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【初心者】仏教・キリスト教談話室4【歓迎♪】

339 :ふぃりぽ :2021/02/02(火) 12:35:02.82 ID:ktmPbo03.net
キリスト教@質問箱280
250ふぃりぽ ◆7dBIFY.Wqw 2021/01/02(土) 19:16:02.66ID:X5+2iA8D
正典としての新約聖書を27巻と決めたのは公会議の教父たちです。

聖書自体が矛盾を含んでいるのです。

マルコ伝・マタイ伝・ルカ伝は人としてのイエスを
ヨハネ福音書は神としてのイエスを宣べ伝えています。

説明する必要があるから公会議があったのです。

キリスト教会は、数ある聖伝の一つに聖書があり、
最終決定の権威としても聖書の記述を使います。

復活祭の前など決まった時期の週で、水曜と金曜に断食をしたり、
年ごと週ごと日ごと時間ごとの単位で、決められた箇所の詩編で祈ったり、
主日ごとに読む箇所が決められた、福音書と使徒書簡の新約の箇所があります。

これらの決め事も聖伝です。

正教会はユダヤ教の時からの時の祈りを伝えており、
一概に否定できるものではありません。

新約聖書も30巻の時は、
ディダケー(直訳は遺言、十二使徒の教訓)、バルナバの手紙、ヘルマスの牧者が
27巻に付け加わっていたし、

古代教会は、30巻の新約聖書の上に、
教父イグナティウスの七つの手紙も使われていたわけですから。

また四福音書ではなくディアテッサロン(合併福音書)をシリアの教会では使っていたのです。

福音書は4巻だけとか、新約は27巻だけという思い込みも、
教父のカルタゴ会議の決定を認めていることになります。

一方で教父を否定し、もう一方では教父を認めるのはいかがなものでしょうか。

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