実態の自身がそのまま本来性の現われだと考えたのに対し、石頭系の禅は、現実態の自己とは別次元に本来性の自己を見出そうとしました。
>ありのままの自己をそのまま育定するか、ありのままを超えたところに本来の自己をみようとするかーこの二本の対立軸の間の緊張関係が、唐代禅の基本的な構図を形づくってゆくのでした。
>(同書より)

となっていったそうです。

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